解深密經卷第五
解深密経 巻第五
大唐三藏法師玄奘奉 詔譯
大唐三蔵法師玄奘奉詔訳
如來成所作事品第八
第八章 如来の成就所作事
爾時,曼殊室利菩薩摩訶薩請問佛言:「世尊!如佛所說如來法身,如來法身有何等相?」
その時、文殊師利菩薩摩訶薩が仏に問うて申し上げました。「世尊よ、仏がお説きになった如来の法身について、如来の法身にはどのような相(特徴)があるのでしょうか?」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!若於諸地波羅蜜多,善修出離,轉依成滿,是名如來法身之相。當知此相,二因緣故不可思議:無戲論故,無所為故。而諸眾生計著戲論,有所為故。」
仏は曼殊室利菩薩に告げられました。「善男子よ、もしも諸々の修行段階(地)と完成された智慧(波羅蜜多)において、よく出離を修め、より高次の境地への転換(転依)が成就し満ち足りているならば、これを如来の法身の姿という。知るがよい。この姿は、二つの理由によって思い計ることができない。すなわち、虚妄の分別(戲論)がないからであり、作為的な行いがないからである。ところが諸々の衆生は、虚妄の分別に執着し、作為的な行いがあるがゆえに、思い計ることができないのである。」
「世尊!聲聞、獨覺所得轉依,名法身不?」
「世尊よ。声聞や独覚が得る転依は、法身と呼ばれるのでしょうか?」
「善男子!不名法身。」
「善男子よ。善法とは、ただこれ、悟りの心の本性である。悟りの心があるがゆえに諸々の善法が現れる。その諸善法に二種の回向がある。すなわち、生ある者たちのためと、菩提を求めるためである。このように回向するから、かの善法を、法身の真実のあり方であると名づける。もしも生ある者たちのためや、菩提を求めるためでなければ、それを法身とは名づけないのである。」
「世尊!當名何身?」
「世尊よ、この経典は何と名づけるべきでしょうか?」
「善男子!名解脫身。由解脫身故,說一切聲聞、獨覺與諸如來平等平等;由法身故,說有差別。如來法身有差別故,無量功德最勝差別,算數譬喻所不能及。」
よき方々よ。これを「解脱の体」と呼びます。この解脱の体があるからこそ、すべての声聞や独覚も如来もまったく等しく、平等であると説かれているのです。しかし、法身があるからこそ、差別があると説かれています。如来の法身には差別があるため、無量の功徳において最も優れた差別があり、その違いは計算やたとえで及ぶものではありません。
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!我當云何應知如來生起之相?」
「世尊はどのようにして現れたのか、その姿を私はどのように理解すればよいのでしょうか?」 文殊師利菩薩が再び仏に尋ねました。
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!一切如來化身作業,如世界起一切種類;如來功德眾所莊嚴,住持為相。當知化身相有生起,法身之相無有生起。」
仏が曼殊室利菩薩に告げて言われた。 「善き人よ。すべての如来の化身の働きは、あたかも世界が様々な種類の現象を生み出すように、如来の功徳の集まりによって飾られ、保たれ続ける姿をしているのだ。知っておきなさい。化身の姿には生じたり現れたりする相があるが、法身の姿には生じたり現れたりする相はないのである。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!云何應知示現化身方便善巧?」
文殊菩薩が再び仏に問う。「世尊よ、どのようにして化身を示し、巧みな方便を知るべきなのでしょうか?」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!遍於一切三千大千佛國土中,或眾推許增上王家,或眾推許大福田家,同時入胎、誕生、長大、受欲、出家、示行苦行、捨苦行已成等正覺,次第示現。是名如來示現化身方便善巧。」
仏は曼殊室利菩薩に告げられた。「善き男子よ、あらゆる三千大千の仏国土において、あるいは人々に推されて高貴な王家に、あるいは人々に推されて大きな福田の家に、同時に胎内に入り、生まれ、成長し、欲望を受け、出家し、苦行を示し、苦行を捨てて完全な悟りを成就し、順を追って顕し示す。これを如来の化身を示す方便の巧みさという。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!凡有幾種,一切如來身所住持言音差別?由此言音所化有情,未成熟者令其成熟,已成熟者緣此為境速得解脫?」
文殊師利菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、すべての如来様がその身でお示しになる教えの言葉には、どれほどの種類があるのでしょうか。その教えによって、まだ悟りの準備ができていない人々は成熟し、すでに成熟した人々はその教えをよりどころとして速やかに解脱を得ることができるのです。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!如來言音略有三種:一者、契經;二者、調伏;三者、本母。」
