(一)第一分初大本經第一
第一分 初大本経
如是我聞:
このように私は聞きました。
一時,佛在舍衛國祇樹花林窟,與大比丘眾千二百五十人俱。
あるとき、お釈迦さまは舎衛国の祇樹花林窟におられ、千二百五十人の大比丘たちと共におられました。
時,諸比丘於乞食後集花林堂,各共議言:「諸賢比丘!唯無上尊為最奇特,神通遠達,威力弘大,乃知過去無數諸佛,入於涅槃,斷諸結使,消滅戱論。又知彼佛劫數多少,名號、姓字,所生種族,其所飲食,壽命脩短,所更苦樂。又知彼佛有如是戒,有如是法,有如是慧,有如是解,有如是住。云何,諸賢!如來為善別法性,知如是事,為諸天來語,乃知此事?」
時に、諸比丘たちは托鉢の後、花林堂に集まり、互いに語り合った。
「賢者たちよ。まさに無上の尊き方は最も特異な方で、神通力は遠くに及び、威力は広大である。過去の無数の諸仏が涅槃に入り、煩悩の束縛を断ち、戯論を消滅させたことを知っておられる。また、それらの仏の劫の数、名号や姓、生まれた種族、何を飲食されたか、寿命の長短、経験された苦楽をも知っておられる。さらに、それらの仏がどのような戒を持ち、どのような法を持ち、どのような智慧を持ち、どのような理解を持ち、どのような境地に住んでおられたかをも知っておられる。
さて、賢者たちよ。如来は法の本性をよく見分けて、このようなことをご存知なのだろうか。それとも、天が来て語ったので、このことを知られたのだろうか?」
爾時,世尊在閑靜處,天耳清淨,聞諸比丘作如是議,即從座起,詣花林堂,就座而坐。
その時、世尊は静かな場所におられ、清らかな天耳をもって、比丘たちがこのように議論しているのをお聞きになりました。そして、すぐに座を立ち、花林堂へと赴き、座に着かれました。
爾時,世尊知而故問,謂:「諸比丘!汝等集此,何所語議?」時,諸比丘具以事答。
その時、世尊はご存知でありながら、わざとお尋ねになりました。「比丘たちよ、あなた方はここに集まって、何について語り合っているのか?」すると、比丘たちは事の次第を詳しくお答えしました。
爾時,世尊告諸比丘:「善哉!善哉!汝等以平等信,出家修道,諸所應行,凡有二業:一曰賢聖講法,二曰賢聖默然。汝等所論,正應如是。如來神通,威力弘大,盡知過去無數劫事,以能善解法性故知,亦以諸天來語故知。」佛時頌曰:
その時、世尊は比丘たちに告げられた。「善きかな、善きかな。あなた方は平等の信心をもって出家し、道を修めている。行うべきことは、大きく二つある。一つは賢聖の法を説くこと、二つは賢聖の沈黙である。あなた方の議論は、まさにこの通りである。如来の神通は威力が大きく、過去無数の劫のことをすべて知っている。それは法性を善く理解しているから知ることができ、また諸天が語りかけてくるから知ることができるのだ。」
その時、仏は偈を唱えられた。
「比丘集法堂,講說賢聖論;
如來處靜室,天耳盡聞知。
佛日光普照,分別法界義;
亦知過去事,三佛般泥洹。
名號、姓、種族,受生分亦知;
隨彼之處所,淨眼皆記之。
諸天大威力,容貌甚端嚴;
亦來啟告我,三佛般泥洹。
記生、名號、姓,哀鸞音盡知;
無上天人尊,記於過去佛。」
比丘たちが法堂に集い、聖なる教えを説き合う。 如来は静かな室にいて、天耳でそのすべてを聞き知る。
仏の光はあまねく照らし、法界の真実を明らかにする。 過去のことも知り尽くす、三仏の涅槃をも。
その名号、姓、種族、生まれも知り、 それぞれの行く先を、清らかな眼で見定められる。
諸天の大いなる力、端麗な姿も、 如来のもとに来て告げる、三仏の涅槃を。
生まれ、名号、姓を、哀れみ深き声でことごとく知り、 無上の天人尊は、過去仏たちを記される。
又告諸比丘:「汝等欲聞如來識宿命智,知於過去諸佛因緣不?我當說之。」
また、諸比丘たちに告げられた。「あなたたちは、如来が宿命を識る智慧によって、過去の諸仏の因縁を知ることを聞きたいか。私はそれを説こう。」
時,諸比丘白言:「世尊!今正是時,願樂欲聞。善哉!世尊!以時講說,當奉行之。」
その時、諸比丘は申し上げました。「世尊よ、今こそまさにその時です。どうかお説きくださることを心から願います。善きかな、世尊よ。時宜を得てお説きください。私たちは必ずお教えを奉じ、行いたく存じます。」
佛告諸比丘:「諦聽!諦聽!善思念之,吾當為汝分別解說。」時,諸比丘受教而聽。
仏は比丘たちに告げられた。「よく聞きなさい。よく聞きなさい。心を込めて思い巡らしなさい。私はあなたがたのために詳しく解き明かしましょう。」その時、比丘たちは教えを受け、耳を傾けた。
佛告諸比丘:「過去九十一劫,時,世有佛名毘婆尸如來、至真,出現于世。復次,比丘!過去三十一劫,有佛名尸棄如來、至真,出現於世。復次,比丘!即彼三十一劫中,有佛名毘舍婆如來、至真,出現於世。復次,比丘!此賢劫中有佛名拘樓孫,又名拘那含,又名迦葉。我今亦於賢劫中成最正覺。」佛時頌曰:
仏は比丘たちに告げられた。「過去九十一劫の時、世に毘婆尸如来・至真という仏が現れた。また、比丘よ、過去三十一劫に、尸棄如来・至真という仏が世に現れた。さらに、比丘よ、その同じ三十一劫の中に、毘舍婆如来・至真という仏が世に現れた。また、比丘よ、この賢劫の中には、拘樓孫という仏があり、また拘那含という仏があり、また迦葉という仏がいる。私は今、この賢劫の中で最も正しい覚りを成じたのである。」その時、仏は偈を唱えられた。
「過九十一劫,有毘婆尸佛;
次三十一劫,有佛名尸棄;
即於彼劫中,毘舍如來出。
今此賢劫中,無數那維歲;
有四大仙人,愍眾生故出:
拘樓孫、那含、迦葉、釋迦文。
九十一劫を過ぎて、毘婆尸仏が現れ、 次の三十一劫には、尸棄仏という仏がおられ、 その同じ劫の中に、毘舎浮如来が世に出られた。 今この賢劫の中では、数えきれぬほどの長い歳月を経て、 四人の大いなる覚者が、衆生を憐れんで現れた: 倶留孫、倶那含、迦葉、そして釈迦牟尼である。
「汝等當知,毘婆尸佛時,人壽八萬歲。尸棄佛時,人壽七萬歲。毘舍婆佛時,人壽六萬歲。拘樓孫佛時,人壽四萬歲。拘那含佛時,人壽三萬歲。迦葉佛時,人壽二萬歲。我今出世,人壽百歲,少出多減。」佛時頌曰:
皆さん、よくお聞きください。 毘婆尸仏の時代には、人の寿命は八万年でした。 尸棄仏の時代には、七万年でした。 毘舎婆仏の時代には、六万年でした。 拘樓孫仏の時代には、四万年でした。 拘那含仏の時代には、三万年でした。 迦葉仏の時代には、二万年でした。 そして今、私がこの世に現れた時代には、人の寿命は百歳です。生まれる者は少なく、亡くなる者が多いのです。 その時、仏は次の偈を説かれました。
「毘婆尸時人,壽八萬四千;
尸棄佛時人,壽命七萬歲;
毘舍婆時人,壽命六萬歲;
拘樓孫時人,壽命四萬歲;
拘那含時人,壽命三萬歲;
迦葉佛時人,壽命二萬歲;
如我今時人,壽命不過百。
毘婆尸仏の時代の人々は、八万四千年の寿命がありました。 尸棄仏の時代の人々は、七万年の寿命がありました。 毘舎浮仏の時代の人々は、六万年の寿命がありました。 倶留孫仏の時代の人々は、四万年の寿命がありました。 倶那含仏の時代の人々は、三万年の寿命がありました。 迦葉仏の時代の人々は、二万年の寿命がありました。 私(釈迦)が今いる時代の人々は、寿命は百年を超えることはありません。
「毘婆尸佛,出剎利種,姓拘利若;尸棄佛、毘舍婆佛,種、姓亦爾。拘樓孫佛,出婆羅門種,姓迦葉;拘那含佛、迦葉佛,種、姓亦爾。我今如來、至真,出剎利種,姓名曰瞿曇。」佛時頌曰:
毘婆尸仏は剎帝利の種族に生まれ、姓は拘利若と申します。尸棄仏と毘舍婆仏も、同じく剎帝利の種族で、姓も同じです。拘樓孫仏は婆羅門の種族に生まれ、姓は迦葉と申します。拘那含仏と迦葉仏も、同じく婆羅門の種族で、姓も同じです。今の私、如来・至真は剎帝利の種族に生まれ、姓は瞿曇と申します。
その時、仏は偈を唱えられました:
「毘婆尸如來,尸棄、毘舍婆,
此三等正覺,出拘利若姓。
自餘三如來,出于迦葉姓。
我今無上尊,導御諸眾生;
天人中第一,勇猛姓瞿曇。
前三等正覺,出於剎利種;
其後三如來,出婆羅門種;
我今無上尊,勇猛出剎利。
毘婆尸如来、尸棄如来、毘舍婆如来、 この三尊の正覚者は、拘利若の姓より出でました。
その他の三如来は、迦葉の姓より出でました。
今、私は無上の尊き者として、 あらゆる衆生を導き、天と人のうちで第一、 勇猛なる瞿曇の姓を継ぐ者です。
先の三尊の正覚者は、剎利の種族より出で、 後の三如来は、婆羅門の種族より出でました。
今、私は無上の尊き者として、 勇猛に剎利の種族より出でました。
「毘婆尸佛坐波波羅樹下成最正覺,尸棄佛坐分陀利樹下成最正覺,毘舍婆佛坐娑羅樹下成最正覺,拘樓孫佛坐尸利沙樹下成最正覺,拘那含佛坐烏暫婆羅門樹下成最正覺,迦葉佛坐尼拘律樹下成最正覺。我今如來、至真,坐鉢多樹下成最正覺。」佛時頌曰:
毘婆尸仏は波波羅樹の下に坐して最高の悟りを成し、 尸棄仏は分陀利樹の下に坐して最高の悟りを成し、 毘舍婆仏は娑羅樹の下に坐して最高の悟りを成し、 拘樓孫仏は尸利沙樹の下に坐して最高の悟りを成し、 拘那含仏は烏暫婆羅門樹の下に坐して最高の悟りを成し、 迦葉仏は尼拘律樹の下に坐して最高の悟りを成しました。 今、私、如来・至真は、鉢多樹の下に坐して最高の悟りを成したのです。
「毘婆尸如來,往詣波羅樹;
即於彼處所,得成最正覺。
尸棄分陀樹,成道滅有原。
毘舍婆如來,坐娑羅樹下;
獲解脫知見,神足無所礙。
拘樓孫如來,坐尸利沙樹;
一切智清淨,無染無所著。
拘那含牟尼,坐烏暫樹下;
即於彼處所,滅諸貪憂惱。
迦葉如來坐,尼拘樓樹下;
即於彼處所,除滅諸有本。
我今釋迦文,坐於鉢多樹。
如來十力尊,斷滅諸結使;
摧伏眾魔怨,在眾演大明。
七佛精進力,放光滅闇冥;
各各坐諸樹,於中成正覺。
毘婆尸如来は、波羅樹のもとに赴き、 その場所で、まさに最高の悟りを得られました。
尸棄如来は分陀樹のもとで、 悟りを開き、苦しみの根源を滅ぼされました。
毘舍婆如来は、沙羅樹の下に坐し、 解脱の智慧を得、神通力は何ものにも妨げられませんでした。
拘樓孫如来は、尸利沙樹の下に坐し、 一切智は清らかで、汚れも執着もありませんでした。
拘那含牟尼如来は、烏暫樹の下に坐し、 その場所で、貪りと憂いの煩悩を滅ぼされました。
迦葉如来は、尼拘律樹の下に坐し、 その場所で、一切の苦しみの根本を断ち切られました。
今、私釈迦牟尼は、鉢多樹の下に坐しています。 十力をそなえた如来は、すべての煩悩を断ち切り、 多くの魔の怨敵を打ち破り、大衆の前で大いなる真理を説きます。
七仏の精進の力は、光を放って闇を滅ぼし、 それぞれが様々な樹の下に坐し、その中で正しい悟りを成し遂げられたのです。
「毘婆尸如來三會說法,初會弟子有十六萬八千人,二會弟子有十萬人,三會弟子有八萬人。尸棄如來亦三會說法,初會弟子有十萬人,二會弟子有八萬人,三會弟子有七萬人。毘舍婆如來二會說法,初會弟子有七萬人,次會弟子有六萬人。拘樓孫如來一會說法,弟子四萬人。拘那含如來一會說法,弟子三萬人。迦葉如來一會說法,弟子二萬人。我今一會說法,弟子千二百五十人。」佛時頌曰:
毘婆尸如来は三度にわたり説法され、最初の会には弟子が十六万八千人、第二の会には十万人、第三の会には八万人いました。尸棄如来もまた三度説法され、最初の会には弟子が十万人、第二の会には八万人、第三の会には七万人いました。毘舍婆如来は二度説法され、最初の会には弟子が七万人、次の会には六万人いました。拘樓孫如来は一度説法され、弟子は四万人でした。拘那含如来は一度説法され、弟子は三万人でした。迦葉如来は一度説法され、弟子は二万人でした。そして今、私(釈迦)の説法の会には、弟子が千二百五十人います。」
