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title: "正法念處經 · 11"
description: "正法念处经是佛教重要经典，由元魏时期译经师瞿昙般若流支翻译。该经属于小乘佛教典籍，成书于古印度，后传入中国。经文主要阐述通过正念观察身心现象，达到解脱的修行方法，详细分析六道轮回、因果业报等佛教核心教义。内容涵盖四念处修法、三十七道品等修行体系，强调通过观照身、受、心、法来破除执着。在佛教史上具有重要地位，是研究早期佛教禅修理论的重要文献，对后世禅修实践影响深远，被列为汉传佛教基本经典之一。"
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## 正法念處經卷第三十五

> 正法念処経 巻第三十五

元魏婆羅門瞿曇般若流支譯

> 元魏の婆羅門瞿曇般若流支訳

### 觀天品之十四三十三天之十一

> 観天品 第十四<note>三十三天 第十一</note>

「復次比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天二十九地，名曼陀羅。眾生何業生此天中？彼以聞慧見：有善人順法修行，以正直心不惱眾生，實見業果，清淨持戒、常樂持戒，離於諂曲。如煉真金，清淨無垢。正見修行受持善戒，畏未來世，布施修福。所謂見有修禪比丘欲斷魔縛，盛夏熱時流汗熱渴，施石蜜漿或施拂扇。如是善人不殺眾生，或見獵師羅捕孔雀、山鷄種種眾鳥，獵師捕得，或養或殺，或以眾鳥作遊戲具。是人見之，恐其殺害，贖此生命，放之本處令得安樂。是名不殺利益眾生。云何不盜？云何捨盜？見於微細業之果報而生怖畏。是持戒人若河池岸邊或於異處，見有楊枝或有蜜漿，為施行人，是人渴乏，不取不飲，以慈心故。是名不盜。如是之人命終生於三十三天。

> さらに、比丘よ、業の果報を知り、三十三天の住む地を観察せよ。彼は聞慧によって、三十三天の二十九番目の地、曼陀羅を見る。どのような業によって、衆生はこの天に生まれるのか？彼は聞慧によって見る。ある善き人は法に従って修行し、正直な心で衆生を悩ませず、業の果報を実に見、清らかに戒を保ち、常に戒を楽しみ、諂いや曲がった心を離れている。それは精錬された黄金のように、清らかで汚れがない。正しい見解を持って修行し、善き戒を受け持ち、未来の世を畏れ、布施を施して福を積む。 すなわち、修行する比丘が魔の束縛を断とうとして、真夏の暑い時に汗を流し、熱さに渇いているのを見て、石蜜の飲み物や扇を施すのである。このように善き人は、生き物を殺さない。あるいは、猟師が孔雀や山鶏、様々な鳥を網で捕らえるのを見る。猟師が捕らえた鳥を、飼いならしたり殺したり、あるいは遊びの道具にしているのを見て、この人はそれを哀れみ、殺されるのを恐れて、その命を金で買い戻し、元の場所に放して安楽を得させる。これを「殺さず、衆生を利益する」という。 では、どうして盗まないのか？どうして盗みを捨てるのか？微細な業の果報を見て、恐れを抱くからである。この戒を守る人は、川のほとりや、別の場所で、楊枝や蜜の飲み物が、旅人のために置かれているのを見ても、自分が渇き疲れていても、慈しみの心ゆえに、それを取らず、飲まない。これを「盗まない」というのである。このような人は、命終わって三十三天に生まれる。

「既生天已，一切諸欲皆悉具足，五樂音聲，遊戲園林，種種眾鳥出妙音聲，於蓮花中眾蜂音聲、鴻鳥之音。林中眾樹七寶莊嚴。諸蓮花池香水充滿如毘琉璃，在中遊戲。其山峯中七寶焰光、七寶石窟，金銀頗梨、因陀青寶，如是種種眾鳥出妙音聲。如是眾鳥，七寶為翅而以莊嚴，種種音聲聞之悅樂。一切天眾互相隨順，無量美音遍園林中。於其林中可愛飲食從河而流，若天見之，生大歡喜，歎未曾有。如是林中種種眾色，種種莊嚴，莊嚴其身。與諸玉女百千同眾，遊戲受樂，受於天中種種快樂。其身光明，威德第一。如是天子受業果報，與諸天女圍遶受樂，心生歡喜。既受樂已，如是思惟：『我當往詣毘琉璃寶莊嚴欄楯圍遶林中。』眾寶莊嚴，種種眾鳥出妙音聲充滿林中，一切天眾心皆歡喜，五樂音聲，遊戲受樂，與諸天眾及諸天女遊戲林中。林中有池，名曰清水，清淨可愛。諸天眾等，於蓮花池遊戲受樂。爾時，初生天子與天女眾欲至此林，爾時諸天遙見天子歌舞戲笑，徐步而行，往迎天子，詣清水池，於此池邊歡娛受樂。以池力故，隨諸天子心之所念，一切皆現。若念色香，眾蜂具足。若念天飲，天飲即生。若念須陀，色香味具亦復如是，柔軟淨潔，色如滿月。若念林樹，即生第一功德具足種種樹林，鈴網彌覆，微風吹動出妙音聲，如乾闥婆音。復次天眾作如是念：『我當入池。』作是念已，即入池中，沒身深入。見於池中種種寶珠以為欄楯，莊嚴寶殿，或真金白銀、毘琉璃寶、青寶頗梨、雜寶為床，敷以天衣。天子天女遊戲受樂於其池中，無量種種，不知厭足於五欲樂。無有妬嫉，互相愛敬，遊戲歌舞，娛樂受樂。既出池水，復往詣於尼單多林，於其林中多有眾鳥，蓮花林池具足莊嚴。無量眾鳥出妙音聲遍滿林中，其樹常有種種光明，其林具足種種功德，眾蓮花池以為莊嚴。諸天眾等，其身光明種種功德具足境界，受天快樂。

> 天に生まれた者は、あらゆる欲望がすべて満たされ、五つの楽器の音色が響き渡る園林で遊び楽しみます。そこでは様々な鳥が美しい声で鳴き、蓮の花の中で蜜蜂の群れが羽音を立て、鴻の鳥の声も聞こえます。林の中の木々は七宝で飾り立てられています。蓮の池には、瑠璃のような香りの水が満ち溢れ、その中で遊び楽しむのです。山の峰々には七宝の炎の輝きがあり、七宝の石窟があり、金、銀、玻璃、因陀羅青宝といった様々な宝があり、そこでも様々な鳥たちが美しい声で鳴いています。これらの鳥たちは七宝の翼を持って飾られ、その様々な声を聞くと心が楽しくなります。全ての天人は互いに従い合い、無数の美しい音が園林の隅々にまで満ちています。その林の中では、美味しい飲食物が川のように流れており、天人がそれを見ると大いに喜び、かつてなかったことだと嘆称します。このように、林には様々な色、様々な飾りがあり、天人はそれで身を飾ります。そして百千の天女たちと共に遊び楽しみ、天界における様々な楽しみを受けます。その身は光り輝き、威光と徳は最も優れています。このように天子は、自らの業の報いを受け、天女たちに囲まれて楽しみ、心から歓喜します。楽しみを受けた後、こう思います。「私は、毘瑠璃宝で飾られ、欄干で囲まれた林へ行こう。」そこは、様々な宝で飾られ、様々な鳥の美しい声が林に満ち、全ての天人は心から喜び、五つの楽器の音色と共に遊び楽しみ、多くの天衆や天女たちと共に林の中で遊び戯れます。林の中には清水という名の池があり、清らかで愛らしいものです。天衆たちはその蓮池で遊び楽しみます。その時、天に生まれたばかりの天子は、天女たちと共にこの林へ向かおうとします。すると、遠くから天の者たちがその天子の歌い踊るさまを見て、ゆっくりと歩み寄り、天子を迎え、清水の池へと案内します。そして、この池のほとりで共に楽しみ喜びます。この池の力によって、天子たちが心に思うことは何でも、すべて現れます。色や香りを思えば、蜂の群れが十分に現れます。天界の飲み物を思えば、天界の飲み物が現れます。須陀（天界の美味）を思えば、その色と香りと味もまた同様に、柔らかく清らかで、その色は満月のようです。林や木々を思えば、第一の功徳を備えた様々な木々が生じ、鈴の網が覆いかぶさり、微風に揺れて美しい音を奏でます。それはまるで乾闥婆（音楽の神）の音のようです。さらに、天衆たちはこう思います。「池に入ろう。」そう思うと、すぐに池に入り、身を沈めて深く入ります。すると池の中に、様々な宝珠で作られた欄干があり、宝殿が飾られているのを見ます。あるいは純金、白銀、毘瑠璃宝、青宝、玻璃、様々な宝を混ぜたものが寝台となり、天の衣が敷かれています。天子や天女たちはその池の中で遊び楽しみ、無量の様々な楽しみがあり、五つの欲望の楽しみに飽きることがありません。嫉妬もなく、互いに敬い愛し合い、歌い踊り、戯れ楽しみます。池の水から出ると、次に尼単多林へ向かいます。その林には多くの鳥がおり、蓮の花と林の池が完全に飾られています。無量の鳥たちが美しい声で鳴き、その声は林に満ちています。その木々には常に様々な光明があり、その林は様々な功徳を備え、多くの蓮池が飾りとなっています。天衆たちは、その身に様々な光明と功徳を備えた完全な境地において、天界の楽しみを受けます。

