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虚空孕菩薩経 (虛空孕菩薩經)

「虛空孕菩薩經」について

隋 · 底本の訳者:闍那崛多

1.4 万字 · 約 45 分

『虚空蔵菩薩経』は、隋の時代に闍那崛多によって漢訳された大乗仏教の重要な経典です。この経典は、虚空蔵菩薩を中心に、虚空のように広大無辺な智慧と慈悲を象徴し、あらゆる衆生の願いを満たし、罪障を除き滅ぼす力を説いています。経中には、懺悔、真言の受持、修行の方法が詳述され、虔信によって現世と出世間の利益を得られることが強調されています。この経典は、菩薩信仰の体系を深めるだけでなく、大乗仏教の懺悔思想に理論的根拠を与え、中国仏教において崇高な地位を占めており、菩薩道と実践法門を研究する上で重要な典籍です。


虛空孕菩薩經卷上

虚空孕菩薩経 上巻

隋天竺三藏闍那崛多譯

隋の天竺三蔵僧、闍那崛多訳

如是我聞:

私はこのように聞きました。

一時婆伽婆住佉羅坻迦山古昔神仙所居之處,與大一切比丘眾俱,度量已過,皆悉漏盡諸大沙門。復有菩薩摩訶薩眾,無量無邊阿僧祇恒河沙數諸大人俱,乃至世尊授功德天記莂訖已。爾時世尊默然而住,及諸大眾亦復如是。爾時西方有一應珠,是摩尼寶忽然出現,復有百千帝釋天寶左右圍遶摩尼應珠,時彼應珠最在其前。應珠現已,彼山所有諸色光明皆悉不現,并諸天人大神王等、聲聞菩薩大地火風諸水色光莫不隱蔽,唯除如來光明不滅。爾時大會覩如來光,無量無邊不可說不可說,遍滿十方猶如虛空,而世尊光威嚴殊特照曜顯赫最妙最勝。時彼大會所有眾生集會之者,各見自身所有光明,并及諸大妙色隱蔽不現,自己色相觸受等事亦復如是。凡所觀處狀若虛空,亦復隱蔽日月星宿地水火風一切諸色種種光明,不與眼對,耳不聞聲、鼻不聞香、舌不得味、心意識等亦不能緣,亦無彼我,亦無六入。一切諸大凡所求覓,欲有觀視一切方處,皆悉不見所視諸方,唯見佛身光明相好顯現特尊。遙見彼珠,無量無數釋提桓因著身妙珠左右圍遶,彼勝摩尼獨在於前。時大眾中唯諸菩薩住十地者,或得首楞嚴三昧者,或復有得一生補處,彼等菩薩見斯瑞相,不驚不怖不沒不悔。所以者何?彼諸菩薩於一切法皆達真理,曉了實相勤入空門,以是義故不驚不怖亦不悔沒。其餘菩薩摩訶薩等,及諸聲聞、天、龍、夜叉、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、鳩槃茶,及諸餓鬼、毘舍遮、富單那、迦吒富單那、人非人等集會之者,皆悉驚怖恐懼滯沒,於此彼岸不能曉了,以驚怖心各各相求而不顯現,心懷疑惑各作是念:「此是何相?此事何因?此誰威力?」欲自決疑而無問處。

ある時、世尊は佉羅坻迦山に住まわれた。これは古の仙人たちが住んだ場所である。多くの比丘たちと共におられ、彼らはすでに煩悩を断ち切った立派な修行者たちであった。また、菩薩たちも無数に集まっておられ、その数は恒河の砂のようであった。世尊が功徳天に記別を授け終えられた後、世尊は静かに黙っておられ、大衆もまた同じようにしていた。

その時、西方から一つの宝珠が現れた。これは摩尼宝であり、突然に出現したのである。さらに、千もの帝釈天の宝が左右に摩尼宝珠を取り囲み、その宝珠が先頭にあった。宝珠が現れると、その山のあらゆる色や光はすべて消え失せ、天や人、大王たち、声聞や菩薩、地・火・風・水のあらゆる色や光も隠れてしまった。ただ如来の光明だけは消えることがなかった。

その時、大衆は如来の光を見た。その光は無量無辺で、言葉では言い表せないほどであり、十方に満ちて虚空のようであった。世尊の光は威厳に満ち、輝きは最も優れていた。大衆に集まったすべての衆生は、自分自身の光や美しい色が隠れて見えなくなり、自分の姿や感覚も同じようになくなった。見るものはすべて虚空のようであり、日月星宿や地水火風のあらゆる色や光も隠れ、目には何も映らず、耳には音が聞こえず、鼻には香りがせず、舌には味がわからず、心や意識も何も捉えることができなかった。自分も他者もなく、六入もなかった。

すべての衆生が何かを求め、方々を見ようとしても、何も見ることができなかった。ただ仏の身体の光明と相好だけが、尊く輝いて見えた。遠くにその宝珠を見ると、無数の帝釈天の宝珠が左右に取り囲み、その優れた摩尼宝が先頭にあった。

大衆の中では、十地に住む菩薩たちや、首楞厳三昧を得た者、一生補処の位にある者たちだけが、この瑞相を見ても驚かず、怖れず、沈まず、後悔しなかった。なぜなら、彼らはすべての法の真理を悟り、実相を知り、空の門に入っていたからである。それゆえ、驚くことも怖れることもなかった。

その他の菩薩たちや声聞、天、龍、夜叉、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、鳩槃荼、餓鬼、毘舎遮、富単那、迦吒富単那、人非人など、集まったすべての者は、驚き怖れ、沈み込み、この岸もあの岸もわからなくなった。驚き怖れた心で互いに求め合ったが、何も現れず、疑いを抱きながら、それぞれこう思った。「これは何の相か? この事は何の因縁か? これは誰の威力か?」自分で疑問を解決しようとしたが、問うべきところがなかった。

爾時於彼海會之中有一菩薩摩訶薩,名曰梵橛,即從坐起合掌向佛,而說偈言:

そのとき、その海会の中に、梵橛(ぼんけつ)という名の菩薩摩訶薩がいました。梵橛は座から立ち上がり、合掌して仏に向かい、次の偈を述べました。

「一切諸法相, 真實無知者,
若人住諸陰, 六根皆閉塞,
觀一陰不實, 所謂色陰是,
彼疑諸佛法, 迷惑眾生等。
善哉大世尊, 願為說實法,
如來此彼岸, 教知空忍門。
彼大精勤者, 得定身難說,
最大摩尼寶, 頂戴彼莊嚴,
天帝著身珠, 無量左右遶,
彼等欲來故, 先現是瑞相。
彼等諸菩薩, 悉得首楞嚴,
如是諸智輩, 欲見佛世尊,
彼等來詣此, 說深法無疑。
願佛慰此眾, 彼當哀矜汝,
是等欲來故, 先現是境界。」
於時佛世尊, 告彼菩薩言:
「一如汝所說, 此是三昧境,
若人聞無住, 彼人能住智。
此是虛空孕, 三昧威力境,
得住無說處, 三昧先相現。
若人住二見, 彼等常迷惑,
染著斷及常, 即失此彼岸。
此等二見者, 若欲速解脫,
是等莫言說, 速得證諸地。」

一切の諸法の相は、 真実を知る者は無い。 もし人が諸陰にとどまるならば、 六根は皆、閉ざされる。 一つの陰が実体なきものと観じ、 それは色陰と呼ばれるもの。 彼は諸仏の法を疑い、 衆生たちを惑わす。 善きかな、大世尊よ、 どうか真実の法を説きたまえ。 如来はこの岸とあの岸、 空と忍の門を教え知らしめたもう。 あの大いなる精勤者たちは、 得定の身は言葉では言い難く、 最大の摩尼宝を頂戴し、 それで自らを荘厳する。 天帝の身につける宝珠のごとく、 無量の者たちが左右に取り囲む。 彼らが来ようとするゆえに、 まずこの瑞相を現す。 彼ら諸菩薩は皆、 首楞厳三昧を得ている。 このような智慧の者たちが、 仏世尊にお会いしたいと願い、 彼らはここに詣でて、 深遠な法を疑いなく説く。 願わくは仏よ、この衆を慰めたまえ。 彼らはあなたを哀れみ憐しむであろう。 彼らが来ようとするゆえに、 まずこの境界を現すのである。

