廣福山勝覺寺密印禪師語錄卷第四
広福山勝覚寺密印禅師語録 巻第四
門人如暐等編
小參
師住迴龍禪院小參。有僧出問,師打退,乃云:「迅機捷辯,盡是空華濃澹;越格超宗,分明兔角短長。所以道:司南之車,本示迷者;照膽之鏡,為鑑邪人。倒拈鋤柄,平開凡聖滯路;縱使鋒鋩,斷盡生死根株。若論向上向下,潑油救火;說性說心,對臉揚塵。一毫不了,千重宛轉;二執未融,萬般障礙。門庭施設,搆起干戈;入理深談,返成滯見。豈不聞:機輪轉處,智眼猶迷;寶鑑開時,纖塵不度。到者裏,不勞展演,舉步蹋著,高挂缽囊,拗折拄杖。如或未能,且向一峰頭下披雲自究,兩岸江邊得坐自看。若不一生了當,難免萬劫沉淪。須從頂上翻身,莫向言中取則。既然如此,務令親得一句作麼生道?月行空界憑虛指,花發心田貴實參。」復舉:「僧問法眼:『如何是曹源一滴水?』眼云:『是曹源一滴水。』僧不契。時韶國師在眾,聞之得悟。」師云:「事存函蓋合,理應箭鋒拄。怎奈者僧放頑?若非國師深辨來源,渾家沒得,無有消時。且道:會合在甚麼處?」舉起拂子,云:「同見麼?源頭直接絳州河,涌起龍門三丈波。燒尾拏雲攫霧去,曝腮猶待曲鉤拖。」下座。
師は廻龍禅院に住し、小参を行った。ある僧が出て問うと、師は打ち退け、そして言った。「素早い機転も巧みな弁舌も、すべては空に咲く花の濃淡に過ぎぬ。格を越え宗を超えることさえ、明らかに兎の角の長短のようなものだ。ゆえに言う:羅針盤の車は、もともと迷える者に示すもの。心胆を照らす鏡は、邪な人を鑑みるため。鋤の柄を逆さに持ち、凡夫と聖者の行き詰まりを平らに開く。たとえ刃先を振るっても、生死の根元を断ち切ることはできない。もし向上や向下を論じれば、油をかけて火を救うようなもの。性や心を説けば、顔に向かって塵を撒くようなもの。一つの微塵も悟らなければ、千重にも迷い続ける。二つの執着が溶けなければ、万の障壁が立ちはだかる。門庭を設け施設すれば、干戈を構えることになる。理に入って深く語れば、かえって停滞した見解となる。聞かないか:機輪の回るところ、智眼さえ迷う。宝鏡が開かれる時、微塵も通さぬ。ここに至っては、わざわざ演じる必要もなく、一歩踏み出せば、鉢袋を高く掛け、杖を折り曲げる。もしそれができなければ、一つの峰の下で雲を払い自ら究め、両岸の江辺に座り自ら観よ。もし一生で悟りを果たさなければ、万劫に沈淪を免れぬ。頂上から転身せよ、言葉の中に則を求めるな。それならば、必ずや自ら一句を得るようにせよ。どう言うか?月は空界を行き虚に指し、花は心田に発き実参を貴ぶ。」さらに挙げて言った。「僧が法眼に問う:『曹源の一滴の水とは何ですか?』法眼は言う:『それは曹源の一滴の水だ。』僧は納得せず。その時、韶国師が衆中におり、これを聞いて悟りを得た。」師は言った。「事は函蓋が合うように存在し、理は箭鋒が突き当たるように応ずる。どうしてこの僧は頑ななのか?もし国師が深く来源を弁えていなければ、一家揃って得るところなく、消える時もない。さて、会合はどこにあるのか?」払子を挙げて言った。「同じく見るか?源頭は直ちに絳州の河に通じ、龍門に三丈の波が湧き起こる。尾を焼き雲を掴み霧を攫んで去り、鰓を曝しながらも曲がった鉤に引かれるのを待つ。」下座。
小參。「一年一度好春風,栽竹成林便種松,攃手今朝絕頂上,了然無事又相逢。相逢即且置,箇中意如何?若也道得,各請歸單去;不然,將身就葛藤。」時有僧出,師云:「絞殺不少。」乃云:「世尊未離兜率,箇箇鼻孔遼天;達磨已來東土,人人舌頭舑地。若向佛後承當,已落空谷;應便佛前薦取,必然裂破。古今青艸渡頭,不可久住;五蘊山前,貴在轉身。一滯情消,玲瓏八面。若論毛吞巨海,吸在甚麼處?芥納須彌,合向那一方?如此恁麼,頭頭相契;若不恁麼,法法難明。理若周至,事乃方圜。假使辯若懸河,切忌開口不得處;快如良馬,謹防下足不得時。威音已前,把手同行;威音已後,虛空消殞。法界為身,豈蟭螟之見解?太虛為量,非蛙步之形儀。二里一箇村,過去諸佛行不盡;三里一箇亭,未來諸佛了不完。道箇見月休觀指,歸家罷問程。」豎起拂子,云:「且道是程?是指?若道是指,有月如何見?若道是程,有家如何歸?一共兩頭三處,又作麼生推脫?」喝一喝,云:「只許門前知,不許堂中會。跳出金剛圈,便吞栗棘蓬。遇著及時受用,悉從甚處拈來?」遂敲香几,云:「海為龍世界,天是鶴家鄉。」復舉:「僧問曹山:『靈衣不挂時如何?』山云:『曹山今日孝滿。』僧云:『孝滿後如何?』山云:『曹山愛顛酒。』」師云:「忤逆街前有聖諭,低頭落眼;孝子堂中無靈柩,大步寬行。山僧到此,不覺通身踊躍,隨拈一偈舉向諸人:豁然忘卻來時路,百尺竿頭輥繡毬。幸得太平無忌諱,不風流處也風流。」
小參。「貧人得寶,兆開無盡藏;明頭不隱,印破太虛空。據此,莫能非同其類,不是倚松之藤,便是入艸之葛。前來求解會,如燈蛾而赴火;退後不欲聞,似餓鬼以無依。即今莫有過量者麼?出來相見。」僧問:「隨方就圜即不問,截斷眾流事若何?」師便喝。進云:「後來衲僧將甚麼面目相見?」師云:「列在下風。」乃云:「一念普觀無量劫,無去無來亦無住,如是了知三世事,超出方便成十力。者箇方便如何超出?到此以擊石火猶成滯礙,而閃電光尚且延遲;儻或未能,莫道山僧鈍置於人,連佗古聖先賢行好返成過患,以累多少癡人飲洋銅、落碓臼,直至而今不能跳出。若能於此出得,須彌頂、鐵圍城、人我相、貪德癡、天堂徑、地獄門,不消一捏盡皆粉碎,迥然不挂一毫便如是去,未具衲僧氣象,貴將己本買鞋行腳,不唯足底磨穿,盡教通身是眼。複子放下,雙目齊瞽,便到者裏略較些子。不說甚麼七事隨身,逢龍便有角鋸,遇虎便有鬚拔,不驚守塚之鬼,拍甚投枝埜鵲,理得一身毛衣,到底不堪群隊。山僧恁麼說話,大似擇乳鵝王,內有通方衲子,明來自假深信。千鈞發出,非為等閒,箭中鸑鷟,定出丹山。分明無避,在者難逃,一路穌回,時節休放。」擊案一下。復舉:「僧問夾山:『撥塵見佛時如何?』山云:『直須揮劍。若不揮劍,漁父栖巢。』僧復舉問石霜:『撥塵見佛時如何?』霜云:『渠無國土,甚處逢渠?』僧回,舉似夾山,山上堂云:『門庭施設不如老僧,入理深談猶較石霜百步。』」師云:「圖誇汗馬功高,有劍不平世亂,放出傳言送語,當作一等風流。今日或有人問:『撥塵見佛時如何?』不妨隨聲便打。何故?見則亦不撥,撥則亦不見,正眼驀然開,紅爐雪一片。」下座。