仏が文殊師利菩薩に告げられた:「善き男子よ。如来の教えの言葉には、おおまかに三つの種類がある。第一に『経典(教えの根本)』、第二に『律(戒律による調伏)』、第三に『論(教えの母なる解説)』である。」
「世尊!云何契經?云何調伏?云何本母?」
世尊よ。経典とは何ですか。律とは何ですか。論とは何ですか。
「曼殊室利!若於是處,我依攝事顯示諸法,是名契經。謂依四事,或依九事,或復依於二十九事。
「文殊師利よ。もしこのところにおいて、わたしがまとめの事柄に基づいて諸々の法を示すならば、これを経典という。すなわち、四つの事柄に基づき、あるいは九つの事柄に基づき、またはさらに二十九の事柄に基づくのである。」
「云何四事?一者、聽聞事;二者、歸趣事;三者、修學事;四者、菩提事。
四つのこととは何か。第一に、教えを聴くこと。第二に、帰依すること。第三に、修行すること。第四に、悟りを得ること。
「云何九事?一者、施設有情事;二者、彼所受用事;三者、彼生起事;四者、彼生已住事;五者、彼染淨事;六者、彼差別事;七者、能宣說事;八者、所宣說事;九者、諸眾會事。
九つの事柄とは何か。第一に、有情(生きとし生けるもの)を設定する事柄。第二に、彼らが受用する物事。第三に、彼らが生じる事柄。第四に、生じてから留まる事柄。第五に、彼らの汚れと清らかさの事柄。第六に、彼らの違いに関する事柄。第七に、説くことができる事柄。第八に、説かれる事柄。第九に、様々な集まりの事柄。
「云何名為二十九事?謂依雜染品有:攝諸行事,彼次第隨轉事,即於是中作補特伽羅想已,於當來世流轉因事,作是想已,於當來世流轉因事。依清淨品有:繫念於所緣事,即於是中勤精進事,心安住事,現法樂住事,超一切苦緣方便事,彼遍知事。此復三種:顛倒遍知所依處故,依有情想外有情中邪行遍知所依處故,內離增上慢遍知所依處故。修依處事,作證事,修習事,令彼堅固事,彼行相事,彼所緣事,已斷未斷觀察善巧事,彼散亂事,彼不散亂事,不散亂依處事,不棄修習劬勞加行事,修習勝利事,彼堅牢事,攝聖行事,攝聖行眷屬事,通達真實事,證得涅槃事,於善說法毘奈耶中世間正見超昇一切外道所得正見頂事,及即於此不修退事,於善說法毘奈耶中不修習故,說名為退,非見過失,故名為退。
二十九の事柄とは何か。それは、煩悩に染まった側面に関しては、様々な行(行い)をまとめること、それらが順に生じていくこと、その中に「人」という固定した思いを起こし、それが未来世に輪廻し続ける原因となること、そしてそのような思いを起こした後に、さらに未来世に流転する因となることである。清らかな側面に関しては、心を一つの対象に集中させること、その中で熱心に努力すること、心を安定して保つこと、現世での安楽に住むこと、一切の苦しみを超えるための方便、それらを正しく知ることである。これにはさらに三つの種類がある。すなわち、間違った見方を正しく知るための拠り所、他者に対する誤った行いを正しく知るための拠り所、そして自分自身における慢心を超えることを正しく知るための拠り所である。修行の拠り所、悟りの証得、修行の実践、それを確固たるものにすること、その修行のあり方、その対象、すでに断たれたものと未だ断たれていないものを見極めること、心の散乱、散乱しないこと、散乱しないための拠り所、修行の労苦を放棄しないこと、修行の功徳、その確かさ、聖者の行いを集めること、聖者の行いの仲間を集めること、真理を悟ること、涅槃を証得すること、よく説かれた法と律の中で、世間における正しい見解が、あらゆる外道の得た正しい見解を超えていること、そしてこの正しい見解を修行せずに退いてしまうことである。よく説かれた法と律において修行しないから退くと名づけられ、過失を見ないから退くと説かれるのである。
「曼殊室利!若於是處,我依聲聞及諸菩薩,顯示別解脫及別解脫相應之法,是名調伏。」
「文殊師利よ、もしここにおいて、わたしが声聞や菩薩たちに従って、別解脱および別解脱に相応する法を示すならば、これを調伏と名づける。」
「世尊!菩薩別解脫,幾相所攝?」
世尊よ。菩薩の別解脱(個人的な解脱)には、どのような特徴が含まれているのでしょうか。
「善男子!當知七相:一者、宣說受軌則事故;二者、宣說隨順他勝事故;三者、宣說隨順毀犯事故;四者、宣說有犯自性故;五者、宣說無犯自性故;六者、宣說出所犯故;七者、宣說捨律儀故。
「善き人よ、七つの項目を知るべきである。 第一に、戒律を受け持つ作法について示すこと。 第二に、他人に勝る善行に従うことについて示すこと。 第三に、戒律を破ることに従うことについて示すこと。 第四に、犯しを有する性質について示すこと。 第五に、犯しのない性質について示すこと。 第六に、犯しから出離することについて示すこと。 第七に、戒律を捨てることについて示すこと。」
「曼殊室利!若於是處,我以十一種相決了分別顯示諸法,是名本母。何等名為十一種相?一者、世俗相;二者、勝義相;三者、菩提分法所緣相;四者、行相;五者、自性相;六者、彼果相;七者、彼領受開示相;八者、彼障礙法相;九者、彼隨順法相;十者、彼過患相;十一者、彼勝利相。
