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解深密経 (解深密經)


解深密經卷第四

解深密経 巻第四

大唐三藏法師玄奘奉 詔譯

大唐三蔵法師玄奘奉詔訳

地波羅蜜多品第七

第七章 地波羅蜜多

爾時,觀自在菩薩白佛言:「世尊!如佛所說菩薩十地,所謂極喜地、離垢地、發光地、焰慧地、極難勝地、現前地、遠行地、不動地、善慧地、法雲地;復說佛地為第十一。如是諸地,幾種清淨?幾分所攝?」

その時、観自在菩薩が仏に申し上げました。 「世尊よ。仏がお説きになる菩薩の十地(じゅうじ)—— 即ち、極喜地(ごっきじ)、離垢地(りくじ)、発光地(ほっこうじ)、焰慧地(えんねじ)、極難勝地(ごくなんしょうじ)、現前地(げんぜんじ)、遠行地(おんぎょうじ)、不動地(ふどうじ)、善慧地(ぜんねじ)、法雲地(ほううんじ)—— これらの諸々の地に加え、更に仏地を第十一とされていますが、これらの地は、いくつの清らかさによって成り立ち、いくつの領域に分けられるのでしょうか?」

爾時,世尊告觀自在菩薩曰:「善男子!當知諸地四種清淨、十一分攝。

時に、世尊は観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、知るがよい。諸々の修行の段階には、四種の清らかさと十一の区分があるのだ。」

「云何名為四種清淨能攝諸地?謂增上意樂清淨攝於初地;增上戒清淨攝第二地;增上心清淨攝第三地;增上慧清淨於後後地轉勝妙故,當知能攝從第四地乃至佛地。善男子!當知如是四種清淨普攝諸地。

「四つの清らかさがすべての修行の段階を包含すると言われるのは、どのような意味でしょうか。それは、第一の段階は向上した意欲の清らかさが収め、第二の段階は向上した戒めの清らかさが収め、第三の段階は向上した心の清らかさが収め、向上した智慧の清らかさは、その後の段階でさらに優れたものとなるため、第四の段階から仏の境地に至るまでを包含すると知るべきです。善き人よ、これら四つの清らかさが、すべての修行の段階を広く包括していると理解しなさい。」

「云何名為十一種分能攝諸地?謂諸菩薩先於勝解行地,依十法行,極善修習勝解忍故,超過彼地,證入菩薩正性離生。彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能於微細毀犯誤現行中正知而行,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能得世間圓滿、等持、等至及圓滿聞持陀羅尼,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能令隨所獲得菩提分法,多修習住,心未能捨諸等至愛及與法愛,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能於諸諦道理如實觀察,又未能於生死涅槃棄捨一向背趣作意,又未能修方便所攝菩提分法,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能於生死流轉如實觀察,又由於彼多生厭故,未能多住無相作意,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能令無相作意、無缺、無間、多修習住,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能於無相住中捨離功用,又未能得於相自在,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能於異名眾相、訓詞差別、一切品類宣說法中,得大自在,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能得圓滿法身現前證受,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,彼諸菩薩由是因緣,此分圓滿。而未能得遍於一切所知境界無著、無礙、妙智、妙見,由是因緣,於此分中猶未圓滿。為令此分得圓滿故,精勤修習便能證得,由是因緣,此分圓滿。此分滿故,於一切分皆得圓滿。善男子!當知如是十一種分普攝諸地。」

では、十一種の区分をもって、いかにしてすべての菩薩の位を統括するのかについて説明しましょう。

まず菩薩は、勝解行地において十種の法の実践に基づき、勝解の忍びを極めて修習します。それによってその位を超え、菩薩としての正しい性質と凡夫の性質からの解脱を悟ります。これにより、この第一の区分は成就します。

しかし、まだ微細な過ちや無意識の犯行に対して、正しい自覚をもって行動することができません。そのため、この区分はまだ完全とは言えません。これを完全にするために精進して修習すれば、やがてそれを体得できます。こうして第二の区分も成就します。

しかし、まだ世間的な完成や、心をひとつにする禅定、あるいは完全な記憶力や陀羅尼を得ていません。そのため、この区分はまだ未完成です。これを完全にしようと精進すれば、やがて成就します。これが第三の区分です。

さらに、得た悟りの要素を繰り返し修習して心に留めることが十分でなく、また禅定への愛着や教えへの愛着を捨てきれていません。そこで精進することで、第四の区分が完成します。

続いて、諸々の真理を如実に観察すること、生死と涅槃のどちらかに偏った心構えを捨てること、また方便を伴う悟りの要素を修習することが不十分です。そのため精進して第五の区分を完成させます。

次に、生死の流転を如実に観察できず、またそれに厭う気持ちが強いため、無相の心構えを十分に保てません。そこで精進し、第六の区分を得ます。

さらに、無相の心構えを欠けることなく、途切れなく、繰り返し修習して留まることができません。そのため精進して第七の区分を完成させます。

また、無相に留まりながらも、努力の必要性を捨てきれず、現象に対する自在さも得ていません。そこで精進し、第八の区分を得ます。

さらに、様々な名称、種々の相、言葉の違い、あらゆる教えの分類において、完全な自在さを得ていません。そのため精進して第九の区分を完成させます。

次に、完全な法身を現前に証得することができていません。そこで精進し、第十の区分を得ます。

最後に、あらゆる認識対象について、執着なく、障りなく、優れた智慧と見解を得ていません。そのため精進し、第十一の区分を完成させます。

この第十一の区分が完成すると、すべての区分が円満に成就します。善男子よ、知るがよい。このように十一種の区分が、すべての菩薩の位を統括しているのである。

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何緣最初名極喜地?乃至何緣說名佛地?」

観自在菩薩が再び仏に問いかけました。「世尊(せそん)よ。なぜ最初の段階を『極喜地(ごうきじ)』と呼ぶのですか?そして、どうして最後の『仏地(ぶつじ)』という名があるのですか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!成就大義,得未曾得出世間心,生大歡喜,是故最初名極喜地。遠離一切微細犯戒,是故第二名離垢地。由彼所得三摩地及聞持陀羅尼,能為無量智光依止,是故第三名發光地。由彼所得菩提分法,燒諸煩惱,智如火焰,是故第四名焰慧地。由即於彼菩提分法,方便修習最極艱難,方得自在,是故第五名極難勝地。現前觀察諸行流轉,又於無相多修作意方現在前,是故第六名現前地。能遠證入無缺無間無相作意,與清淨地共相隣接,是故第七名遠行地。由於無相得無功用,於諸相中不為現行煩惱所動,是故第八名不動地。於一切種說法自在,獲得無罪廣大智慧,是故第九名善慧地。麁重之身,廣如虛空,法身圓滿,譬如大雲,皆能遍覆,是故第十名法雲地。永斷最極微細煩惱及所知障,無著無礙,於一切種所知境界,現正等覺,故第十一說名佛地。」