小参。「貧しい人が宝を得れば、兆しは尽きない蔵を開く。明るい頭は隠れず、印は大空を破る。これに拠れば、同類でないものはない。松に寄りかかる蔦でなければ、草に入る葛である。前に来て理解を求めれば、灯蛾が火に飛び込むが如く。退いて聞きたくなければ、餓鬼が頼るものなく彷徨うが如し。今、過量の者はいないか?出て来て相見えよ。」僧が問う。「方に随い円に就くことは問わず、衆流を截断する事は如何?」師は直ちに喝した。進みて云う。「後の衲僧は何を面目として相見えようか?」師云く。「下風に列す。」乃ち云う。「一念普く無量劫を観じ、去るもなく来るもなく住するもなし。かくの如く三世の事を知りて、方便を超出して十力を成ず。この方便は如何にして超出するか?ここに至っては、石火を撃つもなお滞礙を成し、閃電光すら尚延滞す。もし或いは未だ能わざれば、山僧が人を鈍置するというなかれ。古聖先賢の行いさえも、返って過患を成し、多くの痴人を累して洋銅を飲ませ、碓臼に落ちしめ、今に至るまで跳ね出ることができない。もし此処に出ることができれば、須弥頂も、鉄囲城も、人我相も、貪瞋痴も、天堂の径も、地獄の門も、一捏せずして尽く皆粉砕され、迥然として一毫も掛からず。かくの如く去るも、未だ衲僧の気象を具えず。貴きは己が本を以て鞋を買い行脚す。足底を磨き穿つばかりでなく、全身を眼と為さんとす。複子を放下すれば、両目斉しく瞽す。ここに到れば、少しばかり較べる。七事随身などと言わず、龍に逢えば角を鋸り、虎に逢えば鬚を抜く。塚を守る鬼を驚かさず、枝に投ずる野鵲を拍つ。一身の毛衣を理め得ても、到底群隊に堪えず。山僧がかくの如く語るは、乳を択ぶ鵝王に似たり。内に通方の衲子あれば、明らかに自ら仮りて深く信ぜよ。千鈞を発出するは、等閑の為にあらず。箭中に鸑鷟を出だせば、定めて丹山に出ず。分明に避けることなく、ここに在る者は逃れ難し。一路穌回し、時節休放せよ。」案を撃って一下す。復た挙す。「僧、夾山に問う。『塵を撥てて仏を見る時如何?』山云く。『直ちに剣を揮うべし。若し剣を揮わざれば、漁父巣に棲む。』僧、復た挙して石霜に問う。『塵を撥てて仏を見る時如何?』霜云く。『渠に国土無し、甚だる処にか渠に逢わん?』僧、回りて夾山に挙似す。山、上堂して云く。『門庭施設は老僧に如かず、入理深談は猶お石霜に百歩を較ぶ。』」師云く。「汗馬の功高きを図り誇り、剣有りて世の乱れを平らげず。伝言送語を放出して、一等の風流と為す。今日或いは人あって問わば。『塵を撥てて仏を見る時如何?』妨げず随声して便ち打て。何の故ぞ?見れば則ち亦撥てず、撥てれば則ち亦見えず。正眼蓦然として開くれば、紅炉雪一片。」下座。
小參。僧問:「當陽坐斷始是半提,如何是全提境界?」師云:「按龍泉,收虎尾。」進云:「且道是何心行?」師云:「車不橫推。」進云:「和尚只有殺人刀,且無活人劍。」師云:「那箇是殺人刀?」僧便喝,師云:「誰是活人劍?」僧云:「已在言前。」師云:「教得孩兒會破家。」驀拈拄杖,云:「諸佛含生,兩無向背。」卓一下,云:「活人死漢,一貫相通,觸處逢渠,全彰法體。有時殺人不眨眼,離功絕用;有時眨眼不殺人,順物和光。當頭截斷,二際全消,攃手了然,更無餘事。三世諸佛辨不得,歷代祖師傳不到,唯有無孔鐵鎚出得嶮峻,不撥萬象,死在平陽。直下出情塵,不許一言著意;信步通錦里,何妨八面生輝?言而不展,百艸頭邊收放;句而不滯,一毛端上殺活。如龍得水,堪打石人頭;似虎逢山,嚗嚗論實事。有時恁麼,入廛垂手;有時不恁麼,退處孤峰。所以道:『有物先天地,無形本寂寥,能為萬象主,不逐四時凋。』且道為主是誰?」豎起拂子,云:「於此不顧,轉位不饒,追風見鞭影,蹋翻岐路寒,爐居古廟,常被火燒。如是觀來,何嘗躲得?應時出身方為作者,原來千百億身不出舍那心地,舍那心地能容千百億身,體大、量大,智寬、用寬。若然,於此會得,把斷出身始信無心,須知向上。且道無心如何知得向上?樹凋葉落殘暑退,星燦雲收半月開。」復舉:「僧問忠國師:『古人道:青青翠竹,盡是法身;鬱鬱黃花,無非般若。有人不信,云是邪說;亦有信者,云不思議。不知若為?』國師云:『此蓋普賢、文殊境界,非諸凡小而能信受,皆以大乘了義經意合。故《華嚴經》云:「佛身充滿於法界,普現一切群生前,隨緣赴感靡不周,而常處此菩提座。」翠竹既不出於法界,豈非法身乎?又《般若經》云:「色無邊故,般若亦無邊。」黃花既不越於色,豈非般若乎?深遠之言,不省者難為措意。』是僧作禮而去。復有華嚴座主問大珠和尚:『何故不許青青翠竹盡是法身,鬱鬱黃花無非般若?』珠云:『法身無相,應翠竹以成形;般若無知,對黃花而顯相。非彼黃花、翠竹而有般若、法身。故經云:「佛真法身,猶如虛空;應物現形,如水中月。」黃花若是般若,般若即同無情;翠竹若是法身,翠竹還能應用?座主會麼?』主云:『不會。』珠曰:『若見性人,道是亦得,道不是亦得,隨用而說,不滯是非;若不見性人,說翠竹著翠竹,說黃花著黃花,說法身滯法身,說般若不識般若,故以皆成諍論。』主謝而去。」師云:「此二尊宿,一箇是荷葉團團團似鏡,一箇是菱角尖尖尖似錐。但不知翠竹與法身、黃花與般若,到此猶較多少?」復以拄杖卓一卓,云:「出來斷看。若從者裏分斷得出,是非傾盡,直接梵天,始信無心。須知向上其或未能,大有人不肯在。且道因甚不肯?此際未能平地土,後來何處定乾坤?」
小参。僧が問う:「陽を当てて坐を断ずるは始めて半提なり、如何が是れ全提の境界か?」師云く:「龍泉を按じ、虎尾を収む。」進みて云く:「且つ道う、是れ何の心行か?」師云く:「車は横に推さず。」進みて云く:「和尚には只殺人刀有りて、且つ活人劍無し。」師云く:「那箇か是れ殺人刀か?」僧便ち喝す、師云く:「誰か是れ活人劍か?」僧云く:「已に言前に在り。」師云く:「孩児を教えて家を破ることを会せしむ。」驀に拄杖を拈りて、云く:「諸仏含生、両に向背無し。」卓一下して、云く:「活人死漢、一貫相通じ、触処に渠に逢うて、全く法体を彰す。時に人を殺して眼を瞬かず、功を離れ用を絶す。時に眼を瞬かして人を殺さず、物に順い光に和す。頭を当てて截断すれば、二際全く消え、手を攃すれば了然として、更に余事無し。三世の諸仏も弁ずること得ず、歴代の祖師も伝うること到らず、唯だ無孔の鉄鎚のみ出でて嶮峻を出づ、万象を撥てずして、平陽に死す。直下に情塵を出で、一言も意に著するを許さず。信歩に錦里を通じ、何ぞ妨げん八面に輝きを生ずるを。言いて展ぜず、百艸の頭辺に収放す。句にして滞らず、一毛の端上に殺活す。龍の水を得るが如く、石人の頭を打つに堪え。虎の山に逢うに似て、嚗嚗として実事を論ず。時に恁麼にして、廛に入り手を垂れ。時に恁麼ならずして、退きて孤峰に処す。故に道う:『物有りて天地に先立ち、形無くして本寂寥たり、能く万象の主たりと為し、四時に逐いて凋ぜず。』且つ道う、主と為るは誰か?」拂子を豎起して、云く:「此に於いて顧みずんば、位を転じて饒さず、風を追って鞭影を見、岐路を蹋翻して寒し、炉は古廟に居り、常に火に焼かる。是の如く観来れば、何ぞ嘗て躲ることを得んや?時に応じて身を出す方に作者と為る。元来千百億の身、舎那の心地に出でず。舎那の心地、能く千百億の身を容る。体大、量大、智寛、用寛。若し然らば、此に於いて会得せば、身を出だすことを把断して始めて無心を信じ、須らく向上を知るべし。且つ道う、無心如何が向上を知ることを得ん?樹凋葉落ちて残暑退き、星燦雲収まって半月開く。」復た挙す:「僧、忠国師に問う:『古人道う:青青たる翠竹、尽く是れ法身。鬱鬱たる黄花、无非般若。