---
title: "佛所行讚 · 23 神力住壽品"
description: "佛所行赞是古印度马鸣菩萨所著的佛教经典，由北凉时期高僧昙无谶译为汉文。该诗体传记以优美梵文叙述释迦牟尼佛从降生到涅槃的一生行迹，涵盖八相成道等重要事迹。作为最早的佛传文学作品，其文学价值与宗教意义并重，被誉为佛教史诗。在汉传佛教中具有重要地位，为研究佛陀生平及佛教文学发展提供了珍贵文献，对佛教传播与艺术创作影响深远。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmczamf8600e8lh04ad9icgiu"
---

## 佛所行讚卷第五亦云佛本行經

馬鳴菩薩造

北涼天竺三藏曇無讖譯

> 北涼天竺三蔵曇無讖訳

### 神力住壽品第二十三

> 第二十三章 神力による寿命の延長

爾時鞞舍離， 諸離車長者，聞世尊入國， 住菴摩羅園。有乘素車輿， 素蓋素衣服，青赤黃綠色， 其眾各異儀。導從翼前後， 爭塗競路前，天冠袞花服， 寶飾以莊嚴，威容盛明曜， 增暉彼園林。除捨五威儀， 下車而步進，息慢而形恭， 頂禮於佛足，大眾圍遶佛， 如日重輪光。離車名師子， 為諸離車長，德貌如師子， 位居師子臣，滅除師子慢， 受誨釋師子。「汝等大威德， 名族美色容，能除世憍慢， 受法以增明，財色香花飾， 不如戒莊嚴。國土豐安樂， 唯以汝等榮，榮身而安民， 在於調御心。加以樂法情， 令德轉崇高，非薄土群鄙， 而能集眾賢。當日新其德， 撫養於萬民，導眾以明正， 如牛王涉津。若人能自念， 今世及後世，唯當脩正戒， 福利二世安。為眾所敬重， 名稱普流聞，仁者樂為友， 德流永無疆。山林寶玉石， 皆依地而生，戒德亦如地， 眾善之所由。無翅欲騰虛， 渡河無良舟，人而無戒德， 濟苦為實難。如樹美花果， 針刺難可攀，多聞美色力， 破戒者亦然。端坐勝堂閣， 王心自莊嚴，淨戒功德具， 隨大仙而征。染服衣毛羽， 螺髻剃鬚髮，不脩於戒德， 方涉眾苦難。日夜三沐浴， 奉火修苦行，遺身穢野獸， 赴水火投巖。食菓餌草根， 吸風飲恒水，服氣以絕糧， 遠離於正戒。習斯禽獸道， 非為正法器，毀戒招誹謗， 仁者所不親。心常懷恐怖， 惡名如影隨，現世無利益， 後世豈獲安？是故智慧士， 當修於淨戒，於生死曠野， 戒為善導師。持戒由自力， 此則不為難，淨戒為梯隥， 令人上昇天。建立淨戒者， 斯由煩惱微，諸過壞其心， 喪失善功德。