佛說眾許摩訶帝經卷第一
仏説・衆許摩訶帝経 巻第一(仏が説く、偉大なる帝王の物語 第一巻)
西天譯經三藏朝散大夫試鴻臚少卿明教大師臣法賢奉 詔譯
西天訳経三蔵朝散大夫試鴻臚少卿明教大師臣法賢、詔を奉じて訳す
如是我聞
このように私は聞きました。
:一時佛在迦毘羅國尼俱陀林中。爾時迦毘羅國有大釋眾而自思惟:「我佛世尊,於過去世何處所生?何姓?何族?有何因緣?」而思惟已,告諸眾曰:「釋迦世尊,於過去世,何處所生?何姓?何族?有何因緣?我等今者欲往佛所而問此義,如佛所說依教受持。」如是言已,與大釋眾即往佛所,頭面禮足依位而坐。爾時迦毘羅國大釋眾白佛言:「世尊!我等大釋眾住迦毘羅國精舍之中,而忽思惟:『我佛世尊於過去世,何處所生?何姓?何族?有何因緣?』我等不知,今與釋眾來詣佛所而問此義。唯願世尊,為我宣說,我等得聞依教受持。」
ある時、仏は迦毘羅国(カピラ国)の尼倶陀林(ニグローダ林)におられました。さて、その迦毘羅国には多くの釈迦族の人々がいて、こう考えました。「我らが仏世尊は、過去世において、どこに生まれたのか。どのような姓で、どのような一族で、どのような因縁があったのか。」そう考えてから、皆に告げました。「釈迦世尊は、過去世において、どこに生まれ、どのような姓で、どのような一族で、どのような因縁があったのか。我々は今、仏の元へ参り、この意味を尋ねよう。仏がお説きになられた通りに教えを受けて守ろう。」そう言ってから、大勢の釈迦族の人々と共に仏の元へ向かい、頭と顔を仏の足に付けて礼拝し、それぞれの席に着きました。
その時、迦毘羅国の大勢の釈迦族の人々が仏に申し上げました。「世尊よ。我々、迦毘羅国に住む大勢の釈迦族の人々は、精舎の中で突然こう考えました。『我らが仏世尊は、過去世において、どこに生まれたのか。どのような姓で、どのような一族で、どのような因縁があったのか。』我々は知りません。今、釈迦族の人々と共に仏の元へ参り、この意味を尋ねます。どうか世尊よ、我々のために説き明かしてください。我々はそれを聞いて、教えの通りに受け守ります。」
爾時世尊為斷眾疑,即說此義告釋眾曰:「我先不欲宣說此義。何以故?所有諸魔外道,若聞此事而復謗言:『沙門憍答摩自說其美,所樂即說、非樂不說,有何所益。』」
その時、世尊は人々の疑いを断つため、この意味を説いてシャーキャ族の皆に告げられた。 「私は元来、このことを説こうとは思わなかった。なぜなら、あらゆる魔や外道がこれを聞いて、『ゴータマ沙門は自分を褒め称え、自分に都合の良いことだけを言い、都合の悪いことは言わない。一体何の益があるのか』と誹謗するからである。」
爾時大目犍連現在大眾中,即從坐起,瞻仰尊顏目不暫捨。世尊告曰:「目連!彼諸釋眾樂聞於我過去之事,所生之處?何姓?何族?有何因緣?汝今志心而為宣說。」
その時、大目犍連は大勢の集まりの中にいて、すぐに座を立ち、尊いお姿をじっと見つめて、一瞬も目を離しませんでした。世尊は告げられました。「目連よ、あの釈迦の一族の人々は、私の過去の出来事、生まれた場所、姓、一族、そしてどのような因縁があったのかを喜んで聞こうとしている。今、心を込めてそれを説きなさい。」
爾時會中大目犍連默然思惟,經須臾頃收僧伽梨衣安在頭邊,右脇枕臥累足不動入三摩地;而復觀察世尊過去之世,所生之處,若姓、若族及因緣事,如實了知無其錯謬,即便出定於大眾前復坐本座。尊者大目犍連告釋眾曰:「我於三昧觀彼憍答摩往昔之事,世界壞時,彼諸眾生命終之後,而得往生遍靜天中;生彼天已,諸根圓滿身相端嚴,眾苦不生身心適悅,色相光明騰空自在;以天甘味而為飲食,壽量長時無中夭者。爾時大地,大水所生滿虛空中,猶如大海風吹波浪,如煎熟乳其水清涼,為彼後時一切眾生,所食清淨最上地味。」
その時、会の中にいた大目犍連は静かに思いを巡らせ、しばらくして僧伽梨の衣をたたんで頭の傍らに置き、右脇を下にして横たわり、両足を重ねて動かさずに三昧に入った。そして、世尊の過去世に生まれた場所、姓や氏族、さらには因縁の出来事を、誤りなくありのままに知り、すぐに禅定から出て大衆の前に戻り、元の座に着いた。
尊者大目犍連は釈迦の族の者たちに告げた。「私は三昧において、かの瞿曇(ゴータマ)の昔の出来事を観じた。世界が壊れる時、その諸々の衆生は命を終えた後、遍浄天に生まれることができた。その天に生まれると、諸々の感覚器官は円満に備わり、身体の相は端厳で、苦しみは生じず、心身は快適であり、姿や光は明るく、空中を自在に遊ぶことができた。天の甘味を飲食とし、寿命は長く、途中で死ぬことはなかった。その時、大地は大水によって満たされ、虚空の中は大海のようであり、風が波を吹き寄せていた。それはまるで煮た乳のように、その水は清らかで冷たく、後の時代の全ての衆生にとって、最も清浄で優れた地味(大地の味)となったのである。」