仏が観自在菩薩に告げた。「善男子よ。大いなる意義を成就し、未だ曾て得ざる出世間の心を得て、大いなる歓喜を生ずるが故に、これを最初に極喜地と名づく。あらゆる微細な戒を犯すことを遠離するが故に、これを第二に離垢地と名づく。彼の得たる三摩地及び聞持陀羅尼により、無量の智光の依止となることを得るが故に、これを第三に発光地と名づく。彼の得たる菩提分法により、諸の煩悩を焼き、智が火焰の如くなるが故に、これを第四に焔慧地と名づく。即ち彼の菩提分法において、方便に修習する最も極めて艱難にして、方に自在を得るが故に、これを第五に極難勝地と名づく。現前して諸行の流転を観察し、又た無相において多く作意を修して方に現在前するが故に、これを第六に現前地と名づく。能く遠く証入して、欠けず間断なき無相の作意を得、清浄地と互いに隣接するが故に、これを第七に遠行地と名づく。無相において功用なくを得て、諸の相において現行の煩悩に動かされざるが故に、これを第八に不動地と名づく。一切の種において説法自在を得て、無罪の広大なる智慧を獲得するが故に、これを第九に善慧地と名づく。麁重の身は広く虚空の如く、法身は円満して大雲の如く、皆能く遍く覆うが故に、これを第十に法雲地と名づく。最も極めて微細なる煩悩及び所知障を永断し、無著無礙にして、一切の種の所知境界において現に正等覚を証するが故に、第十一を説いて仏地と名づく。」

觀自在菩薩復白佛言:「於此諸地有幾愚癡、有幾麁重為所對治?」

観自在菩薩は再び仏に申し上げました。「これらの菩薩の階位には、どのような無知(愚癡)と、どのような粗い煩悩(麁重)が、対治すべき対象として存在するのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!此諸地中有二十二種愚癡、十一種麁重為所對治。謂於初地有二愚癡:一者、執著補特伽羅及法愚癡,二者、惡趣雜染愚癡;及彼麁重為所對治。於第二地有二愚癡:一者、微細誤犯愚癡,二者、種種業趣愚癡;及彼麁重為所對治。於第三地有二愚癡:一者、欲貪愚癡,二者、圓滿聞持陀羅尼愚癡;及彼麁重為所對治。於第四地有二愚癡:一者、等至愛愚癡,二者、法愛愚癡;及彼麁重為所對治。於第五地有二愚癡:一者、一向作意棄背生死愚癡,二者、一向作意趣向涅槃愚癡;及彼麁重為所對治。於第六地有二愚癡:一者、現前觀察諸行流轉愚癡,二者、相多現行愚癡;及彼麁重為所對治。於第七地有二愚癡:一者、微細相現行愚癡,二者一向無相作意方便愚癡;及彼麁重為所對治。於第八地有二愚癡:一者、於無相作功用愚癡,二者、於相自在愚癡;及彼麁重為所對治。於第九地有二愚癡:一者、於無量說法、無量法句文字、後後慧辯陀羅尼自在愚癡,二者辯才自在愚癡;及彼麁重為所對治。於第十地有二愚癡:一者、大神通愚癡,二者、悟入微細祕密愚癡;及彼麁重為所對治。於如來地有二愚癡:一者、於一切所知境界極微細著愚癡,二者、極微細礙愚癡;及彼麁重為所對治。

仏は観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、これらの菩薩の十の地には、対治すべき二十二種の愚かさと十一種の粗い煩悩の重みがある。

すなわち、初地には二つの愚かさがある。一つは、自己や物事に執着する愚かさ、二つ目は、悪い世界へと向かう煩悩の愚かさである。そして、それらの粗い煩悩の重みが対治の対象となる。

第二地には二つの愚かさがある。一つは、微細な過ちを犯す愚かさ、二つ目は、様々な業や道への執着の愚かさである。

第三地には二つの愚かさがある。一つは、欲や貪りの愚かさ、二つ目は、広く教えを聞き記憶して、陀羅尼を得ることへの執着の愚かさである。

第四地には二つの愚かさがある。一つは、禅定の味わいへの愛着の愚かさ、二つ目は、教え自体への愛着の愚かさである。

第五地には二つの愚かさがある。一つは、常に生死の世界を嫌い捨てようと心がける愚かさ、二つ目は、常に涅槃のみを目指そうと心がける愚かさである。

第六地には二つの愚かさがある。一つは、目の前の現象の流れを観察することに留まる愚かさ、二つ目は、様々な相が多く現れる愚かさである。

第七地には二つの愚かさがある。一つは、微細な相が現れる愚かさ、二つ目は、常に「相のないこと」だけを目指す方便の愚かさである。

第八地には二つの愚かさがある。一つは、「相のない状態」にあってもなお努力を要する愚かさ、二つ目は、様々な相を自在に扱えない愚かさである。

第九地には二つの愚かさがある。一つは、無量の説法や言葉、そして後に続く智慧や辯才の陀羅尼を自在に得ることへの執着の愚かさ、二つ目は、辯才そのものが自在でない愚かさである。

第十地には二つの愚かさがある。一つは、大きな神通力への執着の愚かさ、二つ目は、微細な秘密を悟り入ることへの障害の愚かさである。

如来の境地には二つの愚かさがある。一つは、全ての認識対象に対して極めて微細に執着する愚かさ、二つ目は、極めて微細な障害の愚かさである。そして、それらの粗い煩悩の重みが対治の対象となる。」

「善男子!由此二十二種愚癡及十一種麁重故,安立諸地;而阿耨多羅三藐三菩提離彼繫縛。」

「善男子よ。この二十二種の無明と十一種の煩悩の重荷があるからこそ、修行の段階が位置づけられているのです。そして、完全なる悟りは、それらすべての束縛から解き放たれたものなのです。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!阿耨多羅三藐三菩提甚奇希有,乃至成就大利大果,令諸菩薩能破如是大愚癡羅網,能越如是大麁重稠林,現前證得阿耨多羅三藐三菩提。」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、無上正等覚(あのくたらさんみゃくさんぼだい)は、まことに稀有であり、さらには大きな利益と大きな果報をもたらします。この教えにより、多くの菩薩たちが、このような大きな愚痴の網を打ち破り、このような大きな重苦しい迷いの森を乗り越え、目の前に無上正等覚を証得することができるのです。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如是諸地,幾種殊勝之所安立?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(せそん)よ、これらの諸々の修行の段階(地)には、どのような優れた特質が備わっているのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!略有八種:一者、增上意樂清淨;二者、心清淨;三者、悲清淨;四者、到彼岸清淨;五者、見佛供養承事清淨;六者、成熟有情清淨;七者、生清淨;八者、威德清淨。

仏は観自在菩薩に告げて言われた。「善男子よ、大まかに説けば八つの清らかさがある。第一に、高められた心の清らかさ。第二に、心そのものの清らかさ。第三に、慈悲の清らかさ。第四に、彼岸に到る清らかさ。第五に、仏を拝し供養し仕える清らかさ。第六に、人々を成熟させる清らかさ。第七に、生まれる場所の清らかさ。第八に、威徳の清らかさである。」

「善男子!於初地中,所有增上意樂清淨,乃至威德清淨;後後諸地乃至佛地,所有增上意樂清淨,乃至威德清淨,當知彼諸清淨展轉增勝,唯於佛地除生清淨。又初地中所有功德,於上諸地平等皆有,當知自地功德殊勝。一切菩薩十地功德皆是有上,佛地功德當知無上。」