信ぜざる人有りて、云く是れ邪説なりと。亦た信ずる者有りて、云く不思議なりと。知らず若為んぞと。』国師云く:『此れ普賢・文殊の境界を蓋う、諸凡小の能く信受するに非ず、皆大乗の了義経の意に合す。故に《華厳経》に云く:「仏身法界に充満し、普く一切の群生前に現じ、縁に随い感に赴いて周らざる無く、而も常に此の菩提座に処す。」と。翠竹既に法界に出でず、豈に法身に非ざらんや?又《般若経》に云く:「色無辺なるが故に、般若も亦無辺なり。」と。黄花既に色を越えず、豈に般若に非ざらんや?深遠の言、省みざる者は意を措くこと難し。』是の僧礼を作して去る。復た華厳の座主有りて大珠和尚に問う:『何の故に青青たる翠竹尽く是れ法身、鬱鬱たる黄花无非般若を許さざるか?』珠云く:『法身は相無く、翠竹に応じて形を以て成る。般若は知無く、黄花に対して相を顕す。彼の黄花・翠竹に般若・法身有るに非ず。故に経に云く:「仏真の法身、猶お虚空の如し。物に応じて形を現ずること、水中の月の如し。」と。黄花若し般若ならば、般若即ち無情に同じからん。翠竹若し法身ならば、翠竹還た能く応用せんや?座主会するか?』主云く:『会せず。』珠曰く:『若し性を見る人、是れと道うも得、是れに非ずと道うも得、用に随いて説き、是非に滞らず。若し性を見ざる人、翠竹を説いて翠竹に著し、黄花を説いて黄花に著し、法身を説いて法身に滞り、般若を説いて般若を識らず、故に皆諍論と成る。』主謝して去る。」師云く:「此の二尊宿、一箇は荷葉団団として鏡に似たり、一箇は菱角尖尖として錐に似たり。但だ知らず、翠竹と法身、黄花と般若、此に到りて猶お多少を較ぶるか?」復た拄杖を以て一卓して、云く:「出で来て断看。若し者裏より分断し出で得ば、是非傾き尽くし、直ちに梵天に接し、始めて無心を信ず。須らく向上を知るべし。其れ或いは能わざれば、大いに人肯せざる有り。且つ道う、因甚麼か肯せざる?此の際未だ能わず平地の土、後来何の処にか乾坤を定めん?」
小參。「明鏡當臺分好醜,莫邪在手斷縛纏,若還放過白拈手,向後施張總是偏。正恁麼時,還有不放者麼?正好出來透頂一㔃,是命全交與你,莫道靈龜負圖自取喪身,管取露柱燈籠兩無得失,不唯把斷要津,能令識法者懼。如此平沉千聖,那得花開五葉、放開三步,與汝諸人相見去也?者箇消息時時現前,葉綴花聯混失主店,且道在甚麼處混失?莫非色有青黃赤白之狀、姓有宮商角徵之音,便是混失之時也。如此說話,夢眼未開。殊不知盡大地是一領褊衫,時擔時放、時穿時脫,我未生時絲毫不挂,佛出世後兩袖相通,正恁麼時,又向何處著來?」遂拈拄杖,云:「天高地厚,直在目前;海闊山遙,不離方寸。用不遠人,必定指鹿為馬;法無定相,便得越樣新鮮。換盡諸人眼睛,不出化龍拄杖,不是本、不是末,鑊湯當為甘露;不是心、不是佛,劍樹可作禪床。力充法界,威震十虛,不愁道超佛祖,自然位越人天。教內教外一時收,世出世間咸周備,明明真燈列燄,歷歷少室分輝。無陰陽地,廣種博收;有漏河中,長津遠濟。大功不宰,果是作家;末後全提,十方坐斷。」復舉:「馬祖見藥山,便問:『子近日見處如何?』山云:『皮膚脫落盡,惟有一真實。』祖云:『子之所得,可謂協於心體、布於四肢。既然如是,將三條篾束取肚皮,隨處住山去。』山云:『某甲又是何人,敢言住山?』祖云:『不然。未有常行而不住、未有常住而不行,欲益無所益、欲為無所為,宜作舟航,勿久住此。』」師云:「看佗馬祖為人處,意欲後流識進退,直得恁麼道;藥山老漢不負上頭人,直得恁麼行。山僧者裏又且不然,放開三條篾門,開通後殿,無有一真實受用當面來,管取坐地看,不須隨處去。既則如此,且道其間有甚奇特?蘆花兩岸雪,煙水一江秋。」下座。
小参。「明鏡が台に当たりて好醜を分かち、莫邪が手に在りて縛纏を断つ。もし放過すれば白拈の手、向後施張すれども総て偏る。正にこの時、まだ放さざる者あるか?ちょうど出て来て頂を透かし一撃すべし、命を全うして汝に与えん、霊亀が図を負いて自ら喪身を取るというなかれ、管取って露柱燈籠両無得失、ただ要津を把断するのみならず、法を識る者を懼れしむることを能くす。かくの如く平らかに千聖を沈め、いずくんぞ花開き五葉、三步を放ち開き、汝ら諸人と相見せんとするや?この消息時時に現前し、葉は花に連なりて主店を混失す。且つ道う、いずれの処にか混失するや?色に青黄赤白の状あるに非ず、姓に宮商角徴の音あるに非ず、これすなわち混失の時なり。かくの如くに話すは、夢眼未だ開けず。知らずや、尽きる大地は一領の褊衫、時に担い時に放ち、時に穿ち時に脱ぐ。我未だ生ぜざる時、絲毫も掛からず、仏出世の後、両袖相通ず。正にこの時、また何れの処にか著けん?」すなわち拄杖を拈じて云く、「天高く地厚し、直に目前に在り;海闊く山遥かなり、方寸を離れず。用は人に遠からず、必ず鹿を指して馬と為す;法に定相無く、便ち越様の新鮮を得ん。諸人の眼睛を換え尽くし、化龍の拄杖に出でず。本に非ず、末に非ず、鑊湯まさに甘露と為すべし;心に非ず、仏に非ず、剣樹もって禅床と作すべし。力は法界に充ち、威は十虚に震い、道の佛祖を超ゆるを愁えず、自ら位の人天に越ゆ。教内教外一時に収め、世出世間咸く周備す。明々たる真燈列燄、歴々たる少室分輝。陰陽無き地、広く種き博く収め;有漏の河中、長く津し遠く済う。大功は宰らず、果たして作家なり;末後に全提し、十方を坐断す。」
復た挙す、「馬祖、薬山を見て、便ち問う、『子、近日見処如何?』山云く、『皮膚脱落尽きて、惟だ一つの真実有り。』祖云く、『子の得るところ、心体に協い、四肢に布くべしと謂う可し。既然是の如くならば、三條の篾を将って肚皮を束ね取り、随処に山に住せよ。』山云く、『某甲また何人ぞ、敢えて山に住すと言わんや?』祖云く、『然らず。未だ常行にして住まざる無く、未だ常住にして行かざる無し。益せんと欲して益す所無く、為さんと欲して為す所無し。宜しく舟航と作し、久しく此に住する勿れ。』」
師云く、「かの馬祖の人の為に処するを見よ。意は後流に進退を識らしめんと欲し、直にこの如くに道うに得たり;薬山の老漢は上頭の人に負わず、直にこの如くに行うに得たり。山僧ここにまた且つ然らず。三條の篾門を放ち開き、後殿を開通し、一つの真実受用有ること無く当面に来たる。管取って地に坐して看よ、随処に去るを須いず。既に則ち此の如し。且つ道う、その間に甚だ奇特なること有りや?蘆花両岸の雪、煙水一江の秋。」
下座。