「毘婆尸名觀,智慧不可量;
遍見無所畏,三會弟子眾。
尸棄光無動,能滅諸結使;
無量大威德,無能測量者;
彼佛亦三會,弟子普共集。
毘舍婆斷結,大仙人要集;
名聞於諸方,妙法大名稱;
二會弟子眾,普演深奧義。
拘樓孫一會,哀愍療諸苦;
導師化眾生,一會弟子眾。
拘那含如來,無上亦如是;
紫磨金色身,容貌悉具足;
一會弟子眾,普演微妙法。
迦葉一一毛,一心無亂想;
一語不煩重,一會弟子眾。
能仁意寂滅,釋種沙門上;
天中天最尊,我一會弟子。
彼會我現義,演布清淨教;
心常懷歡喜,漏盡盡後有。
毘婆、尸棄三,毘舍婆佛二,
四佛各各一,仙人會演說。
毘婆尸仏は「観」と呼ばれ、その智慧は測り知れません。 すべてを見通し、何ものも畏れることなく、三度の説法会で弟子たちを集められました。
尸棄仏は不動の光を放ち、すべての煩悩を滅ぼされます。 計り知れない大いなる威徳は、誰も測ることができません。 その仏も三度の説法会を開き、弟子たちが広く集いました。
毘舍婆仏は煩悩を断ち切られ、偉大な修行者たちが集いました。 その名声は四方に響き渡り、妙なる教えは広く称えられました。 二度の説法会で弟子たちを集め、深遠な真理を広く説き明かされました。
拘樓孫仏は一度の説法会を開き、あらゆる苦しみを癒すことを哀れまれました。 導師として衆生を教化され、一度の説法会で弟子たちを集められました。
拘那含如来もまた無上の方であり、 紫磨金色の身体に、あらゆる相好を備えておられました。 一度の説法会で弟子たちを集め、微妙な法を広く説き明かされました。
迦葉仏は一筋の毛髪にも、乱れることのない一心を保たれ、 一つの言葉にも煩わしさがなく、一度の説法会で弟子たちを集められました。
釈迦牟尼仏(能仁)の心は寂滅に至り、釈迦族の沙門の中でも最上であり、 天の中の天として最も尊く、私は一度の説法会で弟子たちを集めました。 その説法会で私は真理を現し、清浄な教えを広く説き明かしました。 心には常に歓喜を抱き、煩悩を滅尽して後の生存を終えました。
毘婆尸仏と尸棄仏は三度、毘舍婆仏は二度、 後の四仏はそれぞれ一度ずつ、修行者たちの集いで説法をされたのです。
「時,毘婆尸佛有二弟子:一名騫茶,二名提舍,諸弟子中最為第一。尸棄佛有二弟子:一名阿毘浮,二名三婆婆,諸弟子中最為第一。毘舍婆佛有二弟子,一名扶遊,二名鬱多摩,諸弟子中最為第一。拘樓孫佛有二弟子,一名薩尼,二名毘樓,諸弟子中最為第一。拘那含佛有二弟子:一名舒槃那,二名鬱多樓,諸弟子中最為第一。迦葉佛有二弟子,一名提舍,二名婆羅婆,諸弟子中最為第一。今我二弟子,一名舍利弗,二名目揵連,諸弟子中最為第一。」佛時頌曰:
その時、毘婆尸仏には二人の弟子がいました。一人は騫茶、もう一人は提舍といい、多くの弟子の中で最も優れていました。尸棄仏には二人の弟子がいて、一人は阿毘浮、もう一人は三婆婆といい、多くの弟子の中で最も優れていました。毘舍婆仏には二人の弟子がいて、一人は扶遊、もう一人は鬱多摩といい、多くの弟子の中で最も優れていました。拘樓孫仏には二人の弟子がいて、一人は薩尼、もう一人は毘樓といい、多くの弟子の中で最も優れていました。拘那含仏には二人の弟子がいて、一人は舒槃那、もう一人は鬱多樓といい、多くの弟子の中で最も優れていました。迦葉仏には二人の弟子がいて、一人は提舍、もう一人は婆羅婆といい、多くの弟子の中で最も優れていました。今、私にも二人の弟子がいます。一人は舎利弗、もう一人は目揵連であり、多くの弟子の中で最も優れています。」仏はその時、次のように偈を説かれました:
「騫茶、提舍等,毗婆尸弟子;
阿毗浮、三婆,尸棄佛弟子。
扶遊、鬱多摩,弟子中第一,
二俱降魔怨,毗舍婆弟子。
薩尼、毗樓等,拘樓孫弟子;
舒槃、鬱多樓,拘那含弟子;
提舍、婆羅婆,迦葉佛弟子;
舍利弗、目連,是我第一子。
カンダ、ティーシャなどは、ヴィパッシン仏の弟子であり、 アビブ、サンバは、シキ仏の弟子である。 フユ、ウッタマは、弟子の中で第一であり、 二人とも魔の怨敵を降伏させた、ヴィッサブー仏の弟子である。 サーニ、ヴィルなどは、クラッカサンダ仏の弟子であり、 スパンナ、ウッタラは、コナーガマナ仏の弟子である。 ティーシャ、バーラヴァは、カッサパ仏の弟子であり、 舎利弗、目連は、わが第一の弟子である。
「毗婆尸佛有執事弟子,名曰無憂。尸棄佛執事弟子,名曰忍行。毗舍婆佛有執事弟子,名曰寂滅。拘樓孫佛有執事弟子,名曰善覺。拘那含佛有執事弟子,名曰安和。迦葉佛有執事弟子,名曰善友。我執事弟子,名曰阿難。」佛時頌曰:
毘婆尸仏には、お仕えする弟子がいて、名を無憂といった。 尸棄仏には、お仕えする弟子がいて、名を忍行といった。 毘舎婆仏には、お仕えする弟子がいて、名を寂滅といった。 倶楼孫仏には、お仕えする弟子がいて、名を善覚といった。 倶那含仏には、お仕えする弟子がいて、名を安和といった。 迦葉仏には、お仕えする弟子がいて、名を善友といった。 わがお仕えする弟子は、名を阿難という。
その時、仏は偈を唱えられた。
「無憂與忍行,寂滅及善覺,
安和、善友等,阿難為第七。
此為佛侍者,具足諸義趣;
晝夜無放逸,自利亦利他。
此七賢弟子,侍七佛左右;
歡喜而供養,寂然歸滅度。
憂いなく忍耐の行い、静寂と善き悟り、 安らぎと和やかさ、善き友たち、阿難は七番目。 彼は仏の侍者として、すべての意義を備え、 昼夜怠ることなく、自らも他者も利する。 この七人の優れた弟子たちは、七仏の側に仕え、 喜んで供養し、静かに涅槃へと帰っていった。
「毗婆尸佛有子,名曰方膺。尸棄佛有子,名曰無量。毗舍婆佛有子,名曰妙覺。拘樓孫佛有子,名曰上勝。拘那含佛有子,名曰導師。迦葉佛有子,名曰集軍。今我有子,名曰羅睺羅。」佛時頌曰:
毘婆尸仏には方膺という名の子がありました。尸棄仏には無量という名の子がありました。毘舎婆仏には妙覚という名の子がありました。拘樓孫仏には上勝という名の子がありました。拘那含仏には導師という名の子がありました。迦葉仏には集軍という名の子がありました。今、私には羅睺羅という名の子がいます。
「方膺、無量子,妙覺及上勝,
導師、集軍等,羅睺羅第七,
此諸豪貴子,紹繼諸佛種;
愛法好施惠,於聖法無畏。
方膺、無量子、妙覚、そして上勝、 導師、集軍らと共に、羅睺羅は第七、 これらの優れた高貴な子らは、 諸仏の種を継ぎ受けている。 法を愛し、施しを喜び、 聖なる法に対して畏れを知らない。
「毗婆尸佛父名槃頭,剎利王種,母名槃頭婆提,王所治城名曰槃頭婆提。」佛時頌曰:
毘婆尸仏の父は槃頭といい、剎利王の種族であり、母は槃頭婆提といった。王が治める城は槃頭婆提という。仏はその時、次のように偈を説かれた。
「遍眼父槃頭,母槃頭婆提;
槃頭婆提城,佛於中說法。
遍く眼を開かれた父は槃頭、母は槃頭婆提。 槃頭婆提の都にて、仏はその中で法を説きたまう。
「尸棄佛父名曰明相,剎利王種,母名光曜,王所治城名曰光相。」佛時頌曰:
尸棄仏の父は明相と申し、王族の血筋に生まれ、母は光曜と申しました。王が治める都は光相と称されました。その時、仏は偈を唱えられました:
「尸棄父明相,母名曰光曜,
於明相城中,威德降外敵。
尸棄の父は明相、母は光曜と申し、 明相の城にて、威徳をもって外敵を鎮め給う。
「毗舍婆佛父名善燈,剎利王種,母名稱戒,王所治城名曰無喻。」佛時頌曰:
毘舎婆仏の父は善燈と申し、剎利王の種族なり。母は称戒と申す。王の治める城は無喩と名づく。時に仏、頌して曰く。
「毗舍婆佛父,善燈剎利種;
母名曰稱戒,城名曰無喻。
毘舎浮仏の父は、善燈という剎利種族であり、 母は称戒と申し、都は無喩と名づけられました。
「拘樓孫佛父名祀得,婆羅門種,母名善枝,王名安和,隨王名故城名安和。」佛時頌曰:
拘楼孫仏の父は祀得と名付けられ、バラモン種族であり、母は善枝と名付けられ、王は安和と名付けられ、王の名に従って城の名も安和と呼ばれました。
「祀得婆羅門,母名曰善枝;
王名曰安和,居在安和城。
祀得というバラモンがおり、母の名は善枝といった。 王の名は安和といい、安和城に住んでいた。
「拘那含佛父名大德,婆羅門種,母名善勝,是時王名清淨,隨王名故城名清淨。」佛時頌曰:
拘那含仏の父は大徳と名乗り、バラモンの家系に生まれ、母は善勝と申しました。その時代の王は清浄と称し、王の名にちなんで都も清浄と名付けられました。
「大德婆羅門,母名曰善勝;
王名曰清淨,居在清淨城。
大徳なるバラモンよ、母の名は善勝といい、 王の名は清浄といい、清浄城に住まわれた。
「迦葉佛父名曰梵德,婆羅門種,母名曰財主,時王名汲毗,王所治城名波羅㮈。」佛時頌曰:
迦葉仏の父は梵徳と申し、バラモンの家柄に生まれ、母は財主と申しました。当時の王は汲毗といい、その治める都は波羅㮈という名でした。
「梵德婆羅門,母名曰財主;
時王名汲毗,在波羅㮈城。
梵徳というバラモンがおり、母の名は財主といった。 その時の王は汲毗といい、波羅㮈の都にあった。
「我父名淨飯,剎利王種,母名大清淨妙,王所治城名迦毗羅衛。」佛時頌曰:
「我が父の名は浄飯、剎利王の種族、母の名は大清淨妙、王の治める城は迦毘羅衛と呼ばれる。」時に仏は偈を説かれた。
「父剎利淨飯,母名大清淨,
土廣民豐饒,我從彼而生。
父は剎利浄飯、母は大清淨と申し、 国土は広く民は豊かに栄え、 私はその地より生まれました。
「此是諸佛因緣、名號、種族、所出生處,何有智者聞此因緣而不歡喜,起愛樂心?」
これは諸仏の因縁、名号、種族、生まれたところです。どうして智慧ある者がこの因縁を聞いて喜ばず、愛楽の心を起こさないことがありましょうか。
爾時,世尊告諸比丘:「吾今欲以宿命智說過去佛事,汝欲聞不?」
その時、世尊は比丘たちに告げられた。 「私は今、宿命の智慧をもって過去の仏のことを説こうと思う。あなたがたは聞きたいか?」
諸比丘對曰:「今正是時,願樂欲聞!」
比丘たちは答えました。「今こそその時です。どうかお聞かせください。」
佛告諸比丘:「諦聽!諦聽!善思念之,吾當為汝分別解說。比丘!當知諸佛常法:毗婆尸菩薩從兜率天降神母胎,從右脇入,正念不亂。當於爾時,地為震動,放大光明,普照世界,日月所不及處皆蒙大明,幽冥眾生,各相覩見,知其所趣。時,此光明復照魔宮,諸天、釋、梵、沙門、婆羅門及餘眾生普蒙大明,諸天光明自然不現。」佛時頌曰:
仏は諸比丘に告げられた。「よく聞きなさい。よく聞きなさい。善く思い、心に留めなさい。私はあなた方のために詳しく解き明かしましょう。比丘よ、知るがよい。諸仏の常法として、毘婆尸菩薩は兜率天から降り、母の胎内に神識を宿し、右脇から入り、正念を乱さなかった。その時、大地は震動し、大いなる光明を放って世界を遍く照らし、日月の光の届かないところにも大いなる明るさが行き渡り、暗闇にいる多くの生き物たちは互いに姿を見て、それぞれの行く先を知った。その時、この光明はさらに魔の宮殿をも照らし、諸天、帝釈天、梵天、沙門、婆羅門、その他の多くの生き物たちが広く大いなる明るさを蒙り、諸天の光明は自然と輝きを失った。」仏はこの時、偈を唱えられた:
「密雲聚虛空,電光照天下,
毗婆尸降胎,光明照亦然;
日月所不及,莫不蒙大明,
處胎淨無穢,諸佛法皆然。
密雲が虚空に集まり、稲妻が天下を照らすように、 毘婆尸仏が母胎に降臨された時も、光明は同じく照らし渡りました。 日月の光が届かない所でも、この大いなる明かりに照らされないものはなく、 母胎の中は清らかで穢れなく、すべての仏の法もまた同じです。