爾時大目犍連復告眾言:「當爾劫壞,眾生生遍靜天者,以彼天中福壽俱盡,捨遍靜天生於人間,所生之身亦如天界,身相端嚴諸根無缺妙色廣大,自有身光恒常照曜,長壽喜樂騰空自在。於其爾時無日月星辰,無歲數月時等,亦無男女眾生之相;出生地味以為飲食。如是地味甘美細妙,有情食已而生愛著;於其後時貪味轉盛,忽令身體而得沈重,所有光忽然不見,於是世間普皆黑暗。爾時有情見是世間普皆黑暗,種種驚惶心生憂惱,由是世間出現日月及星曜等,始分晝夜及其時候。如是有情壽命長遠無諸病惱,於其地味貪著多者,色相損減而獲醜惡;貪著少者其身色相恒自端嚴,如是隨心分別二相黑白果報。而彼眾生互相憎嫉而成不善,以不善故,由此地味即便隱沒,以隱沒故,令諸眾生心生熱惱,作如是言:『今無所食,深苦!深苦!』又復思惟:『最上地味云何隱沒?未來眾生云何得食?』令生苦惱疲乏之患,而不可知、不可言說。
その時、大目犍連は再び皆に告げました。
「その劫が壊れようとする時、生きとし生けるものは遍く静かな天に生まれました。しかし、その天での福徳も寿命も尽きると、遍静天を捨てて人間の世界に生まれました。その生まれた身体は、天界と同じように、姿形は端整で、すべての感覚器官は欠けることなく、その美しさは広大で、自らの身体の光が常に輝き、長寿で喜びに満ち、空中を自由に飛び回ることができました。その時には、太陽も月も星もなく、年月や時などの区別もなく、男女の区別もありませんでした。大地から湧き出るものを食物としていました。この大地の味は甘美で繊細であり、生きとし生けるものはそれを食べて愛執を生じました。その後、味への貪りが次第に強くなり、突然、身体は重くなり、その光は忽然と消え、世の中は一面の暗闇に覆われました。
その時、生きとし生けるものは、世の中が暗闇に包まれたのを見て、皆驚き恐れ、心に憂いと悩みを生じました。そのことから、世の中に太陽や月、星などが現れ、昼夜や時節が区別されるようになりました。このように、生きとし生けるものは寿命が長く、病や悩みはありませんでしたが、大地の味に多く貪るものは、その色相が損なわれ醜くなり、貪りが少ないものはその身体の色相は常に端整でした。このようにして、心のままに善悪の二つの果報が分かれたのです。
そして、それらの衆生は互いに憎み嫉み合い、不善をなすようになりました。その不善のために、大地の味はやがて消え去りました。消え去ったことで、生きとし生けるものは心に熱悩を生じ、こう言いました。『今、食物がなくなり、深く苦しい!深く苦しい!』また、こう思いました。『最も優れた大地の味はどうして消え去ったのか?未来の生きとし生けるものは、どうやって食物を得るのか?』と。その苦しみと疲れは、知ることも語ることもできません。」
「爾時大地之中,不久之間即生地餅,其味殊妙馨香甘美,如迦梨尼迦囉花。而諸眾生食此地餅,充益身體長壽安樂,身相端嚴氣力增盛。若諸眾生貪食多者色相損減,貪食少者色相如故無其損減,由此分別二相黑白,而互相非行不善業,令彼地餅隱沒不見。以不見故,而諸眾生復生苦惱,作如是言:『深苦!深苦!』又復思惟:『所生地餅云何隱沒?其義不知,而諸有情即得飢困疲乏之苦,未來眾生當於何食?』由是不久為彼眾生復生林藤,其色殊妙香味甘美。如是有情食此林藤,氣力增盛壽量長遠,形色端嚴人相具足。又彼眾生,貪食多者色相損減,貪食少者色相如故,如是有情分別二相黑白,而互相非行不善業,由是林藤隱沒不見。既不見已,令諸眾生心生熱惱,作如是言:『苦哉!苦哉!如是美味云何隱沒?其義不知?我等云何而得飲食?』由是不久大地之中,出生自然上味香稻,其稻依時自然成熟。爾時眾生即取食之,亦甚香美,充益肢體壽量長遠。由是爾時食於香稻,漸覺腹內有所妨礙,而即思惟:『云何除去?』作是念已即生二根,男女差別形相各異。爾時有情於色、香、味展轉愛著,於自親愛而以香花、衣服種種供養,復以軟言慰喻歡喜令彼忻慶;若有眾生於己非愛,即便輕毀種種呵責,或以瓦石互相𩰖打行不善行。又彼眾生所有過去正法今為非法,過去律儀今為非律儀,乃至晝夜時分亦顛倒分別;譬如有人以斗量炭,而為平滿不正之行,亦復如是。以倒想故正法為邪,由是香稻亦復隱沒。」
やがて大地に、地餅(ちへい)と呼ばれる食べ物が現れました。その味は驚くほど素晴らしく、香り高く甘美で、カーリニカーラ花のようでした。人々はこの地餅を食べ、体が満たされ長寿と安楽を得、姿は端麗になり、気力は増し強まりました。 しかし、貪り多く食べる者はその姿が衰え、少なく食べる者は元のまま変わりませんでした。こうして、人々の間には白と黒の二つの相が生まれ、互いに非難し合い、不善の業を行うようになりました。その結果、地餅は見えなくなってしまいました。 地餅が消えたことで、人々は苦しみ、「ああ、なんと苦しいことか!」と嘆きました。そして、「なぜ地餅は消えたのか?」と悩み、飢えと疲れに苦しみました。「未来の人々は何を食べればよいのか?」と心配しました。 すると、間もなく大地に林藤(りんとう)が生えました。その色は美しく、香り高く、味は甘美でした。人々はこれを食べ、再び気力が増し、寿命は長くなり、姿は端麗になりました。 しかし、またしても貪り多く食べる者は姿が衰え、少なく食べる者は元のままでした。再び白と黒の二つの相が生まれ、互いに非難し合い、不善の業を行ったため、林藤もまた消え去ってしまいました。 林藤が消えると、人々は心に熱悩(苦しみ)を抱き、「ああ、なんという苦しみだ!この美味しいものがなぜ消えたのか?」と悲しみました。「私たちは何を食べればよいのか?」と途方に暮れました。 すると、間もなく大地に、自然に生えた香り高い上等の稲が現れました。