先當離我所， 我所覆諸善，猶灰覆火上， 足蹈而覺燒。憍慢覆其心， 如日隱重雲，慢怠滅慚愧， 憂悲弱強志，老病壞壯容， 我慢滅諸善。諸天阿修羅， 貪嫉興諍訟，喪失諸功德， 悉由我慢懷。我於勝中勝， 我德勝者同，我於勝小劣， 斯則為愚夫，色族悉無常， 動搖不暫停，終為磨滅法， 何用憍慢為？貪欲為巨患， 詐親而密怨，猛火從內發， 貪火亦復然。貪欲之熾燃， 甚於世界火，火盛水能滅， 貪愛難可消。猛火焚曠野， 草盡還復生，貪欲火焚心， 正法生則難。貪欲求世樂， 樂增不淨業，惡業墮惡道， 怨無過貪欲。貪則生於愛， 愛則習諸欲，習欲招眾苦， 元惡無過貪，貪則為大病， 智藥愚夫止，邪覺不正思， 能令貪欲增。無常苦不淨， 無我無我所，智慧真實觀， 能滅彼邪貪。是故於境界， 當修真實觀，真實觀已生， 貪欲得解脫。見德生貪欲， 見過起瞋恚，德過二俱忘， 貪恚得除滅。瞋恚改素容， 能壞端正色，瞋恚翳明目， 害法義欲聞，斷絕親愛義， 為世所輕賤。是故當捨恚， 勿隨於瞋心，能制狂恚心， 是名善御者，世稱善調駟， 是為攝繩容。縱恚不自禁， 憂悔火隨燒，若人起瞋恚， 先自燒其心，然後加於彼， 或燒或不燒。生老病死苦， 逼迫於眾生，復加於恚害， 多怨復增怨。見世眾苦迫， 應起慈悲心，眾生起煩惱， 增微無量差。」如來善方便， 隨病而略說，譬如世良醫， 隨病而投藥。爾時諸離車， 聞佛所說法，即起禮佛足， 歡喜而頂受。請佛及大眾， 明日設薄供。佛告諸離車： 「菴摩羅已請。」離車懷感愧， 彼何奪我利？知佛心平等， 而起隨喜心。如來善隨宜， 安慰令心悅，伏化純熟歸， 如蛇被嚴呪。夜過明相生， 佛與大眾俱，詣菴摩羅舍， 受彼供養畢，往詣毘紐村， 於彼夏安居。三月安居竟， 復還鞞舍離，住獼猴池側， 坐於林樹間。普放大光明， 以感魔波旬，來詣於佛所， 合掌勸請言：「昔尼連禪側， 已發真實要，我所作事畢， 當入於涅槃。今所作已作， 當遂於本心。」時佛告波旬： 「滅度時不遠，却後三月滿， 當入於涅槃。」時魔知如來， 滅度已有期，情願既已滿， 歡喜還天宮。如來坐樹下， 正受三摩提，放捨業報壽， 神力住命存。以如來捨壽， 大地普震動，十方虛空境， 周遍大火然。須彌頂崩頹， 天雨飛礫石，狂風四激起， 樹木悉摧折，天樂發哀聲， 天人心忘歡。佛從三昧起， 普告諸眾生：「我今已捨壽， 三昧力存身，身如朽敗車， 無復往來因，已脫於三有， 如鳥破卵生。」

