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title: "幻住明禪師語錄 · 小參"
description: "幻住明禅师语录由明代禅师幻住明所说，其弟子清尚等人编录，依驹本印行。该书成书于清代，是研究明清之际禅宗思想的重要文献。内容收录了禅师的机锋对答、开示法语、禅修要旨及偈颂等，体现了临济宗的禅风与修行理念。作为禅宗语录，它不仅是明禅师个人悟道历程的见证，也为后世学人提供了参禅悟道的指南，在佛教禅宗史上具有承前启后的地位，对理解明清禅学发展有重要参考价值。"
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## 幻住明禪師語錄卷二

> 幻住明禅師語録 巻二

嗣法門人清尚等編

> 師資相承の法脈を受け継ぐ門人、清尚らが編纂

### 小參

> 小参

住仙人山小參。「天圓拽杖到鄰陽，及第開張選佛場，幸遇眾檀誠弼護，方能如是廣宣揚。情與無情一軀，佛並眾生不二。當體全現，逢緣立宗，有時拈一莖艸作丈六金身用，有時將丈六金身作一莖艸用。諸人欲識佛性麼？流泉是命，湛寂為身，千波競起是文殊境界，一片晴空是普賢境界，所謂欲識佛性義，當觀時節因緣，時節若至，可以舉一明三，目擊知歸，須知個中有格外機，行格外用，明格外道，證格外心，淨裸裸絕承當，赤灑灑無回互，壁立萬仞坐斷千差，正所謂垂鉤四海秪釣獰龍，格外玄機為尋知己。於中有個漢便恁麼承當，得格外趣向，待向伊道個什麼即得？說理說事得麼？說玄說妙得麼？說佛說祖得麼？說心說性得麼？論棒論喝得麼？論權論實得麼？論照論用得麼？這事且置，且不犯鋒鋩、纖塵不立作麼生是？獨脫之句還委悉麼？大道體寬無向背，金毛返擲大家看。」下座。

> 仙人山に住していた時の小参。 天円、杖を曳いて鄰陽に到り、及第して選仏場を開張す。幸いに衆檀の誠に弼護するに遇い、かくの如く広く宣揚することを能くす。情と無情と一軀、仏並びに衆生不二。当体全現し、縁に逢いて宗を立つ。時に一莖の草を拈じて丈六の金身として用い、時に丈六の金身を一莖の草として用う。諸人、仏性を識らんと欲するや？流泉は命、湛寂は身、千波競い起こるは文殊の境界、一片の晴空は普賢の境界。所謂「仏性の義を識らんと欲すれば、当に時節因縁を観ずべし。時節若し至れば、一を挙げて三を明らかにし、目撃して帰することを知る」と。須く知るべし、個中に格外の機あり、格外の用を行じ、格外の道を明らかにし、格外の心を証す。浄らかに裸々として承当すべからず、赤らかに灑々として回互なし。壁立万仞、坐して千差を断つ。正に所謂「鉤を四海に垂れて、只だ獰龍を釣る。格外の玄機、知己を尋ぬ」と。中に若し一箇の漢、便ち恁麼に承当して、格外の趣向を得たらんに、向かいて伊に「道うに什麼をか即ち得る？」と。理を説き事を説くことを得んや？玄を説き妙を説くことを得んや？仏を説き祖を説くことを得んや？心を説き性を説くことを得んや？棒を論じ喝を論ずることを得んや？権を論じ実を論ずることを得んや？照を論じ用を論ずることを得んや？この事且く措け。且く鋒鋩を犯さず、纖塵も立たず、作麼生か是れ？独脱の句、還た委悉せりや？大道の体は寛くして向背なし、金毛の返り擲る、大家看よ。 下座。

小參。「有作思惟亦能生滅，行無間道修無漏業，一拈一放，半開半合，則未免在窩窟裏。殊不知，往復無間、動靜一如，融大千沙界於一塵、會十世古今於一念，去來起滅向什處安排，春夏秋冬於何時理論？到者裏，淨裸裸赤灑灑沒可把，東西不辨、南北不分底則故是未知落處。久參先德，腳踏實地，且道正當恁麼時，如何委悉？群陰消剝盡，獨露一精明。」

