僧伽跋澄,此云眾現,罽賓人。毅然有淵懿之量,歷尋名師,備習三藏,博覽眾典,特善數經,闇誦《阿毘曇毘婆沙》,貫其妙旨。常浪志遊方,觀風弘化。符堅建元十七年,來入關中。
僧伽跋澄(Sanghabhadra)は、「衆現」とも訳され、カシミール地方の出身者です。彼は深遠で落ち着いた風格を持ち、何人もの有名な師を訪ねて教えを受け、三蔵(経・律・論)を徹底的に学びました。多くの経典を広く読破し、特に数の体系に関する経典に秀でており、『阿毘曇毘婆沙』(論蔵の注釈書)を暗誦し、その深遠な教えを完全に会得していました。彼は常に諸国を遊歴し、各地の状況を見聞しながら仏教を広めることに力を注ぎました。符堅の建元17年(西暦381年)に長安(関中)に到着しました。
先是,大乘之典未廣,禪數之學甚盛,既至長安,咸稱法匠焉。符堅祕書郎趙正,崇仰大法,嘗聞外國宗習《阿毘曇毘婆沙》,而跋澄諷誦,乃四事禮供,請譯梵文,遂共名德法師釋道安等,集僧宣譯。跋澄口誦經本,外國沙門曇摩難提筆受為梵文,佛圖羅剎宣譯,秦沙門敏智筆受為晉本,以偽秦建元十九年譯出,自孟夏至仲秋方訖。初,跋澄又齎《婆須蜜》梵本自隨,明年,趙正復請出之,跋澄乃與曇摩難提及僧伽提婆三人共執梵本,秦沙門佛念宣譯,慧嵩筆受,安公、法和對共校定,故二經流布,傳學迄今。跋澄戒德整峻,虛靖離俗,關中僧眾則而象之,後不知所終。
まず、大乗仏典がまだ広まる前、禅と教相(阿毘曇)の学問が盛んでした。長安に至ると、皆が彼を法の巨匠と称えました。前秦の苻堅の秘書官である趙正は大いなる仏法を崇拝しており、かつて外国で『阿毘曇毘婆沙』を学び修行しているという話を聞き、跋澄がこれを暗誦しているのを知ると、四種の供養を捧げて敬意を表し、梵文の翻訳を依頼しました。そこで、名高い法師である釈道安らと共に僧を集め、翻訳を宣べ伝えることになりました。
跋澄は経典の本文を口誦し、外国の沙門である曇摩難提がそれを書記して梵文とし、仏図羅刹が翻訳を宣べ、秦の沙門・敏智が書記して晋の本としました。前秦の建元十九年に翻訳が始まり、初夏から中秋にかけてようやく完成しました。
初め、跋澄は『婆須蜜』の梵本を携えており、翌年、趙正が再びこれを翻訳するよう求めました。跋澄は曇摩難提、僧伽提婆と三人で共に梵本を執り、秦の沙門・仏念が翻訳を宣べ、慧嵩が書記し、道安と法和が対校・校定しました。そのため、この二つの経典は広く流布し、今に至るまで学び伝えられています。
跋澄は戒律と徳行が整然として厳しく、静かに世を離れて暮らし、関中の僧たちは彼を手本と仰ぎました。その後、彼がどこでどうなったかは、誰も知りません。
佛圖羅剎,不知何國人,德業純粹,該覽經典。久遊中土,善閑漢言,其宣譯梵,文見重符世。