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大乗大集地蔵十輪経 (大乘大集地藏十輪經)


大乘大集地藏十輪經卷第九

大乗大集地蔵十輪経 巻第九

三藏法師玄奘奉 詔譯

三蔵法師玄奘奉詔訳

善業道品第六之二

第六章 善業道品 第二節

「復次,善男子!若菩薩摩訶薩,能盡形壽,遠離瞋恚,一切眾生常所愛重,其心清淨,離諸垢穢。由此,善根速得成熟。所有前際輪轉五趣沒生死河,因瞋恚故,造身語意諸惡業障、諸煩惱障、諸有情障、一切法障、諸無明障,自作、教他、見聞隨喜,由此遠離瞋恚輪故,皆悉輾壞摧滅無餘,不受果報。於現身中,諸人天等,皆共親愛,無所猜慮,其心清淨,離諸垢穢。將命終時,身心不為憂苦逼切,所愛妻子眷屬圍遶。臨命終時,不見可怖剡魔王使;唯見可意成調善法、具戒、富德、真實福田,為善知識;身心歡悅,深生敬信。既命終已還生人中,諸根圓滿支體具足,隨所生處,其心清淨,離諸垢穢,端正聰明,安隱快樂。復遇可意成調善法、具戒、富德、真實福田,為善知識。依彼修學離瞋恚法,能斷一切惡不善法,能成一切殊勝善法,能求一切大乘法義,能修一切菩薩願行,漸次趣入深廣智海,乃至證得無上菩提。所居佛土遠離一切濁穢、風雲、欝烝、塵垢、諸麁弊物。眾寶莊嚴,甚可愛樂。遠離憍慢、顏貌端嚴、諸根無缺、心常寂定,如是有情來生其國,慈悲功德圓滿莊嚴。如來自身壽命無量,為諸有情如應說法。般涅槃後正法久住,利益安樂無量有情。善男子!是名菩薩摩訶薩第九遠離瞋恚輪也。

「また、善男子よ。もし菩薩摩訶薩が、生涯を通じて怒りを遠ざけるならば、すべての衆生から常に愛され尊ばれ、その心は清らかで、あらゆる汚れから離れています。このことによって、善根はすみやかに成熟します。これまでの前世において五趣を巡り生死の河に沈み、怒りのために身体・言葉・心によって造ったもろもろの悪業の障り、もろもろの煩悩の障り、もろもろの有情の障り、一切法の障り、もろもろの無明の障りを、自ら行い、他に教え、見聞きして喜んだとしても、この怒りを遠ざける輪によって、それらはすべて打ち砕かれ滅ぼされて余すところなく、その果報を受けません。現世においても、人や天などすべての人々から親しまれ愛され、疑いや気遣いを抱かせず、その心は清らかで、あらゆる汚れから離れています。命が終わろうとするとき、身心は憂いや苦しみに苛まれることなく、愛する妻子や眷属に囲まれます。命終の時に臨んで、恐ろしい閻魔王の使者を見ることはなく、ただ意にかなう、調えられた善法を成就し、戒を具え、徳に富み、真実の福田である善知識を見ることができます。身心は歓喜し、深く敬信の心を生じます。命終の後は再び人の世界に生まれ、諸根は円満で身体も完全であり、生まれたところどこでも、その心は清らかで、あらゆる汚れから離れ、端正で聡明、安らかで楽しんでいます。また、意にかなう、調えられた善法を成就し、戒を具え、徳に富み、真実の福田である善知識に出会います。その人に従って学び、怒りを遠ざける法を修め、すべての悪不善法を断ち、すべてのすぐれた善法を成し遂げ、すべての大乗の法義を求め、すべての菩薩の願行を修め、しだいに深く広い智慧の海に入り、ついには無上菩提を証得します。住む仏土は、あらゆる濁りや汚れ、風雲、むっとする蒸気、塵垢、もろもろの粗悪な物から遠く離れています。多くの宝で荘厳され、たいへん愛らしく楽しいところです。驕りや慢心から離れ、顔かたちは端正で、諸根に欠けるところなく、心は常に寂定しており、このような有情がその国に生まれ、慈悲と功德は円満に荘厳されています。如来ご自身の寿命は無量であり、もろもろの有情のためにふさわしく法を説かれます。般涅槃の後も正法は長く留まり、無量の有情を利益し安楽にします。善男子よ。これが菩薩摩訶薩の第九の、怒りを遠ざける輪と呼ばれるものです。」

「菩薩摩訶薩成就此輪故,於聲聞乘得無誤失;於聲聞乘補特伽羅得無誤失;於獨覺乘得無誤失;於獨覺乘補特伽羅得無誤失;於其大乘得無誤失;於其大乘補特伽羅得無誤失。常能熾然三寶種姓;於諸如來出家弟子,若是法器、若非法器,下至一切被片袈裟剃鬚髮者,得無誤失;於大乘法,常得昇進,無有退轉;利慧、勝福常得增長;於一切定、諸陀羅尼、諸忍諸地,速得自在,無有退轉;常得值遇諸善知識,隨順而行;常得不離見一切佛,及諸菩薩、聲聞弟子,不離聞法、不離親近供養眾僧;於諸善根常精進求,心無厭足;常於菩提種種行願,心無厭足。所得果報廣說如前。

菩薩摩訶薩がこの輪を成就したならば、声聞乗について誤ることなく、声聞乗の修行者についても誤ることがありません。独覚乗について誤ることなく、独覚乗の修行者についても誤ることがありません。大乗について誤ることなく、大乗の修行者についても誤ることがありません。

常に三宝の種を燃え立たせ、すべての如来の出家弟子に対して、たとえ器となる者であれ器ならざる者であれ、さらに袈裟の一片をまとい、髪やひげを剃った者に至るまで、誤ることがありません。大乗の教えにおいて常に進歩し、退くことがありません。すぐれた智慧と勝れた福徳が常に増大します。すべての禅定、陀羅尼、忍、そして修行の位において、速やかに自在を得て、退くことがありません。

常に善き知識(善友)に出会い、その教えに従って行じ、一切の仏や菩薩、声聞の弟子たちを拝見することを離れず、法を聞くこと、僧伽に親しく仕えることを離れません。あらゆる善根を常に精進して求め、心に満足することがありません。菩提のさまざまな行いと願いに対しても、常に心に満足することがありません。得られる果報は、前に広く説いた通りです。

「復次,善男子!若菩薩摩訶薩,能盡形壽,遠離邪見,一切眾生常所愛重,其心清淨離邪分別。由此,善根速得成熟。所有前際輪轉五趣沒生死河,因邪見故,造身語意諸惡業障、諸煩惱障、諸有情障、一切法障、諸正見障,自作、教他、見聞隨喜,由此遠離邪見輪故,皆悉輾壞摧滅無餘,不受果報。於現身中,諸人天等皆共親愛,無所猜慮,身心安樂,其心清淨,離邪分別。將命終時,身心不為憂苦逼切,所愛妻子眷屬圍遶。臨命終時,不見可怖剡魔王使;唯見可意成調善法、具戒、富德、真實福田,為善知識;身心歡悅,深生敬信。既命終已還生人中,諸根圓滿支體具足,隨所生處其心清淨,離邪分別,端正聰明,安隱快樂。復遇可意成調善法、具戒、富德、真實福田,為善知識。依彼修學離邪見法,能斷一切惡不善法,能成一切殊勝善法,能求一切大乘法義,能修一切菩薩願行,漸次趣入大乘大海,乃至證得無上菩提。所居佛土遠離一切聲聞、獨覺二乘人法,遠離一切天魔徒眾,遠離一切外道朋黨。眾寶莊嚴,甚可愛樂。遠離一切妄執、吉凶、常見、斷見、我、我所見,如是有情來生其國,壽命長遠受用一味,謂大乘味。如來自身壽命無量,為諸有情如應說法。般涅槃後正法久住,利益安樂無量有情。聖教一味無有乖諍,熾盛流通,離諸障難。善男子!是名菩薩摩訶薩第十遠離邪見輪也。

