大乘理趣六波羅蜜多經卷第七
大乗理趣六波羅蜜多経 巻第七
罽賓國三藏般若奉 詔譯
罽賓国の三蔵般若、詔を奉じて訳す
精進波羅蜜多品第八
第八章 精進波羅蜜多
爾時,薄伽梵說是安忍波羅蜜多已。時慈氏菩薩摩訶薩即從座起,偏袒右肩右膝著地,合掌恭敬而白佛言:「大聖世尊已說安忍波羅蜜多,應當廣說精進波羅蜜多。菩薩摩訶薩應云何住?云何降伏?云何修行?云何圓滿精進波羅蜜多?唯願世尊分別廣說。」
その時、尊き聖者は安忍波羅蜜多を説き終えられました。 すると、慈氏菩薩摩訶薩が席を立ち、右肩を露わにして右膝を地に着け、両手を合わせて敬いながら仏に申し上げました。 「大聖世尊よ、すでに安忍波羅蜜多をお説きくださいました。どうか精進波羅蜜多についても詳しくお説きください。菩薩摩訶薩はどのように心を保ち、どのように煩悩を調伏し、どのように修行し、どのようにして精進波羅蜜多を成就すべきなのでしょうか。どうか世尊よ、一つ一つ詳しくお教えください。」
爾時薄伽梵告慈氏菩薩摩訶薩言:「善男子!汝今諦聽善思念之,吾當為汝分別解說。所謂修餘五種波羅蜜多,皆精進力而能成就。精進波羅蜜多謂身口意,此三善業皆因精進方得發生。於三業中,意業最勝。菩薩摩訶薩修習意業,有二種心:一者精進,二者退轉。所謂發起菩提心是精進,止息菩提心是退轉。云何發起?於諸有情起大悲故。云何止息?住我空故。云何發起?攝取一切眾生故。云何止息?捨一切眾生故。云何發起?於生死中無疲倦故。云何止息?求出三界故。云何發起?一切悉捨故。云何止息?輕心不施故。云何發起?堅持淨戒故。云何止息?毀犯禁戒故。云何發起?善住安忍故。云何止息?不修忍辱故。云何發起?修集善根故。云何止息?懈怠懶惰故。云何發起?住禪定故。云何止息?心散亂故。云何發起?智慧相應故。云何止息?無明相應故。云何發起?多聞善說故。云何止息?不聞正法故。云何發起?積集智慧故。云何止息?取相分別故。云何發起?觀蘊如幻故。云何止息?於蘊生厭故。云何發起?知處如夢故。云何止息?永滅根境故。云何發起?觀界無生故。云何止息?滅身滅智故。云何發起?增長梵行故。云何止息?捨實智慧故。云何發起?五通自在故。云何止息?厭離有漏故。云何發起?正觀念處故。云何止息?不修念住故。云何發起?正斷相應故。云何止息?不行正斷故。云何發起?神足自在故。云何止息?神足不具故。云何發起?勤習五根故。云何止息?不增五根故。云何發起?樂修五力故。云何止息?不修五力故。云何發起?圓滿覺支故。云何止息?不具七覺故。云何發起?勤修正道故。云何止息?不修八正故。云何發起?修奢摩他故。云何止息?不善修止故。云何發起?正觀緣生故。云何止息?厭患緣生故。云何發起?聞所未聞故。云何止息?以有所聞故。云何發起?以戒嚴身故。云何止息?厭患蘊身故。云何發起?辯說無礙故。云何止息?無學默然故。云何發起?修習三解脫門故。云何止息?不修三解脫門故。云何發起?降伏魔怨故。云何止息?樂著涅槃故。云何發起?善修方便故。云何止息?愛樂寂靜故。云何發起?進求不息故。云何止息?所作已辦故。云何發起?了俗諦故。云何止息?證滅諦故。」
その時、尊き師は慈氏菩薩摩訶薩に告げられた。 「善き者よ、汝よく聞き、よく思惟せよ。我は今、汝のために区別して説き明かそう。 すなわち、他の五つの波羅蜜多を修行することも、すべて精進の力によって成就するのである。 精進波羅蜜多とは、身・口・意を指す。この三つの善い業は、すべて精進によって初めて生じる。 この三業の中で、意業が最も勝れている。 菩薩摩訶薩が意業を修習するには、二つの心がある。 一つは精進、もう一つは退転である。 すなわち、菩提心を起こすことが精進であり、菩提心を止めることが退転である。 どのように起こすのか。一切の有情に対して大悲を起こすからである。 どのように止めるのか。我が空であると執着するからである。 どのように起こすのか。すべての衆生を摂取するからである。 どのように止めるのか。すべての衆生を捨てるからである。 どのように起こすのか。生死に疲れ倦まないからである。 どのように止めるのか。三界を出ようと求めるからである。 どのように起こすのか。すべてを施し捨てるからである。 どのように止めるのか。心軽くして施さないからである。 どのように起こすのか。清らかな戒を堅く保つからである。 どのように止めるのか。禁戒を破り犯すからである。 どのように起こすのか。安忍によく安住するからである。 どのように止めるのか。忍辱を修しないからである。 どのように起こすのか。善根を修め集めるからである。 どのように止めるのか。懈怠して怠るからである。 どのように起こすのか。禅定に住するからである。 どのように止めるのか。心が散乱するからである。 どのように起こすのか。智慧と相応するからである。 どのように止めるのか。無明と相応するからである。 どのように起こすのか。多く聞き、よく説くからである。 どのように止めるのか。正法を聞かないからである。 どのように起こすのか。智慧を積み集めるからである。 どのように止めるのか。相を取って分別するからである。 どのように起こすのか。五蘊が幻の如しと観じるからである。 どのように止めるのか。五蘊に厭いを生じるからである。 どのように起こすのか。十二処が夢の如しと知るからである。 どのように止めるのか。根と境を永く滅するからである。 どのように起こすのか。十八界が生無しと観じるからである。 どのように止めるのか。身を滅し、智を滅するからである。 