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大乗大集地蔵十輪経 (大乘大集地藏十輪經)


大乘大集地藏十輪經卷第十

大乗大集地蔵十輪経 巻第十

三藏法師玄奘奉 詔譯

三蔵法師玄奘奉詔訳

福田相品第七之二

第七功徳の相の章(その二)

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有般若大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。云何般若大甲冑輪?善男子!菩薩般若有二種相:一者、世間;二者、出世間。云何菩薩世間般若?謂:諸菩薩唯依讀誦、書寫、聽聞,為他演說三乘正法;欲求除滅一切眾生無明黑暗;欲求發起一切眾生大慧光明。謂:於如來所說種種與聲聞乘相應正法,精勤讀誦、聽聞、書寫、為他演說,勸正修行。或於如來所說種種與獨覺乘相應正法,精勤讀誦、聽聞、書寫、為他演說,勸正修行。或於如來所說種種與無上乘相應正法,精勤讀誦、聽聞、書寫、為他演說,勸正修行。不求賢聖無漏道支、不求聖道、不求聖道所攝解脫、不行寂靜真實般若,常行有見、有相般若。如是般若有取、有著,是名菩薩世間般若。如是般若共諸聲聞、獨覺乘等,此不名為大甲冑輪,亦不由此名為菩薩摩訶薩也,及名一切聲聞、獨覺真實福田。云何菩薩出世般若?謂:諸菩薩精勤修習菩提道時,隨力讀誦、聽聞、書寫、為他演說三乘正法。而於其中依無所得方便而住,無所行動、無所思惟、無有根本。以如虛空心、普寂滅心、無增減慧、無取著心、無生滅心、無退轉心、法平等心、真如心、實際心、法界心、無我心、無分別心、寂滅安忍離分別心,善巧安住無成壞地,善巧安住無住、無著、勝妙慧地。如是般若無取、無著,是名菩薩出世般若大甲冑輪。善男子!若菩薩摩訶薩成此般若大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,得名菩薩摩訶薩也。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。

また、善き男子よ。菩薩摩薩には、さらに般若の大いなる鎧の輪があります。もし菩薩摩薩がこの輪を成就すれば、初めて心を発した時から、あらゆる五つの欲望を断ち切り、すべての声聞や独覚を超え勝り、あまねくすべての声聞・独覚にとっての大いなる福田となります。すべての声聞・独覚の乗り手たちは、皆、この菩薩を供養し、仕え、守るべきなのです。

では、その般若の大いなる鎧の輪とは何でしょうか。善き男子よ。菩薩の般若には二つの相があります。一つは世間の般若、もう一つは出世間の般若です。

では、菩薩の世間の般若とは何か。それは、諸々の菩薩が、ただ読誦・書写・聴聞、そして他者のために三乗の正しい教えを説くことのみに依り、すべての衆生の無明の闇を除き滅ぼそうと願い、すべての衆生に大いなる智慧の光を起こそうと願うことです。具体的には、如来が説かれた様々な声聞乗に相応する正しい教えを、精進して読誦し、聴聞し、書写し、他者のために説き、正しい修行を勧めます。また、如来が説かれた様々な独覚乗に相応する正しい教えも同様に、精進して読誦し、聴聞し、書写し、他者のために説き、正しい修行を勧めます。さらには、如来が説かれた様々な無上乗に相応する正しい教えも、同じく精進して読誦し、聴聞し、書写し、他者のために説き、正しい修行を勧めます。しかし、賢聖の無漏の道の支分を求めず、聖なる道を求めず、聖なる道に含まれる解脱を求めず、寂静で真実の般若を行わず、常に「有る」という見解や「相」のある般若を行います。このような般若は、執着やとらわれがあるものです。これを菩薩の世間の般若といいます。この般若は、声聞や独覚の乗り手たちと共通のものであり、これは大いなる鎧の輪とは呼ばれず、またこれによって菩薩摩薩と呼ばれることもなく、すべての声聞・独覚にとっての真実の福田とも呼ばれません。

では、菩薩の出世間の般若とは何か。それは、諸々の菩薩が悟りへの道を精進して修行する時、その力に応じて、読誦・聴聞・書写・そして他者のために三乗の正しい教えを説くことです。しかし、その中にあっても、「得るものがない」という方便に依ってとどまり、動くことなく、思惟することなく、根本となるものもありません。虚空のような心、普遍的に静まり返った心、増減のない智慧、とらわれのない心、生滅のない心、退転しない心、法の平等の心、真如の心、実相の心、法界の心、無我の心、分別のない心、静まり安らいで分別を離れる心をもって、巧みに「成ることも滅することもない境地」に安住し、巧みに「とどまることなく、執着しない、すぐれた智慧の境地」に安住します。このような般若は、取ることも執着することもありません。これを菩薩の出世間の般若の大いなる鎧の輪といいます。

善き男子よ。もし菩薩摩薩がこの般若の大いなる鎧の輪を成就すれば、初めて心を発した時から、あらゆる五つの欲望を断ち切り、「菩薩摩薩」と呼ばれるにふさわしくなります。そして、すべての声聞や独覚を超え勝り、あまねくすべての声聞・独覚にとっての大いなる福田となります。すべての声聞・独覚の乗り手たちは、皆、この菩薩を供養し、仕え、守るべきなのです。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有善巧方便大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。云何名為善巧方便大甲冑輪?善男子!菩薩善巧方便有二種相:一者、世間;二者、出世間。云何名為菩薩世間善巧方便?謂:諸菩薩或為自利、或為他利、或為俱利,常懷彼此,示現種種工巧伎術。為自及他得成熟故,承事供養諸佛世尊、或諸菩薩、或諸獨覺、或諸聲聞、或母或父、或諸病者、或諸羸劣無依怙者。若見厄難臨被害者,種種勤苦方便救濟,以四攝事成熟有情。是諸菩薩自住大乘,於諸聲聞及獨覺乘非大乘器、若諸聲聞及獨覺乘根未熟者,為說微妙甚深法教令其修學;或勸勤修諸聖靜慮;或為開示最勝義諦,勸令修行,超四顛倒,覺悟四種無墮法性;或令趣入四無礙解;或復乃至勸令安住四念住、四正斷、四神足、五根、五力、七等覺支、八聖道支、有餘、無餘道及道果;趣入巧智,令其成熟。若諸有情貪求名稱、利養、富貴,諸根躁擾,善根未熟,勸令讀誦諸阿笈摩及毘奈耶、阿毘達磨;或勸讀誦除佛所說順解脫論,令其成熟。若諸有情不樂布施,勸令惠捨種種珍財,令其成熟。若諸有情暴惡不仁,勸令修學四種梵住。若諸有情心多忿恚,勸令修忍。若諸有情心多懈怠,勸修精進。若諸有情心多散亂,勸修靜慮。若諸有情具足惡慧,為說正法,謂以記說教誡方便,令其成熟。若諸有情不敬三寶具無依行,勸受三歸,令敬三寶;或勸受學近事律儀,或勸受學近住律儀,令其成熟;或勸修習種種工巧伎術業處,令其成熟。如是等菩薩摩訶薩,種種世間巧方便智,過殑伽沙菩薩摩訶薩,以是一切書論、工巧、伎術、業處、加行、精進、巧方便智,摧伏一切外道異學。如是名為菩薩世間善巧方便。此巧方便共諸聲聞、獨覺乘等,亦作一切佛法依因,亦是善巧諸行依處,亦是善巧任運無思滅退墮法。

