據佛本行經,此賢刼初建立已,有大轉輪王,名眾集置,亦名大眾平章地生,亦名刹利王。王有長子名真實,子孫相承二十七世,各有千子,計二萬七千,皆大轉輪王,至大須彌王,子孫相繼,至魚王一十七世,子孫相紹,計一十七萬三千二百八十四,皆小轉輪王。魚王有子,名真生。至大茅草王三十一世,計一百八,皆粟散王。茅草王亦名奢夷耆耶,亦名瞿曇;年老捨位出家,因射滅滴血入地,生甘蔗二莖:一化生男,一化生女;男再紹位,名甘蔗王。
『仏本行経』によると、この賢刼の初めに、大転輪王が現れました。名を衆集置といい、また大衆平章地生とも、刹利王とも呼ばれました。王には長子がいて、名を真実といいました。その子孫は二十七代にわたって継承され、それぞれ千人の子をもうけ、合計二万七千人の王子がいました。彼らは皆、大転輪王となり、大須弥王に至るまで、子孫が代々王位を継ぎました。魚王に至るまで十七代続き、子孫が相継いで、合計十七万三千二百八十四人となり、皆、小転輪王となりました。魚王には子がいて、名を真生といいました。大茅草王に至るまで三十一代続き、合計百八人となり、皆、粟散王となりました。茅草王はまた奢夷耆耶とも、瞿曇とも呼ばれました。年老いて王位を捨て出家し、矢を射て地面に落ちた一滴の血から、二本の甘蔗が生えました。一本は男の子を化生させ、もう一本は女の子を化生させました。男の子は再び王位を継ぎ、甘蔗王と名乗りました。
眾集置大轉輪王(二十七世計二萬七千王)┐ ┌──────────────────┘ └大須彌小轉輪王(一十八世計一十七萬三千二百八十四王)┐ ┌──────────────────────────┘ └真生粟散王(三十一世計一百八王)┐ ┌────────────────┘ └茅草王(亦名瞿曇氏 亦名奢夷耆耶)─甘蔗王┐ │ ┌────────────────────┘ │┌第一妃一子─長壽王┌炬面王 ││(名長壽王) │ └┤ ├金色王 │ ┌┤ └第二妃四子───┘├象眾王 (炬面已下) │ └別成王──拘盧王一子──瞿拘盧一子┐ ┌────────────────────────────┘ │ ┌悉達多──出家成佛今釋迦牟尼佛是也 │ ┌淨飯王─┤ │ │(二子)└難陀 │ │ │ │ ┌難提迦 │ ├白飯王─┤ │ │(二子)└提婆唎迦 │ │ └師子頰王──┤ ┌阿難多 (四子一女)├斛飯王─┤ │(二子)└提婆達多 │ │ ┌阿泥盧逗 ├甘露飯王┤ │(二子)└摩訶那摩 │ └女甘露味
其第二妃四子,有大仁德,以上妃妬侫,父令出國,子母宮屬臣民多眾隨往雪山下建國,城號迦毘羅,王稱別成,遠近欽伏。不久成大國。內外豐富,父知憶念故歎曰:我子釋迦氏,王有子名拘盧。
第二妃の四人の子は、大いなる仁徳を持っていた。しかし、上の妃の嫉妬と讒言により、父王は彼らに国外へ出るよう命じた。子たちと母、宮中の家臣や民の多くがこれに従い、雪山の麓へ向かい国を建てた。城は迦毘羅と名付けられ、王は別成と称され、遠近の者が敬服した。やがて大国となり、内外ともに豊かになった。父王はこれを知り、懐かしんで嘆いた。「我が子、釈迦氏よ」。王には拘盧という名の子がいた。