この稲は時が来れば自然に実り、人々はそれを食べました。その味はとても香ばしく、身体を満たし、寿命は長く続きました。 この香米を食べるうちに、次第に体内に何か妨げを感じるようになりました。「これをどうにか取り除くことはできないか?」と考えたとき、人間には男女の二つの性差が生まれ、姿も異なるようになりました。 こうなると、人々は色や香りや味に執着し、好きな者には花や衣服などで供養し、優しい言葉で慰め喜ばせました。一方、気に入らない者に対しては軽んじ、罵り、石や瓦で打ち合うなど不善の行いをするようになりました。 それまで正しかった教えは法ではなくなり、正しかった戒律ももはや戒律ではなくなりました。昼と夜の区別さえも誤って認識されるようになりました。それはまるで炭を枡で量りながら、正しく満たそうとしない様子と同じです。誤った考えによって正しい法が邪法とされたため、香米もまた消え去ってしまいました。
爾時大目犍連告釋眾言:「由香稻隱沒故,令彼眾生逐日諸處尋求稻種而欲種之。時有一人,其性慵懶貪著財利,雖有稻種而不能種。此人知已而告之言:『汝有稻種,與我少分我要種之。』彼人言曰:『我有香稻自要受用,汝今若要我即與汝。於後一日、二日,乃至七日却還我稻。』此人言曰:『善哉!善哉!若一日、二日,乃至七日,或未得還,如至半月、一月即得還之。』作是言已,即自思惟:『自前香稻非種自生,不假勤力自在受用;今得稻種,須住田野廣施勤力,晝夜相續方得生長。』
その時、大目犍連尊者は人々に告げました。
「香米が姿を消したため、彼らは日々、あちこちで稲の種を探し、それを植えようとしました。その中に一人の男がいました。彼は生まれつき怠け者で、財産や利益に貪欲でした。種を持っていながらも、それを植えようとはしませんでした。すると、ある人がそのことを知って、彼に言いました。『あなたは種を持っている。私に少し分けてほしい。私はそれを植えたいのだ。』すると、その男は答えました。『私は香米を自分で使うつもりだ。もしどうしても欲しいなら、あげてもいい。ただし、一日後、二日後、そして七日後までには、私に返してほしい。』すると、その人は言いました。『よろしい。よろしい。もし一日後、二日後、あるいは七日後までに返せなくても、半月後、あるいは一ヶ月後には必ず返します。』こう言った後、彼はこう思いました。『以前の香米は、種をまかずとも自然に生えていた。手間をかけずに自由に食べられたのだ。だが今、手に入れた種は、田んぼに出て多くの労力を費やし、昼夜を問わず働き続けて、ようやく実るものだ。』」
「如是念已,心生苦惱涕淚悲泣。又復思惟:『過去之世,所有眾生色相端正,諸根圓滿人相具足,身心適悅身有光明,騰空自在壽命長遠,所食地味猶如天饌;而於後時,於此美食生貪著故,身即沈重光明即滅,於是世間普皆黑暗。又彼有情貪食少者身相不減,貪食多者身相損減,由此分別二相黑白,互相輕毀行不善行。由是爾時地味即滅,地餅復生,色相殊妙甘美馨香,增益諸根身心適悅,壽命長遠;貪食少者身相不減,貪食多者身相損減,由此分別二相黑白,互相輕毀行不善行。爾時地餅亦復不見,由此非久復生林藤,色相殊妙其味甘善,亦如天食,充益肢體壽命長遠;貪食少者身相不減,貪食多者身相損減,由此分別二相黑白,互相輕毀行不善行。爾時林藤亦復不見,於是世間有自然香稻從地出生,其米香美可長四指,依時成熟其味甘美,充益肢體壽量長遠;由是眾生貪愛增故,所有香稻亦沒不見。是故今者求此稻種住於田野,廣施勤力方得成熟。』
このように思い至ると、心に苦しみが生じ、涙を流して悲しみ嘆いた。そしてさらにこう考えた。
「過去の世において、すべての衆生は色つやが端正で、諸々の感覚器官も円満に備わり、人の相を完全に具えていた。心身は快適で、身体からは光が放たれ、虚空を自由に飛び回り、寿命も長遠であった。食していた地味(大地の味)は、まるで天の美食のようであった。しかし、後にこの美食に貪著(むさぼり執着)する心が生じたことから、身体は重くなり、光明は消え去り、世の中はすっかり闇に包まれた。
また、貪り食う量の少ない有情は身体の相が損なわれず、多く貪り食う有情は身体の相が損なわれた。このことから、二つの異なる相(白と黒の相)が生じ、互いに軽蔑し合い、不善の行いをするようになった。そのため、この時に地味は消え去り、代わりに地餅(大地の餅)が生じた。その色つやは殊勝で美しく、味は甘く香ばしく、諸々の感覚器官を増益し、心身は快適で、寿命は長遠であった。しかし再び、貪り食う量の少ない有情は身体の相が損なわれず、多く貪り食う有情は身体の相が損なわれた。このことから再び二つの異なる相が生じ、互いに軽蔑し合い、不善の行いをするようになった。そのため、この時に地餅もまた見えなくなった。
そうして程なく、林藤(森のつる)が生じた。その色つやは殊勝で美しく、味は甘く善く、まるで天の食物のようであり、肢体を満たし、寿命は長遠であった。しかし再び、貪り食う量の少ない有情は身体の相が損なわれず、多く貪り食う有情は身体の相が損なわれた。このことから再び二つの異なる相が生じ、互いに軽蔑し合い、不善の行いをするようになった。そのため、この時に林藤もまた見えなくなった。