その時、仏世尊は、 かの菩薩に告げた。 「まさに汝の説く通り、 これは三昧の境界である。 もし人が無住を聞くならば、 その人は智慧に住することができる。 これは虚空孕三昧の、 威神力の現れる境界である。 無説の処に住するを得て、 三昧の先相が現れる。 もし人が二見に住するならば、 彼らは常に惑いに陥り、 断と常とに染着し、 たちまちこの岸とあの岸とを失う。 この二見に捉われた者たちが、 もし速やかに解脱を欲するならば、 彼らは言葉を慎み、 速やかに諸地を証得するであろう。」

爾時世尊說此偈已,告彼菩薩作如是言:「仁者雖然,但初學人諸菩薩等,應欲教者應教彼等言說之相,以方便力亦教攀緣六波羅蜜,乃至諸大本相次第相生,應教令證。既證知已,然後能於一切諸法無言無說。須知本體生處應滅攀緣,諸陰無體應證應知,不令彼墮斷常見中。捨二邊已,即不驚怖不沒不悔,於諸一切法中不生攀緣之想,於諸一切波羅蜜速得圓滿具足成就,亦不住於斷常二見。」爾時世尊說是法已,時會大眾還得相見如本無異,如舊所見諸色光明,如前所聞還聞如故,所證所觸亦復如是。

その時、世尊はこの偈を説き終え、かの菩薩に告げて次のように言われた。

「仁者よ、確かにその通りではあるが、初心の菩薩たちを教えるにあたっては、まず言葉による教えの相(あり方)を教え、方便の力をもって六波羅蜜への縁(たより)も教示すべきです。さらには、諸々の根本的な相が次第に生じる道理を教え、それを証得させるようにすべきです。それを証知した後にはじめて、一切の法において言葉も説きもない境地に至ることができるのです。

そもそもの本体が生じる所では、縁を求める心を滅すべきであることを知らねばなりません。諸々の蘊(うん)には実体がないことを証し知り、彼らが断見や常見という二つの極端な見解に陥らないようにしなさい。二つの辺(かたよった見方)を捨て去れば、驚き恐れることもなく、沈むことも後悔することもなく、一切の法に対して縁を求める想いを起こさず、一切の波羅蜜を速やかに円満に成就することができます。そして、断見も常見にも住することはないのです。」

世尊がこの法を説き終えられると、その会座の大衆は、以前と変わらず互いに見え合うようになりました。かつて見たままの色と光明を、前に聞いたままの音声を、また以前と同様に聞くことができ、証し触れることもまた同じようになったのでした。

爾時世尊即舉右手,唱如是言:「此是虛空孕菩薩摩訶薩來詣我所,得諸三昧如大海水,於菩薩行成就具足如須彌山,於大智內猶若虛空,勤行精進猶如大風,於諸忍中猶若金剛,於般若中猶如虛空,於菩薩眾猶如大幢,向涅槃路如大商主,於諸善根猶如地藏,為眾貧窮猶如德瓶,為幽眾生猶如日光,為失路者猶如盛月,為驚怖眾如須彌山,為諸煩惱病苦眾生如甘露藥,為斷善根諸眾生等猶如拄杖,於生天路及涅槃道猶如橋梁,於度彼岸猶如大船,於上生天猶如閣道,若有被人誹謗惱者為作傘蓋,於諸外道猶如師子,於諸惱熱猶如冷水,於魔怨敵猶如鎧鉀,於學錯悞猶如智師,於諸善根猶如大地,於愛鬘者猶如香花,於諸持戒及知足者猶如明鏡,於諸無慚無愧人所猶如刀劍,於諸病患眾生之內猶如良醫,於飢眾生如功德天,於渴眾生猶如月珠,於疲乏眾猶如床鋪,於諸勤求三昧人所猶如日珠,於向菩提道心眾生猶如車乘,於諸愛樂禪定眾生如清涼池,於樂菩提助道眾生猶如花鬘。彼善男子又於行諸波羅蜜者猶如大果。彼善男子於修諸地,如彼應現摩尼之寶。若人修習首楞嚴三昧者,如波利質多羅樹。彼善男子猶如利劍,割截一切諸見結故。彼善男子猶如金剛,破壞一切習氣煩惱故,能降伏一切魔眾,於方便眾生如解地藏者。彼善男子顯現勝智善巧方便。彼善男子於一切法真實體中能作住持,又於一切辟支佛所為作花鬘,又於一切聲聞眾所猶如衣覆。於一切天猶如淨眼,於諸人中猶如直路,於諸畜生能作歸依,憐愍餓鬼拔地獄苦。又於一切諸眾生所為大寶器、是大福田,於諸菩薩猶如大車。彼善男子猶如大臣,於三世中諸佛如來怛他阿伽度、阿羅呵、三藐三佛陀,常能守護諸法城門。彼善男子以十八不共法而莊嚴身,具足一切諸佛智慧,堪受一切眾生供養,種種供具而供養之,唯除如來。汝等此會,應須迎逆持諸供具,隨力隨分而供給之,尊重讚歎,以種種寶及諸幡蓋香花寶幢諸花鬘等,末香塗香花鬘莊嚴種種瓔珞,以諸寶器安置香湯淨灑道路,種種瓔珞莊嚴道側,種種讚歎而歌詠之。何以故?汝等一切不久當得如是種種功德之器。」

その時、世尊は右手を挙げ、次のように宣言されました。「これは虚空蔵菩薩摩訶薩が私のもとに来られた方です。彼は大海の水のように数多くの三昧を得ておられ、須弥山のように菩薩行を完全に成就されています。大いなる智慧の中では虚空のごとく、精進の実践は大風のように力強く、諸々の忍辱においては金剛のように堅固です。般若の智慧は虚空のように広大であり、菩薩たちの中では大幢のように目立たれます。涅槃への道では大商人の指導者のように、善根の蓄積は大地の蔵のように豊かです。貧しい衆生のためには功徳の瓶のように、暗闇にいる衆生には太陽の光のように、道に迷った者には満月のように、恐怖に震える衆生には須弥山のように、煩悩と病苦に悩む衆生には甘露の薬のように、善根を断たれた衆生には杖のように、天界への道と涅槃への道には橋のように、彼岸への渡しには大きな船のように、天界へ上るには楼閣の道のように、誹謗や悩みを抱える者には傘蓋のように、外道には獅子のように、煩悩の熱には冷たい水のように、魔の怨敵には鎧のように、誤った学びには智慧の師のように、善根には大地のように、花飾りを愛する者には香りの花のように、戒律を守り足るを知る者には明鏡のように、恥知らずな者には刀剣のように、病に苦しむ衆生には優れた医者のように、飢えた衆生には功徳天のように、渇いた衆生には月の珠のように、疲れ果てた衆生には寝床のように、三昧を求める者には太陽の珠のように、菩提心を起こす衆生には車のように、禅定を愛する者には清涼な池のように、菩提の助けを求める者には花飾りのように。この善男子は、諸々の波羅蜜を実践する者にとっては大きな果実のようです。また、諸々の地を修める者には、応じて現れる摩尼宝のようです。首楞厳三昧を修める者には、波利質多羅樹のようです。この善男子は鋭い剣のように、一切の邪見と煩悩の結び目を断ち切ります。金剛のように、一切の習気と煩悩を破壊し、すべての魔衆を降伏させます。方便をもって衆生を救う者には、大地の蔵を解く者のようです。この善男子は勝れた智慧と善巧方便を顕わされます。一切の法の真実の体を支えることができ、一切の辟支仏には花飾りとなり、一切の声聞の衆には衣で覆うように守られます。一切の天には清浄な眼となり、人々の中ではまっすぐな道となり、畜生には帰依所となり、餓鬼を憐れみ地獄の苦しみを抜き取ります。また、一切の衆生にとっては大宝の器であり、大いなる福田です。諸々の菩薩には大きな車のようです。この善男子は大臣のように、三世の諸仏如来・応供・正等覚者のもとで、常に諸法の城門を守護されます。この善男子は十八不共法をもって身を荘厳し、一切の諸仏の智慧を具足し、一切の衆生の供養を受けるにふさわしい方です。さまざまな供具で供養されるべきですが、如来を除いては他にいません。あなたがたこの会衆は、迎え出て諸々の供具を持ち、力に応じ分に応じて供給し、尊重し讃歎すべきです。さまざまな宝や幡蓋、香花、宝幢、諸々の花飾りなど、抹香、塗香、花飾りで荘厳し、さまざまな瓔珞で飾り、宝の器に香湯を満たして道を清め、道の両側をさまざまな瓔珞で荘厳し、さまざまな讃歎で歌い詠じなさい。なぜなら、あなたがたはまもなくこのようなさまざまな功徳の器を得ることになるからです。」

