ご支援淨心禪堂すべての経典
メインコンテンツにスキップ
  1. 般舟三昧経 (般舟三昧經)
  2. 第一 (第一)
  3. 4 譬喻品 (4 譬喻品)
←と→
矢印キーでページをめくれます

般舟三昧経 (般舟三昧經)


譬喻品第四

第四 譬喩品

佛告颰陀和:「菩薩慈求三昧者,得是三昧已,不精進行者,譬如,颰陀和!有人載滿舡珍寶欲持度大海,未至舡中道壞,閻浮利人皆大悲念:『亡我爾所珍寶。』如是,颰陀和!是菩薩聞是三昧已,不書、不學、不誦、不持如中法,一切諸天人民皆為大悲憂,言:『乃亡我爾所經寶。』用失是深三昧故。」

仏が跋陀和に告げられた。「菩薩が慈しみをもってこの三昧を求め、その三昧を得た後にも、修行を怠る者がいるならば、例えば、跋陀和よ、ある人が船いっぱいに宝を積んで大海を渡ろうとしたが、目的地に着く前に船が途中で壊れてしまい、閻浮提の人々が皆、大いに悲しんで『私たちのあれほどの宝が失われた』と嘆くようなものである。まさしく、跋陀和よ、この菩薩がこの三昧を聞きながらも、それを書き写さず、学ばず、誦せず、その教えの通りに保たないならば、全ての天や人々が皆、大いに悲しみ憂えて『私たちのあれほどの経典の宝が失われた』と言うであろう。それはこの深い三昧を失うからである。」

佛言:「是三昧經者,是佛所囑、佛所稱譽。聞是深三昧經者,不書、不學、不誦、不守、不持如法者,反復愚癡。自用以為高耶?不受是經,意欲高才反不肯學是三昧。譬如,颰陀和!愚癡之子,有人與滿手栴檀香,不肯受之,反謂與之不淨栴檀香。其貨主語其人言:『此栴檀香,卿莫謂不淨乎。且取嗅之知香不?試視之知淨不?』癡人閉目不視、不肯嗅。」

仏はこうお説きになった。「この三昧の経典は、仏が託し、仏が称賛したものである。この深い三昧の経典を聞いても、書き写さず、学ばず、唱えず、守らず、教えの通りに修行しない者は、愚かさを繰り返す。自惚れて高ぶっているのだろうか。この経典を受け入れず、自らの才能を誇りたいと思いながら、この三昧を学ぼうとしない。例えば、バドラパーラよ、愚かな男がいる。ある人が両手一杯の栴檀(せんだん)の香を差し出しても、それを受け取ろうとせず、むしろ『これは不浄な栴檀の香だ』と言い返した。その香の商人はその男に言った。『この栴檀の香を、あなたは不浄だと思ってはならない。まず取って嗅いでみよ、香りがしないか? よく見てみよ、清らかではないと分かるか?』愚か者は目を閉じて見ようとせず、嗅ごうともしなかった。」

佛言:「其聞是三昧者,如是不肯受之反棄捨去,是為不持戒人;反捨是珍寶經,是為愚癡無智。自用得禪具足為度,反呼世間為有,不入空、不知無。其人聞是三昧已,不樂、不信、不入中,反作輕戲語:『佛亦有深經乎?亦有威神乎?』反形言:『世間亦有比丘如阿難乎?』」

釈尊はおっしゃった。 「この三昧について聞いても、そのように受け入れず、かえって捨て去ってしまう者は、戒律を守らない者である。宝の経典を捨てるとは、愚かで智慧のない者である。自らの修行で禅定を満たし、それで悟りを得たと思い込み、かえってこの世を実在するものと見なし、空の教えに入らず、無を知らない。そのような者がこの三昧を聞いても、喜ばず、信じず、その本質に入ることができず、かえって軽んじて『仏陀にも深い経典があるのか? 仏陀にも威神力があるのか?』と嘲笑い、『この世にアーナンダのような比丘がいるのか?』とさえ言うのである。」

佛言:「其人從持是三昧者,所去兩兩三三相與語云:『是語是何等說乎?是何從所得是語乎?是為自合會作是語耳,是經非佛所說。』」

仏がおっしゃった。

「その人がこの三昧(さんまい)を保つ者に出会うと、二人、三人と集まって語り合うのだ。『これは何を言っているのか? この言葉はどこから得たものなのか? これは自分たちででっち上げた言葉に過ぎず、この経典は仏が説かれたものではない』と。」