そこで世の中には、自然の香り高い稲が地面から生じるようになった。その米は香ばしく美しく、長さは四指ほどあり、時が来れば実り、その味は甘く美しく、肢体を満たし、寿命の長さも長遠であった。しかし、衆生の貪りの愛着が増したことにより、この香り高い稲もまた見えなくなってしまった。それゆえ、今ではこの稲の種を求めて野原に住み、多くの労力を注いでようやく成熟させることができるのである。」
「雖生稻米其米漸小,於是眾生貪著地利,廣占田野競多種植,而行非法生賊盜想,於他田種復行偷盜。時有一人見是偷米,如是一遍、二遍乃至三遍,而告言曰:『汝自有米何不自用,云何於他而行偷盜?從今之後勿更盜米。』賊聞是言猶不改過,復於後時又行偷盜。前人復見而責之曰:『前已誡汝勿行偷盜,何故此時又亦作賊?』即集多人共以責斷。復於彼時,於眾人中揀一具福德者立為田主,均分田土各令平等,有不依法者令彼調伏。田種若熟,輸其少分以賞田主。如是田主受行戒行,安慰世間依法決斷,合調伏者即便調伏。
稲を育てるようになっても、その米粒は次第に小さくなっていきました。そこで人々は土地の恵みに執着し、広い田んぼを占領して競って多くの種をまき、不正を行い、盗みの心を起こして他人の田んぼの作物を盗むようになりました。ある時、一人の人がこの米を盗む様子を見つけ、一度、二度、三度と注意して言いました。「お前には自分の米があるではないか。なぜ自分のを使わずに、他人のものを盗むのか。今日から二度と盗むな。」しかし、盗人はこの言葉を聞いても改めず、後にまた盗みを働きました。前に注意した人が再びこれを見つけて叱りました。「前に盗むなと戒めたはずだ。なぜまた盗人になるのか。」そして多くの人を集めて、共に責めて裁きました。さらにその後、人々の中から福徳のある一人を選んで田んぼの主とし、田んぼを分け与えて皆が平等になるようにし、法に従わない者があれば罰したのです。作物が実れば、その一部を田んぼの主に納めさせました。こうして田んぼの主は戒律を守り、世の中を安心させて法に従って裁き、罰すべき者は罰しました。
「由此世間立剎帝利姓,名三摩達多王,王有大臣名為有情;其王後時生一太子,名為愛子,王有大臣名伊賀迦;時愛子王生一太子,名曰善友,彼有大臣名帝羅迦;時善友王復生一子,名曰最上,彼有大臣名阿跋羅建姹;最上王有子,名曰戒行,彼有大臣名哆羅惹伽。其王頂上生一肉靤,其靤柔軟,常以兜羅綿拂拂於肉靤無諸疼痛;其靤後熟,自然破裂生一童子,福德端嚴,具三十二相,眾所愛重,因以立名名頂生王。纔下王頂即入內宮。
そこでこの世にクシャトリヤの姓が成立し、名をサマーダタ王という。その王には有情という名の大臣がいた。その後、王に一人の太子が生まれ、名をアイカ(愛子)といった。王にはイハカという名の大臣がいた。その頃、アイカ王に一人の太子が生まれ、名を善友といった。彼にはティロカという名の大臣がいた。善友王にまた一人の子が生まれ、名を最上といった。彼にはアバラカーンタという名の大臣がいた。最上王に子が生まれ、名を戒行といった。彼にはトラタカという名の大臣がいた。その王の頭頂に一つの肉のこぶが生じた。そのこぶは柔らかく、常に綿の布でそっと拭かれても、痛みや苦しみは全くなかった。そのこぶは後に熟し、自然に破れて一人の童子が生まれた。その童子は福徳があり、姿は端正で、三十二の相を備え、皆から愛され重んじられた。それによって名を頂生王とつけた。王の頭頂から下りるとすぐに、内宮に入った。
「爾時戒行王內宮之中,有六萬宮人各有嬭乳,俱白王言:『我有嬭乳,願嬭太子。』由此因緣亦名我嬭王。
その時、戒行王の後宮には六万人の女官たちがおり、それぞれが乳を有していました。彼女たちは皆、王に申し上げました。「私には乳がございます。どうか太子に乳を飲ませてください。」このような因縁によって、王は「我が乳母の王」とも呼ばれています。
「爾時世間所有眾生智慧漸增,能細思惟,稱量分別微細之事,或是、或非及工巧等,是故立名號摩努沙。
その時、世の中すべての生きとし生けるものの智慧は次第に増し、細やかに考え、事物をはかり、分別し、あるいは正しく、あるいは誤り、また技巧などのことをも分別できるようになった。それゆえに、名づけて「摩努沙」(人)と呼んだのである。
「爾時六大天子壽命無量,有六大臣:一名有情;二名伊賀羅;三名帝羅迦;四名阿跋羅建姹;五名多羅惹伽;六名摩努惹。如是六大臣,聰明多智,能治世間有大威德。時頂生王於其右股生一肉靤,其靤柔軟,常以兜羅綿拂拂於肉靤離諸疼痛;於後靤熟自然開裂,生一童子,身相端嚴具三十二相,名為尼嚕,有大智慧福德無量,為金輪王統四天下。
その時、寿命無量なる六大天子のもとには、六人の大臣がいた。 第一を有情、第二を伊賀羅、第三を帝羅迦、第四を阿跋羅建姹、第五を多羅惹伽、第六を摩努惹という。 この六人の大臣は、聡明で知恵が深く、世の中をよく治め、大きな威徳をそなえていた。 その時、頂生王の右の太ももに柔らかな肉の瘤(こぶ)ができた。常に兜羅綿(とらめん)の羽根で払い、痛みを和らげていた。 やがてその瘤は熟し、自然に割れて一人の童子が生まれた。その姿は端正で、三十二相を具え、尼嚕と名づけられた。 この童子は大いなる智慧と計り知れない福徳をそなえ、金輪王として四つの天下を統べたのである。