「さらに、善き人がよ。もし菩薩摩さったが、生涯をかけて邪な見解から遠ざかり、全ての生きとし生けるものから常に愛され重んじられ、その心が清らかで邪な分別から離れているならば、その善根は速やかに成熟する。過去において五つの迷いの世界を巡り、生死の河に沈み、邪な見解ゆえに身・言葉・心で様々な悪業の障り、煩悩の障り、命あるものの障り、あらゆる法の障り、正しい見解の障りを自ら作り、他人に教え、見聞きして喜んできたとしても、この邪な見解の輪から遠ざかることによって、それらはすべて打ち砕かれ、滅ぼされ尽くし、果報を受けることはない。

現世においては、人や天の者たちが皆、親しく愛し、疑いや気遣いもなく、心身ともに安らかで楽しく、その心は清らかで邪な分別を離れている。命終わろうとする時には、心身が憂いや苦しみに迫られることなく、愛する妻子や眷属に囲まれる。臨終の際には、恐ろしい閻魔王の使いを見ることなく、ただ心にかなった、よく調えられた法、戒めを具え、徳に富み、真実の福田となる善知識に出会い、心身は喜びに満ち、深く敬い信じる。

命終わった後は、再び人の世界に生まれ、諸々の感覚器官は完全で、手足も満ち足りている。生まれたところの心は清らかで、邪な分別から離れ、端正で聡明、安らかで楽しい。さらに、心にかなった、よく調えられた法、戒めを具え、徳に富み、真実の福田となる善知識に出会う。その教えに従って邪な見解を離れる法を学び、あらゆる悪しき善からざる法を断ち切り、あらゆる優れた善法を成就し、全ての大乗の法の意味を求め、全ての菩薩の願いと行いを修めて、徐々に大乗の大海へと入り、ついには無上の悟りを証得する。

住む仏の国は、声聞や独覚という二乗の人や法から遠く離れ、全ての天魔の仲間からも遠く離れ、全ての外道の徒党からも遠く離れている。多くの宝で飾られ、非常に愛すべきものである。あらゆる誤った執着、吉凶、常住や断滅の見解、我や我所という見解から離れた、そのような命ある者がその国に生まれる。寿命は長く、味わいは一つ、すなわち大乗の味わいである。如来自身の寿命は無量であり、命あるものに応じて法を説く。涅槃の後も正法は長く留まり、無量の命あるものを利益し安楽にする。聖なる教えは一つで、争いや違背はなく、盛んに広まり、障りや困難から離れている。

善き人よ。これを菩薩摩さったの第十の、邪な見解から遠ざかる輪というのである。」

「菩薩摩訶薩成就此輪故,於聲聞乘得無誤失;於聲聞乘補特伽羅得無誤失;於獨覺乘得無誤失;於獨覺乘補特伽羅得無誤失;於其大乘得無誤失;於其大乘補特伽羅得無誤失。常能熾然三寶種姓;於諸如來出家弟子,若是法器、若非法器,下至一切被片袈裟剃鬚髮者,得無誤失。於大乘法,常得昇進,無有退轉;利慧、勝福、常得增長;於一切定、諸陀羅尼、諸忍諸地,速得自在,無有退轉;常得值遇諸善知識,隨順而行;常得不離見一切佛,及諸菩薩、聲聞弟子,不離聞法、不離親近供養眾僧;於諸善根常精進求,心無厭足;常於菩提種種行願、六波羅蜜多,心無厭足。所得果報廣說如前。

菩薩摩訶薩がこの輪を成就したがゆえに、 声聞乗において誤りや損失がなく、 声聞乗の修行者においても誤りや損失がなく、 独覚乗において誤りや損失がなく、 独覚乗の修行者においても誤りや損失がなく、 大乗において誤りや損失がなく、 大乗の修行者においても誤りや損失がない。 常に三宝の種を盛んにし、 如来の出家弟子たち(法器たる者も非法器たる者も、さらには一片の袈裟をまとって髪やひげを剃った者に至るまで)に対しても、誤りや損失がない。 大乗の法においては、常に向上し、退くことがなく、 鋭い智慧と優れた福徳が常に増えていく。 すべての禅定、陀羅尼、忍辱、修行の境地において、速やかに自在を得て、退くことがない。 常に善き知識(善知識)に出会い、それに従って行動し、 常に全ての仏や菩薩、声聞の弟子たちを拝見することを離れず、 法を聞くこと、僧伽に亲近し供養することを離れない。 すべての善根を常に精進して求め、心に飽き足ることがなく、 常に菩提の様々な行いや願い、六波羅蜜多に対して、心に飽き足ることがない。 その得る果報は、前に広く述べた通りである。

「善男子!若菩薩摩訶薩成就如是十輪,能速證得阿耨多羅三藐三菩提。所以者何?於過去世,一切如來、應、正等覺,皆悉遠離十惡業道,皆悉稱揚、讚歎如是十善業道所得果報。為欲長養一切眾生,利益、安樂、菩提道故;為欲除滅一切眾生業煩惱苦,令無餘故;為欲枯竭三惡趣故;為欲紹隆三寶種故;為欲斷除三界有故;為欲永斷蘊、界、處故;為令一切速入無畏涅槃城故;廣說如前遠離十種不善業道所得果報。是故,善男子!若不真實希求如是十善業道所證佛果,及不真實下至守護一善業道,乃至命終而自稱言:『我是真實行大乘者,我求無上正等菩提。』當知如是補特伽羅,是極虛詐、是大妄語。對十方界佛世尊前,誑惑世間,無慚、無愧,說空斷見,誘誑愚癡;身壞命終墮諸惡趣。

「善男子よ。もし菩薩摩薩が、このような十の輪を成就すれば、速やかに無上正等菩提(アノッターラ・サンミャク・サンボーディ)を証得することができる。なぜか。過去世において、すべての如来・応供・正等覚者は、皆、十の悪業の道から遠く離れ、皆、この十の善業の道によって得られる果報を称讃し、讃嘆してきたからである。それは、すべての衆生を長養し、利益し、安楽ならしめ、菩提の道のためであり、すべての衆生の業による煩悩の苦しみを除き滅ぼし、余すところなくなくすためであり、三つの悪趣(地獄・餓鬼・畜生)を枯渇させるためであり、三宝(仏・法・僧)の種を継ぎ隆盛させるためであり、三界(欲界・色界・無色界)における存在を断ち切るためであり、五蘊・十二処・十八界を永く断つためであり、すべての者を速やかに畏れなき涅槃の城に入らせるためである。これは、先に述べたように、十種の不善業の道から遠く離れて得られる果報の広大な説明に同じである。

ゆえに、善男子よ。もし真実にこの十善業の道によって証される仏果を希求せず、また真実に、少なくとも一つの善業の道さえ守ることなく、命終わるまで行わずして、自ら『我は真実に大乗を行う者である。我は無上正等菩提を求める』と称するならば、そのような補特伽羅(プドガラ)は、極めて虚偽であり、大妄語であることを知るべきである。十方世界の仏世尊の前にあって、世間を惑わし欺き、慚愧なく、空や断見を説き、愚かな者たちを誘い欺く。そして、身が壊れ命が終われば、諸々の悪趣に堕ちるであろう。」

「善男子!若但言說,及但聽聞,不由修行十善業道,能得菩提般涅槃者,於一劫中、或一念頃,可令十方一切佛土、地界、微塵、算數眾生,皆登正覺入般涅槃,然無是事。所以者何?十善業道,是大乘本、是菩提因、是證涅槃堅固梯蹬。善男子!若但發心發誓願力,不由修行十善業道,能得菩提般涅槃者,於一劫中、或一念頃,可令十方一切佛土、地界、微塵、算數眾生,皆登正覺入般涅槃,然無是事。所以者何?十善業道,是世、出世殊勝果報功德根本。善男子!若不修行十善業道,設經十方一切佛土微塵數劫,自號大乘,或說、或聽、或但發心、或發誓願,終不能證菩提涅槃,亦不令他脫生死苦。

