ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 入大乗論 (入大乘論)
  2. 第二 (第二)
  3. 2 譏論空品 (2 譏論空品)
←と→
矢印キーでページをめくれます

入大乗論 (入大乘論)


入大乘論卷下

入大乗論 巻下

堅意菩薩造

堅意菩薩造

北涼三藏法師道泰等譯

北涼三蔵法師道泰等訳

譏論空品第二

空を論じる品 第二

問曰:汝先說調順乘、大苦乘得妙果報,菩薩所得境界甚難了知。答曰:菩薩行處微妙甚難,於三阿僧祇劫乃可成就。無量百千萬億那由他劫在凡夫中,無有出世之法。如尊者提婆所說偈:

問いがあります。あなたは先に、調和に乗じる道と、大いなる苦しみに乗じる道が優れた果報をもたらすと説かれましたが、菩薩が到達する境地は、とても理解しがたいものです。

お答えします。菩薩の修行の道は微細で深遠であり、理解が非常に難しいのです。三阿僧祇劫という長い期間を経て、初めて成就するものです。無量百千万億那由他劫もの間、凡夫の中にあって、世を超える法を得ることはありませんでした。

尊者ティパカ(提婆)が説かれた偈に、このようにあります。

「無量億劫中, 常在凡夫地,
汝今應當知, 未來亦如是。」

無量億劫の中で、常に凡夫の地にとどまっています。 あなたは今、知るべきです。未来もまた同じであると。

是故菩薩行處甚大,亦復難得。散亂眾生得聞甚難、能說亦難,況復修行。如尊者提婆所說偈:

ですから、菩薩の行う境地ははなはだ大きく、また得ることも難しいのです。散乱した心の衆生がこれを聞くことはきわめて難しく、説くこともまた難しいのです。ましてや修行することはなおさらです。尊者提婆が説いた偈に次のようにあります。

「生得值法難, 聽說亦復難,
生死雖無際, 聽法故有邊。」

生まれながらにして法に値うことは難しく、 説法を聞くこともまた難しい。 生死は際限がないように見えても、 法を聞くことによって、その果てがあるのです。

問曰:尊者先所說十地,願時為我分別演說,何等為菩薩十地?答曰:初歡喜地、二離垢地、三名明地、四名焰地、五難勝地、六現前地、七深遠地、八不動地、九善慧地、十法雲地。云何名歡喜地?出過凡夫,得不思議出世間道,心生歡喜故,名歡喜地。云何名為離垢地?離破戒垢故,名為離垢地。云何名明地?依十二門禪,得明智慧故,名為明地。云何名焰地?得增上覺意分別道品,燒煩惱薪,功德熾然,故名焰地。云何名難勝地?修習十智,雖伏煩惱,未能勝故,名為難勝地。云何名現前地?能逆順觀十二因緣,得法現前故,名為現前地。云何名深遠地?愛佛功德智慧次第不間餘心,深入法相故,名深遠地。云何名不動地?離色等相,堅固難動故,名為不動地。云何名善慧地?入四辯才,解一切音聲,隨其所問,於一剎那頃悉皆能答故,名善慧地。云何名法雲地?能受一切佛法,猶如大雲能注法雨故,名法雲地。是名菩薩具足十地。如是十地,是菩薩安住行處,亦能滿足一切智慧。如《十地經》中之所廣說。若能如是知菩薩十地者,是名善知安住行處,亦名善知菩薩廣大功德處所,亦能善知如來無量功德廣大處所。若不能如是知者,我今立決定誓,當知是人於菩薩法及如來法皆悉不了。菩薩摩訶薩從初發意乃至十地,常修四行,如《寶頂經》中說,善知無明行、諸波羅蜜行、分別道品行、成熟眾生行。如是四行,總入二輪,所謂福輪、智輪。菩薩諸地悉具二種,智果、福果。

問いかけます。「尊者よ、先にお説きになった十地について、どうか今、私のために分別して演説してください。菩薩の十地とは何でしょうか」。お答えします。第一は歓喜地、第二は離垢地、第三は明地、第四は焰地、第五は難勝地、第六は現前地、第七は深遠地、第八は不動地、第九は善慧地、第十は法雲地です。