「愚癡凡夫第一樂者，所謂天子天女娛樂受樂。愚癡凡夫為婇女羅網之所纏縛，流轉生死，互相娛樂。

> 愚かな凡夫が第一の楽とするもの、それは天の王子や天の女たちが楽しみ遊ぶことです。愚かな凡夫は、美女たちの網に絡め取られ、生と死を繰り返しながら、互いに楽しみ合っているのです。

「久受樂已，復往詣於摩多山峯宮殿之處，昇須彌峯，與諸天女共昇山峯。微風吹衣，幡然隨風，皆共上昇摩多山峯。爾時，天子見此宮殿殊特妙好，蓮花莊嚴，七寶光明嚴好山峯，如山功德具足相應。摩多山峯其處高峻，奇特嚴好，不可譬喻。於此峯中遊戲歌舞，娛樂受樂。既受樂已，見大光明過其本相。其山峯中先具光明猶如日光，時有異光來照山峯，其光照已，過百千倍。天子見之，怪未曾有，即閉兩目，低頭而住。何以故？先未曾見此光明故。其光照之，不久還滅，如閻浮提見天火下，眾生見之皆大怖畏，時諸天子見此光明，亦復如是。怖畏未久，心還安隱，怖畏滅已，一切皆共籌量此事。『何故有此希有之相，令我等天皆生怖畏，未久還滅？』時諸天眾怪未曾有，詣善法堂，與諸天女至帝釋所。見天帝釋，頂禮供養，皆悉圍遶恭敬而住。爾時，釋迦天王近住天眾，歌舞遊戲，種種蓮華以為莊嚴，歡喜戲笑，一切天眾於帝釋前歌舞遊戲，曼陀羅地諸天眾等，不歌不舞亦不遊戲，亦不歌頌讚歎帝釋，不與餘天言談語論。

> 長く楽しんだ後、摩多山の峯にある宮殿へと向かい、須弥山の頂に登り、天女たちと共に峯を登りました。微風が衣を吹き、ひらひらと風に舞い、皆共に摩多山の峯へと上っていきました。その時、天子はこの宮殿が特別に素晴らしく美しく、蓮華で飾られ、七宝の光が輝く見事な山の峯が、山の功徳を完全に備えているのを見ました。 摩多山の峯は高く険しく、特別に素晴らしく、比類のないものでした。この峯の中で、歌い踊り遊び戯れ、楽しみを受けました。楽しみを受けた後、その従来の姿を超えた大いなる光を見ました。その山の峯には元々日光のような光がありましたが、その時、異なる光が山の峯を照らし、その光は百千倍も増して輝きました。 天子はこれを見て、かつてない不思議さを感じ、すぐに両目を閉じてうつむいて留まりました。なぜなら、以前にこのような光を見たことがなかったからです。その光は照らした後、すぐに消え去りました。ちょうど閻浮提で天から火が降るのを見た時、衆生は皆大いに怖れたように、その時、天子たちもこの光を見て、同じように感じました。 怖れは長く続かず、心は再び安らかになり、怖れが消えると、皆で集まってこの事について話し合いました。「なぜこのような稀有な相が現れ、我等の天に怖れを生じさせ、すぐに消え去ったのだろうか？」と。 その時、天の衆はかつてない不思議を感じ、善法堂へ向かい、天女たちと共に帝釈天のところへ参りました。天帝釋を見ると、頭を下げて礼拝し供養し、皆で囲んで敬意を持って立っていました。その時、釈迦天王の近くに住む天の衆は、歌舞し遊び戯れ、様々な蓮華で飾り、喜び笑っていました。全ての天の衆は帝釋天の前で歌舞し遊び戯れましたが、マンダローバの地の天の衆は、歌わず踊らず遊び戯れず、また帝釋天を讃える歌も歌わず、他の天と言葉を交わし議論することもありませんでした。

「爾時，帝釋告曼陀羅所住天眾：『諸天子！汝等何故不歌、不舞、不遊戲耶？』爾時，曼陀羅所住天眾白天王言：『我於住處見未曾有、本所未聞奇特之事。』

> その時、帝釈天が曼陀羅に住む天の者たちに言いました。「天の子たちよ、なぜお前たちは歌いも踊りも遊びもせずにいるのか？」 すると、曼陀羅に住む天の者たちは帝釈天に答えて言いました。「私たちは自分の住まいで、かつて見たこともなく、これまで聞いたこともない不思議な出来事を目にしました。」

「爾時，天王告曼陀羅所住諸天：『汝見何等希有之事，自言昔來未見未聞？』時曼陀羅諸天白帝釋言：『天王！我等遊戲摩多山峯，昇彼山上，見大光明從上而下，一切山峯皆大焰起。我見此事，怪未曾有。未知當有何等因緣？』

> その時、帝釈天がマンダラに住む天部たちに尋ねました。「あなたたちは何か珍しいものを見たのか。『昔から見たことも聞いたこともない』と自ら言うのは、いったい何か。」 するとマンダラの天部たちは帝釈天に答えました。「天王よ。私たちがマータカ山の峰で遊び、その山に登ったところ、大きな光が上から降りてきて、すべての山の峰が大きく燃え上がりました。このことを見て、今までにない出来事だと驚きました。これは何の原因によるものなのでしょうか。」

「帝釋聞之，少思惟已，告諸天眾：『有如斯事！我已先聞如是之事。我於爾時聞此事已，即問世尊：「以何因緣有此奇特希有之事？」爾時世尊而告我言：「憍尸迦！汝已閉於惡道之門，勿生怖畏。一切有為，生死所攝，所謂無常。汝今諦聽，當為汝說。此是夜摩天上諸天命終。夜摩諸天色量形貌及以受樂勝三十三天過百千倍，以業盡故，命終還退，去此無量百千由旬，從上而墮。其光薄少，如燈欲滅，光明微少。如是夜摩天子於虛空中退時墮落，光明微少，猶尚如是，況夜摩天大光明相不可具說。夜摩天光，三十三天所不能視。何以故？非境界故。憍尸迦！三十三天不能視於夜摩天光。夜摩天眾三種業故，三十三天但說二業。」我從世尊聞如是說，汝今所見亦復如是，今為汝說。』時諸天眾聞是語已，於五欲中生厭離心。

> 「帝釈天はこれを聞いて、しばし考え、天の皆に告げました。『このようなことがあったのです。私は以前、このような出来事を聞いたことがあります。あの時、この話を聞いてすぐに世尊に、「どのような因縁で、このような特別で稀有な出来事が起こるのでしょうか」と尋ねました。すると世尊は私にこう言われました。「憍尸迦よ、あなたはすでに悪道の門を閉じた。恐れることはない。すべての有為のものは、生死の支配下にあり、すなわち無常である。今、あなたはよく聞きなさい。あなたのために説こう。これは夜摩天の天人が命終えた姿である。夜摩天の天人は、その色、形、容貌、そして受ける楽しみにおいて、三十三天の百千倍も勝っているが、業が尽きたために命終えて退転し、この境涯から無量百千由旬も離れたところから、上より堕ちてくる。その光は薄れ、灯火が消えようとして光がわずかになるようである。このように夜摩天の天子が虚空を退転して堕ちる時、光がわずかになるのは、まだこのようなものである。ましてや夜摩天の大きな光明の相は、とても語り尽くせるものではない。夜摩天の光は、三十三天が見ることなどできない。なぜか。それは境地が異なるからである。憍尸迦よ、三十三天は夜摩天の光を見ることができない。夜摩天の衆は三種の業があるが、三十三天はただ二種の業を説くのみである。」私は世尊からこのように聞きました。あなたがたが今見るところもまた同じである。今、あなたがたのために説いた。』この言葉を聞いた天の皆は、五つの欲において厭離の心を生じました。」

「『此是夜摩諸天命終之時，退歿相也。其光去此無量百千由旬，從空而下，汝勿怖也。』爾時，釋迦天王為諸天眾而說頌曰：

> 「これは、夜摩天の諸天が命終の時に現れる退没の相です。その光はここから無量百千由旬も離れたところから、虚空を下って来るものです。あなたは恐れてはなりません。」 その時、釈迦天王は天の衆のために、次のような偈を説かれました。

「『隨如是大樂，富樂亦如是，決定當墮落，受如是大苦。業得相似果，世尊如是說，以其業勝故，其果亦如是。上上相續法，如業之所得；上上相續縛，其果亦如是。此威德上故，知業決定勝；以業上勝故，得勝命色力。一切諸天眾，業盡故還退，譬如焦敗種，種之不復生。觀心性相續，念念如燈焰，心因念念滅，諸業亦如是。無常業因故，終必有破壞，謂樂有常者，是則不可得，樂若非無常，不生亦不滅。若有智慧者，應離愛境界，厭離愛欲人，則得離愛樂。一切有漏法，無常苦不實；若得無漏法，乃名不動樂。』