> 小参。「作意をもって思惟すれば、それもまた生滅を生じる。無間道を歩み、無漏の業を修め、一つの拈じ、一つの放ち、半ば開き、半ば閉じるならば、結局は穴蔵の中にいるのを免れない。しかし、よくよく知るがよい。往復に間断なく、動と静は一つであり、大千世界を一つの塵に融け込ませ、十世の古今を一念に集める。去来や生・滅はどこに置き、春・夏・秋・冬はいつ論じられるだろうか？この境地に至れば、すっかり裸で、さっぱりとして、捉えるものもなく、東も西も弁別できず、南北もわからないというのは、やはり落ち着くところを知らないのである。長く先徳のもとで参じ、地に足をつけて踏み固めた者ならば、まさにそのような時、どのようにして明らかにわきまえるのか、言ってみよ。あらゆる陰りが消え去り尽くした時、ただ一つの精妙な明らかなるものが露わになるのだ。」

小參。「明眼漢，沒窩臼，逐物為下，卻物為上，不若但自無心於萬物，何妨萬物常圍繞。金風凜凜射玄英，體露迥然光潔皎，截斷群機於未兆，坐卻天下人舌頭。到這裏，且道是一是二？若道是一，因甚世諦義中有聖諦義？若道是二，何故聖諦義中無世俗諦？於斯若無透關眼，未免迷瞞矓侗。還知個中如明鏡當臺，明珠在掌，舉無遺照，萬象歷然，雖四序推遷，其中有不移易一絲毫之體，雖萬機齊赴，其中有湛然不動之源，於斯撥轉關頭，圓機應感。諸人於此還見麼？設使千聖出頭來，也說他不著，有眼也覷他不著，縱若有個讎冤衲子，眼似流星、口如懸河，一鑑辨他不得。山僧今夜與諸人打葛藤，策進身心，用盡伎倆，亦難舉措。且道因什如此？意氣不從天地得，文彩不是刻雕成。」下座。

> 小参。 「目のはっきりした人は、決まりきった枠組みにはまらない。物事を追い求めるのは下のやり方で、却って手放すのが上のやり方だ。ただ、あらゆるものに対して心を無にしておけば、万物が常に自分を取り巻いていたとしても、何の差し支えがあろうか。秋風が冷たく吹きすさび、万物の本体は露わになり、清らかに輝いている。あらかじめ未だ兆しのないところで、あらゆる分別のはたらきを断ち切り、天下の人々の舌をも封じてしまう。 この境地に至ったとき、これは一つのことなのか、二つのことなのか、と問おう。もし一つだと言うなら、なぜ世俗の真理の中に聖なる真理があるのか。もし二つだと言うなら、なぜ聖なる真理の中に世俗の真理はないのか。ここをうまく見通す眼がなければ、惑わされてぼんやりしたままになってしまうだろう。 しかし知っておくがよい、この境地はちょうど明るい鏡が台の上に置かれ、宝玉が掌の中にあるようなものだ。挙げれば漏れなく照らし出し、万象がはっきりと現れる。四季が移り変わっても、その中には少しも動かない本体があり、無数の働きが一斉に起こっても、その中には静かに動かない源がある。この関所を上手く回転させれば、自在なはたらきが感応する。 皆さん、ここをまだ見ることができるだろうか。たとえ千人の聖者が現れ出ようとも、このことを言い表すことはできない。目があってもそれを見ることはできない。たとえ、目を流れ星のようにし、口を滝のようにして立ち向かう修行者がいても、その真偽を見極めることはできない。 今夜、山僧が皆さんと共にぐずぐずと話を続け、身心を促し練り上げようと、あらゆる手を使っても、それでもこのことは扱いにくい。なぜこのようなのか、言ってみよ。英気は天地から得られるものではなく、文彩は彫り刻んで作られるものではないのだ。」 （下座）

小參。「德山小參不答話，解黏去縛；趙州小參要答話，以楔出楔。山僧今夜不管答話不答話，偶於衣單下拾得個千年桃核，也有靈妙舉似大眾。」以杖橫肩云：「若恁麼見得，坐斷天下人舌頭去也。」復卓杖云：「若恁麼見得，入地獄如箭射。」以杖擲地云：「不得明星出，幾乎枉費工。」下座。