「文殊師利よ、もしある場所において、私が十一の相によって諸々の法を分明に決断し、示し説くならば、それを『本母』と名づける。では、その十一の相とは何か。第一に世俗の相、第二に勝義の相、第三に菩提のための修行法が対象とする相、第四に行じる姿の相、第五に自らの性質の相、第六にその果報の相、第七にその受け取りと開示の相、第八にそれを妨げる法の相、第九にそれに順じる法の相、第十にその過失の相、第十一にその功徳の相である。」
「世俗相者,當知三種:一者、宣說補特伽羅故;二者、宣說遍計所執自性故;三者、宣說諸法作用事業故。勝義相者,當知宣說七種真如故。菩提分法所緣相者,當知宣說遍一切種所知事故。
世間的な特徴(世俗相)には、三つの種類があると知るべきです。第一に、個人(補特伽羅)について説くこと。第二に、概念的に作り出された性質(遍計所執自性)について説くこと。第三に、すべての現象の働きや役割(諸法作用事業)について説くことです。
勝義的な特徴(勝義相)とは、七種の真如について説くことであると知るべきです。
菩提の道の要素が対象とする特徴(菩提分法所縁相)とは、あらゆる種類の認識対象(遍一切種所知事)について説くことであると知るべきです。
「行相者,當知宣說八行觀故。云何名為八行觀耶?一者、諦實故;二者、安住故;三者、過失故;四者、功德故;五者、理趣故;六者、流轉故;七者、道理故;八者、總別故。
修行のすがたについては、八つの観点から説かれていると知るべきである。その八つの観点とは何か。第一に、真実であること。第二に、安住していること。第三に、過失があること。第四に、功徳があること。第五に、理の趣きであること。第六に、流転すること。第七に、道理であること。第八に、全体と個別であること。
「諦實者,謂諸法真如。
真理とは、諸法の真如のことである。
「安住者,謂或安立補特伽羅,或復安立諸法遍計所執自性,或復安立一向、分別、反問、置記,或復安立隱密、顯了、記別、差別。過失者,謂我宣說諸雜染法,有無量門差別過患。
「安住」とは、次のようなことを指します。すなわち、あるいは人のあり方を示すこと、あるいはあらゆる現象が虚妄に分別されて執着される性質を示すこと、あるいは四つの問答の形式——すなわち「一向」「分別」「反問」「置記」を示すこと、あるいは「隠密」「顕了」「記別」「差別」という教えの方角を示すことです。
「過失」とは、わたしが説くところの、あらゆる煩悩に染まった現象には、無数の観点から見て様々な過ちと苦しみがある、ということです。
「功德者,謂我宣說諸清淨法,有無量門差別勝利。
功徳とは、私が諸々の清らかな法を説き明かすことであり、そこには無数の方法による様々な功徳の利益がある。
「理趣者,當知六種:一者、真義理趣;二者、證得理趣;三者、教導理趣;四者、遠離二邊理趣;五者、不可思議理趣;六者、意趣理趣。
理趣には、六つの種類があると知るべきである。 一つ目は、真実の意味の理趣。 二つ目は、悟りを得る理趣。 三つ目は、教え導く理趣。 四つ目は、両極端を離れる理趣。 五つ目は、思いはかることのできない理趣。 六つ目は、意図や趣旨の理趣。
「流轉者,所謂三世三有為相,及四種緣。
「生死流転(るてん)とは、いわゆる三世(さんぜ)・三有(さんう)という因縁(いんねん)のすがた、そして四つの縁(えん)のことを言います。」
「道理者,當知四種:一者、觀待道理;二者、作用道理;三者、證成道理;四者、法爾道理。觀待道理者,謂若因若緣,能生諸行,及起隨說,如是名為觀待道理。作用道理者,謂若因若緣,能得諸法,或能成辦,或復生已作諸業用,如是名為作用道理。證成道理者,謂若因若緣,能令所立、所說、所標、義得成立,令正覺悟,如是名為證成道理。
真理の道理には四つの種類があると知るべきです。第一に「観待の道理」、第二に「作用の道理」、第三に「証成の道理」、第四に「法爾の道理」です。
観待の道理とは、ある因と縁によって様々な現象(行)が生じ、それに基づいて言葉による説明が行われることを指します。
作用の道理とは、ある因と縁によって諸々の現象(法)が得られ、実現され、あるいは生じた後にそのはたらきをなすことを指します。
証成の道理とは、ある因と縁によって、打ち立てられたことや、説かれたことや、示されたことの意味が確かに成立し、正しい悟りが得られるように導くことを指します。
「又此道理略有二種:一者、清淨;二者不清淨。由五種相名為清淨,由七種相名不清淨。
さらに、この道理には大きく二つの種類がある。第一は清浄、第二は不清浄である。五つの相によって清浄とされ、七つの相によって不清浄とされる。
「云何由五種相名為清淨?一者、現見所得相;二者、依止現見所得相;三者、自類譬喻所引相;四者、圓成實相;五者、善清淨言教相。
五つの特徴によって「清らか」と名づけられる。第一は、直接見て得られる特徴。第二は、直接見て得られるものを基にする特徴。第三は、同じ種類のたとえから導き出される特徴。第四は、完全に成立した真実の特徴。第五は、善く清められた教えの言葉の特徴。
「現見所得相者,謂一切行皆無常性,一切行皆是苦性,一切法皆無我性,此為世間現量所得。如是等類,是名現見所得相。
現に見える相とは、あらゆる現象(行)は無常であり、あらゆる現象は苦であり、あらゆる存在は無我であるという性質をいいます。これらは世間において直接的に知覚できるものです。このようなものを、現に見て得られる相と呼びます。
