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出曜経 (出曜經)


出曜經序

出曜経序

《出曜經》者,婆須密舅法救菩薩之所撰也,集比一千章,立為三十三品,名曰法句,錄其本起,繫而為釋,名曰出曜。出曜之言,舊名譬喻,即十二部經第六部也。有罽賓沙門僧伽跋澄,以前秦建元十九年,陟葱嶺、涉流沙,不遠萬里來至長安。其所闇識富博絕倫,先師器之。既重其人,吐誠亦深,數四年中,上聞異要,奇雜盈耳。俄而三秦覆墜,避地東周。後秦皇初四年,還轅伊洛,將返舊鄉,佇駕京師,望路致慨,恨《法句》之不全、《出曜》之未具,緬邈長懷,蘊情盈抱。太尉姚旻,篤誠深樂,聞不俟駕,五年秋請令出之,六年春訖。澄執梵本,佛念宣譯,道嶷筆受,和碧二師師法括而正之。時不有怙,從本而已。舊有四卷,所益已多,得此具解,覽之畫然矣。予自武當,軒衿華領,諮詢觀化,預參檢校,聊復序之。弘始元年八月十二日僧叡造首。

『出曜経』は、婆須密の叔父である法救菩薩によって編纂されたものです。千章を集めて三十三品とし、『法句』と名付けられました。その由来を記録し、注釈を加えてまとめたものが『出曜』と呼ばれます。「出曜」という言葉は、かつて「譬喩」と呼ばれ、十二部経の第六部にあたります。

罽賓の沙門、僧伽󰍑澄は、前秦の建元十九年に葱嶺を越え、流砂を渡り、万里を遠しとせず長安に至りました。その見識は豊かで深く、比類なく、先師は彼を高く評価しました。人柄を重んじ、誠意も厚く、四年の間に多くの優れた教えを聞き、珍しい話が耳に満ちました。やがて三秦が滅び、東周に避難しました。後秦の皇初四年に伊洛に戻り、故郷に帰ろうとしましたが、京師に立ち寄り、道を眺めて感慨にふけりました。『法句』が完全でなく、『出曜』が未完成であることを残念に思い、遠くを望んで思いを募らせ、胸に満ちていました。

太尉の姚旻は、篤実で深く仏法を楽しみ、聞くや否やすぐに駆けつけ、五年の秋に翻訳を請い、六年の春に完成しました。澄は梵本を手にし、仏念が翻訳し、道嶷が筆記し、和碧の二師が法をまとめて校正しました。当時は頼るものもなく、原本に従うのみでした。旧版は四巻でしたが、今回の翻訳で多くの内容が加わり、これによって完全に理解でき、読むと明らかになりました。

私は武当から華領に赴き、教化を観察し、予め参画して校閲に加わり、改めて序文を記します。弘始元年八月十二日、僧叡が筆を執る。

出曜經卷第一

出曜経 第一巻

姚秦涼州沙門竺佛念譯

姚秦の涼州の僧侶、竺仏念による訳


1 無常品

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