「善男子。ただ言葉で語ったり、ただ聞いたりするだけで、十善業道を修行することなく、悟りや涅槃を得られるならば、一劫(長い時間)の間、あるいは一瞬のうちに、十方のすべての仏の国土にある大地の塵ほどの数の無数の衆生を、皆、正覚に至らせ涅槃に入らせることができるでしょう。しかし、そのようなことはありません。なぜなら、十善業道は大乗の根本であり、悟りの因であり、涅槃を証するための堅固なはしごだからです。

善男子。ただ心を起こし誓願を立てるだけで、十善業道を修行することなく、悟りや涅槃を得られるならば、一劫の間、あるいは一瞬のうちに、十方のすべての仏の国土にある大地の塵ほどの数の無数の衆生を、皆、正覚に至らせ涅槃に入らせることができるでしょう。しかし、そのようなことはありません。なぜなら、十善業道は、世間および出世間のすぐれた果報と功徳の根本だからです。

善男子。もし十善業道を修行しないなら、たとえ十方のすべての仏の国土の塵の数ほどの劫の間、自らを大乗と称し、教えを説いたり聞いたり、あるいはただ心を起こしたり誓願を立てたりしても、ついに悟りや涅槃を証することはできません。また、他の者を生死の苦しみから救うこともできません。」

「善男子!要由修行十善業道,世間方有諸剎帝利、婆羅門等大富貴族,四大王天乃至非想非非想處,或聲聞乘、或獨覺乘,乃至無上正等菩提,皆由修行十善業道品類差別。是故,善男子!若欲速滿無上正等菩提願者,當修如是十善業道,以自莊嚴;非住十惡不律儀者,能滿如是無上正等菩提大願。若求速悟大乘境界、速證無上正等菩提、速滿一切善法願者,先應護持十善業道。所以者何?十善業道是能安立一切善法功德根本,是世、出世勝果報因。是故,應修十善業道。」

「善男子よ。十善業道を修行するからこそ、この世には王族やバラモンなどの高貴な一族が現れ、四天王天から非想非非想処に至るまでの天上界があり、声聞乗や独覚乗、さらには無上の正しい悟りに至る道があるのです。これらはすべて、十善業道の修行による違いによって生じるのです。 ですから、善男子よ。もし無上の正しい悟りという願いを速やかに満たしたいと思うなら、この十善業道を修行して自らを飾りなさい。十悪に安住し、戒律を守らない者が、このような無上の悟りの大いなる願いを満たすことはできません。 もし大乗の境地を速やかに悟り、無上の正しい悟りを速やかに証し、すべての善い行いの願いを速やかに満たしたいと願うなら、まず第一に十善業道を護り保ちなさい。なぜなら、十善業道はすべての善い行いや功徳の根本を確かに立てるものであり、世間と出世間の優れた報いをもたらす原因だからです。ゆえに、十善業道を修行すべきなのです。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「欲除諸有苦, 證得大菩提,
應修十善輪, 精勤勿放逸。
便於三乘法, 及補特伽羅,
一切出家人, 皆得無誤失;
信受行大乘, 利樂一切眾,
覺勝法淨土, 速證大菩提。
若離於殺生, 一切皆愛敬,
恒無病長壽, 常樂不害法;
一切所生處, 恒樂佛所行,
常遇佛法僧, 速成無上覺。
若離不與取, 智者皆愛敬,
滅貪所生業, 獲無貪所生;
生生常巨富, 能為大施主,
得眾寶莊嚴, 可愛淨佛國。
若離欲邪行, 滅臭穢煩惱,
枯竭貪愛河, 速得淨佛國;
拔諸眾生類, 令出欲淤泥,
安置於大乘, 使勤修梵行。
若離虛誑語, 得聖自在智,
常樂諦實言, 滅虛妄眾苦;
一言為證量, 常遇佛法僧,
速得大菩提, 勸修不妄語。
若離離間語, 成眾善法器,
常遇佛法僧, 不歸於斷滅;
得聖無染著, 陀羅尼寶藏,
達深法海源, 速成無上覺。
若離麁惡語, 常說柔軟言,
眾生皆愛敬, 滅先世罪業;
令眾常歡悅, 成菩薩導師,
知諸佛所行, 超過第十地。
若離雜穢語, 智者皆愛敬,
為他所發言, 具獲五功德;
常聽受聖言, 恒欣求聖道,
圓滿諸佛海, 速得一切智。
若離於貪欲, 不誹謗聖教,
供養服袈裟, 弘三乘聖道;
當生淨佛國, 導師之所居,
乘於無上乘, 速得最勝智。
若離於瞋恚, 一向修慈心,
速疾證等持, 樂眾聖行處;
當生淨佛土, 遠離諸過惡,
住彼證菩提, 令離諸瞋忿。
若離於邪見, 純修淨信心,
樂開示三乘, 亦供養諸佛;
永脫諸惡趣, 遇眾賢聖者,
具諸菩薩德, 逮得最上智。
我說十善業, 能趣勝菩提,
生長諸等持, 陀羅尼忍地;
此輪大威德, 能摧諸惡趣,
破壞諸惡障, 速證大菩提。

あらゆる苦しみを除き去り、大いなる悟りを得たいと願うならば、十の善い行いの輪を修め、怠らず精進せよ。 そうすれば、三つの乗り物(三乗)の教えと、すべての人々、そして全ての出家者に対して、誤りを犯すことがなくなる。 大乗の教えを信じて受け入れ、全ての衆生を利益し楽しませ、最も勝れた法と清らかな国を覚り、速やかに大いなる悟りを証するであろう。

もし殺生を離れるならば、全ての者から愛され敬われ、常に病気なく長寿であり、常に楽しく、害する法(行い)をしない。 生まれるところ全てにおいて、常に仏の行うところを喜び、常に仏・法・僧に出会い、速やかに無上の悟りを成就する。

もし盗み(不与取)を離れるならば、智慧ある者から愛され敬われ、貪りから生じる業を滅し、貪り無きことから生じるもの(清らかな心)を得る。 生まれ変わっても常に大いなる富を持ち、偉大な施主となることができ、様々な宝で飾られた、愛すべき清らかな仏の国を得る。

もし邪な淫行(欲邪行)を離れるならば、汚らわしい煩悩を滅し、貪りの愛の川を枯らし、速やかに清らかな仏の国を得る。 そして、あらゆる衆生を引き上げ、欲望の泥沼から救い出し、大乗の教えに安置して、清らかな行い(梵行)を勤めさせる。

もし偽りの言葉(虚誑語)を離れるならば、聖なる自在の智慧を得て、常に真実の言葉を楽しみ、虚偽の言葉による様々な苦しみを滅する。 一言一言が証拠(証量)となり、常に仏・法・僧に出会い、速やかに大いなる悟りを得る。偽りの言葉を離れるよう努めよ。

もし離間の言葉(離間語)を離れるならば、全ての善い法を受け入れる器となり、常に仏・法・僧に出会い、断滅の見解に陥らない。 聖なる染まり無き者となり、陀羅尼(総持)の宝の蔵を得て、深い法の海の源に達し、速やかに無上の悟りを成就する。

もし荒々しい言葉(麁悪語)を離れるならば、常に柔らかな言葉を語り、全ての衆生から愛され敬われ、過去世の罪の業を滅する。 衆生を常に楽しませ、菩薩の導師となり、諸仏の行うところを知り、第十の地(法雲地)を超える。

もし雑穢な言葉(雑穢語)を離れるならば、智慧ある者から愛され敬われ、他人のために言葉を発すれば、五つの功徳を完全に得る。 常に聖なる言葉を聴き受け、常に聖なる道を求め欣い求めて、諸仏の海を円満にし、速やかに一切の智慧を得る。

もし貪りの心(貪欲)を離れるならば、聖なる教えを誹謗せず、袈裟を供養し身に着け、三乗の聖なる道を弘める。 清らかな仏の国に生まれ、導師の住まうところにおいて、無上の乗り物に乗り、速やかに最も勝れた智慧を得る。