「また、善男子よ。菩薩摩訶薩には、もう一つの巧みな方便という大いなる鎧の輪がある。菩薩摩訶薩がこの輪を成就すれば、初めて発心した時から、あらゆる五欲を断ち除くことができる。そして、すべての声聞や独覚を超越し、彼らにとっての大いなる福田となる。すべての声聞・独覚の乗り物に乗る者たちは、皆この菩薩を供養し、仕え、守るべきである。では、その『巧みな方便という大いなる鎧の輪』とは何か。

善男子よ。菩薩の巧みな方便には二つの相がある。一つは世間のものであり、もう一つは出世間のものである。

では、菩薩の世間における巧みな方便とは何か。それは、諸々の菩薩が、自らの利益のため、他者の利益のため、あるいは両方の利益のために、常に自他の区別を抱きながら、様々な工巧や技芸を現し示すことである。それは、自他が共に成熟するために、諸仏世尊、あるいは諸菩薩、あるいは諸独覚、あるいは諸声聞、あるいは父母、あるいは病人、あるいは弱く頼る者のない者たちに仕え、供養する。もし、災厄や迫害に遭い命の危険にさらされている者を見れば、様々な苦労をいとわず巧みに救済し、四摂事によって有情を成熟させる。

このような菩薩たちは、自らは大乗に安住しながら、声聞や独覚の乗り物が大乗の器でない者や、その根が未だ熟さない者には、微妙で奥深い法を説いて修学させ、あるいは励まして聖なる静慮を修行させ、あるいは最上の真理を開示して、四つの顛倒を超え、四つの無堕の法性を覚醒させるよう勧め、あるいは四無礙解に入らせ、さらには四念住、四正断、四神足、五根、五力、七等覚支、八聖道支、有余・無余の道とその果報に安住するよう勧め、巧みな智慧に入らせて成熟させる。

もし、名聞、利養、富貴を貪り、諸根が躁擾し、善根の未熟な有情がいれば、阿含や律、阿毘達磨を読誦するよう勧め、あるいは仏が説いた順解脱論以外のものを読誦して成熟させる。もし、布施を好まない有情がいれば、様々な財宝を喜んで施すよう勧めて成熟させる。もし、粗暴で慈悲のない有情がいれば、四つの梵住を修学するよう勧める。もし、忿恚の心が多い有情がいれば、忍辱を修めるよう勧める。もし、懈怠の心が多い有情がいれば、精進を修めるよう勧める。もし、散乱の心が多い有情がいれば、静慮を修めるよう勧める。もし、悪慧を具えた有情がいれば、正法を説き、記説や教誡という方便を用いて成熟させる。もし、三宝を敬わず、無依行を具えた有情がいれば、三帰を受け、三宝を敬うよう勧め、あるいは近事の律儀や近住の律儀を学ばせ、また様々な工巧・技芸を修習させて成熟させる。

このように、菩薩摩訶薩の様々な世間の巧みな方便の智慧は、ガンジスの砂の数よりも多くの菩薩摩訶薩をもってしても、一切の書物や論、工巧、技芸、業処、加行、精進という巧みな方便の智慧によって、すべての外道や異学を打ち負かす。これを菩薩の世間における巧みな方便という。この巧みな方便は、声聞や独覚の乗り物の者たちにも共通し、また一切の仏法の依るべき因となり、巧みな諸々の行の依り所となり、また、巧みに、何も思わずに退堕の法を滅するものである。」

「又善男子!若諸菩薩不依明師、不依善友,修行世間善巧方便,是諸菩薩愚於世間善巧方便,向諸惡趣,不能隨順安住出世巧方便智,亦非一切真實福田。不能善巧知諸有情根行差別,以於善巧方便愚故,為諸聲聞及獨覺乘、非大乘器及於大乘根未熟者,宣說大乘,令其修學。又為大乘法器有情,宣說聲聞、獨覺乘法,令修聲聞、獨覺乘行。為獨覺乘法器有情,說聲聞乘,令其修習聲聞乘行。為聲聞乘法器有情,說生死法,令其愛著,不為宣說厭生死法。又於善巧方便愚故,若諸有情樂行殺生,廣說乃至執著邪見,為彼宣說甚深大乘,不為宣說生死流轉,死此生彼,眾苦果報,令其厭怖,離諸惡法。又於善巧方便愚故,乃至若諸有情樂修淨戒,令修布施;若諸有情樂修安忍,勸捨安忍,令修淨戒;若諸有情樂修精進,勸捨精進,令修安忍;若諸有情樂修靜慮,勸捨靜慮,令修精進;若諸有情樂修般若,勸捨般若,令修靜慮。

また、善男子よ、もし諸の菩薩が明師に依らず、善友に依らずして、世間の善巧方便を修行するならば、これらの菩薩は世間の善巧方便に愚かであり、諸の悪趣に向かい、出世の巧方便智に随順して安住することができず、また一切の真実の福田でもありません。諸の有情の根と行の違いを善巧に知ることができません。善巧方便に愚かであるがゆえに、声聞及び独覚乗の器でなく、また大乗の根がまだ熟していない者たちのために、大乗を宣説して、それを修学させます。また、大乗の法器である有情のために、声聞・独覚乗の法を宣説して、声聞・独覚乗の行を修めさせます。独覚乗の法器である有情のために、声聞乗を説いて、声聞乗の行を修習させます。声聞乗の法器である有情のために、生死の法を説いて、それに愛着させ、生死を厭う法を宣説しません。また、善巧方便に愚かであるがゆえに、もし諸の有情が殺生を行うことを楽しみ、広く説けばさらには邪見に執着するならば、彼らのために甚深の大乗を宣説し、生死流転してここで死に彼処で生まれるという衆苦の果報を宣説して、それを厭い怖れて諸の悪法から離れさせることがありません。また、善巧方便に愚かであるがゆえに、さらには、もし諸の有情が浄戒を修めることを楽しむならば、布施を修めさせ、もし諸の有情が安忍を修めることを楽しむならば、安忍を捨てるよう勧めて、浄戒を修めさせ、もし諸の有情が精進を修めることを楽しむならば、精進を捨てるよう勧めて、安忍を修めさせ、もし諸の有情が静慮を修めることを楽しむならば、静慮を捨てるよう勧めて、精進を修めさせ、もし諸の有情が般若を修めることを楽しむならば、般若を捨てるよう勧めて、静慮を修めさせます。

「如是菩薩愚於世間善巧方便,不能真實利樂有情,與諸有情為惡知識。此巧方便依有所得、有所執著,如是名為菩薩世間善巧方便。如是世間善巧方便共諸聲聞、獨覺乘等,此不名為大甲冑輪,亦不由此名為菩薩摩訶薩也,及名一切聲聞、獨覺真實福田。

このように、菩薩が世間における巧みな方便(手段)に惑わされ、真実に有情(生きとし生けるもの)を利益し楽しませることができず、かえって有情にとっての悪しき知識(善き導き手)となってしまうことがあります。この巧みな方便は、何かを得ようとする心や、何かに執着する心に基づいています。これを「菩薩の世間的巧みな方便」と呼びます。このような世間的巧みな方便は、声聞や独覚の修行者たちにも共通するものであり、これは「大いなる鎧の輪」とは呼ばれません。また、これによってその人が「菩薩摩訶薩(偉大な菩薩)」と呼ばれることもなく、一切の声聞や独覚にとっての真実の福田(功徳を育てる場)となることもありません。