「善き人よ。初地においては、向上する意欲の清らかさから、さらには威厳の清らかさに至るまで、その後の各境地から仏の境地に至るまで同様に、向上する意欲の清らかさから威厳の清らかさに至るまで存在する。これらの清らかさは、次第に増し勝っていくものであり、ただ仏の境地においてのみ、生まれながらの清らかさは除かれる。さらに、初地にあるすべての功徳は、上の各境地にも平等に存在するが、各境地に固有の功徳が特に優れていると知るべきである。すべての菩薩の十地の功徳は、いずれもなお完全ではないが、仏の境地の功徳は、完全無比であると知るべきである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故說菩薩生,於諸有生最為殊勝?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、どのような理由で、菩薩の生は、あらゆる生存の中で最も優れているとおっしゃるのですか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!四因緣故:一者、極淨善根所集起故;二者、故意思擇力所取故;三者、悲愍濟度諸眾生故;四者、自能無染除他染故。」

仏が観自在菩薩に告げられた。「善き人よ、四つの因縁がある。第一に、極めて清らかな善根によって生じるからである。第二に、故意に思惟し選択する力によって捉えられるからである。第三に、悲しみの心で衆生を救い済おうとするからである。第四に、自らは染まらず、他者の染めを除くからである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故說諸菩薩行廣大願、妙願、勝願?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊よ、どのような理由で菩薩たちの広大な願、妙なる願、勝れた願が説かれるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!四因緣故:謂諸菩薩,能善了知涅槃樂住,堪能速證;而復棄捨速證樂住;無緣無待發大願心;為欲利益諸有情故,處多種種長時大苦。是故我說彼諸菩薩行廣大願、妙願、勝願。」

仏は観自在菩薩に告げられた。「善き男子よ、四つの理由がある。すなわち、諸々の菩薩は、涅槃の安楽に留まることを正しく知り、速やかにそれを証得する力がありながら、その速やかな証得と安楽の留まることを自ら捨て去り、理由や条件を待つことなく大いなる誓いの心を起こし、もろもろの有情を利益するために、様々な種類の長きにわたる大きな苦しみの中に身を置くのである。それゆえ、私は彼ら諸々の菩薩が広大な願、妙なる願、殊勝な願を実践していると説くのである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!是諸菩薩凡有幾種所應學事?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(世尊よ)、これらの菩薩には、学ぶべきことがいくつあるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!菩薩學事略有六種:所謂布施、持戒、忍辱、精進、靜慮、慧到彼岸。」

お釈迦様は観自在菩薩にこうおっしゃいました。「善き男子よ、菩薩の学ぶべきことには、おおまかに六つの種類があります。すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、静慮、そして智慧の波羅蜜多(完全な智慧)です。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如是六種所應學事,幾是增上戒學所攝?幾是增上心學所攝?幾是增上慧學所攝?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊よ、この六つの学ぶべき事柄(六波羅蜜)の中で、どれが增上戒学に含まれ、どれが增上心学に含まれ、どれが增上慧学に含まれるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!當知初三,但是增上戒學所攝;靜慮一種,但是增上心學所攝;慧是增上慧學所攝;我說精進遍於一切。」

仏は観自在菩薩に告げられた。「善き者よ、知るがよい。最初の三つ(戒・定・慧のうちの前の二つ)は、もっぱら増上戒学に含まれる。静慮は、ただ増上心学に含まれる。智慧は増上慧学に含まれる。そして、精進はすべてにわたるものであると、私は説く。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如是六種所應學事,幾是福德資糧所攝?幾是智慧資糧所攝?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。 「世尊よ、この六つの学ぶべき事柄のうち、どれが福徳を積む糧に含まれ、どれが智慧の糧に含まれるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!若增上戒學所攝者,是名福德資糧所攝;若增上慧學所攝者,是名智慧資糧所攝;我說精進、靜慮二種遍於一切。」

仏は観自在菩薩に告げられました。「善男子よ。もしも戒律の向上を学ぶことに含まれるならば、それは功徳の資糧(集積)に含まれると言える。もしも智慧の向上を学ぶことに含まれるならば、それは智慧の資糧に含まれると言える。そして、精進と静慮(瞑想)の二つは、あらゆるものにわたるものであると、私は説く。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!於此六種所學事中,菩薩云何應當修學?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(尊いお方)よ、この六つの学ぶべき事柄について、菩薩はどのように修学すべきなのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!由五種相應當修學:一者、最初於菩薩藏波羅蜜多相應微妙正法教中,猛利信解;二者、次於十種法行,以聞、思、修所成妙智,精進修行;三者、隨護菩提之心;四者、親近真善知識;五者、無間勤修善品。」

仏は観自在菩薩に告げられました。「善男子よ、五つの大切なポイントに従って修行すべきである。第一に、初めに菩薩蔵の波羅蜜多にかなった微妙な正しい教えに対して、強い確信を持つこと。第二に、次に十種類の修行法について、聞き・考え・実修によって得られたすぐれた智慧をもって、熱心に修行すること。第三に、悟りを求める心を守り続けること。第四に、真の善き先生に親しく近づくこと。第五に、絶えることなく善い行いを熱心に修行すること。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故,施設如是所應學事,但有六數?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(世に尊い方)よ、どのような理由で、このように学ぶべき事柄を設けられたのでしょうか。しかも、その数は六つだけなのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!二因緣故:一者、饒益諸有情故;二者、對治諸煩惱故。當知前三饒益有情,後三對治一切煩惱。前三饒益諸有情者,謂諸菩薩由布施故,攝受資具饒益有情;由持戒故,不行損害逼迫惱亂,饒益有情;由忍辱故,於彼損害逼迫惱亂堪能忍受,饒益有情。後三對治諸煩惱者,謂諸菩薩由精進故,雖未永伏一切煩惱,亦未永害一切隨眠,而能勇猛修諸善品,彼諸煩惱不能傾動善品加行;由靜慮故,永伏煩惱;由般若故,永害隨眠。」

仏が観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、二つの因縁がある。一つ目は有情を利益することのためであり、二つ目は諸々の煩悩を対治することのためである。知るべきである。最初の三つは有情を利益し、後の三つは一切の煩悩を対治する。最初の三つが有情を利益するとは、すなわち諸々の菩薩が布施によって資具を摂受し有情を利益し、持戒によって損害・逼迫・悩乱を行わず有情を利益し、忍辱によってその損害・逼迫・悩乱を堪え忍び有情を利益することをいう。後の三つが諸々の煩悩を対治するとは、すなわち諸々の菩薩が精進によって、まだ一切の煩悩を永く伏しておらず、また一切の随眠を永く害していないが、勇猛に諸々の善品を修することができ、それらの煩悩が善品の加行を傾動させることができず、静慮によって煩悩を永く伏し、般若によって随眠を永く害することをいう。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故,施設所餘波羅蜜多,但有四數?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(せそん)さま、どのような理由があって、残りの波羅蜜多(はらみった)は四つだけと定められたのですか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!由前六種波羅蜜多為助伴故。謂諸菩薩,於前三種波羅蜜多所攝有情,以諸攝事,方便善巧而攝受之,安置善品,是故我說方便善巧波羅蜜多與前三種而為助伴。若諸菩薩,於現法中煩惱多故,於修無間無有堪能,羸劣意樂故、下界勝解故,於內心住無有堪能,於菩薩藏不能聞緣善修習故,所有靜慮,不能引發出世間慧。彼便攝受少分狹劣福德資糧,為未來世煩惱輕微,心生正願,如是名願波羅蜜多。由此願故,煩惱微薄,能修精進,是故我說願波羅蜜多與精進波羅蜜多而為助伴。若諸菩薩,親近善士,聽聞正法,如理作意為因緣故,轉劣意樂成勝意樂,亦能獲得上界勝解,如是名力波羅蜜多。由此力故,於內心住有所堪能,是故我說力波羅蜜多與靜慮波羅蜜多而為助伴。若諸菩薩,於菩薩藏,已能聞緣善修習故,能發靜慮,如是名智波羅蜜多。由此智故,堪能引發出世間慧,是故我說智波羅蜜多與慧波羅蜜多而為助伴。」