もし怒りの心(瞋恚)を離れるならば、ひたすら慈しみの心(慈心)を修め、速やかに等しい心の集中(等持)を証し、聖者たちの行うところを楽しむ。 清らかな仏の国に生まれ、全ての誤りや過ちを遠く離れ、そこに留まって悟りを証し、全ての者を怒りから離れさせる。

もし邪な見解(邪見)を離れるならば、純粋な清らかな信心を修め、三乗の教えを示すことを楽しみ、また諸仏を供養する。 永遠に悪い生まれ変わり(悪趣)から脱し、多くの賢者や聖者に出会い、全ての菩薩の徳を備え、最も勝れた智慧を得る。

私はこの十の善い業(十善業)が、勝れた悟りへと向かい、様々な心の集中(等持)や陀羅尼、忍びの境地(忍地)を育てると説いた。 この行いの輪は大いなる威徳を持ち、全ての悪い生まれ変わりを打ち砕き、全ての悪い障りを破壊して、速やかに大いなる悟りを証させるのである。

大乘大集地藏十輪經福田相品第七之一

大乗大集地蔵十輪経 福田相品 第七の一

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,有十財施大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。何等為十?所謂布施種種飲食、衣服、寶飾、象馬、車乘,及以自身、手、足、耳、鼻、頭、目、髓、腦、皮、骨、血、肉、國城、妻子、奴婢、田宅。如是一一行布施時,不顧身命。不專為己求於世間、出世間樂,發心布施。但欲普為一切有情生長大慈、大悲芽故,發心布施。為欲引發善巧方便殊勝智故,發心布施。為欲引發一切有情安樂事故,發心布施。為欲除滅一切有情苦惱事故,發心布施。無勝他心、無麁獷心、無嫉妬心、無慳悋心而行布施。於所施物,若多、若少,下至一食,終不希求自受果報,發心布施。終不希求聲聞乘果,發心布施。終不希求獨覺乘果,發心布施。於所施物,若多、若少,下至一食、但為希求一切種智,發心布施。

また、善男子よ。菩薩摩薩には、十の財施という大いなる鎧の輪があります。もし菩薩摩薩がこの輪を成就すれば、最初に発心した時から、すべての五欲を断ち切り、すべての声聞や独覚を超え、すべての声聞・独覚にとって大きな福田となります。すべての声聞・独覚の乗り手たちは、皆、この菩薩を供養し、奉仕し、守護すべきです。その十とは何か。すなわち、さまざまな飲食、衣服、宝飾品、象、馬、車両、さらには自身の手足、耳、鼻、頭、目、髄、脳、皮、骨、血、肉、国や城、妻や子、奴婢、田んぼや家屋を施すことです。このように一つひとつ施しを行うとき、身命を顧みません。自分だけのために世間や出世間の楽を求めて施しを行うのではなく、ただすべての生きとし生けるもののために、大慈・大悲の芽を大きく育てようと願って施しを行います。巧みな方便のすぐれた智慧を引き起こそうと願って施しを行います。すべての生きとし生けるものに安楽をもたらすために施しを行います。すべての生きとし生けるものの苦悩を取り除くために施しを行います。他に勝とうとする心や荒々しい心、嫉妬の心、けちな心なく施しを行います。施す物について、多くても少なくても、たとえ一食分に過ぎなくとも、決して自らの報いを求めて施しを行いません。決して声聞の果を求めて施しを行いません。決して独覚の果を求めて施しを行いません。施す物について、多くても少なくても、たとえ一食分に過ぎなくとも、ただ一切種智を求めて施しを行います。

「善男子!菩薩摩訶薩成就如是十種財施大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。所以者何?聲聞、獨覺、發心布施無大慈悲,但為己身捨貧窮故;但為己身脫眾苦故;但為己身得安樂故;但為己身證涅槃故;不能普為一切有情而行布施。菩薩摩訶薩發心布施有大慈悲,普為有情捨貧窮故;普為有情脫眾苦故;普為有情得安樂故;普為有情證涅槃故;不為自身而行布施。以是義故,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。

「善き男よ。菩薩摩薩は、このような十種の財施という大きな鎧の輪を成就することで、初めて心を起こした時から、あらゆる五欲を断ち切ることができ、すべての声聞や独覚より優れており、広くすべての声聞や独覚にとって大きな福田となります。すべての声聞や独覚の者たちは、皆、この菩薩を供養し、仕え、守るべきです。なぜなら、声聞や独覚は布施の心を起こしても大いなる慈悲がなく、ただ自分のために貧しさを捨てるためであり、ただ自分のために苦しみから脱するためであり、ただ自分のために安楽を得るためであり、ただ自分のために涅槃を証するためであり、すべての有情のために広く布施を行うことはできません。菩薩摩薩は布施の心を起こすと大いなる慈悲があり、広く有情のために貧しさを捨てるためであり、広く有情のために苦しみから脱するためであり、広く有情のために安楽を得るためであり、広く有情のために涅槃を証するためであり、自分のために布施を行うことはありません。このような理由から、すべての声聞や独覚より優れており、広くすべての声聞や独覚にとって大きな福田となります。すべての声聞や独覚の者たちは、皆、この菩薩を供養し、仕え、守るべきです。」

「菩薩摩訶薩修行財施波羅蜜多時,於妙五欲心無染著,自所攝受一切樂具,普能施與一切有情,依普攝受諸有情心,依自忍受一切苦心,依滅一切有情苦心,依與一切有情樂心,依與有情大涅槃心,而行布施。以是義故,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。

菩薩摩訶薩が財施の波羅蜜多を修行するとき、美しい五つの欲望に心を染めることなく、自らが得たすべての楽しみの道具を、すべての生きとし生けるものに広く施します。それは、すべての生きとし生けるものを広く受け入れる心に基づき、自らの苦しみを耐え忍ぶ心に基づき、すべての生きとし生けるものの苦しみを滅する心に基づき、すべての生きとし生けるものに楽しみを与える心に基づき、そして生きとし生けるものに大きな涅槃を与える心に基づいて、布施を行います。このような理由から、一切の声聞や独覚を超え、すべての声聞や独覚にとっての大いなる福田となります。一切の声聞や独覚の修行者たちは、皆、この菩薩を敬い、供養し、お仕えし、守るべきなのです。

「善男子!若於五欲心無染著,具大慈悲而行布施,是名菩薩摩訶薩也,亦名一切聲聞、獨覺真實福田。若不除斷世間五欲,無大慈悲而行布施,雖捨無量、無邊施物,而猶不得名為菩薩摩訶薩也,亦非一切聲聞、獨覺真實福田,此施不蒙聖印所印。是故,應斷世間五欲,具大慈悲而行布施。若不斷於世間五欲,無大慈悲而行布施,不名菩薩、非真福田。善男子!染著五欲行布施輪,尚不能滅自身所有少分苦惱,況能除滅一切有情無量苦惱!」

「善き男子よ。もしも五欲に心を執着せず、大きな慈悲をそなえて布施を行うならば、これを菩薩摩訶薩と名づける。また、あらゆる声聞や独覚にとっての真実の福田ともなる。しかし、世間の五欲を断ち除かず、大きな慈悲もなくて布施を行うならば、無量・無辺の施物を捨てても、なお菩薩摩訶薩とは名づけられない。また、あらゆる声聞や独覚にとっての真実の福田でもなく、この布施は聖者の印によって認められることはない。ゆえに、世間の五欲を断ち、大きな慈悲をそなえて布施を行うべきである。もし世間の五欲を断たず、大きな慈悲もなくて布施を行うならば、菩薩とも呼ばれず、真の福田でもない。善き男子よ。五欲に染まって行う布施の輪は、自身のわずかな苦しみさえも滅ぼすことができない。ましてや、すべての有情の無量の苦しみを除き滅ぼすことなど、できようはずがない。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「成就財施輪, 智者淨意樂,
盡離於五欲, 安樂諸有情。
為樂諸有情, 不求自果報,
雖行少分施, 而名真福田。
雖復施眾多, 而依止五欲,
非聖印所印, 住不定聚中。
雖行少分施, 而不依五欲,
名聲聞獨覺, 真實良福田。
故應捨五欲, 常行清淨施,
安樂有情眾, 成真實福田。

