戒壇形重相狀第三
戒壇の形と重さの相状について述べる第三の項目です。
依名顯相,理有異儀。「場」乃除地令淨,無諸丘坎,俗中治場令平者是也!戲場、戰場例斯可解。至於「壇」相,則出地立基,四郊祠祭諸壇者是也!余案行諸壇,方基者多。唯圓丘一壇,分基九派,各施階隥,其緣如別。今之戒壇初為天造,天工巧妙,理出人謀。然佛指揮,又非凡度,故其相狀不同恒俗。依《別傳》云:「戒壇從地而起,三重為相,以表三空,為入佛法初門,散釋凡惑,非空不遣。三空是得道者遊處,正戒為眾善之基,故限於三重也!昔光明王佛制,高佛之五肘,表五分法身;釋迦如來減為二肘半;上又加二寸,為三層也;其後天帝釋又加覆釜形於壇上,以覆舍利;大梵王又以無價寶珠,置覆釜形上,供養舍利。是則五重,還表五分法身(以初層高一肘,二層高二肘半;三層高二寸,則三分也;帝釋加覆釜,則四重也;梵王加寶珠,則五重。五分具也)。初佛在世,祇桓園中立戒壇訖,大梵王所施寶珠,大如五升瓶,大福德者見之,光照八百由旬;薄福德者見之,如聚墨也。如來一代,常在戒壇,及佛涅槃,珠亦隨沒。尊者大迦葉結集之時,珠復還來,阿難滅度,此珠還去。後大梵王乃以明珠替處,以供養舍利也,珠下以寶蓮華用承之,作九龍以承華足。天帝釋又奉二珠,以供養舍利,用金蓮華承足,下設金柱,柱下安師子;此之二珠結集既竟,並各不現。帝釋二珠,今在忉利天歡喜園中,供養般若波羅蜜。今時諸處立壇,既無珠可供養者,隨力作二明燈。若石若木,常在壇前,高於上層,令光明遠照,上下通曉。其壇上鋪石為地,每有受戒之候,西南角別安高座,使比丘登之;登或艱阻,時大梵王於南面西階道西,化作鐵莖銀龍銀蓮華,開合轉關,華葉相接,對鉤欄上,共高座相當,令使登者而無躓礙。祇桓既殄,斯蹤亦絕,然今後作者,則而施之。」
名によって相を顕すので、理には異なる儀があるのです。「場」とは地を除いて清らかにし、丘や坎がないことをいい、世間で場を整えて平らにするのがこれにあたります。戯場や戦場も同じように理解してよいでしょう。これに対して「壇」の相は、地から立ち上がって基を築くもので、四方の郊外で祭祀を行う諸々の壇がこれにあたります。私が諸々の壇を見て歩いたところ、方形の基が多いのです。ただ円丘の壇だけは、基を分けて九派とし、それぞれに階段を設け、その縁は別に述べる通りです。今の戒壇は初め天によって造られたもので、天の工は巧妙で、人の謀を超えています。しかし仏が指図されたのですから、また凡人の推し量れるところではなく、その相状が世の常と異なるのも当然です。
『別伝』によれば、「戒壇は地から起き、三重を相として、三空を表し、仏法に入る初門とし、凡夫の惑いを散じて解き、空でなければ除かれない。三空は道を得た者の遊び処であり、正戒は衆善の基であるから、三重に限るのである。昔、光明王仏が制を定め、高さを仏の五肘とし、五分法身を表した。釈迦如来はこれを減じて二肘半とされた。上にさらに二寸を加えて三層とした。その後、天帝釈がまた覆釜の形を壇の上に加え、舍利を覆った。大梵王がまた無価の宝珠を覆釜の形の上に置き、舍利を供養した。これで五重となり、また五分法身を表す(初層の高さ一肘、二層の高さ二肘半、三層の高さ二寸で、これが三分である。帝釈が覆釜を加えて四重となり、梵王が宝珠を加えて五重となる。五分が具わるのである)。初め仏が在世のとき、祇桓園の中に戒壇を立て終えられた。大梵王が施した宝珠は、五升瓶ほどの大きさで、大福德の者はこれを見ると、光が八百由旬を照らした。薄福德の者はこれを見ると、墨を集めたように見えた。如来の一代、常に戒壇におられ、仏が涅槃に入られると、珠もまたそれに従って消えた。尊者大迦葉が結集したとき、珠はまた戻ってきた。阿難が滅度すると、この珠はまた去った。後に大梵王が明珠をもってその場に替え、舍利を供養した。珠の下には宝蓮華をもってこれを受け、九龍を作って華の足を受けた。天帝釈はまた二つの珠を奉り、舍利を供養し、金蓮華をもって足を受け、下に金柱を設け、柱の下に師子を安じた。