「云何名為菩薩出世善巧方便?謂:諸菩薩但為利他,不為自利,示現種種工巧伎術。為成熟他,承事供養諸佛世尊、或諸菩薩、或諸獨覺、或諸聲聞、或母、或父、或諸病者、或諸羸劣無依怙者。若見厄難臨被害者,種種勤苦方便救濟,以四攝事成熟有情,隨其意樂,隨其根器,為諸有情宣說正法。又能漸次勸諸聲聞修獨覺乘,勸諸獨覺修習大乘。若於聲聞及獨覺乘根未熟者,為說厭離生死苦法,令其修學,厭離生死,欣求涅槃。若諸有情,樂行殺生,廣說乃至樂著邪見,隨其根性,或為宣說,生死流轉,死此生彼,眾苦果報,令其厭怖離諸惡法;或為宣說,與聲聞乘相應正法;或為宣說,與獨覺乘相應正法;或為宣說,無上乘中淺近之法,令漸修學。若諸有情已樂布施,為說勝上受持淨戒,令其修學;廣說乃至若諸有情已樂靜慮,為說勝上無漏聖道所攝般若,令其修學。此巧方便依無所得、無所執著,如是名為菩薩出世善巧方便大甲冑輪。

「菩薩の世を超えた巧みな方便とは何か。それは、菩薩たちが自らの利益のためではなく、他者の利益のためだけに、さまざまな工芸や技術を現すことです。他者の成長のために、諸仏世尊や菩薩、独覚、声聞、母、父、病人、弱く頼る者のない人々に仕え供養します。もし苦難に遭い、命の危険にさらされている人を見れば、さまざまな努力を払って方便を用いて救済し、四摂事によって有情を成熟させ、その人の好みや素質に応じて正しい法を説きます。また、声聞には独覚乗を修行するよう徐々に勧め、独覚には大乗を修行するよう勧めます。声聞乗や独覚乗の素質がまだ熟していない人には、生死の苦しみを厭う法を説き、生死を厭い涅槃を求めるよう修行させます。もし殺生を好み、あるいは邪見に執着する有情がいれば、その素質に応じて、生死に流転し、死んでここに生まれ変わる多くの苦しみの報いを説き、悪い行いを離れるよう戒めます。あるいは声聞乗にかなった正しい法を説き、独覚乗にかなった正しい法を説き、あるいは無上乗の中での浅く近しい法を説いて、徐々に修行させます。すでに布施を喜ぶ有情には、より優れた浄戒を受けることを説いて修行させ、さらには、すでに静慮を喜ぶ有情には、より優れた無漏の聖道に含まれる般若を説いて修行させます。この巧みな方便は、無所得・無執着に基づいており、これを菩薩の世を超えた巧みな方便の大鎧の輪と名付けます。」

「善男子!若菩薩摩訶薩成就如是善巧方便大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,得名菩薩摩訶薩也。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。」

「善き男子よ。もし菩薩摩訶薩がこのような巧みな方便という大きな鎧の輪を成就したならば、初めて発心した時から、あらゆる五欲を断ち切ることができる。その人こそ菩薩摩訶薩と名づけられる。すべての声聞や独覚を超え勝り、あまねくすべての声聞や独覚にとって大きな福田となる。すべての声聞や独覚の乗り物の者たちは、みな彼を供養し、仕え、守り護るべきである。」

爾時,世尊欲重顯此義而說頌曰:

そのとき、世尊はこの教えの意味を改めて明確に示すために、次のように偈(うた)を説かれました。

「所修慧有二, 世間出世間,
取著名世間, 無取著出世。
修善巧方便, 依二種差別,
有所得世間, 無所得出世。
若唯說一乘, 是名惡說法,
不能自成熟, 亦不能度他。
一向惡眾生, 為說三乘教,
是則為愚癡, 不名摩訶薩。
有堪趣三乘, 欣求聞正法,
為說樂生死, 非為智者相;
專意諦思惟, 隨根欲教化,
此善巧方便, 智者所稱譽;
眾生雖有惡, 而堪入三乘,
隨根器教導, 令解脫眾惡。

修行によって得られる智慧には二種類ある。 世間の智慧と、出世間の智慧である。 執着するものを世間といい、 執着しないものを出世間という。 巧みな方法を用いて修行し、 この二つの違いによって、 何かを得ようとするのが世間であり、 何も得ようとしないのが出世間である。 もし唯一の乗り物(一乗)だけを説くなら、 それは悪しき教えといえる。 自らを成熟させることができず、 他者を救うこともできない。 ひたすら悪しき衆生には、 三つの乗り物(三乗)を説くべきである。 それをせずに愚か者のままでいる者は、 大いなる菩薩(摩訶薩)とは呼ばれない。 三乗に向かう力のある者が、 正しい教えを求めて聞こうとするとき、 彼らに生死に執着することを説くのは、 賢者の姿ではない。 心を集中してよく考え、 根機に応じて教え導くこと。 これこそ巧みな方法であり、 賢者がほめたたえるところである。 たとえ衆生に悪しき面があっても、 三乗に入る力があるならば、 その根機に合わせて教え導き、 あらゆる悪しきものから解脱させよ。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有大慈大甲冑輪,若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。云何大慈大甲冑輪?善男子!慈有二種,謂:法緣慈、有情緣慈。法緣慈者,名為大慈,名大甲冑。有情緣慈,不名大慈,非大甲冑。所以者何?有情緣慈共諸聲聞、獨覺乘等。聲聞、獨覺為自利樂,不為有情精勤修習有情緣慈。聲聞、獨覺為自寂靜、為自涅槃、為滅自惑、為滅自結,不為有情精勤修習有情緣慈。是故,此慈不名大慈,非大甲冑。其法緣慈不共聲聞、獨覺乘等,唯諸菩薩摩訶薩眾所能修行。菩薩摩訶薩普為利樂一切有情,精勤修習此法緣慈。菩薩摩訶薩普為一切有情寂靜,及得涅槃滅煩惱結,精勤修習此法緣慈。是故,此慈名為大慈,是大甲冑。又諸菩薩修法緣慈,不依諸蘊、不依諸處、不依諸界、不依念住,乃至不依道支、不依欲界、不依色界、不依無色界、不依此世、不依他世、不依此岸、不依彼岸、不依得、不依不得。如是菩薩修法緣慈,超諸聲聞、獨覺乘地,是名菩薩法緣大慈大甲冑輪。

「また、善男子よ。菩薩摩薩は、さらに大いなる慈しみの大鎧の輪を持っています。この輪を成就した菩薩摩薩は、最初に発心した時から、あらゆる五つの欲望を断ち切ることができ、すべての声聞や独覚を超え、彼らすべてにとって大きな功徳の田んぼとなります。すべての声聞や独覚の者たちは、この菩薩を敬い、供養し、従い、守るべきです。

では、大いなる慈しみの大鎧の輪とは何でしょうか。善男子よ。慈しみには二種類あります。法を縁とする慈しみと、生きとし生けるものを縁とする慈しみです。法を縁とする慈しみを大いなる慈しみと呼び、大鎧と呼びます。生きとし生けるものを縁とする慈しみは、大いなる慈しみとは呼ばれず、大鎧とも呼ばれません。なぜなら、生きとし生けるものを縁とする慈しみは、声聞や独覚の者たちも共に持っているからです。声聞や独覚は、自分の利益と安楽のためであって、生きとし生けるもののために熱心にこの慈しみを修めるわけではありません。彼らは自分自身の静けさのため、自分自身の涅槃のため、自分自身の煩悩を滅ぼすため、自分自身の束縛を滅ぼすために修めるのであって、生きとし生けるもののためではありません。ですから、その慈しみは大いなる慈しみとは呼ばれず、大鎧でもないのです。