財施の輪を成就し、智者は心の楽しみを清らかにする。五つの欲望から完全に離れ、全ての生きとし生けるものを安楽にする。生きとし生けるものを楽しませるために、自らの報いを求めることなく、たとえわずかな施しを行っても、それを真の福田という。たとえ多くの施しを行っても、五つの欲に依り頼んでいるなら、聖者の印によって印されず、不確定な者の中に留まる。たとえわずかな施しを行っても、五つの欲に依り頼まないなら、それを声聞や独覚という、真実の良き福田とする。ゆえに五つの欲を捨て、常に清らかな施しを行い、生きとし生けるものの衆を安楽にして、真実の福田を成し遂げよ。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩有十法施大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,速能獲得日燈光定。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。何等為十?謂:諸如來所說正法、或聲聞乘相應正法、或獨覺乘相應正法、或與大乘相應正法、或世間法、或出世間法、或有漏法、或無漏法、或有為法、或無為法、或不二法,菩薩摩訶薩於此十法深信敬重一切聽聞,隨力所能審諦領受,思惟觀察,究竟通利,隨其所宜為他演說。於說法時,無嫉妬心、無慳悋心、無憍慢心、無求利心、無輕他心、無自舉心,有恭敬心、有饒益心、有大慈心、有大悲心。為聲聞乘補特伽羅說聲聞法,不為彼說獨覺乘法及大乘法。為獨覺乘補特伽羅說獨覺法,不為彼說聲聞乘法及大乘法。為於大乘補特伽羅說大乘法,不為彼說聲聞乘法、獨覺乘法。隨諸有情根器所能為說正法,非根器者終不為說。於其大乘諸有情所,終不勸修獨覺乘行、聲聞乘行。於獨覺乘諸有情所,或時勸彼修大乘行。於聲聞乘諸有情所,或時勸修獨覺乘行及大乘行。於諸如來所說正法,下至一頌乃至半句,深信敬重,終不毀謗、障蔽、隱沒。於說法師起世尊想,於聽法眾起病者想,於所說法起良藥想。斷除五欲無所希求,宣說正法。善男子!是名菩薩摩訶薩十種法施大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,能斷五欲,速能獲得日燈光定。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。」

「さらに、善男子よ。菩薩摩訶薩には、十の法施という大いなる鎧の輪があります。この輪を成就した菩薩摩訶薩は、発心の初めから一切の五欲を断ち除くことができ、速やかに日灯光定を得ることができます。一切の声聞や独覚を超え勝り、あまねく一切の声聞・独覚にとって大いなる福田となります。一切の声聞乗や独覚乗の者たちは、みなこの菩薩を供養し、仕え、守るべきです。

では、その十とは何でしょうか。すなわち、如来の説かれた正法、あるいは声聞乗に相応する正法、あるいは独覚乗に相応する正法、あるいは大乗に相応する正法、あるいは世間法、あるいは出世間法、あるいは有漏法、あるいは無漏法、あるいは有為法、あるいは無為法、あるいは不二法です。菩薩摩訶薩は、これら十の法を深く信じ敬い、すべてを聞き、自分の能力に応じてよく受け止め、思惟し観察し、究極まで通達し、相手にふさわしく説き示します。

説法のとき、嫉妬の心なく、吝嗇の心なく、高慢の心なく、利得を求める心なく、他者を見下す心なく、自分を誇る心なく、恭敬の心あり、利益の心あり、大いなる慈しみの心あり、大いなる悲みの心があります。

声聞乗の修行者には声聞の法を説き、彼に独覚乗や大乗の法を説くことはしません。独覚乗の修行者には独覚の法を説き、彼に声聞乗や大乗の法を説くことはしません。大乗の修行者には大乗の法を説き、彼に声聞乗や独覚乗の法を説くことはしません。諸々の有情の根器に従って正法を説き、根器に合わない者には決して説きません。大乗の有情に対しては、独覚乗や声聞乗の修行を勧めることは決してしません。独覚乗の有情に対しては、時に大乗の修行を勧めることがあります。声聞乗の有情に対しては、時に独覚乗や大乗の修行を勧めることがあります。

如来の説かれた正法に対しては、一つの偈や半句に至るまで深く信じ敬い、決して謗ったり、妨げたり、隠したりしません。説法の師を如来と思い、法を聞く衆を病める者と思い、説かれる法を良薬と思いなします。五欲を断ち除き、何も求めずに正法を説き示します。

善男子よ。これが菩薩摩訶薩の十種の法施という大いなる鎧の輪です。この輪を成就した菩薩摩訶薩は、五欲を断ち切り、速やかに日灯光定を得ることができます。一切の声聞・独覚を超え勝り、あまねく一切の声聞・独覚にとって大いなる福田となります。一切の声聞乗や独覚乗の者たちは、みなこの菩薩を供養し、仕え、守るべきなのです。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「智者修法施, 隨器說三乘,
不為說餘乘, 恐聞而謗法。
稱根器說法, 不為非根器,
各隨其所樂, 勸進令歡喜。
終不勸大乘, 令修二乘行;
或時勸彼二, 進修中上乘。
常恭敬聽法, 深信不毀謗,
供養說法師, 如佛世尊想。
勸聞妙法藥, 令除煩惱病,
捨利養名譽, 而宣說正法。

智ある者は教えを施すにあたり、 聞く者の器に応じて三つの乗り物(声聞・縁覚・菩薩)を説く。 それ以外の乗り物は説かない。説けば聞く者が謗りの罪を犯すからだ。 その人の器に合わせて法を説き、合わない者には説かない。 それぞれが喜ぶ教えに導き、励まして歓びを得させる。 菩薩の大乗を進んで求める者に、けっして声聞や縁覚の小乗を勧めない。 また時には、その者に中乗や上乗を勧めて成長させることもある。 つねに恭敬して法を聞き、深く信じて謗ることなく、 説法の師を世尊(仏)と等しく敬いなさい。 妙なる法の薬を聞くよう勧め、煩悩の病を取り除かせ、 名誉や利益を捨てて、正しい法を説きなさい。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有淨戒大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。云何淨戒大甲冑輪?善男子!菩薩淨戒有二種相:一者、共;二者、不共。云何菩薩共淨戒輪?謂:諸在家近事近住所受律儀,或復出家及受具足別解脫戒。如是律儀別解脫戒,是名菩薩共淨戒輪,共諸聲聞、獨覺乘等。菩薩不由此淨戒輪,能除一切有情煩惱、諸惡見趣,及能解脫業障生死,此不名為大甲冑輪,亦不由此名為菩薩摩訶薩也,及名一切聲聞、獨覺真實福田。云何菩薩不共淨戒大甲冑輪?謂:諸菩薩普於十方一切有情起平等心、無擾動心、無怨恨心,護持淨戒;普於一切持戒、犯戒、布施、慳貪、慈悲、忿恚、精進、懈怠、下、中、上品諸有情所無差別心、無差別想,護持淨戒;普於三界一切有情無恚、無忿及諸惡行,護持淨戒;普於三有蘊、界、處中無所分別,護持淨戒;不依欲界護持淨戒;不依色界護持淨戒;不依無色界護持淨戒;不觀諸有一切果報,護持淨戒;不依一切得與不得,護持淨戒;不依諸行,護持淨戒。是名菩薩不共淨戒大甲冑輪。善男子!若菩薩摩訶薩成此淨戒大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,得名菩薩摩訶薩也。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。」

「さらに、善き男子よ。菩薩摩薩には、清らかな戒律という大きな鎧の輪があります。もし菩薩摩薩がこの輪を成就すれば、最初に心を起こした時から、一切の五欲を断ち除くことができ、すべての声聞や独覚を超え勝り、あまねく一切の声聞・独覚にとっての大いなる福田となります。一切の声聞や独覚の乗り物の者たちは、みな敬い養い、仕え、守り護るべきです。