小參。僧問:「佛身充滿於法界,普現一切群生前,且道為甚麼不見?」師舉拂子云:「刺瞎汝眼。」進云:「瞎!瞎!」師云:「是誰瞎?」僧擬議,師便喝,僧亦喝,師打一拂子云:「隨風逐變漢。」乃云:「佛身充滿界,非在口頭舉,直下承當去,何曾有半語?所以七佛偈云:『見身無實是佛身,了心如幻是佛幻,了得身心本性空,斯人與佛何殊別?』但能於此證據將來,無高亦無下,無尊亦無卑,無人亦無我,無利亦無鈍,乃至天龍夜叉、八部鬼神、六道四生、蜎飛蝡動,到此無二無別。法既是無別,為甚麼塵劫已來互相牽連,宛轉不息,換像改形,杳冥不辨?且道者點增差又在何處?」舉起拂子云:「見麼?有眼共見。」擊一下云:「聞麼?有耳皆聞。只因見聞分明,難免墮坑落塹。正恁麼時,遇箇有眼不見、有耳不聞底來,向此挽回一折,根塵齊齊倒斷,人人回光返照,箇箇了知苦空,一路撥轉船頭,處處總皆是岸,便與先佛世尊同一見聞、同一受用、同一境界、同一出沒,到此方知九霄絕翳不在穿通,一段光明未曾昏昧,理中也透,事上也徹,不勞轉身,直下便見。到此不開如是慧眼,自然盡被影子所瞞,十無一二,轉頭更生,臨機怖畏,出生入死,無了期也。現有一類頑無所知,不識情隨境轉、境逐情生,情境相凌,不能取證,只得乘時發機,就此相為,目前不了,執向事邊,謂曰:『何不與我直說,返道借事而謾?』悲夫!愚之勝也。所以教中道:菩薩見水如甘露,天人見水如琉璃,凡夫見水便是水,餓鬼見水如膿血。正謂而不差矣。此之一輩未出常流,怎免隨情混合而去?只曉觀前,不知覺後,陷在分別,落於取捨,攀著有漏,汩沒本真,熏就結習,空得牓樣,全不看佗從上佛祖,未見無悟而可休歇。今日大概觀來,直在揚眉之際,倏然頓破,何較多矣?所以破有法王出現世間,四十九年葛藤牽佗不盡,無中生有,遺累後人,彼此不了,成了禍根,不覺一番春過一番,一林掩蓋一林,高蹤借徑而過,燕子就水而銜,夾在觜角頭邊,返與師家相驗,自不知其性命還在作者手裏。故合有時略通一線,有時不順風頭,有時展開陣勢,有時把斷關津,若不恁麼施設,盡成一類懡㦬,十箇之中五雙杜撰,見處不清,有誤後人。但看昔日黃檗老人上堂,眾纔集,拈拄杖一齊打散,復召大眾,眾回首,便云:『月似彎弓,少雨多風。』殊不知者箇明白處返成不明。更聽不明,重申一偈:老婆心切為兒孫,揭露曦輪出海門,復把肝腸雖傾盡,青霄依舊轉成昏。」喝一喝,下座。
小参。僧が問う:「仏身は法界に満ち満ちて、あらゆる衆生の前に普く現れるというのに、どうして見えないのか?」師は払子を挙げて云う:「お前の目を刺しつぶしてやる。」僧が進み出て云う:「つぶれた!つぶれた!」師が云う:「誰がつぶれたのだ?」僧が考えようとすると、師は喝をかけ、僧もまた喝をかける。師は払子で一打ちして云う:「風に従って変わりゆく者め。」そして云う:「仏身は法界に満ちているが、口先で挙げるものではない。直下に承当すれば、何の言葉もない。だから七仏の偈に云う:『身を見るに実体なきは仏身、心を了するに幻の如きは仏幻、身心の本性空なることを了得すれば、斯の人と仏と何の別あらん?』ただここで証拠を得て将来に至れば、高きもなく下もなく、尊きもなく卑しきもなく、人もなく我もなく、利もなく鈍もなく、天龍夜叉、八部鬼神、六道四生、蜎飛蠕動に至るまで、ここに至っては二つも別れもない。法は既に別れないのに、なぜ塵劫以来、互いに牽連し、宛転として止まず、像を換え形を改め、杳冥として辨ぜられないのか?且つ道う、この一点の増差はまた何処にあるのか?」払子を挙げて云う:「見えるか?眼ある者は共に見る。」一撃して云う:「聞こえるか?耳ある者は皆聞く。ただ見聞が分明であるが故に、坑に堕ち塹に落ちるを免れ難い。正にこの時、眼あれど見ず、耳あれど聞かぬ者に遇い、ここで一折り返せば、根塵は斉々と倒断し、人々は回光返照し、個々は苦空を了知し、一路船頭を撥転すれば、処処総じて皆岸なり。便ち先仏世尊と同一の見聞、同一の受用、同一の境界、同一の出没となり、ここに至って方知る、九霄絶翳は穿通に在らず、一段の光明は未だ昏昧せず、理中にも透り、事上にも徹し、身を転ずる労なく、直下に見る。ここに至って如是の慧眼を開かざれば、自然に尽く影に瞞かされ、十に一二なく、頭を転じて更に生じ、機に臨んで怖畏し、出生入死、了期なし。現に一類の頑なにして無知なる者あり、情が境に随って転じ、境が情に逐われて生ずるを知らず、情境相凌して、証を取る能わず、只だ時に乗じて機を発し、此れに就いて相為し、目前に了せず、事辺に執して謂う:『何ぞ我に直説せず、返って事を借りて謾るや?』悲しきかな、愚の勝れること。故に教中に道う:菩薩は水を見ること甘露の如く、天人は水を見ること瑠璃の如く、凡夫は水を見れば便ち水なり、餓鬼は水を見ること膿血の如し。正に謂う而して差し違わず。此の一輩は未だ常流を出でず、どうして情に随って混合して去るを免れようか?只だ前を観ることを知りて、後の覚ることを知らず、分別に陥り、取捨に落ち、有漏に攀じ、本真を汩没し、結習を熏就し、牓様を得るのみ空しく、全く彼の従上の佛祖を見ず、未だ悟り無くして休歇すべきを見ず。今日大概に観るに、直ちに眉を揚げるの際に、倏然として頓破すれば、何ぞ多く較べようか?故に有を破る法王世間に出現し、四十九年葛藤牽いて尽きず、無中に有を生じ、後人に累を遺し、彼此了せず、禍根を成し、覚らず一番の春過ぎ一番、一林掩い一林、高蹤は径を借りて過ぎ、燕子は水に就いて銜み、觜角頭辺に夾まり、返って師家と相驗し、自ら其の性命の尚ほ作者の手裏に在るを知らず。故に時に合して略一線を通じ、時に風頭に順わず、時に陣勢を展開し、時に關津を把断す。若し恁麼に施設せざれば、尽く一類の懡㦬となり、十箇の中五雙杜撰し、見処清からず、後人を誤る。但だ昔日の黄檗老人の上堂を見よ、衆纔に集まり、拄杖を拈って一斉に打ち散らし、復た大衆を召す。衆首を回すや、便ち云う:『月は彎弓に似たり、雨少なく風多し。』殊不知る者箇の明白処返って不明となる。更に不明を聴け、一偈を重申す:老婆心切にして児孫の為に、曦輪を揭露して海門を出ず、復た肝腸を傾け尽くすと雖も、青霄依舊として転じて昏となる。」喝一喝し、下座。
小參。僧問:「還丹一粒,點鐵成金;至理一言,轉凡成聖。八字打開,為甚麼有眼不會?」師云:「只為佗有眼。」進云:「還是見則不逢底是?不逢則見底是?」師云:「分身兩處看。」進云:「劈開拄杖去也。」師云:「惟恐不是玉,是玉也大奇。」乃云:「綠水秋來綠,青山春到青,落花隨浪轉,怎教不迷人?所以道:凡夫見諸法,但隨於相轉,不了法無相,以是不見佛。」豎起拂子,云:「者箇是相,卻在甚麼處了?」乃喝一喝,云:「既在此了,教無眼人向甚麼處見?」復豎起,云:「者箇不是相,那箇是佛?」喝一喝,云:「已了見者名為正見,未了見者即受渠謾。尋常若向穿鞋戴帽、出杖應缽、收書卷策、開單展被處見,正是覓毒療病、認冤為親;不向穿鞋戴帽、出杖應缽、收書卷策、開單展被處見,恰如背燈乞火、別庫尋珍。洞庭秋月一點障佗不得,江村夕照定然金鋀未辨,毛拂子上換卻眼睛,血性男兒便能了達,塵中作主、化外自來,方知一句一偈、一塵一剎,無一不是如來清淨玅莊嚴路,謂之從無住本立一切法。拈將出來,不瞎人眼,忽然放下,盡教鬼神莫測。既到者裏,堪作甚麼理論?諸山喻遍難分解,較盡河沙數不明。」復舉:「雲門大師道:『從上諸聖為甚麼不到者裏?』蓮華峰菴主云:『古人到者裏為甚麼不肯住?』」師云:「雲門接人歸家,何嘗打開中道?菴主引人出戶,未曾點破田莊。使人兩不著地,未免一場退屈。山僧只得拈來下箇註腳:從上諸聖為甚麼不到者裏?」舉起拂子,云:「直較者些子。古人到者裏為甚麼不肯住?」擊拂一下,云:「盡教皮穿骨露。若是具量衲僧,權將一狀領赴。且道:領佗作甚麼?回而更相涉,不爾依位住。」下座。