> その時、ヴァイシャーリーの リッチャヴィの長者たちは、 世尊が国土にお入りになり、 アムラ果樹園におられるのを聞いた。 白い車に乗り、白い傘、白い衣をまとい、 青・赤・黄・緑、人々は様々な装いだった。 先導の従者が前後に従い、 我先にと道を競い合い進んだ。 天冠や花の衣をまとい、 宝飾で身を飾り、 威風堂々とした姿は輝き、 園林を一層照り映えさせた。 五つの権威の印を捨て、 車から下りて歩み進み、 怠慢を捨てて敬虔な姿で、 仏の足に最敬礼した。 大群衆が仏を取り巻き、 太陽が重なる光を放つようだった。 リッチャヴィの中の獅子という名の者は、 リッチャヴィの長者たちの代表であり、 獅子のような徳と姿を持ち、 獅子の臣の地位にありながら、 獅子の慢心を滅し、 獅子のような釈尊の教えを受けた。 「あなたがたは大いなる威徳を持ち、 高貴な家柄と美しい容姿を備えている。 世の驕り高ぶりを除き、 法を受けて智慧をさらに高めなさい。 財産や色欲、香りや花の飾りよりも、 戒律という装飾の方が勝れている。 国が豊かで安らかなのは、 ひとえにあなたがたの栄光による。 身を栄えさせ民を安んじるには、 心を調御することにある。 これに法を喜ぶ心を加えれば、 徳はいや増して高まるだろう。 決して低賤な土地の人々が、 多くの賢者を集められるわけではない。 日々自らの徳を新たにして、 万民を育て養い、 民を正しい道へ導くこと、 それは牛王が川を渡るようなものである。 もし人が、 今世と後世のことを考えるなら、 ただ正しい戒律を修めるべきであり、 それが現在と未来の安楽をもたらす。 人々から敬重され、 名声は広く流布し、 仁者は喜んで友となり、 徳の流れは永遠に尽きることがない。 山の林や宝や玉石は、 すべて大地に依って生じる。 戒の徳もまた大地のようであり、 あらゆる善いことの基となる。 翼もなく空に飛び、 川を渡るのに良い舟もなく、 人が戒の徳なくして、 苦しみから救われるのは実に難しい。 美しい花や実をつけた木でも、 棘があれば攀じ登るのは難しい。 多くの学問や美しい容姿や力があっても、 戒を破る者もまた同じである。 高殿に端坐し、王心自ら荘厳され、 清らかな戒の功徳を具えれば、 大いなる聖者に従って進むことができる。 染めた衣や毛羽の衣をまとい、 螺髻を作り、鬚髪を剃っても、 戒の徳を修めなければ、 多くの苦しみに悩まされることになる。 昼夜に三回沐浴し、 火を奉じて苦行を修め、 身を野獣に捨てたり、水火に飛び込み崖から落ちたり、 果実や草の根を食べ、 風を吸いガンジス川の水を飲み、 気を練って絶食し、 正しい戒律から遠ざかっても、 それらは禽獣の道を習うに過ぎず、 正しい器とはなりえない。 戒を破れば誹謗を招き、 仁者は親しくしない。 心は常に恐怖に満ち、 悪名は影のように付き従い、 現在の世で利益もなく、 後の世でどうして安らぎを得られようか？ それゆえ、智慧ある者は、 清らかな戒律を修めるべきである。 生と死の広野にあって、 戒は善き導き手となる。 戒律を守るのは自らの力による、 これは難しいことではない。 清らかな戒律は梯子のようであり、 人を天上に昇らせる。 清らかな戒律を確立するのは、 煩悩が微細になるからである。 様々な過ちが心を壊し、 善い功徳を失わせる。 まず「我がもの」という執着を離れるべきである。 「我がもの」という思いはあらゆる善を覆い隠す。 ちょうど灰が火を覆い、 足で踏むと焼けるのに気づくのと同じである。 驕り高ぶりが心を覆い隠す、 太陽が厚い雲に隠れるように。 怠慢は慚愧を滅し、 憂い悲しみは強い志を弱め、 老いと病は壮健な容姿を壊し、 我慢はあらゆる善を滅する。 諸天や阿修羅たちが、 貪りと嫉妬から争いを起こし、 諸々の功徳を失うのは、 すべて我慢があるからである。 『私は勝れた者の中で最も勝れている』、 『私の徳は勝れた者と同等だ』、 『私は勝れた者よりやや劣る』、 これは愚か者の考えである。 容色や家柄はすべて無常であり、 揺れ動いて一瞬も止まらず、 ついには滅び去るものである。 何のために驕り高ぶるのか？ 貪欲は大きな災いであり、 偽りの親しさで密かな敵となる。 猛火が内部から燃え上がるように、</word>貪りの火もまた同じである。 