「尼嚕輪王於其後時,在左股上亦生一靤,其靤柔軟,常以兜羅綿拂拂於肉靤無諸疼痛;於後還熟,自然開裂生一童子,端正殊妙具三十二相,名烏波尼嚕,智慧深遠福德無量,為銀輪王統三天下。
その後、尼嚕(ニル)王の左ももの上にも一つの腫れ物ができました。その腫れ物は柔らかく、いつも兜羅綿(とらめん)でそっと撫でても痛みはありませんでした。やがて成熟し、自然に割れて一人の童子が生まれました。姿は端正で美しく、三十二相を具えていました。名を烏波尼嚕(ウパニル)といい、智慧は深く遠く、福徳は無量でした。銀輪王となり、三つの天下を統治しました。
「烏波尼嚕王還於後時,向右足上生一肉靤,其靤柔軟,亦以兜羅綿拂拂於肉靤無諸疼痛;於後靤熟自然開裂生一童子,身相端嚴具三十二相,名室尼嚕,福慧深厚,為銅輪王統二天下。
時を経て、烏波尼嚕王の右足に一つの肉の瘤が生じました。その瘤は柔らかく、優しい綿でそっと触れても、全く痛みを感じませんでした。やがて瘤が熟し、自然と裂けて一人の童子が生まれました。その姿は端正で厳かであり、三十二のすぐれた相を備えていました。名を室尼嚕といい、福徳と智慧が深く厚く、銅輪王となって二つの天下を統治しました。
「室尼嚕王於左足上有一肉靤,其靤柔軟,以兜羅綿拂拂於肉靤無諸疼痛;於後靤熟自然開裂生一童子,色相端正具三十二相,名摩尼嚕,福慧深厚,為鐵輪王統一天下。」
室尼嚕王の左足の上に、一つの肉の瘤がありました。その瘤は柔らかく、綿の布でそっと触れても、全く痛みを感じませんでした。やがて、その瘤が熟して自然に割れ、一人の童子が生まれました。その姿は端正で、三十二の優れた相を備えていました。その子の名は摩尼嚕といい、福徳と智慧が深く厚く、鉄輪王となって天下を統べ治めました。
爾時大目犍連告釋眾言:「如是王位相繼至今其數極多,如是眾許王有子,名為愛王;愛王有子,名善友王;善友王有子,名最上王;最上王有子,名戒行王;戒行王有子,名頂生王;頂生王有子,名尼嚕王;尼嚕王有子,名烏波尼嚕王;烏波尼嚕王有子,名室尼嚕王;室尼嚕王有子,名摩尼嚕王;摩尼嚕王有子,名嚕唧王;嚕唧王有子,名酥嚕唧王;酥嚕唧王有子,名母唧王;母唧王有子,名母唧鱗捺王;母唧鱗捺王有子,名阿誐王;阿誐王有子,名阿儗囉他王;阿儗囉他王有子,名婆儗囉他王;婆儗囉他王有子,名娑誐囉王;娑誐囉王有子,名摩賀娑誐囉王;摩賀娑誐囉王有子,名舍矩禰王;舍矩禰王有子,名摩賀舍矩禰王;摩賀舍矩禰王有子,名矩舍王;矩舍王有子,名烏波矩舍王;烏波矩舍王有子,名摩賀矩舍王;摩賀矩舍王有子,名酥捺哩舍曩王;酥捺哩舍曩王有子,名摩賀酥捺哩舍曩王;摩賀酥捺哩舍曩王有子,名鉢囉拏耶王;鉢囉拏耶王有子,名摩賀鉢囉拏耶王;摩賀鉢囉拏耶王有子,名鉢囉拏那王;鉢囉拏那王有子,名摩賀鉢囉拏那王;摩賀鉢囉拏那王有子,名鉢囉半迦囉王;鉢囉半迦囉王有子,名鉢囉多波王;鉢囉多波王有子,名嚩彌嚕王;嚩彌嚕王有子,名彌嚕摩多王;彌嚕摩多王有子,名阿哩唧王;阿哩唧王有子,名囉哩唧瑟摩王;囉哩唧瑟摩王有子,名曩哩唧瑟摩多王;曩哩唧瑟摩多王有子,名阿哩止娑滿多王。如是等王子孫相繼,共有一百大國王,皆都布多羅迦城。
そのとき、大目犍連(だいもくれん)は人々に告げて言いました。
「このようにして王位は代々受け継がれ、その数は極めて多いのです。その中で、衆許(しゅく)王に愛王という子がいました。愛王には善友王、善友王には最上王、最上王には戒行王、戒行王には頂生王、頂生王には尼嚕(にろ)王、尼嚕王には烏波尼嚕(うはにろ)王、烏波尼嚕王には室尼嚕(しつにろ)王、室尼嚕王には摩尼嚕(まにろ)王、摩尼嚕王には嚕唧(ろしつ)王、嚕唧王には酥嚕唧(そろしつ)王、酥嚕唧王には母唧(もしつ)王、母唧王には母唧鱗捺(もしつりんな)王、母唧鱗捺王には阿誐(あが)王、阿誐王には阿儗囉他(あぎらた)王、阿儗囉他王には婆儗囉他(ばぎらた)王、婆儗囉他王には娑誐囉(さがら)王、娑誐囉王には摩賀娑誐囉(まかさがら)王、摩賀娑誐囉王には舍矩禰(しゃくね)王、舍矩禰王には摩賀舍矩禰(まかしゃくね)王、摩賀舍矩禰王には矩舍(くしゃ)王、矩舍王には烏波矩舍(うはくしゃ)王、烏波矩舍王には摩賀矩舍(まかくしゃ)王、摩賀矩舍王には酥捺哩舍曩(そなつりしゃな)王、酥捺哩舍曩王には摩賀酥捺哩舍曩(まかそなつりしゃな)王、摩賀酥捺哩舍曩王には鉢囉拏耶(はつらなや)王、鉢囉拏耶王には摩賀鉢囉拏耶(まかはつらなや)王、摩賀鉢囉拏耶王には鉢囉拏那(はつらなな)王、鉢囉拏那王には摩賀鉢囉拏那(まかはつらなな)王、摩賀鉢囉拏那王には鉢囉半迦囉(はつらはんから)王、鉢囉半迦囉王には鉢囉多波(はつらたは)王、鉢囉多波王には嚩彌嚕(ばみろ)王、嚩彌嚕王には彌嚕摩多(みろまた)王、彌嚕摩多王には阿哩唧(ありしつ)王、阿哩唧王には囉哩唧瑟摩(らりしつしま)王、囉哩唧瑟摩王には曩哩唧瑟摩多(なりしつしまた)王、曩哩唧瑟摩多王には阿哩止娑満多(ありしさまんた)王がいました。このように王と子、代々受け継がれた結果、合わせて百人の大王がおり、皆、布多羅迦(ふたらか)の城を都としていました。」