佛告颰陀和:「譬如賈客持摩尼珠示田家癡子,其人問賈客:『評此幾錢?』賈客答言:『夜半時於冥處持是摩尼珠著冥中,其明所照至,直滿其中寶。』」

仏はバドラに告げられた。「例えば、ある商人が摩尼宝珠を田舎の愚かな者に見せたとしよう。その者が商人に尋ねた。『これはいくらほどの値打ちがあるのか?』商人は答えた。『真夜中の暗闇の中でこの宝珠をかざせば、その光はあらゆる所を照らし、その中の宝は満ち溢れるのだ。』」

佛言:「其人殊不曉其價,反形是摩尼珠言:『其價能與一頭牛等不?寧可貿一頭牛。』想是不復過,此與我者善、不肯者已。如是,颰陀和!其人聞是三昧不信者,反形是經如是。」

仏陀は言われた。「その者は、その価値を全く理解せず、かえってこの摩尼珠を軽んじて言う。『その値打ちは牛一頭分と同等か?ならば牛一頭と交換した方がいい。』と思い、それ以上ではないと考える。私に与えるのは良いが、与えないならそれでよい。そのように、颰陀和よ。この三昧を聞いても信じない者は、かえってこの経典を軽んじるのである。」

佛言:「如菩薩持是三昧,受信者便隨行,四面皆擁護無所畏,持禁戒完具,為得高明黠慧,深入為他人說之。菩薩當持是三昧,分布語人展轉相傳,當令是三昧久在。」

仏は言われた。「菩薩がこの三昧を保ち、それを受けて信じる者は、その教えのままに行う。そうすれば、四方から守られ、恐れることはない。戒律を完全に保ち、優れた智慧を得て、深く理解し、その教えを他人に説くことができる。菩薩はこの三昧を保ち、人々に伝え広め、互いに伝え合うようにしなさい。この三昧が長く世に残るようにしなさい。」

佛言:「癡人自於前世佛所不供養、不作功德,反自貢高,多行誹謗、嫉妬。用財利故,但欲求名、但欲嘩說,不得善師、亦不明經。聞是三昧已,不信、不樂、不入中,反誹謗人言:『是彼不知愧,為自作是經耳,是經非佛所說。』」

仏陀は言われた。「愚かな者は、前世の仏のもとで供養せず、功徳も積まず、かえって傲慢になり、多くの誹謗や嫉妬を行ってきた。財利のために、ただ名声を求め、ただ言葉巧みに語ろうとするだけで、善き師に出会えず、経典の意味も明らかにしない。この三昧を聞いても、信じず、喜ばず、心に入れようとせず、かえって人を誹謗して言う。『あの者は恥を知らず、自分でこの経を作ったのだ。この経は仏の説かれたものではない』と。」

佛告颰陀和:「今我具語汝,如是,颰陀和!求菩薩道者——若善男子、善女人——持是三千國土滿其中珍寶施與佛,設有是功德,不如聞是三昧。若有菩薩聞是三昧信樂者,其福轉倍多。」

仏、颰陀和に告げたまわく「今、我、汝に具に語る。是の如く、颰陀和よ!菩薩の道を求める者――もし善き男子、善き女人――が、この三千の国土に珍宝を満たして仏に施し、その功徳があるとも、この三昧を聞くには及ばない。もし菩薩がいて、この三昧を聞いて信仰し喜ぶなら、その福はさらに倍増するであろう。」

時佛歎曰:「是三千國土,滿其中珍寶施於佛,持用求佛。復有異人——持是三昧者——是佛所稱譽,聞信者其福倍多。」

その時、仏は嘆じて言われた。 「この三千の国土に宝を満たして仏に施し、それをもって仏道を求めようとする人がいる。 それとは別に、この三昧を受持する人がいるならば、その人は仏が称賛するところである。 そして、これを聞いて信じる者の功徳は、さらにその何倍にも勝るのである。」

佛言:「是迷惑自貢高人、不信者及與惡知識從事,聞是經不信、不樂,是為於我經中怨家無異。是不持戒人在自大中,其餘人展轉聞其言信隨之,此為壞佛法。其人相告言:『是經為非佛所說。』直作是誹謗。」

仏は言われた。「これらの人々は、迷いにおり、慢心が高く、他人を軽んじ、仏の教えを信じず、悪友と交わっている。彼らはこの経典を聞いても信じず、喜ばない。これは、私の教えの中において、怨み敵となんら変わることがない。このような戒律を保たない者たちは、高ぶった心の中で、『この経典は仏の教えではない』と語り、他の者たちがその言葉を聞き及んで信じて従うことで、仏の教えを壊してしまうのだ。彼らは互いに語り合って、『この経典は仏の説かれたものではない』と言い、ただそのように誹謗するのである。」

佛言:「有信是三昧者,其人宿命曾見過去佛,已用是故,我為是信者說是三昧耳。是輩之人常護佛法,聞是經信樂者當作是知,離佛不遠。若持戒堅者常正心恭敬於經,我用是故,為是人說耳。」