「依止現見所得相者,謂一切行皆剎那性,他世有性,淨不淨業無失壞性。由彼能依麁無常性,現可得故。由諸有情種種差別,依種種業現可得故,由諸有情若樂若苦,淨不淨業以為依止,現可得故。由此因緣,於不現見可為比度。如是等類,是名依止現見所得相。
「現に見えるものに基づいて理解するとは、あらゆる現象は一瞬ごとに変化する性質を持ち、来世も存在し、善行や悪行の結果は決して消えないことを意味します。なぜなら、それらの基盤となる粗い無常性が現に見えるからです。また、生きとし生けるものの様々な違いは、多様な行い(業)に基づいて現に見られます。さらに、生きとし生けるものの喜びや苦しみも、善悪の行いによって現に見られます。これらの理由から、目に見えない事柄についても推測することができるのです。このようなものを、現に見えるものに基づいて得られる理解と言います。」
「自類譬喻所引相者,謂於內外諸行聚中,引諸世間共所了知所得生死以為譬喻,引諸世間共所了知所得生等種種苦相以為譬喻,引諸世間共所了知所得不自在相以為譬喻,又復於外引諸世間共所了知所得衰盛以為譬喻。如是等類,當知是名自類譬喻所引相。
「同類の例えによって示される特徴とは、内外のあらゆる現象の中から、世間で広く知られている生死という概念を例えとして用い、世間でよく知られている誕生などの様々な苦しみの様相を例えとして用い、世間で共通して認識されている不自由な様相を例えとして用いることです。さらに、外側の現象についても、世間で広く知られている繁栄と衰退を例えとして用います。このような類いのものを、同類の例えによって示される特徴と知るべきです。」
「圓成實相者,謂即如是現見所得相,若依止現見所得相,若自類譬喻所得相,於所成立,決定能成,當知是名圓成實相。
「円成実相とは、すなわちこのようにして現に見て得られた相、あるいは現に見て得られた相に依り止まるもの、あるいは自らの類の譬えによって得られた相であり、成立させようとする事柄に対して、決定的にそれを成立させることができるものをいう。これが円成実相であると知るべきである。」
「善清淨言教相者,謂一切智者之所宣說,如言涅槃究竟寂靜,如是等類,當知是名善清淨言教相。
「善く清らかな教えの相とは、すべてを知る者(一切智者)が説かれた教えであり、例えば『涅槃は究極の静けさである』といったものです。このような教えを、善く清らかな教えの相と知るべきです。」
「善男子!是故由此五種相故,名善觀察清淨道理,由清淨故,應可修習。」
「善男子よ。ですから、この五つの特徴によって、『よく観察された清らかな道理』と呼ばれるのです。清らかであるからこそ、修行にふさわしいものなのです。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!一切智相者,當知有幾種?」
文殊師利菩薩が再び仏に問う。「世尊、一切智の相とは、どのような種類があるのでしょうか。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!略有五種:一者、若有出現世間一切智聲,無不普聞;二者、成就三十二種大丈夫相;三者、具足十力,能斷一切眾生一切疑惑;四者、具足四無所畏宣說正法,不為一切他論所伏,而能摧伏一切邪論;五者、於善說法、毘奈耶中,八支聖道、四沙門等,皆現可得。如是生故,相故,斷疑網故,非他所伏能伏他故,聖道、沙門現可得故,如是五種,當知名為一切智相。
仏は曼殊室利菩薩に告げて言われた。「善き男子よ、おおよそ五つのものがある。第一に、世に一切智の声が現れるならば、広く聞こえ渡らないところはないこと。第二に、三十二の大丈夫の相を成就すること。第三に、十の力を具えて、すべての衆生の一切の疑惑を断ち切ることができること。第四に、四つの無所畏を具えて正しい法を宣説し、他のいかなる論にも打ち負かされず、かえってすべての邪論を打ち破ること。第五に、よく説かれた法と律(毘奈耶)の中において、八つの正しい道(八支聖道)と四つの沙門の果などが、すべて現れて得られること。このように、生じることにより、相により、疑いの網を断つことにより、他に打ち負かされず他を打ち負かすことにより、聖なる道と沙門の果が現れて得られることにより、この五つのものを、一切智の相と名づけるべきである。」
「善男子!如是證成道理,由現量故、由比量故、由聖教量故。由五種相,名為清淨。
善男子(ぜんなんし)よ。このように証(しょう)を成立させる道理は、現量(げんりょう)・比量(ひりょう)・聖教量(しょうぎょうりょう)という三つの正しい認識の方法によって成り立っています。さらに、五つの特徴によって、それは清浄(しょうじょう)であるとされるのです。
「云何由七種相名不清淨?一者、此餘同類可得相;二者、此餘異類可得相;三者、一切同類可得相;四者、一切異類可得相;五者、異類譬喻所得相;六者、非圓成實相;七者、非善清淨言教相。
七つの特徴によって「不清浄」とされるものとは何か? 第一に、それ以外の同類のものが見出されるという特徴。 第二に、それ以外の異類のものが見出されるという特徴。 第三に、すべての同類のものが見出されるという特徴。 第四に、すべての異類のものが見出されるという特徴。 第五に、異類のたとえによって得られるという特徴。 第六に、完全に成立した真理ではないという特徴。 第七に、善く清められた教えの言葉ではないという特徴。