「於最後王生其一王,名降怨王,彼王有大威德能降諸怨,是故名降怨王。如是此王子孫相繼帝位不絕,有五萬四千王,都阿喻駄也城。又此最後王復生一子,名無能勝王,彼王子孫相繼,帝位相承,有六萬天子,都波羅奈國。於最後王又生一子,名耨鉢囉娑訶王,子孫相繼有八萬四千王,都緊閉羅城。於最後王復生一子,名梵授王,子孫相繼有三萬二千王,都賀悉帝曩布里城。於最後王復生一子,名賀悉帝捺多王,子孫相繼有五千王,都怛叉尸羅城。於最後王復生一子,名娑多黎薩王,子孫相繼有三萬二千王,都烏囉娑大城。於最後王復生一王,名曩誐曩𡁠曩王,子孫相繼有三萬二千王,都無能大城。於最後王復生一王,名勝軍王,子孫相繼有一萬八千王,都瞻波大城。於最後王復生一子,名龍天王,子孫相繼有二萬五千王,都怛摩黎多城。於最後王復生一子,名為仁王,子孫相繼有一萬二千王,亦都怛摩黎多城。於最後王復生一子,名為海王,子孫相繼有一萬八千王,都難多布里也城。於最後王復生一子,名妙意王,子孫相繼有二萬五千王,都王舍城。於最後王復生一子,名娑多謨努那王,子孫相繼有一百王,亦都波羅奈國。於最後王復生一子,名大軍王,子孫相繼有一千王,都矩舍嚩帝大城。於最後王復生一子,名海軍王,子孫相繼有一千王,都補多羅迦城。於最後王復生一子,名娑多半尼囉王,子孫相繼有八萬四千王,都矩舍嚩帝城。於最後王復生一王,名摩呬目佉王,子孫相繼有十萬王,亦都波羅奈國。於最後王復生一王,名摩呬鉢帝王,亦名地主王,子孫相繼有一百王,都阿喻駄大城中。於最後王復生一王,名持世王,子孫相繼有八萬四千王,都彌體羅城。於最後王復生一王,名大天王,梵行清淨,子孫相繼有八萬四千王,亦都彌體羅城。
最後の王に、一人の王が生まれた。その名を降怨王という。この王は大いなる威徳をもち、すべての怨みを降し従えることができたがゆえに、降怨王と名づけられた。かくして、この王の子孫は代々王位を継ぎ、絶えることなく五万四千人の王が、阿喻駄城に都した。
また、この最後の王に、さらに一人の子が生まれ、無能勝王と名づけられた。その王の子孫は代々王位を継ぎ、六万人の天子が、波羅奈国に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、耨鉢囉娑訶王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、八万四千人の王が、緊閉羅城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、梵授王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、三万二千人の王が、賀悉帝曩布里城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、賀悉帝捺多王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、五千人の王が、怛叉尸羅城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、娑多黎薩王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、三万二千人の王が、烏囉娑大城に都した。
最後の王に、また一人の王が生まれ、曩誐曩𡁠曩王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、三万二千人の王が、無能大城に都した。
最後の王に、また一人の王が生まれ、勝軍王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、一万八千人の王が、瞻波大城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、龍天王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、二万五千人の王が、怛摩黎多城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、仁王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、一万二千人の王が、同じく怛摩黎多城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、海王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、一万八千人の王が、難多布里也城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、妙意王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、二万五千人の王が、王舍城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、娑多謨努那王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、百人の王が、同じく波羅奈国に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、大軍王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、千人の王が、矩舍嚩帝大城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、海軍王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、千人の王が、補多羅迦城に都した。