爾時一切集會大眾皆從坐起,面向西方,於虛空孕菩薩摩訶薩所來之處,低頭合掌遙禮致敬,心生歡喜踊躍無量,熈怡含笑正立而住。彼大眾中最勝菩薩摩訶薩,及大沙門、天王、龍王、夜叉王、阿修羅王、迦樓羅王、緊那羅王、摩睺羅加王、五通諸仙,各各思惟:「我等今者作何供具,最勝最勝莊嚴供具,供養恭給彼善男子?」

その時、集会のすべての大衆は皆、座から立ち上がり、西の方角に向かい、虚空蔵菩薩摩訶薩が来られる方角へ、頭を垂れて合掌し、遠くから礼拝して敬意を表した。心には歓喜が湧き、限りなく躍り上がるような喜びに満ち、穏やかな笑みを浮かべて、まっすぐに立ち尽くしていた。

大衆の中でも最も優れた菩薩摩訶薩たち、そして大沙門、天王、龍王、夜叉王、阿修羅王、迦楼羅王、緊那羅王、摩睺羅伽王、五通を得た諸々の仙たちは、それぞれ心の中で考えた。「我々は今、どのような供養の具を、最も優れた、最も立派な荘厳な供養の具を用意して、あの善き男子(菩薩)に供養し、お仕えしようか?」

爾時虛空孕菩薩摩訶薩現神通力,變此三千大千世界平正如掌七寶合成,除滅一切山川沙鹵高峯石崖丘陵坑坎土塊礓石,臭處糞穢荊棘沙礫無復遺餘,除諸雲霧塵烟等穢及諸惡聲種種音樂。於此大千種種諸樹變為七寶,其諸寶樹枝葉花果出微妙香,於地所生種種藥草,若小若大、若有枝葉若無枝葉皆成七寶。於此娑婆大千世界,諸病患者莫不除愈,一切地獄、餓鬼、畜生皆悉除滅一切諸苦。彼等眾生,飢者得食、渴者得飲、裸者得衣,復得種種微妙瓔珞。於是娑婆世界之內,所有眾生隨心所樂莫不滿足,身色端正世間無比最勝殊特,六根具足支節洪滿,離諸煩惱心得寂定樂行善行,於佛法僧心得淨信。如是此會所集種種一切大眾,左右二手皆持應珠。於應珠中復出種種微妙光明,照此三千大千世界悉皆遍滿無不明耀。而彼應珠復出種種微妙音聲,雨種種寶、種種幡蓋、種種瓔珞種種花香、雨種種鬘、種種寶器、種種甘果,復雨種種無價衣服、種種金縷,復雨種種真珠羅網,復雨種種優鉢羅花,分陀利花,波頭摩花,拘物頭花,沈水等香,復雨種種諸末香等,所謂牛頭栴檀及赤栴檀、白栴檀等。於彼菩薩所來之路自然灑掃,於道二邊變成七寶莊嚴廊廡,猶如天帝難勝法堂。於其廊內自然化成種種玉女狀,如欲界魔王妻妾,皆作五種微妙音聲,自相娛樂或歌或舞。化作如是寶步廊已,於佛頂上虛空之中化成一蓋,如梵天王所受用者,縱廣正等滿百由旬。寶綖為繐真珠垂露,四散垂下,諸餘瓔珞處處莊嚴,其瓔珞中出五音聲。一切大地所生草木,若大若小若長若短若好若惡,皆悉出於五種天樂,一切眾生莫不聞者。聞彼聲已,無有不得不退轉地,畢竟得至阿耨多羅三藐三菩提。

その時、虚空蔵菩薩摩訶薩は神通力を示し、この三千大千世界を掌のように平らに変え、七宝によって合成されました。すべての山や川、砂漠、高い峰、険しい崖、丘陵、窪地、土塊、石ころ、臭い場所、汚れ、茨、砂利など、残るものは何一つなくなりました。雲や霧、塵や煙などの穢れ、そしてさまざまな悪い音や音楽も除かれました。

この大千世界にあるさまざまな木々は、すべて七宝に変わり、その宝の木々の枝や葉、花や果実は微かな香りを放ちました。大地に生えるさまざまな薬草も、小さなものも大きなものも、枝葉のあるものもないものも、すべて七宝となりました。

この娑婆大千世界では、すべての病める者が癒やされ、すべての地獄、餓鬼、畜生の苦しみは除かれました。それらの衆生は、飢えた者は食べ物を得、渇いた者は飲み物を得、裸の者は衣服を得、さらにさまざまな微かな瓔珞も得ました。

こうして娑婆世界に住むすべての衆生は、心に望むままに満たされ、その姿は端正で世に比類なく、最も勝れた特質を備えました。六根は具わり、体は豊かで、煩悩を離れ、心は静寂に満ち、善行を喜んで行い、仏・法・僧に対して清らかな信心を持ちました。

この会に集ったすべての大衆は、左右の手に宝珠を持ちました。その宝珠からは、さまざまな微かな光が放たれ、この三千大千世界を照らし、どこもかしこも明るく輝きました。また、宝珠からは微かな音が響き渡り、さまざまな宝、幡蓋、瓔珞、花や香り、鬘、宝の器、甘い果実が降り注ぎました。さらに、計り知れない価値の衣服や金の糸、真珠の網、優鉢羅華、分陀利華、波頭摩華、拘物頭華、沈香などの香り、そして牛頭栴檀や赤栴檀、白栴檀などのさまざまな抹香も降り注ぎました。

菩薩が通られる道は自然に清められ、道の両側は七宝で荘厳された回廊となり、まるで帝釈天の難勝法堂のようでした。回廊の中には自然にさまざまな玉女が現れ、欲界の魔王の妻妾のように、五種の微かな音声を響かせ、歌い踊りながら楽しみました。

このように宝の回廊が現れると、仏の頭上、虚空の中には梵天王が受けるような蓋が現れ、縦横百由旬に広がりました。宝の糸で編まれ、真珠が露のように垂れ下がり、あちこちに瓔珞が飾られ、その瓔珞からは五つの音色が響きました。

大地に生えるすべての草木は、大小長短、美醜を問わず、五種の天楽を奏で、すべての衆生がそれを聞きました。その声を聞いた者は、不退転の境地を得ずにはいられず、必ずや阿耨多羅三藐三菩提に至るのでした。

