四事品第三
第三品「四つの事柄」
「菩薩有四事法疾逮得三昧。何等為四?一者、所信無有能壞者,二者、精進無有能逮者,三者、所入智慧無有能及者,四者、常與善師從事;是為四。
菩薩が速やかに三昧を得るための四つの方法があります。どのような四つかというと、第一に、その信心は誰にも破壊できないこと、第二に、その精進は誰にも及ばないこと、第三に、その智慧は誰にも追いつけないこと、第四に、常に善き師と共に修行することです。これが四つの方法です。
「菩薩復有四事疾得是三昧。何等為四?一者、不得有世間思想,如指相彈頃三月;二者、不得臥出三月,如指相彈頃;三者、經行不得休息、不得坐三月,除其飯食左右;四者、為人說經不得望人衣服、飲食;是為四。
菩薩がこの三昧を速やかに得るためには、四つの条件があります。どのような四つかというと、第一に、指を弾くほんのわずかな間でも、三ヶ月の間、世俗的な考えを持ってはなりません。第二に、指を弾くほんのわずかな間でも、三ヶ月の間、横になって眠ってはなりません。第三に、食事の時間を除いて、三ヶ月の間、座ったり休んだりせずに、歩き続けなければなりません。第四に、人に経典を説くときに、衣服や食べ物などの報酬を期待してはなりません。これが四つの条件です。
「菩薩復有四事疾得是三昧。何等為四?一者、合會人至佛所,二者、合會人使聽經,三者、不嫉妬,四者、教人學佛道;是為四。
菩薩には、この三昧を速やかに得るための四つの行いがあります。その四つとは何でしょうか。第一に、人々を集めて仏のもとへ連れて行くこと。第二に、人々を集めて経を聞かせること。第三に、嫉妬しないこと。第四に、人々に仏道を学ぶよう教えることです。これが四つです。
「菩薩復有四事疾得是三昧。何等為四?一者、作佛形像、若作畫,用是三昧故;二者、用是三昧故,持好疋素令人寫是三昧;三者、教自貢高人內佛道中;四者、常護佛法;是為四。」
菩薩には、この三昧を速やかに得るための四つの方法があります。その四つとは何でしょうか?
第一に、この三昧の功徳によって仏の像を造り、あるいは描くこと。 第二に、この三昧の功徳によって、上質の布を用いて人にこの三昧の経典を写経させること。 第三に、高慢な心を持つ人々を教え導き、仏道に入らせること。 第四に、常に仏法を護り守ること。
これが四つの方法です。
時佛說偈而歎曰:「常當樂信於佛法,誦經念空莫中止,精進除睡臥,三月莫得懈。
時に仏は偈を説いて、次のように賛嘆された。 「常に仏法を信じ喜び、 経典を誦し、空を念じて休むことなかれ。 精進して眠りを除き、 三か月の間、怠ってはならない。」
「坐說經時安諦受學極當廣遠,若有供養、饋遺者莫得喜,無所貪慕得經疾。佛者,色如金光,身有三十二相,一相有百福功德,端政如天金成作。過去佛、當來佛悉豫自歸、今現在佛皆於人中最尊,常念供養。當供養於佛,花香、擣香、飯食具足;當持善意,用是故三昧離不遠;持常鼓樂、倡伎樂於佛心,常當娛樂。
仏が経典を説いている時は、心静かに受け入れ、学びを深く広く行いなさい。 たとえ供養や贈り物があっても喜んではならず、貪りや執着がなければ、経典の教えを速やかに得ることができる。 仏は、黄金のような光を放ち、その身には三十二の相を備え、その一つ一つの相には百の福徳がある。 その姿は端正で、天の黄金で作られたかのようである。 過去の仏も、未来の仏も、皆すでに自然に帰依し、現在の仏もすべて人々の中で最も尊い。 常に供養する心を忘れてはならない。 仏には、花、香、粉末の香、食事を十分に備えて供養し、善意を持って捧げなさい。 そうすれば、この三昧から遠く離れることはない。 常に楽器を奏で、歌や舞で仏を楽しませ、心は常に仏の教えを喜び楽しみなさい。
「為求是三昧者當作佛像,種種具足、種種姝好,面目如金光。求是三昧者,所施常當自樂與,持戒當清潔高行,棄捐懈怠,疾得是三昧不久。瞋恚不生,常行於慈心、常行悲哀、等心無所憎惡,今得是三昧不久。極慈於善師,視當如佛,瞋、恚、嫉、貪不得有,於經中施不得貪。如是教當堅持,諸經法悉當隨是入,是為諸佛之道徑。如是行者,今得三昧不久。」
この三昧を得ようと望む者は、仏像を造るべきである。その像は、あらゆる特徴を備え、見事に美しく、顔は金色に輝くようにせよ。この三昧を求める者は、施しを行う時には常に自ら喜んで与え、戒律を守る時には清らかで高潔な行いを保ち、怠りを捨て去れば、まもなくこの三昧を得るだろう。怒りを起こさず、常に慈しみの心で行動し、常に憐れみと平等の心を持ち、誰に対しても憎しみを抱かなければ、やがてこの三昧を得る。善き師を深く敬い、仏のように見なしなさい。怒り、憎しみ、嫉妬、貪りを持ってはならない。経典を施す時にも貪りを抱いてはならない。この教えを堅く守り、すべての教え(経法)はこれに従って入るべきであり、これこそが諸仏の道の要諦である。このように修行する者は、まもなくこの三昧を得るだろう。