仏は観自在菩薩に告げられた。「善男子よ。先に挙げた六つの波羅蜜多が互いに支え合うことについて述べよう。

まず、菩薩は、最初の三つの波羅蜜多(布施・持戒・忍辱)によって教化される人々に対し、様々な方法を用いて巧みに彼らを導き、善い行いの中に落ち着かせる。ゆえにわたしは、『方便善巧波羅蜜多』がこの三つの波羅蜜多の助けとなると説く。

また、ある菩薩は、現世において煩悩が多く、休みなく修行を続ける力がなく、意志も弱く、低い境地に満足してしまうため、心を内に留めることもできず、菩薩の教えを聞いてもよく学び修めることができない。そのため、どのような静慮(禅定)も、世を超えた智慧を引き出すことができない。そこで、そのような菩薩は、わずかで狭い小さな福徳の糧を積み、将来の世では煩悩が軽くなるようにとの心からの願いを起こす。これを『願波羅蜜多』という。この願いによって煩悩が薄くなり、精進することができるようになる。ゆえにわたしは、この願波羅蜜多が精進波羅蜜多の助けとなると説く。

また、ある菩薩は、善き指導者に親しく近づき、正しい教えを聞き、道理にかなった心構えを因縁として、低い意志を高い意志へと変え、より優れた境地への確かな理解を得ることができる。これを『力波羅蜜多』という。この力によって、心を内に留めることが可能となる。ゆえにわたしは、この力波羅蜜多が静慮波羅蜜多の助けとなると説く。

また、ある菩薩は、菩薩の教えを聞き、よく学び修めることによって、静慮(禅定)を起こすことができる。これを『智波羅蜜多』という。この智慧によって、世を超えた智慧を引き出すことが可能となる。ゆえにわたしは、この智波羅蜜多が慧波羅蜜多の助けとなると説く。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故,宣說六種波羅蜜多如是次第?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、どのような因縁によって、六つの波羅蜜多(完成された実践)をこのような順序で説かれたのですか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!能為後後引發依故。謂諸菩薩,若於身財無所顧悋,便能受持清淨禁戒;為護禁戒,便修忍辱;修忍辱已,能發精進;發精進已,能辦靜慮;具靜慮已,便能獲得出世間慧。是故我說波羅蜜多如是次第。」

仏は観自在菩薩に告げて言われた。「善き男子よ。これは後の後に、より高みへと導く支えとなるからである。すなわち、諸々の菩薩は、もし身体や財産に執着がなければ、清らかな戒めを守ることができる。戒めを護ろうとして、忍耐を修行する。忍耐を修めたならば、努力を起こすことができる。努力を起こしたならば、心の静けさ(静慮)を具えることができる。心の静けさを備えたならば、世を超えた智慧(智慧)を得ることができる。ゆえに私は波羅蜜多をこのような順序で説くのである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如是六種波羅蜜多,各有幾種品類差別?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊よ、この六つの波羅蜜多には、それぞれどのような種類の違いがあるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!各有三種。施三種者:一者、法施;二者、財施;三者、無畏施。戒三種者:一者、轉捨不善戒;二者、轉生善戒;三者、轉生饒益有情戒。忍三種者:一者、耐怨害忍;二者、安受苦忍;三者、諦察法忍。精進三種者:一者、被甲精進;二者、轉生善法加行精進;三者、饒益有情加行精進。靜慮三種者:一者、無分別寂靜極寂靜無罪故,對治煩惱眾苦樂住靜慮;二者、引發功德靜慮;三者、引發饒益有情靜慮。慧三種者:一者、緣世俗諦慧;二者、緣勝義諦慧;三者、緣饒益有情慧。」

仏は観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、それぞれに三種類がある。布施の三種類とは、第一に法施、第二に財施、第三に無畏施である。戒の三種類とは、第一に不善を捨てる戒、第二に善を生じる戒、第三に有情を利する戒である。忍の三種類とは、第一に怨みや害に耐える忍、第二に苦しみを受け入れる忍、第三に真理を観察する忍である。精進の三種類とは、第一に鎧をまとう精進、第二に善法を生じ実践する精進、第三に有情を利する実践の精進である。静慮の三種類とは、第一に分別なく、静かで極めて静かであり罪がないゆえに、煩悩や苦しみに対処し安楽に住する静慮、第二に功徳を引き起こす静慮、第三に有情を利する静慮である。智慧の三種類とは、第一に世俗の真理を縁とする智慧、第二に勝義の真理を縁とする智慧、第三に有情を利する智慧である。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故,波羅蜜多說名波羅蜜多?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(尊いお方)、どのような理由で、波羅蜜多(完全な智慧の実践)は波羅蜜多と呼ばれるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!五因緣故:一者、無染著故;二者、無顧戀故;三者、無罪過故;四者、無分別故;五者、正迴向故。無染著者,謂不染著波羅蜜多諸相違事。無顧戀者,謂於一切波羅蜜多諸果異熟及報恩中心無繫縛。無罪過者,謂於如是波羅蜜多無間雜染法,離非方便行。無分別者,謂於如是波羅蜜多,不如言詞執著自相。正迴向者,謂以如是所作所集波羅蜜多,迴求無上大菩提果。」

仏は観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、五つの理由がある。第一に、執着がないこと。第二に、こだわりがないこと。第三に、過ちがないこと。第四に、分別がないこと。第五に、正しく回向することである。

執着がないとは、波羅蜜多に反する諸々の事柄に染まらないことである。こだわりがないとは、すべての波羅蜜多の果報や恩返しに対して、心が縛られていないことである。過ちがないとは、このような波羅蜜多に雑染が交じらず、不適切な行いを離れていることである。分別がないとは、このような波羅蜜多を、言葉どおりにその自相に執着しないことである。正しく回向するとは、このように行い積んだ波羅蜜多を、無上の大菩提の果報を求めて回向することである。」

「世尊!何等名為波羅蜜多諸相違事?」

「世尊、波羅蜜多を妨げる事柄とは、どのようなものなのでしょうか。」

「善男子!當知此事略有六種:一者、於喜樂欲財富自在諸欲樂中,深見功德及與勝利;二者、於隨所樂縱身、語、意而現行中,深見功德及與勝利;三者、於他輕蔑不堪忍中,深見功德及與勝利;四者、於不勤修著欲樂中,深見功德及與勝利;五者、於處憒鬧世雜亂行,深見功德及與勝利;六者、於見、聞、覺、知、言說戲論,深見功德及與勝利。」