爾時彼會一切大眾,見虛空孕菩薩現大神力如是莊嚴,心生歡喜踊躍無量,生殊特想復作是念:「我等今者於世尊前,云何當為彼善男子敷設別座?」爾時佛前自然即有一蓮華座,白銀為莖、紫金為葉、馬瑙為臺、梵摩尼寶以為花蕊,縱廣正等一俱盧舍,其葉無量百千等數。其花周匝自然踊出無量無邊百千花座,一如前花等無有異。又復於彼大蓮華上,見虛空孕菩薩摩訶薩結加趺坐自然顯現,首戴應珠。於彼圍遶蓮華之上,復有無量無邊眷屬諸菩薩等結加趺坐自然顯現。爾時彌勒菩薩摩訶薩即以偈告藥王菩薩摩訶薩言:

その時、会座のすべての大衆は、虚空蔵菩薩がこのように大いなる神通力を現し荘厳するのを見て、心に歓喜が湧き、限りなく躍り上がり、特別な思いを抱いた。そしてこのように考えた。「我々は今、世尊の御前で、どのようにしてあの善男子のために特別な座を設ければよいのだろうか」

するとその時、仏の御前には自然に一つの蓮華座が現れた。白銀が茎、紫金が葉、瑪瑙が台、梵摩尼宝が花蕊となり、縦横ともに一由旬に等しく、その葉は無量百千にも及んだ。その花の周囲からは、自然に無量無辺の百千の花座が湧き出で、どれも先の花と少しも変わらなかった。

さらに、その大蓮華の上には、虚空蔵菩薩摩訶薩が結跏趺坐し、自然に姿を現しているのが見えた。頭には宝珠を戴いていた。その周囲を取り巻く蓮華の上にも、無量無辺の眷属の諸菩薩たちが結跏趺坐し、自然に姿を現していた。

その時、弥勒菩薩摩訶薩は、薬王菩薩摩訶薩に向かって偈をもって告げた。

「先來大菩薩, 有大名聞者,
頂禮世尊足, 退坐蓮花上。
此勝人來已, 顯現大莊嚴,
不禮世尊足, 逕坐蓮花座。」

先に来られた大菩薩たち、 広く名を知られる方々は、 世尊の足を礼拝し、 蓮華の上に退いて座られました。

しかし、この勝れた方が来られると、 大いなる荘厳さを現し、 世尊の足を礼拝することなく、 蓮華の座に直にお座りになりました。

爾時藥王菩薩摩訶薩還以偈頌報彌勒菩薩摩訶薩言:

その時、薬王菩薩摩訶薩は再び偈頌をもって弥勒菩薩摩訶薩に答えられました。

「此是仁者見; 諸佛真如法,
不見有眾生, 不染於分別。」

これが仁者の見るもの、 諸仏の真如の法であり、 衆生の存在を見ず、 分別に染まることがない。

爾時彌勒菩薩摩訶薩復以偈頌報藥王菩薩摩訶薩言:

その時、弥勒菩薩摩訶薩は再び偈頌をもって薬王菩薩摩訶薩に答えました。

「若不見眾生, 是住於實際,
何故現莊嚴? 汝決我心疑。」

「もし衆生を見ずして、実際に住するならば、

何ゆえに荘厳を現じたもうのか。我が心の疑いを決したまえ。」

爾時藥王菩薩摩訶薩復以偈頌報彌勒菩薩摩訶薩言:

その時、薬王菩薩摩訶薩は再び偈頌をもって弥勒菩薩摩訶薩に答えられました。

「此是智者諸方便, 為化一切諸眾生,
所有不解真如者, 愚癡執著住分別。
是智出現為世諦, 眾苦逼惱不會真,
欲為令彼等解脫, 故現如是莊嚴事。」

これらは知者の様々な方便であり、 あらゆる衆生を教化するためにある。 真如を理解できない者たち、 愚かさに執着し分別に住する者たちのために。 この智慧は世諦として現れ、 衆苦に迫られて真実を悟れぬ者たちのため。 彼らを解脱させんがために、 かくも荘厳な事象を現じ給う。

爾時世尊讚歎藥王菩薩摩訶薩言:「善哉仁者!如是如是,如汝所說。假使一切凡夫眾生,彼等眾生終不能知須陀洹人境界方便解脫之事;假使一切諸眾生等悉得成於須陀洹果,彼等眾生亦不能知一斯陀含境界方便解脫等事,乃至斯陀含人亦不能得知阿那含境界方便,其阿那含亦不能得知阿羅漢境界方便,其阿羅漢亦不能知一辟支佛方便解脫。假使一切諸眾生等悉得獨覺辟支佛道,猶如犀牛獨一無侶,彼等緣覺不能得知無生法忍境界方便解脫之事而化眾生。假使一切諸眾生等得無生忍,亦不能得知一辯才首楞嚴三昧菩薩摩訶薩方便信行契會真如觀察建立,本不能知從何處生從何處滅。是善男子虛空孕菩薩,得無生法忍已過無量無邊數劫,亦復已得無礙辯才首楞嚴三昧,知諸眾生心心所趣。以是菩薩故,令無量無邊眾生見大莊嚴顯現神力得住厭地。如此善男子從此處沒隱身不現,於西方出,知於此剎三乘雜教。以是義故,故現無邊虛空三昧神通勝智。現三昧已,令諸眾生生厭離想,然後現於世諦,現入莊嚴三昧。現入三昧已,因此三昧教化無量無邊眾生。善男子!此善男子若徑示現真如境界無生法忍莊嚴事者,即時世間一切天人心生擾亂即便迷惑,乃至八地菩薩猶尚迷沒,況餘人也。善男子!此大菩薩,無人能知心行境界顯現之相。此善男子得入如是甚深微妙功德之法故,有如是無量無邊巧方便智,已入一切諸佛法海,無有疑心不由他悟自知方便,堪為一切大眾生等而作大王。善男子!此善男子虛空孕菩薩猶如寶幢,能為一切眾生示現天道解脫之路,能除眾生心煩惱病,能滅其身諸大苦毒。善男子!若有眾生墮在邪見曠野之中,厄難迷惑不解方便,欲求生天、欲求涅槃。彼等眾生若能至心燒沈水香,頂禮致敬彼虛空孕菩薩摩訶薩足者,此善男子知彼眾生心心所行真實敬信,而彼眾生起煩惱見迷惑顛倒,如其往昔所作心業種諸善根,隨其所能,於諸佛邊種諸善根、或於法邊、或於僧邊、或作施業、或持戒業、或復欲於內心證法。此善男子或於夢中、或於白日在於現前,以善方便示現至真之道。作是方便已,令諸眾生解諸邪見發生善願,斷諸邪路滅諸邪道歸於正見,如實得彼真正三行。即得真正深心所願,或復得於真善知識。因善知識,悉得斷除臭處煩惱邪見之病。復得速解惡道之願,即得善行勝願因緣,彼等速得心行自在,亦得安住十深忍中。若有眾生自於身起種種諸病逼切之者,或有眾生忘失本心,或復失眼、或復失舌,於六根內不具足者,或於身分小不遂者,彼等眾生若能至心頂禮虛空孕菩薩,或復稱名,皆得如意。若有眾生欲治患者,於晨朝時香湯澡浴,當淨身口面正向東燒沈水香,頂禮虛空孕菩薩摩訶薩大德之足。而彼善男子於睡眠夢中,或作婆羅門身、或作天帝釋身、或作功德天身、或作大辯天身、或作剎利身、或作大臣身、或作斷事官身、或作醫師身、或作父母身、或作童子身、或作童女身,在病者前忽然來現,以是方便而令彼病速得除愈。或復示作良藥方便,令彼病者一切諸患悉得除差。若有眾生或求資財、或求多聞讀誦經論若好寂靜深思禪定、或求多智、或求名聞、或求伎藝、或求苦行、或求官位、或求身色、或求財寶、或求善根、或求音聲、或求饒子、或求妻妾、或求眷屬、或求多眾、或求行施、或求持戒、或求忍辱、或求精進、或求禪定、或求般若、或求好聲言語清辯、或求事他稱彼心意、或求解脫一切眾罪、或求勸人令行布施乃至行智、或求長命。或有眾生乏少資財恒作慳貪欲令彼等除捨慳貪行於布施,或破戒者欲令持戒,若懈怠者欲令精進,乃至無智慧者令學智慧。若有眾生未得定乘教行小乘,自度身者教緣覺乘。而此善男子於彼眾生,示現方便令解上業。若有眾生無有慈心,唯護自身不救他苦。或有眾生作如是念:『我今當作何等方便,若有眾生欲發道心為他障礙。』彼等眾生欲迴彼心,欲作如是方便示現,教彼眾生住四梵行,乃至教行大慈大悲。彼等眾生應當頂禮虛空孕菩薩,或住阿練若處、若在空閑,燒沈水香、或燒多伽羅香、或燒栴檀香,香湯澡浴身口清淨,胡跪合掌,五體投地,頂禮十方一切諸佛,而誦此呪:

