仏の行いを讃える経 宮殿に住む品 第二
その時、浄飯王の家には、聖なる子が生まれたゆえに、 親族や名高い子弟、家臣たちは皆、忠実で善良でした。
象や馬、宝の車、国の財宝や七宝の器は、 日々に増し栄え、時宜に応じて集まってきました。
無量の伏蔵(地中の宝)が、自然と地から現れ、 清らかな雪山の中では、凶暴な白象の群れが。
呼ばずとも自然にやって来て、御さなくとも自ら調伏し、 様々な色とりどりの馬は、姿形が極めて端正で、 赤いたてがみに長くしなやかな尾、跳ね駆ける様は飛ぶかのよう。
また野に生まれるものも、時宜に応じて自然に集まり、 純色で調和のとれた牛は、肥えてたくましく姿は整い、 穏やかな歩みで香り高い乳を、時宜に応じて雲のように集まりました。
怨み憎む者の心は和らぎ、中庸な者はますます篤厚に、 元から誠実な者は親密さを増し、乱れ逆らう者は全て消え去りました。
微風と時宜にかなった雨、雷鳴は大地を震わせず、 植え付けは時を待たず、収穫は倍増して豊かに積まれました。
五穀は鮮やかに香り高く、軽く柔らかで消化しやすく、 身ごもった者は皆、体安らかに調和しました。
四聖種(出家者の生活様式)を受ける者を除き、 世の他の人々は、生活の資はそれぞれ満ち足り、 他に求める思いはありませんでした。
慢心もなく、物惜しみや嫉妬もなく、また怒りや害する心もなく、 すべての男女は、天地開闢の初めの人々と同じでした。
天の社や寺舎、林園や井戸、泉や池は、 すべて天界の物のように、時宜に応じて自然に生じました。
国中に飢えはなく、戦いや疫病も静まり、 国中の人々は、親族同士愛し敬い合いました。
法の愛をもって楽しみ、汚れた欲望は生じず、 義をもって財物を求め、貪り利を求める心はありませんでした。
法のために施しを行い、見返りを求める思いはなく、 四梵行(慈悲喜捨)を修め、怒り害する心を滅しました。
過去の摩㝹王が、日光太子を生んだ時、 国中が吉祥に包まれ、諸々の悪は一時に止みました。
今、王が太子を生んだその徳もまた同じく、 多くの徳と義を備えているゆえに、名を悉達多とされました。
その時、摩耶夫人は、生まれた我が子を見て、 端正な姿は天の童子のようで、あらゆる美を備えていることに、 喜びに耐えず、命終えて天上に生まれました。
大愛の瞿曇彌(マハープラジャーパティー)は、太子が天の童子のような 徳と美貌で世に並ぶものなきことを見て、生母が命終えた後、 我が子のように慈しみ育て、子もまた母のように敬いました。
まるで日月の光が、微かなところから次第に広がるように、 太子は日に日に成長し、徳と美貌もまた同じでした。
無価の栴檀の香り、閻浮檀金という名宝、 身を護る神仙の薬、瓔珞で身を飾りました。
従属する近隣諸国は、王に太子が生まれたと聞き、 様々な珍しい宝物、牛、羊、鹿、馬、車、 宝の器や装飾具を献上し、太子の心を喜ばせようとしました。
様々な飾りや、幼子の玩具があっても、 太子の性質は安らかで重厚、体は幼くとも心は宿っていました。
心は高き勝れた境に留まり、栄華に染まることはなく、 諸々の術芸を修学し、一度聞けば師匠を超えました。
父王はその聡明さを見て、深く慮ることは世の常を超え、 広く名高い豪族を訪ね、風教と礼儀の家柄から、 容姿端正な女、名を耶輸陀羅という者を、 太子妃として迎え、その心を引き留めようとしました。
太子の志は高く遠く、徳は盛んで姿は清らか、 まるで梵天の長子、舍那鳩摩羅のようでした。
賢妃は美しい容貌、しとやかで優れた姿、 輝くばかりの美しさは天の女王のようで、日夜共に楽しみました。