> 「この大きな楽を受けるように、豊かさや楽しみもまた同様である。 しかし、必ず堕落し、このような大きな苦しみを受けることとなる。 行為（業）にはそれに相応しい結果があると、世尊はこのように説かれた。 その行為が優れているゆえに、その結果もまた優れている。 より高次の因果の連なりは、行為に応じて得られるものであり、 より高次の束縛によって、その結果もまた同様に生じる。 この威徳が優れていることから、行為の決定的な優劣を知るべきである。 行為が優れているゆえに、優れた寿命、容姿、力が得られる。 しかし、すべての天人の衆生は、業が尽きるとまた退転する。 それは、焦げて腐った種を蒔いても、再び芽生えないのと同じである。 心の本質とその連続を観察すれば、瞬間瞬間に灯明の炎のようである。 心の因は刹那ごとに消えゆき、すべての行為もまた同様である。 無常なる業の因ゆえに、ついには必ず破壊される。 「楽には常がある」と言う者は、それを得ることはできない。 もし楽が無常でないならば、生じることもなく、滅することもない。 智慧ある者は、愛執の対象から離れるべきである。 愛欲を厭い離れる人は、愛執の楽からも離れることができる。 すべての煩悩を伴う法は、無常であり、苦であり、実ではない。 もし煩悩を離れた法を得るならば、それを不動の楽と名付けるのである。」

「如是天帝釋為曼陀羅諸天如實說已，復更安慰曼陀羅天，令歸自地，告諸天眾：『汝等諸天於一切時莫得放逸。』爾時，諸天禮天帝釋，還其所止，到本地已，受五欲樂，五樂音聲種種莊嚴園林之中，受天之樂。乃至愛善業盡，命終還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，生安樂處，或作大人，為一切人之所愛念，無有病惱，生大種姓、大長者家，常受安樂乃至老死。以餘業故。

> 帝釈天は、曼陀羅の天々にこのように真実を説き終えると、さらに彼らを慰めて、それぞれの居所に帰るように促し、こう告げました。「あなたがた天々は、いかなる時も決して怠ってはなりません。」その時、天々は帝釈天に礼をして、それぞれの居所に帰り、自らの地に着くと、五つの欲の楽しみを受け、五つの楽器の音色が響き渡る様々に飾られた園林の中で、天界の楽しみを享受しました。そして、善行の果報が尽きる時、命終えて退転し、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちました。もし人間に生まれる場合は、安楽な場所に生まれ、あるいは高貴な人となり、すべての人から愛され慕われ、病や悩みもなく、大いなる家柄や長者の家に生まれて、常に安楽を受けながら老いて死を迎えます。これらは全て、残された善業の力によるものです。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天第三十處名曰上行。眾生何業生於此天？彼以聞慧見：有眾生順法修行，信業果報，行於正見，布施修福，持一分戒。初持多分，後一切持。於道行僧布施靴鞋及施澡瓶。不殺不盜。或有邊地夷人捉人欲殺，是持戒人救贖令脫。若是王者，或見曠野征伐得財，恐犯偷盜，不受其分。是名不盜。云何不殺生？是持戒人或是王者，見有惡人欲來害己，以持戒故不斷其命。如是之人畏業果報，命終生於三十三天，名上行地。生此天已，以善業故，三千天女以為給侍，諸天女眾種種瓔珞莊嚴其身，手執種種伎樂琴瑟及種種香，種種歌頌讚歎天子，向天子所欲心親近。天子見之，亦向天女各各生於歡喜之心，皆共往詣常歡喜園。其林一切毘琉璃寶、金銀之樹以為莊嚴，種種流泉蓮花林池莊嚴其園。有無量河而為莊嚴，種種鈴網彌覆其上，無量眾鳥周遍莊嚴，出於無量種種美妙和雅之音。其林如是種種莊嚴，天子天女於園林中互相映發，轉增妙好。林中有山，名曰遊戲，七寶所成，有無量種眾色寶鹿端正莊嚴，赤蓮花寶以為其脇，真金為背，白銀為腹，真金為頂，珊瑚為足，頗梨為角。或有一色，所謂金色，或有二色——金色、銀色，一切眾色以為莊嚴。一切諸鹿於林樹間隨天眾行，出眾妙音如天女歌，如是眾鹿歌眾妙聲。此諸天眾既受如是無量樂已，復往詣於須彌山峯，於山峯中有一大河，名曰山谷。乘種種殿，種種伎樂五樂音聲，勝欲具足，第一歡喜，威德具足，往詣須彌山峯山谷河所。於此種種河岸之間，遊戲受樂。流水岸中、蓮花林中、園林之中歌音悅耳，受於欲樂，皆生歡喜互相愛敬。多有天子及天女眾，花香塗身，花鬘貫頂。以善業故，受天快樂，以業力故，隨順遊戲。如天所應，受天之樂，不可譬喻，今說少分，一切世人不能具說。何以故？不可譬喻，如是天樂無相似故。人中持戒，善業因故，受如是樂。於此天中，受五欲樂，乃至可愛善業破壞朽盡，命終還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若生人中，第一安樂，近於山澤、多有河林國土之中，或為大王或為大臣，第一威德。以餘業故。

> さらに、比丘は業の因果を悟り、三十三天の住む地を観察する。彼は聞慧によって見る。三十三天の第三十の地は「上行」と名付けられている。いかなる業によって、衆生はこの天に生まれるのか。彼は聞慧によって見る。ある衆生が法に従って修行し、業の因果を信じ、正しい見解を行い、布施して福を積み、一部分の戒めを守る。初めは多くを守り、後にすべてを守る。道を行く僧に靴や履物、また水瓶を施す。殺さず、盗まず。あるいは辺境の蛮族が人を捕らえて殺そうとする時、この戒を守る者が代価を払って逃がす。もし王者であれば、野原での戦闘で得た財産を見ても、盗みを恐れてその分け前を受け取らない。これを不盗という。では、不殺生とは何か。この戒を守る者、あるいは王者は、悪人が自分を害そうとしているのを見ても、戒を守るゆえにその命を断たない。このように業の果報を畏れる人は、命終えて三十三天に生まれ、上行地と名付けられる。この天に生まれると、善業のゆえに三千の天女が侍り、種々の瓔珞で身を飾り、手には様々な楽器や琴瑟、種々の香を持ち、様々な歌で天子を称え、心から天子に親しもうとする。天子もまた天女を見て互いに喜びの心を生じ、共に常歓喜園へと向かう。その林はすべて毘瑠璃宝や金銀の樹で飾られ、様々な流泉や蓮の花が池を飾る。無数の河が園を飾り、種々の鈴の網がその上にかかり、無数の鳥が周囲を飾り、無数の美しく調和のとれた音を奏でる。その林はこのように様々に飾られ、天子と天女は園林の中で互いに映え合い、ますます美しくなる。林の中には山があり、名を遊戯という。七宝でできており、無数の色とりどりの宝の鹿が美しく整い、赤い蓮華宝がその脇腹、真金が背中、白銀が腹、真金が頭、珊瑚が足、玻璃が角となっている。あるものは一色、すなわち金色、あるものは金色と銀色の二色、あらゆる色で飾られている。すべての鹿は林の木々の間を天の衆に従って歩き、天女の歌のような妙音を発する。これらの鹿は様々な声で歌う。天の衆はこのような無量の楽しみを受けた後、さらに須弥山の峰へと向かう。その峰の中に大河があり、名を山谷という。種々の殿閣に乗り、種々の楽器や五楽の音声で楽しみ、勝れた欲を具え、最も喜び、威徳を具えて、須弥山の峰の山谷の河へと向かう。この種々の河岸の間で遊戯して楽しむ。流れる水の岸、蓮の林、園林の中での歌声は耳に心地よく、欲の楽しみを受け、皆が喜び合い、互いに敬い愛する。多くの天子と天女がいて、香を体に塗り、花の飾りを頭に戴く。善業のゆえに天の楽しみを受け、業の力のままに遊戯する。天にふさわしく、天の楽しみを受けることは譬えようもなく、今その一端を説くが、すべての人は詳しく語ることはできない。なぜなら譬えられず、この天の楽しみに似たものがないからだ。人の世で戒を守る善業の因によって、このような楽しみを受ける。この天で五欲の楽しみを受け、やがて愛すべき善業が朽ち尽き、命終えて退き、業に流されて地獄、餓鬼、畜生に堕ちる。もし人の世に生まれれば、最も安楽で、山や沢に近く、多くの河や林がある国の中で、あるいは大王となり、あるいは大臣となり、第一の威徳を有する。これは残された業の故である。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天第三十一地名威德顏。眾生何業生於彼天？彼以聞慧見：有眾生第一淨心，布施修福，持七種戒，不近惡友，持戒不濁，護持福德，常勤精進，一心直心，如煉真金。護幾種戒？所謂不殺及不偷盜。云何不殺？若國土荒亂互相殺害，是持戒人畏破戒故，寧自捨命，不害他人，不教他殺，是名不殺生。云何不盜？若國土荒壞亂，一切眾人競取他物，是持戒人畏破戒故，飢渴垂死，寧自捨命，不取他物。云何布施？施何福田？若供養佛、若說法處而施與之。第一修心，其意正見。是人命終生於天上威德顏地。生此天已，威德光輪周遍圍遶，第一勝色。受相似因果，以善業故。五樂音聲以悅其耳；常聞曼陀羅香、俱賒耶舍香、青蓮花香、七寶花香，以悅其鼻；舌得種種上妙須陀天上味飲；目見種種七寶山谷上妙之色；身得種種勝妙天衣，無有經緯；優鉢羅華香以塗其身。如是天子以善業故，善果成就。千天女眾以為圍遶，園林莊嚴，其林勝妙如融金色。金銀枝中懸以寶鈴，微風吹動出妙音聲，以為娛樂，又聞種種歌頌讚歎之音，受第一樂。天鬘天衣以為莊嚴，遊戲山谷，見於無量種種眾色毘琉璃寶、金銀青寶、大青寶王。於頗梨山峯自見其身，猶如明鏡。時初生天子，天女圍遶入寶山峯，見百千身，百倍歡喜。諸天女眾亦復歡喜，嗚呼歎言：『我身如是端正莊嚴！我今常樂五樂音聲，受天五欲功德之樂。』諸天女眾心生歡喜，從一山峯至一山峯，從一山谷至一山谷，皆於其中遊戲受樂。