どのように起こすのか。梵行を増長するからである。 どのように止めるのか。真実の智慧を捨てるからである。 どのように起こすのか。五通を自在に得るからである。 どのように止めるのか。有漏を厭い離れるからである。 どのように起こすのか。正しく念処を観ずるからである。 どのように止めるのか。念住を修しないからである。 どのように起こすのか。正断と相応するからである。 どのように止めるのか。正断を行じないからである。 どのように起こすのか。神足を自在に得るからである。 どのように止めるのか。神足が備わらないからである。 どのように起こすのか。五根を精進して習うからである。 どのように止めるのか。五根を増さないからである。 どのように起こすのか。五力を楽しんで修するからである。 どのように止めるのか。五力を修しないからである。 どのように起こすのか。覚支を円満にするからである。 どのように止めるのか。七覚を具えないからである。 どのように起こすのか。八正道を精進して修するからである。 どのように止めるのか。八正道を修しないからである。 どのように起こすのか。奢摩他(止)を修するからである。 どのように止めるのか。止を善く修しないからである。 どのように起こすのか。縁生を正しく観ずるからである。 どのように止めるのか。縁生に患いて厭うからである。 どのように起こすのか。未だ聞かざる所を聞くからである。 どのように止めるのか。聞く所があるからである。 どのように起こすのか。戒をもって身を荘厳するからである。 どのように止めるのか。蘊身に患いて厭うからである。 どのように起こすのか。弁説に礙(さまたげ)がないからである。 どのように止めるのか。無学の境地で黙するからである。 どのように起こすのか。三解脱門を修習するからである。 どのように止めるのか。三解脱門を修しないからである。 どのように起こすのか。魔の怨敵を降伏するからである。 どのように止めるのか。涅槃に執着して楽しむからである。 どのように起こすのか。方便を善く修するからである。 どのように止めるのか。寂静を愛好するからである。 どのように起こすのか。進み求め、休まないからである。 どのように止めるのか。所作が既に弁じた(成し遂げた)と思うからである。 どのように起こすのか。世俗の真理を了知するからである。 どのように止めるのか。滅諦を証得したと執着するからである。」
佛告慈氏:「如是種種精進行法,皆精進力而能圓滿,無增無減,方能利益一切眾生。所以者何?以能遠離一切相故,皆由智力而能圓滿精進波羅蜜多。云何菩薩摩訶薩修習事業?所謂修習大慈大悲不捨有為,證真無為不退不轉,乃至無上正等菩提。慈氏!當知此即菩薩摩訶薩意業清淨精進波羅蜜多。
仏、慈氏に告げたまわく、「このような様々な精進の行いは、すべて精進の力によって円満されるのであり、増えることも減ることもなく、そのようにしてはじめて一切の衆生を利益することができる。それはなぜか。あらゆる相から遠く離れることができるからであり、すべて智慧の力によって精進波羅蜜多を円満することができるのである。では、菩薩摩訶薩はどのように事業を修習するのか。すなわち、大慈大悲を修習し、有為を捨てず、真の無為を証して退転せず、ついには無上正等菩提に至るのである。慈氏よ、知るがよい。これこそが菩薩摩訶薩の意業清浄なる精進波羅蜜多である。」
「復次,慈氏!菩薩摩訶薩有四種精進。云何為四?所謂未生不善能令不生,已起不善速令除滅,未生之善當令速生,已起之善能令增長。慈氏!當知此即菩薩摩訶薩四種精進。若無此四,云何圓滿精進波羅蜜多?菩薩摩訶薩所起精進,乃至布施、持戒、安忍、精進,難捨能捨、難作能作,如是種種難事,精勤勇猛心無懈倦,所修勝行,一切諸天釋梵護世所不能作。何以故?菩薩摩訶薩廣度眾生出生死海而無度相,皆精進力之所成辦,是則名為精進波羅蜜多。
「さらに、慈氏よ。菩薩摩訶薩には四種の精進がある。どのような四種か。いわゆる、まだ生じていない不善を生じさせないこと、すでに生じた不善を速やかに滅すること、まだ生じていない善を速やかに生じさせること、すでに生じた善を増長させることである。慈氏よ、知るがよい。これが菩薩摩訶薩の四種の精進である。もしこの四つがなければ、どうして精進波羅蜜多を円満にすることができようか。
菩薩摩訶薩が起こす精進は、布施、持戒、安忍、精進に至るまで、捨て難いものを捨て、行い難いことを行う。このような様々な困難な事柄に対しても、精進し勇猛に努め、心に懈怠や倦むことがない。修める勝れた行いは、すべての諸天、釈梵、護世の神々でさえも成し遂げることのできないものである。
それはなぜか。菩薩摩訶薩は広く衆生を救って生死の海から出離させながらも、救うという相に執着することがない。これらはすべて精進の力によって成し遂げられるものであり、これを精進波羅蜜多と名づけるのである。」