「善男子よ、このことにはおおまかに六つの種類があることを知るべきである。第一に、喜びや快楽、財産や思いのままになることなどの欲望の楽しみについて、その功徳と利点を深く見ること。第二に、思いのままに身体、言葉、心を働かせて行動することについて、その功徳と利点を深く見ること。第三に、他人から軽蔑されることに耐えられないことについて、その功徳と利点を深く見ること。第四に、修行に励まずに欲楽に執着することについて、その功徳と利点を深く見ること。第五に、騒がしい場所や世俗的な混乱の中で行動することについて、その功徳と利点を深く見ること。第六に、見ること、聞くこと、感じること、知ること、言葉や議論や遊びの分別について、その功徳と利点を深く見ること。」

「世尊!如是一切波羅蜜多何果異熟?」

「世尊よ。では、これらのすべての波羅蜜多(完全なる修行)は、どのような結果や報いをもたらすのでしょうか?」

「善男子!當知此亦略有六種:一者、得大財富;二者、往生善趣;三者、無怨無壞多諸喜樂;四者、為眾生主;五者、身無惱害;六者、有大宗葉。」

「善男子よ。知っておくべきだ。これにもまた、おおまかに六つの恵みがある。 一つ目は、大きな財産を得ること。 二つ目は、良い世界に生まれ変わること。 三つ目は、恨みや害がなく、多くの喜びに満たされること。 四つ目は、多くの人の長となること。 五つ目は、体に悩みや苦しみがないこと。 六つ目は、立派な子孫や家系が栄えること。」

「世尊!何等名為波羅蜜多間雜染法?」

「世尊、波羅蜜多を妨げる混ざりものの法とは、どのようなものですか?」

「善男子!當知略由四種加行:一者、無悲加行故;二者、不如理加行故;三者、不常加行故;四者、不慇重加行故。不如理加行者,謂修行餘波羅蜜多時,於餘波羅蜜多遠離失壞。」

善男子、知るべきである。おおよそ四つの実践の仕方がある。第一に、慈しみの心を欠いた実践。第二に、道理にかなわない実践。第三に、絶え間なく行われない実践。第四に、真剣に励まない実践。道理にかなわない実践とは、例えばある波羅蜜多を修行する際に、他の波羅蜜多を無視したり損なったりすることである。

「世尊!何等名為非方便行?」

「世尊、どのような行いが方便ではないのでしょうか?」

「善男子!若諸菩薩以波羅蜜多饒益眾生時,但攝財物饒益眾生便為喜足,而不令其出不善處安置善處,如是名為非方便行。何以故?善男子!非於眾生唯作此事名實饒益。譬如糞穢若多若少,終無有能令成香潔。如是眾生由行苦故,其性是苦,無有方便,但以財物暫相饒益,可令成樂,唯有安處妙善法中,方可得名第一饒益。」

「善男子よ。菩薩が波羅蜜多をもって衆生を利益しようとするとき、ただ財物を与えて喜び満足させるだけで、不善の状態から引き出し、善い状態に置くことをしないならば、それは巧みな行いとは言えません。なぜなら、善男子よ、衆生に対してこのようなことだけをして、真の利益と言えるわけがないからです。たとえば、汚物は量の多い少ないにかかわらず、決して香り高く清らかにすることはできません。それと同じように、衆生は苦しみによって生きているがゆえに、その性質自体が苦しみですから、ただ財物で一時的に利益を与えたところで、彼らを真に幸せにすることはできません。ただ、彼らを素晴らしい善い道に安んじて置くことこそが、第一の利益と言えるのです。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如是一切波羅蜜多有幾清淨?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊よ、これらのすべての波羅蜜多には、いくつの清らかな状態があるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!我終不說波羅蜜多,除上五相有餘清淨。然我即依如是諸事總別,當說波羅蜜多清淨之相。

仏が観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、私は決して、先に述べた五つの相の他に、さらに清らかな波羅蜜多があるとは説かない。しかし、私はまさにこれらの様々な事柄全体と個々に基づいて、波羅蜜多の清らかな相について説こう。」

「總說一切波羅蜜多清淨相者,當知七種。何等為七?一者、菩薩於此諸法不求他知;二者、於此諸法見已不生執著;三者、即於如是諸法不生疑惑,謂為能得大菩提不?四者、終不自讚毀他有所輕蔑;五者、終不憍傲放逸;六者、終不少有所得便生喜足;七者、終不由此諸法,於他發起嫉妬慳悋。

「すべての波羅蜜多(浄らかな完成)の特質について、全体的に説明すると、七つの種類があると知るべきです。その七つとは何か?

一つ目は、菩薩がこれらの教えについて、他人に知られようと求めないこと。 二つ目は、これらの教えを見た後に、執着を生じないこと。 三つ目は、これらの教えについて、「これによって大いなる悟りを得られるだろうか」と疑いを抱かないこと。 四つ目は、決して自分をほめて他人を貶し、軽んじることがないこと。 五つ目は、決して高慢になったり、だらけたりしないこと。 六つ目は、決して少しの成果を得ただけで満足して喜んだりしないこと。 七つ目は、決してこれらの教えによって、他人に対して妬みや吝嗇を起こさないこと。

「別說一切波羅蜜多清淨相者,亦有七種。何等為七?謂諸菩薩,如我所說七種布施清淨之相,隨順修行。一者、由施物清淨行清淨施;二者、由戒清淨行清淨施;三者、由見清淨行清淨施;四者、由心清淨行清淨施;五者、由語清淨行清淨施;六者、由智清淨行清淨施;七者、由垢清淨行清淨施。是名七種施清淨相。

さらに、一切の波羅蜜多の清浄な相についても、七つの種類があります。 どのような七つかというと、諸々の菩薩は、私が先に説いた七つの布施の清浄な相に従って修行します。 一、布施する物が清らかであることにより、清らかな布施を行う。 二、戒が清らかであることにより、清らかな布施を行う。 三、見解が清らかであることにより、清らかな布施を行う。 四、心が清らかであることにより、清らかな布施を行う。 五、言葉が清らかであることにより、清らかな布施を行う。 六、智慧が清らかであることにより、清らかな布施を行う。 七、汚れが清らかであることにより、清らかな布施を行う。 これらを七つの布施の清らかな相といいます。

「又諸菩薩,能善了知制立律儀一切學處,能善了知出離所犯,具常尸羅,堅固尸羅,常作尸羅,常轉尸羅,受學一切所有學處,是名七種戒清淨相。

さらに、菩薩たちは、すべての律儀や学処をよく理解し、違犯から出離する方法をよく知っています。常に戒を保ち、堅固に戒を守り、戒を実践し続け、戒を転じながら、あらゆる学処を受持して学びます。これを七種の戒の清らかな相と名づけます。

「若諸菩薩於自所有業果異熟深生依信,一切所有不饒益事現在前時,不生憤發;亦不反罵、不瞋、不打、不恐、不弄、不以種種不饒益事反相加害;不懷怨結;若諫誨時不令恚惱;亦復不待他來諫誨;不由恐怖有染愛心而行忍辱;不以作恩而便放捨,是名七種忍清淨相。