なぜ歓喜地というのでしょうか。凡夫を超え出て、不思議な出世間の道を得て、心に歓喜が生じるから、歓喜地というのです。なぜ離垢地というのでしょうか。破戒という垢を離れるから、離垢地というのです。なぜ明地というのでしょうか。十二門禅に依って明らかな智慧を得るから、明地というのです。なぜ焰地というのでしょうか。増上なる覚意をもって道品を分別し、煩悩という薪を焼き、功德が盛んに燃えあがるから、焰地というのです。なぜ難勝地というのでしょうか。十智を修習しても、煩悩を伏せることはできても、まだ打ち勝つことができないから、難勝地というのです。なぜ現前地というのでしょうか。十二因縁を逆にも順にも観ることができて、法が現前に得られるから、現前地というのです。なぜ深遠地というのでしょうか。仏の功德と智慧を愛し、次第を重ねて他の心が間に入らず、法相に深く入るから、深遠地というのです。なぜ不動地というのでしょうか。色などの相を離れ、堅固で動かしがたいから、不動地というのです。なぜ善慧地というのでしょうか。四辯才に入り、すべての音声を理解し、人々が問うところに応じて、一刹那のうちにすべて答えられるから、善慧地というのです。なぜ法雲地というのでしょうか。すべての仏法を受け持つことができ、ちょうど大きな雲が法の雨を降らせるようなので、法雲地というのです。これが菩薩が十地を具足するということです。

このような十地は、菩薩が安住して行じる処であり、またすべての智慧を満足させることもできます。『十地経』において広く説かれている通りです。もしこのように菩薩の十地を知ることができるなら、それは安住の行処をよく知る者であり、また菩薩の広大な功德の処所をよく知る者であり、また如来の無量の功德という広大な処所をもよく知る者です。もしこのように知ることができないなら、私は今、決定の誓いを立てます。その人は菩薩の法および如来の法をすべて理解できないと知るべきです。

菩薩摩訶薩は初発意から十地に至るまで、常に四行を修めます。『宝頂経』に説かれている通りです。すなわち、無明行をよく知ること、諸波羅蜜行、道品行を分別すること、衆生を成熟させる行です。このような四行は、総じて二つの輪に収まります。いわゆる福輪と智輪です。菩薩の諸地はすべて二種を具足し、智の果と福の果です。

問曰:云何成就二果?答曰:初地福果為閻浮提王;第二地福果為轉輪聖王,主四天下;第三地福果為天帝釋;第四地福果為焰魔天王;第五地福果為兜率陀天王;第六地福果為化樂天王;第七地福果為他化自在天王;第八地福果為千世界梵;第九地福果為二千世界梵;第十地福果為三千大千世界淨居天王,如《花嚴經》廣說。如來出生果報及攝受世界,是名菩薩福輪。云何名菩薩智輪?初地菩薩於一剎那頃得百三昧,見百諸佛神通,能過百佛國土,能動百佛世界,光明遍照百佛世界,能成就百眾生,能知過去百劫、未來百劫,能入百法門,能現百身、復為一身,以百菩薩莊嚴眷屬。若以願力,復過於此百千萬億無量無邊,亦非算數譬喻所知。若身力,若光明力,若神通力,若眼力,若聲力,若行力,若莊嚴力,若住持力,若解脫力,造眾善業,是名初住菩薩於剎那頃成就如是無量功德。二住菩薩得千三昧,如是廣說。三住菩薩得十萬三昧,餘亦如初住廣說。四住菩薩得億三昧,餘亦如初住廣說。五住菩薩得千億三昧,餘亦如初住廣說。六住菩薩得萬億三昧,餘亦如初住廣說。七住菩薩得億百千那由他三昧,餘亦如初住廣說。八住菩薩得十三千大千世界微塵數三昧,餘亦如初住廣說。九住菩薩得十佛世界百千阿僧祇微塵數三昧,諸餘功德如初住廣說。十住菩薩得十佛世界不可說不可說億百千那由他微塵數三昧,諸餘功德如初住廣說。於一剎那頃乃至見十佛世界不可說不可說億百千那由他微塵數諸佛,如初住菩薩於一剎那頃見百佛世界乃至成就百眾生,十住菩薩亦復如是。