「若一切法意識所識性,是名一切同類可得相,若一切法相性業法因果異相,由隨如是一一異相,決定展轉各各異相,是名一切異類可得相。善男子!若於此餘同類可得相,及譬喻中有一切異類相者,由此因緣,於所成立非決定故,是名非圓成實相。又於此餘異類可得相,及譬喻中有一切同類相者,由此因緣,於所成立不決定故,亦名非圓成實相。非圓成實故,非善觀察清淨道理,不清淨故,不應修習。若異類譬喻所引相,若非善清淨言教相,當知體性皆不清淨。
「もしも、あらゆる現象が意識によって認識される性質を持つならば、これを『すべて同じ種類の認識できる特徴』と呼びます。また、あらゆる現象に、その姿、性質、作用、原因、結果などの異なる側面があり、それぞれが明確に異なる特徴を持つならば、これを『すべて異なる種類の認識できる特徴』と呼びます。
尊い方よ、もしも、この『同じ種類の認識できる特徴』や例え話の中に、『すべて異なる種類の特徴』が含まれているならば、その理由によって、証明しようとする事柄が確かではないため、これを『完全に実在するわけではない特徴』と呼びます。
さらに、この『異なる種類の認識できる特徴』や例え話の中に、『すべて同じ種類の特徴』が含まれているならば、その理由によって、証明しようとする事柄が確かではないため、これもまた『完全に実在するわけではない特徴』と呼びます。
『完全に実在するわけではない』ということは、正しく観察された清らかな道理ではないということです。清らかでないため、それを修行してはなりません。
もしも、異なる種類の例え話によって導かれる特徴や、明確に清らかでない教えの言葉による特徴があるならば、その本質はすべて清らかではないと知るべきです。」
「法爾道理者,謂如來出世,若不出世,法性,安住、法住,法界,是名法爾道理。
法爾道理とは、如来がこの世に現れるか現れないかに関わらず、法性(ものごとの本質)は常にそのままにあり、法住(真理として定まっていること)も、法界(真理の世界)も同様である。これを法爾道理という。
「總別者,謂先總說一句法已,後後諸句差別分別究竟顯了。
総別とは、まず全体として一つの教えを説き、その後で個々の文によって詳しく区別し、最終的にはっきりと明らかにすることです。
「自性相者,謂我所說有行有緣,所有能取菩提分法,謂念住等,如是名為彼自性相。
自性の相とは、私が説くところの修行と対象を伴うものであり、菩提の分法(悟りの要素)である念住などを取る能力を持つものを指します。これが、その自性の相と呼ばれるものです。
「彼果相者,謂若世間若出世間,諸煩惱斷,及所引發世出世間諸果功德,如是名為得彼果相。
「その果の特徴とは、迷いの世界におけるものであれ、迷いを超えた世界におけるものであれ、あらゆる煩悩が断たれ、その結果としてもたらされる、この世とあの世の全ての功徳のことを指します。これが『その果の特徴を獲得する』と呼ばれるものです。」
「彼領受開示相者,謂即於彼,以解脫智而領受之,及廣為他宣說開示,如是名為彼領受開示相。
「彼が受け取り、示す相とは、すなわちその教えを、解脱の智慧をもって自ら受け取り、さらに広く他の人々に説き示すことです。これを『受け取り示す相』と名づけます。」
「彼障礙法相者,謂即於修菩提分法,能隨障礙諸染污法,是名彼障礙法相。
彼の妨げとなる法の特徴とは、すなわち菩提分法の修行において、妨げとなるあらゆる煩悩の法を指す。これを彼の妨げとなる法の特徴と名付ける。
「彼隨順法相者,謂即於彼多所作法,是名彼隨順法相。
彼の法相に随順するとは、すなわちその法において多く為すべきことがあるということであり、これを「彼に随順する法相」と名づける。
「彼過患相者,當知即彼諸障礙法所有過失,是名彼過患相。
その過患の相とは、まさに知るべきである——それらの障礙法にありとあらゆる過失があること、これを「彼の過患の相」と名づける。
「彼勝利相者,當知即彼諸隨順法所有功德,是名彼勝利相。」
勝利の相とは、知っておくべきことですが、それは随順する法における功徳のことを指します。これが勝利の相と呼ばれるものです。
曼殊室利菩薩復白佛言:「唯願世尊為諸菩薩略說契經、調伏、本母、不共外道陀羅尼義,由此不共陀羅尼義,令諸菩薩得入如來所說諸法甚深密意。」
文殊師利菩薩が再び仏に申し上げました。「どうか世尊よ、諸々の菩薩のために、経典・律・論蔵(三蔵)と、外道と共通しない陀羅尼の意味を簡潔にお説きください。この外道と共通しない陀羅尼の意味によって、諸々の菩薩が如来の説かれた諸法の深遠な密意に入ることができますように。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!汝今諦聽,吾當為汝略說不共陀羅尼義,令諸菩薩,於我所說密意言詞能善悟入。
仏が曼殊室利菩薩に告げられた。「善男子よ、あなたは今、よく聞きなさい。私はあなたのために、共通しない陀羅尼の意味を簡潔に説こう。諸々の菩薩が、私の説く密意ある言葉を、よく悟り入ることができるように。」