では、清らかな戒律の大きな鎧の輪とは何でしょうか。善き男子よ。菩薩の清らかな戒律には二つの相があります。一つは共なるもの、もう一つは共ならざるものです。

菩薩の共なる清らかな戒律の輪とは何でしょうか。それは在家の近事や近住が受ける律儀、あるいは出家して受ける具足戒や別解脱戒のことです。これらの律儀や別解脱戒を、菩薩の共なる清らかな戒律の輪と言い、声聞や独覚の乗り物の者たちと共にするものです。しかし、菩薩はこの清らかな戒律の輪によって、一切の有情の煩悩や悪しき見解の趣きを除き、業の障りや生死から解脱することはできません。これを大きな鎧の輪とは呼ばず、またこれによって菩薩摩薩と呼ばれることもなく、一切の声聞・独覚にとっての真実の福田とも呼ばれません。

では、菩薩の共ならざる清らかな戒律の大きな鎧の輪とは何でしょうか。それは、諸々の菩薩があまねく十方の一切の有情に対して平等の心、動揺しない心、恨みのない心を起こし、清らかな戒律を護り保つことです。あまねく一切の戒律を保つ者も破る者も、施す者もけちな者も、慈悲深い者も怒る者も、精進する者も怠る者も、下・中・上の様々な位の有情に対して差別の心なく、差別の想いなく、清らかな戒律を護り保つことです。あまねく三界の一切の有情に対して怒りや恨みや悪しき行いなく、清らかな戒律を護り保つことです。あまねく三有の五蘊・十八界・十二処において分別せず、清らかな戒律を護り保つことです。欲界に依らずに清らかな戒律を護り保ち、色界に依らずに清らかな戒律を護り保ち、無色界に依らずに清らかな戒律を護り保ちます。一切の生存における果報を観ずることなく、清らかな戒律を護り保ちます。一切の得ることも得ないことも依らずに、清らかな戒律を護り保ちます。諸々の行いに依らずに、清らかな戒律を護り保ちます。これを菩薩の共ならざる清らかな戒律の大きな鎧の輪と言います。

善き男子よ。もし菩薩摩薩がこの清らかな戒律の大きな鎧の輪を成就すれば、最初に心を起こした時から、一切の五欲を断ち除くことができ、菩薩摩薩と名づけられます。すべての声聞や独覚を超え勝り、あまねく一切の声聞・独覚にとっての大いなる福田となります。一切の声聞や独覚の乗り物の者たちは、みな敬い養い、仕え、守り護るべきなのです。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「住在家律儀, 出家解脫戒,
與二乘等共, 不名摩訶薩。
智者修空法, 不依諸世間,
亦不依諸有, 護持清淨戒;
離取相尸羅, 無染無諸漏,
護持如是戒, 名真實福田。

在家の律儀や、出家の解脱戒は、 声聞・縁覚の二乗と共通のものであり、 摩訶薩(大菩薩)とは呼ばれない。

賢者は空の法を修行し、 世間のいっさいに依らず、 また、三有(存在の世界)にも依らずに、 清らかな戒を護持する。

とらわれの戒を離れ、 染まりも煩悩の漏れもなく、 そのような戒を護持する人を、 真実の福田(功徳を生む田畑)と名付ける。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有安忍大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。云何安忍大甲冑輪?善男子!菩薩安忍有二種相:一者、世間;二者、出世間。云何菩薩世間安忍?謂:有漏忍。緣諸有情,有取,有相,依諸果報、依諸福業所發起忍,依自諸色、聲、香、味、觸所發起忍。有發趣忍、無堪能忍、力羸劣忍、棄眾生忍、有誑詐忍、矯悅他忍、不為利樂諸有情忍。是名菩薩世間安忍。如是安忍共諸聲聞、獨覺乘等,此不名為大甲冑輪,亦不由此名為菩薩摩訶薩也,及名一切聲聞、獨覺真實福田。云何菩薩出世安忍大甲冑輪?謂:無漏忍。一切賢聖大法光明,普為利樂一切有情,無染著忍。永斷一切所作事業、語言、因相、文字、音聲,行依處安忍。修此忍故,能斷一切三結、三受、三相、三世、三有、三行、三不善根、四種瀑流、四扼、四取、四種身繫。修此忍時,心意寂靜。是名菩薩出世安忍大甲冑輪。善男子!若菩薩摩訶薩成此安忍大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,得名菩薩摩訶薩也。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。」

「また、善男子よ。菩薩摩訶薩には、さらに安忍という大きな甲冑の輪がある。菩薩摩訶薩がこの輪を成就すれば、初めて発心した時から、すべての五欲を断ち切ることができ、一切の声聞や独覚を超越し、彼らすべてにとって大きな福田となる。一切の声聞・独覚の者たちは、皆、この菩薩を供養し、仕え、守るべきである。

では、その安忍の大甲冑の輪とは何か。善男子よ。菩薩の安忍には二つの相がある。一つは世間の安忍、二つ目は出世間の安忍である。

菩薩の世間の安忍とは何か。それは、煩悩を伴う忍びである。様々な生きとし生けるものを対象とし、執着があり、形や姿を捉え、果報や福徳の業に基づいて起こる忍び、また、自分の色・声・香・味・触によって起こる忍びである。そこには、目的に向かって努める忍び、耐える力のない忍び、力の弱い忍び、衆生を見捨てる忍び、偽りやごまかしのある忍び、相手を喜ばせようと取り繕う忍び、生きとし生けるものを本当の意味で利し楽しまない忍びがある。これを菩薩の世間の安忍という。

このような安忍は、声聞や独覚の者たちと共通のものであり、これを大甲冑の輪とは呼ばない。また、これによって菩薩摩訶薩と呼ばれることもなく、一切の声聞・独覚にとっての真実の福田となることもない。

では、菩薩の出世間の安忍の大甲冑の輪とは何か。それは、煩悩を離れた忍びである。すべての聖者たちの大いなる法の光明であり、あまねく一切の生きとし生けるものを利し楽しますための、汚れや執着のない忍びである。すべての為すべき仕事や言葉、因や相、文字や音声といった、行為のよりどころとなるものを永遠に断ち切って修行する忍びである。

この忍びを修するがゆえに、三つの結び目(三結)、三つの感受(三受)、三つの相(三相)、三世、三有、三行、三つの不善の根(三不善根)、四つの暴流(四瀑流)、四つの扼(四扼)、四つの取(四取)、四つの身の繫がり(四種身繫)を断ち切ることができる。この忍びを修する時、心は静かに落ち着く。これを菩薩の出世間の安忍の大甲冑の輪という。

善男子よ。もし菩薩摩訶薩がこの安忍の大甲冑の輪を成就すれば、初めて発心した時から、すべての五欲を断ち切ることができ、菩薩摩訶薩と呼ばれるにふさわしい者となる。一切の声聞や独覚を超越し、彼らすべてにとって大きな福田となる。一切の声聞・独覚の者たちは、皆、この菩薩を供養し、仕え、守るべきである。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「安忍說二種, 謂有相無相,
有相忍有著, 智者不稱譽;
修忍依三行, 依蘊界處等,
是名有漏忍, 非摩訶薩相。
為滅四顛倒, 修無染著忍,
寂靜三行等, 此忍可稱譽;
能寂靜諸行, 離一切分別,
心平等如空, 此忍可稱譽;
諸法同一趣, 空無相寂滅,
心無所住著, 此忍成大利。