法を縁とする慈しみは、声聞や独覚の者たちとは共有されず、菩薩摩薩だけが修行できるものです。菩薩摩薩は、あらゆる生きとし生けるものを利益し安楽にするために、この法を縁とする慈しみを熱心に修めます。また、すべての生きとし生けるものが静けさを得、涅槃に至り、煩悩や束縛を滅ぼすために、この慈しみを熱心に修めます。ですから、この慈しみを大いなる慈しみと呼び、大鎧と呼ぶのです。

さらに、菩薩が法を縁とする慈しみを修める時、五蘊に依らず、十二処に依らず、十八界に依らず、四念住に依らず、さらには七覚支や八正道に依らず、欲界にも依らず、色界にも依らず、無色界にも依らず、この世にも依らず、あの世にも依らず、此岸にも依らず、彼岸にも依らず、得ることにも依らず、得ないことにも依りません。このように菩薩が法を縁とする慈しみを修める時、すべての声聞や独覚の境地を超えます。これを、菩薩の法を縁とする大いなる慈しみの大鎧の輪と呼びます。」

「善男子!若菩薩摩訶薩成此大慈大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,得名菩薩摩訶薩也。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。」

「善き男子よ、もし菩薩摩訶薩(大きな菩提心を持つ修行者)がこの大いなる慈しみの鎧を身につければ、初めて発心したその時から、あらゆる五欲を断ち切ることができる。そのような者こそ、真の菩薩摩訶薩と呼ばれるにふさわしい。彼は一切の声聞(声を聞いて悟る弟子)や独覚(縁に触れて独り悟る者)をはるかに超え、彼らすべてにとって大いなる福田(功徳を積む場)となる。声聞乗や独覚乗の修行者たちは、皆、その菩薩を敬い、供養し、お世話し、守るべきである。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「聲聞及獨覺, 修有情緣慈,
心帶十三過, 唯求自利樂。
菩薩大名稱, 普為諸有情,
修不共大慈, 心離十三過;
心除十三垢, 為趣大菩提,
修法緣大慈, 成福田非遠;
安住十三力, 出過諸有情,
猶如師子王, 超勝諸禽獸;
降伏十三怨, 離斷常邊執,
心無有染濁, 速證大菩提。

声聞や独覚は、 有情を対象とした慈悲を修めるが、 心に十三の過失を伴い、 ひたすら自己の安楽を求める。

しかし菩薩という誉れ高き者は、 あらゆる有情のために、 凡夫と共有しない大いなる慈悲を修め、 心に十三の過失を離れている。

心から十三の汚れを取り除き、 大いなる菩提(さとり)を目指して、 法を対象とした大いなる慈悲を修めれば、 福田となることは遠くない。

十三の力に安住し、 すべての有情を超え出でて、 あたかも獅子王が すべての獣たちを凌駕するかのごとく。

十三の敵を降伏し、 断見と常见の極端な執着を離れ、 心に染まりや濁りがなければ、 速やかに大いなる菩提を証するであろう。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有大悲大甲冑輪,若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。所以者何?一切聲聞、獨覺乘等,但為己身得利樂故而修行悲,不欲普為一切有情得利樂故修行大悲。菩薩摩訶薩不為己身得利樂故而修行悲,但欲普為一切有情得利樂故修行大悲。是故,菩薩成就大悲大甲冑輪,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。是菩薩摩訶薩普為饒益諸有情故,行四攝事而成熟之。謂:由大悲,普為利樂諸有情故,行布施攝,能捨一切珍寶、財物、禽獸、僕使、國城、妻子,乃至身命無所悋惜。行無所得為方便故,不見一切所化有情、不見施者、不見受者、不見施物、不見施行、不見施行所得果報,乃至不見無所得行。如是大悲普為利樂諸有情故,行愛語攝、行利行攝、行同事攝,隨其所應如上廣說,乃至不見無所得行。是菩薩摩訶薩,常以最勝能調伏心、能寂靜心、無數量心、不行一切蘊處界心所生無動無住大悲大甲冑輪,成熟一切所化有情,心無厭倦。如是名為菩薩大悲大甲冑輪,不共一切聲聞、獨覺。

「さらに、善き男子よ。菩薩摩訶薩には、さらに大いなる慈悲という大いなる鎧の輪がある。もし菩薩摩訶薩がこの輪を成就すれば、最初に発心した時から、あらゆる五感の欲求を断ち除き、すべての声聞や独覚を超え勝り、あまねく一切の声聞・独覚にとって大いなる福田となる。一切の声聞・独覚の者たちは、皆、この菩薩を供養し、仕え、守るべきである。なぜなら、一切の声聞・独覚の者たちは、ただ自己の利益と安楽のためにのみ慈悲を修行し、一切の有情の利益と安楽のために大いなる慈悲を修行しようとはしないからである。しかし菩薩摩訶薩は、自己の利益と安楽のために慈悲を修行するのではなく、あまねく一切の有情の利益と安楽のために大いなる慈悲を修行する。ゆえに、菩薩は大いなる慈悲という大いなる鎧の輪を成就し、一切の声聞・独覚を超え勝り、あまねく一切の声聞・独覚にとって大いなる福田となる。一切の声聞・独覚の者たちは、皆、この菩薩を供養し、仕え、守るべきである。

この菩薩摩訶薩は、あまねく有情を利益するために、四つの摂受の行いを行って彼らを成熟させる。すなわち、大いなる慈悲によって、諸々の有情の利益と安楽のために、布施という摂受を行い、あらゆる宝、財産、動物、召使い、国、城、妻、子、さらには自分の命や身体までも、惜しむことなく施すのである。それを、得るところがないという方便によって行い、教化する有情も、施す者も、受ける者も、施す物も、施す行為も、施しによる果報も、さらには得るところがないという行いすらも、見ることがない。このように、大いなる慈悲によって諸々の有情の利益と安楽のために、愛語の摂受、利行の摂受、同事の摂受を行い、それぞれに応じて先に広く説いた通りであり、さらには得るところがないという行いすらも見ることがない。

この菩薩摩訶薩は、常に最上の、心を調伏できるもの、心を寂静にできるもの、無量のもの、一切の五蘊・十二処・十八界に住しない心から生じる、動くことなく留まることのない大いなる慈悲という大いなる鎧の輪によって、教化すべき一切の有情を成熟させ、心に倦むことがない。これを、菩薩の大いなる慈悲という大いなる鎧の輪と名づけ、一切の声聞・独覚と共通しないものである。」

「善男子!若菩薩摩訶薩成此大悲大甲冑輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,得名菩薩摩訶薩也。超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。」

「善き男子よ。もし菩薩摩訶薩がこの大いなる悲心の大いなる鎧を身に帯びたならば、初めて発心した時から、あらゆる五欲(煩悩)を断ち切ることができ、真に菩薩摩訶薩と名づけられる。彼は全ての声聞や独覚を超越し、あらゆる声聞・独覚にとっての大きな福田となる。あらゆる声聞や独覚の者たちは、こぞってこの菩薩を供養し、仕え、守るべきである。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「甚深微妙法, 所成之大悲,
難測類虛空, 無色無安住。
菩薩大精進, 具杜多功德,
勝智成大悲, 勇健超諸世。
無依怙有情, 生死苦穢縛,
大悲水沐浴, 令解脫眾苦。
菩薩行大悲, 能竭生死海,
非諸聲聞眾, 及獨覺所行。
眾生貪恚癡, 迷謬墮惡趣,
濯以大悲水, 脫苦得蕭然。