「復次,慈氏!懈怠眾生所修事業功力微少,猶如水滴不至大海,懈怠之人亦復如是,不能得至無上菩提。譬如有人手足俱無,行住坐臥不得隨心,乃至微小作業皆不成就,如是之人豈能越渡江河大海。懈怠眾生無精進足亦復如是,此懶惰人於家事業尚無所成,豈有慈悲具修戒慧,能度有情出於火宅,修行菩薩六波羅蜜菩提資糧?菩薩摩訶薩以精進波羅蜜多而為船筏,三無數劫福智所成,與諸有情同乘此船,超越生死大海彼岸。復次,世間眾生總有三種:一者懈怠,二者非勤非惰,三者精勤勇銳。言懈怠者,於己家務悉亦棄捨,況能為他營建事業。非勤非惰者,於大事業都不能作,設欲進求遇緣便退。勤精進者,恒為有情受大勞苦,但利益彼無念己身。窳惰之人,為懈怠鬼常所拘執惑亂身心。譬如有人入於大海至七寶山,於是山中寶珠無量,方欲採取為鬼所著,欻然之間徒步而返,不獲一寶裸露而歸。懈怠眾生亦復如是,此贍部洲福德之地,十善業力來生其中,菩薩觀之,無量無邊十善珠寶遍滿大地,而諸眾生為懈怠鬼之所魅著狂亂失心,設見妙寶都無取心,如妙高山不可移動。若精進人取斯寶物,不足為難如舉一毛。菩薩摩訶薩為欲圓滿精進波羅蜜多,普為眾生,從無量劫生死長夜,不惜軀命勤行精進方至菩提。菩薩觀之,心無懈倦猶如食頃。復更思惟過去諸佛行菩薩行,為欲滿足六波羅蜜,經無量劫亦如食頃。菩薩摩訶薩復觀現在未來無量無邊一切諸佛,行菩薩行經無量劫方成正覺,如是劫數難可校量。譬如有城極為高廣,四面高下各百由旬,於此城內滿中油麻,經百千劫除去一粒,如是劫數漸漸除一,乃至城空為一大劫,如是大劫積數滿三阿僧企耶。菩薩摩訶薩經如是劫,常為五趣一一有情,勤行精進受諸苦惱方至菩提。譬如大地末為微塵,如是微塵寧為多不?」
「さらに、慈氏よ。怠けた者は、行う仕事の力が僅かで、まるで水滴が大海に至らないのと同じである。怠けた者もまた同様で、無上の悟りを得ることができない。例えば、手足のない人が、歩く、立つ、坐る、横になることを思い通りにできず、たとえ小さな作業さえも成し遂げられない。そのような人が、どうして川や海を渡り越せようか。怠けた者に精進の足がないのもまた同じである。この怠惰な人は、家の仕事さえ成し遂げられない。ましてや慈悲を持ち、戒めと智慧を完全に修め、人々を火の家から救い出し、菩薩の六波羅蜜や悟りの糧を実践することなどできようか。
大菩薩は、精進波羅蜜を船とし、三つの無数の劫の間、福徳と智慧によってこれを成就し、すべての人々と共にこの船に乗って、生死の大海を彼岸へと渡るのである。
また、世の中の人間は、大きく分けて三種類いる。一つは怠けた者、二つ目は怠けてもいなければ精進もしていない者、三つ目は精進に励む勇ましい者である。
怠けた者とは、自分の家の仕事さえも全て捨ててしまう。ましてや他人のために仕事を営むことなどできようか。 怠けてもいなければ精進もしていない者とは、大きな事業は何一つできず、たとえ進もうと求めても、条件に出会えばすぐに退いてしまう者である。 精進に励む者とは、常に人々のために大きな苦労を引き受け、ただ彼らを利益しようとし、自分のことは顧みない者である。
怠惰な人間は、懈怠の鬼に常に捕らえられ、心身を惑わされる。例えば、大海に入って七宝の山に至った人がいる。この山には無数の宝珠がある。さあ取ろうとしたところ、鬼に取り憑かれ、たちまち徒歩で帰ってしまい、一つの宝も得ずに裸で戻ってしまう。怠惰な者もまた同じである。この閻浮提(南閻浮洲)は福徳の地であり、十善の業の力によってそこに生まれる。菩薩が見ると、無数無辺の十善の宝珠が大地に満ちている。しかし、人々は懈怠の鬼に惑わされて心が乱れ、たとえ見事な宝を見ても、取ろうとする心が全く無く、妙高山のように動かない。精進する人がこの宝を取ることは、毛一本を上げるよりも難しいことではない。
大菩薩は、精進波羅蜜を完成させようと、すべての人のために、無数の劫という生死の長い夜にわたって、身や命を惜しまずに精進に励み、ついに悟りに至る。菩薩がこれを顧みると、心に倦むことなく、まるで食事のひとときのようである。さらにまた、過去の諸仏が菩薩行を行い、六波羅蜜を満たそうとして、限りない劫を経たのもまた、食事のひとときのようだったと考える。
大菩薩はまた、現在・未来の無数無辺の一切の諸仏が、菩薩行を行い、限りない劫を経てついに正覚を成就したのも、その劫の数は計り知れないと観じる。たとえば、非常に高く広い城がある。四方の高さはそれぞれ百由旬である。この城の中にゴマを満たし、百千劫の間、一粒ずつ取り除いていく。こうした劫の数を徐々に一つずつ減らして、ついに城が空になると、これを一大劫とする。このような大劫を積み重ねて、三つの阿僧祇劫(無数劫)を満たす。
大菩薩はこのような劫を経て、常に五つの生存領域の一つひとつの生きとし生けるもののために、精進に励み、様々な苦しみを受け、ついに悟りに至る。例えば、大地を粉々にして微塵とすると、その微塵の数は多いであろうか?」
慈氏白佛言:「甚多,世尊!」
慈氏(弥勒菩薩)が仏に申し上げました。「たくさんあります、世尊よ。」
佛告慈氏:「假使眾生如彼塵數,菩薩為彼一一有情,如上劫中勤行精進,不惜身命受諸苦惱,然後乃成無上菩提。菩薩摩訶薩復應如是思惟:『我於過去如前劫數,勤加精進具足圓滿六種波羅蜜多,得不退轉方至菩提。』作是思惟:『如是長遠勇猛精進,況於人間年月劫數,而比於彼如剎那頃而成正覺,何不進求?菩薩摩訶薩應勤精進,堅固其心,所捨頭目髓腦手足支節無所悋惜。』如是思已一心精進恒無懈惓,此即名為菩薩摩訶薩精進波羅蜜多。」
仏は慈氏に告げられた。「たとえ、衆生がそこにある塵の数ほど存在し、菩薩がその一人ひとりのために、先に述べたような長い劫の間、精進に励み、命を惜しまずに様々な苦しみを受けたとしても、その後はじめて無上の悟りを成就するのです。菩薩大士はまた、次のように考えるべきです。『私は過去において、先のような劫の間、精進に励み、六つの波羅蜜多を完全に円満し、退転しない境地を得て、悟りに至った。』このように考えて、『このように長い間、勇猛に精進してきたのだから、人間の年月の劫数など、それに比べれば一瞬で正覚を成就できる。どうして求め進まないことがあろうか。菩薩大士は精進に励み、その心を堅固にし、捨てるべき頭・目・髄・脳・手足・関節などを惜しんではならない。』とよく考えなさい。このように考えて、一心に精進し、常に怠ることがなければ、これを菩薩大士の精進波羅蜜多と名づけます。」
