般舟三昧經卷中
般舟三昧経 巻中
後漢月氏三藏支婁迦讖譯
後漢 月氏三蔵 支婁迦讖 訳
無著品第五
第五品 無著
佛告颰陀和:「是菩薩三昧當云何?譬如佛今於若前說經,菩薩當作是念:『諸佛悉在前立。』當具足念諸佛端正,悉欲逮見一一想;當想識無有能見諸佛頂上者,悉具足作是想見諸佛。當作是念:『我身亦當逮得如是、亦當逮得身想如是、亦當逮得持戒三昧如是。』當作是念:『我當從心得、從身得?』復更作念:『佛亦不用心得、亦不用身得;亦不用心得佛、亦不用色得佛。何以故?心者,佛無心;色者,佛無色。不用是心、色得阿耨多羅三藐三菩提。何以故?佛色以盡,佛痛痒、思想、生死、識了盡。佛所說盡者,愚癡不見、不知,智者曉了之。』作是念:『當持何等念得佛?當持身得佛、當持智慧得佛?』復作是念:『亦不用身得佛、亦不用智慧得佛。何以故?智慧索不能得,自復索我了不可得,亦無所得、亦無所見。一切法本無所有,念有因著,無有反言有亦著,是兩者亦不念,亦不復適得其中。但用是故,亦不在邊、亦不在中,亦不有、亦不無。何以故?諸法空。如是泥洹,亦不壞、亦不腐、亦不堅,亦不在是間、亦不在彼邊,無有想、不動搖。何等為不動搖?智者不計,是故不動搖。』如是,颰陀和!菩薩見佛,以菩薩心念無所著。何以故說無所有?經說無所有中,不著、壞本、絕本是為無所著。
仏は跋陀和に告げられた。「この菩薩の三昧とはどのようなものか。例えば、今、私があなたの前で経典を説いているように、菩薩はこう思うべきである。『諸仏が私の前に立っている。』と。諸仏の端正な姿を具に思い、一つ一つの相を見たいと願い、『諸仏の頂上を見ることのできる者はいない』と知り、そのように諸仏の相を思い描くべきである。そしてこう思うべきである。『我が身もまた、このようにして得るだろう。また、このような身の想いを得るだろう。また、このような戒を保つ三昧を得るだろう。』と。こう思うべきである。『私は心から得るのか、身から得るのか?』と。さらにこう思う。『仏は心によって得られるのでもなく、身によって得られるのでもない。心によって仏を得るのでもなく、色によって仏を得るのでもない。なぜか。心とは、仏には心がない。色とは、仏には色がない。この心と色によって阿耨多羅三藐三菩提を得るのではない。なぜか。仏の色は尽きている。仏の受・想・行・識もまた尽き尽きている。仏が『尽きた』と言うものは、愚か者は見えず知らないが、賢者は明らかに理解する。』と。こう思う。『何をもって思って仏を得るのか。身をもって仏を得るのか、智慧をもって仏を得るのか。』と。さらにこう思う。『身によって仏を得るのでもなく、智慧によって仏を得るのでもない。なぜか。智慧で求めても得られず、自分自身を求めても『我』は得られない。得るものもなく、見るものもない。一切の法は元々何もない。『有る』と念じれば執着が生じ、『無い』と言っても執着する。この二つも念じず、またちょうどその中を得ることもない。ただそれゆえに、辺にもなく、中にもなく、有るのでもなく、無いのでもない。なぜか。諸法は空だからである。このように涅槃もまた壊れることもなく、腐ることもなく、堅くもなく、ここにあるのでもなく、あの辺にあるのでもなく、想いもなく、動揺もない。何が動揺しないのか。賢者は計らない。故に動揺しない。』と。
このように、跋陀和よ。菩薩は仏を見る。菩薩の心は、何ものにも執着しない。なぜ『何もない』と説くのか。経典が『何もない』と説く中で、執着せず、根本を壊し、根本を断つこと。これこそが執着しないことである。」
「如是,颰陀和!是菩薩守是三昧,當作是見佛,不當著佛。何以故?設有所著為自燒。譬如大叚鐵著火中燒正赤,有智者不當以手持。何以故?燒人手。如是,颰陀和!菩薩見佛不當著,色、痛痒、思想、生死、識不當著。何以故?著者為燒身。見佛但當念其功德,當索摩訶衍。」
「このように、バドラパーラよ。菩薩がこの三昧を保つならば、このように仏を見るべきであって、仏に執着してはならない。なぜなら、もし執着すれば、自らを焼き尽くすことになるからだ。例えば、大きな鉄の塊が火の中にあって真っ赤に焼けている時、賢い者はそれを素手で触れてはならない。なぜなら、手が焼けてしまうからだ。同じように、バドラパーラよ。菩薩は仏を見ても、色(かたち)や感受(感覚)、思考、生死、認識に執着してはならない。なぜなら、執着することは身を焼くことになるからだ。仏を見たら、ただその功徳を思い、大乗(摩訶衍)を求めなさい。」
佛告颰陀和:「是菩薩於三昧中不當有所著,不著者疾得是三昧。」
仏は跋陀和に告げた。「この菩薩は三昧の中にあって、何かに執着してはいけません。執着しなければ、速やかにこの三昧を得ることができるのです。」
佛爾時頌偈言:
その時、仏は偈(げ)を唱えてこうおっしゃいました。
「如新磨鏡盛油器, 女人莊飾自照形,
於中起生婬欲心, 放逸恣態甚迷荒。
追不至誠虛捐法, 為色走使燒其身,
女人患害從是起。 用不解法非常空,
有想菩薩亦如是: 『我當成佛逮甘露,
度脫人民憂惱患。』 有人想故為不解。