> 小参。「徳山和尚は小参の際に問答をせず、執着を解き縛りをほどき、趙州和尚は小参の際に問答を行い、楔を抜くために楔を用いた。この山僧は今夜、問答をするかしないかは問わず、たまたま衣の下から千年の桃の種を拾い得た。それにはまた霊妙な趣きがあるので、皆さまにご披露しよう。」杖を肩に横たえて言う、「もし、このように見極めるならば、天下の人々の舌を断ち切ることになろう。」さらに杖を立てて言う、「もし、このように見極めるならば、地獄に落ちることは矢のごとく速い。」杖を地に投げ捨てて言う、「明星の出ずるを得なければ、ほとんど功を空しく費やすところであった。」座を下りた。

小參。「大道體寬無向背，當陽直截任施為，張牙露爪能哮吼，便是金毛獅子兒。撥轉天關，海底紅塵起；拽回地軸，法界雪漫漫。電捲星馳，超今邁古，去來無間，動靜如然。融大千國土於一塵，會古今十世於當念。其或東西不辨、南北不分，後學初機自是未知落處，久參先德著實評論。若是具眼衲僧，必不如是。且道如何？群陰消剝盡，自然春到來。」

> 小参。「大道の体は広く、向きや背はない。目の前の真実をそのまま受け止め、自由に振る舞うがよい。牙をむき出しにし、爪を立てて、ほえたけることができれば、それが金毛の獅子の子である。天の関を引き回せば、海底に紅塵が舞い上がり、地の軸を引き寄せれば、法界は雪で真っ白になる。電光が走り、星が飛び回るように、古今を超え、去来に間断なく、動と静がそのまま一致する。大千の国土を一粒の塵の中に融け込ませ、古今十世を一瞬の念に会する。もし、東西も南北も区別できず、初心者としての初めての機縁が、自ら落ち着くべき場所を知らず、長く修行した先達も、その一言一句を批判するならば、もし真の眼を持つ僧侶であれば、決してこのようにはしない。さて、どういうことかといえば、すべての陰気が消え去れば、自然と春が来る。」

小參。「初撾塗毒鼓，三撲景陽鐘，敲勝超群子，飛騰始化龍。個中有變化者麼？」僧問：「如何是恁麼也不得？」師云：「蚊子上鐵牛。」進云：「如何是恁麼不恁麼總不得？」師云：「蝸牛角上三千界。」進云：「如何是恁麼也得？」師云：「拄杖𨁝跳吞卻虛空。」進云：「如何是恁麼不恁麼總得？」師云：「缽底現曇華。」進云：「謝師答話。」師云：「任汝卜度。」乃云：「鄰陽卓杖結三冬，惟有今年事事同，雲水欽風歸座下，眾檀恪護盡丹裒。一塵不立干戈息，野老謳歌展化容，眾中若能親薦得，大千沙界播吾宗。」

> 小参（小規模な法話）。 「初めて毒鼓を打ち鳴らし、三たび景陽の鐘を撞く。敲くことは勝れた群れを超え、飛び騰がって初めて龍と化す。この中に変化する者はいるか？」 僧が問う：「『そうであることもできない』とは、どのようなことですか？」 師、曰く：「蚊が鉄の牛に止まるようなものだ。」 さらに問う：「『そうであることも、そうでないことも、どちらもできない』とは？」 師、曰く：「蝸牛の角の上の三千世界だ。」 さらに問う：「『そうであることもできる』とは？」 師、曰く：「杖が跳ね上がって虚空を飲み込む。」 さらに問う：「『そうであることも、そうでないことも、どちらもできる』とは？」 師、曰く：「鉢の底に優曇華が現れる。」 僧、曰く：「御教授、ありがとうございます。」 師、曰く：「お前の推測に任せよう。」 そして師、曰く：「隣陽で杖を立てて冬を結ぶこと三度、ただ今年は全てのことが同じだ。雲水が風を慕い座下に帰し、多くの檀那が心を尽くして守護する。一塵も立たず干戈は静まり、田舎の老人は歌い謳い教化の姿を現す。大衆の中でもしこれを親しく悟り得るならば、大千世界に我が宗を宣揚せん。」

小參。「上元白月十五，處處搞鑼擂鼓，驚起太虛空神，倒騎崑崙作舞。」豎拂子云：「且道正恁麼時如何？心生大懽喜，自知當作佛。」下座。

> 小参。「上元の白月十五日、あちこちで銅鑼や太鼓を打ち鳴らし、太虚空の神々を驚かせ、崑崙山を逆さまに乗って舞を踊らせる。」払子を立てて言う。「さあ、まさにそのような時、どうであるか？心に大いなる喜びが生じ、自ら知る、まさに仏となるべきことを。」下座。