問い:どのようにして二つの果を成就するのでしょうか。答え:初地の福の果は閻浮提の王となります。第二地の福の果は転輪聖王となり、四天下を統治します。第三地の福の果は天帝釈となります。第四地の福の果は焔魔天王となります。第五地の福の果は兜率陀天王となります。第六地の福の果は化楽天王となります。第七地の福の果は他化自在天王となります。第八地の福の果は千世界の梵となります。第九地の福の果は二千世界の梵となります。第十地の福の果は三千大千世界の浄居天王となります。『華厳経』に広く説かれている通りです。如来の出生の果報と世界を摂受することは、これを菩薩の福輪と名づけます。どのようにして菩薩の智輪と名づけるのでしょうか。初地の菩薩は一刹那の間に百の三昧を得て、百の諸仏の神通を見て、百の仏国土を過ぎることができ、百の仏世界を動かすことができ、光明は百の仏世界を遍く照らし、百の衆生を成就することができ、過去の百劫と未来の百劫を知ることができ、百の法門に入ることができ、百の身を現し、また一身に戻り、百の菩薩を眷属として荘厳します。もし願力によれば、さらにこの百千万億無量無辺を超え、また算数や譬喩によっても知ることができません。身力、光明力、神通力、眼力、声力、行力、荘厳力、住持力、解脱力といった力によって、多くの善業を造ることは、これを初住の菩薩が一刹那の間にこのような無量の功徳を成就すると名づけます。二住の菩薩は千の三昧を得て、このように広く説かれます。三住の菩薩は十万の三昧を得て、その他もまた初住で広く説かれた通りです。四住の菩薩は億の三昧を得て、その他もまた初住で広く説かれた通りです。五住の菩薩は千億の三昧を得て、その他もまた初住で広く説かれた通りです。六住の菩薩は万億の三昧を得て、その他もまた初住で広く説かれた通りです。七住の菩薩は億百千那由他の三昧を得て、その他もまた初住で広く説かれた通りです。八住の菩薩は十三千大千世界の微塵数の三昧を得て、その他もまた初住で広く説かれた通りです。九住の菩薩は十仏世界百千阿僧祇の微塵数の三昧を得て、その他の功徳もまた初住で広く説かれた通りです。十住の菩薩は十仏世界の不可説不可説億百千那由他の微塵数の三昧を得て、その他の功徳もまた初住で広く説かれた通りです。一刹那の間でさえ、十仏世界の不可説不可説億百千那由他の微塵数の諸仏を見ることは、初住の菩薩が一刹那の間に百の仏世界を見て、さらには百の衆生を成就するのと同じです。十住の菩薩もまたこのようであります。

問曰:如佛所說,一世界中無二佛出。云何菩薩見十佛世界不可說不可說億百千那由他微塵數諸佛?答曰:諸佛說言一世界中無二佛者,為彼鈍根小心眾生,不為利根大心者說。如汝經中說,一世界無二轉輪聖王、無二佛出。然諸四天下實有眾多轉輪聖王,諸佛出世亦復如是。

問い:仏が説かれたように、一つの世界の中には二人の仏は出現しないとされています。それなのに、なぜ菩薩は十の仏の世界において、説くことも数えることもできないほど無量の億百千那由他の微塵の数のもろもろの仏を見るのでしょうか。

答え:もろもろの仏が「一つの世界の中には二人の仏はいない」と説かれたのは、鈍い根の小さな心の衆生のためのものであって、鋭い根の大きな心の者のために説かれたのではありません。あなたの経典にも説かれているように、一つの世界には二人の転輪聖王はなく、二人の仏も出現しません。しかし、もろもろの四天下には実際に多くの転輪聖王がいます。仏が世に出現されることも、また同じなのです。

問曰:釋迦牟尼佛亦能遍一切佛國,何必餘佛?答曰:若如汝言,但一佛能遍滿一切世界者,不應有過去大釋迦牟尼佛、七佛出世得成正覺。是以我言多佛無過。假使釋迦牟尼佛神力能遍一切世界,今無量諸菩薩等廣修萬行,功德滿足皆當成佛;無有一人獨成正覺,而障諸菩薩使不成佛,無有是處。如《阿含》、《枯樹》、《法輪》及餘諸經,說是經時有六十比丘漏盡意解,俱得阿羅漢果。菩薩亦爾,功行齊等同時成佛,當知十方有無量諸佛。又《金沙》、《阿含》二部經說,有佛始成、有佛現在、有佛滅度。復次說偈:

問い:釈迦牟尼仏もまたすべての仏国に遍満することができるのに、どうして他の仏が必要なのでしょうか。答え:もしあなたの言うとおり、ただ一つの仏がすべての世界に遍満できるのであれば、過去に大釈迦牟尼仏や七仏が世に出て正覚を得たということはないはずです。ですから私は、多くの仏があって何の問題もないと言うのです。たとえ釈迦牟尼仏の神力がすべての世界に遍満できたとしても、今、無量の諸菩薩たちが広く万行を修め、功德が満ち足りれば、みな成仏するはずです。ただ一人だけが独り正覚を成し、他の菩薩たちを妨げて成仏させないなどということは、ありえません。『阿含経』や『枯樹経』『法輪経』、その他の諸経において、この経を説かれたとき、六十人の比丘が煩悩を尽くして意を解し、ともに阿羅漢果を得たと説かれています。菩薩も同様で、功徳と修行が等しく揃えば同時に成仏します。ですから、十方には無量の諸仏がおられると知るべきです。また『金沙経』と『阿含経』の二部の経には、仏が始めて成られた方、現在おられる方、すでに滅度された方が説かれています。さらに偈を説かれました。