最後の王に、また一人の子が生まれ、娑多半尼囉王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、八万四千人の王が、矩舍嚩帝城に都した。
最後の王に、また一人の王が生まれ、摩呬目佉王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、十万人の王が、同じく波羅奈国に都した。
最後の王に、また一人の王が生まれ、摩呬鉢帝王と名づけられた。またの名を地主王という。子孫は代々継ぎ、百人の王が、阿喻駄大城に都した。
最後の王に、また一人の王が生まれ、持世王と名づけられた。子孫は代々継ぎ、八万四千人の王が、彌体羅城に都した。
最後の王に、また一人の王が生まれ、大天王と名づけられた。梵行清らかであり、子孫は代々継ぎ、八万四千人の王が、同じく彌体羅城に都した。
「於最後王復生一王,名儞彌王,彼王復生摩娛努王;摩娛努王復生涅里姹儞彌佉努王;涅里姹儞彌佉努王復生嚕波佉努王;嚕波佉努王復生佉努摩曩王;佉努摩曩王復生佉努滿多王;佉努滿多王復生酥涅里舍王;酥涅里舍王復生娑涅里舍王;娑涅里舍王復生酥嚕多細曩王;酥嚕多細曩王復生達魔細曩王;達魔細曩王復生尾儞多王;尾儞多王復生摩賀尾儞多王;摩賀尾儞多王復生尾儞多細曩王;尾儞多細曩王復生阿輸迦王;阿輸迦王復生尾誐多輸迦王;尾誐多輸迦王復生頗羅娑埵王;頗羅娑埵王復生惹羅娑埵王;惹羅娑埵王復生沒度摩囉王;沒度摩囉王復生阿嚕拏王;阿嚕拏王復生儞扇波帝王;儞扇波帝王復生里娛王;里娛王復生商迦囉迦王;商迦囉迦王復生阿難那王;阿難那王復生阿那里舍目佉王;阿那里舍目佉王復生惹那迦王;惹那迦王復生散惹曩佉王;散惹曩佉王復生惹曩沙婆王;惹曩沙婆王復生案曩播曩王;案曩播曩王復生鉢囉祖囉曩播曩王;鉢囉祖囉曩播曩王復生阿𡁠多王;阿𡁠多王復生波羅𡁠多王;波囉𡁠多王復生鉢囉底瑟恥多王;鉢囉底瑟恥多王復生酥鉢囉底瑟恥多王;酥鉢囉底瑟恥多王復生摩賀摩羅王;摩賀摩羅王復生嚩賀曩王;嚩賀曩王復生酥摩帝王;酥摩帝王復生涅里姹嚩賀王;涅里姹嚩賀王復生捺捨馱努王;捺捨馱努王復生設多馱努王;設多馱努王復生曩嚩帝馱努王;曩嚩帝馱努王復生室左怛囉馱努王;室左怛囉馱努王復生尾𡁠多馱努王;尾𡁠多馱努王復生涅里姹馱努王;涅里姹䭾努王復生捺捨囉他王;捺捨囉他王復生設多囉他王;設多囉他王復生曩嚩帝囉他王;曩嚩帝囉他王復生唧怛囉囉他王;唧怛囉囉他王復生涅里姹囉他王。如是等子孫相繼七萬七千王,都僧迦大城。
最後の王から、さらに一王が生まれました。その名を儞彌王といいます。儞彌王は摩娛努王を生み、摩娛努王は涅里姹儞彌佉努王を生み、涅里姹儞彌佉努王は嚕波佉努王を生み、嚕波佉努王は佉努摩曩王を生み、佉努摩曩王は佉努滿多王を生み、佉努滿多王は酥涅里舍王を生み、酥涅里舍王は娑涅里舍王を生み、娑涅里舍王は酥嚕多細曩王を生み、酥嚕多細曩王は達魔細曩王を生み、達魔細曩王は尾儞多王を生み、尾儞多王は摩賀尾儞多王を生み、摩賀尾儞多王は尾儞多細曩王を生み、尾儞多細曩王は阿輸迦王を生み、阿輸迦王は尾誐多輸迦王を生み、尾誐多輸迦王は頗羅娑埵王を生み、頗羅娑埵王は惹羅娑埵王を生み、惹羅娑埵王は沒度摩囉王を生み、沒度摩囉王は阿嚕拏王を生み、阿嚕拏王は儞扇波帝王を生み、儞扇波帝王は里娛王を生み、里娛王は商迦囉迦王を生み、商迦囉迦王は阿難那王を生み、阿難那王は阿那里舍目佉王を生み、阿那里舍目佉王は惹那迦王を生み、惹那迦王は散惹曩佉王を生み、散惹曩佉王は惹曩沙婆王を生み、惹曩沙婆王は案曩播曩王を生み、案曩播曩王は鉢囉祖囉曩播曩王を生み、鉢囉祖囉曩播曩王は阿𡁠多王を生み、阿𡁠多王は波羅𡁠多王を生み、波羅𡁠多王は鉢囉底瑟恥多王を生み、鉢囉底瑟恥多王は酥鉢囉底瑟恥多王を生み、酥鉢囉底瑟恥多王は摩賀摩羅王を生み、摩賀摩羅王は嚩賀曩王を生み、嚩賀曩王は酥摩帝王を生み、酥摩帝王は涅里姹嚩賀王を生み、涅里姹嚩賀王は捺捨馱努王を生み、捺捨馱努王は設多馱努王を生み、設多馱努王は曩嚩帝馱努王を生み、曩嚩帝馱努王は室左怛囉馱努王を生み、室左怛囉馱努王は尾𡁠多馱努王を生み、尾𡁠多馱努王は涅里姹馱努王を生み、涅里姹馱努王は捺捨囉他王を生み、捺捨囉他王は設多囉他王を生み、設多囉他王は曩嚩帝囉他王を生み、曩嚩帝囉他王は唧怛囉囉他王を生み、唧怛囉囉他王は涅里姹囉他王を生みました。
このようにして、子孫が次々と続き、七万七千の王が、いずれも僧迦大城において、相継いで統治しました。
「又最後王復生一王,名阿末麗沙王;彼王有子名龍護王,子孫相繼一百王,都波羅奈國。又於最後王生其一子,名訖哩吉王。爾時迦葉如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊出見世間,彼佛世尊為菩薩時,持戒梵行發大誓願求無上覺,於兜率天而為補處,機緣成熟下生於訖哩吉王宮,捨位修行而成佛道。