小參。師卓杖云：「會麼？山僧歷年以來全憑這條白棒打爛葛藤，掃除荊棘，與一切人解粘去縛、拔楔抽釘，不作窠臼語，不作計較語，不作相似語，不作合頭語，與三世諸佛歷代祖師，天下老和尚及諸開堂說法諸大宗師同行同證，全體獨露。尋常於寶華王座上不說真諦語，不說俗諦語，不論宗乘，不說禪機，不論生滅，豈作地獄業。惟只憑此者一片真實處，淨裸裸、赤灑灑，如龍得水、似虎靠山，隨處作主、逢場作戲，當面直切，不作回互。」以杖擲地云：「不欲更塗汙。」

> 小参。師が杖を卓ちて云く、「会得したか？山僧は年来、専らこの一条の白棒に依って、葛藤を打ち破り、荆棘を掃い除け、一切の人と共に、執着を解き、束縛を離れ、楔を抜き、釘を引き抜き、巣窟に陥る言葉を語らず、分別に堕する言葉を語らず、似而非なる言葉を語らず、迎合する言葉を語らず、三世の諸仏、歴代の祖師、天下の老和尚、ならびに諸々の開堂説法の大宗師と共に行じ、共に証し、全体が独り露わである。常に宝華王の座上に於いて、真諦の語を説かず、俗諦の語を説かず、宗乗を論ぜず、禅機を説かず、生滅を論ぜず、どうして地獄の業を作ろうか。唯だこの一片の真実の処に依って、赤裸々に、清らかに、龍の水を得るが如く、虎の山に靠るが如く、随所に主となり、場に逢っては戯れを行じ、当面に直截に、回互せず。」杖を地に擲ちて云く、「更に塗り汚さんことを欲せず。」

小參。「瑞氣中和萬彙均，百花芳艷應時新，就中者點超靈物，不受陰陽孰減增。」下座。

> 小参（ちょっとした法話）。 「瑞気は和らぎ、万物に均しく行き渡り、百花は芳しく美しく、時季に応じて新たに咲き誇る。その中にあって、この一点だけは、この世のあらゆるものを超えた、霊妙なるもの。陰陽の作用を受けず、減ることも増えることもないのだ。」 （以上で下座します。）

小參。「板齒生毛也甚奇，人王一見尚難知，不因趙老酬相問，話遍天涯好決疑。所謂大疑大悟，小疑小悟，不疑則不悟。敢問大眾，決疑一句作麼生道？靜坐決斯疑，勝造七寶塔。」下座。

> 小参（手短な法話）。「板歯に毛が生えるとは、実に不思議なことです。人王といえども一目見ただけでは知り得ません。趙州老師が問いに答えてくださらなければ、その話が世に広まることもなく、疑いを決するのは難しかったでしょう。いわゆる、大いに疑えば大いに悟り、小さく疑えば小さく悟り、疑わなければ悟ることはありません。そこで皆さんに問います。疑いを決するという一句を、どのように説きますか？静かに坐してこの疑いを決することが、七宝の塔を建てるよりも勝れているのです。」下座。

小參。「當陽一著箭鋒機，鶖子英靈罔測知，一竅頂門常獨露，龍晴天眼莫能窺。空王玉殿無人到，佛智聖心罕見微，吐霧鐵牛噓紫氣，陽春白象震雄威。恁麼不恁麼拈向一邊，把斷要津，杳絕凡聖，有眼者如盲，有口者如啞，方知無說說，始信不聞聞。縱若通身是眼，盡乾坤、法界、艸木、昆蟲、人畜、鬼仙一一交羅，運許多神通妙用，到這裏不消一捏。且道具甚麼眼有如是奇特，如是顯煥，如是直截，便能坐斷佛祖，全體獨露。然雖如是，即今是我金湯駱檀越命山埜於興隆禪院祝國開堂，未免放開一線道。還委悉麼？四海浪平龍睡穩，九天雲靜鶴飛高。」下座。