「過去無量佛, 未來亦復然,
及今成佛者, 皆滅於愁憂。
一切尊重法, 今本皆修行,
未來亦復然, 正覺法如是。」

過去の無量の仏も、未来の仏もまた同じく、 そして今、仏となられた方々も、皆、憂いを滅ぼされました。 一切の尊ぶべき法を、今も本も皆、修行してこられ、 未来もまた同じくです。正覚の法とはこのようなものです。

曇無毱多亦說是偈:

曇無毱多もまたこの偈を説きました。

「頂禮一切佛, 漏盡無有上,
無量諸佛身, 正覺最勝尊。
正覺所生處, 并及得菩提,
能轉正法輪, 入無漏涅槃。
若住若經行, 如來之所坐,
臥如師子王, 我今皆悉禮。
上下諸世尊, 方面及四維,
法身與舍利, 敬禮諸佛塔。
東方及北方, 在世兩足尊,
厥名曰難勝, 彼佛所說偈。
若以此偈誦, 常讚於世尊,
生死百劫中, 終不墮惡道。」

一切の仏に頂礼します。 煩悩の尽きた方、これに勝るものはありません。 無量の諸仏の身、正しい悟りを得た最も尊い方々です。 正覚が生まれたその場所、そして菩提を得たこと、 よく正しい法の輪を転じ、無漏の涅槃に入られたことを。 住まわれるときも、経行されるときも、如来がお座りになった場所も、 獅子王のように横たわられるお姿も、私は今すべてに礼拝します。 上下の諸世尊、四方と四隅の方角に、 法身と舎利、諸仏の塔に敬礼します。 東方と北方に、世にある両足尊、 その名を難勝といい、かの仏の説かれた偈です。 この偈を誦すれば、常に世尊を讃えることになり、 生死の百劫の中にあっても、ついに悪道に堕ちることはありません。

如佛為尊者目連說言:非汝退神足,但是舍利弗以神通力,用其衣帶繫難勝坐。如是等佛而汝經中自作此說,況摩訶衍辯明諸佛無量無邊,等於法界、同虛空界諸佛世界悉有諸佛。初地菩薩身行清淨,雖有結使而不能擾。七住菩薩不名斷結,亦不名有結。云何名不有結不斷結?以不為結使所擾故名為無結,愛佛功德故名為有結。第二阿僧祇劫滿足得於八地,一切行具足無有所作,一切結使盡故得成菩提,空靜住處得滅盡定如阿羅漢。如是得無生法忍,若諸佛不勸請者,即於彼定入無餘涅槃。如經中說,得無生法忍,離煩惱障,如阿羅漢。得寂滅無餘,離於生死,得十自在。何等為十?壽命自在、得心自在、眾具自在、作業自在、生處自在、解脫自在、神通自在、願自在、法自在、智自在。得如是自在,善修如意足故。降伏四魔。何等為四?陰魔、煩惱魔、死魔、天魔。為眾生故皆悉一味,得無緣慈。猶如如意藥樹,隨眾生所願,皆使成就。

如は仏が尊者目連のために説かれた言葉にあります。「あなたが神足を退けたのではなく、ただ舎利弗が神通力をもって、その衣の帯で難勝座を結わえたのです」と。このように仏は説かれましたが、あなたの経典の中では自らこの説を立てています。ましてや摩訶衍は、諸仏が無量無辺にして、法界に等しく、虚空界と同じであることを明らかに説いています。すべての仏の世界には、いずれも諸仏がおられます。

初地の菩薩は、身の行いが清浄であり、結使があっても心を乱すことはできません。七住の菩薩は、結を断じたとも名づけられず、また結があるとも名づけられません。なぜ「結がないのでもなく、結を断じたのでもない」と名づけるのでしょうか。結使に乱されないから「結がない」と名づけ、仏の功德を愛するから「結がある」と名づけるのです。

第二阿僧祇劫が満ちて第八地を得ると、一切の行いが具足し、なすべきことがなくなります。一切の結使が尽きたから菩提を成し遂げ、空静な住処において、阿羅漢のように滅尽定を得ます。このようにして無生法忍を得ますが、もし諸仏が勧め請わなければ、その定において無余涅槃に入ってしまいます。

経典に説かれているように、無生法忍を得て煩悩の障りを離れることは、阿羅漢のようです。寂滅無余を得て生死を離れ、十種の自在を得ます。何が十でしょうか。寿命自在、心自在、衆具自在、作業自在、生処自在、解脱自在、神通自在、願自在、法自在、智自在です。このような自在を得るのは、如意足をよく修めたからです。四魔を降伏します。何が四でしょうか。陰魔、煩悩魔、死魔、天魔です。衆生のために、すべてを一味として、無縁の慈を得ます。ちょうど如意薬樹のように、衆生の願いに従って、すべてを成就させるのです。