小参。僧が問う:「還丹一粒、鉄を点じて金となし、至理一言、凡を転じて聖となす。八字を打開す、なぜか有眼にして会せず?」師云く:「ただ彼に眼があるがゆえに。」進みて云く:「それ見るも逢わざる底なるか、逢わざるも見る底なるか?」師云く:「分身して両処に見よ。」進みて云く:「拄杖を劈開して去るなり。」師云く:「ただ玉にあらざることを恐る、玉なるもまた大いに奇なり。」乃ち云く:「緑水秋来たって緑、青山春到って青、落花浪に随いて転ず、どうして迷わしめざるを得ん?ゆえに道う:凡夫諸法を見るに、ただ相に随いて転ず、法の無相を了せず、これをもって仏を見ず。」拂子を竖起して、云く:「これは相なり、いずくにかあって了するや?」乃ち一喝して、云く:「既にここに了す、無眼の人にいずくにか向かって見しめん?」復た竖起して、云く:「これは相にあらず、あれは仏なるか?」一喝して、云く:「已に了して見る者、これを正見と名づく、未だ了せずして見る者、すなわち渠に謾されるを受く。尋常もし穿鞋戴帽、出杖応缽、収書巻策、開単展被の処に向かって見るは、まさに毒を覓めて病を療し、冤を認めて親となすがごとし;穿鞋戴帽、出杖応缽、収書巻策、開単展被の処に向かって見ざるは、あたかも灯を背にして火を乞い、別庫に尋ねて珍を求むるがごとし。洞庭の秋月一点、彼を障うるを得ず、江村の夕照定然、金鋀未だ弁ぜず、毛拂子上に眼睛を換え、血性の男児すなわち能く了達し、塵中に主と作り、化外より自ら来たり、方に知る一句一偈、一塵一刹、一つとして如来の清浄妙荘厳路にあらざるはなし、これを無住の本より一切法を立つと謂う。拈いで出だせば、人の眼を瞎さず、忽然として放下すれば、尽く鬼神に測らしむる莫し。既にここに到れば、何をか理論すべきに堪えん?諸山遍く喩え難く分解し、河沙の数を較べ尽くしても明らかならず。」復た挙す:「雲門大師道う:『従上の諸聖、なぜかここに到らざる?』蓮華峰の菴主云く:『古人ここに到りて、なぜか肯って住まざる?』」師云く:「雲門人に接して家に帰す、何ぞ中道を打開せんや?菴主人を引いて戸を出だす、未だ田荘を点破せず。人をして両つながら地に著かしめず、免れず一場の退屈。山僧ただ拈来して下すに註脚を下す:従上の諸聖、なぜかここに到らざる?」拂子を挙げて、云く:「直に較べよこれらの子。古人ここに到りて、なぜか肯って住まざる?」拂を一下撃って、云く:「尽く皮穿れ骨露るるを教う。もし量を具えたる衲僧ならば、権に一状を将いて領して赴かしむ。且つ道え:何をか彼を領するや?回りて更に相い渉り、爾らずば位に依って住せよ。」下座。
繼秀饒居士請小參。僧問:「法身無相,對相而顯;法眼無瑕,因瑕而現。未知此理如何?」師云:「又要惱亂春風。」進云:「不入驚人浪,難逢稱意魚。」師云:「少賣俏。」進云:「今朝因甚不肯放行?」師云:「一字入公門,九牛曳不出。」進云:「只得別處領話去也。」師云:「且向者裏了著。」僧禮拜,師乃云:「清風匝地,皓月當空,光照九天,太阿橫按。到此外離境相、內絕情思,碧眼胡僧尚無啟口,猛力素士有何話參?非是山僧法吝,本沒繫驢橛頭。豈不見?香嚴道:『去年貧,未是貧;今年貧,始是貧。去年猶有卓錐地,今年錐也無。』看佗古人實悟處,吐出一片赤心,便是淨裸裸、赤灑灑,絲毫不挂;絕承當、無回互,幻影全消。可惜時人不能於此契合。若是大丈夫漢,放下百斤檐子,攃手逍遙,了然無礙,擬欲更進那步?現有活路出身,多因熱大,不覺茫然放過,故不能向冷冰冰地撥燄、寂寥寥處動機。若到者裏,不同撈天摸地、向外馳求,凡皆長行久坐、負重擔輕也是一箇話頭,森羅萬象、明暗色空也是一箇話頭,操家治業、教子訓孫也是一箇話頭,撥來撥去、動來動去,始到蓋屋收脊處,自然周成一片,一即一切、一切即一,大中現小、小中現大,麤中有細、細中有麤,展轉磨光,幾經淘汰,塵消垢盡,量滿力充,謂之無去無來、冥通三際,非中非外、洞徹十方,如雲卷舒,無有罣礙,似谷相應,無論高低,了達自己心光,作箇護持牓樣。正恁麼時,且道自己心光便向甚麼處達?」豎起拂子,云:「見義不為非勇士,臨機不變始驚群。」下座。
継秀の饒居士が小参を請うた。僧が問うた:「法身は相なく、相に対して顕れる。法眼は瑕なく、瑕によって現れる。この理がどうであるか、未だ知らない。」師云く:「また春風を悩乱させようとするのか。」進みて云く:「驚くべき浪に入らざれば、意に称うる魚に逢い難し。」師云く:「少しく俏(おしゃれ)を売るな。」進みて云く:「今朝はどうして放行(通すこと)を許さないのか。」師云く:「一字が公門に入れば、九牛も曳き出せず。」進みて云く:「ただ別のところで話を聞くほかない。」師云く:「まずここで済ませよ。」僧が礼拝する。師は乃ち云く:「清風が地をめぐり、皓月が空に当たり、光は九天を照らし、太阿の剣を横たえて按ず。ここに到れば、外には境相を離れ、内には情思を絶つ。碧眼の胡僧でさえまだ口を開かず、猛力の素士に何の話を参じようか。山僧が法を吝(おし)むのではない。そもそも驢をつなぐ杭の頭はない。見えぬか?香厳が道う:『去年貧しきは、未だ貧しきに非ず。今年貧しきは、始めて貧しきなり。去年には猶お錐を立てる地あり、今年は錐も無し。』彼の古人の実悟の処を見よ。一片の赤心を吐き出す。これすなわち、淨裸裸・赤灑灑、絲毫も掛からず。承當を絶し、回互無く、幻影全く消ゆ。惜しむらくは、時人がここに契合せざること。もし大丈夫の漢ならば、百斤の担ぎ物を放下し、手を攃(す)りて逍遙し、了然として礙(さまた)げ無し。さらにあの一歩を進めんと擬すれば?現に活路の出身あり。多くは熱大なるが故に、知らず茫然として見過ごす。故に冷冰冰たる地に撥(はら)って焰を消し、寂寥寥たる処に動機を起こすことができない。もしここに到れば、天を撈(すく)い地を摸(さぐ)るが如き、外に向かって馳求するのとは異なる。凡そ長く行い久しく坐するも、重きを負い軽きを担うも、一つの話頭なり。森羅万象、明暗色空も、一つの話頭なり。家を操り業を治め、子を教え孫を訓ずるも、一つの話頭なり。撥(はら)い来たり撥い去り、動き来たり動き去り、始めて屋を蓋い脊を収むる処に到る。自然に周成一片、一は即ち一切、一切は即ち一。大の中に小を現じ、小の中に大を現ず。麤(あら)き中に細あり、細き中に麤あり。展転磨き光らし、幾度か淘汰を経て、塵消え垢尽き、量満ち力充つ。これを無去無来、三際に冥通し、非中非外、十方を洞徹すと謂う。雲の巻舒の如く、罣礙有ること無く、谷の相応ずるが如く、高低を論ぜず。自己の心光を了達し、一つの護持の榜様(手本)を作る。正に恁麼の時、且つ道え、自己の心光は便ち甚麼の処に向かって達するか?」拂子を豎げて、云く:「義を見て為さざるは勇士に非ず、機に臨みて変ぜざるは始めて群を驚かす。」座を下りる。