深く微妙な法により 成就された大いなる慈悲は はかり知れず 虚空の如し 色もなく 住するところもなし

菩薩は大いなる精進を起こし 頭陀の功徳を備え すぐれた智慧により大悲をなし 勇猛にして世を超える

頼るなき生きとし生けるものは 生死の苦と汚れに縛られる 大悲の水をもって沐浴させ あらゆる苦しみより解き放つ

菩薩は大悲を行じ 生死の海を干すこと能う これは声聞の衆や 独覚の行うところにあらず

衆生は貪り・怒り・無明に 迷い誤りて悪趣に堕ちる 大悲の水をもって洗い清め 苦を離れて清らかに安らぐ

「復次,善男子!菩薩摩訶薩,復有能引遍滿虛空、無量無邊、廣大眾具辭無礙解,一切佛法、諸三摩地、諸陀羅尼堅固大忍大甲冑輪。若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。

「さらに、善き者よ。菩薩の大いなる修行者には、また虚空に満ち、限りなく広大な、あらゆる言葉を自在に説く智慧と、全ての仏の教え、全ての三昧、全ての陀羅尼、そして堅固な大いなる忍耐という、大いなる鎧の輪を導き出す力があります。この輪を成就した菩薩の大いなる修行者は、初めて心を起こした時から、あらゆる五つの欲望を断ち滅ぼし、声聞や独覚を超え、全ての声聞や独覚にとって大いなる福徳の田んぼとなります。全ての声聞や独覚の者たちは、皆、その菩薩を供養し、仕え、守るべきなのです。」

「云何菩薩摩訶薩能引遍滿虛空、無量無邊、廣大眾具辭無礙解,一切佛法、諸三摩地、諸陀羅尼堅固大忍大甲冑輪?謂:諸菩薩於一切法審諦照察,如明月光遍滿虛空,其心平等,無依、無相、無住、無染,普於一切三摩地門、陀羅尼門,心無行動。於諸眼色、眼識、眼觸,離意染著,心無行動。於眼觸緣生內三受,或樂、或苦、或非苦樂,心常寂定,無所取著。於諸耳聲、耳識、耳觸,於諸鼻香、鼻識、鼻觸,於諸舌味、舌識、舌觸,於諸身觸、身識、身觸,於諸意法、意識、意觸,廣說亦爾。普於一切心、意、識中,心常寂定,無所取著。於心、意、識所生三受,或樂、或苦、或非苦樂,心常寂定,無所取著。普於三世諸蘊、界、處一切品類,皆無取著,心無行動。普於一切三界、三行、三觸、三受、三根、三乘、三律儀、三解脫一切品類,其心寂靜,無住、無相、無所取著,平等而住。普於一切布施、淨戒、安忍、精進、靜慮般若波羅蜜多,心無行動,寂靜而住。

「菩薩摩訶薩が、どのようにして尽虚空に満ちる無量無辺の広大な言葉の自在を得、一切の仏法・三昧・陀羅尼を堅固に保つ、大きな忍耐と鎧の輪を獲得するのか。それは、諸々の菩薩があらゆる法を明らかに観察し、明月の光が虚空に満ちるように、その心を平等にし、頼るところなく、形なく、留まるところなく、汚れなく、あらゆる三昧の門・陀羅尼の門に対して、心が動くことがない。また、眼・色・眼識・眼触に対して、心の汚れを離れ、心が動くことがない。眼の触縁から生じる内の三受、すなわち楽・苦・非苦非楽に対しても、心は常に寂静であり、何も執着しない。耳・声・耳識・耳触、鼻・香・鼻識・鼻触、舌・味・舌識・舌触、身・触・身識・身触、意・法・意識・意触についても、同様に広く説く。あらゆる心・意・識において、心は常に寂静であり、何も執着しない。心・意・識から生じる三受、すなわち楽・苦・非苦非楽に対しても、心は常に寂静であり、何も執着しない。さらに、過去・未来・現在のあらゆる蘊・界・処のあらゆる種類に対しても、全く執着せず、心は動くことがない。あらゆる三界・三行・三触・三受・三根・三乗・三律儀・三解脱のあらゆる種類に対しても、その心は寂静であり、留まるところなく、形なく、何も執着せず、平等に安住する。また、あらゆる布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の波羅蜜多に対しても、心は動くことなく、寂静に安住するのである。」

「如是,普於四念住、四正斷、四神足、五根、五力、七等覺支、八聖道支,心無行動,寂靜而住。普於一切九次第定,心無行動,寂靜而住。又於三行無障法智道支道體所引作用,皆無取著,心無行動。於阿賴耶、非阿賴耶,有取、無取、有漏、無漏、此岸、彼岸、小大無量、作與不作、善惡無記諸品類中,心無行動,寂靜而住。普於一切大慈、大悲、善巧方便、成熟有情,乃至十地、三不護、四無所畏,乃至十八不共佛法,一切品類,皆無取著,心無所動,寂靜而住。

このようにして、四念処、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八聖道支のすべてにおいて、心は動かず、静かにとどまります。また、あらゆる九次第定においても、心は動かず、静かにとどまります。さらに、三行における無障法智の道支と道体がもたらす作用に対しても、すべて執着せず、心は動くことがありません。阿頼耶と非阿頼耶、執着のあるものとないもの、煩悩のあるものとないもの、此岸と彼岸、小と大と無量、作るものと作らないもの、善・悪・無記といったあらゆる分類において、心は動かず、静かにとどまります。そして、大慈・大悲・善巧方便・有情の成熟、さらには十地・三不護・四無所畏、そして十八不共仏法に至るまで、あらゆるものに対して執着せず、心は動かず、静かにとどまるのです。

「菩薩摩訶薩由此輪故,能永息除三受過失,能永寂滅一切分別,能永遠離一切法相,復能安住能引一切虛空眼頂諸三摩地、諸陀羅尼善巧方便大甲冑輪。菩薩安住如是輪故,一切過去所引未盡惡不善業、無暇惡趣、諸有諸趣、死生諸業,皆能除滅令盡無餘,不受果報。

「菩薩摩訶薩は、この輪によって、三つの感受(三受)の過ちを永遠に除き、すべての分別を永遠に静め、一切の法の相(ありさま)から永遠に離れることができます。さらに、すべての虚空の眼頂(こくうのげんちょう)を導く三摩地や陀羅尼、巧みな方便の大鎧の輪(たいがいのりん)に安住することができるのです。菩薩がこの輪に安住すると、過去の行為によってまだ尽きていない悪しき善ならざる業(ごう)、暇のない悪趣、あらゆる生存や生死の業が、すべて消え去り、残りなく尽くされて、その報いを受けることがありません。」

「又善男子!譬如世界火災將起,五日出時,一切世間小池、大池、小河、大河、小海、大海水,皆枯竭滅盡無餘。如是菩薩成就能引遍滿虛空、無量無邊、廣大眾具辭無礙解,一切佛法、諸三摩地、諸陀羅尼堅固大忍大甲冑輪,復能安住能引一切虛空眼頂諸三摩地、諸陀羅尼善巧方便大甲冑輪。一切過去所引未盡惡不善業、無暇惡趣、諸有諸趣、死生諸業,皆能除滅令盡無餘,不受果報。