> 次に、比丘たちは業の報いを理解し、三十三天の住む境地を観察します。彼は聞慧によって見ます。三十三天の第三十一番目の境地は「威徳顔」と呼ばれています。どのような業によって衆生はその天に生まれるのでしょうか。彼は聞慧によって見ます。ある衆生が、最も清らかな心で布施を行い、福徳を積み、七種の戒めを保ち、悪友に近づかず、戒めを濁らせず、福徳を守り持ち、常に精進し、一心にまっすぐな心を持ち、あたかも精錬された黄金のようです。どのような戒めを保つのでしょうか。それは、殺生をしないことと、盗みをしないことです。殺生をしないとはどういうことか。もし国土が荒れ果て戦乱が起こり、互いに殺し合うような状況にあっても、この戒めを守る人は戒を破ることを恐れ、自らの命を捨てる覚悟があっても、他人を害さず、他人に殺させることもありません。これを不殺生といいます。盗みをしないとはどういうことか。もし国土が荒廃し混乱し、すべての人が他人の物を奪い合うような状況にあっても、この戒めを守る人は戒を破ることを恐れ、飢えと渇きで死にそうになっても、自らの命を捨てる覚悟があっても、他人の物を取りません。布施とはどういうことか。どのような福田に施すのか。もし仏を供養する場所や、説法を行う場所に施すことです。第一に心を修め、その意は正しい見解を持っています。この人は命を終えると、天上の威徳顔の地に生まれます。この天に生まれると、威徳の光輪が周りを囲み、最も優れた色を備えています。善業によって、類似した原因と結果を受けます。五つの音楽の音が耳を楽しませ、常にマンダラ香、クシャヤシャ香、青蓮華香、七宝華香を嗅ぎ、鼻を楽しませます。舌は様々な素晴らしい須陀（天上の味わい）という飲み物を得ます。目は様々な七宝の山谷の優れた色を見ます。身は様々な勝れた天衣を得ますが、それには縦糸も横糸もありません。優鉢羅華の香りで身を塗ります。この天子は善業によって、善い果報を成就します。千人もの天女たちが周りを取り囲み、庭園で飾り立てられています。その林は融けた金の色のように見事です。金銀の枝には宝の鈴が掛けられ、微風が吹くと妙なる音を発し、楽しみを与えます。また、様々な歌や称賛の声を聞き、最高の楽を受けます。天の鬘や天衣で飾られ、山谷で遊び、無量の様々な色の毘瑠璃宝、金銀の青宝、大青宝王を見ます。玻璃の山の頂上で、自分の姿をあたかも明鏡のように見ます。その時、新たに生まれた天子は、天女たちに囲まれて宝の山頂に入り、百千もの自分の姿を見て、百倍の喜びを感じます。天女たちもまた喜び、嘆声をあげて言います。「私の体はこのように端正で荘厳です！私は今、常に五つの音楽の音を楽しみ、天の五欲の功徳の楽を受けています。」天女たちは心に喜びを生じ、ある山頂から別の山頂へ、ある山谷から別の山谷へと、その中で遊び楽しみます。

「愛毒所醉，如狂病人心行不正，如是天眾放逸所壞亦復如是。共諸天女遊於山頂，種種飲食須陀之味，種種鳥音，於園林中受無量樂。互相愛樂，一心共遊，一心係念。如是遊戲，以天衣鬘瓔珞莊嚴，皆共往詣如意園林，或往詣於酒水河池。於此河中，赤優鉢羅花遍覆其上，鵝鴨鴛鴦以為莊嚴。時諸天眾於河岸上食於花汁，或飲上味天之美飲，與諸天鳥遊戲受樂。見之悅目。爾時，諸天愛毒所醉，復飲天酒，百倍增長。愛火燒五欲薪，愛欲所渴，不知厭足，一切皆為欲網所縛。譬如有人犯官禁法，為王所縛。一切天眾見於無量百千愛欲，見之往趣，遊戲其中。於飲河岸既遊戲已，河中蓮花、鉢頭摩花、優鉢羅花、拘物陀花，眾鳥在中歡喜受樂。

> 「愛の毒に酔いしれて、まるで狂った病人の心が正しくないように。天の衆生も放逸によって害されるのもまた同じである。天女たちと共に山頂に遊び、様々な飲食や天の味、様々な鳥の声を楽しみながら、園林の中で限りのない楽しみを受ける。互いに愛し合い、一心に共に遊び、一心に思いを寄せる。このように遊戯し、天の衣や花鬘、瓔珞で荘厳されて、皆で意楽園林へと向かう。あるいは酒水の河や池へと赴く。この川には、赤い優鉢羅華が一面に敷き詰められ、鵝や鴨、鴛鴦が荘厳している。その時、天の衆生は河岸で花の汁を啜り、または最上の天の美味を飲み、様々な天鳥と戯れ楽しむ。見る者の目を悦ばせる。その時、諸天は愛の毒に酔いしれ、さらに天酒を飲んで、百倍にその酔いが増す。愛の火が五欲の薪を焼き、愛欲に渇き、飽くことを知らず、全てが欲の網に縛られる。例えば、人が官の禁法を犯して王に捕らえられるようなものである。全ての天の衆生は、限りない百千の愛欲を見て、それに惹かれ、その中で遊戯する。飲河の岸辺で遊戯を終えると、川の中の蓮華、鉢頭摩華、優鉢羅華、拘物陀華、そして多くの鳥たちがその中で喜び楽しむ。

「池中有鳥，名曰赤水，七寶為身及以兩翅，其身光明。見諸天眾樂放逸行，即為天子而說頌曰：

> 池の中に、赤水という名の鳥がいます。その体と両翼は七宝でできており、体からは光明を放っています。この鳥は、天界の者たちが遊楽にふけっているのを見ると、彼らに向けて偈（うた）を唱えました。

「『天眾常放逸，天鳥亦復然，天眾及飛鳥，彼此無勝劣。樂行於非法，不求解脫樂，天眾若如是，與鳥無差別。若離於放逸，順法而修行，則為世間勝，以不放逸故。若天樂遊戲，禽鳥亦如是，天眾則與鳥，平等無差別。以其業勝故，受生法亦勝，若入於惡法，不得生善處。若不覺生死，一切皆無常，天眾若如是，愚癡如畜生。生苦及老苦、死苦亦如是，恩愛及別離，次第受眾苦。若人有智慧，視於無垢法，彼於世間勝，非汝放逸行。若人覺苦惱，而生淨智慧，是人名為天，非汝著欲者。親友及兄弟，數數愛別離，若不厭生死，與鳥等無異。飲酒過雖重，酒醉尚可醒，放逸不可悟，是故應遠離。放逸破壞人，輪轉於五道，是故離放逸，第一勝方便。酒醉但一日，令人不醒悟；放逸惛醉人，流轉百千劫。若離於放逸，則得不滅處，若人樂放逸，常受於生死。若人求利益，當捨於放逸，放逸生煩惱，大聖之所說。鳥行於放逸，畜生輕心故；天何故放逸，而不能捨離？』

> 「天人は常に放逸にあり、天の鳥もまた同じ。 天の人々も飛ぶ鳥も、互いに優劣はない。 楽しくも悪しき行いをなし、解脱の喜びを求めなければ、 天人がそのような状態なら、鳥と変わるところがない。 もし放逸を離れて、正しい法に従い修行すれば、 それが世の中での勝者である。放逸しないからだ。 もし天人が遊びを楽しみ、鳥もまたそうなら、 天人は鳥と、平等で差別がない。 その業が優れているから、受ける生も法も優れるが、 もし悪しき法に入れば、善き所に生まれることはできない。 もし生と死を自覚せず、すべては無常であると知らなければ、 天人がそのようであるなら、愚かで畜生と同じだ。 生まれる苦しみ、老いる苦しみ、死ぬ苦しみもまた同じように、 愛する者との別れの苦しみを、次々と受けていく。 もし人に智慧があって、汚れのない法を見るなら、 その人が世の中で優れているのだ。あなたの放逸な行いではない。 もし人が苦しみを覚えて、清らかな智慧を生み出すなら、 その人こそ天と呼ばれる。あなたのように欲に執着する者ではない。 親友や兄弟と、何度も愛する別れを繰り返し、 もし生と死を厭わなければ、鳥と変わるところがない。 酒の罪は重くとも、酒の酔いは醒めることがある。 しかし放逸は悟ることができない。ゆえに遠ざけるべきだ。 放逸は人を破壊し、五つの道を輪廻させる。 ゆえに放逸を離れることが、第一の勝れた方法である。 酒の酔いは一日だけ、人を目覚めさせない。 しかし放逸に酔った人は、百千の劫を流転する。 もし放逸を離れるなら、滅びない境地を得る。 もし人が放逸を楽しむなら、常に生と死を受ける。 もし人が利益を求めるなら、放逸を捨てるべきだ。 放逸は煩悩を生むと、大聖者はお説きになられた。 鳥は放逸のうちに生きる。畜生は心が軽いからだ。 天人がどうして放逸を、捨てることができないのか？」