「諸比丘!當知諸佛常法:毗婆尸菩薩在母胎時,專念不亂,有四天子,執戈矛侍護其人,人與非人不得侵嬈,此是常法。」佛時頌曰:
諸比丘よ、知るべきである。諸仏の常法はこうである。毘婆尸菩薩が母の胎内におられたとき、心は一貫して乱れず、四天子が矛を執ってその人を守護し、人も非人も侵すことができなかった。これが常法である。
「四方四天子,有名稱威德,
天帝釋所遣,善守護菩薩。
手常執戈矛,衛護不去離,
人非人不嬈,此諸佛常法。
天神所擁護,如天女衛天,
眷屬懷歡喜,此諸佛常法。」
四方の四天王、名高く威徳あり、 帝釈天の遣わすところ、菩薩を善く守護す。 手に常に矛を執り、衛護して離れず、 人も非人も害せず、これ諸仏の常法なり。 天神に擁護され、天女が天を守るが如く、 眷属は歓喜を抱く、これ諸仏の常法なり。
又告比丘:「諸佛常法:毗婆尸菩薩從兜率天降神母胎,專念不亂,母身安隱,無眾惱患,智慧增益。母自觀胎,見菩薩身諸根具足,如紫磨金,無有瑕穢。猶如有目之士觀淨琉璃,內外清徹,無眾障翳。諸比丘!此是諸佛常法。」爾時,世尊而說偈言:
また比丘たちに告げました。 「諸仏の常法として、毘婆尸菩薩が兜率天より降りて母胎に入る時、一心に念じて乱れることなく、母の身は安穏で、様々な煩いや苦しみはなく、智慧は増し加わります。母は自ら胎内を観ると、菩薩の身が諸根具わっており、紫磨金のごとく、一点の瑕も穢れもないのを見ます。それはあたかも、目ある人が清らかな瑠璃を観るように、内外清徹で、何ものにも遮られることがないのです。比丘たちよ、これが諸仏の常法なのです。」 その時、世尊は偈を説かれました。
「如淨琉璃珠,其明如日月;
仁尊處母胎,其母無惱患。
智慧為增益,觀胎如金像;
母懷妊安樂,此諸佛常法。」
清らかな瑠璃の珠のように、その輝きは日月のごとく。 尊き方は母の胎内におられ、その母に苦しみはありません。 智慧が増し加わり、胎内を金の像のごとく観じる。 母は安らかに身ごもり、これらは諸仏の常の法です。
佛告比丘:「毗婆尸菩薩從兜率天降神母胎,專念不亂,母心清淨,無眾欲想,不為婬火之所燒然,此是諸佛常法。」爾時,世尊而說偈言:
仏は比丘たちに告げられた。「毘婆尸菩薩は兜率天より降り、母の胎内へと神識を宿された。その時、菩薩は一心に念じ乱れず、母の心も清らかで、様々な欲望の思いもなく、婬欲の炎に焼かれることもなかった。これは諸仏の常の法である。」その時、世尊は偈を説かれた。
「菩薩住母胎,天終天福成;
其母心清淨,無有眾欲想。
捨離諸婬欲,不染不親近;
不為欲火燃,諸佛母常淨。」
菩薩が母の胎内に宿るとき、天界の果報は成就します。 その母の心は清らかで、あらゆる欲望の思いはありません。 すべての淫欲を捨て離れ、染まらず、近づかず、 欲望の炎に燃やされることもなく、諸仏の母は常に清浄です。
佛告比丘:「諸佛常法:毗婆尸菩薩從兜率天降神母胎,專念不亂,其母奉持五戒,梵行清淨,篤信仁愛,諸善成就,安樂無畏,身壞命終,生忉利天,此是常法。」爾時,世尊而說偈言:
仏は比丘たちに告げられた。「諸仏の常法として、毘婆尸菩薩は兜率天より降りて母の胎内に宿り、一心に念じて乱れず。その母は五戒を守り、清らかな行いをなし、篤く信じ、慈しみ深く、あらゆる善を成就し、安楽にして畏れなく、身を終え命尽きて、忉利天に生まれる。これが常法である。」その時、世尊は偈を説かれた。
「持人中尊身,精進、戒具足,
後必受天身,此緣名佛母。」
心を保ち、尊い身となり、 精進し、戒律を満たすならば、 後に必ず天の身を受け、 この縁こそが仏の母と呼ばれる。
佛告比丘:「諸佛常法:毗婆尸菩薩當其生時,從右脇出,地為震動,光明普照。始入胎時,闇冥之處,無不蒙明,此是常法。」爾時,世尊而說偈言:
仏は比丘たちに告げられた。「諸仏の常法として、毘婆尸菩薩が生まれ出づるとき、右脇より出で、大地は震動し、光明はあまねく照らす。母胎に入る初めより、暗き所もことごとく明るみを受ける。これが常法である。」その時、世尊は偈を説かれた。
「太子生地動,大光靡不照,
此界及餘界,上下與諸方,
放光施淨目,具足於天身,
以歡喜淨音,轉稱菩薩名。」
太子が生まれた時、大地は震え、大いなる光はあまねく照らし、 この世界も他の世界も、上も下もあらゆる方角も、 清らかな目を授ける光を放ち、天の身を備え、 歓喜に満ちた清らかな声で、菩薩の名を広め称えた。
佛告比丘:「諸佛常法:毗婆尸菩薩當其生時,從右脇出,專念不亂。時,菩薩母手攀樹枝,不坐不臥。時,四天子手奉香水,於母前立言:『唯然,天母!今生聖子,勿懷憂慼。』此是常法。」爾時,世尊而說偈言:
仏は比丘たちに告げられた。「諸仏の常法として、毘婆尸菩薩が生まれ出る時、右脇より現れ、心は乱れず専一であった。その時、菩薩の母は手で樹枝にすがり、座ることも臥すこともなかった。四天子が香水を捧げて母の前に立ち、『どうか、天の母よ、聖なる子を生まれさせてください。憂いや悲しみを抱かないでください』と言った。これが常法である。」その時、世尊は偈を説かれた。
「佛母不坐臥,住戒修梵行,
生尊不懈怠,天人所奉侍。」
仏母は坐らず臥さず、戒律を守り清らかな行いを修め、 尊き存在として怠ることなく、天と人から奉仕される。
佛告比丘:「諸佛常法:毗婆尸菩薩當其生時,從右脇出,專念不亂,其身清淨,不為穢惡之所汙染。猶如有目之士,以淨明珠投白繒上,兩不相汙,二俱淨故。菩薩出胎亦復如是,此是常法。」爾時,世尊而說偈言:
仏は比丘たちに告げられた。「諸仏の常法として、毘婆尸菩薩が生まれ出る時、右脇より出で、心は乱れず専一に、その身は清浄で、穢れや汚れに染まることはない。ちょうど、目ある者が清らかな真珠を白い絹の上に投げるように、互いに汚れることなく、両方とも清らかなままである。菩薩が母胎より出るのもまた同じであり、これが常法である。」その時、世尊は偈を説かれた。
「猶如淨明珠,投繒不染汙;
菩薩出胎時,清淨無染汙。」
清らかな真珠が、汚れた布に投げ入れられても染まらないように、 菩薩が母胎を出るときも、清らかで汚れ一つありません。
佛告比丘:「諸佛常法:毗婆尸菩薩當其生時,從右脇出,專念不亂。從右脇出,墮地行七步,無人扶侍,遍觀四方,舉手而言:『天上天下唯我為尊,要度眾生生老病死。』此是常法。」爾時,世尊而說偈言:
仏は比丘たちに告げられた。「諸仏の常法として、毘婆尸菩薩が誕生された時、右脇より生まれ出で、心は乱れずに専念していた。右脇より生まれ出て、地に降り立ち七歩歩き、誰にも支えられず、四方を見渡し、手を挙げて言われた。『天上天下、唯我独尊。衆生の生老病死を度さんと要す』これが常法である。」その時、世尊は偈を説かれた。
「猶如師子步,遍觀於四方;
墮地行七步,人師子亦然。
又如大龍行,遍觀於四方;
墮地行七步,人龍亦復然。
兩足尊生時,安行於七步;
觀四方舉聲,當盡生死苦。
當其初生時,無等等與等,
自觀生死本,此身最後邊。」
獅子が四方を見渡すように歩むがごとく、 大地に降り立ち七歩を歩まれし。 人の師子もまた同じく。
大龍が四方を見渡すように行くがごとく、 大地に降り立ち七歩を歩まれし。 人の龍もまた同じく。
両足の尊き方が生まれし時、 安らかに七歩を歩まれ、 四方を見渡し声をあげて言われた―― 「これにて生死の苦しみを終わらせん」。
この世に生まれしその時、 比べるものなき方、平等なる方が、 自ら生死の根源を見極め、 この身をもって最後の輪廻となされん。
佛告比丘:「諸佛常法:毗婆尸菩薩當其生時,從右脇出,專念不亂,二泉湧出一溫一冷,以供澡浴,此是常法。」爾時,世尊而說偈言:
仏は比丘たちに告げられた。「諸仏の常法として、毘婆尸菩薩が生まれ出づる時、右脇より出で、心は乱れず専一に念じ、二つの泉が湧き出でて、一は温かく一は冷たく、沐浴に供える。これが常法である。」その時、世尊は偈を説かれた。
「兩足尊生時,二泉自涌出;
以供菩薩用,遍眼浴清淨。
二泉自涌出,其水甚清淨;
一溫二清冷,以浴一切智。
両足尊が生まれた時、二つの泉が自ら湧き出し、 菩薩の御用に供え、遍く眼を清浄に浴した。 二つの泉は自ら湧き出し、その水は甚だ清浄にして、 一つは温かく、一つは清冷なり、一切智を浴せしむ。
「太子初生,父王槃頭召集相師及諸道術,令觀太子,知其吉凶。時,諸相師受命而觀,即前披衣,見有具相,占曰:『有此相者,當趣二處,必然無疑。若在家者,當為轉輪聖王,王四天下,四兵具足,以正法治,無有偏枉,恩及天下,七寶自至,千子勇健,能伏外敵,兵杖不用,天下太平;若出家學道,當成正覺,十號具足。』時,諸相師即白王言:『王所生子,有三十二相,當趣二處,必然無疑。在家當為轉輪聖王;若其出家,當成正覺,十號具足。』」佛時頌曰:
太子が誕生された時、父である槃頭王は占い師や様々な道術の師を集め、太子を観察させ、その吉凶を知ろうとされました。その時、占い師たちは命を受けて観察し、衣を開いて太子の体を見ると、すぐに完璧な相があることに気づき、占って言いました。「この相を持つ者は、必ず二つの道のいずれかに進むことは間違いありません。もし家にあれば、転輪聖王となり、天下を治め、四つの軍隊を備え、正しい法で統治し、偏りもなく、恩恵は天下に及び、七宝は自然に集まり、千人の勇猛な子に恵まれ、外敵を打ち負かし、武器を使うこともなく、天下は太平となるでしょう。もし出家して道を学べば、正覚を成し、十の尊称を備えた仏陀となるでしょう。」その時、占い師たちは王に申し上げました。「王がお生みになった子は、三十二の相を備えており、必ず二つの道のいずれかに進むことは間違いありません。家にあれば転輪聖王となり、もし出家すれば正覚を成し、十の尊称を備えた仏陀となるでしょう。」その時、仏は偈を唱えられました:
「百福太子生,相師之所記,
如典記所載,趣二處無疑。
若其樂家者,當為轉輪王,
七寶難可獲,為王寶自至。
真金千輻具,周匝金輞持,
轉能飛遍行,故名為天輪。
善調七牙住,高廣白如雪,
能善飛虛空,名第二象寶。
馬行周天下,朝去暮還食,
朱髦孔雀咽,名為第三寶。
清淨琉璃珠,光照一由旬,
照夜明如晝,名為第四寶。
色聲香味觸,無有與等者,
諸女中第一,名為第五寶。
獻王琉璃寶,珠玉及眾珍,
歡喜而貢奉,名為第六寶。
如轉輪王念,軍眾速來去,
健疾如王意,名為第七寶。
此名為七寶,輪、象、馬純白,
居士、珠、女寶,典兵寶為七。
觀此無有厭,五欲自娛樂,
如象斷䩭靽,出家成正覺。
王有如是子,二足人中尊,
處世轉法輪,道成無懈怠。
百福の太子が生まれし時、占い師が予言せり、 古の記録に記された如く、二つの道に迷うことなし。 もし家を楽しむならば、転輪王となるべし、 七つの宝は得難きものなれど、王たる者には自ずと集まる。
真金の千輻の車輪、黄金の輪縁にて支えられ、 自在に飛び巡りて行く、故に天輪と名づけらる。 よく調えられたる七つの牙、高く広く雪の如く白く、 虚空を飛びゆくこと巧みなり、これ第二の象宝なり。 馬は一日で天下を巡り、朝に出でて夕に還りて食らう、 赤きたてがみ、孔雀の喉、これ第三の宝なり。 清らかなる瑠璃の珠、一由旬を照らす光を放ち、 夜を照らして昼の如く明るし、これ第四の宝なり。 色声香味触、これに等しきものなく、 諸女の中の第一たる、これ第五の宝なり。 王に瑠璃の宝を献じ、珠玉と数多の珍品を、 喜びて貢ぎ奉る、これ第六の宝なり。 転輪王の心に念ずれば、軍勢は速やかに来たり去り、 健やかに疾く王の意に従う、これ第七の宝なり。 これらを七宝と名づく、輪宝・象宝・白馬、 居士宝・珠宝・女宝、典兵宝の七つなり。 これを見るに飽くことなく、五欲にて自ら楽しむも、 繋がれたる象が束縛を断つが如く、出家して正覚を成す。 王にはかくの如き子あり、二足の人々の中の尊き者、 世に処して法輪を転じ、道を成して倦むことなし。