貪欲の燃え上がりは、 世界の火よりも激しい。 火が盛んなれば水で消えるが、 貪愛は消すのが難しい。 猛火が荒野を焼き尽くしても、 草は消えても再び生える。 貪欲の火が心を焼くとき、 正法が生まれるのは難しい。 貪欲は世の楽しみを求め、 楽しみは不浄な業を増す。 悪業は悪道に堕ち、 怨みは貪欲に勝るものはない。 貪りは執着を生み、 執着は様々な欲望に親しみ、 欲望に親しむと多くの苦しみを招く。 根本の悪は貪りに勝るものはなく、 貪りは大病であり、 智慧という薬を愚か者は止めてしまう。 邪な覚りや正しくない思惟は、 貪欲を増長させる。 無常・苦・不浄、 無我・無我所有、 これらを智慧で真実に観察すれば、 その邪な貪りを滅することができる。 それゆえ、認識の対象に対しては、 真実の観察を修めるべきである。 真実の観察が生じれば、 貪欲から解脱する。 美徳を見れば貪欲が生じ、 過ちを見れば怒りが起きる。 美徳と過ちの両方を忘れれば、 貪欲と怒りは除かれ滅する。 怒りは素の容貌を変え、 端正な色を壊し、 怒りは明るい目を曇らせ、 法の意味を聞こうとする心を害し、 親愛の絆を断ち切り、 世間から軽蔑される。 それゆえ、怒りを捨てるべきであり、 怒りの心に従ってはならない。 荒れ狂う怒りの心を制することができれば、 これを善く調御する者と呼び、 世間は善く馬を調教する者と称し、 手綱を巧みに操る者のようである。 怒りを放って自らを抑えられなければ、 後悔と苦しみの火が身を焼く。 もし人が怒りを起こせば、 まず自らの心を焼き、 それから相手に加える。 焼くこともあれば、焼かないこともある。 生・老・病・死の苦しみは、 衆生を苛む。 それにさらに怒りや害を加えれば、 多くの怨みを生じ、怨みをさらに増す。 世の中の多くの苦しみに迫られるのを見て、 慈悲の心を起こすべきである。 衆生は煩悩を起こし、 その増減には無量の差がある。」 如来は善巧な方便を用いて、 病に応じて簡潔に説かれた。 例えば世の良医が、 病に応じて薬を施すように。 その時、リッチャヴィたちは、 仏の説法を聞き、 すぐに立ち上がり仏の足に礼し、 歓喜して心から受けた。 そして仏と大衆を請い、 明日、粗末な食事を差し上げたいと申し出た。 仏はリッチャヴィたちに告げた。 「アムラ女史がすでにご招待された。」 リッチャヴィたちは感慨と慚愧を覚えた。 「あの方がどうして我々の功徳を奪うのか？」 しかし仏の心が平等であることを知り、 随喜の心を起こした。 如来は巧みに機に応じて、 彼らを慰め喜ばせ、 調伏・教化して純粋に帰依させた、 蛇が厳しい呪文に制されるように。 夜が明け、曙光が差すと、 アムラ女史の家を訪れ、 その供養を受けられた。 その後、ヴィシュヌ村へ赴き、 そこで夏の安居をされた。 三ヶ月の安居を終えると、 再びヴァイシャーリーに戻られ、 猿の池のほとりに留まり、 林の木々の間に坐しておられた。 すると大いなる光明を放って、 悪魔パーピマンを感応させた。 悪魔は仏のもとに来て、 合掌してこう勧請した。 「かつて、ネーランジャナー川の畔で、 すでに真実の誓いを立てられました。 『我が為すべきことは終えた、涅槃に入ろう』と。 今、為すべきことは為されました。 どうか、元々のご決心を遂げてください。」 その時、仏は悪魔に告げた。 「滅度の時は遠くない。 あと三ヶ月が満ちれば、 涅槃に入るであろう。」 悪魔は如来の滅度に期限があることを知り、 自らの願いが満たされたことを喜び、 歓喜して天宮に帰っていった。 如来は木の下に坐し、 三昧に入られた。 業報による寿命を手放し、 神力でその身の命を保たれた。 如来が寿命を捨てられたので、 大地はことごとく震動し、 十方の虚空の境域は、 一面に大火が燃え広がった。 須弥山の頂は崩れ落ち、 天からは礫石が雨のように降り、 狂風が四方から激しく吹き起こり、 木々はことごとく折れた。 天の楽器は哀しげな音を発し、 天人たちの心は楽しみを忘れた。 仏は三昧から起ち、 すべての衆生に告げられた。 「私は今、寿命を捨てた。 三昧の力で身を保っているが、 この身は朽ちた車のようであり、 もはや生死に往来する因はない。 すでに三界から解脱した、 鳥が卵を破って生まれるように。」