その時、世尊は薬王菩薩摩訶薩を讃えて言われた。 「善いかなるかな、仁者よ。その通りである、その通りである。あなたの説かれる通りである。 たとえすべての凡夫衆生があったとしても、彼ら衆生は決して須陀洹(預流果)の人の境地と方便による解脱のことを知ることはできない。 たとえすべての衆生が悉く須陀洹果を得たとしても、彼ら衆生もまた一人の斯陀含(一来果)の境地と方便による解脱などのことを知ることはできない。 さらに、斯陀含の人もまた阿那含(不還果)の境地と方便を知ることはできない。 その阿那含もまた阿羅漢の境地と方便を知ることはできない。 その阿羅漢もまた一人の辟支仏(縁覚)の方便による解脱を知ることはできない。 たとえすべての衆生が悉く独覚・辟支仏の道を得たとしても、犀の角のように独りで伴侶なく、彼ら縁覚は無生法忍の境地と方便による解脱のことを知ることができず、衆生を教化することもできない。 たとえすべての衆生が無生忍を得たとしても、また一人の弁才・首楞厳三昧の菩薩摩訶薩の方便による信行が真如と契い合い、観察し確立することを知ることはできない。そもそもどこから生じ、どこから滅するのかを知ることができないのである。 この善男子、虚空孕菩薩は、無生法忍を得てから無量無辺の数劫を過ぎ、またすでに無礙弁才・首楞厳三昧を得て、諸々の衆生の心と心の趣くところを知っている。 この菩薩ゆえに、無量無辺の衆生が大いなる荘厳を目にし、神力が顕現するのを見て、厭離の地に住することを得るのである。 このような善男子は、この場所から身を没し、姿を隠して現れず、西方に出現し、この国土における三乗の雑じった教えを知っている。 この意義ゆえに、無辺の虚空三昧の神通と勝れた智慧を現すのである。 三昧を現した後、諸々の衆生に厭離の想いを生じさせ、それから世諦を現し、荘厳三昧に入ることを現す。 三昧に入ることを現した後、この三昧によって無量無辺の衆生を教化するのである。 善男子よ。この善男子がもし直接に真如の境地と無生法忍の荘厳なる事柄を示現するならば、その時、世間の一切の天と人は心に擾乱を生じ、たちまち迷い惑い、さらには八地の菩薩でさえもまだ迷い没するのである。ましてや他の人々においておや。 善男子よ。この大菩薩は、その心行の境地と顕現の相を知る者は誰もいない。 この善男子は、このような甚深微妙なる功徳の法に入ることを得たゆえに、このような無量無辺の巧みな方便の智慧があり、すでに一切の諸仏の法海に入り、疑いの心がなく、他によって悟るのではなく、自ら方便を知り、一切の大いなる衆生などのために大王となるに堪えうるのである。 善男子よ。この善男子、虚空孕菩薩は宝幢のようであり、一切の衆生のために天道と解脱への道を示し、衆生の心の煩悩の病を除き、その身の諸々の大いなる苦しみの毒を滅することができる。 善男子よ。もし衆生が邪見の曠野の中に堕ち、厄難に遭い迷い惑って方便を解せず、生天を求め、涅槃を求めるならば、彼ら衆生がもし真心を込めて沈水香を焚き、虚空孕菩薩摩訶薩の足を頂礼致敬するならば、この善男子は彼ら衆生の心と心の行うところの真実の敬信を知り、そして彼ら衆生が起こす煩悩の見解と迷い惑いの転倒、およびその過去世における心の業として種々の善根を植えたこと、その力に応じて、諸仏のもとに種々の善根を植えたこと、あるいは法のもとに、あるいは僧のもとに、あるいは布施の業を行ったこと、あるいは戒を持ったこと、あるいはまた内心において法を証しようとしたことを知る。 この善男子は、あるいは夢の中で、あるいは昼間に眼前に現れ、善き方便をもって真実の道を示すのである。 この方便を行った後、諸々の衆生に諸々の邪見を解かせ、善き願いを起こさせ、諸々の邪なる道を断ち、諸々の邪なる道を滅ぼして正見に帰らせ、真実のままにその正しい三つの行いを得させるのである。 すなわち真実の深い心の願いを得るか、あるいはまた真の善知識を得るのである。 善知識によって、悉く臭処の煩悩と邪見の病を断除することを得る。 さらに悪道の願いを速やかに解き、すなわち善き行いと勝れた願いの因縁を得、彼らは速やかに心行の自在を得、また十の深い忍辱の中に安住することを得るのである。 もし衆生が自らの身に種々の病が迫り苦しむならば、あるいは衆生が本心を忘れ失うならば、あるいはまた眼を失い、あるいはまた舌を失い、六根の内に具足しないならば、あるいは身体の一部が少し不自由であるならば、彼ら衆生がもし真心を込めて虚空孕菩薩を頂礼し、あるいはまたその名を称えるならば、皆思いのままになることを得るのである。 もし衆生が病を治したいと願うならば、朝の時に香湯で沐浴し、身と口を清浄にし、顔を真東に向けて沈水香を焚き、虚空孕菩薩摩訶薩の大徳の足を頂礼するがよい。 すると、かの善男子は睡眠の夢の中で、あるいは婆羅門の身となり、あるいは天帝釈の身となり、あるいは功徳天の身となり、あるいは大弁天の身となり、あるいは刹帝利の身となり、あるいは大臣の身となり、あるいは裁判官の身となり、あるいは医師の身となり、あるいは父母の身となり、あるいは童子の身となり、あるいは童女の身となって、病者の前に忽然と現れ、この方便によってその病を速やかに除き癒やすのである。 あるいはまた良薬の方便を示し、その病者の一切の諸患を悉く除き癒やすのである。 もし衆生が資財を求めるならば、あるいは多聞を求め経論を読誦するならば、もし静寂を好み深く禅定を思惟するならば、あるいは多智を求めるならば、あるいは名聞を求めるならば、あるいは伎芸を求めるならば、あるいは苦行を求めるならば、あるいは官位を求めるならば、あるいは身色を求めるならば、あるいは財宝を求めるならば、あるいは善根を求めるならば、あるいは音声を求めるならば、あるいは多くの子を求めるならば、あるいは妻妾を求めるならば、あるいは眷属を求めるならば、あるいは多くの衆を求めるならば、あるいは布施行を求めるならば、あるいは持戒を求めるならば、あるいは忍辱を求めるならば、あるいは精進を求めるならば、あるいは禅定を求めるならば、あるいは般若を求めるならば、あるいは好い声と言葉の清らかな弁舌を求めるならば、あるいは他に仕えてその心にかなうことを求めるならば、あるいは一切の衆罪の解脱を求めるならば、あるいは人を勧めて布施を行わせ、さらには智慧を行わせることを求めるならば、あるいは長命を求めるならば。 あるいは衆生が資財に乏しく常に慳貪を行い、彼らに慳貪を除き捨てさせて布施を行わせたいと願うならば、あるいは破戒者に戒を持たせたいと願うならば、もし懈怠者に精進させたいと願うならば、さらには智慧なき者に智慧を学ばせたいと願うならば。 もし衆生がまだ定乗を得ず小乗の教えを行い、自らの身を度そうとするならば、縁覚乗を教えるのである。 そしてこの善男子は、彼ら衆生に対して、上なる業を解かせる方便を示現するのである。 もし衆生に慈しみの心がなく、ただ自らを護り他者の苦しみを救わないならば。 あるいは衆生がこのように思うならば:『私は今、どのような方便をなすべきか。もし衆生が道心を発そうとして他によって障害されるならば。』 彼ら衆生がその心を転回させ、このような方便を示現し、彼ら衆生に四梵行に住することを教え、さらには大慈大悲を行わせることを教えたいと願うならば。 彼ら衆生は虚空孕菩薩を頂礼すべきであり、あるいは阿練若の処に住し、あるいは空閑の地において、沈水香を焚き、あるいは多伽羅香を焚き、あるいは栴檀香を焚き、香湯で沐浴して身と口を清浄にし、胡跪して合掌し、五体を地に投じて、十方の一切の諸仏を頂礼し、この呪を誦するがよい:

「『多地他(一)阿蜜利舍(二)阿蜜利舍(三)迦嘍尼迦(四)這囉這囉(五)毘這囉(六)羶這囉(七)迦嘍尼迦(八)何囉沒囉(九)何邏末囉(十)毘伽陀唎(十一)摩摩佉(十二)蒱闍末那迦嘍尼迦(十三)真多末膩(十四)逋囉夜迦嘍迦(十五)薩婆貰迷薩他鉢夜(十六)阿闍若陀履(十七)薩破鉗(十八)薩破鉗(十九)喉嘍帝毘毘伽鉗(二十)地唎殺吒毘比伽鉗(二十一)迦嘍尼迦晡唎夜妬摩摩(二十二)薩迦賜夜(二十三)阿貰夜(二十四)薩婆鉢達舍(二十五)阿舒迦伽帝(二十六)莎呵(二十七)』
「誦此呪時,彼善男子即來現前,或作人形、或作野獸形、或作鳥形。或雖復來隱身不現,觀彼眾生福業深淺,隨所受身或出音聲,示現一乘善巧方便,令彼眾生從一方便能化無量百千眾生,未住定乘令住定乘,或住聲聞、或住緣覺。彼諸眾生於一時頃,發智方便用少功業,令入大乘不退轉地,乃至教示種種三昧諸陀羅尼忍辱度等,乃至令住第十菩薩行地之中。善男子!此虛空孕菩薩,得如是等善巧方便大慈悲智。善男子!我今為汝要略說之。假使有人度量虛空能盡邊際,而此善男子方便大智大慈大悲總持三昧難可度量。此大菩薩得如是等不可思議功德之法。善男子!此虛空孕菩薩,見有眾生捨離諂曲遠離邪心,發淳厚意成就正見,不毀於他不讚自己,捨離慳妬無有諂曲,不求名聞信心淨者,是善男子憐愍彼等清淨眾生,示現方便智慧精進,如是方便、如是智慧、如是精進,得度厄難,發菩提心,當得阿耨多羅三藐三菩提。教彼眾生所有善根迴向菩提,當得正道不退轉地,速至阿耨多羅三藐三菩提。教作如是方便之利,智慧精進,圓滿成就六波羅蜜,發大力心,當速成就阿耨多羅三藐三菩提。善男子!此虛空孕菩薩得如是等不可思議殊特方便善巧勝智,教化眾生。」

この呪を唱える時、かの善男子(虚空孕菩薩)はすぐに眼前に現れます。ある時は人の姿に、ある時は野獣の形に、ある時は鳥の姿になります。また、姿を現さずに隠れたまま来られることもあります。衆生の福徳と業の深さを観察し、それぞれにふさわしい姿や音声をもって示現し、一乗の善巧方便を示されます。それによって、衆生は一つの方便から無量百千の衆生を教化することができ、まだ定乗に住していない者を定乗に住させ、あるいは声聞乗に住させ、あるいは縁覚乗に住させます。これらの衆生は、一時のうちに智慧の方便によってわずかな功徳で大乗不退転の地に入り、さらにさまざまな三昧や陀羅尼、忍辱波羅蜜などを教え示され、ついには第十菩薩行の地に住するに至らしめられます。

善男子よ、この虚空孕菩薩は、このような善巧方便と大慈悲の智慧を得ておられるのです。善男子よ、私は今、あなたに要略して説きます。たとえ人が虚空を測り尽くしてその果てを知ることができたとしても、この善男子の方便と大智・大慈・大悲・総持・三昧は、測り知ることが難しいのです。この大菩薩は、このように計り知れない功徳の法を得ておられます。

善男子よ、この虚空孕菩薩は、諂曲を捨て邪心を遠離し、淳厚な心を発して正見を成就し、他人を誹謗せず自らを讃えず、慳妬を捨て諂曲なく、名声を求めず信心清浄な衆生を見ると、その清らかな衆生を憐れみ、方便と智慧と精進を示現されます。その方便、その智慧、その精進によって、厄難を乗り越え、菩提心を発し、阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるのです。彼ら衆生のすべての善根を菩提に向けて回向させ、正しい道を得て不退転の地に至り、速やかに阿耨多羅三藐三菩提に達するよう教え導きます。このような方便の利益と智慧精進を教え、六波羅蜜を円満成就させ、大いなる力を発心させ、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就させるのです。

善男子よ、この虚空孕菩薩は、このように計り知れない殊勝な方便と善巧なる勝れた智慧を得て、衆生を教化しておられるのです。

爾時彌勒菩薩摩訶薩白佛言:「世尊!此善男子以何義故首戴應珠,如是光焰、如是威力,善能示現;諸餘菩薩無有是事。」

その時、弥勒菩薩摩訶薩が仏に申し上げました。「世尊よ、この善男子はどのような理由で、このような光り輝く宝珠を頭上に戴き、このような光と威力を示し、他の菩薩たちには見られないことを示すのでしょうか。」

佛告彌勒菩薩摩訶薩言:「善男子!此善男子虛空孕菩薩摩訶薩為諸眾生成就大慈,常化眾生而無休息,見諸眾生在大厄難,欲拔苦故常不休息。若有眾生犯四重禁,將墮惡道捨諸善根散滅眾善,而此善男子為彼眾生作大醫師。見彼眾生墮於無明,入邪見網在危厄獄,此善男子為彼眾生,猶如日光照明彼罪滅四重業,為彼眾生拔心疑刺。若有眾生破壞心器,而此善男子見彼眾生破滅法行為煩惱陵,失於正法欲入惡道,無有歸依無有救護棄捨諸智。此善男子為彼等輩罪惡眾生,猶如拄杖示現正道,於諸罪垢煩惱穢惡洗令香淨教背惡道,猶如大車將入天處速得涅槃。若有眾生以欲逼心迷惑熱惱;若有眾生瞋恚熾盛共相鬪諍,憍慢嫉妬心無暫息,煩惱所亂失於本心;若有眾生無明闇障無出離心,不識有因不畏來世;或有眾生廣集財寶心無厭足;或有眾生具行十惡曾無休息。此善男子為彼等故,閉惡道門開天人路,猶如妙車運令上生,安置涅槃解脫正道。以是義故,此善男子於諸天人應受供養,唯除如來、阿羅呵、三藐三佛陀。」