「是時,父王慇懃再三,重問相師:『汝等更觀太子三十二相,斯名何等?』時諸相師即披太子衣,說三十二相:『一者足安平,足下平滿,蹈地安隱。二者足下相輪,千輻成就,光光相照。三者手足網縵,猶如鵝王。四者手足柔軟,猶如天衣。五者手足指纖,長無能及者。六者足跟充滿,觀視無厭。七者鹿腨腸,上下𦟛直。八者鈎鎻骨,骨節相鈎,猶如鎻連。九者陰馬藏。十者平立垂手過膝。十一、一一孔一毛生,其毛右旋,紺琉璃色。十二、毛生右旋,紺色仰靡。十三、身黃金色。十四、皮膚細軟,不受塵穢。十五、兩肩齊亭,充滿圓好。十六、胸有萬字。十七、身長倍人。十八、七處平滿。十九、身長廣等,如尼拘盧樹。二十、頰車如師子。二十一、胸膺方整如師子。二十二、口四十齒。二十三、方整齊平。二十四、齒密無間。二十五、齒白鮮明。二十六、咽喉清淨,所食眾味,無不稱適。二十七、廣長舌,左右舐耳。二十八、梵音清徹。二十九、眼紺青色。三十、眼如牛王,眼上下俱眴。三十一、眉間白毫柔軟細澤,引長一尋,放則右旋螺如真珠。三十二、頂有肉髻,是為三十二相。』」即說頌曰:
その時、父王は心を込めて何度も相師たちに尋ねました。 「もう一度、太子の三十二相をよく見て、これらは何という相なのか教えてくれ」 すると、相師たちは太子の衣を開き、三十二相を説きました。 「第一に、足の裏が平らで満ち足り、地を踏むと安定します。 第二に、足の裏に千の輻を持つ車輪の相があり、光と光が互いに照らし合います。 第三に、手足の指の間に水かきのような網があり、鵞鳥の王のようです。 第四に、手足が柔らかく、天の衣のようです。 第五に、手足の指が細長く、これに及ぶ者はありません。 第六に、足のかかとがふっくらと満ち、見飽きることがありません。 第七に、鹿の脛のように、上下がまっすぐで均整がとれています。 第八に、骨の関節が互いに鉤のようにかみ合い、鎖が連なるようです。 第九に、陰部が馬のように隠れています。 第十に、まっすぐ立って手を垂らすと膝を越えます。 第十一に、一つの毛穴から一本の毛が生え、その毛は右に巻き、紺瑠璃色です。 第十二に、生えた毛は右に巻き、紺色で上向きになびいています。 第十三に、身体は黄金色です。 第十四に、皮膚は細かく柔らかく、塵や穢れを受け付けません。 第十五に、両肩が均等に張り、円満で美しい形をしています。 第十六に、胸に卍の字があります。 第十七に、身長は普通の人の倍あります。 第十八に、七つの部位が平らに満ちています。 第十九に、身長と横幅が等しく、尼拘律樹のようです。 第二十に、頬骨が獅子のようです。 第二十一に、胸が方形に整い、獅子のようです。 第二十二に、口には四十本の歯があります。 第二十三に、歯は方形に整い平らです。 第二十四に、歯は隙間なく密に並んでいます。 第二十五に、歯は白く鮮やかです。 第二十六に、咽喉は清らかで、食べるあらゆる味がすべて適切に感じられます。 第二十七に、舌は広く長く、左右の耳を舐められます。 第二十八に、声は清らかで澄み渡っています。 第二十九に、目は紺青色です。 第三十に、目は牛王の目のようで、上下のまぶたが共に瞬きます。 第三十一に、眉間の白毫は柔らかく細やかでつやがあり、伸ばすと一尋の長さになり、放つと右巻きの螺のように真珠のようです。 第三十二に、頭頂に肉髻があります。 これが三十二相です」 そして、次のような偈を説きました。
「善住柔軟足,不蹈地跡現,
千輻相莊嚴,光色靡不具。
如尼俱類樹,縱廣正平等。
如來未曾有,祕密馬陰藏。
金寶莊嚴身,眾相互相暎,
雖順俗流行,塵土亦不汙。
天色極柔軟,天蓋自然覆,
梵音、身紫金,如華始出池。
王以問相師,相師敬報王。
稱讚菩薩相,舉身光明具。
手足諸支節,中外靡不現。
食味盡具足,身正不傾斜。
足下輪相現,其音如哀鸞。
𦟛䏶形相具,宿業之所成。
臂肘圓滿好,眉目甚端嚴。
人中師子尊,威力最第一。
其頰車方整,臥脇如師子。
齒方整四十,齊密中無間。
梵音未曾有,遠近隨緣到。
平立不傾身,二手摩捫膝。
手齊整柔軟,人尊美相具。
一孔一毛生,手足網縵相。
肉髻、目紺青,眼上下俱眴。
兩肩圓充滿,三十二相具。
足跟無高下,鹿腨腸纖𦟛。
天中天來此,如象絕䩭靽;
解脫眾生苦,處生老病死。
以慈悲心故,為說四真諦;
開演法句義,令眾奉至尊。」
善き住まいの柔らかなる足は、地を踏んでも跡を残さず、 千の輻を相とし、荘厳され、光と色とをことごとく備えている。 尼倶類樹のごとく、縦にも横にも正しく平等である。 如来にはかつてない、秘められた馬陰蔵がある。 金宝に荘厳された身は、多くの相が互いに映え、 たとえ世俗に従って歩んでも、塵や土も汚さない。 天の色は極めて柔らかく、天蓋は自然に覆い、 梵音と紫金色の身は、池より出でし華の如し。 王が相師に問うと、相師は敬って王に答え、 菩薩の相を称賛し、全身に光明を備えていると述べた。 手足や諸々の関節は、内外ともに現れずにはいない。 食味はことごとく具わり、身は正しく傾かず。 足の下には輪相が現れ、その音は哀れなる鸞の如し。 ふくらはぎの形相は整い、宿業によって成されたもの。 臂肘は円満にして良く、眉目は甚だ端厳である。 人の中の師子尊、威力は最も第一。 その頬は四角く整い、臥す脇は師子の如し。 歯は四角く整い四十本、揃って密で中に隙間なし。 梵音はかつてなく、遠近に縁に従って届く。 平らに立ち身を傾けず、両手は膝を撫でる。 手は整い柔らかく、人の尊ぶ美しい相を備える。 一つの穴に一本の毛が生え、手足には網縵の相がある。 肉髻、目は紺青、眼の上下ともに瞬く。 両肩は円満に満ち、三十二相を備える。 足の踵に高下なく、鹿のふくらはぎは細く整う。 天中の天がここに来たる、象が轡を絶つが如く、 衆生の苦を解き放ち、生老病死の処に住む。 慈悲の心をもって、四つの真諦を説き、 法句の義を開き演じ、衆をして至尊に奉ぜしむ。
佛告比丘:「毗婆尸菩薩生時,諸天在上,於虛空中手執白蓋寶扇,以障寒暑、風雨、塵土。」佛時頌曰:
仏は比丘たちに告げられた。「毘婆尸菩薩が生まれたとき、諸天は上空に立ち、虚空の中で白い天蓋と宝の扇を手に持ち、寒さや暑さ、風雨、塵土からお守りした。」その時、仏は偈を唱えられた:
「人中未曾有,生於二足尊;
諸天懷敬養,奉寶蓋寶扇。
人の世に未曾有の、二足の尊に生まれしを、 諸天は敬い養い、宝蓋と宝扇を捧げ奉る。
「爾時,父王給四乳母:一者乳哺,二者澡浴,三者塗香,四者娛樂。歡喜養育,無有懈倦。」於是頌曰:
その時、父王は四人の乳母を付けられた。一人は乳を飲ませる役、一人は沐浴させる役、一人は香油を塗る役、一人は遊び相手の役。喜びをもって育て、怠ることはなかった。そこで、次のように偈を説かれた。
「乳母有慈愛,子生即付養;
一乳哺一浴,二塗香娛樂。
世間最妙香,以塗人中尊。
乳母は慈愛に満ち、子が生まれるとすぐに養育を託される。 一度は乳を与え、一度は沐浴させ、二度は香を塗り、喜びを分かち合う。 世の中で最も優れた香りをもって、人々の中の尊き方に塗りたてる。
「為童子時,舉國士女視無厭足。」於是頌曰:
幼い頃、国中の人々が彼を見飽きることはなかった。そこで、このように讃えられた。
「多人所敬愛,如金像始成,
男女共諦觀,視之無厭足。
多くの人々に敬愛され、まるで黄金の像が完成したばかりのように、 男女共にじっくりと見つめ、飽きることなく眺める。
「為童子時,舉國士女眾共傳抱,如觀寶華。」於是頌曰:
幼い頃は、国の人々が皆、宝の花を見るかのように、争って抱き上げてくれた。
「二足尊生時,多人所敬愛;
展轉共傳抱,如觀寶花香。
二足の尊(釈尊)が生まれた時、多くの人々が敬愛し、 互いに抱き伝えられ、宝の花の香りを仰ぐように。
「菩薩生時,其目不眴,如忉利天。以不眴故,名毗婆尸。」於是頌曰:
菩薩が生まれた時、その目は瞬きせず、忉利天のごとし。瞬かぬゆえに、毘婆尸と名づけられた。ここに偈を説く:
「天中天不眴,猶如忉利天;
見色而正觀,故號毗婆尸。
天中の天は瞬きもせず、まさに忉利天の如し。 色を見て正しく観るゆえ、毗婆尸と号す。
「菩薩生時,其聲清徹,柔軟和雅,如迦羅頻伽鳥聲。」於是頌曰:
菩薩が生まれた時、その声は澄み渡り、柔らかく優雅で、まるで迦羅頻伽鳥の声のようであった。そこで、このように讃えられた。
「猶如雪山鳥,飲華汁而鳴;
其彼二足尊,聲清徹亦然。
雪山の鳥が、花の蜜を飲みて鳴くがごとし。 かの二足の尊、声の清らかさもまたかくのごとし。
「菩薩生時,眼能徹視見一由旬。」於是頌曰:
菩薩が生まれた時、目は遠くを見通すことができ、一由旬の先まで見えた。そこで、このように偈を説いた。
「清淨業行報,受天妙光明;
菩薩目所見,周遍一由旬。
清らかな行いの報いとして、天の妙なる光明を受け、 菩薩の目が見渡すところ、一由旬に満ちわたる。
「菩薩生時,年漸長大,在天正堂,以道開化,恩及庶民,名德遠聞。」於是頌曰:
菩薩が生まれ、年を重ねて成長されるにつれ、天の正堂にて道を説き、民衆を導き、その恩恵は多くの人々に及び、その名と徳は遠くまで知れ渡りました。そこで、このように称えられました:
「童幼處正堂,以道化天下;
決斷眾事務,故號毗婆尸。
清淨智廣博,甚深猶大海;
悅可於群生,使智慧增廣。
幼少より正しい道を歩み、その教えをもって天下を導き、 多くの事柄を明快に裁き決断されたゆえに、毘婆尸と称される。 その清らかな智慧は広大で深遠、大海のごとく深く、 すべての生きとし生けるものを喜ばせ、智慧を増し広げられた。
「於時,菩薩欲出遊觀,告勅御者嚴駕寶車,詣彼園林,巡行遊觀。御者即便嚴駕訖已,還白:『今正是時。』太子即乘寶車詣彼園觀。於其中路見一老人,頭白齒落,面皺身僂,拄杖羸步,喘息而行。太子顧問侍者:『此為何人?』答曰:『此是老人。』又問:『何如為老?』答曰:『夫老者生壽向盡,餘命無幾,故謂之老。』太子又問:『吾亦當爾,不免此患耶?』答曰:『然,生必有老,無有豪賤。』於是,太子悵然不悅,即告侍者迴駕還宮,靜默思惟:『念此老苦,吾亦當有。』」佛於是頌曰:
その時、菩薩は散策に出ようと思い、御者に命じて宝の車を整えさせ、あの園林へ行き、巡り歩いて散策しようとした。御者はすぐに車を整え終えると、戻って報告した。「今こそがその時です。」太子はすぐに宝の車に乗り、あの園林へ向かった。
途中で、一人の老人を見かけた。頭は白く歯は抜け、顔にはしわが寄り、背中は曲がり、杖をつきながら弱々しい足取りで、息を切らしながら歩いていた。太子は側近の者を振り返って尋ねた。「これは何者か?」答えて言う。「これは老人です。」また尋ねた。「どういうことを老いるというのか?」答えて言う。「老いるとは、寿命が尽きようとし、残された命がわずかであることです。だから老いるというのです。」太子はまた尋ねた。「私もそうなるのか、この苦しみを免れないのか?」答えて言う。「はい、生きるものには必ず老いがあり、身分の高低は関係ありません。」
そこで、太子は落胆して喜ばず、すぐに側近の者に命じて車を返し宮殿に戻った。静かに黙想し、思った。「この老いの苦しみを思うに、私もまたこれを持つことになるのだ。」
「見老命將盡,拄杖而羸步;
菩薩自思惟,吾未免此難。
老いの命が尽きようとし、杖をつきながら弱々しく歩む姿を見て、 菩薩は自ら思う、私はまだこの苦難から免れていないと。