問曰:云何菩薩自身作業,能令眾生隨願令得?答曰:菩薩以慈心為體,猶如見毒而能殺人,眾生見菩薩故便得利益。

問い:どのようにして菩薩は自ら業を行い、衆生が願いに従って得ることができるようにするのでしょうか。答え:菩薩は慈しみの心を本質としています。それはちょうど毒が人を殺す力を持つようなものです。衆生は菩薩に出会うことで、その利益を得ることができるのです。

問曰:八住菩薩以盡結使,云何最後身菩薩生羅睺羅?答曰:誠如所言。若最後身菩薩有實欲者,乃至無佛可得,況羅睺羅。

問いを発する者が言いました。「八住の菩薩はすでに結使を尽くしているのに、どうして最後身の菩薩が羅睺羅を生もうとしたのでしょうか。」

答えました。「まことに仰る通りです。もし最後身の菩薩に実の欲があるならば、仏さえも得ることはできないでしょう。ましてや羅睺羅においてはなおさらです。」

問曰:云何無佛?答曰:若毀戒,無尸波羅蜜。若無尸波羅蜜,則無諸波羅蜜。如佛所說,若無戒則無施,無施則無忍,無忍則無精進,無精進則無禪定,無禪定則無智慧,無智慧則無一切諸功德,無一切諸功德則無佛,無佛則無羅睺羅。汝何以疑生羅睺羅有結無結?八住菩薩無諸煩惱,如阿羅漢,以方便力故現受五欲、作諸過惡,捨四天下轉輪王位,令使眾生得厭離心。猶如娑留枝比丘說佛本行偈:

問い:なぜ仏がいないのでしょうか。答え:もし戒を破れば、尸波羅蜜がありません。尸波羅蜜がなければ、諸々の波羅蜜がありません。仏が説かれたように、戒がなければ施もなく、施がなければ忍もなく、忍がなければ精進もなく、精進がなければ禅定もなく、禅定がなければ智慧もなく、智慧がなければ一切の諸功徳もなく、一切の諸功徳がなければ仏もなく、仏がなければ羅睺羅もありません。あなたはどうして羅睺羅の生まれることに結があるかないかを疑うのでしょうか。八住の菩薩には諸々の煩悩がなく、阿羅漢のように、方便の力によって五欲を受け、諸々の過悪を行い、四天下の転輪王の位を捨てて、衆生に厭離の心を起こさせます。ちょうど娑留枝比丘が仏の本行を説いた偈のように。

「一身為多身, 作已極為勝,
非實亦非虛, 各各令喜悅。
放恣生欲意, 盛壯狂所亂,
現同行於欲, 引令到彼岸。
禪智能燒滅, 欲界諸結使,
欲結甚狂逸, 能示現其心。」

一身が多くの身となり、 その働きはきわめて優れています。 実でもなく虚でもなく、 それぞれの人を喜ばせます。 放逸な心に欲の思いを生じ、 盛んな若さに狂わされた者たちに、 ともに欲を行う姿を示して、 彼岸へと導きます。 禅と智慧はよく焼き滅ぼします、 欲界の諸々の結使を。 欲の結は非常に狂おしく逸脱していますが、 その心をよく示し現します。

菩薩觀欲知如幻夢,是故以此令轉其意,大悲菩薩作諸幻術而化其心。

菩薩は欲望を、幻や夢のようなものだと観察し、知るべきです。ですから、これによってその心を転じさせるのです。大悲の菩薩は、さまざまな幻術を用いて、その心を教化されます。

問曰:云何作此幻術誑惑眾生?答曰:菩薩常以四攝法方便教化一切眾生。同事利益,為破結使故。如翅燒菩薩本事因緣,以欲狂心擔負死尸走喚歌舞。菩薩方便亦現同彼,為除彼女熾欲憂患故現同事,不名妄語。一切菩薩方便同事,皆非妄語。世間幻術少有利益,菩薩得無量解脫如幻三昧門,諸有所為能大利益成就眾生,故無有過。

問い:どうしてこのような幻術を行って衆生を惑わすのでしょうか。

答え:菩薩は常に四摂法を方便として、すべての衆生を教化します。同じ仕事を共にし、利益をもたらすのは、結使を破るためです。翅焼菩薩の本事因縁のように、欲に狂った心で死体を担いで走り回り、歌い舞い呼びかけたのです。菩薩の方便もまた同様に、その相手と同じ姿を現します。それはその女の激しい欲の憂いを除くために同じ仕事を現すのであって、妄語とは言いません。すべての菩薩の方便としての同じ仕事は、いずれも妄語ではありません。世間の幻術はわずかな利益しかありませんが、菩薩は無量の解脱である如幻三昧門を得ており、なすところはすべて大きな利益をもって衆生を成就させます。ですから過ちはないのです。