この二つの珠は結集が終わると、ともにそれぞれ現れなくなった。帝釈の二つの珠は、今は忉利天の歓喜園の中にあり、般若波羅蜜を供養している。今、諸々の所で壇を立てるのに、珠がなくて供養するものがないときは、力に応じて二つの明灯を作ります。石であれ木であれ、常に壇の前に置き、上層よりも高くして、光明を遠く照らし、上下に通じさせます。その壇の上には石を敷いて地とし、受戒の時が来るたびに、西南の角に別に高座を安じ、比丘をしてこれに登らせます。登るのに困難があるとき、大梵王が南面西階の道の西で、鉄の茎の銀龍と銀蓮華に化し、開閉し関を転じ、華の葉が相接し、欄干に向かい合い、ともに高座と相対して、登る者に躓きの妨げがないようにさせました。祇桓がすでに滅びると、この跡もまた絶えました。しかし今後作る者は、これを模範として施すのです。」
近以乾封二年九月,中印度大菩提寺沙門釋迦蜜多羅尊者,長年人也,九十九夏來向五臺,致敬文殊師利。今上禮遇,令使人將送,既還來郊南,見此戒壇,大隨喜云:「天竺諸寺皆有戒壇。」又述烏仗那國東石戒壇之事,此則東西雖遠,壇禮相接矣。其壇相狀,下之二重以石砌累,如須彌山王形,上下安色道。四面壇身並列龕窟,窟內安諸神王。其兩重基上並施石鉤欄,欄之柱下,師子神王間以列之。兩層四角立高石柱出於壇上,柱外置四天王像,既在露地,並鐫石為之,使久固也。四角欄上,石金翅鳥銜龍於上,表比丘既受戒已,常思惑業而制除也。戒壇周圍布列神影者,表護持久固之相也。斯並大聖之羽儀,生善之弘道,備舒圖傳,具列儀容,各有名號,義難隱伏,事須標牓其名,顯置其狀,則使見者發心,識幽明之協護矣!
近ごろ、乾封二年九月に、中インドの大菩提寺の沙門・釈迦蜜多羅尊者が、長寿の人で、九十九夏を経て五臺山へ向かい、文殊師利に敬礼しました。今上はこれを手厚く遇され、使者に送らせました。尊者は帰途につき、郊外の南まで来て、この戒壇を見ると、大いに随喜してこう言いました。「天竺の諸寺にはみな戒壇があります。」また烏仗那国の東にある石の戒壇のことを述べました。これによれば、東西は遠く隔たっていても、戒壇の礼は互いに通じ合っているのです。
その壇のありさまは、下の二重を石で積み重ね、須弥山王の形のようにして、上下に色道を設けています。四面の壇身にはすべて龕窟を並べ、窟の中には諸々の神王を安置しています。その二重の基の上にはすべて石の鉤欄を巡らせ、欄の柱の下には、師子神王を間を置いて並べています。二層の四隅には高い石柱を立てて壇の上に突出させ、柱の外には四天王の像を置いています。露地にあるので、すべて石に刻んで、長く堅固に保たせているのです。四隅の欄の上では、石の金翅鳥が龍を銜えており、比丘が戒を受けた後、常に惑と業を思ってこれを制し除くことを表しています。戒壇の周囲に神々の像を並べるのは、護持が長く堅固である相を表すものです。これらはみな大聖の羽儀であり、善を生ずる弘道であって、図伝に詳しく述べ、儀容をことごとく列ね、それぞれに名号があります。その義は隠し伏せることは難しく、事はその名を標牓し、その状を明らかに置くことを須います。そうすれば、見る者は発心し、幽明の協護を知るのです。
今案:梁高祖勅釋寶唱著《神鬼錄》,凡有三卷。故其序略云:「自如來出世,至教博遠,天龍鬼神莫不迴向,故能奉侍三尊,擁護四部。」凡諸鬼神各有依住,故依地之神名曰堅牢,乃至寺塔山林河海風雨,如《長阿含經》,並依止所往而守衛之(今以壇圖一面,三方隱映諸神側背,難可圖形。於圖經中,依方列相,或露或覆,時立時坐,後有造者,依經置之)。今前列護佛塔神名,多出《華嚴》、《灌頂》、《孔雀王》、《賢愚》、《大集》、《大智論》等,以繁文故,於此總而敘之。神名跋闍羅波尼(梁言金剛)。神名婆里旱(河但反,梁言力士)。初堅固光曜神、二日光曜神、三須彌華神、四淨雲音神、五阿脩羅王神(取脩羅為名,非脩羅也)、六勝光明神、七樹音聲神、八師子王神(如上,已解)、九淳厚光藏神、十珠髻華光神。右十二金剛力士神王,依《雜阿含經》。金剛神持金剛杵,猛火熾然,經律中亦說:「八金剛神,列侍四面。」又云:「五百金剛,常侍衛佛」。如《華嚴經》:「諸金剛神與微塵數力士俱,久發誓願,侍衛如來,住持遺法。」