また、善き男子よ、例えば世界で火災が起こり始め、五つの太陽が現れる時、世の中の大小の池や川、海の水までもが全て干上がり、跡形もなく消え去るように、 このように菩薩が、虚空中に遍満する、限りなく広大な「辞無碍解」(ことばによる自由自在な智慧)と、全ての仏法、全ての三摩地(深い禅定)、全ての陀羅尼(教えを記憶し保つ力)、堅固な大いなる忍辱の心、大いなる鎧の輪を成就し、さらに、あらゆる虚空の眼頂(最高の智慧)に導く三摩地、陀羅尼、巧みな方法という大いなる鎧の輪に安住することができるならば、 それまでに積んだ、尽きることのない悪しき不善の業、暇のない悪い世界への生まれ変わり、様々な生存や生死に関わる業も、全て消し去り、跡形もなくし、その報いを受けることがなくなります。

「又善男子!譬如世界水災起時,於此三千大千世界、諸小世界、各四大洲、八萬小渚、妙高山王及諸山等,皆為灰水𣷽爛銷盡令無有餘。如是菩薩成就能引遍滿虛空、無量無邊、廣大眾具辭無礙解,一切佛法、諸三摩地、諸陀羅尼堅固大忍大甲冑輪,復能安住能引一切虛空眼頂諸三摩地、諸陀羅尼善巧方便大甲冑輪。一切過去所引未盡惡不善業、無暇惡趣、諸有諸趣、死生諸業,皆能除滅,令盡無餘不受果報。

また、善き男子よ。例えば、世界に洪水が起きた時、この三千大千世界や、さまざまな小世界、四大洲、八万の小島、須弥山王やその他の山々が、すべて水に浸され、溶け尽くして、一片の残りもなくなるように。これと同じく、菩薩は、虚空に満ち、限りなく広大な、あらゆる衆具と無礙の弁才を成就し、すべての仏法、すべての三昧、すべての陀羅尼、堅固なる大いなる忍びと大いなる鎧の輪を身につけ、さらに、一切の虚空眼頂の三昧や陀羅尼、巧みな方便の大いなる鎧の輪に安住することができる。そして、過去に積み重ねられ、まだ尽きていない悪しき不善の業や、無暇の悪趣、さまざまな生存や死生の業までも、すべて打ち消し、完全に滅ぼし尽くし、その果報を受けることがない。

「又善男子!譬如黑暗遍滿虛空,朗日出時皆能除滅。如是菩薩成就能引遍滿虛空、無量無邊、廣大眾具辭無礙解,一切佛法,諸三摩地,諸陀羅尼堅固大忍大甲冑輪,復能安住能引一切虛空眼頂諸三摩地、諸陀羅尼善巧方便大甲冑輪。發起無邊虛空智日,能永除滅自身四倒無明黑暗。一切過去所引未盡惡不善業、無暇惡趣、諸有諸趣、死生諸業,皆能除滅令盡無餘,不受果報。又由此故,於諸佛法增進自在常無退轉,不復隨順惡友力行。常得不離見一切佛,及諸菩薩、聲聞弟子,不離聞法、不離親近供養眾僧。於諸功德心常無厭,乃至菩提恒無間斷,又常不離念佛思惟,乃至夢中亦無暫廢。

また、善男子よ!譬えば、暗闇が虚空いっぱいに広がっていても、明るい日が昇ればすべてを消し去るように、菩薩もまた、虚空いっぱいに広がる無量無辺の豊かな言葉の自在力(辞無礙解)を完成させ、すべての仏法、すべての三昧、すべての陀羅尼、堅固な大いなる忍び、大いなる鎧(修行の装い)を得て、さらにまた、虚空の眼の頂にあるすべての三昧や陀羅尼、巧みな方便という大いなる鎧に安住することができるのです。

その菩薩は、限りない虚空のような智慧の太陽を起こし、自身の四つの倒れた見解(四倒)や無明の闇を永遠に滅ぼし去ります。過去に引き起こした尽きていない悪しき不善の業、悪い生まれ変わり(無暇・悪趣)、様々な生存や死と生の業を、すべて残らず消し去り、その報いを受けなくなります。

また、このことによって、すべての仏法において自在に進み、常に退くことなく、悪友の力に従うこともなくなります。常にすべての仏や菩薩、声聞の弟子たちを拝見することから離れず、法を聞くことから離れず、僧伽に近づき供養することから離れません。すべての功徳に対して心に飽くことがなく、悟りに至るまで絶え間なく続き、また常に仏を念じ思うことから離れず、夢の中でも一時も怠ることがありません。

「又善男子!云何菩薩摩訶薩能引遍滿虛空、無量無邊、廣大眾具辭無礙解,一切佛法、諸三摩地、諸陀羅尼堅固大忍大甲冑輪?謂:諸菩薩入初靜慮乃至第四靜慮,入無邊虛空處乃至非想非非想處,入滅受想定,住此定中,一切三受、三行、斷滅,心無行動,諸受,想、思、觸、作意等,悉皆斷滅。安住此定,或一日夜,或復乃至七七日夜,受定味食。從此定起,其心寂靜,無所取著,宴然而住。復入勝義究竟空定,住此定中其心平等,無所取著猶若虛空。身諸毛孔皆出霜液,狀如昴星,滅除一切欝烝結縛。從此定起得正憶念,最勝喜樂充遍其身。如大自在天子入現一切樂定,身諸毛孔皆遍受樂。

また、善男子よ。どうして菩薩摩薩が、虚空に満ち、量り知れず広大な、あらゆる言葉による自在な説明(辞無碍解)を引き出し、すべての仏の教え、全ての三昧、全ての陀羅尼、そして揺るぎない大いなる忍耐と大いなる鎧のような修行(大甲冑輪)を成就できるのか。

それはこうだ。菩薩は、第一静慮から第四静慮に入り、さらに無辺虚空処から非想非非想処へと入り、さらに滅受想定に入る。この定に安住すると、すべての三つの感受(三受)、三つの行(三行)は断たれ滅し、心は動くことがなく、すべての感受、想念、思考、接触、注意の働きなどが、ことごとく断たれ滅する。この定に安住して、一日一夜、あるいは七日夜にわたって、定の味わいという糧を受ける。

この定から出ると、その心は静かであり、何ものにも執着せず、安らかにとどまる。さらに、勝義究竟空定(最高の究極的な空の定)に入り、この定に安住すると、その心は平等で、何ものにも執着せず、あたかも虚空のようである。身体のすべての毛穴から霜の液がしみ出て、昴の星のように輝き、あらゆる煩わしさや束縛を滅する。この定から出ると、正しい記憶(正憶念)を得て、最高の喜びと楽しさがその身に満ちあふれる。ちょうど大自在天子があらゆる楽しみを現す定に入ったときのように、身体のすべての毛穴に楽しさがゆきわたる。

「如是菩薩樂觸其身便思念佛,思念佛故則唯見佛,不見餘相。菩薩爾時,若念一佛則見一佛;若念多佛則見多佛;若念小身佛則見小身佛;若念大身佛則見大身佛;若念無量身佛則見無量身佛;若念自身為佛身相,則見自身同於佛身,眾相圓滿;若念他身為佛身相,則見他身同於佛身,眾相圓滿;若念一切情、非情數所有色像為佛身相,則見一切情、非情數所有色像皆同佛身眾相圓滿,不見其餘一切色像。菩薩爾時便作是念:『一切諸法、一切色像,皆如幻等,諦實不虛。我今復應皆悉斷滅,一切三受、三行等法,令無有餘。』作是念已入滅盡定,住此定中,如心所期皆盡斷滅。受定味食,或一七日夜、或二七日夜、或三四五六七八九十七日夜、或經無量百千俱胝那庾多劫,隨力所能,安住此定,受定味食。從此定起,其心寂靜,無所取著,宴然而住。復入勝義究竟空定,廣說如前,乃至思念佛身相已,知一切法、一切色像,皆如幻等,諦實不虛。善男子!是名菩薩摩訶薩能引遍滿虛空、無量無邊、廣大眾具辭無礙解,一切佛法、諸三摩地、諸陀羅尼堅固大忍大甲冑輪。菩薩摩訶薩成就此輪,則能安住能引一切虛空眼頂諸三摩地、諸陀羅尼善巧方便大甲冑輪。住此輪故,發起無邊虛空智日,能永除滅自身四倒無明黑暗。一切過去所引未盡惡不善業、無暇惡趣、諸有諸趣、死生諸業,皆能除滅令盡無餘,不受果報。