「如是天鳥以善業故，教化利益一切諸天。如是天鳥，猶如父母，利益教示。此諸天眾放逸心故，不覺天鳥說利益法。

> このように、天の鳥たちは善い行いの力によって、すべての天の者たちを教え導き、利益を与えています。この天の鳥たちは、あたかも父母のように、彼らを教え示し、利益をもたらしているのです。しかし、これらの天の者たちは心が放逸であるために、天の鳥が説く利益のある教えに気づくことがありません。

「爾時，諸天復往詣於摩多羅林。種種音聲，互相愛敬，至摩多羅林遊戲受樂。其林皆是七寶之樹，枝葉相接，無量眾蜂遊戲在於林樹之上天寶花中。天眾見之，皆生歡喜，共天女眾遊戲歌舞。天女歌音遍園林中，於園林中出於響音，皆如歌聲。鳥音、蜂音，其音齊等，遍須彌山。其須彌山本性可愛，既有此音，二倍轉勝。時諸天眾若見、若聞，皆受快樂，大欲成就。共諸天女遊戲受樂，種種莊嚴，妙色具足，遊戲歌舞，受天之樂，乃至愛善業盡，命終還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。有餘善業，若生人中，受第一樂。心常歡喜，顏貌端正，為一切人之所愛敬，或為王者或為大臣。以餘業故。

> その時、天界の者たちは再びマトゥラ林へと向かいました。様々な声を響かせ、互いに敬い愛し合いながら、マトゥラ林で遊び、楽しみました。その林には七つの宝でできた木々が生い茂り、枝や葉は互いに触れ合い、数え切れないほどの蜂が林の上の天の花々の中で戯れていました。天界の者たちはそれを見て、皆喜びに満ち、天女たちと共に遊び、歌い、踊りました。天女たちの歌声は園林全体に広がり、園林の中からは美しい響きが、すべて歌声のようにこだましました。鳥の声、蜂の音、その音はみな調和し、須弥山に満ち渡りました。もともと愛らしい須弥山は、この音によってさらに二倍も魅力的になりました。天界の者たちは、見るもの聞くものすべてに喜びを感じ、大きな欲望が満たされました。彼らは天女たちと共に遊びを楽しみ、様々に飾り立て、見事な姿を備え、歌い踊りながら天の楽しみを享受しました。善い行いの果報が尽きるまで、この状態が続きます。寿命が尽きれば、往還して、自らの行いに応じて流転し、地獄・餓鬼・畜生の世界に堕ちます。もし残された善い行いによって人間に生まれるなら、最高の楽しみを受けます。心は常に楽しみ、顔かたちは美しく、すべての人々に愛され敬われ、ある者は王となり、ある者は大臣となります。これが残された行いの果報によるものです。

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：有天處第三十二地，名威德焰輪。眾生何業而生彼處？彼以聞慧見：此眾生善心修福，不諂不幻，觀於正法，以正見心利益一切眾生，信佛法僧。其心柔軟，修行福業。若於僧寺或見佛塔有破壞者，為之修治。或時塔寺為火所燒，竭力救護，不惜身命。或見大火焚燒佛法眾僧珍寶財物，喪身救之。或見有人為火所燒，入火救之。以悲心故，能作如是難為福德。云何不殺及不偷盜？若見道邊遺落之物——若金若銀及餘財寶，取已唱令：『此是誰物？』若有人言此是我物，當問其相，實者當還。若無人認，七日持行，日日唱之，若無主認，以此寶物付王大臣、州郡令長。若王大臣、州郡令長見福德人不取此物，後當持與佛法眾僧。是名不偷盜。云何不殺？若行道路見諸虫蟻蚓、蛾蝦蟇及餘小蟲，捨避諸蟲，行於遠道。以慈悲心護眾生故，信業果報，知生死過，觀生滅法。是名不殺生。是持戒人身壞命終生於善道，三十三天威德焰輪所住之地。

> 「さらに、比丘よ、業の報いを知り、三十三天の住む地を観察せよ。彼は聞慧によって、天に第三十二の地があり、威徳焔輪と名づけられることを見る。どのような業によって、衆生はそこに生まれるのか？彼は聞慧によって見る。この衆生は善心をもって福を修め、へつらわず、偽りなく、正法を観じ、正見の心ですべての衆生を利益し、仏・法・僧を信じる。その心は柔らかく、福業を修行する。もし僧寺や仏塔に破損があるのを見れば、これを修理し治める。あるいは時に塔寺が火に焼かれるならば、力を尽くして救い護り、身命を惜しまない。あるいは大火が仏法や僧の珍宝・財物を焼き尽くすのを見て、身を捨ててこれを救う。あるいは人が火に焼かれるのを見て、火の中に入ってこれを救う。悲心のゆえに、このように難き功徳をなすことができる。では、殺さず、盗まないとはどういうことか？もし道端に落ちている物——金や銀やその他の財宝——を見たら、拾い上げて『これは誰の物か』と告げ知らせる。もし『これは私の物だ』と言う人がいれば、その特徴を尋ね、本当ならば返す。もし名乗る人がいなければ、七日間持ち歩き、毎日呼びかける。もし持ち主が現れなければ、この宝を王や大臣、州郡の長官に渡す。もし王や大臣、州郡の長官が福徳ある人を見てこの物を取らずにいれば、後で仏・法・僧に施す。これを不偷盗という。では、殺さないとはどういうことか？もし道路を歩いていて、虫や蟻、蚓、蛾、蝦蟇その他の小虫を見たら、これらの虫を避けて遠回りの道を行く。慈悲心で衆生を護るゆえに、業の果報を信じ、生死の過ちを知り、生滅の法を観じる。これを不殺生という。このように持戒する者は、身が壊れ命が終われば善き道に生まれ、三十三天の威徳焔輪の住む地に至るのである。」

「生彼天已，第一善業，其威德輪周匝莊嚴，而受快樂，不可具說，今說少分。其身周遍威德熾光如日之照，而不曜目，以善業故。百千天女圍遶其人而受快樂，金毘琉璃、青因陀寶以為宮殿，遊戲歌舞。復有園林，花常開敷，多有眾鳥出妙音聲，見色聞聲皆可愛樂。復有一林，名曰開合，處處諸林開目、閉目常見光明。於此林中共諸天女遊戲受樂，生希有心。復往詣於祇多之林，與無量百千天女歌舞音聲遊戲山峯。以歌音故，出眾響聲猶如歌音。若有異天於諸林中遊戲受樂，聞此歌音，即出其林，自相謂言：『是何等聲？猶如第二釋迦天王。』出已即見初生天子，天眾見之，生歡喜心出迎天子，發希有心。既見天子，皆生歡喜，命天子言：『善來天子！汝來我所。汝於天眾最為殊勝。於此天中，猶如第二釋迦天王。』

> あの天に生まれた者は、第一の善業により、その威徳の輪が周囲を荘厳し、楽しみを受けること、言葉で尽くしがたいが、今、その一端を語ろう。 その身の周りには威徳の熾光が満ち、太陽の輝きのようでありながら目を射ることはない。善業のゆえである。百千の天女たちがその人を取り巻いて楽しみを受け、金・瑠璃・青因陀宝をもって宮殿とし、遊戯し歌舞する。また、常に花の咲き開く園林があり、多くの鳥が妙なる音声を発し、色を見、声を聞くすべてが愛楽すべきものである。 また、開合という名の林がある。そこでは、あらゆる林が目を開き、目を閉じても常に光明を見る。この林の中で、天女たちと共に遊戯し楽しみを受け、希有の心を生じる。 さらに、祇多の林に赴き、無量百千の天女と共に歌舞・音声をもって山の峰で遊戯する。その歌声によって、様々な響きの声が起こり、まるで歌声のようである。もし他の天が諸々の林の中で遊戯し楽しみを受けている時、この歌声を聞けば、すぐにその林から出て来て、互いに言い合う。「これはいかなる声であろうか。まるで第二の釈迦天王のようだ。」と。出て来ると、初めて生まれた天子を見る。天の衆はこれを見て、歓喜の心を生じ、天子を迎えに出て、希有の心を起こす。天子を見れば、皆が歓喜を生じ、天子にこう言う。「ようこそ来られた、天子よ。あなたは我がもとへ来られた。あなたは天の衆の中で最も殊勝である。この天の中にあって、まるで第二の釈迦天王のようだ。」と。

「爾時，餘天皆悉速往至天子所，到已圍遶。時諸天子歌舞戲笑，心生歡喜圍遶天子，皆共往詣歡喜園林遊戲受樂。諸天女等圍遶天子歌舞遊戲，爾時天子須臾迴顧，見諸天眾皆隨其後，心生歡喜問天眾言：『欲至何所？』時諸天眾語初生天子：『今當往詣歡喜園林可愛之處，五欲功德受於勝樂。』爾時，天子未曾見此奇特園林，徐行往詣歡喜園林。其林晃曜光明普照猶如日輪，初生天子見此園林，復生歡喜入此林中。見此林樹有無量種，甚可愛樂。一林之中具四威德，無量百千眾鳥音聲，或有出於微妙音聲，或有命言：『善來天子！』或有圍遶歡喜踊躍，如是天鳥莊嚴園林。復有異處，於山谷中，河水之聲出眾妙音，真金為岸。於其水中多有種種鵝鴨眾鳥出妙音聲。既見此河，與無量天女在於河岸遊戲受樂，五樂音聲歡娛受樂。既受樂已，復往詣於如意樹林，見如是樹光明如月，或見如日。新生天子於此樹下受五欲樂，不可具說。既受如是無量樂已，向蓮花池。至蓮花池，天眾圍遶如奉帝釋，皆生歡喜。於蓮花池既受樂已，復往詣於高聚山頂歌舞遊戲，天子天女互相娛樂，受五欲樂。至高聚頂，見山頂上有蓮花池，無量眾鳥共諸天眾受第一樂。以善業故，第一威德。共諸天眾於園林中、如意林中、上味林中。多有眾鳥莊嚴其林，於此林中遊戲受樂。是時天子於高聚峯，與諸天眾久受樂已，復觀自地新生天子，生希有心，百千天眾皆共圍遶。復與天眾詣善法堂，見天帝釋。