今、考察します。梁の高祖が勅命を下し、釈宝唱が著した『神鬼録』は、全部で三巻あります。その序に概略してこう述べています。「如来が世に出られてから、その教えは広く遠くまで及び、天・龍・鬼神はみな心を向けないものはありません。それゆえ三尊に仕え、四部の衆を擁護することができるのです。」およそ諸々の鬼神には、それぞれ住むところがあります。それゆえ地に依る神は「堅牢」と名づけられ、さらには寺・塔・山・林・河・海・風・雨に至るまで、『長阿含経』にあるとおり、みな止まるところに従ってこれを守護しています(今、壇の図が一面あり、三方に諸神が隠れ映り、側面や背面は図に描くことが難しいため、図経の中では方角に従って姿を並べ、あるいは露わにし、あるいは覆い、時に立ち、時に座しています。後に造営する者は、経に従ってこれを安置しなさい)。今、まず仏塔を護る神の名を列挙しますが、その多くは『華厳経』『灌頂経』『孔雀王経』『賢愚経』『大集経』『大智論』などから出ています。煩雑になるため、ここでまとめて述べます。神の名は跋闍羅波尼(梁では金剛といいます)。神の名は婆里旱(河但反。梁では力士といいます)。第一は堅固光曜神、第二は日光曜神、第三は須弥華神、第四は浄雲音神、第五は阿脩羅王神(脩羅を名として取ったのであって、脩羅そのものではありません)、第六は勝光明神、第七は樹音声神、第八は師子王神(前述のとおりで、すでに解しました)、第九は淳厚光蔵神、第十は珠髻華光神です。右の十二の金剛力士神王は、『雑阿含経』によります。金剛神は金剛杵を持ち、猛火が激しく燃えています。経や律にもまた説かれています。「八人の金剛神が、四面に列なって侍る」と。またこうも言われています。「五百の金剛が、常に仏を守護し侍る」と。『華厳経』にあるとおりです。「諸々の金剛神は、微塵の数の力士とともに、久しく誓願を発し、如来を守護し侍り、遺法を住持しています。」
今據文求相,不言戒壇,然此戒壇即佛塔也,以安舍利。靈骨瘞中,非塔如何?迷名固執者不足言評。重為提示,原夫「塔」字,此方字書乃是物聲,本非西土之號。若依梵本,瘞佛骨所,名曰「塔婆」。此略下「婆」,單呼上「塔」。所以經中,或名「偷婆」、「窣堵波」等。依如唐言「方墳」,塚也!古者墓而不墳,墳謂加土於其上也。如律中:「如來知地下有迦葉佛舍利,以土增之。」斯即塔婆之相狀矣!今戒壇安佛舍利,層基標別,四列神影守護顯號,固其然乎!前十二神常守護佛塔。
今、文に拠って相を求めると、戒壇とは言っていません。しかし、この戒壇はすなわち仏塔であり、そこに舍利を安置します。霊骨を中に埋めるのですから、塔でなくて何でしょうか。名にとらわれて頑なになる者は、論評するに足りません。重ねて示しておきます。もともと「塔」という字は、この方の字書では物の音を表すものであって、本来は西方の称ではありません。梵本に依れば、仏骨を埋める所を「塔婆」と名づけます。これは下の「婆」を略して、上の「塔」だけを呼んだものです。ですから経の中では、あるいは「偷婆」「窣堵波」などとも名づけています。唐の言葉に依れば「方墳」、すなわち塚です。古くは墓を作っても墳は設けず、墳とはその上に土を加えることをいいます。律の中に「如来は地下に迦葉仏の舍利があることを知って、土を加えてこれを増した」とあります。これこそ塔婆の相状です。今、戒壇に仏舍利を安置し、層となった基壇で区別を示し、四方に神影を列ねて守護し、その号を顕しています。まさにその通りでしょう。先の十二神は常に仏塔を守護します。
下層下據地,壇有五階,階列二神,故有十也!以下層為戒壇基本,其猶金剛,故以十金剛依階而位列也!