> 小参。 「目前この一著、箭鋒の機。 鷲子（しゅし）の英霊も測り知る能わず。 一竅（いっきょう）の頂門、常に独り露わ。 龍睛（りゅうしょう）の天眼も窺うこと能わず。 空王の玉殿、人として到る者なし。 仏智の聖心、微なるを見ることまれなり。 霧を吐く鉄牛、紫気を嘘（ふ）く。 陽春の白象、雄威を震う。 恁麼（いんも）にもせず、不恁麼にもせず、一辺に拈（ねん）ず。 要津（ようしん）を把断（はだん）し、凡聖（ぼんしょう）を杳絶（ようぜつ）す。 眼ある者も盲（めくら）のごとく、口ある者も唖（おし）のごとし。 ここに至りて、はじめて無説の説を知り、不聞の聞を信ず。 縦（たと）え全身これ眼なりとも、尽乾坤、法界、草木、昆虫、人畜、鬼仙、一一に交羅（こうら）し、多くの神通妙用を運すとも、ここに到りては、一捏（いちねつ）に消すに足らず。 且（しばら）く問う、いかなる眼を具えて、かくのごとき奇特あり、かくのごとき顕煥（けんかん）あり、かくのごとき直截（ちょくさい）ありて、よく仏祖を坐断（ざだん）し、全体独り露わなるや。 然りと雖も、即今（そっこん）、我が金湯（きんとう）の駱檀越（らくだんおつ）、山野（さんや）に命じて興隆禅院において国を祝し堂を開かしむるは、免（まぬかれ）ず一線の道を放開す。 還（ま）た委悉（いしつ）せんや。 四海浪平かにして龍睡り穩（おだ）やか、九天雲静かにして鶴飛んで高し。」 下座。

小參。「參禪一著子，切莫顧危亡，妄念若起時，只用當頭截。如斬一綟絲，莫分前後際，一斬一切斷，一斷一切斬。直於自己腳跟底下逼拶一條活路出去，此條活路有三件事：一、每日經行時不得踏著地上一點塵，若踏著一點塵，即犯波羅夷罪；二、時粥飯不得咬著一粒米，若咬著一粒米，即犯波羅夷罪；三早晚穿衣不得掛著一縷絲，若掛著一縷絲，即犯波羅夷罪。大眾！於日用中有不觸犯者，到方丈裏通個消息。」

> 小参。「参禅というこの一つのこと、決して危険や失敗を恐れてはいけません。妄念が起きたなら、ただ真っ向から断ち切るのです。まるで一本の糸を断つように、前後を区別してはいけません。一たび断てばすべてが断たれ、すべてを断つことが一つの断ち切りとなるのです。ひたすら、自分の足元から活路を一つ、押し開いて進み出なさい。この活路には三つの戒めがあります。第一に、毎日経行するとき、地面の塵を一粒たりとも踏んではなりません。もし一粒の塵を踏めば、それは波羅夷罪を犯すことになります。第二に、粥や飯を食べるとき、米を一粒たりとも噛んではなりません。もし一粒の米を噛めば、それも波羅夷罪です。第三に、朝晩、衣を着るとき、糸を一本たりとも引っ掛けてはなりません。もし一本の糸を引っ掛ければ、それも波羅夷罪となります。諸君！日常の生活の中で、これらの戒めに触れないという者がいるなら、方丈に来て知らせなさい。」

小參。「古人云：『學道須先有悟由，猶如爭鬥快龍舟，雖然舊閣閒田地，一度贏來方始休。』箇中有贏得者麼？眾若藏鋒，不免山埜重掀露布。者點靈機萬象先，無位真人面目全，灰飛律管一陽復，幾能鼻孔解遼天。且道如何是鼻孔遼天句？紅爐水種火，梅花夜讀書。」

> 小参。 「古人は言う：『道を学ぶには、先に悟りのきっかけがなければならない。それはまるで、競うように龍船を漕ぎ進むようなものだ。たとえ昔の屋根裏の空き地であっても、一度勝ち取ってこそ初めて休むことができる。』」 この中に、勝ち取った者はいるだろうか。もし皆が鋒を隠して沈黙するならば、やむを得ずこの山野の僧が、改めて戦いののろしを上げよう。 この一点の霊機は万象に先立ち、 無位の真人の面目は円満である。 律管の灰が飛び、一陽が復活するとき、 いったい幾人が、鼻孔を以て天空を遼かに見渡すことができるだろうか。 さて、「鼻孔、天を遼かにす」という句は、いったい何を意味するのか。 ――紅炉の水、火を種とし、梅の花、夜に書を読む。