> さて、他の天々は皆、すぐにその天子のもとへと赴き、着くとその周りを囲みました。その時、諸々の天子は歌い、舞い、笑い戯れ、心に喜びを生じて天子を囲み、皆で共に歓喜園林へと向かい、遊戯して楽しみを受けました。天女たちは天子を囲んで歌い、舞い、遊戯しました。その時、天子はしばらくして振り返り、天の衆が皆、自分の後に従っているのを見て、心に喜びを生じ、天の衆に問いました。「どこへ行こうとしているのか？」と。その時、天の衆は新しく生まれた天子に語りました。「今まさに、歓喜園林という愛らしい場所へ赴き、五欲の功徳においてすぐれた楽しみを受けましょう。」と。 その時、天子はこの未曾有の不思議な園林をまだ見たことがなかったので、ゆっくりと歩みを進めて歓喜園林へと向かいました。その林は輝き、光明が普く照らすこと、まるで太陽の輪のようでした。新しく生まれた天子はこの園林を見て、再び喜びを生じ、この林の中に入りました。この林の木々が無数の種類であり、とても愛らしいのを見ました。一つの林の中に四つの威徳が備わっており、無量の百千の鳥の声があり、あるものは微妙な音声を発し、あるものは「ようこそ、天子よ！」と呼びかけ、あるものは周りを囲んで喜び踊っているのでした。このように、天の鳥たちが園林を荘厳していました。 また別の場所では、谷の中にあって、川の水の音が衆妙の音を発し、真金が岸となっていました。その水中には、多くの種類の鵝や鴨といった鳥たちがいて、妙なる音声を発していました。この川を見て、天子は無量の天女と共に川岸で遊戯して楽しみを受け、五楽の音声に興じて楽しみを受けました。その楽しみを受けた後、さらに如意樹林へと赴き、このような樹が月のように光り、あるいは日のように輝くのを見ました。新しく生まれた天子は、この木の下で五欲の楽しみを受けましたが、その様子は詳しく語ることができません。 このように無量の楽しみを受けた後、蓮華池へと向かいました。蓮華池に至ると、天の衆が周りを囲むこと、あたかも帝釈天に仕えるかのようであり、皆、喜びを生じました。蓮華池で楽しみを受けた後、さらに高聚山の頂上へと赴き、歌舞や遊戯を楽しみ、天子と天女は互いに楽しみ合い、五欲の楽しみを受けました。高聚の頂上に至り、頂上に蓮華池があるのを見ました。無量の衆鳥が天の衆と共に、第一の楽しみを受けていました。善業の故に、第一の威徳を備えていました。天の衆と共に、園林中、如意林中、上味林中にいました。多くの鳥たちがその林を荘厳しており、この林の中で遊戯して楽しみを受けました。 この時、天子は高聚の峰で、天の衆と共に長く楽しみを受けた後、さらに自分の国であるところの新しく生まれた天子たちを観じ、希有の心を生じました。百千の天の衆が皆、共に周りを囲んでいました。さらに天の衆と共に善法堂へと赴き、帝釈天に拝謁しました。

「爾時，新生天子至善法堂。見善法堂種種眾寶以為莊嚴，眾寶欄楯，如前所說。爾時，釋迦提婆見此天子，心生歡喜而說頌曰：

> その時、新たに生まれた天子が善法堂にやって来ました。すると、善法堂はあらゆる宝で美しく飾られ、宝の欄干も先に述べた通りでした。その時、帝釈天（釈迦提婆）はこの天子を見て、心から喜び、こう詩を唱えました。

「『以善業果報，今生於此地，於此天世間，命終當墮落。業盡還墮落，隨業之所生，今若修善業，後不生悔心。放逸著欲樂，消盡於善業，以時自在故，業盡墮惡道。見餘天退沒，云何不生厭？我亦當墮落，決定無有疑。若有畏未來，隨順於法行，其人命終時，則無惡道畏。放逸無怖畏，其心行不善，後得大憂惱，臨終生悔熱。一切諸天眾，必當有退沒，既知欲無常，莫行於放逸。五欲誑眾生，為欲之所迷，欲網所纏縛，常墮於地獄。知此衰惱已，當作自利益，以心調伏故，命終心不悔。為欲蛇所螫，欲如海潮波，癡人趣死路，為欲火所燒。親愛及兄弟、親友皆別離，死時眾苦集，不可得具說。死時既至已，猶如墜山巖，大力不可避，將人入惡道。大力執持人，能壞於世間，天眾既知已，當捨於放逸。諸根生貪著，而不知厭足，愛心常增長，如酥油投火。如是種種門，因愛有世間，輪轉於地獄、餓鬼及畜生。生死所擾動，苦惱自迷心，既知能離愛，則到第一道。勇健者斷愛，離憂無苦惱，則得安隱眠，以能離愛故。若人心常樂，修行於智慧，不為於生死，愛網之所縛。若人心無相，厭離於愛欲，離垢及曠野，到安樂彼岸。若人不厭苦，得樂亦不欣，是人脫苦樂，能到涅槃城。若有人修行，常起慈悲心，是人知因果，則能脫苦網。若人不分別，離意分別過，是人離眾過，能得無上道。和合則有離，盛色必有衰，有命皆歸死，一切法如是。諸天將退沒，念念欲現前，當知如是法，莫行於放逸。愚人無方便，常求於欲樂，如沙中求油，則是不可得。若人樂放逸，則不得安樂，放逸受大苦，如樹根堅牢。我為汝實說，法非法之義，汝當善思惟，勿於後生悔。若有愚癡人，不受善師教，臨終衰惱至，心必生悔熱。億千那由他，無數億兆載，阿僧祇諸天，皆為放逸誑。無常大劫火，尚燒此山王，何況諸天身，如水沫芭蕉。諸行皆遷動，生法悉無常，如是諸法中，求樂不可得。』

> 「善い行いの報いで、この地に生まれ、 天の世界にいても、命が尽きれば堕ちる。 善行の報いが尽きればまた堕ち、業に従って新たな生を受ける。 今、善い行いを積めば、後に悔やむことはない。 怠り、欲の楽しみにふければ、善い行いは尽きる。 時が過ぎれば業も尽き、悪道に堕ちる。 他の天人が堕ちて消えるのを見て、どうして厭う心が起きないのか？ 私もまた堕ちるに違いない。疑いの余地などない。 未来を畏れる者は、教えに従って生きる。 その人は命終の時に、悪道への恐怖がない。 怠り、恐れを持たず、心が善くない行いをする者は、 後に大きな憂い苦しみを得、臨終に悔やみ焦る。 すべての天人は、必ず退転して滅びる。 欲は無常だと知ったなら、放逸にふけるな。 五つの欲は衆生を欺く。欲に惑わされ、 欲の網に絡め取られて、常に地獄に堕ちる。 この衰えや悩みを知ったなら、自らの利益のために努めよ。 心を調え整えることで、命終の時に悔いはない。 欲の蛇に噛まれ、欲は海の荒波のようだ。 愚かな者は死への道に進み、欲の火で焼かれる。 親しい人や兄弟、親友もみな別れ別れになる。 死の時には様々な苦しみが集まり、とても語り尽くせない。 死の時が来れば、まるで山の崖から落ちるようだ。 その大きな力は避けられず、人を悪道へと連れて行く。 あの大きな力は人を捉え、世の中の全てを壊す。 天の衆はこれを知ったなら、放逸を捨てよ。 感覚の器官は執着を生み、満足することを知らない。 愛執の心は常に成長する。バターを火に投じるかのように。 このように様々な門を通じて、愛執によって世の中がある。 地獄、餓鬼、畜生の境を輪廻し続ける。 生死に揺さぶられ、苦しみが心を惑わす。 愛執を離れる方法を知ったなら、最高の境地に至る。 勇気ある者は愛執を断ち、憂いも苦しみもなく、 安らかに眠ることができる。愛執を離れたからだ。 もし心が常に智慧の修行を楽しむなら、 生死の愛執という網に絡め取られることはない。 もし心に形相がなく、愛欲を厭い離れるなら、 汚れと荒野を離れて、安らかな彼岸に至る。 もし人が苦しみを厭わず、楽しみを得ても喜ばないなら、 その人は苦楽を超えて、涅槃の都に至る。 もし人が修行し、常に慈悲の心を起すなら、 その人は因果を知り、苦しみの網から脱する。 もし人が分別せず、分別を超えた心の働きを離れるなら、 その人は様々な過ちを離れ、無上の道を得る。 和合すれば必ず離別があり、盛んな色も必ず衰える。 命あるものはみな死に向かう。全てのものはそうだ。 天人は退き滅びようとしており、刻々とその時が迫っている。 この道理を知ったなら、放逸にふけるな。 愚か者は方法を知らず、常に欲の楽しみを求める。 砂の中から油を搾ろうとするようなもので、決して得られない。 もし人が放逸を好むなら、安楽を得ることはできない。 放逸は大きな苦しみをもたらす。まるで樹の根が堅いように。 私はあなたに真実を語る。法と非法の意味を。 よく考えなさい。後で悔やんでも遅すぎるから。 愚かで、善き師の教えを受け入れない者は、 臨終に衰えや悩みが押し寄せ、心に必ず悔いと焦りが生じる。 数え切れないほどの天人が、みな放逸に欺かれてきた。 無常という大きな劫の火は、この山王さえも焼き尽くす。 ましてや天人の体は、水の泡や芭蕉の幹のように儚い。 すべての形成されたものは移り変わり、生じるものはみな無常だ。 このようなものの中に、真の楽しみを求めることはできない。」