仏陀は弥勒菩薩摩訶薩に告げて言われた。「善男子よ、この善男子・虚空孕菩薩摩訶薩は、あらゆる衆生のために大いなる慈悲を成就し、常に衆生を教化して休むことなく、衆生が大いなる厄難にあるのを見て、その苦しみを抜こうと願い、常に休むことがない。もし衆生が四重禁を犯し、悪道に堕ちようとし、諸々の善根を捨て、衆善を散滅させようとするならば、この善男子は彼らのために大いなる医師となる。彼らが無明に堕ち、邪見の網に入り、危厄の獄にあるのを見て、この善男子は彼らのために、まるで日光のように彼らの罪を照らし、四重の業を滅ぼし、彼らの心の疑いの刺を抜き取る。もし衆生が心の器を破壊するならば、この善男子は彼らが法行を破滅させ、煩悩の陵に陥り、正法を失い、悪道に入ろうとし、帰依するものもなく、救護するものもなく、諸々の智を捨て去っているのを見て、彼らのために、まるで杖のように正しい道を示し、諸々の罪の垢や煩悩の穢れを洗い清め、香りよく浄め、悪道に背を向けるよう教え、まるで大いなる車のように天界へと導き、速やかに涅槃を得させる。もし衆生が欲に心を逼られ、迷い熱悩するならば、もし衆生が瞋恚に燃え盛り、互いに争い、驕慢嫉妬して心に暫しの休息もなく、煩悩に乱されて本心を失うならば、もし衆生が無明の闇に覆われ、出離の心がなく、因縁を識らず、来世を畏れないならば、あるいは衆生が広く財宝を集めて心に飽き足ることがなく、あるいは衆生が十悪を行い積んで休むことがないならば、この善男子は彼らのために、悪道の門を閉ざし、天人の道を開き、まるで妙なる車のように運んで上生させ、涅槃の解脱の正しい道に安置する。この義によって、この善男子は諸々の天人において供養を受けるにふさわしい。ただ如来・阿羅呵・三藐三仏陀を除いては。」

爾時彌勒菩薩摩訶薩白佛言:「世尊!佛於前說有四重者,何等為四?而諸眾生犯四重已,退失諸善、斷滅善根、墮於惡道,違本誓願,煩惱所押、為諸天人之所憎惡。而此善男子見如是等諸惡眾生,拔彼苦惱置安樂處,令得充足。」

その時、弥勒菩薩摩訶薩が仏に申し上げました。「世尊よ、仏が先にお説きになった四つの重い戒めとは、どのようなものでしょうか。衆生がこの四重戒を犯すと、すべての善を失い、善根を断ち切り、悪道に堕ちてしまいます。本来の誓願に背き、煩悩に押し流され、天や人からも憎まれる存在となるのです。しかし、この善男子は、このような悪業に陥った衆生を見て、彼らの苦しみを取り除き、安楽の境地に置き、満ち足りた境地へと導くのです。」

爾時佛告彌勒菩薩:「善男子!凡剎利王有五重惡,若彼國王犯五惡者,失於往昔所造善根,忘本誓願被煩惱蓋,遠離天人一切樂事,墮於惡道無有出時。善男子!若有剎利灌頂王者,強奪佛物、或奪僧物招提僧物、或奪信心所施之物,或自身奪或教人奪,是名第一極惡重罪。若有剎利灌頂之王,誹謗正法,或聲聞乘、或緣覺乘、或復大乘,誹謗不信,不令他行教令隱藏,是名第二極惡重罪。若有剎利灌頂之王,為我出家諸弟子等剃除鬚髮著袈裟者,若持戒者、若無持戒,身脫袈裟令彼還俗,科彼與罪,若打若縛、若復罵辱流徙諸方、或遣輸物、或令入獄、或斷命根,是名第三極惡重罪。若有剎利灌頂之王,故斷父命、故斷母命、或復斷我弟子阿羅漢命、破和合僧、出佛身血。此等五逆,若犯一種、或始發心,是名第四極惡重罪。若有剎利灌頂之王,不說有因棄於來世,行十惡業。十惡業中多教眾生行十不善建立十惡,是名第五極惡重罪。善男子!若有剎利灌頂之王,此等五惡但犯一者,彼剎利王失於往昔所作善根悉令散滅,違本誓願被煩惱蓋,失天人樂後墮惡道,於無量劫無有出期。善男子!此虛空孕菩薩摩訶薩,為彼眾生故生邊地顯示其身,或作沙門婆羅門等威儀庠序,觀彼眾生隨何身化,方便示現如是身相,在在處處於國王前如是說法,昔未聞者如來所說一切智法甚深經典,持戒忍辱諸地行相為說示現。知彼剎利灌頂之王,昔造諸罪作不善行,自悔自慚,欲得謝過更不敢造,捨離惡事有悔過者,後作福德行大布施建立善業,往生上界即得解脫。

その時、仏は弥勒菩薩に告げられた。

「善男子よ。すべての剎帝利(王族)の王には五つの重い悪があります。もしその国王が五つの悪を犯すならば、過去に積んだ善根を失い、本来の誓願を忘れて煩悩に覆われ、天界や人間界のすべての楽しみから遠ざかり、悪道に堕ちて再び出る時がありません。

善男子よ。もし剎帝利の灌頂を受けた王が、仏のものを奪い、あるいは僧のもの、寺院のものを奪い、信心深い人々が布施したものを奪い、自ら奪うか、あるいは人に奪わせるならば、これが第一の極悪重罪です。

もし剎帝利の灌頂を受けた王が、正しい法を誹謗し、声聞乗、縁覚乗、あるいは大乗を誹謗して信じず、他に行わせず、隠すように教えるならば、これが第二の極悪重罪です。

もし剎帝利の灌頂を受けた王が、私の出家した弟子たち、髪を剃り袈裟を着た者、戒を守る者、戒を持たない者から袈裟を脱がせて還俗させ、罪を科し、打ち、縛り、罵り辱め、遠方に追放し、物を納めさせ、牢に入れ、あるいは命を絶つならば、これが第三の極悪重罪です。

もし剎帝利の灌頂を受けた王が、故意に父の命を絶ち、母の命を絶ち、あるいは私の弟子である阿羅漢の命を絶ち、和合僧を破り、仏の身から血を流させるという五逆罪のいずれかを犯し、あるいはその心を起こすならば、これが第四の極悪重罪です。

もし剎帝利の灌頂を受けた王が、因果の道理を説かず来世を否定し、十悪業を行い、十悪業の中で多くの衆生に十の不善を行わせ、十悪を広めるならば、これが第五の極悪重罪です。

善男子よ。もし剎帝利の灌頂を受けた王が、これらの五悪のうち一つでも犯すならば、その剎帝利王は過去に積んだ善根をすべて失い散滅させ、本来の誓願に背いて煩悩に覆われ、天界や人間界の楽しみを失い、後に悪道に堕ちて、無量の劫の間出る時がありません。

善男子よ。この虚空孕菩薩摩訶薩は、そのような衆生のために辺境の地に生まれ、その身を現します。あるいは沙門や婆羅門などの威儀正しい姿で、衆生がどのような姿で教化されるべきかを観察し、方便としてそのような身相を示します。あらゆる場所で国王の前に立ち、このように説法します。かつて聞いたことのない、如来が説かれた一切智の法である甚深の経典、戒律を守り忍辱を行う諸々の修行の相を説き示します。

そして、その剎帝利の灌頂を受けた王が、過去に様々な罪を造り不善を行ったことを知り、自ら悔い自ら恥じて、過ちを謝罪し二度と造らぬことを願い、悪事を捨て去り悔い改める者となれば、その後は福徳を行い大いなる布施をし善業を積み、上界に生まれて解脱を得るのです。」