下の層は下を支える地面となっており、壇には五つの階があり、階ごとに二神が並ぶので、十となるのです。下の層を戒壇の基本とするのは、それがちょうど金剛のようなものであるためであり、それゆえ十の金剛を階に沿って位を並べるのです。
下層四角大神,所謂金剛力士、金毘羅、散脂,並護佛塔,故峙列四隅,以護持本也;東南角神名跋闍羅波尼(又領般支分大軍主神);西南角神名婆里旱(又領般遮羅遮馱大軍主神);西北角神王名金毘羅(又領婆多祁利大軍主神);東北角神將名散脂(又領醯摩跋多大軍主神)。下層南面二階,東畔階道(東神名堅固光曜,西神名日光曜);西畔階道(東神名須彌華,西神名淨雲音)。東面一階道(南神名阿脩羅王,北神名勝光明);西面一階道(南神名樹音聲,北神名師子王)。北面一階道(西神名淳厚光藏,東神名珠髻華光)。
下層の四隅の大神とは、いわゆる金剛力士・金毘羅・散脂であり、みな仏塔を守護しています。それゆえ四隅に並び立ち、根本を護持しているのです。東南角の神は跋闍羅波尼と名づけます(また般支分の大軍主神を統率しています)。西南角の神は婆里旱と名づけます(また般遮羅遮馱の大軍主神を統率しています)。西北角の神王は金毘羅と名づけます(また婆多祁利の大軍主神を統率しています)。東北角の神将は散脂と名づけます(また醯摩跋多の大軍主神を統率しています)。下層の南面の二つの階では、東側の階道に(東の神は堅固光曜と名づけ、西の神は日光曜と名づけます)、西側の階道に(東の神は須弥華と名づけ、西の神は浄雲音と名づけます)神々がいます。東面の一つの階道には(南の神は阿脩羅王と名づけ、北の神は勝光明と名づけます)、西面の一つの階道には(南の神は樹音声と名づけ、北の神は師子王と名づけます)神々がいます。北面の一つの階道には(西の神は淳厚光蔵と名づけ、東の神は珠髻華光と名づけます)神々がいます。
第二層上四角大神,所謂四天王也,常護佛法及以眾生,豈唯壇塔而在情外,故須造立儀像,依方隅而列之(依《灌頂經》云:「五羅鬼神、鬼子母神五百兒子、及摩醯首羅、摩尼跋陀、脩利犍陀五神,於佛滅後常護塚塔,不使邪人所壞。若破壞者,當知正法欲滅,故使然也。」)。東北角天王名提頭賴吒,領乾闥婆及毘舍闍眾,住東弗婆提洲。《大智論》云:「四天王並壽九百萬歲,各有九十一子,皆護佛法。」其王領四神軍主,出《灌頂經》,下同今配。
第二層の四隅の大神とは、いわゆる四天王のことです。彼らは常に仏法と衆生を守護しており、まして壇や塔だけがその守護の外にあるはずがありません。ですから儀像を造り立て、方角に従ってそれらを配置する必要があるのです(『灌頂経』にこう説かれています。「五羅鬼神、鬼子母神の五百の子、および摩醯首羅・摩尼跋陀・脩利犍陀の五神は、仏の滅度の後、常に塚や塔を守護して、邪な者に壊させません。もし壊す者があれば、正法が滅びようとしているのだと知るべきです。それゆえにそのようなことが起こるのです。」)。東北の角の天王は提頭頼吒と名づけ、乾闥婆と毘舎闍の衆を率いて、東の弗婆提洲に住んでいます。『大智論』にこう説かれています。「四天王はみな寿命九百万歳で、それぞれ九十一人の子があり、みな仏法を守護しています。」その王が四神の軍主を率いることは『灌頂経』に出ており、以下も同様に、ここでは今の配置に合わせて述べます。