元宵小參。「羽衣清夜奏霓裳，金吾不禁夜偏長，怎似無油燈不滅，耀天鑑地照無疆。若或能知三千里外野死榸頭爛發心花恢弘瑞彩，冷灰堆裏剔出火種，燦灼十方煥若兩輪，明如蛇珠耀古騰今，威光赫奕。試問大眾，此燈與市燈是同是別？」後堂云：「同則總同，別則總別。」師云：「還委悉麼？篅子量米升恢別，鴨鼎烹茗銚不同。」下座。

> 元宵の小参。羽衣をまとった清らかな夜に「霓裳羽衣の曲」が奏でられ、夜の門限もないほど長い夜は、油がなくても消えない灯りには及ばない。その灯りは天を照らし、地を映し、限りなく輝く。もし誰かが三千里の彼方で野に朽ちた枯れ木の先から、心の花が瑞々しく咲き誇り、壮大な吉祥の光を放ち、冷たい灰の山から種火を見つけ出し、十方を燦然と照らし、二つの太陽のように輝き、龍の宝玉のように明るく古今に耀き、威光が赫々たることを知るならば、問おう、皆さん、この灯りと市井の灯りは同じか、違うか？後堂が答えた「同じであればすべて同じ、違えばすべて違う」。老師が言った「まだわからないか？ 穀物を計る篅（うす）では升の目が異なり、鴨の鼎で茶を煎じる鉄瓶は同じではない」。席を下りた。

對靈小參。「頻歌薤露垂，動勞副石碑，簪纓傳世德，功業使人思。敢問大眾，即今新吾何鎮臺在什麼處安身立命？塵寰留不住，端拱碧蓮池。」

> 霊前の小参。 「しきりに薤露の歌をうたい、労して石碑に副す。冠纓は世の徳を伝え、功業は人をして思わせる。 あえて大衆に問う。ただ今、新たなる何某鎮台は、いずれの処にか身を安じ命を立つるや？ 塵寰に留まり得ず、端拱として碧蓮の池にあり。」

對靈小參。「脫卻臭皮袋，不為世所羈，逍遙歸極樂，面禮彌陀師。試問大眾，即今亡故吉宇劉檀越在什麼處安身立命？只知事逐眼前過，不覺老從頭上來。」

> 霊の小参問答について。「臭い皮袋を脱ぎ捨て、世間の束縛から解き放たれ、のびのびと極楽へ帰り、阿弥陀如来に面会し礼拝する。皆さんに問います。今、亡くなった吉宇劉檀那はどこで身を落ち着け、命を宿しているのでしょうか。ただ事は目の前を過ぎ去ると知るだけで、老いが頭の上から来ることに気づかないのです。」

對靈小參。「婺女夜初落，孝眷痛悲傷，靈前虛列器，愛盡苦源亡。試問諸人，即今史門陳孺人在甚麼處安身立命？」以拄杖敲棺云：「回光爍破愛緣機，面禮彌陀聞授記。」下座。

> 霊前での短い説法。 「夕べの明星がようやく落ち、孝行なご遺族は深く悲しみに暮れています。霊前には虚しく器が並べられ、愛着が尽き、苦しみの源は消え去りました。 さて、皆さんにお尋ねします。ここで、史門（しもん）の陳孺人（ちんじゅじん）は、一体どこに身を置き、心を落ち着けているのでしょうか？」 杖で棺を敲いて言う。 「かの方の光が振り返り、愛着の縁（よすが）を打ち破りました。弥陀（みだ）の面を礼拝し、未来成仏の記別（きべつ）を授かったと聞きます。」 （下座。）

對靈小參。卓拄杖云：「有愛則生，愛盡則滅，和合因緣，生死各別，大限到來，誰能替得。金玉滿堂，兒孫玩悅，儀容眷想，臥苫枕碣。靈前列餼，滴淚成血，痛徹肝腸，誰不痛切？」豎杖云：「諸公還見麼？今我周居士亡室孺人同拄杖頭上道：『只知事逐眼前過，不覺老從頭上來。』雖然如是，會得本地西方，孰用彌陀伸手。」