「善男子!若雜染法、若清淨法,我說一切皆無作用,亦都無有補特伽羅,以一切種離所為故。非雜染法先染後淨,非清淨法後淨先染,凡夫異生,於麁重身,執著諸法、補特伽羅自性差別,隨眠妄見以為緣故,計我我所;由此妄見,謂我見、我聞、我嗅、我甞、我觸、我知、我食、我作、我染、我淨,如是等類邪加行轉。若有如實知如是者,便能永斷麁重之身,獲得一切煩惱不住,最極清淨,離諸戲論,無為依止,無有加行。善男子!當知是名略說不共陀羅尼義。」
「善男子よ。汚れた世の現象であれ、清らかな真理の現象であれ、私はそれらすべてに固有の作用はなく、また実体としての自我(人我)も全く存在しないと説く。なぜなら、あらゆる要素には作為が離れているからである。汚れた現象が先にあり、後から清らかになるのではなく、清らかな現象が後から現れて先の汚れを消すのでもない。
凡夫や未熟な人々は、重く粗い肉体と心に執着し、あらゆる現象や自我(人我)に固有の本質や違いがあると思い込む。眠れるような誤った見解を縁として、「私」や「私のもの」と執着する。この誤った見解によって、「私が見る」「私が聞く」「私が嗅ぐ」「私が味わう」「私が触れる」「私が知る」「私が食べる」「私が作る」「私が汚れる」「私が清まる」といった邪な分別が生まれ、誤った行いへと向かうのである。
もし、ある人が真実をありのままに知れば、その人は重く粗い肉体と心を永く断ち切り、あらゆる煩悩に捉えられない状態を得る。最も清らかで、すべての虚偽の分別を離れ、作為なき支えに依って立ち、もはや新たな努力(加行)を必要としない。
善男子よ、これを簡略に説いた、他に共通しない陀羅尼(真言の要義)の意味と知るべきである。」
爾時,世尊欲重宣此義,而說頌曰:
その時、世尊はこの教えの意味を改めて明らかにしようと、次のように詩句でお示しになりました。
「一切雜染清淨法,皆無作用數取趣。
由我宣說離所為,染污清淨非先後。
於麁重身隨眠見,為緣計我及我所;
由此妄謂我見等,我食我為我染淨。
若如實知如是者,乃能永斷麁重身,
得無染淨無戲論,無為依止無加行。」
「あらゆる煩悩や汚れのある世界(雑染)と清らかな世界(清浄)の法は、どれも固有の作用も、それを引き起こす主体も存在しません。 私が説くところでは、すべてを超えた働きによって、汚れや清らかさに先後(順序)はないのです。 重く覆いかぶさる心身(麁重身)の中に、眠っているかのような見解を因として、私や私のものという思いが生まれます。 その誤った思いから、私という見解、私の食、私という行為、私の汚れや清らかさといったものが現れます。 もしこの道理をあるがままに知ることができれば、その重い心身を完全に断ち切り、 汚れも清らかさもなく、戯論(言葉や概念による虚構)もなく、何ものにもよらない安らかな境地に至り、もはや造作や修行も必要としないのです。」
爾時,曼殊室利菩薩摩訶薩復白佛言:「世尊!云何應知諸如來心生起之相?」
その時、文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)が再び仏に尋ねました。「世尊(せそん)、どのようにして如來(にょらい)の心が生じるすがたを知るべきなのでしょうか?」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!夫如來者,非心意識生起所顯,然諸如來有無加行心法生起,當知此事猶如變化。」
仏は文殊師利菩薩に告げられた。「善き男子よ、如来とは、心や意識の働きによって生じ顕われるものではない。しかしながら、如来には、特別な修行の作用(加行)を必要としない心の働きが自然に生じることがある。このことを、変化(現象)のようなものとして理解しなさい。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!若諸如來法身,遠離一切加行;既無加行,云何而有心法生起?」
文殊師利菩薩が再び仏に問うた。「世尊よ、もし如来の法身があらゆる修行の行いから離れているならば、そこには修行の行いがないのに、どのようにして心の働きが生じるのでしょうか?」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!先所修習方便般若加行力故,有心生起。善男子!譬如正入無心睡眠,非於覺悟而作加行,由先所作加行勢力而復覺悟。又如正在滅盡定中,非於起定而作加行,由先所作加行勢力,還從定起。如從睡眠及滅盡定心更生起,如是如來由先修習方便般若加行力故,當知復有心法生起。」
仏が文殊師利菩薩に告げられた。「善き男子よ、先に修習した方便と般若の修行の力によって、心が生じるのである。善き男子よ、例えば人が無心の睡眠に入っているとき、目覚めるために特別に努力するわけではない。しかし、先に為した努力の力によって自然に目覚めるのである。また、例えば人が滅尽定に入っているとき、その定から出ようと特別に努力するわけではない。しかし、先に為した修行の力によって、自然にその定から出るのである。眠りから覚める時や、滅尽定から出る時に心が再び生じるように、如来もまた、先に修習した方便と般若の修行の力によって、再び心の働きが生じるのであると知るべきである。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!如來化身,當言有心為無心耶?」