このように、菩薩が仏の身に触れる楽しみを受けると、自然と仏を思念します。仏を思念するゆえに、ただ仏のみを見て、他の相は見えなくなります。菩薩はその時、もし一仏を念じれば一仏を見、多仏を念じれば多仏を見ます。もし小身の仏を念じれば小身の仏を見、大身の仏を念じれば大身の仏を見、無量の身の仏を念じれば無量の身の仏を見ます。もし自らの身が仏の身の相であると念じれば、自らの身が仏の身と同じく、あらゆる相が円満にそろっているのを見ます。もし他者の身が仏の身の相であると念じれば、他者の身が仏の身と同じく、あらゆる相が円満にそろっているのを見ます。もしすべての有情・非情のあらゆる色や像が仏の身の相であると念じれば、すべての有情・非情のあらゆる色や像がみな仏の身と同じく、あらゆる相が円満にそろっているのを見て、他の一切の色や像は見えなくなります。

菩薩はその時、このように思います。「すべての諸法、すべての色や像は、すべて幻影などのようなものであり、真実そのものは虚偽ではない。私は今、さらにすべてを断ち滅ぼし、三受・三行などの法をことごとく、残りなく滅ぼし尽くすべきである。」このように思ってから滅尽定に入り、この定にとどまり、心が願うままに、すべてを断ち滅ぼし尽くします。そして定の味わいという食を受けて、あるいは一七日(一週間)、あるいは二七日、あるいは三四五六七八九十七日、あるいは無量の百千倶胝那由他劫の間、自分の能力の及ぶ限り、この定に安住して、定の味わいという食を受けます。

この定から出ると、その心は静まり、何ものにも執着せず、静かにとどまります。さらに勝義究竟空定に入り、先に述べたように広く説いて、ついには仏の身の相を思念した後、すべての法、すべての色や像は、みな幻影などのようなものであり、真実そのものは虚偽ではないと知ります。

善き男子よ、これを菩薩摩訶薩が、遍満虚空・無量無辺・広大なる衆具の辞無礙解(言葉による自在な説法)と、すべての仏法・すべての三摩地・すべての陀羅尼・堅固な大忍・大甲冑輪を引き出すことができる、というのです。

菩薩摩訶薩がこの輪を成就すれば、すべての虚空眼頂の三摩地や陀羅尼の巧みな方便という大甲冑輪を引き出して安住することができます。この輪にとどまるゆえに、無辺の虚空の智慧の太陽を起こし、自らの身の四つの倒錯した見解や無明の暗闇を永遠に払い除けます。過去に引き起こした、まだ尽きていない悪しき善ならざる業、暇なき悪趣、諸々の有や趣、生死の諸々の業も、すべて残りなく滅し尽くし、その果報を受けることはありません。

「善男子!若菩薩摩訶薩成就此輪,從初發心,一切五欲皆能除斷,超勝一切聲聞、獨覺,普為一切聲聞、獨覺作大福田。一切聲聞、獨覺乘等,皆應供養承事守護。由此輪故,於諸佛法增進自在常無退轉,不復隨順惡友力行。常得不離見一切佛,及諸菩薩、聲聞弟子,不離聞法、不離親近供養眾僧。於諸功德心常無厭,乃至菩提恒無間斷,又常不離念佛思惟,乃至夢中亦無暫廢。如是菩薩福德、智慧速疾圓滿,不久安住清淨佛國,證得無上正等菩提。於彼佛國一切有情,皆受化生色相如佛,煩惱微薄皆住大乘。」

「善男子よ。もし菩薩摩訶薩がこの輪を成就すれば、初めて発心した時から、あらゆる五欲を断ち切ることができ、すべての声聞や独覚を超越し、彼らにとっての大いなる福田となります。すべての声聞・独覚乗の者たちは、この菩薩を供養し、仕え、守るべきです。この輪の力によって、あらゆる仏法において自在に進み、常に退転することがなく、悪友の力に従うこともありません。常に、あらゆる仏や菩薩、声聞の弟子たちと会うことを離れず、法を聞くことや僧侶を親しく供養することを離れません。あらゆる功徳に対して心に飽くことがなく、菩提に至るまで絶えることがありません。また、常に仏を念じ思惟することを離れず、夢の中でも一時もやめることがありません。このようにして、菩薩の福徳と智慧は速やかに円満し、まもなく清らかな仏国土に安住し、無上の正しい悟りを証得します。その仏国土のすべての有情は、化生として生まれ、仏のような姿かたちを持ち、煩悩は薄く、皆が大乗に住むのです。」

爾時,世尊重顯此義而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて示すために、次のように詩で語られました。

「欲成諸法器, 斷一切煩惱,
常趣入真空, 眾事無難作;
為斷諸有縛, 當勤修等持,
功德定相應, 必獲難思慧。
修靜慮無色, 滅定真空觀,
起念佛勝智, 能盡一切惡;
有無一切法, 破以真空觀,
永離諸惡趣, 常得見諸佛。
善修真空觀, 勤學諸善法,
供養一切佛, 速當成佛果;
為有情親友, 滅除煩惱病,
速住淨佛國, 證得大菩提。
眾生如佛相, 遍滿於佛土,
皆趣求佛乘, 離聲聞獨覺。」