問曰:羅睺羅為是應化、為真實耶?答曰:二俱無過。菩薩身者即是天身。如《本起經》說,佛告阿難:如來為眾生故出現於世,不以天身轉於法輪。何以故?欲令眾生不懈怠故。佛以天身得成正覺,非我凡夫之所能成。以是故天中天為憐愍眾生故,示現世間,有其父母妻子眷屬。若是幻化現有羅睺羅,此亦無過。若是實人,亦無有過。菩薩方便得不思議解脫,住於大地,成就眾生,互為化生父母兄弟妻子。

問い:羅睺羅は応化の身なのでしょうか、それとも実在の人なのでしょうか。

答え:どちらであっても過ちはありません。菩薩の身とは、すなわち天の身なのです。

『本起経』に説かれているように、仏は阿難に告げられました。「如来は衆生のために世に現れるのであって、天の身をもって法輪を転じるのではない」と。なぜでしょうか。衆生をして懈怠させないためです。仏は天の身をもって正覚を得られたのであり、それは私たち凡夫に成し遂げられることではありません。

ですから、天の中の天である方は、衆生を憐れむために世間に示現され、父母や妻子、眷属を持たれます。もし羅睺羅が幻のように現れたものであるとしても、それも過ちではありません。もし実在の人であるとしても、それもまた過ちはありません。菩薩は方便をもって不思議解脱を得て、大地に住み、衆生を成就し、互いに化身として父母や兄弟、妻子となられるのです。

問曰:羅睺羅是菩薩耶?答曰:不但羅睺羅獨是菩薩,住迦毘羅衛城諸釋種童子,阿難、難陀、提婆達多、阿㝹樓馱等,皆是大力不退轉菩薩。如婆羅樓志於本行經中所說偈:

問い:羅睺羅は菩薩なのでしょうか。答え:羅睺羅だけが菩薩なのではありません。迦毘羅衛城に住む釈種の童子たち、阿難、難陀、提婆達多、阿㝹樓馱なども、みな大力の不退転の菩薩です。婆羅樓志が本行経の中で説いた偈にあります。

「或是大丈夫, 或是佛所化,
提婆達多者, 大仙之同伴。
或復為父子, 常作內眷屬,
菩薩有大力, 權變能為此。
共佛及餘人, 菩薩諸大仙,
阿難難陀等, 那律釋摩南,
跋陀與桎沙, 憂波桎麗等,
作父子眷屬, 咸皆共圍遶。」

あるいは大丈夫であり、あるいは仏の化した方であり、 提婆達多は、大仙の同伴です。 あるいはまた父子となり、常に内の眷属となります。 菩薩には大きな力があり、方便の変化によってこのようになれます。 仏やその他の方々とともに、菩薩である諸々の大仙、 阿難、難陀など、那律、釈摩南、 跋陀と桎沙、憂波桎麗などが、 父子や眷属となって、みなともに取り囲んでいます。

問曰:提婆達多於五百身中,常與菩薩而作大怨。云何復言名菩薩耶?答曰:提婆達多非佛怨耶。何以故?若提婆達多是佛怨者,菩薩修善,提婆達多恒造諸惡,云何世世得與菩薩共俱相值?以是義故,提婆達多非菩薩怨。譬如二人各行,一人趣東、一人向西,步步相遠而常違背,云何為伴得相值耶?若提婆達多是菩薩怨者,如來世尊應有大過。

問い:提婆達多は五百の生涯にわたって、常に菩薩に対して大きな怨みを抱いていました。どうしてまた、彼を菩薩と名づけることができるのでしょうか。

答え:提婆達多は仏の怨み相手ではありません。なぜでしょうか。もし提婆達多が仏の怨み相手であるならば、菩薩は善を修め、提婆達多はいつももろもろの悪を行っていますから、どうして世々生まれ変わるたびに菩薩とともに出会うことができましょうか。この道理によって、提婆達多は菩薩の怨み相手ではありません。たとえば二人がそれぞれ道を行き、一人は東へ向かい、一人は西へ向かうと、一歩ごとに遠ざかり、常に背を向け合っています。どうして連れとなって出会うことができましょうか。もし提婆達多が菩薩の怨み相手であるならば、如来世尊には大きな過失があるはずです。