仏陀は言われた。「この三昧を信じる者は、過去世において過去の仏に会ったことがある。その故に、私はその信じる者のために、この三昧を説くのである。このような人々は常に仏法を護り、この経を聞いて信じ喜ぶならば、その人は仏から遠くないと知るべきである。戒律を堅く守り、常に正しい心をもって経典を敬う者には、その故に、私はその人のために説くのである。」

佛告跋陀和:「我所說無有異爾,故說是語耳。今見我說是三昧者,其人却後世時,聞是三昧終不疑、不形笑、不言不信,除在惡師邊。正使在善師邊,其功德薄少,如是輩人復轉與惡師從事,是輩人者聞是三昧,不信、不樂、不入中。何以故?其人未久學,所更佛少所信,智慧少故不信耳。」

仏は跋陀和に告げられた。「私の説くことに異なることはない。それゆえに、この言葉を説くのである。今、私がこの三昧を説くのを見る者たちは、後の世において、この三昧を聞いても決して疑わず、嘲笑せず、信じないとは言わないだろう。ただし、悪しき師のそばにいる者は別である。たとえ善き師のそばにいても、その功徳が薄く少ないならば、そうした人々はさらに悪しき師と交わるようになる。このような人々は、この三昧を聞いても信じず、喜ばず、その中に入ることがない。なぜなら、その人々は久しく学んでおらず、出会った仏も少なく、信じる心も薄く、智慧も少ないからである。」

佛告颰陀和:「其有菩薩聞是三昧,不形笑、不誹謗者,歡喜不中疑、不言乍信乍不信,樂書、樂學、樂誦、樂持。」

仏が跋陀和に告げられた。 「この三昧の教えを聞いて、笑ったり、非難したりせず、心から喜び、疑いを持たず、信じたり信じなかったりしない人は、喜んで書き写し、学び、唱え、身につけようとする。」

佛言:「我悉豫知豫見已,其人不獨於一佛所作功德,不於二、若三、若十,悉於百佛所聞是三昧。却後世時聞是三昧者,書、學、誦持經卷,最後守一日一夜,其福不可計,自致阿惟越致,所願者得。」

仏がおっしゃった。 「わたしはすべてをあらかじめ知り、あらかじめ見ている。 ある人が、ただ一つの仏のもとだけで功徳を積んだのではなく、二つ、三つ、あるいは十の仏のもとでもなく、百の仏のもとでこの三昧を聞いたのである。 後の世において、この三昧を聞き、経典を書き写し、学び、唱え、身に保ち、最後に一昼夜でも守り続けるなら、その福徳は計り知れない。 自ずから不退転の位に至り、願い求めるものを得るであろう。」

佛告颰陀和:「聽我說譬喻。譬如,颰陀和!有人取一佛剎悉破碎如塵,其人取此一塵悉復破盡如一佛剎塵,都盧悉取一一塵皆復塵碎盡如一佛剎塵。云何,颰陀和!是塵其數寧多不?」

仏陀は跋陀和に告げられた。「話をたとえで示そう。跋陀和よ、たとえば、ある人が一つの仏の世界を粉々に砕いて塵とし、その一つの塵をまたさらに細かく砕いて、一つの仏の世界の塵の数と同じにする。そうして、そのすべての塵をひとつひとつ取り出し、さらにまたそれぞれを粉々に砕いて、一つの仏の世界の塵の数と同じにする。さあ、跋陀和よ、この塵の数は多いだろうか?」

颰陀和言:「甚多甚多。天中天!」

跋陀和が言いました。「たくさん、本当にたくさんございます。天中の天よ!」

佛告颰陀和:「我為汝曹引此譬喻,若有一菩薩盡取是一塵置一佛剎,其數爾所佛剎滿其中珍寶悉持供養諸佛,不如聞是三昧。若復有一菩薩聞是三昧已,書、學、誦持、為他人說須臾間,是菩薩功德不可復計。」

仏はバドラに告げられた。「あなたがたのために、このたとえ話をしよう。もし一人の菩薩が、ひとつぶの塵をひとつの仏の世界に置き、その数だけの仏の世界を宝で満たし、それをすべての仏に捧げ供養したとしても、この三昧を聞くことには及ばない。さらに、もし一人の菩薩がこの三昧を聞いて、書き写し、学び、読み唱え、ほんの短い間でも他人に説いたならば、その菩薩の功徳は計り知れないのである。」

佛言:「持是三昧者,書、學、誦持、為他人說,其福乃爾,何況守是三昧悉具足者?」

仏は説かれた。「この三昧を受持し、書写し、学び、誦して保ち、他人のために説く者でも、その功徳はすでにこのようなものである。ましてや、この三昧を守って完全に具足する者は、なおさらのことである。」

佛爾時頌偈曰:

その時、仏は次のように偈を説かれた。

「三千大千之國土, 滿中珍寶用布施,
設使不聞是像經, 其功德福為薄少。
若有菩薩求眾德, 當講奉行是三昧,
疾悉諷誦此經法, 其功德福無有量。
如一佛國塵世界, 皆破壞碎以為塵,
彼諸佛土過是數, 滿中珍寶用布施;
其有受持是世尊, 四句之義為人說,
是三昧者諸佛慧, 得聞功德叵比喻。
何況有人自講說、 受持、諷誦念須臾,
轉加增進奉行者, 其功德福無有量。
假使一切皆為佛, 聖智清淨慧第一,
皆於億劫過其數, 講說一偈之功德,
至於泥洹讚詠福, 無數億劫悉歎誦,
不能盡究其功德, 於是三昧一偈事。
一切佛國所有地, 四方、四隅及上、下,
滿中珍寶以布施, 用供養佛天中天。
若有聞是三昧者, 得其福祐過於彼,
安諦、諷誦、講說者, 引譬功德不可喻。
其人貢高終不起, 亦無有趨惡道時,
解了深法不疑結, 行斯三昧德如是。
學士為以見奉吾, 德重精進普不著,
增益信明為菩薩, 力學三昧佛所讚。
屬累汝等常勸教, 力行精進無放逸,
自勖勇猛勤修行, 令得大道不復反。
其有誦受是三昧, 已為面見百千佛,
假使最後大恐懼, 持此三昧無所畏。
行是比丘以見我, 常為隨佛不遠離,
菩薩聞習三昧者, 義當受持為人說。
菩薩得是三昧者, 爾乃名曰博達慧,
為逮總持佛稱譽, 疾成佛道智如海。
常恒誦說是三昧, 當從佛法世尊教,
聞其種姓得等覺, 如佛所說無有異。」

三千世界に満ちる宝を施そうとも、 この経の名を聞かねば、その功徳はかえって少ない。

菩薩が功徳を求めるならば、 この三昧を説き、行じるべきである。 速やかにこの経法を誦し受持すれば、 その功徳は量り知れない。

一つの仏国土の塵の数ほどの世界を、 ことごとく砕いて微塵とし、 その塵の数の仏国土にも満ちる宝を施そうとも、 世尊の説かれたこの経の四句の義を受け持ち、人に説く者には及ばない。

この三昧は諸仏の智慧であり、 聞く功徳は比べるものがない。 ましてや自ら説き、受持し、一瞬でも誦し念じ、 さらに進んで実践する者の功徳は、量り知れない。

たとえ一切の者が仏となり、 清らかな最高の智慧を得ても、 億劫にわたって、ある一つの偈の功徳を説き、 涅槃に至るまで、その功徳を称え讃えても、 数えきれない億劫かけて語り尽くそうとしても、 この三昧の一偈の功徳を究めることはできない。

すべての仏国土にある地、四方、四隅、上下に満ちる宝を施し、 天中の天たる仏に供養するよりも、 この三昧を聞く者の福徳は、はるかに勝っている。 それを静かに誦し、説く者の功徳は、たとえようもない。

その人は高ぶりも起こさず、 悪道に赴くこともない。 深い法を悟り、疑いも結びも解き放つ。 この三昧を行ずる功徳は、このとおりである。

学び求める者は、すでに私に会っている。 徳は重く、精進はあらゆる執着を離れ、 信心と智慧を増し、菩薩となる。 この三昧を努め行ずることは、仏の讚えるところである。

あなたがたに託す。常に教え勧め、 力を込めて精進し、怠ってはならない。 自ら励み、勇猛に修行し、 大いなる悟りを得て、再び退くことのないようにせよ。

この三昧を受持し誦する者は、 すでに百千の仏に直接会っている。 たとえ最後の大きな恐怖があっても、 この三昧を持てば恐れることがない。

この行いをする比丘は、私を見ている。 常に仏に従い、遠く離れない。 菩薩がこの三昧を聞き習うならば、 当然受持し、人に説くべきである。

菩薩がこの三昧を得るならば、 はじめて広く深い智慧を得たと言える。 総持を成就し、仏から称賛され、 速やかに仏道を成し、智慧は海の如し。

常にこの三昧を誦し説き、 仏法と世尊の教えに従うべし。 この教えを聞く者、種姓(仏性)を持つ者は、 皆等しく悟りを得る。仏の説かれた通りに、違いはない。

般舟三昧經卷上

般舟三昧経 巻上


3 四事品
5 無著品

CBETA コード: T0418

© AI 帮你读佛经 - 如是我闻

この文書は個人学習専用です。商業目的での使用は禁止されています。

訪問 rushiwowen.co

著作権:原文は CBETA
AI 翻訳は参考文献のみで、権威あるものではありません