「如是天帝釋為新生天子方便說利益法，時新生天子以放逸故，不受一言。爾時，帝釋知其不受，默然而住。時初生天子合掌頂上，禮帝釋已，與諸天眾歌舞遊戲，百眾千眾還歸自地，園林花池處處遊戲。遍觀住處，流泉華池莊嚴之處，種種眾鳥其聲可愛，種種山谷寶光焰輪，與諸天眾受無量樂。放逸覆心，愛著慾心，慾火所燒，從於五根生五種焰，心窟住處，不覺自燒。與諸天女放逸遊戲，覆藏怨賊，謂為親友。如是受樂乃至愛善業盡，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有善業生於人中，常受安樂，第一端正，無量功德，生大種姓，為一切人之所愛念，或為人王或為大臣，生處長壽，乃至命終受樂不壞。以餘業故。

> 「このように天帝釈は、新しく生まれた天の子たちのために、利益をもたらす法を巧みに説いた。しかし、その新しい天の子たちは放逸であったため、一言も受け入れようとしなかった。その時、帝釈は彼らが受け入れないことを知り、黙ってその場に留まった。すると、新しく生まれた天の子たちは合掌して頭上に額づき、帝釈に礼をしてから、多くの天の衆と共に歌舞や遊戯を楽しみ、百や千の仲間と共にそれぞれの住処へと帰って行った。園林や花の池のあちこちで遊び戯れた。彼らは自分の住処を見て回り、流れる泉や華やかな池が飾る荘厳な場所、様々な鳥たちの愛らしい声、色とりどりの谷や宝石が輝く輪を眺めながら、天の衆と共に限りない楽しみを味わった。しかし、放逸が心を覆い、欲の心に執着し、欲の火に焼かれた。五つの感覚器官から五つの炎が生じ、心の洞窟という住処で、知らぬ間に自らを燃やし尽くした。そして、天女たちと共に放逸に遊び、怨みの賊を覆い隠して、それを親しい友と思い込んだ。このようにして楽しみを味わい、ついには善い業が尽きるまでその状態が続いた。その後は、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生の世界に堕ちた。もし善い業があって人間に生まれ変われば、常に安楽を受け、最も端正で、限りない功徳を備え、大きな家柄に生まれ、すべての人から愛され慕われ、あるいは人王となり、あるいは大臣となり、長寿を得て、生涯の終わりまで楽しみが壊れることがなかった。これは、残った業の力によるものである。」

「復次，比丘知業果報，觀三十三天所住之地。彼以聞慧見：三十三天第三十三地名曰清淨。眾生何業生於彼天？彼以聞慧見：此眾生以善心故，信於因果，持七種戒，於一切眾生起慈悲心，不近惡友，不與惡人言語談論，常信三寶。其心寂靜，心無障礙，意無散亂，不行惡法，不與下賤惡人交友，於一切眾生常說愛語、利益時語。供養法師，常聽正法，隨力布施。若於行路乃至不以盜心取他草葉，是名不盜。云何不殺生？若蝦蟇、若屯頭迦兩頭蛇也，乃至目見不起殺心。何以故？一切眾生皆自愛命，以此因緣，一心係念，諦視而行，不傷眾生。云何不殺生？若有疾病恐喪其命，買肉療病。若於熱時或經多時，肉中生蟲，若去此蟲則斷蟲命，寧自喪命，不去此蟲，護蟲命故。如是善人乃至微細小罪，見之生怖。云何不盜？如是善人安樂利益一切眾生。若田澤園林有乾牛糞，知他所攝，終不故取，恐犯偷盜。如是之人捨於盜心，持戒離垢，不雜不濁，離於穅秸。是持戒人身壞命終生於善道，名清淨地。

> さらに、比丘たちよ、業の報いを知る者は、三十三天の住む地を観察する。彼は聞慧によって見る。三十三天の第三十三の地を「清浄」と名づける。いかなる業によって、衆生はその天に生まれるのか？彼は聞慧によって見る。この衆生は、善心によって因果を信じ、七種の戒めを保ち、すべての衆生に対して慈しみの心を起こし、悪友に近づかず、悪人と言葉を交わさず、常に三宝を信じる。その心は静かで、心に妨げがなく、意識は散乱せず、悪い行いをせず、卑しい悪人と友達にならない。すべての衆生に対して常に愛しい言葉や、利益となる時宜にかなった言葉を語る。法師を供養し、常に正しい法を聞き、力の及ぶ限り布施を行う。 もし道端で、草の葉一つを盗む心で取らないならば、これを不盗と名づける。では、殺生しないとはどういうことか？蛙や、屯頭迦（両頭の蛇）のようなものでも、目に見えても殺す心を起こさない。なぜなら、すべての衆生は自分の命を愛しているからである。この因縁によって、一心に心を留め、注意深く見ながら歩き、衆生を傷つけない。では、殺生しないとはどういうことか？もし病気で命を落としそうな時に、肉を買って病気を癒すことがある。もし暑い時や長い時間が経って、肉に虫が湧いた場合、この虫を取り除けば虫の命を絶つことになる。そのような善人は、自分の命が絶えようとも、この虫を取り除かず、虫の命を守る。このように、善人は微細な罪であっても、それを見れば恐怖を生じる。 では、盗まないとはどういうことか？このような善人は、すべての衆生に安楽と利益をもたらす。もし田んぼや沼沢、園林に乾いた牛の糞があっても、それが誰かの所有と知れば、盗みを犯すことを恐れて、決して故意に取らない。このような人は盗みの心を捨て、戒めを保ち、汚れを離れ、不純ではなく濁っておらず、籾殻のようなものを離れている。このような持戒の人は、身体が壊れ命が終わると、善き道に生まれ、その地を清浄と名づける。

「如是天子生此天已，受第一樂。其身光明勝於日光，威德熾盛，受於無量天之快樂。以善業故，受如是樂。諸天女眾百千圍遶，天鬘天衣莊嚴其身，七寶林中與諸天女遊戲，受於第一之樂。復往詣於樂鹿頂林，見此園林可愛奇特，生大歡喜，問諸天曰：『以何因故，如此園林勝諸園林？花果莊嚴山窟嵠谷崖岸，河泉花池流水，無量眾鳥出妙音聲。於其山中處處多有眾寶之鹿，種種莊嚴第一殊勝。』

> このようによく施しをした天子は、天に生まれてから最高の楽しみを受けます。その身体の光明は太陽の光よりも勝り、威徳は盛んに輝き、限りない天の楽しみを受けます。善い行いの果報によって、このような楽しみを受けるのです。 百千の天女たちに囲まれ、天の花飾りや天の衣がその身を飾ります。七宝の林の中で天女たちと共に遊戯し、最高の楽しみを受けます。さらに楽鹿頂林へと向かいます。この園林の愛らしく素晴らしい様子を見て、大いに喜び、天女たちに問いかけます。 「どうしてこの園林は、他の園林よりも勝っているのでしょうか。花果で飾られ、山の洞窟や谷、崖のほとり、川や泉、花の池、流れる水があり、無数の鳥たちが美しい声で鳴いています。その山の中には、至る所に多くの宝のような鹿がいて、様々に荘厳され、比類なく素晴らしいのです。」

「爾時，先生諸舊天等，告初生天子曰：『天子當知！如我往昔次第曾聞先世天子作如是說：「有轉輪聖王，名曰頂生，主四天下，受於無量百千之樂，欲無厭足。以自在力，來至此天。從四天王天次至此天。於人中數無量百千歲，在此天中受於欲樂而無厭足。既至此天，與天帝釋分座而坐，與帝釋天共出遊戲。知此林中無量功德，至此林中遊戲受樂。以此因緣，此林殊勝乃至於今，勝於餘林。時頂生王於此天中，與天帝釋同處而坐，自業盡故，從天還退。」我昔曾從先舊諸天傳聞斯事，非我自見，此林具足乃至於今時。』新生天子聞已歡喜，遠離疑惑，以五樂音聲受於無量五欲之樂。「林中有鳥，名曰悕樂，以善業故，為諸天子而說頌曰：