戒壇第二層基,東面兩階各二神;南階道二神(南神名地珂,北神名脩涅多羅),北階道二神(南神名分那柯,北神名迦毘羅)。東南角天王名毘婁勒叉,領鳩槃茶及薜茘多眾,住南閻浮提洲。所領四神軍主,配南面二階各二神,東階道二神(東神名僧伽,西神名優波僧伽),西階道二神(東神名償起羅,西神名栴陀那)。西南角天王名毘婁博叉,領諸龍及富多羅眾,住西瞿耶尼洲。其所領四神軍主,配西面二階各二神,南階道二神(南神名訶利,北神名訶利枳舍),北階道二神(南神名波羅赴,北神名冰伽羅)。西北角天王名毘沙門,領夜叉及羅剎眾,住北欝單越洲;多來閻浮提,其王手中掌擎佛塔,古佛舍利在中。佛在時,令其持行,所在作護,佛法久固。又令天王威德勢力領四神軍主,配北面一階邊各二神,西邊二神(一名陀羅那、二名阿羅難陀),東邊二神(一名欝庾伽波羅、二名別他那)。依《賢愚經》,此等鬼神皆名夜叉,形色青黑,眼赤如血,鉤牙上出,頭髮悉豎,火從口出。經雖如此,及論顯相,義須別態,不可一像。其第二層上,四面七階道頭各有二神,則十六也!必須其名,可如《灌頂經》。四天王所部諸神,隨名便配,且存前數,何由可盡其數量也!
戒壇の第二層の基では、東面の二つの階道にそれぞれ二神がいます。南の階道に二神(南の神は地珂と名づけ、北の神は脩涅多羅と名づけます)、北の階道に二神(南の神は分那柯と名づけ、北の神は迦毘羅と名づけます)がいます。東南角の天王は毘婁勒叉と名づけ、鳩槃茶および薜茘多の衆を領して、南の閻浮提洲に住んでいます。その領する四神の軍主を、南面の二つの階道にそれぞれ二神ずつ配し、東の階道に二神(東の神は僧伽と名づけ、西の神は優波僧伽と名づけます)、西の階道に二神(東の神は償起羅と名づけ、西の神は栴陀那と名づけます)がいます。西南角の天王は毘婁博叉と名づけ、諸々の龍および富多羅の衆を領して、西の瞿耶尼洲に住んでいます。その領する四神の軍主を、西面の二つの階道にそれぞれ二神ずつ配し、南の階道に二神(南の神は訶利と名づけ、北の神は訶利枳舍と名づけます)、北の階道に二神(南の神は波羅赴と名づけ、北の神は冰伽羅と名づけます)がいます。西北角の天王は毘沙門と名づけ、夜叉および羅剎の衆を領して、北の欝単越洲に住んでいます。多く閻浮提に来ますが、その王は手のひらに仏塔を擎げ持ち、古仏の舎利がその中にあります。仏が在世のとき、これをして持ち歩かせ、その在所で護らせて、仏法を久しく堅固にしました。また天王の威徳と勢力をもって四神の軍主を領させ、北面の一つの階道の両辺にそれぞれ二神ずつ配し、西の辺に二神(一つは陀羅那と名づけ、二つは阿羅難陀と名づけます)、東の辺に二神(一つは欝庾伽波羅と名づけ、二つは別他那と名づけます)がいます。「賢愚経」によれば、これらの鬼神はみな夜叉と名づけ、その形色は青黒く、眼は赤く血のようで、鉤牙は上に突き出し、頭髪はことごとく逆立ち、火が口から出ています。経にはこのようにありますが、論が相を顕すに及んでは、その義からいえば別々の姿であるべきで、一つの像にすることはできません。その第二層の上では、四面七階の道の頭ごとにそれぞれ二神がいて、すなわち十六神となります。どうしてもその名が必要なら、「灌頂経」によるのがよいでしょう。四天王の所部の諸神は、名に随って配すればよく、しばらく前の数を存しておきますが、どうしてその数量を尽くすことができましょうか。
兩層色道內龕窟中神,經中大多,今依《孔雀王經》,明七星神,依方守護;其上層中安窟既少,可列七星神,配坐窟中;然二十八星神出沒增減,常行於世,有大光明,深能利益。東方七星神名:基栗底柯一、虜喜尼二、麋梨伽尸羅三、阿陀羅四、不捺那婆脩五、弗沙六、阿沙離沙七。南方七星神名:訶可一、雨頗二、求尼三、訶莎多四、質多羅五、莎底六、毘釋珂七。西方七星神名:阿㝹羅他一、折沙他二、牟藍三、弗婆莎他四、欝多羅莎他五、阿毘止六、沙羅波那七。北方七星神名:陀薾他一、捨多毘沙二、弗婆跋陀羅三、欝多羅跋陀羅四、離婆底五、阿雖尼六、婆羅尼七。右二十八神,方別七龕依名位列。至於下層亦有龕窟,約方開影,其量則多,臨時分像,依《優波斯那呪經》及《灌頂經》。神名極多,亦依方住,至時檢經,隨龕多少,就列名號,為存繁文,故略不出。
