第三漢土最初釋迦像感應(出名王𤩄冥祥記等文)
第三の漢土における最初の釈迦像の感応
漢明帝夢見神人。形垂二丈。身黃金色。項佩日光。以問群臣。或對曰。西方有神。其號曰佛。形如階下所夢。於是發使天竺。寫致經像。表之中夏。自天子王侯。咸敬事之。聞人死精神不滅。莫不懼然自失。初使者蔡堷。將西域沙門迦葉摩騰。齎優填王畫釋迦佛像。帝主之如夢所見。乃遣畫工。圖之數本。於南宮清涼臺。及高陽門顯節壽陵上供養。又於白馬寺壁畫。千乘萬騎。遶塔三匝。遶像亦爾也。如法傳備載矣。
漢の明帝は夢の中で神人の姿を見た。その姿は二丈の高さがあり、体は黄金色に輝き、首には日光のような光を帯びていた。帝は臣下たちにこの夢の意味を尋ねた。ある者が答えて言った。「西方に神がおられます。その名を仏といい、姿は陛下が夢で見られた通りです」。そこで帝は使者を天竺に派遣し、経典と仏像を求め、中国にもたらした。天子から王侯に至るまで、皆これを敬い仕えた。
人々は、人が死んでも精神は滅びないと聞き、誰もが畏れを抱き、茫然とした。最初の使者、蔡愔が西域の僧、迦葉摩騰を伴い、優填王が描かせた釈迦仏像を持ち帰ると、帝はそれがまさに夢で見た通りであると感じた。そこで画工に命じて何点か模写させ、南宮の清涼台や高陽門の顕節寿陵に安置して供養した。また白馬寺の壁には、千の車、万の騎兵が塔を三度巡り、仏像も同様に巡る様子が描かれた。その詳細は、『法伝』に記されている通りである。