「爾時,父王問彼侍者:『太子出遊,歡樂不耶?』答曰:『不樂。』又問其故,答曰:『道逢老人,是以不樂。』爾時,父王默自思念:『昔日相師占相太子,言當出家,今者不悅,得無爾乎?當設方便,使處深宮,五欲娛樂,以悅其心,令不出家。』即便嚴飾宮舘,簡擇婇女以娛樂之。」佛於是頌曰:
その時、父王は侍者に尋ねました。「太子は出遊して、楽しんでいたか?」侍者は答えました。「楽しんでいませんでした。」またその理由を尋ねると、侍者は答えました。「道で老人に出会ったため、楽しめなかったのです。」
その時、父王は黙って心の中で考えました。「かつて占い師が太子の相を占い、出家すると言っていた。今、太子が喜ばないのは、そのためではないか?何とかして深い宮殿に住まわせ、五欲の楽しみで心を喜ばせ、出家させないようにしなければ。」
そこで父王はすぐに宮殿を厳かに飾り立て、多くの侍女を選び出して太子を楽しませようとしました。仏はこのように偈を説かれました。
「父王聞此言,方便嚴宮舘;
增益以五欲,欲使不出家。
父王はこの言葉を聞き、巧みに宮殿を荘厳し、 五欲の楽しみを増やして、王子が出家しないようにと計らわれた。
「又於後時,太子復命御者嚴駕出遊。於其中路逢一病人,身羸腹大,面目黧黑,獨臥糞除,無人瞻視,病甚苦毒,口不能言。顧問御者:『此為何人?』答曰:『此是病人。』問曰:『何如為病?』答曰:『病者,眾痛迫切,存亡無期,故曰病也。』又曰:『吾亦當爾,未免此患耶?』答曰:『然。生則有病,無有貴賤。』於是,太子悵然不悅,即告御者迴車還宮。靜默思惟:『念此病苦,吾亦當爾。』」佛於是頌曰:
また後日、太子は再び御者に命じて車を整え、出遊させた。道中で病人に出会った。その人は体は痩せ衰え、腹は大きく、顔色は黒く、一人で汚物の中に横たわり、誰も看病する者もなく、病苦は激しく、口もきけない。太子は振り返って御者に尋ねた。「これはどんな人か?」御者は答えた。「これは病人です。」太子が問うた。「病とはどのようなものか?」御者は答えた。「病とは、さまざまな痛みが身に迫り、生きるか死ぬかわからない状態をいいます。」太子はまた言った。「私もまた、この苦しみを免れないのか?」御者は答えた。「はい。生きている限り病はあり、貴賤の別はありません。」そこで、太子は憂いに沈み、すぐに御者に命じて車を引き返し、宮殿に戻った。静かに黙想し、この病苦を思った。「私もまた、同じようになるのだ。」そこで仏はこの偈を説かれた。
「見彼久病人,顏色為衰損;
靜默自思惟,吾未免此患。
長く病む人を見るに、顔色は衰え損なわれている。
静かに黙して自ら思う、我もまたこの患いを免れず。
「爾時,父王復問御者:『太子出遊,歡樂不耶?』答曰:『不樂。』又問其故,答曰:『道逢病人,是以不樂。』於是父王默然思惟:『昔日相師占相太子,言當出家,今日不悅,得無爾乎?吾當更設方便,增諸伎樂,以悅其心,使不出家。』即復嚴飾宮舘,簡擇婇女以娛樂之。」佛於是頌曰:
その時、父王はまた御者に尋ねました。「太子は遊びに出て、楽しんでいたか?」御者は答えました。「楽しんではおりません。」父王はその理由を尋ねると、御者は答えました。「道中で病人に出会い、それゆえに楽しめなかったのです。」そこで父王は黙って考えました。「かつて占い師が太子の相を占い、出家すると言った。今日、喜ばぬのは、まさにそのためではないか? 私はさらに手を尽くし、様々な芸能を増やして、太子の心を喜ばせ、出家させないようにしよう。」そしてすぐに宮殿を飾り立て、多くの侍女を選んで太子を楽しませました。そこで仏は次の偈を説かれました。
「色聲香味觸,微妙可悅樂,
菩薩福所致,故娛樂其中。
色や声、香りや味、触れ合い、 それは微妙で喜びに満ち、 菩薩の福徳がもたらすもの、 ゆえにその中で楽しむのです。
「又於異時,太子復勅御者嚴駕出遊。於其中路逢一死人,雜色繒幡前後導引,宗族親里悲號哭泣,送之出城。太子復問:『此為何人?』答曰:『此是死人。』問曰:『何如為死?』答曰:『死者,盡也。風先火次,諸根壞敗,存亡異趣,室家離別,故謂之死。』太子又問御者:『吾亦當爾,不免此患耶?』答曰:『然,生必有死,無有貴賤。』於是,太子悵然不悅,即告御者迴車還宮,靜默思惟:『念此死苦,吾亦當然。』」佛時頌曰:
また別の時、太子は再び御者に命じて車を整え、出遊させた。途中で一人の死人に出会った。色とりどりの絹の幡が前後を導き、一族や親しい者たちが悲しみ泣きながら、城を出て送っていた。太子はまた尋ねた。「これは何者か?」答えて言った。「これは死人です。」問うた。「死とはどのようなものか?」答えた。「死とは、尽きることです。風が先に、火が次に、諸根が壊れ、存する者と亡くなる者は別の道をたどり、家族は別れなければなりません。それゆえ死と言うのです。」太子はまた御者に尋ねた。「私もやがてそうなり、この苦しみを免れないのか?」答えた。「はい、生あるものには必ず死があり、貴賤の差はありません。」そこで、太子は落胆して喜ばず、すぐに御者に告げて車を返し宮殿に戻り、静かに黙想した。「この死の苦しみを思うに、私もまた当然そうなるのだ。」その時、仏は偈を説かれた。
「始見有人死,知其復更生;
靜默自思惟,吾未免此患。
初めて人の死を見て、それが再び生まれ変わることを知った。
静かに黙想し、自ら思う、我もまたこの苦しみから免れていないと。
「爾時,父王復問御者:『太子出遊,歡樂不耶?』答曰:『不樂。』又問其故,答曰:『道逢死人,是故不樂。』於是父王默自思念:『昔日相師占相太子,言當出家,今日不悅,得無爾乎?吾當更設方便,增諸伎樂以悅其心,使不出家。』即復嚴飾宮舘,簡擇婇女以娛樂之。」佛於是頌曰:
その時、父王はまた御者に尋ねました。「太子は遊びに出て、楽しんでいたか?」御者は答えました。「楽しんではいませんでした。」さらにその理由を尋ねると、御者は答えました。「道で死人に出会ったので、楽しめなかったのです。」そこで父王は黙って心の中で考えました。「昔、占い師が太子の相を見て、出家するだろうと言った。今日、太子が喜ばないのは、まさにそのためではないか?私はさらに方便を設け、さまざまな芸能を増やして彼の心を喜ばせ、出家させないようにしよう。」すぐに宮殿をさらに美しく飾り、多くの侍女を選んで太子を楽しませました。そこで仏はこの偈を説かれました。
「童子有名稱,婇女眾圍遶;
五欲以自娛,如彼天帝釋。
童子は名を稱えられ、婇女の群れに囲まれ、 五欲をもって自ら楽しむ、あの天帝釋の如し。
「又於異時,復勑御者嚴駕出遊,於其中路逢一沙門,法服持鉢,視地而行。即問御者:『此為何人?』御者答曰:『此是沙門。』又問:『何謂沙門?』答曰:『沙門者,捨離恩愛,出家修道,攝御諸根,不染外欲,慈心一切,無所傷害,逢苦不慼,遇樂不欣,能忍如地,故號沙門。』太子曰:『善哉!此道真正永絕塵累,微妙清虛,惟是為快。』即勑御者迴車就之。
また別の時、王は御者に命じて車を整え出遊させた。道中、一人の沙門に出会った。彼は法衣をまとい鉢を持ち、地面を見つめながら歩いていた。王は御者に尋ねた。「これは何者か?」御者は答えた。「これは沙門です。」王はさらに尋ねた。「沙門とは何か?」御者は答えた。「沙門とは、愛着を捨て、家を出て修行する者です。諸々の感覚を制御し、外の欲望に染まらず、すべてのものに慈しみの心を持ち、何も傷つけません。苦しみに遭っても悲しまず、楽しみに遭っても喜びません。大地のように耐え忍ぶことができる。それゆえ沙門と呼ばれるのです。」太子は言った。「善きかな!この道こそ真実であり、永遠に塵世の煩わしさを断ち切り、微妙で清らかで虚ろなものだ。これこそが真の安らぎである。」そしてすぐに御者に命じて車を向けさせ、その沙門のもとへ向かった。
「爾時,太子問沙門曰:『剃除鬚髮,法服持鉢,何所志求?』沙門答曰:『夫出家者,欲調伏心意,永離塵垢,慈育群生,無所侵嬈,虛心靜寞,唯道是務。』太子曰:『善哉!此道最真。』尋勑御者:『賷吾寶衣并及乘轝,還白大王,我即於此剃除鬚髮,服三法衣,出家修道。所以然者?欲調伏心意,捨離塵垢,清淨自居,以求道術。』於是,御者即以太子所乘寶車及與衣服還歸父王。太子於後即剃除鬚髮,服三法衣,出家修道。」
その時、太子は沙門に尋ねました。「あなたは髪とひげを剃り、法衣を着て鉢を持っていますが、何を求めておられるのですか?」
沙門は答えました。「出家する者は、心を調え、煩悩の塵を永遠に離れ、すべての生き物を慈しみ育て、誰も傷つけず、心を虚しく静かに保ち、ただ道を求めることを務めとします。」
太子は言いました。「善きかな。この道こそ最も真実である。」
すぐに御者に命じました。「私の宝の衣と乗り物を持ち帰り、父王に伝えなさい。私はここで髪とひげを剃り、三つの法衣をまとって出家し、道を修めます。なぜなら、心を調え、煩悩の塵を捨て離れ、清らかに自らを保ち、道の術を求めるためです。」
そこで、御者は太子の乗っていた宝の車と衣服を持ち帰り、父王に伝えました。太子はその後、髪とひげを剃り、三つの法衣をまとって出家し、道を修め始めました。
佛告比丘:「太子見老、病人,知世苦惱,又見死人,戀世情滅;及見沙門,廓然大悟。下寶車時,步步中間轉遠縛著,是真出家,是真遠離。時,彼國人聞太子剃除鬚髮,法服持鉢,出家修道,咸相謂言:『此道必真,乃令太子捨國榮位,捐棄所重。』于時,國中八萬四千人往就太子,求為弟子,出家修道。」佛時頌曰:
仏は比丘たちに告げられた。「太子が老人や病人を見て、この世の苦しみを知り、また死人を見て、世への執着が消え、さらに沙門を見て、はっきりと悟りを開いた。宝飾の車から降りる時、一歩一歩進むごとに束縛から遠ざかり、これこそ真の出家であり、真の離脱である。」その時、国中の人々は太子が髪を剃り、法衣をまとい、鉢を持って出家し修行することを聞き、互いに言い合った。「この道は必ず真実であろう。太子が国の栄誉や地位を捨て、大切なものをすべて投げうったのだから。」そこで、国中の八万四千の人々が太子のもとに赴き、弟子となり、出家して修行を求めました。仏はこの時、次の偈を唱えられた。
「撰擇深妙法,彼聞隨出家;
離於恩愛獄,無有眾結縛。
深遠で優れた教えを選び取り、それを聞いて出家に従う。 愛着の牢獄を離れ、すべての束縛から解き放たれる。
「于時,太子即便納受,與之遊行,在在教化。從村至村,從國至國,所至之處,無不恭敬四事供養。菩薩念言:『吾與大眾,遊行諸國,人間憒閙,此非我宜。何時當得離此群眾,閑靜之處以求道真,尋獲志願,於閑靜處專精修道?』復作是念:『眾生可愍,常處闇冥,受身危脆,有生、有老、有病、有死,眾苦所集,死此生彼,從彼生此,緣此苦陰,流轉無窮,我當何時曉了苦陰,滅生、老、死?』
その時、太子はすぐに彼らを受け入れ、共に各地を巡り歩き、村々で教えを説きました。村から村へ、国から国へと巡るうちに、至る所で人々は四つの供養をもって深く敬意を表しました。菩薩は心に思いました:『私は大勢の者たちと共に諸国を巡り歩いているが、人間社会の喧騒は私にふさわしくない。いつになったらこの群衆から離れ、静かな場所で真実の道を求め、志を遂げて静寂の中で一心に修行できるだろうか?』さらにこう考えました:『衆生は哀れむべき存在だ。常に暗闇の中にあり、危うく脆いこの身を受け、生があり、老いがあり、病があり、死がある。多くの苦しみが集まり、この世に死ねばあの世に生まれ、あの世からまたこの世に生まれる。この苦しみに満ちた存在を縁として、流転は果てしなく続く。私はいつになったらこの苦しみの本質を悟り、生・老・死を滅することができるだろうか?』