問曰:有何過耶?答曰:若爾者,佛非一切智、亦無神力、是為愚癡、則不能得擁護眾生、非金剛身、如來便應有餘業不能斷盡。云何知佛非一切智?如來在耆闍崛山,為提婆達多推石所壓而不覺知,是故當知如來非一切智。云何名為無有神力?提婆達多持杵打害,不能禁制,以是當知無有神力。云何名為愚癡。現見害至而不知避,是以當知為愚癡也。云何名為不能擁護眾生?提婆達多作五逆罪而不救度,以是當知不能擁護眾生。云何名非金剛身?轉輪聖王以少福報而無怨害,何況如來轉法輪王為石所壓身血流現,當知如來非金剛身。云何名有餘作業不能斷盡?為他所打,當知如來餘業不盡。若欲令佛無是過者,如來便應悉滅怨敵。但以善巧方便,欲令眾生起厭惡心,現作逆害墮於地獄,欲示業報不可壞故。又復欲為墮地獄者,歸依如來、請佛救護。又為來世豪貴之人入佛法中,若有恃其勢力,復以鞭杖加打於人,令此眾生便作是念:如來之身猶被毀害,況我凡夫薄福德者。汝言逆罪,但是菩薩善權方便。如是逆罪名雖有五,而實有二:破僧、害佛,如是等業世間所無。提婆達多是大賓伽羅菩薩,為遮眾生起逆罪故,現作二業墮於地獄。菩薩摩訶薩隨所應作以化眾生,乃至現同魔業,令魔波旬以三玉女顯現如來無欲之相。又雨刀劍、一切鉾矟,顯現如來無瞋恚相,亦無貪愛及愚癡相。
問曰:天魔來意,欲壞如來正覺之心。汝云何言欲顯如來無貪瞋耶?答曰:不為遮斷。何以故?若如來出過魔界,猶為魔遮者,大梵天王亦出魔界,云何不遮菩提?是道之妙果,無能奪者亦無與者,故不可壞。言魔擾亂,凡有二義。何等為二?一者實有惡業,為魔所擾;二者為進新學令心堅固,為魔逼試,實是菩薩真善知識現作魔來增益功德。譬如道路,以恐畏故疾度嶮難;猶如好牛,以少鞭杖則得調利。
問曰:天魔亦有是菩薩耶?答曰:非但此世界魔是菩薩,十方世界魔王者多是菩薩。如《維摩詰經》中所說,十方世界作魔王者,多是住不可思議解脫菩薩。能乞手足頭目髓腦,如是言者,皆是住不可思議解脫菩薩。何以故?若非菩薩者未堪斯事。譬如香象蹴踏非驢所及,唯諸菩薩乃能行耳。如彼廣說。以是義故,當知菩薩善知眾生種種所行,為欲顯其功德智慧方便力故,或現作殺殺者、作乞乞者。
問曰:若羅睺羅實是菩薩者,云何復言聲聞阿羅漢耶?答曰:菩薩亦名聲聞,亦名阿羅漢。何以故?令一切眾生聞阿耨多羅三藐三菩提,故名聲聞。於一切天、人、阿修羅應受供故,名為應供。菩薩摩訶薩為化眾生故,現作聲聞阿羅漢。
問曰:諸餘聲聞亦是菩薩耶?答曰:諸餘聲聞亦有是菩薩者,如《法華經》中舍利弗等五百弟子悉是菩薩,皆當作佛。一切聲聞皆是阿鞞跋致菩薩,如《不退轉法輪經》中廣說。以是故,當知菩薩皆現為聲聞。
問曰:一切聲聞皆成佛不?答曰:聲聞成佛,此亦無過。

問い:すべての声聞はみな成仏するのでしょうか。答え:声聞が成仏するということも、何ら問題はありません。

問曰:云何無過?答曰:先斷結障,後斷智障,淨治諸地向一切智,是以無過。

問い:どのようにすれば過ちがないのでしょうか。答え:まず煩悩の障りを断ち、次に智慧の障りを断ち、諸々の地を清め整えて一切智に向かうので、それゆえに過ちがないのです。

問曰:燒滅結使,如焦穀芽。云何得佛?答曰:若如汝言,斷滅結使不得成佛者。汝及一切眾生皆具諸煩惱,即應是佛。汝意若謂具煩惱人非是佛者,離煩惱者應當得佛。汝言燒煩惱結如焦穀芽而不成佛,亦無是處,我不欲令具煩惱種生佛法芽。汝癡無智、顛倒解故,謂煩惱為佛法種。阿羅漢初斷煩惱,後除智障,修菩提道得成正覺。阿羅漢中有少斷智障者、有不斷者,有得無諍三昧者、有不得無諍三昧者,有得五神通者、有不得五神通者,有得四辯者、有不得四辯者,有得禪出入自在者、有不得禪出入自在者。何以故?不斷一切智障故。