二層の色道の内龕の窟の中の神々については、経典の中に多く見えますが、ここでは『孔雀王経』に基づいて七星神を明らかにし、方角に従って守護することを示します。その上層の中央に安置する窟は少ないので、七星神を並べて窟の中に配して坐らせることができます。しかし二十八星神は出没し増減して、常に世の中を巡り、大きな光明を放ち、深く衆生を利益します。
東方の七星神の名は、基栗底柯(一)、虜喜尼(二)、麋梨伽尸羅(三)、阿陀羅(四)、不捺那婆脩(五)、弗沙(六)、阿沙離沙(七)です。
南方の七星神の名は、訶可(一)、雨頗(二)、求尼(三)、訶莎多(四)、質多羅(五)、莎底(六)、毘釋珂(七)です。
西方の七星神の名は、阿㝹羅他(一)、折沙他(二)、牟藍(三)、弗婆莎他(四)、欝多羅莎他(五)、阿毘止(六)、沙羅波那(七)です。
北方の七星神の名は、陀薾他(一)、捨多毘沙(二)、弗婆跋陀羅(三)、欝多羅跋陀羅(四)、離婆底(五)、阿雖尼(六)、婆羅尼(七)です。
右の二十八神は、方角ごとに七つの龕に名に従って位を並べます。下層にもまた龕窟があり、方角にほぼ従って影を開きますが、その数は多いので、その場に応じて像を分け、『優波斯那呪経』と『灌頂経』に基づきます。神の名はきわめて多く、また方角に従って住するので、その時になって経を調べ、龕の数に応じて名号を並べます。煩雑な文を残すため、ここでは略して出しません。
最上第三重,止高二寸,表二諦也;欲明諸佛說法常依二諦,用表受戒出家者,必知二諦為宗歸也!何者?以身、口二業,動必依相,相為俗有;心行所期,離相為本,本為出道之所依也!故二寸為準的量相。上壇四角各立師子,背上有孔,欲行事時,必施尊儀,上安帳竿於孔中也!帳之莊嚴隨力所辦。上壇畟方七尺為量,以表七覺意也!三乘入道不越三十七品,於此品中,七覺意在道思擇,其功最高,故在上而列也!壇外四周一丈內,種四時華藥,已外植華樹八行,種種莊嚴。依《善見論》云:「戒壇極小,容二十一人。」此據出罪之相也。然亦不分壇、場之異也!
最上の第三重は、高さをわずか二寸にとどめています。これは二諦を表しています。諸仏の説法は常に二諦に依ることを明らかにしようとしているのであり、受戒して出家する者は、必ず二諦を宗帰とすべきことを表しているのです。なぜでしょうか。身と口の二業は、動けば必ず相に依り、相は俗有であります。心行の期するところは、相を離れることを本とし、本は出道の依るところとなるからです。それゆえ二寸を基準の量としたのです。
上の壇の四角にはそれぞれ師子を立て、その背には孔があります。事を行おうとするときは、必ず尊儀を施し、その孔に帳竿を立てるのです。帳の荘厳は力に応じて整えます。上の壇は畟方七尺を量とし、これによって七覚意を表しています。三乗が道に入るには三十七品を越えることはなく、この品の中で七覚意は道を思択するうえで、その功が最も高いので、上に列したのです。
壇の外の四周一丈の内には、四季の華や薬を植え、その外には華樹を八行植えて、種々に荘厳します。《善見論》に「戒壇は極小でも二十一人を容れる」と説かれています。これは出罪の相によるものです。しかし壇と場の違いを分けてはいません。