「復作是念:『生死何從?何緣而有?』即以智慧觀察所由,從生有老死,生是老死緣;生從有起,有是生緣;有從取起,取是有緣;取從愛起,愛是取緣;愛從受起,受是愛緣;受從觸起,觸是受緣;觸從六入起,六入是觸緣;六入從名色起,名色是六入緣;名色從識起,識是名色緣;識從行起,行是識緣;行從癡起,癡是行緣。是為緣癡有行,緣行有識,緣識有名色,緣名色有六入,緣六入有觸,緣觸有受,緣受有愛,緣愛有取,緣取有有,緣有有生,緣生有老、病、死、憂、悲、苦惱,此苦盛陰,緣生而有,是為苦集。菩薩思惟:苦集陰時,生智、生眼、生覺、生明、生通、生慧、生證。
また、このように思いました。『生死はどこから来るのか? 何の縁によってあるのか?』そこで智慧をもってその由来を観察すると、生があるから老死があり、生は老死の縁である。生は有から起こり、有は生の縁である。有は取から起こり、取は有の縁である。取は愛から起こり、愛は取の縁である。愛は受から起こり、受は愛の縁である。受は触から起こり、触は受の縁である。触は六入から起こり、六入は触の縁である。六入は名色から起こり、名色は六入の縁である。名色は識から起こり、識は名色の縁である。識は行から起こり、行は識の縁である。行は癡から起こり、癡は行の縁である。
すなわち、癡を縁として行があり、行を縁として識があり、識を縁として名色があり、名色を縁として六入があり、六入を縁として触があり、触を縁として受があり、受を縁として愛があり、愛を縁として取があり、取を縁として有があり、有を縁として生があり、生を縁として老・病・死・憂い・悲しみ・苦悩がある。この苦しみに満ちた五蘊は、生を縁として存在する。これが苦の集まり(苦集)である。
菩薩は、この苦集の五蘊について思惟するとき、智慧が生じ、眼が生じ、覚りが生じ、明らかさが生じ、神通が生じ、慧が生じ、証得が生じるのである。
「於時,菩薩復自思惟:『何等無故老死無?何等滅故老死滅?』即以智慧觀察所由,生無故老死無,生滅故老死滅;有無故生無,有滅故生滅;取無故有無,取滅故有滅;愛無故取無,愛滅故取滅;受無故愛無,受滅故愛滅;觸無故受無,觸滅故受滅;六入無故觸無,六入滅故觸滅;名色無故六入無,名色滅故六入滅;識無故名色無,識滅故名色滅;行無故識無,行滅故識滅;癡無故行無,癡滅故行滅。是為癡滅故行滅,行滅故識滅,識滅故名色滅,名色滅故六入滅,六入滅故觸滅,觸滅故受滅,受滅故愛滅,愛滅故取滅,取滅故有滅,有滅故生滅,生滅故老、死、憂、悲、苦惱滅。菩薩思惟:『苦陰滅時,生智、生眼、生覺、生明、生通、生慧、生證。』爾時,菩薩逆順觀十二因緣,如實知,如實見已,即於座上成阿耨多羅三藐三菩提。」佛時頌曰:
その時、菩薩はさらに自ら思惟された。 「何が無くなれば老死が無くなるのか。何が滅びれば老死が滅びるのか」と。 そこで智慧をもって観察し、その原因を明らかにされた。 生が無くなれば老死が無くなる。生が滅びれば老死が滅びる。 有が無くなれば生が無くなる。有が滅びれば生が滅びる。 取が無くなれば有が無くなる。取が滅びれば有が滅びる。 愛が無くなれば取が無くなる。愛が滅びれば取が滅びる。 受が無くなれば愛が無くなる。受が滅びれば愛が滅びる。 触が無くなれば受が無くなる。触が滅びれば受が滅びる。 六入が無くなれば触が無くなる。六入が滅びれば触が滅びる。 名色が無くなれば六入が無くなる。名色が滅びれば六入が滅びる。 識が無くなれば名色が無くなる。識が滅びれば名色が滅びる。 行が無くなれば識が無くなる。行が滅びれば識が滅びる。 痴が無くなれば行が無くなる。痴が滅びれば行が滅びる。
すなわち、痴が滅びるゆえに行が滅び、 行が滅びるゆえに識が滅び、 識が滅びるゆえに名色が滅び、 名色が滅びるゆえに六入が滅び、 六入が滅びるゆえに触が滅び、 触が滅びるゆえに受が滅び、 受が滅びるゆえに愛が滅び、 愛が滅びるゆえに取が滅び、 取が滅びるゆえに有が滅び、 有が滅びるゆえに生が滅び、 生が滅びるゆえに老・死・憂い・悲しみ・苦悩が滅びるのである。
菩薩は思惟された。 「苦しみの集まりが滅びる時、智慧が生まれ、眼が生まれ、覚りが生まれ、明らかさが生まれ、通達が生まれ、慧が生まれ、証得が生まれる」と。
その時、菩薩は十二因縁を逆順に観察し、ありのままに知り、ありのままに見ることができた。 そして、その座の上で阿耨多羅三藐三菩提(無上正等覚)を成就されたのである。
仏はその時、次の偈を説かれた。
「此言眾中說,汝等當善聽,
過去菩薩觀,本所未聞法。
老死從何緣?因何等而有?
如是正觀已,知其本由生。
生本由何緣?因何事而有?
如是思惟已,知生從有起。
取彼取彼已,展轉更增有;
是故如來說,取是有因緣。
如眾穢惡聚,風吹惡流演;
如是取相因,因愛而廣普。
愛由於受生,起苦羅網本;
以染著因緣,苦樂共相應。
受本由何緣?因何而有受?
以是思惟已,知受由觸生。
觸本由何緣?因何而有觸?
如是思惟已,觸由六入生。
六入本何緣?因何有六入?
如是思惟已,六入名色生。
名色本何緣?因何有名色?
如是思惟已,名色從識生。
識本由何緣?因何而有識?
如是思惟已,知識從行生。
行本由何緣?因何而有行?
如是思惟已,知行從癡生。
如是因緣者,名為實義因,
智慧方便觀,能見因緣根。
苦非賢聖造,亦非無緣有,
是故變易苦,智者所斷除。
若無明滅盡,是時則無行;
若無有行者,則亦無有識;
若識永滅者,亦無有名色;
名色既已滅,即無有諸入;
若諸入永滅,則亦無有觸;
若觸永滅者,則亦無有受;
若受永滅者,則亦無有愛;
若愛永滅者,則亦無有取;
若取永滅者,則亦無有有;
若有永滅者,則亦無有生;
若生永滅者,無老病苦陰;
一切都永盡,智者之所說。
十二緣甚深,難見難識知;
唯佛能善覺,因是有是無。
若能自觀察,則無有諸入;
深見因緣者,更不外求師。
能於陰界入,離欲無染者;
堪受一切施,淨報施者恩。
若得四辯才,獲得決定證;
能解眾結縛,斷除無放逸。
色受想行識,猶如朽故車;
能諦觀此法,則成等正覺。
如鳥遊虛空,東西隨風逝;
菩薩斷眾結,如風靡輕衣。
毗婆尸閑靜,觀察於諸法;
老死何緣有?從何而得滅?
彼作是觀已,生清淨智慧;
知老死由生,生滅老死滅。
「これは大衆の中で説かれる言葉である。あなた方はよく聞きなさい。 過去の菩薩たちが観察した、これまで聞いたことのない法を。
老いと死は何から起こるのか?何によって生じるのか? このように正しく観察して、その根源が生にあることを知った。
生は何から起こるのか?何によって生じるのか? このように思惟して、生は有から起こることを知った。
執着が執着を生み、次々と有を増大させる。 それゆえに如来は説かれた、執着には因縁があると。
汚れたものが集まり、風が吹いて広がるように、 執着の相もまた、愛によって広く普遍となる。
愛は受から生じ、苦の網の根源となる。 染着の因縁によって、苦と楽が共に現れる。
受は何から起こるのか?何によって受が生じるのか? このように思惟して、受は触から生じることを知った。
触は何から起こるのか?何によって触が生じるのか? このように思惟して、触は六入から生じることを知った。
六入は何から起こるのか?何によって六入があるのか? このように思惟して、六入は名色から生じることを知った。
名色は何から起こるのか?何によって名色があるのか? このように思惟して、名色は識から生じることを知った。
識は何から起こるのか?何によって識があるのか? このように思惟して、識は行から生じることを知った。
行は何から起こるのか?何によって行があるのか? このように思惟して、行は無明から生じることを知った。
このような因縁こそが、真実の意味の因であり、 智慧と方便をもって観れば、因縁の根源を見ることができる。
苦は聖賢が作ったものではなく、また原因なくあるものでもない。 それゆえに変化する苦は、智者によって断ち除かれる。
もし無明が滅び尽くせば、その時には行もなくなる。 行がなければ、識もなくなる。 識が永遠に滅びれば、名色もなくなる。 名色が滅びれば、六入もなくなる。 六入が永遠に滅びれば、触もなくなる。 触が永遠に滅びれば、受もなくなる。 受が永遠に滅びれば、愛もなくなる。 愛が永遠に滅びれば、執着もなくなる。 執着が永遠に滅びれば、有もなくなる。 有が永遠に滅びれば、生もなくなる。 生が永遠に滅びれば、老いと病いと苦しみの陰もなくなる。 すべてが永遠に尽きる、これが智者によって説かれたことである。
十二因縁は甚深で、見難く識り難い。 ただ仏のみがよく覚り、これによって有るものと無いものとを知る。
もし自らを観察すれば、諸々の入るものはなくなる。 深く因縁を見る者は、さらに外に師を求めない。
五陰・十八界・十二入において、欲を離れ染まらない者は、 一切の布施を受けるに値し、施し主の恩に清浄に報いることができる。
もし四つの弁才を得て、決定した証を得れば、 衆生の結び縛を解き、放逸なく断ち除くことができる。
色・受・想・行・識は、朽ちた古い車のようである。 この法を諦観すれば、等正覚を成じることができる。
鳥が虚空を遊び、東西風に従って飛び去るように、 菩薩は衆生の結びを断ち、風が軽い衣をなびかせるようである。
毘婆尸仏は閑静にあり、諸法を観察された。 老いと死は何の縁によってあるのか?何によって滅びるのか? 彼はこのように観じて、清浄な智慧を生じた。 老いと死は生によってあり、生が滅びれば老いと死も滅びると知った。
「毗婆尸佛初成道時,多修二觀,一曰安隱觀,二曰出離觀。」佛於是頌曰:
毘婆尸仏が初めて悟りを開かれた時、二つの観想を深く修められました。 一つは安穏観、二つ目は出離観です。 このことについて仏は偈を説かれました。
「如來無等等,多修於二觀;
安隱及出離,仙人度彼岸。
其心得自在,斷除眾結使;
登山觀四方,故號毘婆尸。
大智光除冥,如以鏡自照;
為世除憂惱,盡生老死苦。
如来は比べるものなく、二つの観想を深く修められ、 安らぎと解脱を実現し、仙人は彼岸に渡られた。 その心は自在を得て、多くの煩悩を断ち切り、 山に登り四方を観て、毘婆尸と称される。 大いなる智慧の光は闇を除き、鏡で自らを映すが如く、 世の憂いと悩みを除き、生老病死の苦を尽くされる。
「毗婆尸佛於閑靜處復作是念:『我今已得此無上法,甚深微妙,難解難見,息滅、清淨,智者所知,非是凡愚所能及也。斯由眾生異忍、異見、異受、異學,依彼異見,各樂所求,各務所習。是故於此甚深因緣,不能解了,然愛盡涅槃,倍復難知,我若為說,彼必不解,更生觸擾。』作是念已,即便默然不復說法。
毘婆尸仏は静かな場所で、さらにこのように思われた。 『私は今この無上の法を得た。これは甚深微妙で、理解し難く、見え難く、煩悩を滅し、清らかであり、智慧ある者が知るものであって、凡愚の及ぶところではない。 これは、衆生がそれぞれ異なる受け止め方、異なる見解、異なる感受、異なる学び方をしているからである。彼らはそれぞれの異なる見解に依って、それぞれが求めるものを喜び、それぞれが習い慣れたことを務めとしている。 それゆえに、この甚深な因縁を理解することができず、ましてや愛欲を滅し尽くした涅槃は、さらに理解し難い。私がもし説いたとしても、彼らは必ず理解せず、かえって混乱を生じるだろう。』 このように思われた後、ただちに黙然とし、再び説法されなかった。
「時,梵天王知毗婆尸如來所念,即自思惟:『念此世間便為敗壞,甚可哀愍。毗婆尸佛乃得知此深妙之法,而不欲說。』譬如力士屈伸臂頃,從梵天宮忽然來下,立於佛前,頭面禮足,却住一面。時,梵天王右膝著地,叉手合掌白佛言:『唯願世尊以時說法!今此眾生塵垢微薄,諸根猛利,有恭敬心,易可開化,畏怖後世無救之罪,能滅惡法,出生善道。』