佛告颰陀和:「如是等菩薩當慈心常樂於善師所,視師當如佛,悉具足承事。欲書是三昧經時、若欲學時,菩薩敬師如是。颰陀和!菩薩於善師有瞋恚、有持善師短、視善師不如佛者,得三昧難。譬如,颰陀和!菩薩明眼人夜半視星宿,見星其眾多。如是,颰陀和!菩薩持佛威神於三昧中立,東向視見若干百佛、若干千佛、若干萬佛、若干億佛;如是十方等悉見諸佛。」
仏が跋陀和に告げられた。「このような菩薩たちは、慈しみの心を持ちながら、常に善き師のもとを喜び、師を仏のように敬い、一切を尽くして仕えるべきである。この三昧経を書写しようとする時や、学ぼうとする時も、菩薩はこのように師を敬うのだ。跋陀和よ、もし菩薩が善き師に対して怒りを抱いたり、師の欠点を捉えたり、師を仏のように尊ばないならば、三昧を得ることは難しい。例えば、跋陀和よ、目の明るい人が夜半に星々を見渡せば、その星々の多さを見るだろう。それと同じように、跋陀和よ、菩薩は仏の威神力によって三昧の中に立ち、東の方角を向けば、数百の仏、数千の仏、数万の仏、数十億の仏を見る。このようにして、十方のあらゆる仏を等しく見るのである。」
佛告颰陀和:「是菩薩如佛眼悉知悉見。如是,颰陀和!是菩薩欲得今現在諸佛悉在前立三昧,布施、當具足持戒,如是忍辱、精進、一心、智慧、度脫智慧,身悉具足。」
仏は婆陀和に告げられた。「この菩薩は仏の眼のごとく、すべてを知り、すべてを見る。婆陀和よ、この菩薩が今現在、諸仏が目の前に立つ三昧を得ようと欲するならば、布施を行い、戒律を十分に保ち、同様に忍辱、精進、一心、智慧、そして智慧による解脱を身に完全に具えねばならない。」
時佛歎曰:「如淨眼人夜半上向視星宿不可計,晝日思念悉見。菩薩如是逮得三昧者,見不可復計百千佛,從三昧中覺以悉念見,自恣為諸弟子說。」
この時、仏は賛嘆して言われました。 「例えば、目の清らかな人が夜半に星空を見上げて、数えきれない星々をはっきりと見、昼間もまたそれを思い浮かべて全てをありありと見渡すことができるように、菩薩もまたこの三昧(さんまい)を成就した者は、数えきれないほどの百千の仏を目の当たりにすることができる。その三昧から覚めた後も、それらすべての仏をありありと思い浮かべ、思いのままに弟子たちのために説き示すことができるのである。」
佛言:「如我眼清淨,常見於世間,菩薩如是得三昧,以見不可復計佛,見佛不視身相,但視十種力。不如世間人有貪,消滅諸毒以,清淨不復想,菩薩逮功德如是。聞是經,遵是經如泥洹;聞是法空空,無有恐怖。我當作是說經,用眾人民故皆令得佛道。」
仏は言われた。「私の眼が清らかで、常に世の中を見渡しているように、菩薩もこのように三昧を得て、数えきれないほどの仏を見ることができる。しかし仏を見るにあたって、その身体の相に執着せず、ただ仏の十の力のみを観じる。世の人が貪りの心を持つこととは違い、あらゆる毒を滅ぼし、清らかになって、もはや妄想を抱かない。菩薩もこのように功徳を成就する。この経典を聞き、この教えに従うことは、涅槃に至ることと同じである。この教えを聞いて、そこに空(くう)の本質を見るとき、一切の恐怖はなくなる。私はこの経典を説くべきである。それはすべての人々のために、彼らをして仏道を成就せしめるがためである。」
佛言:「如我比丘阿難黠慧,聞經即受持,菩薩如是逮得是三昧以,聞不可計經卷悉受持。」
仏は言われた。「私の弟子である比丘アーナンダは聡明で智慧があり、教えを聞くとすぐに記憶して保つ。菩薩もまたこのようにしてこの三昧を得るならば、数えきれないほどの経典の教えを聞いて、すべてを記憶し保持するのである。」
佛言:「如阿彌陀佛剎諸菩薩,常見不可計佛。如是,菩薩得三昧以,常見不可計佛,所信常有哀心,譬如渴者欲得飲。常有極大慈、棄捐世俗事、常樂持經施,用是故清淨,得三昧不久。」
仏がおっしゃいました。「阿弥陀仏の浄土における菩薩たちは、数えきれないほどの仏を常に見ることができる。同様に、菩薩がこの三昧を得れば、数えきれないほどの仏を常に見ることができるようになる。その信心には常に哀れみの心があり、それはまるで渇いた人が水を欲しがるかのようである。常に計り知れない慈悲の心を持ち、世俗のことを捨て去り、常に経典を施すことを喜びとする。そのために清らかとなり、やがて三昧を得るのに時間はかからない。」