文殊師利菩薩が再び仏に尋ねました。「世尊(世に尊い方)よ。如来の化身には、心があると言うべきなのでしょうか、それとも心がないと言うべきなのでしょうか。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!非是有心,亦非無心。何以故?無自依心故,有依他心故。」
仏が文殊師利菩薩に告げられました。「善き男子よ、この心は、『何かがある』という心でもなく、『何もない』という心でもありません。なぜなら、この心は自分だけで存在するのではなく、他の条件に依存して生じるものだからです。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!如來所行,如來境界,此之二種,有何差別?」
文殊師利菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(せそん)よ。如来の行じるところと、如来の境界(きょうがい)とは、この二つにどのような違いがあるのでしょうか。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!如來所行,謂一切種,如來共有不可思議無量功德,眾所莊嚴清淨佛土。如來境界,謂一切種,五界差別。何等為五?一者、有情界;二者、世界;三者、法界;四者、調伏界;五者、調伏方便界。如是名為二種差別。」
仏、曼殊室利菩薩に告げたまわく、「善男子よ。如来の行うところは、あらゆる種類のものにおいて、如来に共通する、思いはかることのできない、はかり知れない功徳をもって、多くのものが荘厳し、清らかな仏の国土である。如来の境地とは、あらゆる種類において、五つの世界の違いがある。その五つとは何か。第一に有情の世界、第二に物質の世界、第三に真理の世界、第四に調伏されるべき人々の世界、第五に調伏するための手段の世界である。これらを二種類の違いと名付ける。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!如來成等正覺、轉正法輪、入大涅槃,如是三種,當知何相?」
文殊菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ。如来が正しい悟りを開き、正しい法の教えを説き、大いなる涅槃に入られる、この三つのあり方には、どのような特徴があるのでしょうか。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!當知此三皆無二相。謂非成等正覺、非不成等正覺;非轉正法輪、非不轉正法輪;非入大涅槃、非不入大涅槃。何以故?如來法身究竟淨故,如來化身常示現故。」
仏は文殊師利菩薩に告げて言われた。「善き男子よ、知るべきである。これら三つには、いずれも二つの相(区別)はない。すなわち、『正等覚を成就する』でもなく、『正等覚を成就しない』でもない。『正しい法輪を転ずる』でもなく、『正しい法輪を転じない』でもない。『大いなる涅槃に入る』でもなく、『大いなる涅槃に入らない』でもない。なぜなら、如来の法身は究極的に清らかであり、如来の化身は常に現れ示すからである。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!諸有情類,但於化身見聞奉事生諸功德,如來於彼有何因緣?」
文殊師利菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(世に尊い方)よ、あらゆる生きとし生けるものは、ただ変化した姿を見聞きし、敬い仕えることによって様々な功徳を生み出します。そのような者たちに対して、如来にはどのような因縁(かかわり)があるのでしょうか?」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!如來是彼增上所緣之因緣故。又彼化身,是如來力所住持故。」
仏が曼殊室利菩薩に告げられた。「善き男子よ、如来は、彼ら(修行者たち)がより高みへと向かうための拠り所となる因縁なのです。また、その化身は、如来の力によって支えられているものなのです。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!等無加行,何因緣故如來法身,為諸有情放大智光,及出無量化身影像?聲聞、獨覺解脫之身,無如是事?」
文殊師利菩薩が再び仏に問うた。「世尊よ。平等にして、さらに加わるものがない(等無加行)であるならば、なぜ如来の法身は、生きとし生けるもののために大いなる智慧の光を放ち、さらに無量の化身の影像を現すのでしょうか。声聞や独覚の解脱した身には、そのようなことはありません。その理由は何でしょうか。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!譬如等無加行,從日、月輪水火二種頗胝迦寶放大光明,非餘水火頗胝迦寶,謂大威德有情所住持故,諸有情業增上力故。又如從彼善工業者之所雕飾,末尼寶珠出印文像,不從所餘不雕飾者。如是緣於無量法界方便般若,極善修習磨瑩,集成如來法身,從是能放大智光明及出種種化身影像,非唯從彼解脫之身,有如斯事。」