もしも諸菩薩が、自らの業の結果に対する深い信頼を持ち、困難な状況に直面しても怒りを起こさず、罵り返したり、怒ったり、叩いたり、脅したり、嘲ったり、様々な不利益なことで仕返しをしない。恨みを抱かず、諫められても怒ったり悩んだりせず、また他人の諫めを待たず、恐怖や愛着から忍辱を行うのではなく、恩着せがましく手放すこともない。これらを七種の忍辱の清らかな相という。

「若諸菩薩,通達精進平等之性;不由勇猛勤精進故自舉陵他;具大勢力;具大精進;有所堪能;堅固勇猛;於諸善法終不捨軛,如是名為七種精進清淨之相。

菩薩が精進の平等な本質を理解し、激しい努力によって他者を見下すことがなく、大きな力を持ち、大きな精進を具え、何事にも耐えられる能力があり、堅固で勇猛であり、善い行いを決して捨てないこと。これら七つが、清らかな精進の七つの特徴です。

「若諸菩薩,有善通達相三摩地靜慮;有圓滿三摩地靜慮;有俱分三摩地靜慮;有運轉三摩地靜慮;有無所依三摩地靜慮;有善修治三摩地靜慮;有於菩薩藏聞緣修習無量三摩地靜慮,如是名為七種靜慮清淨之相。

もし菩薩たちに、善く相を悟達する三昧・静慮があり、円満な三昧・静慮があり、俱分の三昧・静慮があり、運転の三昧・静慮があり、無所依の三昧・静慮があり、善く修治する三昧・静慮があり、菩薩蔵を聞いて縁に従って無量の三昧・静慮を修習するならば、これを七種の静慮の清浄なる相と名づける。

「若諸菩薩,遠離增益、損減二邊行於中道,是名為慧;由此慧故,如實了知解脫門義,謂空、無願、無相三解脫門;如實了知有自性義,謂遍計所執、若依他起、若圓成實三種自性;如實了知無自性義,謂相、生、勝義三種無自性性;如實了知世俗諦義,謂於五明處;如實了知勝義諦義,謂於七真如;又無分別離諸戲論純一理趣多所住故,無量總法為所緣故,及毘鉢舍那故;能善成辦法隨法行,是名七種慧清淨相。」

諸菩薩が、増やすこと(增益)と減らすこと(損減)という二つの極端を離れて、中道を行ずることを、慧(智慧)と呼びます。この慧によって、解脱の門の意味をありのままに知ることができます。すなわち、空解脱門・無願解脱門・無相解脱門の三解脱門です。また、事物の固有の性質(自性)の意味をありのままに知ることができます。すなわち、遍計所執性・依他起性・円成実性の三種自性です。また、無自性の意味をありのままに知ることができます。すなわち、相無自性性・生無自性性・勝義無自性性の三種無自性性です。また、世俗諦の意味をありのままに知ることができます。すなわち、五明(五つの学問分野)においてです。また、勝義諦の意味をありのままに知ることができます。すなわち、七真如(七つの真実のあり方)においてです。さらに、分別を離れ、ありとあらゆる戲論を離れ、純一な理趣に多く住する故、無量の総法を所縁とする故、また毘鉢舎那(観察の智慧)である故に、法に従って行ずる実践(法随法行)を善く成就することができます。これを、七種の慧の清浄な相と呼びます。

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如是五相各有何業?」

観自在菩薩が佛に申し上げました。「世尊よ、この五つの相にはそれぞれどのような働きがあるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!當知彼相有五種業,謂諸菩薩無染著故,於現法中於所修習波羅蜜多,恒常殷重勤修加行無有放逸。無顧戀故,攝受當來不放逸因。無罪過故,能正修習極善圓滿、極善清淨極善鮮白波羅蜜多。無分別故,方便善巧波羅蜜多,速得圓滿。正迴向故,一切生處波羅蜜多及彼可愛諸果異熟,皆得無盡,乃至無上正等菩提。」

仏が観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、知るがよい。その相には五種の業がある。すなわち、諸々の菩薩は執着がないゆえに、現在の法において、修行する波羅蜜多に対して、常に真摯に努力を重ね、怠ることがない。また、未練がないゆえに、未来に向けて怠らない因を積み重ねる。過ちがないゆえに、波羅蜜多を正しく修行し、極めて円満で、極めて清らかで、極めて純白のものとすることができる。分別がないゆえに、方便善巧の波羅蜜多が速やかに円満する。正しく回向するゆえに、あらゆる生まれにおいて、波羅蜜多とその愛すべき果報や異熟が尽きることなく、やがて無上正等菩提に至るのである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如是所說波羅蜜多,何者最廣大?何者無染污?何者最明盛?何者不可動?何者最清淨?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊(世界の尊い方よ)。今お説きになった波羅蜜多(完成された智慧の行い)の中で、どれが最も広大なのでしょうか。どれが最も汚れなきものなのでしょうか。どれが最も明らかに輝くものなのでしょうか。どれが動かしがたいものなのでしょうか。どれが最も清らかなものなのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!無染著性、無顧戀性、正迴向性,最為廣大。無罪過性、無分別性,無有染污。思擇所作,最為明盛。已入無退轉法地者,名不可動。若十地攝、佛地攝者,名最清淨。」

仏が観自在菩薩に告げられました。 「善き男子よ。執着しない性質、未練を持たない性質、正しく善行を振り返る性質こそが、最も広大なものである。過ちのない性質、分別を超えた性質、汚れのない性質である。よく考えて選び取られた行いは、最も明るく輝いている。すでに退転することのない境地に入った者を、動かすことのできない者という。もし十地の位に含まれ、あるいは仏の境地に含まれるならば、それを最も清らかな者というのである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故,菩薩所得波羅蜜多諸可愛果及諸異熟常無有盡?波羅蜜多亦無有盡?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊(せそん)よ、どのような理由で、菩薩が得る波羅蜜多(はらみった)の愛すべき果報や異熟(いじゅく)の果は、常に尽きることがなく、波羅蜜多そのものもまた尽きることがないのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!展轉相依生起修習無間斷故。」

仏は観自在菩薩に告げて言われた。「善男子よ、互いに関わり合い、依り合いながら生じ、途切れることなく修行を積み重ねるからである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!何因緣故,是諸菩薩深信愛樂波羅蜜多,非於如是波羅蜜多所得可愛諸果異熟?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊(せそん)、どのような理由で、これらの菩薩たちは波羅蜜多(はらみった)を深く信じ愛好するのでしょうか。そして、その波羅蜜多から得られる愛すべき果報や異熟(いくじゅく)を、なぜ執着しないのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!五因緣故:一者、波羅蜜多是最增上喜樂因故;二者、波羅蜜多是其究竟饒益一切自他因故;三者、波羅蜜多是當來世彼可愛果異熟因故;四者、波羅蜜多非諸雜染所依事故;五者、波羅蜜多非是畢竟變壞法故。」