時薄伽梵而說頌言:
その時、世尊は次のように偈(うた)を説かれた。
「世間諸果實, 皆由精進生,
大地水火風, 根塵由彼有。
貪恚癡疑惑, 皆由懈怠生,
菩薩於此中, 常懼如毒箭。
如人有技藝, 懶惰無所成,
懈怠諸男女, 慈母不忻見。
有智勤精進, 菩薩行成就,
是人開覺花, 能成佛果位。
智人常勇猛, 了達深義趣,
愚癡懶惰人, 世所不稱讚。
若人無精進, 亦無世名稱,
無善法資糧, 如糞穢不淨。
如草及塼石, 猶堪世所用,
懈怠懶惰人, 一切無堪用。
譬如衣垢弊, 亦如花鬘萎,
人若無精進, 端正不任用。
如人有名稱, 由精進安忍,
無忍無精進, 非女亦非男。
懈怠乏資財, 卑賤多驕慢,
常懼他人語, 家務悉不成。
如是無精進, 雖有眾技藝,
恒被人所輕, 如蛇無毒氣。
雖無諸技藝, 唯有勤精進,
佛果大菩提, 決定皆成就。
一切修福業, 皆由精進力,
如欲受使者, 專待王教勅。
精進尊貴本, 應當勤勇猛,
菩薩樂修行, 必成無上果。
恒住於精進, 智者所稱讚,
無智執由天, 邪見生死本。
智者住正見, 捨天而精進,
應當勤勇猛, 能度於彼天。
愚劣無精進, 捨勤而事天,
智者樂精進, 遠離於天教。
天命及精進, 愚智有差殊,
信天邪見因, 精進招勝果。
如有地無種, 耕墾何所益,
無勤亦復然, 天命何所獲。
譬如風吹火, 隨小漸成大,
精進亦復然, 善法而增廣。
能行諸難行, 而獲增勝果,
身命無悋惜, 當紹於法王。」
世の中のあらゆる果実は、すべて精進から生まれる。 大地・水・火・風、そして感覚の基盤もそれによって存在する。
貪り・怒り・疑い・迷いは、すべて怠惰から生まれる。 菩薩はそのことを、毒矢のように常に恐れる。
たとえ人が技術を持っていても、怠惰であれば何も成し遂げられない。 怠惰な男女は、慈愛深い母でさえ喜んで見ようとしない。
智慧ある人は精進に励み、菩薩の道を成就する。 その人は悟りの花を開き、仏の境地に至ることができる。
智慧ある人は常に勇猛で、深い真理を理解する。 愚かで怠惰な人は、世間から称賛されることはない。
もし精進がなければ、世の中での名声もなく、 善い行いの糧もなく、まるで汚れた排泄物のようである。
草やレンガや石でさえ、世の中での役に立つことがある。 しかし怠惰な人は、何の役にも立たない。
例えば衣服が汚れてぼろぼろになり、花の飾りがしおれるように、 精進のない人は、見た目が良くても役に立たない。
名声を得られるのは、精進と忍耐による。 忍耐も精進もない人は、男とも女とも言えない。
怠惰で資財に乏しく、身分は低く、傲慢で、 常に他人の言葉を恐れ、家の仕事も何一つ成し遂げられない。
このように精進のない人は、多くの技術を持っていても、 常に人に軽んじられる。それは毒のない蛇のようなものだ。
たとえ特別な技術がなくても、ただ精進に励めば、 仏の偉大な悟りは、必ず成就する。
すべての善い行いの積み重ねは、精進の力による。 それは、使いが王の命令を待ち受けるようなものだ。
精進は尊い地位の基である。ゆえに勇猛に励むべきである。 菩薩は修行を楽しみ、必ず最高の悟りを成就する。
常に精進に励むことは、智慧ある人に称賛される。 智慧のない人は「すべては天命」と決めつけ、それが誤った見解となり、生死の輪廻の基となる。
智慧ある人は正しい見解を持ち、天命に頼らず精進する。 勇猛に励むべきである。そうすれば天命さえも超越できる。
愚かで劣った人は精進せず、努力を怠って天命に頼る。 智慧ある人は精進を楽しみ、天命の教えから遠く離れる。
天命と精進には、愚かさと智慧の違いがある。 天命を信じることは誤った見解の原因となり、精進は優れた結果をもたらす。
例えば、土地に種がなければ、耕しても何の益もない。 努力のない者も同じで、天命に頼っても何も得られない。
例えば、風が火を吹けば、小さな火も次第に大きくなる。 精進もまた同じで、善い行いが増え広がる。
様々な困難な修行を実践することで、優れた結果を得られる。 身や命を惜しまずに修行すれば、まさに法の王の後を継ぐ者となるのだ。
爾時,佛告慈氏菩薩摩訶薩:「求菩提時擐精進甲,以大誓願而為器仗,日夜精勤增長功德,猶初白月漸漸圓滿。譬如有人聞彼遠方有佛舍利窣堵波塔,及有善說正法之人。此人聞已歡喜踊躍,不待資糧車乘伴侶,徒跣而往詣彼塔廟。所經道路唯是猛火及布利刀,是人勇銳其心不退,決定前進達於彼所,瞻禮佛塔聽聞正法。於火刃中舉足下足,步步思惟而發是願:『我於今日刀火中行得聞正法,願我當於生死大苦之中,拔濟有情置於涅槃安樂之處。』菩薩摩訶薩發是願已,雖踐刀火如履蓮花,足下柔軟如須曼那花,復似栴檀香水而洒其上,清涼芬馥無以為喻。復作是願:『我從今日乃至無上正等菩提,於是中間,身口意業常作佛事。若行餘事,願我此身如枯槁木;口說餘言,願我瘖瘂;意思餘法,願我狂亂。除正法外,自餘音教無所樂著。如是三業所修諸善,皆悉迴向無上菩提。』復願一切眾生咸成正覺功德無盡,廣大如法界,究竟若虛空,窮未來際無有休息。譬如虛空密雲彌布降注大雨,若至陸地砂鹵之處不久便乾,若雨一滴入大海中,海水未竭其雨無盡。菩薩所作功德亦復如是,若為自身求於解脫,如陸地雨不久還乾,若為法界一切有情修於善業投涅槃海,以大悲願,眾生無盡善亦無盡。
その時、仏は慈氏菩薩摩訶薩に告げられた。「悟りを求める時には精進の鎧を身にまとい、大いなる誓願を武器とし、日夜精進して功徳を増し加えなさい。それはあたかも新月から徐々に満ちていく月のようである。例えば、遠くの地に仏の舎利塔があり、また正しい教えを説く人がいると聞いた人がいる。その人はこれを聞いて喜び躍り上がり、旅の準備や馬車、仲間を待たずに、裸足でその塔へと向かう。その道は猛火と鋭利な刀だけで覆われているが、その人は勇気にあふれ心は退かず、決然と前進して目的地にたどり着き、仏塔を礼拝し正しい教えを聞く。火と刃の中を一歩一歩進むごとに、こう誓いを立てる。『私は今日、刃と火の中を歩んで正しい教えを聞くことができた。願わくば、私は生死の大いなる苦しみの中にあって、生きとし生けるものを救い、涅槃の安楽の境地に置きたい』と。菩薩摩訶薩がこの誓いを立てると、刃や火を踏むことが蓮の花を踏むかのようになり、足元は須曼那の花のように柔らかく、さらには栴檀の香水がその上に注がれたかのように、清涼で芳醇であり、何ものにも例え難かった。さらにこう誓いを立てた。『私は今日から無上正等菩提に至るまで、その間、身・口・意の行いを常に仏事としよう。もし他の行いをすれば、この身が枯れ木のようになりますように。もし他の言葉を口にすれば、私が唖になりますように。もし他のことを思えば、私が狂い乱れますように。正しい教えの他には、他の音声や教えに執着することはない。このように三業によって修めるあらゆる善は、すべて無上菩提に回向しよう』と。また、すべての衆生が正覚を成就し、功徳が尽きることなく、広大なること法界の如く、究竟すること虚空の如く、未来際まで休むことなくあるようにと願う。例えば、虚空に厚い雲が広がって大雨を降らせる時、陸地や砂地に降った雨はすぐに乾くが、その一滴が大海に落ちれば、海水が尽きない限りその雨も尽きない。菩薩の功徳もまた同じである。もし自分のためだけに解脱を求めれば、陸地の雨のようにすぐに乾いてしまうが、もし法界のすべての生きとし生けるもののために善業を修め、涅槃の海に向かえば、大悲の誓願によって、衆生が尽きない限り善もまた尽きないのである。」
「復次,慈氏!譬如菩薩壽命無量,往於東方經過無量俱胝三千大千世界,所經國土眾生之類,悉皆令得大般涅槃安樂之處。如是無量阿僧祇劫廣度眾生,我今觀之如爪上土,其未度者如大地土。如是東方世界未度既然,南西北方四維上下亦復如是。雖有如是無量有情,菩薩摩訶薩亦不厭捨而生退轉,勤行精進終無休息。菩薩摩訶薩能發如是廣大之心,無有少法難修行者,於三界中所有福智尊貴自在,無勞功力自然得之。」
「また、慈氏よ。例えば、菩薩の寿命が計り知れず、東の方に向かい、無量の百千万億もの三千大千世界を経て、通った国土のあらゆる衆生を、すべて大いなる涅槃という安らぎの境地に導き入れたとする。このように無量の阿僧祇劫もの長きにわたり、広く衆生を救済してきたとしても、私が見るに、その功徳は爪の上の土ほどのものであり、まだ救われていない者は大地の土のように多いのだ。東の方の世界がこのように未だ救済されていないのと同様に、南、西、北、四隅、上下の世界もまた同じである。このように無量の有情がいるとしても、菩薩摩訶薩は決して嫌って捨てたり、退いて心を失ったりすることなく、精進に励み、ついに休むことはない。菩薩摩訶薩がこのような広大な心を起こすことができれば、修行しがたい法など何一つなくなり、三界の中におけるすべての福徳や智慧、尊さや自在さを、努力を要することなく自然に得るのである。」
佛告慈氏菩薩摩訶薩:「於諸世間所有過去現在未來一切眾生、學無學人及辟支佛,如是有情精勤修集無量無邊所有功德,比於如來一毛功德,百千萬分不及其一。如是所有一一毛端,皆從如來無量功德之所出生。如來之身一切毛端所有功德,共成如來一髮功德。如是佛髮八萬四千,一一髮中各具如上毛端功德,如是合集共成如來一隨好功德。如是隨好具八十種,一一好中各有如上佛髮功德,如是合集共成如來一相功德。如是諸相具三十二,各具如上隨好功德,如是合集至百千倍,成佛眉間毫相功德,其相圓滿婉轉右旋,如頗胝迦寶明淨鮮白,夜闇之中猶如明星,毫相舒之上至色界阿迦膩吒天,卷之如舊復為毫相於眉間住。以此毫相所有功德至百千倍,成佛頂上肉髻之相,所有功德無有人天能見頂者。如是肉髻千倍功德,不及如來梵音聲相所有功德,其聲下徹阿鼻地獄,上至色界究竟天中。如是所說無量功德,皆是如來大悲化現,如是化身皆由無量功德集成,無比無喻無與等者。如是化身千倍功德成佛報身,如是報身所有功德,百千萬倍成佛法身,所有功德莫知其量。若有善男子、善女人,聞說諸佛如來無邊功德,不驚不怖不畏者,當知是人成就精進波羅蜜多,應發如是廣大之心:『佛身功德無量福聚,我今觀之誓當修證,勤行精進不惜身命,為一切眾生,於無量劫受三塗苦,心不生悔,皆令圓滿具足成就六種波羅蜜多,得成無上正等菩提。』」