仏が文殊師利菩薩に告げられた。「善男子よ。例えば、何の加行もないものから、日月の輪にある水と火の二種のガラスの宝が大いなる光明を放つことはない。他の水や火のガラスの宝でもない。それは大いなる威徳ある有情が住持するがゆえ、また諸々の有情の業が増上の力となるがゆえである。また例えば、巧みな業の者によって彫飾された摩尼宝珠からは印文の像が現れるが、彫飾されていないものからは現れない。このように、無量の法界に縁る方便般若を極めてよく修習し磨き上げて、如来の法身を集成する。そのことから、はじめて大いなる智慧の光明を放ち、種々の化身の影像を現出するのである。決して、ただ解脱の身のみから、このような事があるのではない。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!如世尊說:『如來、菩薩威德住持,令諸眾生於欲界中,生剎帝利、婆羅門等大富貴家,人身財寶無不圓滿,或欲界天、色、無色界,一切身財圓滿可得。』世尊!此中有何密意?」
曼殊室利菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、世尊がおっしゃいました。『如来や菩薩の威徳の力によって、全ての衆生は欲界において、クシャトリヤやバラモンなどの大富豪の家に生まれ、人としての身体や財宝がすべて円満に得られる。あるいは欲界の天、色界、無色界においても、あらゆる身体と財産の円満を得ることができる』と。世尊よ、この言葉にはどのような深い意味が隠されているのでしょうか?」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!如來、菩薩威德住持,若道若行,於一切處,能令眾生獲得身財皆圓滿者,即隨所應,為彼宣說此道此行。若有能於此道此行正修行者,於一切處所獲身財無不圓滿。若有眾生於此道行違背輕毀,又於我所起損惱心及瞋恚心,命終已後,於一切處所得身財無不下劣。曼殊室利!由是因緣,當知如來及諸菩薩威德住持,非但能令身財圓滿,如來、菩薩住持威德,亦令眾生身財下劣。」
仏が曼殊室利菩薩に告げられた。「善き男子よ。如来や菩薩の威徳の力は、その教えや実践を通じて、あらゆる場所で、人々に身も財も円満に備えさせることができる。それにふさわしい者には、その道と行いを説くのだ。もしこの道と行いを正しく実践する者があれば、どこにあっても、身も財も円満でないことはない。しかし、この道と行いに背き、軽んじ毀つ者、また私に対して損なう心や怒りの心を起こす者は、命終えた後、どこにあっても、得る身も財も劣ったものとなる。曼殊室利よ、この因縁によって、如来や菩薩の威徳の力は、身と財を円満にするだけでなく、逆にそれを劣ったものにすることもできると知るべきである。」
曼殊室利菩薩復白佛言:「世尊!諸穢土中,何事易得?何事難得?諸淨土中,何事易得?何事難得?」
曼殊室利菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊よ、汚れた世界において、何が得やすく、何が得にくいのでしょうか。また、清らかな世界においては、何が得やすく、何が得にくいのでしょうか。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!諸穢土中,八事易得,二事難得。何等名為八事易得?一者、外道;二者、有苦眾生;三者、種姓家世興衰差別;四者、行諸惡行;五者、毀犯尸羅;六者、惡趣;七者、下乘;八者、下劣意樂加行菩薩。何等名為二事難得?一者、增上意樂加行菩薩之所遊集,二者、如來出現于世。曼殊室利!諸淨土中與上相違,當知八事甚為難得,二事易得。」
仏は曼殊室利菩薩に告げられた。「善男子よ、様々な濁った世界では、八つのことが容易に得られ、二つのことが得難い。どの八つが容易に得られるのか。第一に、外道。第二に、苦しむ衆生。第三に、家柄や家系の繁栄と衰退の差。第四に、様々な悪行をなすこと。第五に、戒律を破ること。第六に、悪い生まれ変わり。第七に、劣った教え。第八に、下劣な心構えで修行する菩薩である。では、どの二つが得難いのか。第一に、優れた心構えで修行する菩薩が集まること。第二に、如来が世に現れることである。曼殊室利よ、清らかな世界ではこれとは逆で、八つのことが非常に得難く、二つのことが容易に得られると知るべきである。」
爾時,曼殊室利菩薩白佛言:「世尊!於此解深密法門中,此名何教?我當云何奉持?」
その時、文殊師利菩薩が仏に向かって言いました。「世尊よ、この『解深密』の教えの法門は、どのような名前で呼ばれるのでしょうか。私はどのようにしてこれを修行し、守り伝えればよいのでしょうか。」
佛告曼殊室利菩薩曰:「善男子!此名如來成所作事了義之教,於此如來成所作事了義之教,汝當奉持。」
仏が文殊師利菩薩に告げられた。「善男子よ、これを『如来の成すべき事業を完成する教え』(如来成所作事)の、真実の意味を明らかにする教えと名づける。この如来の成すべき事業を完成する教えの、真実の意味を明らかにする教えを、あなたはよく保ち、守りなさい。」
說是如來成所作事了義教時,於大會中有七十五千菩薩摩訶薩,皆得圓滿法身證覺。
この如来の成したまう所作、了義の教えを説かれたとき、大法会のうちに七万五千の菩薩摩訶薩がいて、みな法身を円満に証得して覚りを開いた。
解深密經卷第五
解深密経 巻第五