あらゆる教えの器となり、 一切の煩悩を断ち切ろうと願うなら、 常に真空の境地に入りなさい。 そうすれば、どんなことも難しくはありません。

あらゆる存在への執着を断つため、 心を一つに定める修行に励みなさい。 功徳と心の統一が一致すれば、 必ずや計り知れない智慧を得られます。

静慮(じょうりょ)や無色界の禅定、 滅尽定や真空の観想を修行し、 さらに仏を念じる優れた智慧を起こせば、 あらゆる悪を尽くすことができます。

存在するものも存在しないものも、 すべてを真空の観想で打ち砕きなさい。 そうすれば、悪い道から永遠に離れ、 常に諸仏にお会いすることができるのです。

真空の観想をよく修行し、 あらゆる善い教えを熱心に学び、 すべての仏に供養を捧げれば、 やがて速やかに仏の悟りを成就します。

生きとし生けるものの友となり、 煩悩という病を除き去り、 清らかな仏の国に速やかに住み、 大いなる悟りを証得するのです。

すべての生きとし生けるものが、仏と同じ姿で、 仏の国に満ち溢れ、 皆が仏の教えを求めて進み、 声聞や独覚の道から離れていくのです。

大乘大集地藏十輪經獲益囑累品第八

大乗大集地蔵十輪経 得益嘱累品 第八

佛說如是大法門時,於眾會中有殑伽沙等菩薩摩訶薩,過去久習念佛思惟,今聞世尊所說念佛修觀方便,皆得念佛三摩地門。復有無量無邊眾生,聞是法已,皆得一切定命華鬘陀羅尼門。復有無量無邊眾生,聞佛所說,皆得一切首楞伽摩電光依止陀羅尼門。復有無量無邊眾生,聞佛所說,皆得一切法自在轉光明依止順忍。復有無量無邊眾生,聞佛所說,遠塵離垢,於諸法中生淨法眼,得預流果。復有無量無邊眾生,聞佛所說,得一來果。復有無量無邊眾生,聞佛所說,得不還果。復有無量無邊眾生,聞佛所說,皆得最上阿羅漢果。復有無量無邊眾生,聞佛所說,心求出離三界牢獄,依佛出家趣入正法。復有無量無邊眾生,聞佛所說,盡壽安住十善業道,依聲聞乘發心不退。復有無量無邊眾生,聞佛所說,盡壽安住十善業道,依獨覺乘發心不退。復有無量無邊眾生,聞佛所說,盡壽安住十善業道,依大乘中發阿耨多羅三藐三菩提心,不復退轉。復有無量無邊眾生,聞佛所說,得世正見,由此正見,除滅一切往惡趣因煩惱惡業,增長一切向善趣因正願善業。復有無量無邊眾生,聞佛所說,皆受三歸,安住近事,近住淨戒,樂供養佛、樂聽聞法、樂奉事僧,晝夜精勤,曾無懈廢。復有無量無邊眾生,聞佛所說,遠離一切邪趣、邪歸、惡意、惡業,於佛法中得決定信,棄捨家法,清淨出家。

仏がこのような大いなる教えを説かれた時、会座に集まった無数の菩薩たちの中で、過去より長く念仏と観想を修習していた者たちは、この世尊の説かれた念仏の方便を聞いて、皆、金剛定(三摩地)の門を得ました。 また、無数の衆生がこの教えを聞いて、一切の定命華鬘陀羅尼の門を得ました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、一切の首楞伽摩電光依止陀羅尼の門を得ました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、一切の法が自在に転じる光明に依りて、忍びが生じました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、塵垢を離れ、諸法の中に清らかな法眼が生じ、預流果を得ました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、一来果を得ました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、不還果を得ました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、最高の阿羅漢果を得ました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、心から三界の牢獄からの出離を求め、仏のもとで出家し、正法に向かいました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、生涯にわたり十善業道に安住し、声聞乗に依って発心し退きませんでした。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、生涯にわたり十善業道に安住し、独覚乗に依って発心し退きませんでした。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、生涯にわたり十善業道に安住し、大乗の中で無上正等覚心を発し、再び退転しませんでした。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、世俗の正見を得て、この正見により、悪趣へ至る一切の原因となる煩悩や悪業を除き去り、善趣へ至る原因となる正しい願いや善業を増大させました。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、皆、三帰依を受け、在家の清浄な戒に安住し、供養を喜び、法を聞くことを喜び、僧に仕えることを喜び、昼夜精進に励み、一度も怠ることがありませんでした。 また、無数の衆生が仏の説法を聞いて、あらゆる邪な目的、邪な帰依、悪意、悪業を遠く離れ、仏法において確かな信心を得て、家庭生活を捨て、清らかに出家しました。

爾時,世尊告虛空藏菩薩摩訶薩言:「善男子!吾今持此地藏十輪大記法門,付囑汝手,汝當受持,廣令流布。若諸眾生於此法門,有能讀誦、思惟其義、為他解說、住正行者,汝當為彼守護十法,令於長夜利益安樂。何等為十?一者、為彼守護,一切財位令無損乏;二者、為彼守護,一切怨敵令不侵害;三者、為彼守護,令捨一切邪見、邪歸、十惡業道;四者、為彼守護,令免一切身、語、讁罰;五者、為彼守護,遮斷一切謗毀輕弄;六者、為彼守護,令於一切軌範、尸羅皆得無犯;七者、為彼守護,令悉除滅一切非人、四大乖反、非時老病;八者、為彼守護,不遭一切非時非理災橫夭歿;九者、為彼守護,命欲終時,得見一切諸佛色像;十者、為彼守護,令其終後,往生善趣,利益安樂。善男子!若諸有情於此法門,有能讀誦、思惟其義、為他解說、住正行者,汝當為彼,勤加守護如是十法,令於長夜利益安樂。」

その時、世尊は虚空蔵菩薩摩訶薩に告げられました。 「善き男子よ。私は今、この地蔵十輪大記法門をあなたの手に託します。あなたはこれを受け止め、広く流布させなさい。

もし、この法門を読誦し、その意味を思い巡らし、他人のために説き、正しい行いに住する者があれば、あなたはその人のために次の十の法を守り、永きにわたり利益と安楽をもたらしなさい。

その十の法とは何か。 第一に、あらゆる財産や地位を守り、欠けることのないようにすること。 第二に、あらゆる怨敵から守り、害されることのないようにすること。 第三に、あらゆる邪見、邪なる帰依、十悪業の道を捨てさせられるように守ること。 第四に、身とことばに対するあらゆる罰や非難から免れられるように守ること。 第五に、あらゆる誹謗や中傷、軽んじる者を遮断するように守ること。 第六に、あらゆる規範や戒律を犯すことなく保てるように守ること。 第七に、あらゆる非人間や四大の乱れ、時ならぬ老いや病を取り除けるように守ること。 第八に、時ならぬ理不尽な災いや横死に遭わないように守ること。 第九に、命終わろうとする時に、諸仏の姿を見ることができるように守ること。 第十に、命終わった後、善き生まれを得て、利益と安楽を得られるように守ること。

善き男子よ。もしこの法門を読誦し、その意味を思い巡らし、他人のために説き、正しい行いに住する有情がいるならば、あなたはその人のために、この十の法を精進して守り、永きにわたり利益と安楽をもたらしなさい。」

時,虛空藏菩薩摩訶薩白佛言:「唯然,世尊!我當受持如是法門,廣令流布。若諸有情於此法門,有能讀誦、思惟其義、為他解說、住正行者,我當為彼守護十法,令於長夜利益安樂。」

その時、虚空蔵菩薩摩訶薩が仏に申し上げました。「はい、世尊よ。私はこの教えをしっかりと受け止め、広く世に広めましょう。もし生きとし生けるものたちが、この教えを読誦し、その意味を深く考え、他のために説き明かし、正しい行いを実践するならば、私は彼らのために十の法を守り、彼らが長きにわたって利益と安らぎを得られるようにいたしましょう。」

時,薄伽梵說是經已,於眾會中,虛空藏菩薩摩訶薩、地藏菩薩摩訶薩、金剛藏菩薩摩訶薩、好疑問菩薩摩訶薩、天藏大梵等,及諸天、龍、藥叉、健達縛、阿素洛、揭路荼、緊捺洛、莫呼洛伽、人、非人等,一切大眾聞佛所說,皆大歡喜信受奉行。

そのとき、薄伽梵がこの経を説き終えると、集まった人々の中の虚空蔵菩薩摩訶薩、地蔵菩薩摩訶薩、金剛蔵菩薩摩訶薩、好疑問菩薩摩訶薩、天蔵大梵ら、および諸天、龍、薬叉、健達縛、阿素洛、掲路荼、緊捺洛、莫呼洛伽、人、非人などの一切の大衆は、仏の説かれたことを聞いて、皆大いに喜び、信じて受け、奉行しました。

大乘大集地藏十輪經卷第十

大乗大集地蔵十輪経 巻第十


7 福田相品
序

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