その時、梵天王は毘婆尸如来の念いを知り、自ら思惟した。『この世間はまさに壊れようとしている。なんと哀れむべきことか。毘婆尸仏はこの深遠微妙な法を得られたのに、説こうとされない』と。
ちょうど力士が腕を曲げ伸ばすほどの短い間に、梵天宮から忽然と降り立ち、仏の前に立って頭面礼足し、一歩退いて傍らに立った。時、梵天王は右膝を地につけ、手を合わせて仏に申し上げた。
「どうか世尊、時宜に応じて法を説いてくださいませ。今、この衆生たちは煩悩の塵が薄く、諸根が鋭利で、恭敬の心があります。教化しやすく、後世の救いなき罪を畏れ怖れ、悪法を滅ぼして善道に生まれることができる者たちです」
「佛告梵王:『如是!如是!如汝所言,但我於閑靜處默自思念:所得正法甚深微妙,若為彼說,彼必不解,更生觸擾,故我默然不欲說法。我從無數阿僧祇劫,勤苦不懈,修無上行,今始獲此難得之法,若為婬、怒、癡眾生說者,必不承用,徒自勞疲。此法微妙,與世相反,眾生染欲,愚冥所覆,不能信解。梵王!我觀如此,是以默然不欲說法。』
仏は梵王に告げられた: 「その通りだ。まさに汝の言うとおりである。 しかし私は静かな場所で黙って考えていたのだ。 得た正しい教えはとても深く微妙であり、 もし彼らに説いたとしても、必ず理解せず、 かえって混乱を生むだけだろう。 それゆえ、私は黙して説法を望まなかった。 私は無数の阿僧祇劫の間、 怠ることなく苦行を重ね、 無上の行を修めてきた。 今ようやくこの得難い法を得たのだ。 もし淫欲・怒り・愚痴に満ちた衆生に説けば、 彼らは決して受け入れず、 ただ徒労に終わるだろう。 この法は微妙であり、 世の常識とは逆を行く。 衆生は欲望に染まり、 愚かさに覆われているので、 信じ理解することができない。 梵王よ、私はこのように観じたゆえ、 黙して説法を望まなかったのだ。」
「時,梵天王復重勸請,慇懃懇惻,至于再三:『世尊!若不說法,今此世間便為壞敗,甚可哀愍。唯願世尊以時敷演,勿使眾生墜落餘趣!』爾時,世尊三聞梵王慇懃勸請,即以佛眼觀視世界,眾生垢有厚薄,根有利鈍,教有難易。易受教者畏後世罪,能滅惡法,出生善道。譬如優鉢羅花、鉢頭摩華、鳩勿頭華、分陀利華,或有始出汙泥未至水者,或有已出與水平者,或有出水未敷開者,然皆不為水所染著,易可開敷。世界眾生,亦復如是。
その時、梵天王は重ねて懇願し、真心を込めて再三にわたり申し上げました。 「世尊よ、もし法を説かれなければ、この世は崩れ去り、まことに哀れむべきものとなります。どうか世尊、時を逃さず教えを説き示され、衆生が他の苦しみの世界に堕ちることのないようお願いいたします」
世尊は、梵天王の真心こもる懇願を三度聞かれると、仏眼をもって世界を観察されました。 衆生の煩悩の垢には厚い者も薄い者もあり、素質には鋭い者も鈍い者もあり、教えを受けるには難しい者も易しい者もいました。 教えを受けやすい者は、来世の苦しみを恐れて悪い行いを滅ぼし、善き道を生み出すことができます。
ちょうど、青蓮華や赤蓮華、白蓮華、黄蓮華が、泥の中から出始めてまだ水面に届かないものも、すでに水面と同じ高さになったものも、水面を出たけれどまだ開いていないものも、いずれも水に染まらず、容易に開花することができるように、この世界の衆生もまた同じなのです。
「爾時,世尊告梵王曰:『吾愍汝等,今當開演甘露法門,是法深妙,難可解知,今為信受樂聽者說,不為觸擾無益者說。』
その時、世尊は梵王に告げられた。「私はあなたがたを憐れみ、今、甘露の法門を説き明かそう。この法は深遠微妙で、理解しがたいものだが、今、信じて受け入れ、喜んで聞こうとする者のために説くのであって、ただ触れて乱すだけで益のない者のためには説かない。」
「爾時,梵王知佛受請,歡喜踊躍,遶佛三匝,頭面禮足,忽然不現。其去未久,是時如來靜默自思:『我今先當為誰說法?』即自念言:『當入槃頭城內,先為王子提舍、大臣子騫茶開甘露法門。』於是,世尊如力士屈伸臂頃,於道樹忽然不現,至槃頭城槃頭王鹿野苑中,敷座而坐。」佛於是頌曰:
その時、梵天王は仏が請いを受けたことを知り、歓喜して躍り上がり、仏の周りを三度巡り、頭面礼して足を礼拝し、忽然と姿を消した。その去った後ほどなく、如来は静かに自ら思われた。「今、私はまず誰に説法すべきか」と。そして自ら念じられた。「槃頭城に入り、まず王子提舎と大臣の子騫茶のために甘露の法門を開示しよう」と。そこで世尊は、力士が腕を屈伸するほどの短い間に、菩提樹の下から忽然と姿を消し、槃頭城の槃頭王の鹿野苑に至り、座を敷いて坐られた。
「如師子在林,自恣而遊行;
彼佛亦如是,遊行無罣礙。
師子が森にて、自ら思いのままに遊行するがごとく、 かの仏もまたかくのごとく、何ものにも妨げられずに遊行される。
「毘婆尸佛告守苑人曰:『汝可入城,語王子提舍、大臣子騫茶:寧欲知不?毘婆尸佛今在鹿野苑中,欲見卿等,宜知是時。』時,彼守苑人受教而行,至彼二人所,具宣佛教。二人聞已,即至佛所,頭面禮足,却坐一面。佛漸為說法,示教利喜:施論、戒論、生天之論,欲惡不淨,上漏為患,讚歎出離為最微妙清淨第一。爾時,世尊見此二人心意柔輭,歡喜信樂,堪受正法,於是即為說苦聖諦,敷演開解,分布宣釋苦集聖諦、苦滅聖諦、苦出要諦。
毘婆尸仏は園を守る人に告げました。「あなたは城に入り、王子の提舎と大臣の子の騫茶にこう伝えなさい。『知りたいとは思いませんか。毘婆尸仏が今、鹿野苑におられ、あなた方に会いたいと望んでおられます。ちょうどよい時です』と」。そこで、その園を守る人は教えを受けて出かけ、かの二人のところへ行き、仏の教えを詳しく伝えました。二人はそれを聞くと、すぐに仏のもとへ赴き、頭を地につけて足を礼拝し、退いて一方に座りました。仏は次第に法を説き、示し教え、利益と喜びを与えました。すなわち、施しについての論、戒についての論、天に生まれることについての論、欲望は悪であり不浄であること、上漏は患いであること、そして出離を讃嘆することが最も微妙で清浄第一であることを説かれました。そのとき、世尊はこの二人の心が柔らかく、喜び信じ楽しんで、正法を受けるに堪えるのをご覧になり、そこでただちに苦聖諦を説き、敷き演べ開き解き、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦出要諦を分け述べ宣べ説かれました。
「爾時,王子提舍、大臣子騫茶,即於座上遠離塵垢,得法眼淨,猶若素質易為受染。是時,地神即唱斯言:『毗婆尸如來於槃頭城鹿野苑中轉無上法輪,沙門、婆羅門、諸天、魔、梵及餘世人所不能轉。』如是展轉,聲徹四天王,乃至他化自在天,須臾之頃,聲至梵天。」佛時頌曰:
その時、王子ティシャと大臣の子カンダは、座の上で塵あくを遠く離れ、法の眼が清らかとなった。それはちょうど、白い布が染めやすいように。その時、地の神はこの言葉を唱えた。「ヴィパッシー如来はパータリプトラの鹿野苑で、無上の法輪を転じられた。沙門も婆羅門も、諸天も魔も梵天も、その他の世の人々が転じることのできないものを」こうして次々と伝わり、声は四天王に響き渡り、ついには他化自在天にまで至り、瞬く間に声は梵天に届いた。その時、仏は偈を説かれた。
「歡喜心踊躍,稱讚於如來,
毘婆尸成佛,轉無上法輪。
初從樹王起,往詣槃頭城,
為騫茶、提舍,轉四諦法輪。
時騫茶、提舍,受佛教化已,
於淨法輪中,梵行無有上。
彼忉利天眾,及以天帝釋,
歡喜轉相告,諸天無不聞。
佛出於世間,轉無上法輪;
增益諸天眾,減損阿須倫。
昇仙名普聞,善智離世邊;
於諸法自在,智慧轉法輪。
觀察平等法,息心無垢穢;
以離生死扼,智慧轉法輪。
滅苦離諸惡,出欲得自在;
離於恩愛獄,智慧轉法輪。
正覺人中尊,二足尊調御;
一切縛得解,智慧轉法輪。
教化善導師,能降伏魔怨;
彼離於諸惡,智慧轉法輪。
無漏力降魔,諸根定不懈;
盡漏離魔縛,智慧轉法輪。
若學決定法,知諸法無我;
此為法中上,智慧轉法輪。
不以利養故,亦不求名譽;
愍彼眾生故,智慧轉法輪。
見眾生苦厄,老病死逼迫;
為此三惡趣,智慧轉法輪。
斷貪瞋恚癡,拔愛之根原;
不動而解脫,智慧轉法輪。
難勝我已勝,勝已自降伏;
已勝難勝魔,智慧轉法輪。
此無上法輪,唯佛乃能轉;
諸天魔釋梵,無有能轉者。
親近轉法輪,饒益天人眾;
此等天人師,得度于彼岸。
歓喜の心躍り上がり、如来を称賛する。 毘婆尸仏は成仏し、無上の法輪を転ず。
初めに樹王より起きて、槃頭城に詣で、 騫茶と提舍のために、四諦の法輪を転ず。
時に騫茶と提舍は、仏の教化を受けし後、 清浄なる法輪の中に、梵行に比ぶものなし。
かの忉利天の衆、および天帝釈は、 歓喜して互いに告げ、諸天聞かざるなし。
仏は世間に出現し、無上の法輪を転ず。 諸天の衆を増益し、阿須倫を減損す。
昇仙の名は普く聞こえ、善き智は世の辺を離る。 諸法に自在にして、智慧は法輪を転ず。
平等の法を観察し、心を息めて垢穢なし。 生死の軛を離るるをもって、智慧は法輪を転ず。
苦を滅ぼし諸悪を離れ、欲を出でて自在を得。 恩愛の獄を離るるをもって、智慧は法輪を転ず。
正覚は人中の尊、二足の尊は調御す。 一切の縛より解け出で、智慧は法輪を転ず。
教化の善き導師は、よく魔怨を降伏す。 彼は諸悪を離るるをもって、智慧は法輪を転ず。
無漏の力は魔を降し、諸根は定まりて懈らず。 漏を尽くし魔の縛を離るるをもって、智慧は法輪を転ず。
もし決定の法を学び、諸法の無我を知らば、 これ法の中の上なり、智慧は法輪を転ず。
利養のためならず、また名誉を求めず。 衆生を憐れむがゆえに、智慧は法輪を転ず。
衆生の苦厄を見る、老病死の逼迫するを。 この三悪趣のために、智慧は法輪を転ず。
貪・瞋・癡を断ち、愛の根源を抜く。 動かずして解脱し、智慧は法輪を転ず。
難勝なるもの我已に勝ち、勝ちて自ら降伏す。 已に難勝の魔に勝つ、智慧は法輪を転ず。
この無上の法輪は、ただ仏のみ能く転ず。 諸天・魔・釈・梵も、転ずる能うものなし。
法輪を転ずるに親近し、天人衆を饒益す。 この等の天人師は、彼岸に度ることを得たり。
「是時,王子提舍、大臣子騫茶,見法得果,真實無欺,成就無畏,即白毘婆尸佛言:『我等欲於如來法中淨修梵行。』佛言:『善來,比丘!吾法清淨自在,修行以盡苦際。』爾時,二人即得具戒。具戒未久,如來又以三事示現:一曰神足,二曰觀他心,三曰教誡,即得無漏、心解脫、生無疑智。
その時、王子ティッサと大臣の子クンダは、法を見て果を得、真実にして偽りなく、無畏を成就し、すぐにヴィパッシー仏に申し上げた。「我らは如来の法の中で清浄な梵行を修めたいと存じます。」仏は言われた。「善来、比丘よ。我が法は清浄で自在であり、修行して苦の果てを尽くすがよい。」そこで二人は具足戒を得た。具足戒を得て間もなく、如来はさらに三つのことを示された。一つは神足、二つは他心観、三つは教誡である。こうして二人は無漏を得、心は解脱し、疑いなき智慧が生じた。
「爾時,槃頭城內眾多人民,聞二人出家學道,法服持鉢,淨修梵行,皆相謂曰:『其道必真,乃使此等捨世榮位,捐棄所重。』時,城內八萬四千人往詣鹿野苑中毘婆尸佛所,頭面禮足,却坐一面。佛漸為說法,示教利喜:施論、戒論、生天之論,欲惡不淨,上漏為患,讚歎出離為最微妙清淨第一。爾時,世尊見此大眾心意柔輭,歡喜信樂,堪受正法,於是即為說苦聖諦,敷演開解,分布宣釋苦集聖諦、苦滅聖諦、苦出要諦。