安忍には二種類ある。 すなわち、相あるものと相なきものである。

相ある忍びは執着を伴うため、 賢者はこれを称賛しない。

蘊・界・処などに依って 三つの行に従って修める忍びは、 これは煩悩を伴う忍びであり、 大いなる菩薩の姿ではない。

四つの顛倒を滅ぼすために 汚れなき忍びを修めること、 それが三つの行などを静める忍びであり、 この忍びこそ称賛されるべきである。

すべての行を静め、 あらゆる分別を離れ、 心が空のように平等である忍び、 この忍びは称賛されるべきである。

すべての法は同じ一つの趣に向かい、 空・無相・寂滅である。 心がどこにも執着しないならば、 この忍びは大いなる利益を成し遂げる。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有精進大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。云何精進大甲冑輪?善男子!菩薩精進有二種相:一者、世間;二者、出世間。云何菩薩世間精進?謂:諸菩薩精進勇猛,勤修三種世福業事。何等為三?一者、施福業事;二者、戒福業事;三者、修福業事。修此即名三種精進。如是精進,緣諸眾生,有漏,有取,依諸果報,依諸福業。是名菩薩世間精進。如是精進共諸聲聞、獨覺乘等,此不名為大甲冑輪,亦不由此名為菩薩摩訶薩也,及名一切聲聞、獨覺真實福田。云何菩薩出世精進大甲冑輪?謂:諸菩薩勇猛精進,於諸眾生其心平等,除滅一切煩惱業苦。如是精進,一切賢聖共所稱譽,無漏、無取、無所依止。普於一切精進、懈怠、布施、慳貪、持戒、破戒、慈悲、忿恚、下、中、上品諸眾生所,無差別心、無差別想、勇猛精進。普於三界一切眾生,平等無二,為作事業、語言、思惟、諸行依處無所住著,勇猛精進。普於三有蘊、界、處中無所分別,勇猛精進。不依欲界勇猛精進,不依色界勇猛精進,不依無色界勇猛精進。不觀諸有一切果報,勇猛精進。不依一切得與不得,勇猛精進。不依諸行,勇猛精進。不依三種世福業事,勇猛精進。具足出世三福業事,勇猛精進。是名菩薩出世精進大甲冑輪。善男子!若菩薩摩訶薩成此精進大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,得名菩薩摩訶薩也。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。」

「また、善男子よ。菩薩摩訶薩には、さらに精進の大甲冑輪があります。もし菩薩摩訶薩がこの輪を成就すれば、初めて心を発したときから、一切の五欲をすべて除き断つことができ、一切の声聞・独覚を超え勝り、すべての声聞・独覚のために大いなる福田となります。一切の声聞・独覚の乗などの者たちは、みな供養し、仕え、守るべきです。

精進の大甲冑輪とは何でしょうか。善男子よ、菩薩の精進には二つの相があります。一つには世間、二つには出世間です。

菩薩の世間の精進とは何でしょうか。それは、もろもろの菩薩が精進勇猛にして、三種の世福の業事を勤めて修めることです。その三つとは何でしょうか。一つには施の福の業事、二つには戒の福の業事、三つには修の福の業事です。これを修めることを、三種の精進と名づけます。このような精進は、もろもろの衆生を縁とし、有漏であり、有取であり、もろもろの果報に依り、もろもろの福業に依っています。これを菩薩の世間の精進と名づけます。このような精進は、もろもろの声聞・独覚の乗などと共通するものであり、これは大甲冑輪とは名づけられず、またこれによって菩薩摩訶薩と名づけられることもなく、一切の声聞・独覚の真実の福田と名づけられることもありません。

菩薩の出世の精進の大甲冑輪とは何でしょうか。それは、もろもろの菩薩が勇猛に精進し、もろもろの衆生に対してその心が平等であり、一切の煩悩と業と苦を除き滅することです。このような精進は、一切の賢聖がともに称讃し誉めるものであり、無漏であり、無取であり、依り止まる所がありません。すべての精進・懈怠、布施・慳貪、持戒・破戒、慈悲・忿恚、下品・中品・上品のもろもろの衆生のもとにおいて、差別の心もなく、差別の想もなく、勇猛に精進します。三界の一切の衆生に対して、平等で二つがなく、事業・語言・思惟・もろもろの行の依処として、住著することなく、勇猛に精進します。三有の蘊・界・処において、何ら分別することなく、勇猛に精進します。欲界に依らずに勇猛に精進し、色界に依らずに勇猛に精進し、無色界に依らずに勇猛に精進します。もろもろの有の一切の果報を観ずることなく、勇猛に精進します。一切の得と不得とに依らずに、勇猛に精進します。もろもろの行に依らずに、勇猛に精進します。三種の世福の業事に依らずに、勇猛に精進します。出世の三福の業事を具足して、勇猛に精進します。これを菩薩の出世の精進の大甲冑輪と名づけます。

善男子よ、もし菩薩摩訶薩がこの精進の大甲冑輪を成就すれば、初めて心を発したときから、一切の五欲をすべて除き断つことができ、菩薩摩訶薩と名づけられるのです。一切の声聞・独覚を超え勝り、すべての声聞・独覚のために大いなる福田となります。一切の声聞・独覚の乗などの者たちは、みな供養し、仕え、守るべきです。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「於六根染著, 漂愚五瀑流,
雖勇猛精進, 智者皆厭毀;
緣眾生精進, 有漏及有取,
非真實福田, 不名摩訶薩。
智者勤精進, 遠離一切著,
心無所依止, 名真實福田。
不染著名色, 離蘊界處等,
為眾作歸依, 是名摩訶薩。
行世如水月, 修精進究竟,
此輪能永斷, 眾生煩惱縛。

六根に執着すれば、 愚か者の五つの激流に流される たとえ勇猛に精進しても 賢者はみな嫌い捨てる

衆生に向けた精進には 煩悩や執着が伴い 真実の福田ではなく 摩訶薩とは呼ばれない

賢者は精進に励み すべての執着を遠く離れ 心が何にも寄りかからず 真実の福田と名づけられる

名称と形に染まらず 五蘊・十八界・十二処などを離れ 衆生のよりどころとなって これを摩訶薩と呼ぶ

世の中に水に映る月のように生き 究極の精進を修めれば この輪廻は永遠に断たれる 衆生の煩悩の束縛が

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有靜慮大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。云何靜慮大甲冑輪?善男子!菩薩靜慮有二種相:一者、世間;二者、出世間。云何菩薩世間靜慮?謂:諸菩薩依著諸蘊,修習靜慮。依著諸界,修習靜慮。依著諸處,修習靜慮。依著欲界,修習靜慮。依著色界,修習靜慮。依著無色界,修習靜慮。依著三律儀,修習靜慮。依著三解脫,修習靜慮。依著四念住,修習靜慮。依著四正斷,修習靜慮。依著四神足,修習靜慮。依著五根,修習靜慮。依著五力,修習靜慮。依著七等覺支,修習靜慮。依著八聖道支,修習靜慮。依著地界,修習靜慮。依著水界,修習靜慮。依著火界,修習靜慮。依著風界,修習靜慮。依著空界,修習靜慮。依著識界,修習靜慮。依著樂受,修習靜慮。依著苦受,修習靜慮。依著不苦不樂受,修習靜慮。依著虛空無邊處,修習靜慮。依著識無邊處,修習靜慮。依著無所有處,修習靜慮。依著非想非非想處,修習靜慮。依著此世,修習靜慮。依著他世,修習靜慮。依著小想,修習靜慮。依著大想,修習靜慮。依著無量想,修習靜慮。如是靜慮,有漏、有取、有所依著,是名菩薩世間靜慮。如是靜慮共諸聲聞、獨覺乘等,此不名為大甲冑輪,亦不由此名為菩薩摩訶薩也,及名一切聲聞、獨覺真實福田。

「さらに、善き方々よ。菩薩摩訶薩には、また、瞑想という大きな鎧の輪があります。もし菩薩摩訶薩がこの輪を成就すれば、初めて心を起こした時から、あらゆる五感の欲望を断ち切ることができ、すべての声聞や独覚よりも優れており、広く全ての声聞や独覚にとって大きな福田となります。あらゆる声聞や独覚の者たちは、皆、この方を供養し、仕え、守るべきです。では、その瞑想の大きな鎧の輪とは何でしょうか。善き方よ。菩薩の瞑想には二つの形があります。一つは、世俗の瞑想。もう一つは、出世間の瞑想です。では、菩薩の世俗の瞑想とは何か。それは、諸々の菩薩が、五蘊に執着して瞑想を修行することです。諸々の界(十八界)に執着して、瞑想を修行します。諸々の処(十二処)に執着して、瞑想を修行します。欲界に執着して、瞑想を修行します。色界に執着して、瞑想を修行します。無色界に執着して、瞑想を修行します。三つの律儀に執着して、瞑想を修行します。三つの解脱に執着して、瞑想を修行します。四念住に執着して、瞑想を修行します。四正断に執着して、瞑想を修行します。四神足に執着して、瞑想を修行します。五根に執着して、瞑想を修行します。五力に執着して、瞑想を修行します。七つの覚りの支分に執着して、瞑想を修行します。八つの聖なる道の支分に執着して、瞑想を修行します。地の要素に執着して、瞑想を修行します。水の要素に執着して、瞑想を修行します。火の要素に執着して、瞑想を修行します。風の要素に執着して、瞑想を修行します。虚空の要素に執着して、瞑想を修行します。識の要素に執着して、瞑想を修行します。楽しい感覚に執着して、瞑想を修行します。苦しい感覚に執着して、瞑想を修行します。苦しくもなく楽しくもない感覚に執着して、瞑想を修行します。虚空無辺処に執着して、瞑想を修行します。識無辺処に執着して、瞑想を修行します。無所有処に執着して、瞑想を修行します。非想非非想処に執着して、瞑想を修行します。この世に執着して、瞑想を修行します。あの世に執着して、瞑想を修行します。小さな想いに執着して、瞑想を修行します。大きな想いに執着して、瞑想を修行します。無量の想いに執着して、瞑想を修行します。このような瞑想は、煩悩の汚れがあり、とらわれがあり、よりどころに執着するものです。これを、菩薩の世俗の瞑想と言います。このような瞑想は、声聞や独覚などの者たちと共通のものであり、これは大きな鎧の輪とは呼ばれず、またこれによって菩薩摩訶薩と呼ばれることもなく、全ての声聞や独覚の真実の福田とも呼ばれません。

「云何菩薩出世靜慮?謂:諸菩薩遠離諸蘊,修習靜慮。遠離諸界,修習靜慮。遠離諸處,修習靜慮。遠離欲界,修習靜慮。遠離色界,修習靜慮。遠離無色界,修習靜慮。遠離三律儀,修習靜慮。遠離三解脫,修習靜慮。遠離四念住,修習靜慮。遠離四正斷,修習靜慮。遠離四神足,修習靜慮。遠離五根,修習靜慮。遠離五力,修習靜慮。遠離七等覺支,修習靜慮。遠離八聖道支,修習靜慮。遠離地界,修習靜慮。遠離水界,修習靜慮。遠離火界,修習靜慮。遠離風界,修習靜慮。遠離空界,修習靜慮。遠離識界,修習靜慮。遠離樂受,修習靜慮。遠離苦受,修習靜慮。遠離不苦不樂受,修習靜慮。遠離虛空無邊處,修習靜慮。遠離識無邊處,修習靜慮。遠離無所有處,修習靜慮。遠離非想非非想處,修習靜慮。遠離此世,修習靜慮。遠離他世,修習靜慮。遠離小想,修習靜慮。遠離大想,修習靜慮。遠離無量想,修習靜慮。如是靜慮能發賢聖廣大光明,無漏、無取、無所依著,是名菩薩出世靜慮大甲冑輪。善男子!若菩薩摩訶薩成此靜慮大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,得名菩薩摩訶薩也。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。」

では、菩薩の世間を超えた静慮(瞑想)とは、どのようなものでしょうか。

それは、菩薩が様々な執着から離れて静慮を修行することをいいます。 * 五蘊(色・受・想・行・識)への執着を離れて静慮を修行する。 * 十八界(感覚と認識の領域)への執着を離れて静慮を修行する。 * 十二処(認識の拠点)への執着を離れて静慮を修行する。 * 欲望の世界(欲界)への執着を離れて静慮を修行する。 * 物質的な世界(色界)への執着を離れて静慮を修行する。 * 非物質的な世界(無色界)への執着を離れて静慮を修行する。 * 三つの戒律(律儀)への執着を離れて静慮を修行する。 * 三つの解脱への執着を離れて静慮を修行する。 * 四念住(観察の実践)への執着を離れて静慮を修行する。 * 四正断(努力の実践)への執着を離れて静慮を修行する。 * 四神足(実現の力)への執着を離れて静慮を修行する。 * 五根(信などの能力)への執着を離れて静慮を修行する。 * 五力(五根の力)への執着を離れて静慮を修行する。 * 七覚支(悟りの要素)への執着を離れて静慮を修行する。 * 八正道への執着を離れて静慮を修行する。 * 地の要素への執着を離れて静慮を修行する。 * 水の要素への執着を離れて静慮を修行する。 * 火の要素への執着を離れて静慮を修行する。 * 風の要素への執着を離れて静慮を修行する。 * 虚空の要素への執着を離れて静慮を修行する。 * 識別の要素への執着を離れて静慮を修行する。 * 楽しい感覚への執着を離れて静慮を修行する。 * 苦しい感覚への執着を離れて静慮を修行する。 * 苦しくも楽しくもない感覚への執着を離れて静慮を修行する。 * 無限の虚空の境地(空無辺処)への執着を離れて静慮を修行する。 * 無限の識別の境地(識無辺処)への執着を離れて静慮を修行する。 * 無所有の境地への執着を離れて静慮を修行する。 * 想いも無きも無い境地(非想非非想処)への執着を離れて静慮を修行する。 * この世への執着を離れて静慮を修行する。 * あの世への執着を離れて静慮を修行する。 * 小さな想いへの執着を離れて静慮を修行する。 * 大きな想いへの執着を離れて静慮を修行する。 * 無限の想いへの執着を離れて静慮を修行する。

このような静慮は、聖者にとって広大な智慧の光を起こし、煩悩の汚れ(漏)がなく、何ものにも執着せず、何ものにも依らないものなのです。これが、菩薩の世間を超えた静慮という大きな鎧の輪(大甲冑輪)と呼ばれるものです。

善き方よ(善男子)! もし大菩薩が、この静慮という大きな鎧の輪を成就したならば、修行を始めた最初の心がけ(初発心)の時から、あらゆる五感の欲望を断ち切ることができ、真に大菩薩(菩薩摩訶薩)と呼ばれるにふさわしくなります。

彼は、声聞や独覚(個人の悟りを求める者たち)をはるかに超え、あらゆる声聞や独覚にとって大いなる功徳を生む田んぼ(福田)となります。すべての声聞や独覚の修行者たちは、この菩薩を敬い、供養し、仕え、守護すべきなのです。

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「為捨己重擔, 修有所得定,
求斷自煩惱, 非真智者相。
依器有所觀, 求解脫修定,
取著此彼岸, 非利樂有情。
為利樂有情, 修定捨重擔,
滅一切煩惱, 是真智者相。
為潤諸有情, 修無依著定,
永斷諸有愛, 是名大慧者。
為解諸有縛, 令住無畏城,
修行寂止定, 是名摩訶薩。

自己の重荷を捨てるために、有為の定(じょう)を修し、 自らの煩悩を断ち切ろうと求めるのは、真の智者の姿ではない。 道具に依って観察し、解脱を求めて定を修し、 此岸と彼岸に執着するのは、有情を利楽するためではない。 有情を利楽するために、定を修して重荷を捨て、 一切の煩悩を滅する、これこそ真の智者の姿である。 諸々の有情を潤すために、依り所なき定を修し、 あらゆる生存への愛着を永く断つ、これを大慧者と名づける。 諸々の生存の束縛を解き、無畏の城に安住させるために、 寂静止滅の定を修行する、これを摩訶薩と名づける。

大乘大集地藏十輪經卷第九

大乗大集地蔵十輪経 巻第九


6 善業道品
8 獲益囑累品

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