瑤光寺。世宗宣武皇帝所立。在閶闔城門御道北東去千秋門二里。千秋門內道北有西游園。園中有凌雲臺。即是魏文帝所築者。臺上有八角井。高祖於井北造涼風觀。登之遠望。目極洛川。臺下有碧海曲池。臺東有宣慈觀。去地十丈。觀東有靈芝鈞臺。累木為之。出於海中。去地二十丈。風生戶牖。雲起梁棟。丹楹刻桷。圖寫列仙。刻石為鯨魚背負鈞臺。既如從地踊出。又似空中飛下。鈞臺南有宣光殿。北有嘉福殿。西有九龍殿。殿前九龍吐水成一海。凡四殿皆有飛閣向靈芝往來。三伏之月。皇帝在靈芝臺。以避暑。有五層浮圖一所。去地五十丈。仙掌凌虛。鐸垂雲表。作工之妙埒美永寧。講殿尼房五百餘間。綺疏連亘戶牖相通。珍木香草不可勝言。牛筋狗骨之木。雞頭鴨脚之草。亦悉備焉。椒房嬪御學道之所。掖庭美人並在其中。亦有名族處女性愛道場。落髮辭親來儀此寺。屏珍麗之飾。服修道之衣。投心入正歸誠一乘。永安三年中。爾朱兆入洛陽。縱兵大掠。時有秀容胡騎數十。入瑤光寺婬穢。自此後頗獲譏訕。京師語曰。洛陽男兒。急作髻。瑤光寺尼。奪作婿。瑤光寺北有承明門。有金墉城。即魏氏所築。城東北角有魏文帝百尺樓。年雖久遠。形製如初。高祖在城內。作光極殿。因名金墉城。門為光極門。又作重樓飛閣。遍城上下。從地望之。有如雲也。
瑤光寺は、世宗宣武皇帝が建立された寺です。閶闔城門の御道の北、東へ千秋門を去ること二里のところにあります。千秋門の内側、道の北に西遊園があり、その園の中に凌雲台があります。これは魏の文帝が築いたものです。台の上には八角の井戸があり、高祖は井戸の北に涼風観を造られました。そこに登って遠くを望めば、目の届くかぎり洛川の流れが見えます。台の下には碧海曲池があります。台の東には宣慈観があり、地面からの高さは十丈です。観の東には霊芝鈞台があり、木を積み重ねて造られ、海の中から出ているかのようです。地面からの高さは二十丈で、風は戸や窓から生じ、雲は梁や棟から起こるかのようです。赤く塗った柱に刻んだ垂木、そこには列仙の姿が描かれています。石を刻んで鯨魚とし、その背に鈞台を負わせています。それは地中から涌き出たかのようであり、また空中から飛び降りたかのようです。鈞台の南には宣光殿、北には嘉福殿、西には九龍殿があります。殿の前では九龍が水を吐いて一つの海を成しています。四つの殿にはいずれも飛閣があり、霊芝台へと行き来しています。三伏の月には、皇帝は霊芝台におられて暑さを避けられます。五層の浮図が一つあり、地面からの高さは五十丈です。仙掌は虚空にそびえ、鐸は雲の表に垂れています。その細工の妙は永寧寺と比べても美しさを競うほどです。講殿や尼房は五百余間あり、綺麗な格子窓が連なり、戸や窓が互いに通じています。珍しい木や香しい草は言い尽くせません。牛筋木や狗骨木のような木、鶏頭や鴨脚のような草も、すべて備わっています。ここは椒房の嬪御たちが道を学ぶ場所であり、掖庭の美人たちも皆ここにいます。また名族の処女で、心から道場を愛し、髪を落として親に別れ、この寺にやって来る者もいます。彼女たちは珍しく麗しい飾りを退け、修道の衣をまとい、心を正しき道に投じて一乗に帰依しています。永安三年、爾朱兆が洛陽に入り、兵を放って大いに掠奪しました。そのとき秀容の胡騎数十騎が瑤光寺に入り、淫らな行いをしました。これ以後、寺はかなり誹りを受けるようになりました。都の人々はこう言いました。「洛陽の男たちよ、急いで髻を結べ。瑤光寺の尼が奪って婿にするぞ」と。瑤光寺の北には承明門があり、金墉城があります。これは魏氏が築いたものです。城の東北の角には魏の文帝の百尺楼があり、年は久しく遠いものの、その形は初めのままです。高祖は城内に光極殿を造られ、それによって金墉城の門を光極門と名づけました。また重楼飛閣を造り、城の上下に遍く建てられました。地からこれを見上げると、雲のようであります。