仏は観自在菩薩に告げて言われた。「善き男子よ、五つの理由がある。第一に、波羅蜜多(完全な智慧)は最も優れた喜びの原因であるから。第二に、波羅蜜多は自分と他者を最終的に利益する原因であるから。第三に、波羅蜜多は未来において愛すべき結果をもたらす異熟の原因であるから。第四に、波羅蜜多はあらゆる煩悩の汚れに依存しないから。第五に、波羅蜜多は決して壊れて変わることのない法であるから。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!一切波羅蜜多,各有幾種最勝威德?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊よ、すべての波羅蜜多には、それぞれいくつの最も優れた功徳があるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!當知一切波羅蜜多,各有四種最勝威德:一者、於此波羅蜜多正修行時,能捨慳悋、犯戒、心憤、懈怠、散亂、見趣所治;二者、於此正修行時,能為無上正等菩提、真實資糧;三者、於此正修行時,於現法中能自攝受饒益有情;四者、於此正修行時,於未來世能得廣大無盡可愛諸果異熟。」

仏が観自在菩薩に告げられた。「善男子、知るがよい。すべての波羅蜜多(完成された修行)には、それぞれに四つの最も勝れた威徳がある。

第一に、この波羅蜜多を正しく修行する時、慳吝(けち)、戒を破ること、心の怒り、怠惰、散乱、誤った見解という対治すべきものを捨てることができる。 第二に、この波羅蜜多を正しく修行する時、無上の正等菩提(完全なる悟り)のための真実の糧となる。 第三に、この波羅蜜多を正しく修行する時、現世において自らを摂め取り、生きとし生けるものを益することができる。 第四に、この波羅蜜多を正しく修行する時、未来世において広大で尽きることのない愛すべき果報を獲得するのである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如是一切波羅蜜多,何因?何果?有何義利?」

観自在菩薩が再び仏に向かって申し上げました。「世尊よ、これらのすべての波羅蜜多(完全なる修行)は、どのような原因を持ち、どのような結果をもたらし、どのような利益があるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!如是一切波羅蜜多,大悲為因;微妙可愛諸果異熟,饒益一切有情為果;圓滿無上廣大菩提為大義利。」

仏は観自在菩薩に告げられました。「善きかな、男子よ。これらのすべての波羅蜜多は、大悲を因とし、微妙で愛すべき様々な果報は、すべての生きとし生けるものを利益することを果とし、無上で広大な悟りを完成することを大きな意義としているのです。」

觀自在菩薩白佛言:「世尊!若諸菩薩具足一切無盡財寶成就大悲,何緣世間現有眾生貧窮可得?」

観自在菩薩が仏に申し上げた。「世尊よ、もし菩薩たちが尽きることのない財宝をすべて備え、大いなる慈悲を成就しているのであれば、なぜこの世には今なお貧しい者たちが存在するのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!是諸眾生自業過失!若不爾者,菩薩常懷饒益他心,又常具足無盡財寶,若諸眾生無自惡業能為障礙,何有世間貧窮可得?譬如餓鬼為大熱渴逼迫其身,見大海水悉皆涸竭;非大海過,是諸餓鬼自業過耳。如是菩薩所施財寶猶如大海無有過失,是諸眾生自業過耳,猶如餓鬼自惡業力令無有果。」

仏が観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、これら衆生の自らの業による過ちである。もしそうでなければ、菩薩は常に利益を施そうとする心を持ち、尽きることのない財宝を具えているのだから、もし衆生にそれを妨げる自らの悪業がなければ、世の中に貧しい者が何としてあり得ようか。譬えば餓鬼が激しい熱と渇きに身体を苦しめられ、大海の水を見ても全て干上がって見えるようなものである。これは大海に過ちがあるのではない、これらの餓鬼の自らの業による過ちなのである。このように、菩薩が施す財宝は大海のようで過ちはない。これら衆生の自らの業による過ちであり、恰も餓鬼が自らの悪業の力によって果報を得られないのと同じである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!菩薩以何等波羅蜜多,取一切法無自性性?」

観自在菩薩が再び仏に問うた。「世尊よ。菩薩はどのような波羅蜜多によって、あらゆる法に自性がないという性質を悟るのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!以般若波羅蜜多能取諸法無自性性。」

佛が観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、般若波羅蜜多によって、諸々の法(すべてのものごと)にはそれ自体としての確固たる性質(自性)がないという本性を捉えることができるのである。」

「世尊!若般若波羅蜜多能取諸法無自性性,何故不取有自性性?」

「尊き方よ、もし般若波羅蜜多があらゆる現象の本質なき性質を捉えるとすれば、なぜ本質ある性質を捉えないのですか?」

「善男子!我終不說以無自性性取無自性性。然無自性性,離諸文字自內所證;不可捨於言說文字而能宣說。是故我說般若波羅蜜多能取諸法無自性性。」

「善男子よ。私は決して、無自性という性質をもって無自性を捉えるとは言わない。しかし、無自性とは、言葉を離れて自らの内で証得されるものである。とはいえ、言葉や文字を捨てて説き示すことはできない。そのため、私は般若波羅蜜多こそが、あらゆる法(現象)の無自性を捉えると説くのである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如佛所說波羅蜜多,近波羅蜜多,大波羅蜜多。云何波羅蜜多?云何近波羅蜜多?云何大波羅蜜多?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、仏がおっしゃるように、波羅蜜多、近波羅蜜多、大波羅蜜多があります。では、波羅蜜多とは何ですか?近波羅蜜多とは何ですか?大波羅蜜多とは何ですか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!若諸菩薩經無量時修行施等成就善法,而諸煩惱猶故現行,未能制伏然為彼伏,謂於勝解行地軟中勝解轉時,是名波羅蜜多。復於無量時修行施等,漸復增上,成就善法,而諸煩惱猶故現行,然能制伏非彼所伏,謂從初地已上,是名近波羅蜜多。復於無量時修行布施等,轉復增上,成就善法,一切煩惱皆不現行,謂從八地已上,是名大波羅蜜多。」

仏が観自在菩薩に告げられた。「善男子よ。もし菩薩たちが長い間、布施などの修行を積んで善い行いを成就しても、なお煩悩が現れ出て、それを抑えきれず、逆に煩悩に支配されてしまう状態がある。これは、悟りの道を理解し始める段階(勝解行地)において、弱い・中程度・強いという理解が巡っている時のことであり、これを『波羅蜜多』という。

さらに長い間、布施などの修行を積み、次第に向上し、善い行いを成就しても、まだ煩悩が現れることはあるが、今度はそれを抑えることができ、煩悩に支配されることはない。これは、初めて悟りの境地に達する段階(初地)から上のことであり、これを『近波羅蜜多』という。

さらにさらに長い間、布施などの修行を積み、ますます向上して善い行いを成就すると、全ての煩悩が全く現れなくなる。これは、第八の悟りの段階(八地)から上のことであり、これを『大波羅蜜多』という。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!此諸地中煩惱隨眠可有幾種?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、これらの修行の境地の中にある煩悩の潜在的な働きには、いくつの種類があるのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!略有三種:一者、害伴隨眠,謂於前五地。何以故?善男子!諸不俱生現行煩惱,是俱生煩惱現行助伴,彼於爾時永無復有,是故說名害伴隨眠;二者、羸劣隨眠,謂於第六、第七地中微細現行,若修所伏不現行故;三者、微細隨眠,謂於第八地已上,從此已去,一切煩惱不復現行,唯有所知障為依止故。」