さらに、最後の王からまた一人の王が生まれ、その名をアマリシャ王といいました。この王には龍護王という子がおり、子孫が次々と百代続き、みなバラナシの国を治めました。そして、最後の王に一人の子が生まれ、その名をキリキ王といいました。その時、カッサパ如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊がこの世に現れました。その仏世尊は菩薩の時、戒律を守り清らかな行いをし、大きな誓いを立てて悟りを求め、兜率天で補処となりました。そして因縁が成熟した時、キリキ王の宮殿に生まれ落ち、位を捨てて修行し、仏道を成就されたのです。
「爾時訖哩吉王,有一太子名曰善生。此善生王復生王子,如是子孫相繼有一百王。其最後王復生一子,名迦囉拏王,於其後時生二王子:一名瞿曇;二名婆囉捺嚩惹。此之王子,愛樂王宮貪於國位,恒自思惟,安慰世間行於王事。爾時瞿曇王子恒復思惟:『眾生生死沈沒三塗,苦惱輪迴而難出離。』作是念已,即詣父王稽首拜跪,而白王曰:『我今不樂王宮,欲於山野修習梵行而求出家。』王即告言:『汝為我子,所有國土及於王位,宰輔大臣如在指掌,何故輕棄而求出家?』瞿曇白言:『大王!我觀三界如幻如化,無其堅實,念念無常,何堪愛樂?我於今日辭王出家。』王既聞已,知子志意即便聽許。
昔、キリキという王様がいました。この王様には、善生という名の王子がいました。善生王にもまた王子が生まれ、その子孫が百代にわたって王位を継ぎました。その最後の王様に、カラーナという王子が生まれました。さらにその後、二人の王子が生まれました。一人は瞿曇(クドン)、もう一人は婆羅捺嚩惹(バラナバジャ)といいます。 この王子たちは、王宮の暮らしを愛し、国の支配者の位を欲しがりました。常に思いを巡らせ、世の中を安らかに導く王としての務めを行うことばかり考えていました。 ところが、ある時、瞿曇王子がこう考えるようになりました。 「人々は生まれ変わり死に変わりを繰り返し、地獄・餓鬼・畜生という苦しみの世界に沈んでいる。その苦しみの輪廻からなかなか抜け出せないのだ。」 こう思った王子は、父王のもとへ参り、ひれ伏して礼を尽くし、こう申し上げました。 「私は、もう王宮での暮らしを望みません。山野で修行に励み、清らかな行いを求めて出家したいと思います。」 王は答えました。 「お前は我が子である。すべての国土も王位も、大臣たちも、まるで掌にあるかのように思い通りになるのだ。なぜそれを捨てて、出家などしようとするのか。」 瞿曇は申し上げました。 「大王よ、私はこの三つの世界(欲望・色・無色の世界)すべてを、幻や影のように儚いものと見ています。しっかりとした実体はなく、一瞬一瞬で変化してやみません。どうして愛し楽しむに値しましょうか。私は今日、王様に別れを告げて出家いたします。」 王はこの言葉を聞き、王子の決意が固いことを知り、すぐに許可を与えました。
「爾時山中有一仙人,名訖哩瑟拏吠波野努,於其山間以草為菴居止修行。時瞿曇童子即往彼處,踊躍歡喜五體投地頂禮仙足,而白仙曰:『我別王宮來於此處奉事仙人,願賜攝受。』如是仙人觀於太子志意堅固,即便攝受。爾時童子即於山間,採果給水奉事仙人,如是辛勤累經歲月,師以彼童精勤不退,即為立號亦名仙人。於後父王迦囉拏而乃命終,時弟婆囉捺惹,即紹王位行其國事。時瞿曇仙人知王命終,告本師曰:『我今不能於其山中採果給水,欲往城中而自住止。』師即告言:『瞿曇!汝先來此善住山野,何故於今却往城邑?汝今去時勿往城內,只於補多落迦城側近寂靜之處卓菴居止,守護諸根精進梵行。』瞿曇童子聞是語已,即往補多落迦大城之外寂靜之處,卓菴結志崇修梵行。
昔、その山の中に、訖哩瑟拏吠波野努という仙人が住んでいました。彼は山の中で草を葺いた庵(いおり)に住み、修行に励んでいました。
その時、瞿曇(くどん)の童子がその場所にやって来ました。彼は喜び勇んで、五体をもって仙人の足にひれ伏し、こう申し上げました。 「私は王宮を離れ、この地に参りました。仙人様に仕えさせてください。どうか私をお受け入れください。」
仙人は太子の意志が固く揺るぎないのを見て、彼を受入れることにしました。
それから童子は山の中で木の実を採り、水をくんで仙人に仕えました。このようにして、長い年月を労苦と共に過ごしました。師は、この童子が精進を怠らず退かなかったことを見て、彼に「仙人」という名を与えました。
その後、父王の迦囉拏(からな)が亡くなり、弟の婆囉捺惹(ばらなじゃ)が王位を継いで国を治めることになりました。
瞿曇仙人は王が亡くなったことを知り、師に言いました。 「私はもう山の中で木の実を採り、水をくむことができません。町に行って暮らしたいと思います。」
すると師は言いました。 「瞿曇よ。お前は初めからここに来て、山野によく住んでいた。なぜ今になって町へ行こうとするのか。行くならば、街中に入ってはならない。ただ補多落迦(ぶたらか)の城の近くの静かな場所に庵を結び、諸々の感覚を守り、清らかな行いに励みなさい。」
瞿曇童子はこの言葉を聞き、補多落迦の大きな城の外の静かな場所に行き、庵を結んで心を一つに定め、清らかな修行に専念しました。
佛說眾許摩訶帝經卷第一
仏説・衆許摩訶帝経 巻第一(仏が説く、偉大なる帝王の物語 第一巻)