No. 1416-A瑞巖恕中和尚語錄序
No. 1416-A 瑞巖恕中和尚語錄序
余觀大梵天王問佛決疑經所載。梵王以金色波羅華獻佛。請為說法。佛拈華示眾。人天百萬悉皆罔措。獨金色頭陀破顏微笑。佛云。吾有正法眼藏。涅槃妙心。實相無相。分付摩訶迦葉。嗚呼此非禪波羅蜜之初乎。人生而靜。性本圓明。如大月輪光明徧照。凡蘇迷盧境界。具濕性者。大而河海。細而沼沚。無不有月。是故有百億水。則百億之月形焉。仰而瞻之。而中天之月未甞分也。月譬則性也。水譬則境也。一為千萬。千萬為一。初無應者。亦無不應者。體用一源。顯微無間也。大聖全體皆真。不失其圓明之性。如月在寒潭。無纖毫障翳。清光燁如也。凡夫為結習所使。業識所縛。而惟迷暗是趨。如月在濁水。固已昏冥無見。加以獰飈四興。翻濤鼓浪。魚龍出沒。變幻恍惚。欲求一隙之明。有不可得矣。故聖人之心主乎靜。靜而非靜而動亦靜也。凡夫之情役於動。動而不靜而靜亦動也。吾達磨大師特來東土。以迦葉所傳心學。化度有情。欲澄濁為情。止浪為平。直入於覺地而後止。故其體常寂。而寂而寂也。其智常照。而照無照也。其應常用。而用無用也。至此則其妙難名矣。然未易以一蹴至也。惟一惟虗。坐忘其軀。或緩或徐。長與神明居。懼其散而弗齊也。設疑情以一之。恐其至而自畫也。假善巧以引之。慮其偏而失正也。挽沉溺以返之。其道蓋如斯而已。歷代諸師。各尊所聞。守此而不敢失。逮我育王珙公。起於東海之濵。秉執法輪。弘開度門。達磨大師之道。煥然中興。入其門者無非龍象。而竺元道公號為世適。今吾恕中慍禪師。則又竺元之入室弟子也。初受度於元叟端公。多聞法要。辦香酬恩。歸之道公。厥後俯徇眾請。出世象山之靈巖。黃巖之瑞巖。皈依者日益眾。名聞東夷。使者入貢中國。兼奏請住持。師因奉詔來南京。力辭其行。皇上憫其耄也。特從所請。一旦將歸隱鄞江。其徒居頂。以二會語。徵余序。余久聞師名。亦嘗窺見語言之一二。茲又獲覩其全。驚霆舂而疾飈馳。山嶽移而海水立。鬼神泣而魑魅奔。有聞之者。凡情盡喪。余故不辭。為稽決疑經所載。以啟禪源。法水月之喻。以明性源。推達磨之教。以為學源。歷題之於首簡。余老且病。凡求文繽紛於前。悉皆謝絕。今獨為師拈此者。憫大法之陵遲。樂師言之契道也。
余、大梵天王問佛決疑経に所載のところを観るに、梵王は金色の波羅華をもって仏に供養し、法を説かんことを請うた。仏は華を拈って衆に示したまう。人天百万、全て罔措す。ただ金色頭陀のみ破顔微笑す。仏の云わく、「吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相あり。摩訶迦葉に付属す」と。嗚呼、これ禅波羅蜜の初めならずや。
人は生まれながらにして静かであり、性は本来円明である。大いなる月輪のごとく、光明あまねく照らす。すべての須弥楼の境界、湿性を具えるもの、大きなるは河海、細かなるは沼沢まで、月なきものなし。故に百億の水あらば、百億の月の形これに現ず。仰いでこれを瞻るに、中天の月は未だ嘗て分かたれたることなし。月を譬えば則ち性なり、水を譬えば則ち境なり。一は千万となり、千万は一となる。初めより応ずるものなく、また応ぜざるものなし。体用一源にして、顕微間なきなり。
大聖は全体皆真にして、その円明の性を失わず。月が寒潭にありて、微塵の障りもなく、清光燁然たるがごとし。凡夫は結習の使うところとなり、業識の縛するところとなりて、ただ迷暗に趨くのみ。月が濁水にあるがごとく、もとより昏冥にして見るなし。加うるに獰飚四に興り、濤を翻し浪を鼓し、魚龍出没し、変幻恍惚たり。一隙の明を求めんと欲するも、得べからざることあり。
故に聖人の心は静を主とす。静にして静にあらず、動くも亦た静なり。凡夫の情は動に役せらる。動きて動せず、静かなるも亦た動なり。
我が達磨大師、特に東土に来たりて、迦葉の伝えし心学をもって、有情を化度せんとす。濁りを澄まして清となし、浪を止めて平となさんと欲す。直に覚地に入りて後やまんと。故にその体は常に寂として、寂にして寂たり。その智は常に照らして、照らすも照らすなし。その応は常用にして、用いて用なきなり。此に至りては、その妙は名づけ難し。
然れども未だ一蹴をもって至り易からず。ただ一に惟ひただ虚にし、その躯を坐忘す。或いは緩やかに或いは徐に、長く神明と居す。その散じて斉しからざらんことを懼れて、疑情を設けて以て一にする。その至りて自ら画せんことを恐れて、善巧を仮りて以てこれに引く。その偏りて正を失わんことを慮りて、沈溺を挽みて以てこれに返す。その道は蓋し斯くのごときのみ。
歴代の諸師は、各々聞きしところを尊び、此を守りて敢えて失わず。我が育王珙公に及びて、東海の浜に起こり、法輪を執持し、度門を弘開す。達磨大師の道、喚然として中興す。その門に入るもの、龍象にあらざるはなし。而して竺元道公、世嫡と称せらる。今の吾が恕中慍禅師は、則ちまた竺元の入室の弟子なり。
初めに度を受くること元叟端公よりす。法要を多く聞き、辦香もて恩を酬い、道公に帰す。厥後、衆の請に俯徇して、象山の霊巌、黄巌の瑞巌に出でて住持す。帰依する者、日々に益々衆し。名は東夷に聞こえ、使いを入貢して中国に来たらしめ、兼ねて住持を奏請す。師は因りて詔を奉じて南京に来たれども、力めてその行を辞す。皇上その耄を憫みて、特にその請を聴す。一日、将に鄞江に帰隠せんとす。その徒の居頂、二会の語をもって、余に序を徴す。
余は久しく師の名を聞き、また嘗てその語録の一二を窺い見たり。この度またその全を得て観る。驚霆春のごとく疾飚馳するがごとく、山嶽移りて海水立ち、鬼神泣きて魑魅奔る。これを聞くものあらば、凡情ことごとく喪失せん。余故に辞せず、決疑経に所載のところを稽(かんが)え以て禅源を啓き、水月の喩を法(のっと)り以て性源を明らかにし、達磨の教えを推(おしはか)り以て学源となす。歴(つら)ねてこれを首簡に題す。
余は老いて且つ病み、文を求むる者、前に繽紛たり。悉く謝絶す。今独り師のために此を拈ずるは、大法の陵遅を憫み、師の言の道に契うを楽しむなり。
洪武七年。十月二十二日。翰林侍講學士中順大夫知 制誥同修 國史兼 太子讚善大夫金華宋濂序。
洪武七年、十月二十二日。翰林侍講学士、中順大夫、知制誥、同修国史、太子賛善大夫を兼ねる金華の宋濂が序を記す。