「善男子!一切大臣有五重罪。若有大臣,奪取佛物、或奪僧物招提僧物,是名第一重罪。若有大臣,破國村邑、或破聚落、或破城隍、或破他國,是名第二重罪。若有大臣,誹謗正法、或聲聞乘、或緣覺乘、或一切智乘,若自誹謗、若教他謗,不令修行,隱沒不顯,是名第三重罪。若有大臣,於佛世尊出家弟子故生擾亂而恐怖之,若有持戒若不持戒、若有精進若不精進,脫彼袈裟逼令還俗,或與身罪、或打或縛、禁繫罵辱呵叱恐怖、或令輸物、或令入獄、或斷命根,如是名為第四重罪。若有大臣,造作五逆,或一或二或三或四,或具五種造罪惡業,如是名為第五重罪。善男子!若有大臣,此五重中若犯一者,彼等大臣失於往業,所作善根皆悉滅盡,違本誓願失天人樂,墮於惡道受大極苦。善男子!此虛空孕菩薩摩訶薩,為彼眾生生於邊地,故住邊地示現身相,作沙門身威儀庠序為彼說法、或復現於婆羅門身容儀齊肅、或作童子而為說法,在在處處示現生相,知彼等輩隨有善根而為說法,未曾有者諸佛所說深妙經典諸陀羅尼忍辱諸地慰喻說法,作是方便令諸臣等悔過發露心生慚愧,懺彼惡業捨離眾罪,教修布施精進持戒,建立善業往生上方得涅槃道。

善き男子よ、すべての大臣には五つの重罪があります。

もし大臣が、仏のための物を奪い取るか、僧の物や寺院の物を奪い取るならば、これが第一の重罪です。

もし大臣が、国や村を破壊し、集落を壊し、城壁を破り、他国を滅ぼすならば、これが第二の重罪です。

もし大臣が、正しい教えを誹謗し、声聞の教え、縁覚の教え、一切智の教えを、自ら誹謗し、あるいは他人に誹謗させ、修行させず、隠して明らかにしないならば、これが第三の重罪です。

もし大臣が、仏の世尊の出家弟子に対して故意に乱し恐れさせるならば、戒律を守る者も守らない者も、精進する者もしない者も、その袈裟を脱がせて還俗を強要し、身体に罪を負わせ、打ち、縛り、監禁し、罵り、辱め、叱責し、恐怖を与え、物を奪い、獄に入れ、命を絶つならば、これが第四の重罪です。

もし大臣が、五逆の罪を犯し、一つ、二つ、三つ、四つ、あるいは五つすべての悪業をなすならば、これが第五の重罪です。

善き男子よ、もし大臣がこの五つの重罪のうち一つでも犯すならば、その大臣は過去の善行を失い、積んだ善根はすべて滅び、本来の誓願に背き、天界や人間界の楽しみを失い、悪しき世界に堕ちて大きな苦しみを受けるのです。

善き男子よ、この虚空孕菩薩摩訶薩は、辺境の地に生まれた衆生のために、辺境の地にとどまり、姿を現して、沙門の身となり威儀を整えて彼らに説法し、あるいは婆羅門の身となり容儀を整え、あるいは童子となって説法し、あらゆる場所で生まれ変わる姿を示し、彼らが持つ善根に応じて説法し、これまでになかった諸仏の説く深遠な経典、諸陀羅尼、忍辱の境地を慰め諭し説き、この方便によって諸々の大臣たちに悔い改めと罪の告白をさせ、心に慚愧の念を起こさせ、悪業を懺悔して多くの罪を捨て離れ、布施と精進と持戒を修めさせ、善業を積んで上方に往生し涅槃の道を得させるのです。

「善男子!聲聞之人有五種事犯大重罪。何等為五?一者殺生;二者行婬;三者劫盜;四者妄語;五者破壞形像出佛身血。是名五種犯大重罪。若我聲聞諸弟子等於五事中但犯一者,乃至如上所說之事,是虛空孕菩薩摩訶薩為彼等故往生彼處示現身相,或作沙門及婆羅門,以彼威儀現彼身相,為說種種微妙法義,一切智人所說甚深種種法門修多羅等諸陀羅尼一切諸地顯揚宣說,令彼等聞悔昔所造種種諸惡,憶念不忘深生慚愧,懺悔彼罪更不敢作。懺悔罪已,修行布施,備行苦行精勤勇猛,命終上生後得涅槃,即便發心入於大乘行菩薩行。

善男子よ、声聞の人には五つの事があり、大きな重い罪を犯します。その五つとは何でしょうか。一つには生き物を殺すこと。二つには淫らな行いをすること。三つには盗みを働くこと。四つには嘘をつくこと。五つには仏の像を壊し、仏の体から血を出すことです。これを五つの大きな重い罪を犯す事といいます。もし私の声聞の弟子たちが、この五つの事のうちただ一つでも犯したならば、あるいは以上に説いたような事があれば、虚空孕菩薩摩訶薩はその者たちのために、その場所へ生まれ変わって身の姿を現します。あるいは沙門や婆羅門となって、その威儀をもってその者の姿を現し、さまざまな微妙な法の意味を説いて聞かせます。一切智人が説いた甚深なさまざまな法門の経典や、もろもろの陀羅尼、すべての諸地を明らかに示し宣べ説いて、彼らに聞かせて、過去に造ったさまざまな悪を悔いさせ、忘れることなく深く慚愧の心を生じさせ、その罪を懺悔して二度としないようにさせます。罪を懺悔した後には、布施を修行し、苦行を備え行い、精勤して勇猛に努め、命が終われば上の世界に生まれ、後に涅槃を得て、そのまま発心して大乗に入り菩薩の行を行います。

「善男子!大乘之人有八種事犯於大罪,造八重已令彼初行諸菩薩等失彼往昔所種善根皆悉滅失,違本誓願為煩惱蓋,使諸天人之所輕忽,違背大乘即墮惡道,於多時間在煩惱處離善知識。善男子!何等為八?若有眾生,以於往昔造惡因緣生不淨剎。彼等眾生以不多種善根因緣故,因善知識乃能得聞甚深大乘微妙經典。彼眾生等心意狹劣,亦復不能多種善根。是初行菩薩雖復發於阿耨多羅三藐三菩提心,聞是甚深空相經典,為他解說讀誦。如其所聞如其所誦,為種種愚癡啞羊眾生如是之輩宣揚敷演,於彼前說一切智法教令讀誦。而彼凡夫無有功勞,以凡夫心不能得解甚深法意,聞是法已生恐怖心,心生悔沒,即便背於阿耨多羅三藐三菩提,於聲聞行中發心修學。

善男子よ、大乗の者には八つの事があり、大きな罪を犯します。八つの重罪を犯すと、その初めて修行する菩薩たちは、過去に植えた善根をすべて失い滅ぼしてしまい、もとの誓願に背き、煩悩に覆われ、天人たちから軽んじられ、大乗に背いて悪道に堕ち、長い間、煩悩の場にとどまって善き師から離れてしまいます。善男子よ、八つとは何でしょうか。もし衆生が、過去に悪業を造った因縁によって不浄な国土に生まれたとします。それらの衆生は、多くの善根を植えた因縁がないため、善き師に出会ってはじめて、深遠な大乗の微妙な教えを聞くことができます。しかしそれらの衆生は、心が狭く劣っており、多くの善根を植えることもできません。この初めて修行する菩薩は、たとえ阿耨多羅三藐三菩提の心を起こしても、この深遠な空の教えを聞き、他人のために解説し読誦します。聞いたとおりに、読誦したとおりに、さまざまな愚かな羊のような衆生に、このような者たちのために宣べ伝え広め、その者の前で一切智の法を説いて読誦させます。しかしその凡夫には功徳がなく、凡夫の心では深遠な法の意味を理解することができず、この法を聞いて恐怖の心を生じ、心に悔いと沈みが生じ、ただちに阿耨多羅三藐三菩提に背き、声聞の修行の中で心を起こして学び修めます。

虛空孕菩薩經卷上

虚空孕菩薩経 上巻


第二

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