清浄な宮殿を建て、広壮で極めて荘厳に、 高く虚空に聳え、遥かに秋の雲のようで、 温涼四季に適し、時宜に応じて善き住処を選びました。
伎女たちが周りを取り囲み、天の楽の音を奏で、 穢れた声色に近づかせず、世を厭う思いを起こさせないように。
天界の乾闥婆のように、自然と宝の宮殿があり、 楽女たちが天の音を奏で、声色が目と心を輝かせる。 菩薩が高き宮殿に居る時、音楽もまたこのようでした。
父王は太子のために、静かに住んで純粋な徳を修め、 仁慈と正法をもって教化し、賢者に親しみ悪友を遠ざけ、 心は恩愛に染まらず、欲望に対しては毒のように思い、 情を制し諸根を整え、軽躁な心を滅し、 和やかな顔で善く訴訟を聴き、慈しみの教えで民の心を満たしました。
外道を教化し、謀反の術を断ち、世を救う方法を教え導き、 万民が安楽を得ました。「今、我が子が安らかであるように、 万民もまた同じように」と、火を祀り諸神に仕え、 手を合わせて月光を飲み、恒河の水で身を清め、 法の水で心を洗い、福を祈るのは己のためではなく、 ただ子と万民のためでした。
愛する言葉に義がなくはなく、義のある言葉が愛でなくはなく、 愛する言葉が真実でなくはなく、真実の言葉が愛でなくはありません。 慚愧があるゆえに、ありのままに言えず、 愛する事、愛さない事について、貪りや怒りの思いに依りません。
志は寂黙にあり、平正に争いを止め、 天を祀る集会が、事を断ずる福に勝るとはしません。
多くを求める民衆を見て、望みを超えて豊かに施し、 心に戦いの思いはなく、徳をもって怨敵を降しました。
一を調えて七を護り、七を離れて五を防ぎ制し、 三を得て三を覚了し、二を知って二を捨てました。
情を求めてその罪を得、死に値する者にも仁恕を垂れ、 粗悪な言葉を加えず、優しい言葉で教え諭し、 努めて財物を施し、生活の道を指し示し、 神仙の道を受学し、怨み怒りの心を滅し、 名徳は広く流れ聞こえ、世間から永遠に消え去りました。
主たる匠が明るい徳を修めれば、領土の民は皆これに従い習い、 まるで人の心が安静であれば、四体の諸根が従うように。
その時、浄飯太子と賢妃耶輸陀羅は、 年を重ねて次第に成長し、懐妊して羅睺羅を生みました。
浄飯王は自ら考えました。「太子は既に子を生んだ。 代々相続する嗣ができ、正しい教化に終わりはない。 太子は子を生んだのだから、子を愛する心は我と同じ。 もはや出家を慮ることはなく、ただ力を尽くして善を修めよ。 我が心は今、大いに安らぎ、天に生まれる楽しみと変わらない。 まるで天地開闢の初め、仙王の住んだ道のようだ。」
愛する行いは清浄な業、祭祀は生き物を害さず、 熾然と勝れた業を修め、王は勝れ、梵行は勝れ、 宗族は勝れ、財宝は勝れ、勇健で伎芸は勝れ、 明らかに世間を照らし、千の光を輝かせる日のようです。
王たる所以は、その子を顕すためであり、 子を顕すのは宗族のため、栄える族は名声により、 名声が高ければ天に生まれ、天に生まれることは楽しみであり、 楽しみを得れば智慧が増し、道を悟り正法を弘め、 先に勝れた名声を得た者は、多くの妙なる道を受けて行います。
ただ願わくは、太子が、愛する子を捨てて家を離れぬように。 すべての諸国の王は、子が生まれても年がまだ幼いうちは、 王国土を任せず、その心が放逸に流れることを慮り、 情に任せて世の楽しみに執着し、王種を継げなくなるからです。
今、王が太子を生み、心のままに五欲を楽しませるのは、 ただ世の栄華を楽しませ、道を学ばせたくないからです。
過去の菩薩王は、その道は深く固いものでしたが、 世の栄華と楽しみを習い、子を生んで宗嗣を継がせ、 それから山林に入り、寂黙の道を修行したのでした。