戒壇大界內外第五
戒壇の大界の内外について 第五
依《僧祇律》,戒場初立在大界外,後有過起,方徙於內。《四分律》中,戒場在內,文云:「眾中四僧事起令眾疲極,佛令結戒場。」若在界外,本無所妨,何勞於眾?故知在內為定。然須辨了三相,決絕無疑。妄指山石樹林垣牆崖坎,曾非目閱其分齊,隨語漫喚其東西。自唱尚迷,於他豈識,相從誦語,於事多昏。鈔疏極詳,臨機便用。斯之惡習,並是舊迷,幸願改張,絕其常習;若不革者,今生既爾,後代亦然,何由可出?
『僧祇律』によれば、戒場は初め大界の外に設けられましたが、後に過ちが起こったため、方針を改めて大界の内に移されました。『四分律』では戒場は大界の内にあり、文にこうあります。「会衆のうちで四つの僧事が起こり、会衆を疲れ果てさせたので、仏は戒場を結ぶようお命じになった」と。もし大界の外にあれば、もともと妨げはなく、どうして会衆を煩わせる必要がありましょうか。ですから、大界の内にあるのが定説であると知るべきです。
ただし、三相をはっきりと弁別して、疑いを残さず決着をつけなければなりません。山や石、樹林や垣牆、崖や坎をでたらめに指して、その境界を自分の目で確かめたこともなく、言葉のままにやたらと東だ西だと叫ぶ。自分で唱えてもなお迷っているのに、他人に対してどうして分かるでしょうか。互いに唱和して言葉を誦んじても、事実に照らせば多くが混迷します。鈔や疏にはきわめて詳しく述べられていますから、実際の場に臨んでそのまま用いるのがよいのです。
このような悪い習わしは、みな昔からの迷いです。どうか改めていただき、その常習を断ち切ってほしいものです。もし改めなければ、今生がこのようであるだけでなく、後の代もまた同じであり、どうして抜け出ることができるでしょうか。
今依法結已,則四處集僧,各御眾法,都不相妨:一、戒場內集,二、場外四周空地集,三、大界內如常僧集,四、大界外集。於四集中,二是作法界,二是自然界。由界限約相,可隨方作業,並得成就。以前識四界,限域灼然,故有四集,各不相攝。言雖繁重,事則唯單,深可誡之。
今、法に基づいて結界を終えると、四つの場所で僧が集まり、それぞれが衆を統べる法を実践しても、互いに妨げ合うことはありません。第一に戒場の内側に集まること、第二に戒場の外側の周囲の空地に集まること、第三に大界の内側で通常どおり僧が集まること、第四に大界の外側に集まることです。
この四つの集まりのうち、二つは作法界であり、二つは自然界です。境界はその相によって区切られるため、それぞれの方向に応じて作法を行っても、すべて成就することができます。先に四つの界を理解し、その限られた領域がはっきりしていれば、四つの集まりはそれぞれ互いに含み合うことがありません。言葉は煩雑で重なっているように見えても、事柄としてはただ一つです。この点は深く戒めとすべきです。