小參。「西天四七,唐土二三,莫不皆以頂𩕳向上一著,直切指示於人。過去莊嚴,現在賢劫,大喻三千,小喻八百,頓漸偏圜,權實半滿,無非要人出生死海,脫見礙縛,開方便門,示真實相。奈乎去聖時遙,邪師過謬,不依本分,妄分節目,引人波波,一生不能歸到故家田地。若是夙有靈骨智者,定不將身而換蝸角蠅頭,須向二六時中自己猛著精彩,猶如緊把隘口,守護邊牆,忽見外應裏合,按定吹毛,一揮便了,攃手非功,轉凡非聖,從前一切惡知惡見、邪是邪非,本無一毫著處,朗然心花發現,洞達十方,宛如秋月,無點障礙,不疑一念,皆成正覺,人我眾生,等無差別,一切智智,清淨無二,無二分,無別無斷,故於無斷處,隨機赴感,或時興慈雲於方外,或時把要路於寰中,提得清,全彰今古,收得淨,不玷聖凡,一肩擔荷,大報洪恩,不枉離塵脫俗一番志也。但看昔日保寧勇禪師,初入天台教,更衣參雪竇顯,顯以堪任大法,復視而訶之曰:『央庠座主。』勇然發憤下山,遙望雪竇山禮拜云:我此一生事業,若不過於雪竇,誓不還鄉。便往泐潭,疑情未泮,復參楊岐,心地發明,研窮玄奧,不比尋常。可見當日古人未到徹法源底,不以此志而便休也。又如長慶稜禪師未曾悟時,初參靈雲,問:『如何是佛法大意?』雲曰:『驢事未去,馬事到來。』慶不契,參雪峰,在雪峰玄沙處往來二十年,坐破七箇蒲團。一日卷簾,豁然大悟,便有頌云:『也大差,也大差,卷起簾來見天下。有人問我是何宗,拈起拂子劈口打。』試看到此底人,等閒露出一兩句子,不妨便有了已為佗處。怎似而今人恣意亂道,熱碗鳴聲,口裏指東說西,心中全疑半信,因因循循,一日延一日;散散蕩蕩,一月待一月。未及閒暇幾日,你不告往陸去,我便辭向船行。者裏捱一捱,那裏混一混,混到年終歲盡,依然還是一條鼻孔、兩箇眼睛,挂名頭與知識同坐,猶如大蟲看水磨;聽得兩句言語,恰似波斯喫胡椒。終日說為生死,不知業鏡當臺;終日求出苦海,不知源頭何處。只圖一世貪生,埋沒萬劫大事,風刀解身,豈容得過?山僧須如是道:我者裏無此輩人,盡是真參實悟,辦心竭力,不甘作此見解。正恁麼時,儻有箇漢出來為眾出氣云:『和尚不可教人離波別尋水。』劈脊三十棒。又一箇出來道:『學人得水便行船。』劈脊三十棒。且道因甚如此?未到人亡家破,先須處斷分明。」下座。
師住旗山永興禪院,結制,小參。僧問:「遶水躔山即不問,當先直截句如何?」師云:「千生苦本鎚邊碎,萬劫塵勞劍下休。」問:「如何是有為法?」師云:「千頭百緒。」進云:「如何是無為法?」師云:「隻杖單條。」進云:「可謂執言未盡無明眼,著句還同有漏心。」師云:「不因樵子徑,爭到葛洪家?」乃云:「旗峰嶺上,選佛場開,一句當先,萬機頓息。不勞肯綮修證,管取及第心空。耕雲種月,無非西來大意;引水開泉,盡是古佛家風。所以道:當機不昧,千眼頓開;智鏡洞明,十虛普應。言言見諦,悉從滄海以龍吟;句句超宗,始得幽嵒而虎嘯。可以高超三界,拔濟四生。空王殿上,眾力相支;生死岸頭,慈航普駕。尚不枉披法服,亦乃酬荅四恩。設或未能,三界無安,猶如火宅,眾苦充滿,甚可怖畏。一息不還,便是來生,盡塵沙劫,誰能逃避?正好七尺單前高著隻眼,三條椽下莫負時光。但慕靈山之旨,頓悟今朝;休循怠惰之心,虛延度歲。故以特為此段因緣,欲開正路,雲集正信,參竟正宗,恢張正道,此是人人不無之事,箇箇本具靈明,感得宗風一振,吹落妄想空花,掃開生死陽燄,不容是非露布,掀翻今古途轍,難存足處更進一步,須知方外普現全身。正恁之時,且在甚麼處現?」豎起拂子,云:「等閒得路明如日,舉步回頭直似弦。」復舉:「文殊一日令善財採藥,曰:『是藥者採將來。』善財遍觀大地無不是藥,乃白曰:『無有不是藥者。』殊曰:『是藥者採將來。』善財遂於地上拾一莖艸度與文殊,殊接得,示眾曰:『此藥亦能殺人,亦能活人。』」師云:「於此別轉藥性,大有起死回生之功,說甚麼黃連、甘艸、人參、白朮?別轉不得,未免返成毒味,落在後學手裏。且作麼生應用?須是脈明堪下手,未曾得效莫傳方。」
師は旗山永興禅院に住し、結制の時、小参を行った。僧が問うた。「水を巡り山を踏むことは問わない。まず最初の直截な一句はどうか?」師は言った。「千生の苦の根本は槌の辺りで砕け、万劫の塵労は剣の下にて休む。」問うた。「有為の法とは何か?」師は言った。「千の頭、百の緒。」さらに問うた。「無為の法とは何か?」師は言った。「一本の杖、一条の棒。」さらに言った。「言葉に執すれば未だ無明の眼尽きず、句に著すれば還って有漏の心と同じと言えよう。」師は言った。「樵夫の径によらなければ、どうして葛洪の家に至れようか?」そして言った。「旗峰の嶺の上、選仏場開く。一句がまず先に立ち、万機は頓に息む。肯綮を労して修証せずとも、管取及び第して心空じる。雲を耕し月を種うは、西来の大意に非ずといえども、水を引き泉を開くは、尽く古仏の家風なり。故に道う、機に当たりて昧まず、千眼頓に開く。智鏡洞然として明らかならば、十虚普く応ず。言言に諦を見、悉く滄海より龍吟す。句句に宗を超え、始めて幽巌にて虎嘯す。以て三界を超え高く、四生を抜き済わすべし。空王の殿の上、衆力相い支え、生死の岸の頭、慈航普く駕す。尚お法服を披くに枉いせず、亦た四恩に酬い答う。設い或いは未だ能わざれば、三界に安き無く、猶お火宅の如し。衆苦充満し、甚だ怖るべく畏るべし。一息還らずば、便ち是れ来生なり。塵沙劫を尽くすも、誰か逃避せん。正に好し、七尺の単前、高く隻眼を著け、三条の椽の下、時光を負うこと莫れ。但だ霊山の旨を慕い、今朝に頓悟せよ。怠惰の心に循いて、虚しく歳を延ばすこと休めよ。故に以て特此の段の因縁の為に、正路を開かんと欲し、雲集の正信、参竟の正宗、恢張の正道、此れは人人不無の事、個個本具の霊明、感得して宗風一振し、妄想の空花を吹き落とし、生死の陽焔を掃き開き、是非の露布を容れず、今古の途轍を掀翻し、足処を難く存して更に一歩を進め、須らく方外に普く全身を現すことを知るべし。正に恁の時、且つ甚麼の処に現ずるか?」拂子を豎げて言った。「等閑に路を得て明らかなること日の如く、歩を挙げて頭を回らせば直なること弦に似たり。」また挙げて言った。「文殊、一日善財に薬を採らしめて曰く、『是の薬なる者を採り将来れ。』善財、遍く大地を観るに、是れ薬に非ざるは無し。乃ち白して曰く、『是れ薬に非ざるは無き者なり。』文殊曰く、『是の薬なる者を採り将来れ。』善財、遂に地上に於て一茎の草を拾い、文殊に度す。文殊、接え得て衆に示して曰く、『此の薬亦た能く人を殺し、亦た能く人を活かす。』」師は言った。「此に於て別に薬性を転ぜば、大いに死を起し生を回すの功有り。何をか黄連・甘草・人参・白朮と言わん。別に転ぜ得ざれば、未だ免れず返って毒味と成り、後学の手裏に落つ。且つ作麼生か応用せん。須らくは脈明らかにして手を下すに堪え、未だ曾て効を得ずば方を伝うる莫れ。」
