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title: "朝宗禪師語錄 · 上堂二"
description: "朝宗通忍禅师语录是明代临济宗高僧朝宗通忍的禅门语录，由弟子行导编纂，现存版本依驹泽大学图书馆藏本印行。该书成于明末清初，正值禅宗发展承前启后之际，记录了通忍禅师的开示、法语、机缘对话及参禅要旨，充分展现其峻烈直截的宗风。内容涵盖公案评唱、心性探究与修行实践，是研究明末临济宗思想与禅法流变的重要文献。该语录不仅传承了临济一脉的禅学精髓，亦对后世禅门修行者具有深远的指导意义，在汉传佛教语录体系中占有重要地位。"
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## 朝宗禪師語錄卷第三

> 朝宗禅師語録 巻第三

侍者　行導　編

> 侍者 行導 編

### 上堂

> 上堂

檀越五旬兼祈嗣，請上堂。僧問：「有男不婚，有女不嫁，大家團圞頭，共說無生話。如何是無生話？」師云：「一切平常。」進云：「恁麼則今古一揆也。」師云：「何須重註？」問：「世尊道：『我從賢聖法來，未曾殺生。』為甚生下兒子？」師云：「千江有水千江月。」進云：「湛堂道：『我從賢聖法來，未曾殺生。持此語未到他家，已生下兒子時如何？』意作麼生？」師云：「萬里無雲萬里天。」進云：「野老不知堯舜力，鼕鼕打鼓祭江神。」師云：「未是你底境界在。」問：「如何是大丈夫事？」師云：「巍巍堂堂。」進云：「末後如何？」師云：「灑灑落落。」僧擬議，師打，云：「又問甚麼大丈夫末後句？」問：「人人本具，箇箇圓成，今日請師陞座，更要增箇甚麼？」師云：「全憑他力。」進云：「如何是不生生底句？」師豎起拄杖。進云：「如何是生不生底句？」師橫按杖，云：「恁麼會。」進云：「千齡不足喻其永，萬壽安可齊其年？圓滿一句作麼生道？」師云：「不涉春秋。」進云：「一句迥超無量壽，今朝海屋又添籌。」師云：「盡未來際數不盡。」問：「馬祖正令，特地重興。馬祖正令則不問，且道重興一句如何舉揚？」師云：「一朝天子一朝臣」。進云：「一句親拈出，阿誰不沾恩？」師豎拄杖，云：「會麼？」僧無語而退。師云：「大似窮子遇長者。」乃云：「誰論四十九年非，百劫都盧在此時，驀地迴機無量壽，兒孫腳下好傳持。且道傳持箇甚麼？一則懼兮一則喜，綿綿相續起家門。」遂舉：「殃崛摩羅因持缽至一長者門，其家婦人正值產難，長者曰：『瞿曇弟子！汝為至聖，當有何法能免產難？』殃崛語長者曰：『我乍入道，未知此法，待我回問世尊，卻來相報。』及返，具事白佛，佛告殃崛：『汝速去報言：「我從賢聖法來，未曾殺生。」』殃崛奉佛語，疾往告之，其婦得聞，當時分娩。徑山杲禪師游方時，以此因緣請益湛堂準禪師，堂曰：『正爬著我癢處，者話是金屎法，不會如金，會得如屎。』山曰：『豈無方便？』堂曰：『我有箇方便，只是你鏟地不會。』山曰：『望和尚慈悲。』堂曰：『殃崛云：「我乍入道，未知此法，待問世尊。」未到佛座下，他家生下兒子時如何？佛言：「我從賢聖法來，未曾殺生。」殃崛持此語，未到他家已生下兒子時如何？』」師云：「一音演說，隨類現身，若向世尊言下悟去，不妨哆哆和和，但未免落在建化門頭，脫離情解，直截根源；若向湛堂言下悟去，真箇灑灑落落，但未免坐在潔白地上。須知『我從賢聖法來，未曾殺生。』其婦承世尊一言之力，聞之即得分娩，乃是當年實事，因甚湛堂道持此語未到他家生下兒子時如何？」良久，云：「落花有意隨流水，流水無情戀落花。」下座。

> 檀越が五十歳を迎え、さらに子孫繁栄を祈願して、上堂を請われた。 僧が問うた： 「男ありて婚せず、女ありて嫁がず、みなで輪になって、無生の話を語り合う。では、無生の話とは何ですか？」 師は言われた： 「すべてが平常である。」 僧が進んで言った： 「それでは、今も昔も同じ道理ですね。」 師は言われた： 「なぜ改めて注釈を加える必要があろうか。」 問うた： 「世尊が『私は賢聖の法より来たりて、未だ生を殺したことがない』と言われたのに、なぜ子を産むことができたのですか？」 師は言われた： 「千の川に水あれば千の川に月映る。」 僧が進んで言った： 「湛堂和尚は『私は賢聖の法より来たりて、未だ生を殺したことがない。この言葉を持って、まだ彼の家に着かないうちに、すでに子が生まれた時はどうするか』と言われました。これはどういう意味ですか？」 師は言われた： 「万里に雲なければ万里の天。」 僧が進んで言った： 「野の老人は堯舜の力を知らず、ドンドンと太鼓を打って江の神を祭る。」 師は言われた： 「まだあなたの境地ではない。」 問うた： 「大丈夫の事とは何ですか？」 師は言われた： 「巍巍として堂堂たり。」 僧が進んで言った： 「最後はどうですか？」 師は言われた： 「灑灑として落落たり。」 僧が考え込むと、師は打って言われた： 「また何を問う、大丈夫の最後の一句を？」 問うた： 「人は皆、本来備わり、個々に円成している。今日、師が座に昇られるのに、さらに何かを増やす必要があるのですか？」 師は言われた： 「すべて他力による。」 僧が進んで言った： 「不生不滅の句とは何ですか？」 師は杖を立てられた。 僧が進んで言った： 「生滅せざる句とは何ですか？」 師は杖を横に構えて言われた： 「このように会得せよ。」 僧が進んで言った： 「千年もその永遠さには及ばず、万寿もその年齢に並ぶことはできない。円満の一句をどうかお示しください。」 師は言われた： 「春秋に関わらず。」 僧が進んで言った： 「一句は無量寿を超え、今日、海屋にまた籌を添える。」 師は言われた： 「尽きることなき未来に数え尽くせない。」 問うた： 「馬祖の正令が、特に再び興される。馬祖の正令は問わないとして、再興の一句をどう挙揚しますか？」 師は言われた： 「一朝天子一朝臣（一朝に天子あれば一朝に臣あり）。」 僧が進んで言った： 「一句を親しく拈い出せば、誰が恩に浴さないことがあろうか？」 師は杖を立てて言われた： 「会得したか？」 僧は無言で退いた。 師は言われた： 「まるで貧しい子が長者に出会ったようだ。」 そして言われた： 「誰が四十九年の非を論じよう、百劫のすべてはこの時にあり、 突然に機を回らせば無量寿、子孫の足元に伝え持つは良し。 では、何を伝え持つというのか？ 一つは恐れ、一つは喜び、綿々と相続して家門を興す。」 そこで挙げられた： 「殃崛摩羅が鉢を持ってある長者の家の門に至った時、その家の婦人はちょうど難産に苦しんでいた。 長者が言った：『瞿曇の弟子よ、あなたは至聖であるから、難産を免れる法があるはずだ。』 殃崛は長者に言った：『私は道に入ったばかりで、この法を知らない。世尊に問い、戻って報告しよう。』 戻って事の次第を仏に告げると、仏は殃崛に告げられた：『急いで行って「私は賢聖の法より来たりて、未だ生を殺したことがない」と伝えよ。』 殃崛は仏の言葉を奉じて、急ぎ告げに行くと、その婦人はこれを聞いて、たちまち出産した。 径山の杲禅師が遊方の時、この因縁について湛堂準禅師に請益した。 堂は言われた：『ちょうど私の痒い所を掻いてくれた。この話は金屎法だ。会得しなければ金の如く、会得すれば屎の如し。』 山が言った：『方便はないのですか？』 堂は言われた：『私に方便はあるが、あなたはどうしても会得できないだろう。』 山が言った：『和尚の慈悲を望みます。』 堂は言われた：『殃崛が「私は道に入ったばかりで、この法を知らない。世尊に問おう」と言った。仏の座下に着かないうちに、彼の家で子が生まれた時はどうするか？仏が「私は賢聖の法より来たりて、未だ生を殺したことがない」と言われた。殃崛がこの言葉を持って、まだ彼の家に着かないうちに、すでに子が生まれた時はどうするか？』」 師は言われた： 「一音で演説し、類に随って身を現す。 もし世尊の言葉の下で悟るならば、もとより和やかではあるが、建化の門頭に落ちることは免れず、情解を離れ、根源を直截する。 もし湛堂の言葉の下で悟るならば、真に灑灑落落たるものではあるが、潔白の地に坐することを免れない。 知るべきである、『私は賢聖の法より来たりて、未だ生を殺したことがない』と。 その婦人は世尊の一言の力によって、これを聞いてたちまち出産した。これは当時の実事である。 なぜ湛堂は『この言葉を持って、まだ彼の家に着かないうちに、すでに子が生まれた時はどうするか』と言われたのか？」 しばらくして、言われた： 「落花は流水に随う意あり、流水は落花を恋うる情なし。」 下座。

逢源禪人為母八旬，請上堂。師云：「威音那畔者箇賊，八十年來藉渠力，但能奉事不相違，世出世間真報德。壽山高聳不可量，孝道深長胡有極？俗僧母子盡逢源，慶讚如斯千古式。」下座。

> 逢源禅人が母の八十歳を祝い、法話を請う。師は言われた： 「威音王仏以前からのこの賊（心）、八十年来その力に頼り、 ただひたすら仕え背かぬならば、世間も出世間も真の恩返し。 寿山は高くそびえて測りがたく、孝道は深く長く果てしなし。 俗世と僧侶、母と子はすべて源に逢い、このような慶びを讃えるは千古の模範。」 座を下りる。

尼省宗施帽，請上堂。尼問：「古佛陞座，梵剎重興，某甲為眾結般若緣。」師云：「大眾盡知。」進云：「普門示現時如何？」師打云：「現比丘尼身說法。」進云：「生死不明，乞師開示。」師云：「會麼？」尼無語。師云：「比丘尼定是師姑。」遂舉：「尼無著玅總禪師在徑山入室，山問：『古人不出方丈，為甚麼卻去莊上喫油餈？』進云：『和尚放玅總過，方敢通箇消息。』山云：『我放你過，你試道看。』總云：『玅總亦放和尚過。』山云：『爭奈油餈何？』總一喝而出。」師云：「同生同死、雙放雙收則不無，二老仔細簡點將來，喫油餈話總未在。」乃豎拂子云：「大眾還見油餈麼？」擲下云：「三十年後不得道寶華教壞人家男女。」下座。

> 尼僧が宗施帽を整え、上堂を請う。尼が問う。「古仏が座に昇り、梵刹が再び興る。私は大衆のために般若の縁を結びます。」師は言う。「大衆は皆、知っている。」進んで言う。「普門が姿を現す時はどうなりますか？」師は打って言う。「比丘尼の身となって説法する。」進んで言う。「生死がわからず、師にご開示を乞います。」師は言う。「わかるか？」尼は無言。師は言う。「比丘尼は確かに師姑である。」そこで挙げる。「尼の無著妙総禅師が径山で入室した時、山が問う。『古人は方丈を出ないのに、なぜ庄へ行って油餈を食べたのか？』進んで言う。『和尚が妙総を通してくだされば、ようやく消息を通じさせます。』山は言う。『お前を通してやる、言ってみよ。』総は言う。『妙総も和尚を通します。』山は言う。『油餈はどうする？』総は一喝して出た。」師は言う。「同生同死、双放双収は確かにあるが、二老が仔細に点検してみると、油餈の話はまだ十分ではない。」そこで払子を掲げて言う。「大衆はまだ油餈が見えるか？」投げ下ろして言う。「三十年後、宝華が人々の男女を教え損なったと言ってはならない。」下座。

上堂。師云：「知幻即離，不作方便；離幻即覺，亦無漸次。且喚甚麼作幻？四大、五蘊，明、暗，色、空，善念、惡念，順境、逆境，以至真如、佛性，菩提、涅槃，凡世、出世間一切諸法，皆是自心中所現底影像，無有實體。既無實體，豈可向者裏生心動念、較計籌量，說是、說非，自纏、自縛？所以，識心達本底人盡大地是箇解脫門。」驀豎拂子，云：「既是解脫，因甚喚者箇作拂子？」擲下，云：「若不藍田射石虎，幾乎誤殺李將軍。」下座。

> 上堂。師は言われた：「幻と知れば即ち離れる、方便を作さず。幻を離れば即ち覚る、また漸次もなし。さて、何を幻と呼ぶのか？四大・五蘊、明・暗、色・空、善念・悪念、順境・逆境、さらには真如・仏性、菩提・涅槃、世間・出世間の一切の諸法は、すべて自心の中に現れた影像であって、実体はない。実体がないならば、どうしてここで心を動かし念を起こし、分別し計らい、是だと言い非だと言い、自ら縛り自ら縛られようか？ゆえに、心を識り本源に達した人は、大地のすべてが解脱の門である。」 突然、払子を立てて言われた：「解脱であるならば、なぜこれを払子と呼ぶのか？」 払子を投げ下ろして言われた：「もし藍田で石の虎を射なければ、ほとんど李将軍を誤って殺すところであった。」 下座。

行自祝髮，請上堂。舉：「徑山國一欽禪師因崔趙公問：『弟子出得家否？』欽云：『出家乃大丈夫事，非將相之所能為。』後遵最李附馬問谷隱聰禪師出家事，聰以前語告之，馬於言下大悟，作偈曰：『學道須是鐵漢，著手心頭便判，直趨無上菩提，一切是非莫管。』」師云：「徑山一弩直破重圍，駙馬一騰便登千仞，成佛作祖須還他純鋼鑄就底漢始得。寶華今日雖是不敢妄生節目，要且各盡所長，男婚女嫁灼有來繇，削髮披緇更為超脫。在家出家則且置，如何是大丈夫事？直下不教毫髮剩，優缽羅華火裏開。」下座。

> 自ら髪を剃り、上堂を請う。挙すに、「径山の国一欽禅師、崔趙公の問いに因る：『弟子、出家し得るや否や？』欽云く：『出家はこれ大丈夫の事、将相の能く為す所に非ず。』後に、遵最李の駙馬、谷隠聰禅師に出家の事を問う。聰、以前の語を以てこれに告ぐ。駙馬、言下に大悟し、偈を作って曰く：『学道は須らく是れ鉄漢たるべし、著手すれば心頭便ち判ず、直ちに無上菩提に趨り、一切の是非管る莫れ。』」師云く：「径山の一弩、直ちに重囲を破り、駙馬の一騰、便ち千仞に登る。成仏作祖は須らく還た彼の純鋼の鑄就せる漢に還さざるべからず。宝華、今日は是れ妄りに節目を生ずることを敢えざるも、要は且く各おの長を尽くすべし。男は婚し女は嫁ぎ、灼然として来繇有り。髪を削ぎ緇を披くは、更に超脱を為す。在家出家は則ち且く置く。如何が是れ大丈夫の事なるや？直下に毫髪をも剩さしめず、優鉢羅華、火裏に開く。」下座。

上堂。僧凡問，師皆不答。眾問畢，師云：「饒你百千萬億人興百千萬億問，寶華只是一箇不答話，汝等伎倆一時盡情折倒了也。為甚如此？不但世間麤重五欲，只如佛法便是生死大兆。諸人聞恁麼道，且道合作麼生行履？」良久，云：「劍去久矣，爾乃刻舟。」復云：「諸人不能直下便透，都緣不遇作家打頭，做工夫處先錯了也。寶華偶成一偈，舉似大眾，以作警策。」乃云：「嗟今學道人，道念何淺小？雖然參話頭，不沉便是掉。塵境亂紛紛，胸懷昏擾擾，醉象沒深泥，生死何年了？有志丈夫兒，不須打之遶，提起金剛王，直下便分曉。坐斷千仞巖，翻身百尺秒，度脫盡未來，願力還嫌少。」下座。

惺中禪人五旬母難日請上堂。師云：「百歲光陰半已過，假饒百歲便如何？頂門未具摩醯眼，至竟難逃生死魔。且生死魔作麼生逃？常將知命年，時時自著急，參箇死話頭，歇心如繫縶。歇到歇亦無，連話亦不立，是名離念時，全身俱證入。且道入後又作麼生？」良久，云：「說食從來不飽人，但得本兮莫愁末。」下座。

結冬日，上堂。云：「衲子叢叢來結冬，為圖禪榜挂心空，寶華普賜出身第，免見徒勞別用功。」以拂子左右點，云：「箇箇心安似海，人人機活如龍。」下座。

上堂。僧問：「如何是轉功就位？」師云：「你道甚麼？」進云：「如何是轉位就功？」師云：「山僧盡情與你說破。」進云：「如何是功位齊彰？」師豎拄杖，云：「會麼？」進云：「如何是功位齊隱？」師橫杖案上，斂手而坐。進云：「功位已蒙師指示，第一義諦意云何？」師云：「衲被蒙頭萬事休，此時山僧都不會。」進云：「者莫是自受用處麼？」師云：「錯下註腳。」僧擬議，師便打，乃云：「淨裸裸坐斷千差，赤灑灑全身獨露，上是天、下是地，左是禪堂、右是方丈，前面是佛殿、者裏是法堂，真箇是無所住大解脫底境界。既然如是，為甚喚作竹篦則觸、不喚作竹篦則背？不見道：莫動著，動著打折你腰。」下座。

上堂。刷印僧問：「即心即佛則不問，非心非佛是如何？」師云：「非你境界。」進云：「為甚又道不是心、不是佛、不是物？」師云：「三重四重去也。」進云：「只如三點如流水，曲似刈禾鐮，又作麼生？」師云：「猶是名言。」進云：「畢竟如何？」師云：「裝書去。」進云：「恁麼則表裏混融去也。」師云：「裝完了書與你說。」遂舉：「黃龍慧南禪師，一日州府委請黃檗長老，龍垂語云：『鐘樓上念讚，床腳下種菜。』」師云：「百匝千重。『有人下得語契，便往住持。』勝首座云：『猛虎當路坐。』」師云：「一口吞盡。龍遂令住黃檗。有洞山真淨禪師參香城順和尚，順問：『甚處來？』淨云：『黃龍來。』順云：『黃龍近日有何言句？』淨遂舉前話，師云：『逐塊韓盧。』順不覺云：『勝首座秖下得一轉語，便得黃檗住，佛法未夢見在。』」師云：「咬人師子。淨於言下大悟，方知黃龍用處。」師云：「金屑雖貴，落眼成翳。乃頌云：不是床兮不是鐘，當陽獨據展家風，香城老子重揮劍，四海從茲信息通。」下座。

元旦，上堂。師云：「新年頭佛法有，大悲臂上添手；新年頭佛法無，師姑頷下割鬍。寶華別有通霄路，兩行對立嘴盧都。只如應時納祐一句又作麼生？斗柄回春處，風光奪目時。」下座。

上堂。師舉大顛擯首座，云：「扣齒三下，鎔百八於洪爐；擯出首座，拔韓公之見刺。頭尾相稱，殺活齊施，真乃上古風規、今時樞要。大眾！要續慧命於無窮，須具透關眼始得。」乃揮拂云：「且道昔日大顛擯首座，與今日寶華揮拂子，是同是別？八字眉毛眼上橫。」下座。

開爐，結制，上堂。云：「冬天開爐夏結制，自古叢林以為例，寶華不逐古人行，每每結開同一際。然雖如是，法當末劫，時值亂離，依舊三食粥飯，兩度普請，平平穩穩，過了一冬。有箇末後句，待春風解凍時，不妨舉似眾兄弟。」良久，云：「咄！且莫較古論今、思前算後，各歸衣缽下，板響赴齋堂。」下座。

上堂。云：「窮玄體玅，生死根株；說悟論迷，葛藤窠曰。伶俐漢一刀截斷，千眼頓開，含裹十虛，渾融三際，頭頭得活，處處無根，拈一莖艸作丈六金身用，將丈六金身作一莖艸用，不為分外。然直饒與麼地，更須尖頭屋下、折腳鐺邊，燒榾柮柴、喫瓔珞粥，大忘人世，寂滅身心，卸卻千匝萬重，伸出三頭六臂，方有語話分。若旋蒸熱賣底淺丈夫，到者裏正所謂金剛圈、栗棘蓬，吞不得、跳不得也。即今莫有吞跳得者麼？」良久，云：「仲冬嚴寒，各宜保護。」下座。

冬至日，上堂。僧問：「剎那便到華山時如何？」師云：「腳跟下不曾動一步。」進云：「青天白日。」師云：「瞎。」進云：「潘閬倒騎驢又作麼生？」師云：「切忌回頭顧腦。」進云：「把住時乾坤失色，放行時瓦礫生光。」師云：「從來不做者春夢。」僧一喝，師云：「果然未醒在。」乃云：「冬至一陽生，萬法從茲起，試問起何來？浩瀚無窮底。若一舉便知者，直下穿通；若三搭不回者，徒勞比擬。」喝一喝。遂舉：「僧問趙州：『萬法歸一，一歸何處？』州云：『我在青州做領布衫重七斤。』」又舉：「高峰道：『設有人問：「萬法歸一，一歸何處？」但向他道：「狗舐熱油鐺。」』」師云：「二大老一人向高高山頂立，一人向深深海底行，雖然有放有收，有殺有活，未免分疆立界，情見未忘。寶華今日設有人問：『萬法歸一，一歸何處？』直向無陰陽地上平實鋪舒，不動纖毫，令他與佛祖為師去也。」乃云：「天外寒風雖凜冽，山中和氣自氤氳。」下座。

中軍行仁王居士請上堂。舉：「雲居佛印元禪師因西塞帥王公韶自以殺業重，祈為澡雪，請說法上藍。印炷香，云：『此香為殺人不眨眼上將軍立地成佛大居士。』眾稱善，韶亦悠然意消。」師云：「殺人不眨眼，報障未消；立地便成佛，罪福如幻。此常情之論也。因甚雲居卻把殺人不眨眼底上將軍便做立地成佛底大居士麼？點石化為金玉易，勸人除卻是非難。」下座。

上堂。云：「心外無法，我閒則萬象俱閒；法外無心，我鬧則萬象俱鬧。所以，從上古人於千差萬別之中拽轉繩頭，消歸自己，十二時中無絲毫空缺之地。不見世尊因長者家有產難，卻云：『我從賢聖法來，未嘗殺生。』馬祖因百丈道：『野鴨飛去。』卻扭丈鼻，云：『又道飛過去了也。』玄沙因天龍見虎，卻云：『是汝。』趙州因院主鴉見飛去，卻代云：『為某有殺心在。』此豈不是不為物轉，能轉一切底樣子？若非性地明白、操履精純，焉能如是蓋天蓋地、亙古亙今？然雖如是，也是無事生事。」下座。

元旦，上堂。舉：「高峰示眾：『百年難遇歲朝春』」，師云：「只是現今更無時節，『奼女梳妝越樣新』」，師云：「好酒不須懸望子，『醋酸何必挂葫蘆？惟有東村王大姐』」，師云：「也未有丈夫氣在，依前滿面是埃塵。」師云：「早已效顰了也。高峰老祖揚抑當時，發明向上宗眼，美則美矣，善則未善。何故聻？不合分舊、分新，分好、分醜。不肖忍俊不禁，亦和一偈：即今便是歲朝春，遍界欣欣覺一新，誰識都盧皆舊物？何須特地起情塵？忽有箇衲僧出來道：『和尚恁麼道，亦未離新舊在。』但向他道：『山僧不離新舊，慣使得新舊。闍黎若不離時，定被新舊使殺也。』」下座。

大悲誕辰，上堂。師云：「菩薩受生為何事？為度眾生出生死，生死結解惟六根，一返六解生死止。不自觀音自返聞，根塵脫落性為尊，圓通證得三真實，拔苦興慈應普門。既然如是，觀音大士降生也。且道即今在甚麼處？」拍香案一下，召大眾云：「還聞麼？頻呼小玉元無事，秖要檀郎認得聲。」下座。

上堂。僧問：「五戒不持，人天路絕。即今便有五戒不持底，請師一接。」師云：「我也不愛上天堂。」進云：「黃金自有黃金價，終不和沙賣與人。」師云：「非汝境界。」進云：「只如五戒堅持、人天路絕又作麼生？」師云：「正好消息。」進云：「婬房酒肆無非清淨道場，此猶是生死岸頭事，作麼生是向上一著？」師云：「切莫亂道。」乃云：「圓凝湛寂處，殺活縱橫；殺活縱橫時，圓凝湛寂。既非二揆，且不一致。拈一句，千句百句光輝；示一機，千機百機歷落。一一全身獨露，明明百匝千重。事事無礙則且置，獨脫一句作麼生？」良久，云：「饑來喫飯困來眠。」下座。

上堂。僧問：「日中浩浩作得主，夜間夢寐作得主，無夢無想主人公，請師指示。」師云：「待你日中夢中作得主時，即向汝道。」進云：「或有或無，將何把定？」師打云：「主也不識，說甚麼有無？」僧禮拜。師云：「你道適纔者一棒，是打在有處？打在無處？」進云：「不會。」師云：「純覺遺身，斯為第一。」乃云：「透過三空，方獲無生法忍；直施三頓，管教活脫無依。《楞嚴經》道：『此根初解，先得人空』，一拳拳倒黃鶴樓；『空性圓明，成法解脫』，一腳趯翻鸚鵡洲。法解脫已，俱空不生，有意氣時添意氣，不風流處也風流，三空遣過，三頓顯真。寶華今日將有次第底三空合無次第底三頓，經即是棒，棒即是經，互相涉入，掇在諸人面前，要諸人跳釋迦老子底金剛圈、吞黃檗大師底栗棘蓬。果然吞得跳得，經依舊是經，棒依舊是棒，經還釋迦老子，棒還黃檗大師，於諸人分上總淺交涉。然雖如是，只如興化於大覺脫下衲衣，痛與一頓，言下悟得臨濟先師在黃檗處喫棒底道理又作麼生？玅觸宣明佛子住，遺身純覺拂蒿枝。」下座。

上堂。師舉諸佛出身處話，云：「東山行水上，雲門坐斷千差；薰風自南來，佛果尋常一味。高峰道：『二老雖具頂門正眼，愨其本源，天地懸隔。』雖然，高峰也是填墨順朱，未解證龜成鱉。須知壁立萬仞處淨裸裸，平田淺艸裏峭危危，十字街頭相逢卻在千峰頂上握手，千峰頂上相逢卻在十字街頭握手，便見二老主賓互換、著著出身之機。既然如是，只如永明壽禪師道：『石牛生象子，木女孕嬰兒，諸佛從中出，最初成道時。』意作麼生？不許夜行，投明須到。」復舉：「僧禮拜天童密雲和尚次，童云：『拜作甚麼？』僧云：『求授記作佛。』童云：『直饒作得，也是分外。』」師云：「先師雖是一期剿絕，未免語上偏枯，令者僧至今坐在萬仞峰頭轉身不得。今日寶華有求授記作佛者，但向他道：『釋迦已過去，彌勒猶未來。』管教他如龍得水、似虎靠山。」下座。

四月八日，檀越供法衣，請上堂。師云：「佛佛授手，咸此法衣。彌勒千丈之軀，披來不短；釋迦丈六之身，搭來不長。今日披在寶華身上，耀古騰今，光明赫奕，正偏咸稱，左右逢源，入淨入穢，現土現身，利物應機，辨魔簡異。臨濟道：『我共你入淨玅國土中，著清淨衣說法身佛；入無差別國土中，著無差別衣說報身佛；入解脫國土中，著光明衣說化身佛。』三種國土皆是依變。諸人當知：一切佛法，教則頓漸偏圓、宗則三玄五位，皆是衣，不得在衣上認青、認黃、認赤、認白，須認著衣底人方有入作分。彩雲影裏仙人現，手把紅羅扇遮面，急須著眼看仙人，莫看仙人手中扇。寶華今日將佛衣、法衣一時脫卻，應時即事為諸人露箇消息去也。」良久，云：「𩖼𩖼熏風來入奏，赤條條地我為尊。」下座。

慧雲禪人請上堂。師云：「大事未明，如喪考妣，無明貪愛本無依，廢寢忘食成分外。大事已明，如喪考妣，智度方便閒家具，泥牛入海杳無蹤。今日慧雲上座請寶華陞座說法以薦考妣，且道所薦底考妣是無明貪愛邪？智度方便邪？」良久，云：「當陽薦取自家底，下載清風付與誰？」下座。

上堂。云：「若論此事，忒煞現成。佛祖未出世以前也恁麼，佛祖既出世以後也恁麼，即今以至盡未來際也恁麼，亙古亙今，騎聲蓋色，釋迦不出世，達磨不西來，佛法遍天下，談玄口不開。何故聻？本覺始覺，菩提涅槃，棒喝機鋒，三玄五位，盡是佛祖出世後與人應病底藥，非佛法也。須知器界則風動雲起、夜暗晝明，根身則饑食渴飲、閒坐困眠，一一現成，頭頭獨脫，曾無間於已出未出，何待佛祖出世方為佛法？秖因日用不知，向外馳求，不能迴機合本，勞他佛祖出世為汝點破、為汝證明也。昔有學人參一老宿，每入室請益，未及開口，宿便搖手云：『未在，未在，且去。』屢屢如是。一晚，學人於中夜驀然省得，歡喜無量。次早入方丈，宿見便點首云：『是也，是也。』諸人試看：還知未在，只是與他點破；是也，只是與他證明。中夜猛省，只是當人一念迴機便同本得也，幾曾有一法授受來？諸人果要脫死超生，但向未開口前迴機猛省一回，自然慶快無量。古人云：『若要脫生死，須透祖師關。』正是者箇時節。如何是關？即當人本無生死底是。既是本無生死，用透作麼？若不透，即有也。既然如是，且作麼生是本無生死底？」良久，云：「炎炎六月火生冰，夜半日輪當午炤。」下座。

理道人等請上堂。師舉：「師子端禪師有尼僧參，端云：『待來日五更來見。』至侵晨，端紅粉搽面而坐，尼入見，驚而悟。」師云：「端師子非女而現女身，巧為接引；尼僧雖現女身而非女，悟徹根源。所以舍利弗問天女言：『汝何不轉女身？』女言：『我從十二年來求女人相了不可得，當何所轉？』俊哉！此女宛有丈夫之作。既求女人相了不可得，則求男人相亦了不可得；既男女相了不可得，則五陰、六入、十二處、十八界俱了不可得；既陰、入、界、處了不可得，則山河大地、明暗色空俱了不可得。身心一如，身外無餘，不是撥有歸無，當知本來如是。但看端師子非女而現女身，便見諸法從本來常自寂滅相也。山僧昔年曾頌云：『僧中女子，滿面慚惶；女中丈夫，一笑承當。從今醜態當回護，不必胭脂花粉妝。』大眾！作麼生是難回護底醜態？不見道：非男非女。」下座。

上堂。舉：「法海禪師參六祖，問曰：『即心即佛，願垂指諭。』祖曰：『前念不生即心，後念不滅即佛；成一切相即心，離一切相即佛。吾若具說，窮劫不盡。聽吾偈曰：即心名慧，即佛乃定；定慧等持，意中清淨。悟此法門，繇汝習性；用本無生，雙修是正。』法海言下大悟，以偈讚曰：『即心元是佛，不悟而自屈；我知定慧因，雙修離諸物。』」師云：「前念不生，則全體寂滅；後念不滅，則了了常知。成一切相，則法法全該；離一切相，則一法不立。須知全體寂滅時，恰恰了了常知；了了常知時，恰恰全體寂滅。成一切相底，正是一法不立；離一切相底，正是法法全該。即心名慧，便非妄覺之慧；即佛乃定，便非滯寂之定。故為定慧等持。達磨西來直指人心，即心即佛之旨無過此矣。寶華亦有一偈，雖無另出手眼，不妨重為申明。」乃云：「心是本來心，佛乃當下即；一句該古今，雙修離空色。寂寂既非沉，惺惺亦非憶；脫體而現前，身心黑如墨。」下座。

結制，上堂。乃云：「九旬禁足處，掙眉努目，分明枉受劬勞；三請陞堂時，鼓舌搖脣，總是遞相鈍置。寶華今日曲順人情，既陞此座，不避譏嫌，只得將諸佛說不到底法、諸祖提不起底機，向上關、末後句，一時舉向諸人，令教一箇箇不費纖毫，向長連床上伸腳打眠，自繇自在去也。諸人急須著眼。」乃顧視大眾，以手指云：「奇哉！奇哉！一箇箇底鼻孔大頭都向下。」眾擬議，師云：「晴乾須急走，莫待雨淋頭。」便下座。

李門劉氏請上堂。舉：「釋迦佛時，城東有一老母與佛同生，不欲見佛，每見佛來，即便回避。雖然如是，回顧東西總皆是佛，遂以手掩面，乃至十指掌中總皆是佛。」師云：「還知與佛同生，不欲見佛底意麼？渠今正是我，我今不是渠。還知不欲見佛，東西皆佛，乃至十指掌皆佛底意麼？我今獨自往，處處得逢渠。雖然，只如佛乃三界大師、四生慈父，者老婆因甚卻不願見至此？既不願見佛，又偏偏出現，畢竟是箇甚麼意？且現前諸人朝參暮請，萬苦千辛，打七打三，不過求見佛，卻又不得一見，畢竟過在於何？」良久，云：「罔象到時光燦爛，離婁行處浪滔天。」下座。

上堂。舉：「雲居舜禪師在洞山會下作化主，一日如武昌行乞，首謁劉居士，士曰：『老漢有一問，若相契即請開疏，若不相契即請還山。』遂問：『古鏡未磨時如何？』舜曰：『黑漆漆地。』『磨後如何？』舜曰：『炤天炤地。』士長揖曰：『且請上人還山。』舜懡㦬而歸，洞山問其故，舜述前語，山曰：『汝問我。』舜理前問，山曰：『此去漢陽不遠。』」師云：「點即不到。舜進後語，山曰：『黃鶴樓前鸚鵡洲。』」師云：「到即不點。」乃云：「體中全具，當頭一拶最風流；用上旁通，略露目前成鈍置。須知古人收中有放、放中有收，可貴可賤、同死同生，決不是定相法門、常流見解。未磨已磨則且置，只如洞山即今在甚麼處？一道清虛亙古今，八角磨盤空裏走。」下座。

靜鑒禪人薦楚林禪德，請上堂。云：「昔不往，今不來，白雲流水空悠哉，觸處明明無間隔，秖要當人正眼開。」乃豎起拂子，云：「者便是楚禪德，諸人還見麼？今既不來，見箇甚麼？還不見麼？昔既不往，又作麼生不見？若道見，正眼未開在；若道不見，正眼未開在。識取鉤頭意，莫認定盤星。」擲下拂子，云：「大眾！」喝一喝，遂舉：「昔有七賢女遊尸陀林，一女指尸曰：『尸在者裏，人在甚處去？』一女曰：『作麼？作麼？』諸姊諦觀，各各契證。感帝釋散花，曰：『惟願聖姊有何所須，我當終身供給。』女曰：『我家四事、七珍悉具足，惟要三般物：一、要無根樹子一株；二、要無陰陽地一片；三、要叫不響山谷一所。』帝釋曰：『一切所須，我悉有之；若三般物，我實無有。』女曰：『汝若無此，爭解濟人？』帝釋罔措。」師云：「灼然無此三物，爭解濟人？苦哉！帝釋被者女鈍置一上。若是山僧，但拈起一株花召聖姊，云：『且道者是甚麼地？』管教聖姊頓脫所見，別立生涯。」下座。

上堂。舉：「丹霞然禪師因過一院，值凝寒，遂於殿中見木佛，乃取燒火向。院主偶見，訶責曰：『何得燒佛？』霞以杖撥云：『吾燒取舍利。』主云：『木佛何有舍利？』霞云：『既無舍利，更請燒之。』院主自此眉鬚墮落。應菴華禪師云：『諸方商量道：「院主忽後疑心而致斯禍。」又云：「院主天寒，不與丹霞火向，致令燒卻木佛，遂乃眉鬚墮落。」殊不知院主買鐵得金，一場富貴。』高峰玅禪師云：『丹霞燒木佛，為寒所逼，豈有他哉？院主眉鬚墮落，偶爾成文，何足疑矣？若作佛法商量，管取入地獄如箭。』」師云：「應菴轉禍為福，直顯唯心；高峰見怪不怪，秖圖無事。敲枷打鎖，二翁灼有來繇，要契眉鬚墮落底意，直是未在。」乃舉拂云：「者便是院主墮下底眉鬚，諸人還見應、高二祖在拂子頭上主賓互換，各自稱尊，不能相下，獨有丹霞老人旁觀袖手，冷笑不言麼？且道笑箇甚麼？」揮拂云：「一家有事百家忙。」下座。

上堂。云：「盤山道：『向上一路，千聖不傳。』慈明道：『向上一路，千聖不然。』楊岐道：『口上著。』既是口上著，因甚卻不傳、不然？秪為分明極。」下座。

元旦，上堂。舉：「香嚴閒禪師云：『去年貧，未是貧；今年貧，始是貧。去年貧，猶有卓錐之地；今年貧，錐也無。』洞山文禪師云：『去年富，未是富；今年富，始是富。去年富，唯有一領黑黲布褊衫；今年富，添得一條百衲山水袈裟。歲朝抖擻呈禪眾，實謂風流出當家。』」師云：「香嚴貧中賣富，洞山富裏顯貧，雖然一對無孔鐵鎚，只是不耐寒暑，論富論貧，殊欠大人氣度。寶華則不然。」乃起身抖擻，云：「去年也秖是者箇，不曾見甚麼貧。」又抖擻，云：「今年也秖是者箇，不曾見甚麼富。去歲今年事不差，著衣喫飯是生涯，那來貧富能增減？特地翻成眼裏華。」下座。

密運禪人薦師淨虛，請上堂。云：「此心本淨若虛空，生死難將著此中，達得根身原屬借，方知潰散不成終。常光自古熾然現，法眼從茲應念融，觸處全身無障礙，棒頭喝下顯家風。」驀拈拄杖左右點，云：「淨虛來也，急著眼。」喝一喝，下座。

體倫郭居士薦考妣，請上堂。舉：「百丈懷海禪師一日因一女子哭上法堂，丈云：『作甚麼？』女云：『父母俱喪，請師選日。』丈云：『明日來，一時埋卻。』」師云：「女子全身甲冑直透重圍，百丈坐籌幃幄決勝千里，要得家邦平帖，須是二老始得。汾陽昭和尚頌云：『百丈山頭坐不遙，女子山下哭嗥咷，一時埋向清涼地，至孝方能今古超。』當知人人分上有片清涼地，超今越古，蓋色騎聲，但向父母俱喪一時埋卻處透得，自然獨露無私去也。且如何是清涼地？問取齋主孝子郭居士。」下座。

佛誕日，養自郭居士薦親，請上堂。舉：「僧問天童密雲和尚：『大事已明，為甚麼如喪考妣？』童云：『唯我獨尊。』」師云：「欲識佛性義，當觀時節因緣。諸人若會得如喪考妣底意，居士為你證明；若會得唯我獨尊底意，世尊為你證明；若一總俱會，天童和尚和你證明；若一總俱不會，山僧為你證明。為甚如此？箇箇頂天立地，人人鼻直眉橫。」下座。

上堂。舉：「第一代寶壽禪師問第二代寶壽云：『父母未生已前，那箇是你本來面目？』二代寶壽罔措。一日，在市見二人相爭，有一人相勸云：『你得恁麼無面目？』壽遂大悟。佛果禪師拈云：『築著磕著，當頭彰本地風光；應色應聲，直下無私毫逗漏。還會他道得恁麼無面目麼？龍袖拂開全體現。』」師云：「寶壽與麼會，佛果與麼拈，總來祇得一橛在。若要傳持正法眼藏，直須洪爐煆過始得。具眼者試辨看。」下座。

峙東郭居士三旬請上堂。云：「孔子當年壽七旬，卻從三十立其身，而今居士年三十，未審如何達性真？還知立身達性底意麼？」起身以手上下指，云：「鳶飛戾天，魚躍於淵，我之上下察也。」下座。

上堂。舉：「道吾禪師一日往檀越家弔慰，漸源侍者拊棺云：『生邪？死邪？』吾云：『生也不道，死也不道。』源云：『為甚麼不道？』吾云：『不道，不道。』歸至途中，源攔住云：『和尚今日須與某甲道，若不道，打和尚去在。』吾云：『打即任打，道即不道。』源便打。吾歸院云：『汝宜離此，恐知事得知不便。』源乃禮辭，隱於村院。一日，聞誦《觀音經》『應以比丘身得度者即現比丘身』，乃大悟。」師云：「道吾垂絲下餌，意在深潭；漸源破浪離鉤，身騰碧漢。高高山頂立，深深海底行，要明恁麼事，須是恁般人。敢問大眾：既是生死不道，因甚又卻現身？行到水窮處，坐看雲起時。」下座。

## 朝宗禪師語錄卷第三