求索人本不可得, 亦無生死及泥洹,
法不可擁如水月, 觀察佛道無歸趣。
黠慧菩薩當了是, 解知世間悉本無,
於諸人物無所著, 疾速於世得佛道。
諸佛從心解得道, 心者清淨明無垢,
五道鮮潔不受色, 有解是者成大道。
一切諸法無色漏, 離想者空無想空,
絕去婬欲則脫心, 有解此者得三昧。
精進奉行求佛道, 常聽諸法本清淨,
無得行求、無不求, 於是三昧不難得。
觀察所有如虛空, 道意寂然審第一,
無想、無作、亦無聞, 是為解了尊佛道。
見一切色不想念, 眼無所著、無往來,
常觀諸佛等如空, 已度世間諸所求。
其人清淨眼無垢, 奉行精進常寂然,
無量經法悉受持, 思惟分別是三昧。
行是三昧無所著, 除一切冥得定意,
不見世雄無賢聖, 諸外異道聞此惑。
超度思想當志求, 心以清淨得見佛,
覩諸佛已不復見, 爾乃解是尊三昧。
於地、水、火莫能礙, 風種虛空亦不蔽,
行是精進見十方, 坐遙聽受所化法。
如我於是講說經, 樂道法者面見佛,
作行懃力而不著, 唯從世尊所說法。
行者如是無所念, 專聽道義興法施,
常念解了是三昧, 普諦受誦佛所講。
過去諸佛皆論法, 當來世尊亦復然,
讚說宣布分別義, 皆共嘆講是三昧。
我亦如是為人尊, 在世無上眾生父,
皆悉解知此道眼, 故解說示寂三昧。
其有講受是三昧, 身常安隱意不荒,
是為諸佛無量德, 致尊佛道獲不難。
廣採眾經不可議, 欲達一切諸佛化,
速疾去欲諸垢塵, 精進行是淨三昧。
現世欲見無數佛, 樂從諸尊聽受法,
速疾去色除所著, 行是清淨寂三昧。
於是無貪及瞋恚, 捨離愚癡捐憎愛,
棄遠無黠除狐疑, 如是得解空三昧。」
「ちょうど新しく磨いた鏡や油を入れた器に、 女が身を飾って自分の姿を映すように、 そこに淫らの欲望が生じ、 放逸な様子は甚だしく迷い荒れる。 不誠実を追い求め、真実の法を虚しく損ない、 色に使われて身を焼く、 女の患いはこれによって起こる。 法が無常であり空であることを理解しないからだ。
「我は成仏し甘露を得て、 人民の憂いや苦しみを救済しよう」と、 想いを抱く菩薩もまた同じである。 「人」という想いがあるから、理解できないのだ。 人の本質を求めても得られず、 生死も涅槃も存在しない。 法は水に映る月のようにつかみどころがなく、 仏道に帰する場所はないと観察せよ。 賢明な菩薩はこれを了り、 世の中の全てが本来無いと知り、 人や物に執着せず、 速やかに世にあって仏道を得る。
諸仏は心から道を解き得た。 心は清らかで明るく汚れがなく、 五道は清らかで色を受けない。 これを解く者は大道を成す。 全ての諸法には色も漏れもなく、 想いを離れた者は空であり、想いのない空である。 淫欲を断ち切れば心は解脱し、 これを解く者は三昧を得る。
精進して仏道を求め、 常に諸法が本来清らかであると聴き、 求めることも、求めないこともせずに、 この三昧を得るのは難しくない。 全ての有るものを虚空のように観察し、 道の思いは静かにして実に第一であり、 想いもなく、作もなく、聞くこともない。 これが尊い仏道を解了することである。
全ての色を見ても想念せず、 眼に執着なく、往来もない。 常に諸仏を空のように観じ、 世間のあらゆる求めを既に超えた。 その人は清らかで眼に汚れなく、 精進を行じ常に静かであり、 無量の経法を全て受け持ち、 この三昧を思惟し分別する。
この三昧を行じて執着なく、 全ての闇を除き定意を得る。 世の雄も聖賢も見えず、 外道たちはこれを聞いて惑う。 思想を超えて志をもって求めよ。 心が清らかになって仏を見る。 諸仏を見た後は再び見ることもない。 そうして初めてこの尊い三昧を解く。
地・水・火によって妨げられることなく、 風種や虚空にも遮られない。 この精進を行じて十方を見、 座したまま遠くの教えられる法を受ける。 私がここで経を説くように、 道の法を楽しむ者は、面と向かって仏を見る。 行いに勤め力を尽くして執着せず、 ただ世尊の説かれる法に従う。
行じる者はこのように念うことなく、 専ら道の義を聞き、法施を起こす。 常にこの三昧を解了することを念じ、 普遍に仏の説かれる所を受け誦する。 過去の諸仏は皆、法を論じ、 未来の世尊もまた同じく、 讃嘆し説き、分別して義を明かし、 皆ともにこの三昧を称賛する。
私もまたこのように人々の尊となり、 世にあって至上の衆生の父である。 皆、ことごとくこの道の眼を解き知る。 ゆえにこの寂三昧を説き示す。 この三昧を受持し説く者があり、 身は常に安らかで意は荒れず、 これが諸仏の無量の徳であり、 尊い仏道を得るのも難しくない。
広く様々な経典を集めて計り知れず、 一切の諸仏の教化に達したいと望み、 速やかに欲と塵垢を去り、 精進してこの清浄三昧を行ぜよ。 現世で無数の仏に会いたいと望み、 諸の尊から法を聴き受けることを楽しみ、 速やかに色を去り執着を除き、 この清らかで寂しい三昧を行ぜよ。
これにおいて貪りもなく、怒りもなく、 愚痴を捨て、憎しみや愛着を捨て、 無知を遠ざけ、狐疑を除く。 こうして空の三昧を解くのである。」