小參。僧問:「山嶮無人往,泉清有月來,幽深不到處,還有佛法也無?」師云:「山花開道眼,谿水印禪心。」進云:「恁麼則相見不須問,目前本自彰。」師云:「有語不昧無語漢,埋頭放過出頭人。」僧禮拜,師乃云:「心月孤圜一段光,何論東土與西方?通身顯露誠難見,使得時人分外忙。咄!忙箇甚麼?」豎起拂子,云:「適來通身顯露,如今俱在拂子頭邊。還見麼?正見之時,非是眼被物瞞。」擊案一下,云:「聞麼?正聞之時,非是耳隨聲轉。於此會得,一路轉身,方知著相之本,便是合道之原。雖然如是,猶且未了,必須從斯退身始得。只如山僧口未開時,無聲可聞;諸人眼未動時,無物可見;透脫根塵,無相可著;截斷原頭,無道可合。彼此六根清淨,一體圜明,取之不得,捨之常在,不變不動,無減無增。有道者得之,曾於生死岸頭時出時沒,全體應現,永無欠缺,一時成就無邊佛事。到此境界,非是將心何處得來,俱在各人淨地發現。住此地中,如船在水,隨風快便,不假多力。如是已得,寧同釋迦老子向一法界出此玅用,量同大千,或把大千融成一道,充滿法界,以大入小、以小入大,無剎不貫、無海不通,如是受用、如是作為、如是自在、如是解脫,可以權衡佛祖、號令人天,不與異見同轍,了然共佛一處。」顧眾云:「還識一處麼?」擲下拂子云:「放過一著。」復舉:「昔有秀才參長沙岑禪師,因看《千佛名經》,遂問:『百千諸佛只聞其名,未審居何國土?還化物也無?』沙云:『黃鶴樓崔顥題詩後,秀才還題也未?』才云:『不曾。』沙云:『得閒題取一篇好。』」師云:「長沙措緊猶忙,遠搆不能近抵。秀才問佛,居處決定,下落難明。今有人問山僧:『百千諸佛未審居何國土?』但向佗道:『渾身已在含元殿,何事勞勞問帝都?』」
小参。僧が問う:「険しい山には人が行かず、清い泉には月が来る。幽深で到れぬところに、なお仏法はあるか?」師云く:「山の花は道眼を開き、谷川の水は禅心を映す。」僧進みて云く:「それならば、会うに問いを要せず、目前に本より自ら顕れている。」師云く:「語る者は無語の漢に迷わず、頭を埋める者は頭を出す者を見逃す。」僧礼拝す。師乃ち云く:「心の月、孤円の一段の光、どうして東土と西方とを論ぜん。通身に顕露するも誠に見難く、人をして分外に忙しくせしむ。咄!何を忙しがるか?」払子を掲げて云く:「先ほど通身に顕露していたものが、今は皆この払子の先にある。見えるか?正に見る時、眼が物に欺かれるのではない。」机を一打して云く:「聞こえるか?正に聞く時、耳が声に従って転ずるのではない。ここに会得すれば、一路身を転じて、初めて相に執する根本を知り、これ即ち道に合する源である。そうは言っても、まだ未了であり、必ずここから身を退くことから始めねばならぬ。ただ山僧の口が開かぬ時、聞くべき声なし。諸人の眼が動かぬ時、見るべき物なし。根と塵を透脱すれば、執すべき相なし。源頭を截断すれば、合すべき道なし。彼此六根清浄、一体円明、取るも得ず、捨つるも常に在り、変ぜず動かず、減ぜず増さず。有道の者はこれを得て、かつて生死の岸頭に時に出で時に入り、全体的に応現し、永く欠けることなく、一時に無辺の仏事を成就する。この境界に至れば、心をどこかから得て来たのではなく、皆各人の浄地に発現する。この地に住すれば、船が水にあるが如く、風に随って快便で、多く力を仮る必要がない。このように得たならば、どうして釈迦老子が一法界よりこの妙用を現じ、量は大千に等しく、或いは大千を融かして一道と成し、法界に充滿し、大を以て小に入り、小を以て大に入り、刹として貫かざるなく、海として通ぜざるなく、このように受用し、このように作為し、このように自在し、このように解脱し、以て佛祖を権衡し、人天に号令し、異見と轍を同じくせず、了然として仏と一処に共にするに同じからんや。」衆を顧みて云く:「一処を識るか?」払子を投げ下して云く:「一着を見逃す。」復た挙す:「昔、秀才が長沙の岑禅師に参じ、『千仏名経』を見るに因って、遂に問う:『百千の諸仏はただその名を聞くのみで、未だ審らかにせず、何れの国土に居るか?また化物するか?』沙云く:『黄鶴楼に崔顥が詩を題した後、秀才はまだ題したか?』才云く:『未曾。』沙云く:『暇を得て一篇を題するがよい。』」師云く:「長沙は緊を措くも猶忙しく、遠く構えて近く抵し難し。秀才の仏の居処を問うは、決定しているが、下落は明らかならず。今、人ありて山僧に問う:『百千の諸仏、未だ審らかにせず、何れの国土に居るか?』ただ彼に向かって道う:『渾身すでに含元殿に在り、何事か労労として帝都を問わん?』」
小參。僧問:「如何是不落間斷底佛法?」師云:「楊花纔落地,又到杜鵑啼。」進云:「且道各人見處是同?是別?」師云:「綠水隨谿轉,白雲伴月還。」進云:「蕩蕩長流混合而去時如何?」師云:「源頭未出時,好與三十棒。」乃云:「同歸圜頓沒多途,道契虛空體自如,舉目出頭天外看,一回鴈過兩行書。於此明得,不獨見處亦同佛法,有何間斷?方知世尊道:『十方世界中尚無二乘,何況有三?』可以動絃別曲,葉落知秋。既知,且道:東山打鼓,西寺撞鐘,前門喧鬧,後殿寂寥,即是一乘法?不是一乘法?若道不是,分明抱贓叫屈;若道即是,何妨喚瓮作鐘?正議之間,莫顧危亡,一刀兩段,放下昭然,別無佗術。現有一輪秦宮寶鏡,當日雲門善用得恰,鑑透衲僧心髓,天魔望見心寒,是聖是凡,並無可逃。豈不彼既丈夫,我亦爾哉?」良久,顧眾,云:「未審此間還有避得者麼?若有,試出道看。若也道得,不唯耀無明窟,亦乃通徹慧眼,連傳上座要向諸人手裏乞命,不然仍復釣魚船上謝三郎。」復舉:「天聖泰到瑯琊,琊云:『埋兵掉鬥未是作家,匹馬單鎗便請相見。』泰指云:『將頭不猛,帶累三軍。』瑯琊打泰一坐具,泰復打瑯琊一坐具,瑯琊接住,云:『適來一坐具是山僧令行,上座一坐具落在甚麼處?』泰云:『伏惟尚饗。』瑯琊拓開,云:『五更侵早起,更有夜行人。』」師云:「覿面相逢,宛若二龍鬥驪;臨機察辨,猶若距爪雙獅。幸得古人別有出身一路,不然洎合打破蔡州。大眾!還識古人出處麼?行藏機變神難測,動靜施為聖莫知。」下座。
小參。僧問:「心不散蕩時如何?」師云:「水澄泉月燦。」進云:「道不乾枯時如何?」師云:「雨潤竹臺青。」進云:「恁麼人來還有喫棒分也無?」師云:「恰然相稱。」乃云:「緇流若具眼中睛,善不容人下火坑,盡底乾枯無法救,臨時又在杖頭生。插手難入,緣即則應;吐語不及,節至而彰。所以道:我本無心有所希求,今此寶藏自然而至,塵塵垂手不違佗本,處處提撕不執己見,石虎天明自吞露柱,木人夜半解撥燈籠,更古更今、無間無斷,瞻前瞻後、無黨無偏,故所天地以此發生萬物、聖賢以此啟迪含生、真善知識以此流傳正眼、大明悟人以此敵敗邪群,須過量人得此殊勝,非劣見者顯此真機。到者裏如雷附電、似雨依雲,雖然動地驚人,家中其實湛定,單傳直授,門外不立階梯。且道:以何法修?以何法行?得入如是境界,猛力蹋著無住本,隨機自應有方圜。」復舉:「南泉巡堂次,牽頭水牯入堂,首座以手拊牛臂一下,泉便休。少頃,趙州將艸二束放於首座面前,座無對。」師云:「南泉異類中人,要渠頭角完備;趙州重添艸料,圖佗氣概驚群。父子首尾相扶,可惜散不著處。若是通方首座,何不對眾表明?且道:表箇甚麼?滿堂雲水俱有分,將來此處作私情。」