仏が観自在菩薩に告げて言われた。「善男子、おおまかに三つの種類がある。第一は、害を伴う随眠である。これは前五地におけるものである。なぜか。善男子、俱生ではない現行の煩悩は、俱生の煩悩の現行を助ける伴侶であるが、その時には永遠に再び現れることがない。そのため害を伴う随眠と名付ける。第二は、羸劣(弱く劣った)随眠である。これは第六地・第七地における微細な現行であり、修行によって伏せられて現行しなくなるものである。第三は、微細随眠である。これは第八地以上におけるものである。この境地に至ってからは、一切の煩悩は再び現行せず、ただ所知障のみが依り所として存在するからである。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!此諸隨眠,幾種麁重斷所顯示?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊(せそん)よ、このさまざまな随眠(ずいみん、煩悩の潜在的な力)は、どのような粗重(そじゅう、心の重苦しさ)を断つことで現れてくるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!但由二種:謂由在皮麁重斷故,顯彼初二,復由在膚麁重斷故,顯彼第三。若在於骨麁重斷者,我說永離一切隨眠,位在佛地。」

仏は観自在菩薩に告げて言われた。「善男子よ、それにはただ二つの種類がある。皮膚の中にある煩悩の重み(麁重)が断たれることによって、最初の二つ(初地と第二地)が現れる。さらに、膚の中にある煩悩の重みが断たれることによって、第三のもの(第三地)が現れる。もし骨の中にある煩悩の重みが断たれるならば、私はそれは永遠にすべての随眠(潜在的な煩悩)を離れた状態であり、仏の位にあると説くのだ。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!經幾不可數劫能斷如是麁重?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊(お釈迦さま)、何という数えきれないほどの劫(長い時間)を経て、このような煩悩の重荷を断ち切ることができるのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!經於三大不可數劫、或無量劫,所謂年、月、半月、晝夜、一時、半時、須臾、瞬息、剎那量劫不可數故。」

仏は観自在菩薩に告げられた。「善男子よ、三つの計り知れない劫(こう)、あるいは無量の劫の期間、すなわち年、月、半月、昼夜、一時、半時、須臾(しゅゆ)、瞬(またた)き、刹那(せつな)という時間の単位で数えきれないほどの劫があるのだ。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!是諸菩薩於諸地中所生煩惱,當知何相?何失?何德?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げました。「世尊(せそん)よ。これらの菩薩たちが、それぞれの修行の段階(地)で生じる煩悩は、どのような姿をしているのでしょうか。また、どのような欠点があり、どのような功徳があるのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!無染污相。何以故?是諸菩薩於初地中,定於一切諸法法界已善通達,由此因緣,菩薩要知方起煩惱非為不知,是故說名無染污相。於自身中不能生苦,故無過失。菩薩生起如是煩惱,於有情界能斷苦因,是故彼有無量功德。」

仏は観自在菩薩に告げられた。「善き男子よ、汚れなき相(すがた)とはどういうことか。それは、これらの菩薩が初地において、すでにあらゆる法(ものごと)の法界をよく悟りきっているからである。この理由により、菩薩は知ってから煩悩を起こすのであって、無知のまま起こすのではない。そのため『汚れなき相』と名づけられる。また、その煩悩は自らの身に苦しみを生み出すことがないから、過失もない。菩薩がこのような煩悩を起こすのは、迷いの世界の生きとし生けるものにとって、苦しみの原因を断ち切るためである。ゆえに、その煩悩には無量の功徳があるのだ。」

觀自在菩薩復白佛言:「甚奇!世尊!無上菩提乃有如是大功德利,令諸菩薩生起煩惱,尚勝一切有情、聲聞、獨覺善根,何況其餘無量功德?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。 「なんと不思議なことでしょう、世尊よ。無上の悟りには、このような大きな功徳の力があるのですね。 菩薩たちに煩悩を生じさせることさえも、あらゆる有情や声聞、独覚の善根よりも勝れているのです。 ましてや、その他の無量の功徳はなおさらのことです。」

觀自在菩薩復白佛言:「世尊!如世尊說:『若聲聞乘、若復大乘,唯是一乘。』此何密意?」

観自在菩薩が再び仏に申し上げた。 「世尊よ、あなたはこうおっしゃいました。『声聞乗であれ大乗であれ、ただ一つの乗り物に過ぎない』と。この言葉にはどのような深い意味が込められているのでしょうか?」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!如我於彼聲聞乘中,宣說種種諸法自性,所謂五蘊、或內六處、或外六處,如是等類;於大乘中,即說彼法同一法界、同一理趣,故我不說乘差別性。於中或有如言於義妄起分別,一類增益,一類損減。又於諸乘差別道理,謂互相違,如是展轉遞興諍論。如是名為此中密意。」

仏は観自在菩薩に告げて言われた。「善き男子よ。私が声聞乗において五蘊、内六処、外六処など、様々な法の自性を説いたように、大乗においてはそれらの法が全て同一の法界、同一の真理の趣きであると説く。だから私は乗に差別があるとは説かないのである。ところが中には、言葉の通りに意味を取り違え、ある者はそれを増大させ、ある者は減少させて虚妄の分別を起こす者がある。また、諸々の乗の差別の道理について互いに矛盾すると考え、このように次々と論争を引き起こしている。これがここでの密意である。」

爾時,世尊欲重宣此義,而說頌曰:

その時、世尊はこの教えの意味を改めて明らかにしようと、次のように詩句でお示しになりました。

「諸地攝想所對治,殊勝生願及諸學,
由依佛說是大乘,於此善修成大覺。
宣說諸法種種性,復說皆同一理趣,
謂於下乘或上乘,故我說乘無異性。
如言於義妄分別,或有增益或損減,
謂此二種互相違,愚癡意解成乖諍。」

『諸地における観想とその対治法、殊勝な生まれと願、そして諸々の学び。

これらは仏の説かれた大乗に依るものであり、ここを善く修めれば大いなる悟りに至る。

諸法には様々な性質があると説きつつも、すべては同じ一つの理趣であるとも説かれた。

下乗あるいは上乗においても、ゆえに私は乗に異なる性質はないと説く。

言葉から意味を誤って分別し、あるいは実体があると足し、あるいは無いと減らす。

この二つは互いに矛盾するものであり、愚かな心の解釈は争いを生むのである。』

爾時,觀自在菩薩摩訶薩復白佛言:「世尊!於是解深密法門中,此名何教?我當云何奉持?」

その時、観自在菩薩が再び仏に申し上げた。「世尊よ、この解深密という教えの中では、今の教えは何という名前なのでしょうか。私はどのようにしてこれを保ち伝えればよいのでしょうか。」

佛告觀自在菩薩曰:「善男子!此名諸地波羅蜜多了義之教,於此諸地波羅蜜多了義之教,汝當奉持!」

仏は観自在菩薩に告げられた。 「善き者よ、これは『諸地波羅蜜多の了義の教え』という名の教えである。 この『諸地波羅蜜多の了義の教え』を、あなたはしっかりと受けて守りなさい。」

說此諸地波羅蜜多了義教時,於大會中有七十五千菩薩,皆得菩薩大乘光明三摩地。

この諸地の波羅蜜多を説き明かす了義の教えが説かれた時、その大いなる会座において七万五千の菩薩たちが、みな菩薩の大乗光明三摩地を獲得しました。

解深密經卷第四

解深密経 巻第四


6 分別瑜伽品(三)
8 如來成所作事品(五)

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