> 霊前に小参す。卓杖して云く、「愛あれば則ち生じ、愛尽きれば則ち滅す。和合の因縁、生死各別なり。大限到り来たれば、誰か替わるを得ん。金玉堂に満ち、児孫玩悦し、儀容を眷想し、臥苫枕碣す。霊前に餼を列ね、滴泪血と成り、痛肝腸に徹す、誰か痛切せざらん？」杖を竖てて云く、「諸公、なお見るや？今、我が周居士の亡室孺人、同じく拄杖頭の上に道わく、『ただ事の眼前に過ぐるを知りて、老の頭の上より来たるを覚えず。』と。然りと雖も、是くの如く、本地の西方を会得せば、いずくんぞ弥陀の手を伸ぶるを用いん。」

對靈小參。「生來死去苦奔馳，幻形拋擲任東西，四大分張誰似我，一靈頓悟最初機。敢問諸仁者，即今新故樂門本福黃善人在甚麼處安身立命？」復喝云：「九地之中留不住，面禮彌陀親授記。」

> 霊の小さき参究に答える。 「生まれ来て死にゆく苦しみの中を駆け巡り、幻の姿は投げ捨てられ東西に任せる。四大が引き裂かれる時、誰が我れの如くであろうか。一つの霊が、ついに本来の機縁を悟る。あえて諸の修行者に問う。今まさに、新たにこの世を去り、あの世へと向かう門に立つ、本福黄善人という方は、どこに身を置き、心を定めるのか。」 さらに一喝して言う。 「九つの地獄の底にも留まることなく、阿弥陀仏に面と向かい、親しく授記を頂くのである。」

待誥堯門馮夫人對靈小參。「自性天真佛，無黨亦無偏，遭得誰穿鑿，九竅各分權。喉中氣忽絕，棺內永長眠，今朝初覺悟，徹底見根源。」卓杖召眾云：「既見根源，即今待贈夫人在什麼處安身立命？」復喝一喝云：「菩薩悲願力，苦海造法船，彌陀垂接引，頭面禮金仙。」

> 堯門へと向かう馮夫人の逝去に際し、臨済の小参の法語を申し上げます。 「自性の天真仏（じしょうのてんしんぶつ）は、偏りもなく一方にも寄らない。いったい誰が鑿（のみ）を入れて、九つの穴にそれぞれ権能を分け与えたのか。喉の息が突然絶え、棺の中で永く眠る。今朝、初めて悟りを開き、根源を徹底して見極めた。」 杖を卓（たく）して衆を召し、「すでに根源を見極めたのなら、今まさに、馮夫人はどのような場所に身を置き、命を託しているのか？」と問いかける。さらに一喝して言う、「菩薩の悲願の力は、苦しみの海に法の船を造る。阿弥陀仏が救いの手を差し伸べ、頭（こうべ）を垂れて金の仙人を礼拝する。」

為楊門胡氏對靈小參。師卓杖云：「來時本不生，去則不曾死，南󳲹部洲憂，北俱盧洲喜。福業愛為基，幻妄假緣駛，從今悟無生，欽承彌陀旨。敢問大眾，既不生死，即今亡靈楊門胡氏向甚麼處安身立命？」復卓杖云：「三界九地留不住，彌陀接引寶蓮池。」

> 楊家の胡氏のための霊前での小参に臨み、師は杖を立てて言った。「来る時、もとより生まれず、去る時には決して死せず。南閻浮提は憂い、北倶盧洲は喜ぶ。福業は愛を基とし、幻の妄は仮の縁に乗って速やかに進む。今より無生を悟り、阿弥陀の御旨を謹んで承け奉る。あえて大衆に問う。生も死もないのなら、今、亡き霊、楊家の胡氏は、いったいどこに身を置き命を託すのか？」再び杖を立てて言った。「三界九地に留まることはできず、弥陀がお迎えし宝の蓮池へ導かれる。」

為塗門鍾氏對靈小參。「脫卻鶻臭衫，卸下炙脂帽。」喝一喝云：「栗棘蓬快吞，金剛圈猛跳。敢問大眾，即今塗門鍾氏向甚麼處安身立命？彌陀伸願手，接引赴蓮池。」下座。

> 塗門・鍾氏のための対霊小参。 「臭い着物を脱ぎ捨て、脂ぎった帽子を取る。」 一喝して曰く、 「栗の棘の実をさっさと飲み込み、金剛の輪を力強く跳び越えよ。」 あえて大衆に問う。今、塗門・鍾氏は、いかなる処に身を置き、命を託すのか。 弥陀はその手を差し伸べ、迎え取って蓮の池へと導きたもう。」 下座。