小参。僧が問う:「心が散り乱れない時はどうですか?」師云く:「水は澄み、泉の月は燦然と輝く。」さらに問う:「道が枯れ果てない時はどうですか?」師云く:「雨は潤い、竹の台は青く映える。」さらに問う:「このような人が来ても、棒で打たれることはありますか?」師云く:「まさに相応しいことだ。」
そして云う:「黒衣の僧侶がもし眼の中に睛(瞳)を備えているならば、善は人を火の坑に落とすことを許さない。底まで枯れ果てれば救う法もなく、臨時にまた杖の先から生じる。手を差し込んでも入り難く、縁あれば即ち応ずる。言葉を吐いても及ばず、時節至れば明らかになる。ゆえに道う:『我れ本より心に希求する所無く、今この宝蔵自然に至る。塵塵垂手して他(た)の本に違わず、処々提撕して己の見を執せず。石の虎は天明に自ら露柱を呑み、木の人(にんぎょう)は夜半に解って燈籠を撥(は)ねる。更に古く更に今に、間無く断無し。前を瞻(み)後を瞻(み)て、党無く偏無し。故に天地はこれをもって万物を発生し、聖賢はこれをもって含生を啓迪し、真の善知識はこれをもって正眼を流伝し、大明の悟人はこれをもって邪群を敵敗す。須らく過量の人、この殊勝を得るべく、劣見の者に非ざればこの真機を顕す。ここに到る者は雷の電に附くが如く、雨の雲に依るに似たり。然りといえども地を動かし人を驚かすも、家中は実に湛然として定まっている。単伝直授、門外に階梯を立てず。且つ道え:何の法をもって修め、何の法をもって行じて、かくの如き境界に入ることを得るか。猛力に踏みつけて住むところ無き本(もと)に至れば、機に随って自ら方円有るに応ずる』。」
さらに挙げる:「南泉が堂を巡る次、頭を牽いて水牯(水牛)を堂に入れる。首座が手を以て牛の臂(ひじ)を一下(ひとたたき)すると、南泉は便ち休む。少しくして、趙州が艸(くさ)二束を首座の面前に放つ。首座、対(こたえ)無し。」師云く:「南泉は異類の中の人、その頭角の完備を要す。趙州は重ねて艸料を添え、その気概の群を驚かすを図る。父子首尾相扶(たす)くるも、惜しむらくは散じて着くところ無し。もし通方の首座ならば、何ぞ衆に対し表明せざるか。且つ道え:何を表すか。満堂の雲水(修行僧)ともに分け有り、将(は)たここに来って私情を作す。」
除夕,小參。僧問:「上古尊宿至今在甚麼處應現?」師云:「堂堂日月無今古,蕩蕩乾坤絕去來。」進云:「擬欲請益,還應機也無?」師云:「天共白雲曉,水和明月流。」乃云:「佛說一切法,為度一切心;我無一切心,何用一切法?有法傳授是外道法,有語相通是凡夫語。何也?道由心悟,不假言傳。然有方便,據有來端,令參學人得正見知。昔有大珠初參馬祖,祖曰:『從何處來?』珠曰:『越州大雲寺來。』祖曰:『來此擬須何事?』珠曰:『來求佛法。』看佗大珠和尚便不說來此處看門庭、延歲月,專以究竟此事為本。馬祖見得是條正路上走底人,令佗識取本有之事,唯以直言而相為曰:『自己寶藏不顧,拋家散走作麼?我者裏一物也無,求甚麼佛法?』可見馬祖愍物盡於神情。然大珠並不朝思暮想,分外躊躇,擬欲直下便見,遂作禮,又問曰:『那箇是慧海自家底寶藏?』當時馬祖也不牽經引論、說玅談玄,對佗寶藏庫門首近指云:『即今問我者是汝寶藏,一切具足,更無欠少,使用自在,何假外求?』若是而今,決不可言。何也?斯人尟福德,不堪受是法。大珠於己分上方知埋沒多載,不自覺知,忽然指出現成受用,感恩不已,踊躍禮謝,便不走東去西,事祖六載。後因受業師老,遂歸奉養,晦跡藏用,人莫能識。所著《頓悟入道要門論》一卷,法姪玄晏竊呈馬祖,祖覽訖,告眾曰:『今越州有大珠,圜明光透,自在無遮障處也。』眾因詢訪依附。一日,謂曰:『我不會禪,並無一法可示於人。』故爾端直樹上不長曲條。僧隨問:『擬申一問,師還對否?』珠曰:『深潭月影,任意撮摩。』凡聽法者,適來頭上放過,如今又向者裏撮摩。縱然摩得,只是箇弄影漢,喜沒交涉。僧又問:『如何是佛?』珠曰:『清談對面,非佛而誰?』所以非父不生其子。當時恁麼得,而今恁麼用,可見正法眼藏上下相承,垂手之際不失宗旨,便是本色宗師為人體裁。可嘆近來馳虛者多,何曾隨得古人腳步聚得?纔有三五眾,並不提起此事,就去奪了鄉學,應赴兩家飯碗。詳此輩人,無非以借祖師門路衒耀出身,今古相並,先後觀來則天淵矣,全不察其古往名宿。然無者番行徑固有,則不須出家,而在家者亦可為也。既爾出家,古人不曾教汝與世間人逞學解、論文章、販經書、圖世利,無非直教脫有漏、出生死、悟正道、明法眼、紹佛種、利人天,以心印心,心心相契,更無少剩,亦復不教學者忘本逐末、背正投邪。內有覺者,但看馬祖、大珠二老因緣,始終不負平生。何也?欲行千里,一步為初。者裏了得淨盡,別有達路出身,打開寶藏,取出家珍,用得恰當,到處相應,非是強為,法應如是。故曰:我為法王,於法自在。既爾了達,又在何處相應?」良久,云:「善財將七日,到此不知蹤,已後誰相會?德雲在別峰。」遂喝一喝,卓杖,下座。
小參。「八字打開,全無向背;當陽點破,迥絕異同。既無向背,又絕異同,不疑古釋迦不先、今彌勒不後,曹溪水不深、石頭路不滑,說甚隔山見煙方知是火、隔牆見角可知是牛?所以道:情存聖量,猶落法塵;已見未忘,還成滲漏。不落諸數,喻若摩尼;盡意能超,仍歸空界。若也歸得,億劫沉迷,此時透脫;萬載風規,如今整頓。不妨展一事,則萬理全彰;收一理,則萬事俱息。塵塵無拘,全皆道眼;剎剎無礙,盡是心源。方可顯發祖意,吼震地之雷音;爍破幽關,布彌天之瑞色。如此遞相連輝,因甚杳冥不辨?華鱗弄藻在長波,不別雙清怎奈何?映水往來千古照,金光分布滿江河。」下座。
小参。「八字に開き、向背全く無し。陽の当たる所を点破すれば、異同は遥かに絶つ。既に向背無く、又異同を絶てば、古の釈迦が先にあらず、今の弥勒が後にあらざるを疑わず。曹渓の水深からず、石頭の路滑らかならざるも、何をか言わん。隔てたる山に煙を見て初めて火と知り、隔てたる壁に角を見て牛と知るなどと。故に道う、聖量に情存すれば、猶お法塵に落つ。已見未だ忘れざれば、還って滲漏を成す。諸数に落ちざれば、摩尼の如し。意を尽くして能く超え、仍って空界に帰す。若し帰し得れば、億劫の沉迷、此の時に透脱し、万載の風規、今に整頓す。一事を展ずれば、万理全く彰れ、一理を収めれば、万事俱に息む。塵塵拘わること無く、皆これ道眼。刹刹碍ること無く、尽く是れ心源。然る後に初めて祖意を顕発し、地を震わす雷音を吼え、幽関を爍破し、天に満つる瑞色を布く。かくの如く互いに連輝すれど、何ぞ杳冥として弁ぜざる。華鱗藻を弄ぶ長波に在り、双清を別たざれば争でか奈何せん。水に映じて往来千古を照らし、金光分布して江河に満つ。」下座。
密印禪師語錄卷四
密印禅師語録 巻四