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title: "金剛經如是解 · 經題"
description: "金刚经如是解是清代无是道人对佛教经典金刚经的注解著作。无是道人为清代佛教高僧，其注解融合了禅宗与净土宗思想，以通俗易懂的语言阐释金刚经深奥义理。该书系统解读了金刚经核心思想如“应无所住而生其心”“凡所有相皆是虚妄”等，强调破除执着、明心见性的修行要旨。作为清代重要的金刚经注疏之一，此解既保留传统经义，又具时代特色，在佛教典籍中占有重要地位，为研究清代佛教思想及金刚经传播提供了珍贵文献。"
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金剛般若波羅蜜經

> 金剛般若波羅蜜経

五金皆謂之金。金剛者，如刀劒之有剛鐵。剛在金中，百鍊不消。取其堅利，能斷萬物。有如智慧，能絕貪嗔癡一切顛倒之見。般若，梵語，唐言智慧。波羅蜜，梵語，唐言到彼岸。欲到彼岸，須憑般若。經者，徑也。載最上乘上菩提路大鑑禪師金剛序云：金在山中，山不知是寶，寶亦不知是山。由無性故，人則有性。取其寶用，得見金師。破山取礦，用火烹鍊，得成精金。四大身中，性亦云爾。世界中有人我山，人我山中有煩惱礦，煩惱礦中有佛性寶，佛性寶中有智慧匠。用覺悟火烹鍊，見自性金剛，了然明淨。是故以金剛為喻也。圓覺經曰：譬如銷金鑛，金非銷故有。雖復本來金，終以銷成就。可知金剛不落空虗，煅煉原有功用。

> すべての金属を金と呼びますが、金剛とは、刀剣の鋼鉄のようなものです。鋼は金の中にあって、百回鍛えても消えません。その堅固さと鋭さを取り入れ、万物を断ち切ることができます。これは智慧のようで、貪り・怒り・愚かさといったすべての迷いの見解を断ち切ることができます。 般若は梵語で、唐の言葉では智慧を意味します。波羅蜜は梵語で、唐の言葉では彼岸に到ることを意味します。彼岸に到るには、般若に頼らなければなりません。経とは道筋のことです。最上の乗り物に載って菩提の道へと至ることを記しています。 大鑑禅師の『金剛経序』にはこうあります。金は山の中にあり、山はそれが宝であることを知らず、宝もまた山であることを知りません。無性であるがゆえに、人には性があります。その宝の用い方を取り入れ、金の師匠に会うことができます。山を破って鉱石を取り出し、火で精錬して、精妙な金を得ます。四大の身の中の性もまた同じです。 世界の中には人我の山があり、人我の山の中には煩悩の鉱石があり、煩悩の鉱石の中には仏性の宝があり、仏性の宝の中には智慧の匠がいます。覚悟の火で精錬し、自性の金剛を見出せば、明らかに清らかになります。それゆえ、金剛を喩えとするのです。 『円覚経』にはこうあります。例えば金鉱石を精錬するように、金は精錬によって生じるものではありません。もともと金であるとはいえ、最終的には精錬によって完成します。これにより、金剛は空虚に落ちることなく、鍛錬にはもともと功徳があることが分かります。

此經亦名小般若，乃大部六百卷中第五百七十七卷。名小般若者，謂一卷能涵大部之義，非般若有大小也。此經盛行於世，自黃梅五祖始。

> この経典はまた『小般若経』とも呼ばれ、大般若経六百巻のうち第五百七十七巻にあたります。小般若と名付けられたのは、この一巻で大般若経全体の教えを包含しているからであり、般若そのものに大小の区別があるわけではありません。この経典が世に広く行われるようになったのは、黄梅の五祖大師から始まります。

王世貞宛委餘編載：秦穆公時，扶風獲一石佛，公不識，棄污穢中。後染疾，夢天譴責，問由余，對曰：周穆王時，有化人來，云是佛神，王為造中天臺。公乃命由余視之，曰：真佛神也。公以三牲祀之，由余曰：佛法清淨，所有供養，燒香而已。譯經圖記云：明帝感異夢，敕郎中蔡愔等迎摩騰、法蘭，用白馬䭾經。此後來事，謂佛法至漢始入中國，非也。

> 王世貞の『宛委餘編』には、秦の穆公の時代、扶風で石仏が一つ見つかり、穆公はそれが何か分からず、汚れた場所に捨てた。後に病気にかかり、天の責めを夢に見た。由余に尋ねると、彼は答えて言った：「周の穆王の時代、化人が来て、仏神だと名乗りました。穆王はそのために中天臺を建てました。」穆公は由余にそれを見に行かせると、由余は言った：「まことの仏神です。」穆公は三牲を供えて祀ろうとしたが、由余は言った：「仏法は清浄であり、供養は香を焚くだけです。」『訳経図記』には、明帝が不思議な夢を見て、郎中の蔡愔らに命じて摩騰と法蘭を迎え、白馬に経典を載せて運ばせたとある。これは後のことである。仏法が漢の時代に初めて中国に入ったというのは、誤りである。