問い:煩悩の結使を焼き滅ぼすことは、焼けた穀物の芽のようなものです。どうして仏になれるのでしょうか。

答え:もしあなたの言うとおり、結使を断ち滅ぼした者が仏になれないのなら、あなたも一切の衆生もみな煩悩を具えていますから、そのまま仏であるはずです。もしあなたが、煩悩を具えた者は仏ではないとおっしゃるなら、煩悩を離れた者は仏を得るはずです。あなたが「煩悩の結使を焼くことは焼けた穀物の芽のようであり、仏にはならない」と言うのは、これもまた成り立ちません。私は煩悩の種を具えたまま仏法の芽を生じさせようとは思いません。あなたは愚かで智慧がなく、倒錯した理解をしているために、煩悩を仏法の種だと言うのです。

阿羅漢はまず煩悩を断ち、後に智障を除き、菩提の道を修めて正覚を成し遂げます。阿羅漢の中には、智障を少しだけ断じた者もあり、まったく断じていない者もあります。無諍三昧を得た者もあり、得ていない者もあります。五神通を得た者もあり、得ていない者もあります。四辯を得た者もあり、得ていない者もあります。禅の出入りが自在な者もあり、自在でない者もあります。なぜでしょうか。一切智障を断じていないからです。

問曰:云何名為智障?答曰:出世間無明名為智障。猶如娑羅留枝本行中說偈:

問い:何を智障(智慧の障り)と呼ぶのでしょうか。答え:出世間の無明を智障と呼びます。ちょうど娑羅留枝本行の中の偈に説かれている通りです。

「無明有二種, 世間出世間,
世間無明行, 賢聖已遠離。
愚癡無妙解, 不能如實知,
依止此心識, 法界諸嶮處。
未能及本原, 云何決定出?
法身證涅槃, 唯佛能了知。」

無明には二つの種類があります。 世間のものと出世間のものです。 世間の無明の行いは、 賢者や聖者はすでに遠く離れています。 愚痴な者はすぐれた理解がなく、 あるがままに知ることができません。 この心識に依り止まって、 法界のさまざまな険しいところにあります。 まだ本源に及ぶことができないのに、 どうして決定して出ることができるでしょうか。 法身は涅槃を証しますが、 ただ仏だけがよく了知することができます。

佛婆伽婆乃能知其體性智慧,及大悲斷結,是名聲聞所斷智障。聲聞有二種,一者勤修禪定,是鈍根人;二者迴向菩提,能斷智障,是利根人。樂行禪者,如《寶良經》說,猶如水精,終不能成摩尼寶珠。聲聞修禪亦復如是,終不能成菩提果也。此是諸佛境界,非我所知。一乘多乘,今但略舉其義,以明佛教不相違背。我未能了。譬如長者遠行疲極,現作化城。此經中說,但有一乘,實無有三。佛亦自說,唯有一乘,更無二三。
問曰:如來以何行得斷結使而成佛耶?答曰:經中說言,佛告阿難:能修四如意足者,若住一劫若住多劫,乃盡生死。一切諸經皆同是說。若汝言無煩惱者,我亦如是。若有親愛信歸於我,當為汝說。
問曰:云何住壽?答曰:阿羅漢無煩惱,與八住菩薩同,善修如意足故,能隨意住世,乃至盡於生死。羅睺羅、賓頭盧等盡住於世,為以此身住世、為更有餘身住?若以實身而住世者,則無其義。若變化身住壽多劫,斯有是處。亦如僧祇中說青眼如來等,為化菩薩故,在光音天與諸聲聞眾無量百千億那由他劫住,如彼天中聲聞住壽多劫。當知此界亦有聲聞能如是住。聲聞無結能如是住者,當知八地菩薩亦能如是盡生死住。
問曰:佛言彌勒菩薩一生補處。以是因緣當知菩薩有生耶?云何得名無生乎?答曰:言有生者是戲論法。菩薩摩訶薩以方便力示現受生,非是真實。如維摩詰語彌勒菩薩言:無生可得,云何如來授仁者記一生當得阿耨多羅三藐三菩提?為過去生、未來生、現在生?若以過去生,過去生已滅。未來生,未來生未至。現在生,亦無住故。如觀過去未來現在生皆不可得,是故我說八住菩薩於第二阿僧祇劫盡有作行、住無作行,如阿羅漢斷結使而說偈言:
「從初發意來, 方便行諸地,
得到第八地, 自在盡諸結。」

1 義品
3 順修諸行品

CBETA コード: T1634

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません