序
序文
曹谿演派而後,諸家皆有語錄行世,多者至數十萬言,汪洋浩瀚,大發本地風光,要非鋪張文采,總見源頭活水。信手拈來,一言半字悉真機,自然無可捉摸,桶底既脫,無處無物非上上機也。若學人執著語錄,要見古德本來,又似逐兔尋角、捉龜覓毛,何啻千里萬里矣!我 林公大和尚,慧本於天,誠秉於性,少而經教融通,得西來心印,長而悟明宗旨,傳臨濟正法,可謂真人天大宗師也。然而素不喜侈文詞,惟於集眾陞座,時時拈本分語開示緇素輩,學人集而成錄,強之行世。和尚曰:「爾等又欲瞎人眼睛耶?」余曰:「金鎞撥眼在是矣!和尚慈悲,何忍昏天黑地,不燃一盞古燈,透明三界,使物物智珠咸登淨琉璃地歟?世之讀是錄者,尚從無文字處見和尚即見自己,究竟自己與和尚不知都銷歸何處?推倒,扶起!扶起,推倒!咄!一場大笑。珍重,珍重!」
曹谿禅の流れを汲んで以降、各家とも語録を世に残している。 多いものは数十万言にも及び、浩瀚として、まさに自身の本地風光を大きく顕かにしている。 決して文彩を飾るためではなく、本源から湧き出る生きた水を示しているのである。 手にとってみれば、一言半句の中に真の機微が宿り、掴もうとしても掴めない。 桶の底が抜ければ、あらゆる場所、あらゆるものが最上の機であることがわかる。 もし修行者が語録に執着して、古徳の本来の姿を見ようとするならば、 それはまるで兎を追いかけて角を探し、亀を捕らえて毛を探すようなもの。 千里万里の隔たりがあると言わざるを得ない。 我らが林公大和尚は、慧根を天に持ち、誠実さをその本性に備え、 若くして経教に通じ、西天からの心印を受け継いだ。 長じて宗旨を悟り明らかにし、臨済の正法を伝える。 まさに人天の大いなる宗師というべきである。 しかしながら、もともと華美な言葉を好まず、 ただ大衆を集めて高座に上る時、折に触れて本分の語をもって僧俗に開示された。 学人たちがこれを集めて録とし、無理に世に出そうとした。 和尚は言われた。「お前たちは、また人の目を潰そうというのか。」 私は申し上げた。「それはまさに、金の鎞で眼を開くことでございます。 和尚さま、どうか慈悲をおかけください。 昏天黑地の中にあって、古の灯火を一つ灯し、三界を照らし、 すべてのものの智慧の宝珠を、清らかな琉璃の地にあらしめずにおられましょうか。」 この録を読む世の人々は、どうか文字のないところに和尚を見、 そして自身を見てほしい。 ついに、自身と和尚が、いずこに消え去ってしまうのかを究めてほしい。 押し倒し、起こす。 起こし、押し倒す。 咄! これは一場の大笑いである。 珍重、珍重。
關中髮頭陀于昌胤沐手和南書
关中(中国陕西地方)で髪を結った修行者・于昌胤が、手を洗い、心を込めて南無(敬礼)の意を表し、書をしたためました。