仏は慈氏菩薩摩訶薩に告げられた。「世間のあらゆる過去・現在・未来のすべての衆生、学び学び終えた者、そして辟支仏(びゃくしぶつ)といった人々が、精進して修行し積んだ無量無辺の功徳も、如来の一毛の功徳と比べれば、百千万分の一にも及ばない。このように、一つ一つの毛端(もうたん)は、すべて如来の無量の功徳から生じている。如来の体のすべての毛端の功徳を合わせて、如来の一髪(いっぱつ)の功徳とする。このように仏の髪は八万四千あり、それぞれの髪が上記の毛端の功徳を備え、それらを集めて如来の一つの随好(ずいこう)の功徳とする。この随好は八十種あり、それぞれの随好に上記の仏髪の功徳を備え、それらを集めて如来の一つの相(そう)の功徳とする。この相は三十二あり、それぞれに上記の随好の功徳を備え、それらを百千倍に集めて、仏の眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)の相の功徳とする。その相は円満に婉転し右に旋(めぐ)り、頗胝迦(はちか)宝のように明るく清らかで真っ白く、闇夜の中では明星のように輝く。この白毫を伸ばすと色界の阿迦膩吒天(あかにたてん)にまで達し、縮めると元のように眉間に戻る。この白毫のすべての功徳を百千倍にしたものが、仏の頂上の肉髻(にっけい)の相の功徳であり、その功徳は、人天の誰にも頂上を見ることができない。さらに、この肉髻の功徳の千倍も、如来の梵音声相(ぼんおんじょうそう)の功徳には及ばない。その声は下は阿鼻地獄にまで届き、上は色界の究竟天(くぎょうてん)にまで達する。こうして説かれた無量の功徳は、すべて如来の大悲(だいひ)の化身(けしん)であり、その化身はすべて無量の功徳によって集められたものである。比べるものなく、例えようもなく、並ぶものもない。この化身の功徳の千倍が仏の報身(ほうじん)を成し、その報身のすべての功徳の百千万倍が仏の法身(ほっしん)を成す。その功徳の量は知るべくもない。もし善男子・善女人が、諸仏如来の無辺の功徳を聞いて、驚かず、おののかず、恐れないならば、その人は精進波羅蜜多(はらみった)を成就していると知るべきである。そして、このような広大な心を起こすべきである。『仏身の功徳は無量の福聚(ふくじゅ)である。私は今、これを観じて、必ずや修行して証得しようと誓い、精進に励み、身命を惜しまず、一切の衆生のために無量の劫(こう)の間、三途(さんず)の苦しみを受けようとも、心に悔いを生じさせず、すべての人をして六種の波羅蜜多を円満に具足させ成就させ、無上正等菩提(むじょうしょうとうぼだい)を成就させよう。』」
佛告慈氏菩薩摩訶薩:「善男子!應當諦觀佛之智慧,汝今諦聽當為汝說。如舍利弗,諸聲聞中智慧第一,此贍部洲,北廣南狹如類車廂,周匝七千踰繕那量。東勝身洲形如半月,周匝八千踰繕那量。西牛貨洲形如滿月,周匝九千踰繕那量。北拘盧洲地形畟方,周匝十千踰繕那量。妙高山王其相四方,入水八萬踰繕那量,四寶合成,出水量等,四寶合成,周圍四面各有八萬踰繕那量。次外即有金山七重,周匝圍繞有八海水,最外復有大鐵圍山。如是四洲及諸山王用為紙素,八大海水以為其墨,一切草木用為其筆,一切人天一劫書寫,比舍利弗所得智慧,十六分中不及其一。又於此三千大千世界,其中眾生所有智慧,如舍利弗等無有異。菩薩摩訶薩了達布施波羅蜜多,所有智慧過彼百倍。又此三千大千世界,所有眾生皆具布施波羅蜜多智慧,不及一菩薩摩訶薩所得淨戒波羅蜜多智慧,乃至般若波羅蜜多亦復如是。又此三千大千世界所有眾生,皆具如是六種波羅蜜多智慧,不及一初地菩薩摩訶薩所得智慧,乃至十地菩薩摩訶薩所得智慧,展轉倍增亦復如是。又此十地菩薩所得智慧,比汝慈氏一生補處菩薩摩訶薩所得智慧,百千分中不及其一。」
仏が慈氏菩薩摩訶薩に告げられた。「善男子よ、あなたは仏の智慧をよく観察しなさい。これからあなたのために説き明かそう。
たとえば、舎利弗は声聞の中で智慧第一とされる。この閻浮提(贍部洲)は北が広く南が狭く、馬車の車箱のような形をしており、周囲は七千ヨージャナである。東の勝身洲は半月の形で、周囲は八千ヨージャナ。西の牛貨洲は満月の形で、周囲は九千ヨージャナ。北の倶盧洲は方形で、周囲は一万ヨージャナである。また、須弥山王は四角形で、水中に八万ヨージャナ没し、四種の宝から成り、水面より上にも八万ヨージャナあり、周囲の四方それぞれに八万ヨージャナの広がりがある。その外側には七重の金山が巡らされ、さらにその外には八つの海があり、最も外側には大鉄囲山がある。
このように、四つの大陸と諸々の山王を紙とし、八つの大海の水を墨とし、すべての草木を筆とし、すべての人間と天人が一劫の間書き続けたとしても、舎利弗が得た智慧の十六分の一にも及ばない。
さらに、この三千大千世界に存在するすべての衆生の智慧を合わせても、舎利弗の智慧と異なるところはない。しかし、菩薩摩訶薩が布施波羅蜜多を完全に理解して得る智慧は、それを百倍も超えている。また、この三千大千世界のすべての衆生が布施波羅蜜多の智慧を備えていても、一人の菩薩摩訶薩が得る浄戒波羅蜜多の智慧には及ばない。般若波羅蜜多についても同様である。
さらに、この三千大千世界のすべての衆生が、この六つの波羅蜜多の智慧をすべて備えていても、一地の菩薩摩訶薩が得る智慧には及ばない。十地の菩薩摩訶薩が得る智慧は、その十倍、百倍と増していく。
また、この十地の菩薩が得る智慧も、あなた(慈氏)のような一生補処の菩薩摩訶薩が得る智慧の百千分の一にも及ばないのである。」
時慈氏菩薩聞佛語已,而作是念:「今者如來在大眾中作是稱讚,深生悚慄。」
彌勒菩薩は仏のこの言葉を聞いて、こう考えました。「今、如来が大衆の中でこのような称賛を述べられるとは、なんと身が引き締まる思いがする。」
爾時佛薄伽梵告慈氏菩薩摩訶薩言:「善男子!汝今諦聽。於此三千大千世界,一切眾生所有智慧,皆如慈氏等無有異。如是等菩薩摩訶薩,詣菩提樹坐於道場,降伏魔怨將成正覺,所有智慧,於佛如來所得智慧,百千萬分不及其一。慈氏!當知如來智慧,甚深無量不可思議,亦非譬喻之所校量。若菩薩摩訶薩聞是諸佛甚深智慧,不驚不怖不畏者,應加精進成就波羅蜜多。懈怠之人,世間小善尚不成就,況於如來大智彼岸,而能廣度一切眾生。
その時、仏、世尊は慈氏菩薩摩訶薩に告げられた。「善き男子よ、あなたは今、よく聞きなさい。この三千大千世界において、すべての衆生が持つ知恵は、皆、あなた(慈氏)と同等で、何ら異なるところはない。そのような菩薩摩訶薩たちが、菩提樹の下の道場に赴き、悪魔の怨みを降伏して、まさに正覚を成就しようとする時のすべての知恵も、如来の得た知恵に比べれば、百千万分の一にも及ばない。慈氏よ、知るがよい。如来の知恵は、はかりしれず、無量で、思い議ることができず、たとえ話で比較できるものではない。もし菩薩摩訶薩が、これらの諸仏の深い知恵を聞いても、驚かず、恐れず、怖れないならば、さらに精進して波羅蜜多を成就すべきである。怠る者は、世間の小さな善さえも成就できない。ましてや如来の大いなる知恵の彼岸において、すべての衆生を広く救うことなど、できようはずがない。」
「復次,慈氏!有三種精進。云何為三?一者聞此甚深如來廣大智慧心不傾動,二者能隨過去諸菩薩摩訶薩大悲之行,三者所行之行設逢苦難心不退轉。又以精進力,觀察一切世出世間、情非情境皆悉是空。以觀如是勝義空故,無一眾生有相可得。雖知無相,而為眾生於無數劫修諸苦行不辭勞倦,常以四攝——布施、愛語、利行、同事——攝取有情,教以三乘令得解脫,次復安置於最上乘得不退轉,一切行願皆悉成就。具足圓滿精進波羅蜜多,諸佛如來與受記別,近無等等無上菩提,猶如白月十四日夜漸向圓滿。菩薩亦爾,於佛菩提漸向圓滿得無功用,自然獲得十種勝事。云何為十?一者諸佛正法不由聽習而悉現前,能為有情宣說妙法。二者不思議力自然能發堅固誓願,能令一切眾生發菩提心。三者而得自在身口意業,隨願現生一切無礙。四者能現種種神通變化,隨心自在無所障礙。五者能作希奇未曾有事,皆得自在。六者受生自在,於五趣中隨機利益而能生彼。七者寶藏隨生賙給無盡。八者常為心師、不師於心,無有卒暴如調伏象。九者自然覺悟生死涅槃二皆平等,不由師訓。十者得無上智利樂有情,方生死中拔濟令出,置於三乘涅槃正路,究竟無上正等菩提。
「また慈氏よ、三種の精進があります。どの三つでしょうか。第一に、この甚深なる如来の広大な智慧を聞いても心が動かないことです。第二に、過去の諸菩薩摩訶薩の大悲の行いに従うことができることです。第三に、行じている行に仮に苦難に遭っても心が退転しないことです。また精進の力によって、すべての世間・出世間、有情・非情の境はみな空であると観察します。このような勝義の空を観ずるがゆえに、一人の衆生も有相として捉えられるものはありません。無相であると知りながらも、衆生のために無数の劫にわたって諸々の苦行を修し、労苦を厭わず、常に四摂——布施・愛語・利行・同事——によって有情を摂取し、三乗を教えて解脱を得させ、次いでまた最上乗に安置して不退転を得させ、一切の行願をみな成就させます。精進波羅蜜多を具足円満し、諸仏如来から授記を受け、無等等の無上菩提に近づくことは、ちょうど白月の十四日の夜がしだいに満月に近づくようなものです。菩薩もまたそのように、仏の菩提にしだいに近づいて満ち、無功用を得て、自然に十種の勝れた事柄を得ます。どの十種でしょうか。第一に、諸仏の正法が聞き学ぶことによらずしてすべて現前し、有情のために妙法を宣説できることです。第二に、不思議な力によって自然に堅固な誓願を発し、一切の衆生に菩提心を起こさせることができることです。第三に、自在な身・口・意の業を得て、願いに随って生を現じ、すべてに妨げがないことです。第四に、種々の神通変化を現じ、心のままに自在で障害がないことです。第五に、希奇で未曾有の事をなすことができ、すべて自在を得ることです。第六に、受生が自在で、五趣の中で機に随って利益し、その處に生まれることができることです。第七に、宝蔵が生に随って与えられ、施し尽くすことがないことです。第八に、常に心の師であり、心を師とせず、卒暴なことがなく、調伏された象のようであることです。第九に、生死と涅槃の二つがみな平等であると自然に覚悟し、師の教えによらないことです。第十に、無上の智を得て有情を利楽し、生死の中で抜済して出させ、三乗の涅槃の正路に安置し、究竟の無上正等菩提に至らせることです。」
「復次,精進之人,於生死中說諸過患,顯大涅槃無量功德,大悲般若常所輔翼,由斯不住生死涅槃,利樂有情窮未來際,是即精進波羅蜜多。復次,精進之人,聽聞正法總持自在,以精進力身無疾病,一切怨害慈心相向,微那夜迦作障礙者無所能為,菩薩言教悉皆承順。復次,精進之人,一切諸天恭敬愛念,危難之中一切善神之所擁護。復次,精進之人,小有所施而能圓滿檀波羅蜜多。復次,精進之人,護持淨戒不為懶惰之所攝受,速能圓滿淨戒波羅蜜多。復次,精進之人,善能安忍,怨親平等無有二心,速能圓滿安忍波羅蜜多。復次,精進之人,勇猛不退被精進甲,大慈大悲恒不捨離,速能圓滿精進波羅蜜多。復次,精進之人,勤修靜慮,於三摩地安住不動,速能圓滿禪波羅蜜多。復次,精進之人,多聞智慧,諷誦無倦而無懈息,速能圓滿般若波羅蜜多。然此般若波羅蜜多甚深大海,一切聲聞、獨覺及諸菩薩,無有方便而能測量,唯有精進波羅蜜多而能究盡。復次,精進之人,日夜增長無量功德,如青蓮花生淤泥中,日夜增長漸舒出水,其花開敷香氣芬馥。見者咸悅,取以作鬘置佛頂上。若天魔梵、國王大臣、長者居士,一切人民皆悉愛樂。精進之人亦復如是,於彼生死淤泥之中,生菩提芽、出二乘執,開真實相,顯示涅槃,種智敷榮香氣芬馥,遍十方界利益人天,如青蓮花人皆愛樂。是則名為精進波羅蜜多。
さらに、精進する人は、生死の世界における様々な過ちや苦しみを説き、大涅槃の計り知れない功徳を明らかにします。大いなる慈悲と智慧(般若)が常に支えとなり、それによって生死にも涅槃にも執着せず、限りない未来にわたって生きとし生けるものを利益し楽しませます。これこそが精進波羅蜜多です。
さらに、精進する人は、正しい教えを聞いて、それを自在に把握し保ちます。精進の力によって身体に病気がなく、すべての怨恨に対して慈悲の心で向かい合い、障害をもたらす魔物(微那夜迦)でさえも何もできず、菩薩の教えにすべて従い受け入れます。
さらに、精進する人は、すべての天人が敬い愛し、危難の中ではすべての善神が守護します。
さらに、精進する人は、わずかな施しであっても、それによって檀波羅蜜多(布施の完成)を円満にすることができます。
さらに、精進する人は、清らかな戒めを守り、怠惰にとらわれることなく、速やかに浄戒波羅蜜多(持戒の完成)を円満にします。
さらに、精進する人は、よく忍耐し、怨みも親しみも平等に扱い、二つの心を持つことがなく、速やかに安忍波羅蜜多(忍辱の完成)を円満にします。
さらに、精進する人は、勇猛果敢に退かず、精進の鎧を身にまとい、大いなる慈しみと悲しみを決して捨てず、速やかに精進波羅蜜多(精進の完成)を円満にします。
さらに、精進する人は、静かに瞑想を修行し、三昧(サマーディ)に安住して動じることがなく、速やかに禅波羅蜜多(禅定の完成)を円満にします。
さらに、精進する人は、多くのことを聞き、智慧があり、経典を読み暗誦することに倦むことなく、怠ることがないため、速やかに般若波羅蜜多(智慧の完成)を円満にします。しかしながら、この般若波羅蜜多という広大深遠な海は、すべての声聞や独覚、そして菩薩たちでさえも、それを計り測る方便を持ちません。ただ、精進波羅蜜多だけが、その極みにまで達することができるのです。
さらに、精進する人は、昼夜を問わず無量の功徳を成長させます。それはあたかも青蓮華が泥の中に生まれながら、昼夜に成長して次第に水の上に伸び出し、その花が開いて香りが芳しく漂うようなものです。見る者は皆喜び、それを摘んで花輪として仏の頭上に置きます。天や魔、梵天、国王、大臣、長者、居士、あらゆる人々が皆、愛し楽しむのです。
精進する人もまた、これと同じです。あの生死の泥の中にあって、菩提という芽を生じ、声聞や独覚の執着から抜け出し、真実の姿を開き、涅槃を顕し、一切種智(全てを悟る智慧)を花開かせて、その香りを芳しく十方の世界に満たし、人天を利益します。あたかも青蓮華を人々が皆愛し楽しむように。
これを精進波羅蜜多と名づけます。
「復次,懈怠之人猶如舂杵,有二種事:一者不能自使,日益損壞。二者不能自立,棄地即臥。漸不堪用,以火焚之。懶惰之人亦復如是,一者不自策使,色力日減,二者不能勤理家業,常臥睡眠。身壞命終,地獄火中焚燒受苦。精進之人如如意樹,在於生死曠野之中,與諸有情作歸依處,飢渴之者為作飲食,裸露之者而作衣服,乃至能度生死險難,盡此形壽無所乏少,令一切眾生安隱快樂,以精進力速能成就阿耨多羅三藐三菩提。」
また、怠ける人は、まるで杵(きね)のようなものです。杵には二つのことがあります。一つは、自分自身をうまく使えず、日に日にすり減ってしまうこと。もう一つは、自分で立つことができず、地面に捨てられればすぐに横たわり、やがて使い物にならなくなって火で焼かれてしまうことです。怠惰な人も全く同じです。一つには、自分自身を励まし動かすことができず、体力や気力が日ごとに衰えていきます。二つには、家の仕事を勤勉に営むことができず、いつも眠ってばかりいます。そして、身体が壊れて命が終わると、地獄の火の中で焼かれて苦しみを受けます。
一方、精進する人は、如意樹(にょいじゅ)のようなものです。生死の荒野の中にあって、すべての生きとし生けるもののよりどころとなり、飢え渇いた者には飲み物や食べ物を与え、裸の者には衣服を与え、さらには生死の危難を渡らせ、この命のある限り、何一つ欠けることなく、すべての生きとし生けるものを安らかで幸せにします。そして、この精進の力によって、速やかに無上正等覚(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就することができるのです。
時薄伽梵說此精進波羅蜜多時,會中七十八俱胝那庾多若人若天,皆發阿耨多羅三藐三菩提心。三萬二千菩薩摩訶薩,皆得無生法忍至不退轉。
尊き仏がこの精進波羅蜜多を説かれた時、その法会に集まる七十八々俱胝那由多の人間や天の人々は、皆、無上の正しい悟りを求める心を起こしました。また、三万二千の大菩薩たちは、すべての現象が生じることも滅することもないという智慧を得て、退転しない境地に達しました。
佛告慈氏:「此即名為精進波羅蜜多。」
仏が慈氏に告げられた。「これを、まさに精進波羅蜜多と名づける。」
大乘理趣六波羅蜜多經卷第七
大乗理趣六波羅蜜多経 巻第七