そのとき、槃頭城の中の多くの人々は、あの二人が出家して道を学び、法服を着て鉢を持ち、清らかに梵行を修めていると聞いて、互いにこう言いました。「その道はきっと真実に違いない。だからこそ、このような人たちが世間の栄誉や地位を捨て、大切なものを投げ捨てたのだ。」 そのとき、城の中の八万四千人が鹿野苑の中の毘婆尸仏のもとへ赴き、頭を地につけて足を礼拝し、退いて一方に座りました。仏はしだいに彼らのために法を説き、示し、教え、利益を与え、喜ばせました。すなわち、施しについての論、戒についての論、天に生まれることについての論、欲望の過ちと不浄、上漏の患いを説き、出離を最も微妙で清浄な第一のものとして讃嘆されました。 そのとき、世尊はこの大衆の心が柔らかく、喜び信じ楽しんで、正法を受け入れることができるのをご覧になり、そこでただちに彼らのために苦聖諦を説き、敷き演べて開き解き、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦出要諦を分けて宣べ説かれました。
「時,八萬四千人即於座上遠塵離垢,得法眼淨,猶如素質易為受色,見法得果,真實無欺,成就無畏,即白佛言:『我等欲於如來法中淨修梵行。』佛言:『善來,比丘!吾法清淨自在,修行以盡苦際。』時,八萬四千人即得具戒。具戒未久,世尊以三事教化:一曰神足,二曰觀他心,三曰教誡,即得無漏、心解脫、生無疑智。前八萬四千人聞佛於鹿野苑中,轉無上法輪,沙門、婆羅門、諸天、魔、梵及餘世人所不能轉,即詣槃頭城毘婆尸佛所,頭面禮足,却坐一面。」佛時頌曰:
その時、八万四千人の人々がその座の上で、塵を遠ざけ垢を離れ、法眼清浄を得た。それはちょうど、白い布が容易に色を受け入れるように、法を見て果を得、真実で欺くことなく、無畏を成就した。彼らはすぐに仏に言った。「私たちは如来の法の中で清らかに梵行を修めたいと思います。」仏は言われた。「善来、比丘よ。わが法は清浄で自在であり、修行して苦の果てを尽くすことができる。」その時、八万四千人は具足戒を得た。具足戒を得て間もなく、世尊は三つの事柄で彼らを教化された。一つは神足、二つは他心観、三つは教誡である。彼らはすぐに無漏を得、心は解脱し、疑いなき智慧が生じた。先の八万四千人は、仏が鹿野苑において、無上の法輪を転じられたことを聞いた。それは沙門、婆羅門、諸天、魔、梵天、およびその他の世の人々が転じることができないものであった。彼らはすぐに槃頭城の毘婆尸仏のもとに赴き、頭面を礼して足を礼し、一辺に坐した。」仏はその時、偈を説かれた。
「如人救頭燃,速疾求滅處;
彼人亦如是,速詣於如來。
頭に火がついたかのように、急いで消す場所を求めるように、 その人もまた、速やかに如来のもとへと急ぎます。
「時,佛為說法亦復如是。爾時,槃頭城有十六萬八千大比丘眾,提舍比丘、騫茶比丘於大眾中上昇虛空,身出水火,現諸神變,而為大眾說微妙法。爾時,如來默自念言:『今此城內乃有十六萬八千大比丘眾,宜遣遊行,各二人俱在在處處,至於六年,還來城內說具足戒。』
その時、仏が説法をされたのもまたこのようなものであった。その時、槃頭城には十六万八千人の大比丘の衆がおり、提舎比丘と騫荼比丘は大衆の中から虚空へと昇り、身から水火を出し、さまざまな神通変化を現じ、大衆のために微妙な法を説いた。その時、如来は静かに心の中でこう思われた。『今、この城内には十六万八千人の大比丘の衆がいる。彼らを遊行に遣わし、それぞれ二人ずつ組にして、あらゆる場所に赴かせ、六年後にこの城に戻ってきて具足戒について説かせるのがよい。』
「時,首陀會天知如來心,譬如力士屈伸臂頃,從彼天沒,忽然至此,於世尊前,頭面禮足,却住一面,須臾白佛言:『如是,世尊!此槃頭城內比丘眾多,宜各分布,處處遊行,至於六年,乃還此城,說具足戒,我當擁護,令無伺求得其便者。』爾時,如來聞此天語,默然可之。
時に、首陀会天は如来の心を知りました。まるで力士が腕を曲げ伸ばすほどの短い間に、あの天界から忽然とここに現れ、世尊の前に進み出て頭面礼足し、一歩下がって片側に立ちました。そしてすぐに仏に申し上げました。
「その通りです、世尊。この槃頭城には比丘が大勢おります。それぞれに分かれて、あちこちを遊行し、六年後にこの城に戻り、具足戒を説かれるのがよろしいでしょう。私は彼らを護り、隙をうかがう者がつけ入る機会を与えません。」
その時、如来はこの天の言葉を聞き、黙ってお認めになりました。
「時,首陀會天見佛默然許可,即禮佛足,忽然不現,還至天上。其去未久,佛告諸比丘:『今此城內,比丘眾多,宜各分布,遊行教化,至六年已,還集說戒。』時,諸比丘受佛教已,執持衣鉢,禮佛而去。」佛時頌曰:
その時、首陀会天は、仏が黙って許可されたのを見て、すぐに仏足を礼拝し、忽然と姿を消して天上に帰りました。
彼らが去って間もなく、仏は諸比丘たちに告げられました。 『今、この城内には比丘が多くいる。それぞれに分かれて、遊行教化するのがよい。六年が過ぎたら、また集まって説戒をしよう。』
その時、諸比丘たちは仏の教えを受け、衣と鉢を持ち、仏を礼拝して去りました。
仏はその時、偈を唱えられました:
「佛悉無亂眾,無欲無戀著;
威如金翅鳥,如鶴捨空池。
仏はすべての乱れを離れ、欲も執着もなく、 その威厳は金翅鳥のごとく、鶴が池を捨てるように自在である。
「時,首陀會天於一年後告諸比丘:『汝等遊行已過一年,餘有五年。汝等當知,訖六年已,還城說戒。』如是至于六年,天復告言:『六年已滿,當還說戒。』時,諸比丘聞天語已,攝持衣鉢,還槃頭城,至鹿野苑毘婆尸佛所,頭面禮足,却坐一面。」佛時頌曰:
その時、首陀会天は一年後、比丘たちに告げました。「あなた方は遊行してすでに一年が過ぎ、残り五年あります。知っておきなさい、六年が満ちたら、城に戻って布薩を説きなさい。」こうして六年に至り、天は再び告げました。「六年が満ちました。布薩を説くために戻りなさい。」その時、比丘たちは天の言葉を聞き、衣と鉢を整え、槃頭城に戻り、鹿野苑の毘婆尸仏のもとへ行き、頭面礼足して、一隅に座りました。」仏はその時、偈を説かれました:
「如象善調,隨意所之;
大眾如是,隨教而還。
象がよく調教され、意のままに進むように、 大衆もまた、教えに従って帰っていった。
「爾時,如來於大眾前上昇虛空,結加趺坐,講說戒經:忍辱為第一,佛說涅槃最,不以除鬚髮害他為沙門。時,首陀會天去佛不遠,以偈頌曰:
その時、如来は大衆の前で虚空に昇り、結跏趺坐して戒経を説かれた。
「忍辱は第一の徳である。仏が説く涅槃が最も尊い。鬚髪を剃り他を害することを以て沙門とするのではない。」
その時、首陀会天が仏から遠からぬ所にいて、偈をもって頌して曰く:
「『如來大智,微妙獨尊,
止觀具足,成最正覺。
愍群生故,在世成道,
以四真諦,為聲聞說。
苦與苦因,滅苦之諦,
賢聖八道,到安隱處。
毘婆尸佛,出現于世,
在大眾中,如日光曜。』
如来の大いなる智慧は、微細にして尊く、 止観を備え、完全な悟りを成就されました。
すべての生きとし生けるものを憐れみ、 この世に現れて道を成し、 四つの真実の教えをもって、声聞たちに説かれました。
苦しみと苦しみの原因、 苦しみを滅ぼす真理、 聖なる八つの道は、安らぎの境地へと至ります。
毘婆尸仏が世に現れ、 大衆の中にあって、太陽の光のように輝かれました。
「說此偈已,忽然不現。」
この偈を説き終えると、忽然として姿を消した。
爾時,世尊告諸比丘:「我自思念:『昔一時於羅閱城耆闍崛山,時,生是念:我所生處,無所不遍,唯除首陀會天,設生彼天,則不還此。』我時,比丘!復生是念:『我欲至無造天上。』時,我如壯士屈伸臂頃,於此間沒,現於彼天。時,彼諸天見我至彼,頭面作禮,於一面立,而白我言:『我等皆是毘婆尸如來弟子,從彼佛化,故來生此,具說彼佛因緣本末。又尸棄佛、毘沙婆佛、拘樓孫佛、拘那含佛、迦葉佛、釋迦牟尼佛,皆是我師,我從受化,故來生此。』亦說諸佛因緣本末,至生阿迦尼吒諸天,亦復如是。」佛時頌曰:
その時、世尊は比丘たちに告げられた。「私はかつて、王舎城の霊鷲山にいたとき、このように思ったことがある。『私の生まれる場所は、あらゆる世界に及んでいる。ただ、浄居天だけは例外だ。もしそこに生まれたなら、この世には戻ってこないだろう』と。また私は、比丘たちよ、こうも思った。『無煩天に行ってみよう』と。すると、ちょうど力強い人が腕を曲げ伸ばすほどの短い間に、私はこの世から消え、その天界に現れた。その天の者たちは私が来たのを見て、頭を地につけて礼拝し、脇に立って言った。『私たちはみな、毘婆尸如来の弟子です。あの仏さまの教えを受けて、ここに生まれてきました』と。そして、その仏の因縁や経緯を詳しく話してくれた。また、尸棄仏、毘沙婆仏、拘楼孫仏、拘那含仏、迦葉仏、釈迦牟尼仏についても、『みな私たちの師であり、その教えを受けてここに生まれてきました』と、それぞれの仏の因縁や経緯を語り、阿迦尼吒天に至るまでの諸天も、同じように話してくれた。」その時、仏は偈を唱えられた。
「譬如力士,屈伸臂頃,
我以神足,至無造天。
第七大仙,降伏二魔,
無熱無見,叉手敬禮。
如晝度樹,釋師遠聞,
相好具足,到善見天。
猶如蓮華,水所不著,
世尊無染,至大善見。
如日初出,淨無塵翳,
明若秋月,詣一究竟。
此五居處,眾生所淨,
心淨故來,詣無煩惱。
淨心而來,為佛弟子,
捨離染取,樂於無取。
見法決定,毘婆尸子,
淨心善來,詣大仙人,
尸棄佛子,無垢無為,
以淨心來,詣離有尊。
毘沙婆子,諸根具足,
淨心詣我,如日照空。
拘樓孫子,捨離諸欲,
淨心詣我,妙光焰盛。
拘那含子,無垢無為,
淨心詣我,光如月滿。
迦葉弟子,諸根具足,
淨心詣我,如比天念,不亂大仙,
神足第一,以堅固心,
為佛弟子。淨心而來,
為佛弟子,禮敬如來,
具啟人尊。所生成道,
名、姓、種族,知見深法,
成無上道。比丘靜處,
離于塵垢,精勤不懈,
斷諸有結。此是諸佛,
本末因緣,釋迦如來,
之所演說。」
たとえば力士が腕を曲げ伸ばすほどの短い間に、 私は神通力をもって無造天に至る。 第七の大仙は、二魔を降伏させ、 無熱無見の天で、手を合わせて敬礼する。
昼度樹のように、釈尊の名声は遠くに聞こえ、 相好具足して善見天に至る。 蓮華が水に染まらないように、 世尊は汚れなく大善見天に至る。
朝日が昇り、塵ひとつないように清らかに、 秋の月のように明るく、一究竟天に至る。 これら五つの住処は、衆生が清める所、 心が清らかであるがゆえに来て、煩悩なき天に至る。
清らかな心で来て、仏の弟子となり、 染着と執着を捨て、無執着を楽しむ。 法を見て確信する、毘婆尸仏の子らよ、 清らかな心で善く来たり、大仙人に至る。
尸棄仏の子らは、垢なく無為であり、 清らかな心で来て、有を離れた尊き者に至る。 毘沙婆仏の子らは、諸根具足し、 清らかな心で我に至る、空を照らす日の如く。
拘樓孫仏の子らは、諸欲を捨て離れ、 清らかな心で我に至る、妙なる光輝盛んに。 拘那含仏の子らは、垢なく無為であり、 清らかな心で我に至る、満月の光の如く。
迦葉仏の弟子たちは、諸根具足し、 清らかな心で我に至る、天の心念の如く乱れず、 大仙は神通力第一、堅固な心をもって、 仏の弟子となる。清らかな心で来て、 仏の弟子となり、如来を礼敬し、 人尊にことごとく啓上する。生まれ成道し、 名、姓、種族、深遠な法を知見し、 無上道を成じる。比丘は静かな処にあり、 塵垢を離れ、精勤して懈らず、 諸有の結びを断ず。これが諸仏の、 本末の因縁であり、釈迦如来の 説かれたところである。
佛說此大因緣經已,諸比丘聞佛所說,歡喜奉行。
仏がこの大因縁経を説き終えられると、比丘たちは仏の説かれた教えを聞き、喜びをもって実践いたしました。
佛說長阿含經卷第一
仏説長阿含経 第一巻