> この時、先輩の古参の天部たちが、新たに生まれた天子に告げました。 「天子よ、知るがよい。我々はかつて先代の天子たちから、次のように伝え聞いたのだ。『世に頂生という名の転輪聖王がいた。彼は四つの洲を治め、計り知れないほど多くの快楽を受けたが、欲望に満足することはなかった。やがて自在の力によって、この天界に到来した。四天王天から順にこの天に至るまで、人の世では数えきれないほどの年月を、この天で欲望の快楽を享受しながらも、なお飽き足ることがなかった。そしてこの天に至ると、帝釈天と席を分け隔てなく並んで座り、共に出かけて遊興したのである。この林には無量の功徳が満ちていると知り、この林に遊び楽しんだ。この因縁によって、この林は今に至るまで他の林に勝る特別なものとなったのである。その頂生王は、この天において帝釈天と共に座していたが、自らの業が尽きたために、天から退転したのである。』私はかつて先輩の古参の天部たちからこの事を伝え聞いたのであって、自ら見たわけではない。この林が今日に至るまでそのまま具わっているのは、このためである。」 新しい天子はこれを聞いて歓喜し、迷いや疑いを離れ、五つの音楽の音色に乗せて、限りない五つの欲の楽しみを受けました。 林の中には、悕楽という名の鳥がいました。その鳥は善き業によって、天子たちのために次のような偈頌を唱えました。

「『以愛因緣故，欲心無厭足，多欲從愛生，心意不可滿。一切眾生類，死法常現前，設以諸方便，不能遮此法。久受無量樂，必定當退沒，是故諸天子，應隨順法行。唯有法能救，能令得善道，以法得壽命，無法則無壽。若能愛樂法，隨順於法行，從樂得樂處，則不見眾苦。若不愛樂法，樂行於非法，則墮於地獄，常受諸苦惱。如是天王界，所說諸地處，除斯更無有，其餘諸地住。此三十三天，更無微少處，而能脫死地，以無常業故。應知此因緣，種種無常法，帝釋所說法，而天不能受。善智憍尸迦，其身如妙藏，愛於俱賒花，捨離於惡眾；為諸天父母，善說於正法，愚天不受教，放逸亂心故。』

> 「愛欲を縁とするがゆえに、心の欲には満足がなく、 欲は愛から生まれ、心は満たされることがありません。 あらゆる生きとし生けるもの、死という法は常に目の前にあります。 たとえ様々な方便を用いても、この法を覆い隠すことはできません。 長い間無量の楽を受けても、必ず衰退し失われる時が来ます。 それゆえに、諸々の天子よ、法に従って行うべきです。 ただ法だけが救うことができ、善い道へ導くことができます。 法によって寿命を得ますが、法がなければ寿命はありません。 もし法を愛し楽しみ、法に従って行えば、 楽から楽の境地へと進み、様々な苦しみを見ることはありません。 もし法を愛し楽しまず、楽しんで非法を行えば、 地獄に堕ちて、常に様々な苦しみと悩みを受けることになります。 このような天王の世界で、説かれたあらゆる場所も、 これ以外に他の住む場所は存在しません。 この三十三天には、ほんのわずかな場所もなく 死の領域を逃れられる所はないのです。無常という業があるからです。 この因縁をよく知るべきです。様々な無常の法を。 帝釈天が説いた法ですが、天人たちは受け入れようとしません。 智慧ある憍尸迦（コーシカ）は、その身を妙なる宝蔵のごとくにし、 俱賒花（クシャの花）を愛し、悪しき仲間から離れました。 諸々の天人の父母として、正しい法をよく説きましたが、 愚かな天人は教えを受け入れません。放逸と心の乱れのゆえに。」

「如是天鳥為諸天子說是偈已，時諸天子性放逸故，不生厭心，放逸覆心，不受其教，還著欲樂。但觀現在，不觀未來。於此天中受五欲樂，乃至愛善業盡，命終還退，隨業流轉，墮於地獄、餓鬼、畜生。若有餘業，生於人中，常受快樂，好行善法，端正第一，為一切人之所愛樂。以餘業故。

> このように天の鳥が諸々の天子にこの偈を説き終えた時、その天子たちは生来、放逸（ほういつ）ゆえに厭離（おんり）の心を起こさず、放逸に心を覆われてその教えを受け入れず、再び欲望の楽しみに執着しました。彼らはただ現在だけを見て、未来を顧みませんでした。この天の世界で五欲の楽しみを受け、愛（め）でる善業が尽きるまで楽しみ、命終われば退き（退転し）、業に従って流転し、地獄・餓鬼・畜生に堕ちます。もし余った業があれば、人間に生まれ、常に快楽を受け、善法を好んで行い、端正で第一であり、一切の人々に愛され楽しめられるのです。これが余った業によるものです。

「復次，彼比丘知業果報，觀三十三天所住地處，除此三十三地，更無餘地。彼作是念：『但有如是三十三天，更無餘地。此是釋迦天王之地，天王福力、天王自在，更無有餘。』如是觀於第二天眾因果相似，相續而生，業果之鏡皆悉相應，一一諸地各各差別。具觀察已，於無量生死怖畏，生厭離心。生死險處，愛別離苦、怨憎會苦、老病死苦逼迫之處，見無量苦，暴河所漂，心生厭離。嗚呼！世間甚為大苦，於生老病死大險難處，沒在其中而不覺知，不知求出。如是生死無有少樂、無常敗壞、變易之法。眾生愚癡，不知不覺，以身因緣，多作眾惡，身雖破壞，業縛不亡。爾時，比丘觀是事已，而說頌曰：

> また、かの比丘は、因果応報の理を知り、三十三天の住む世界を観察した。この三十三の天界以外に、他の天界は存在しないと悟る。彼はこう考えた。「ただこの三十三天があるのみであり、他にはない。ここは帝釈天の領域であり、天王の功徳の力と自在の力によるものであって、他に理由はない。」このようにして、第二の天の衆生たちの因果が相似し連続して生じる様子を、因果応報の鏡がことごとく相応し、一々の天界がそれぞれに異なることを観察した。 この観察を終え、彼は無量の生死に対する恐れから、厭離の心を起こした。生死という危険な場所、愛する者との別れの苦しみ、怨み合う者との出会いの苦しみ、老い・病・死の苦しみが迫る場所において、無量の苦しみを見て、激流に漂われるように思い、心から厭い離れることを願った。 「ああ、世の中は実に大いなる苦しみである。生老病死という危険な難所に沈みながら、それに気づかず、逃れ出る方法を知らない。この生死にはわずかな楽しみもなく、無常で壊れ、変わりゆく性質のものにすぎない。しかし衆生は愚かで、それに気づかず、身の因縁によって多くの悪を行い、身体は滅びても、業の束縛は消えることがない。」 その時、比丘はこの事を観じて、次の偈を説いた。

「『種種內供養，床褥及臥具，此身要當壞，無人能自護。不念於恩惠，得便則傷害，智者為身怨，則不造惡業。衰病所住處，種種眾苦集，不淨穢惡聚，是故名為身。智者所觀察，死相常現前，命念念不住，須臾歸磨滅。此身念念老，終無有增長，為愚癡所迷，恃少生憍慢。恃財生憍慢，不益於自身，財物皆亡失，惡業還自燒。若不行布施，則無受樂報，財物會歸盡，貪狂故守護。若所愛財物，布施於師長，此財則堅牢，慳者財如草。淨心布施者，猶如盲者導，此世未來世，能護怯弱者。持戒七種福，不可破壞句，戒能護丈夫，上生於天中。第一勝智者，常欲殺煩惱，是人脫眾縛，則到不退處。有海大險難，此三堅牢筏，若得無垢心，則能到彼岸。』

> 「様々な内なる供養、寝床や寝具も、 この身はやがて壊れ、誰も自分を守れない。 恩恵を顧みず、機会を得れば害をなす。 賢者は身を怨みとして、悪業を造らない。 衰えや病の住む所、様々な苦しみが集まり、 不浄で穢れたものの集まり、ゆえにこれを身と呼ぶ。 賢者が観察すると、死の相は常に目の前にあり、 命は刹那ごとに留まらず、瞬く間に滅び去る。 この身は刻々と老い、ついに成長することはない。 愚かさに惑わされ、若さに頼って傲慢を生む。 財に恃んで傲慢を生じても、自身のためにはならず、 財物はすべて失われ、悪業は自らを焼き尽くす。 もし布施を行わなければ、楽しい報いを受けることはなく、 財物は必ず尽きるのに、貪り狂って守り続ける。 もし愛する財物を師や長者に布施すれば、 この財は堅牢となる。けちな者の財は草のようなもの。 清らかな心で布施する者は、盲人の導き手のごとく、 この世でも未来世でも、弱く怯える者を守る。 戒律を守る七種の福、壊れざる句、 戒は丈夫を守り、天上に生まれさせる。 最も優れた賢者は、常に煩悩を殺そうと望み、 その人はあらゆる束縛を脱して、不退転の境地に至る。 存在の海には大きな危難があるが、この三つの堅牢な筏によって、 もし汚れなき心を得れば、彼岸に至ることができる。」

「如是比丘觀布施、持戒、智慧果報，如實見之，欲至實諦，三種觀已，得十八地。於一切生死中，心得厭離，修行精進以求涅槃，不住魔境。地行夜叉知此事已，告虛空夜叉。虛空夜叉告四護世，護世天王告三十三天，三十三天告夜摩天，如是展轉至光音天，如上所說。

> 以下のように、比丘は布施、戒律、智慧（プラジュニャー）という三つの実践の果報を観察します。それをあるがままに見た後、真実の境地（実諦）に至ろうとして、これら三つの観察を行い、十八の境地（十八地）を得ます。 そして、一切の生死の迷いの中で、心に厭離の思いを起こし、精進に励んで涅槃を求め、魔王の領域に留まることがありません。 地行夜叉はこのことを知り、虚空夜叉に告げます。虚空夜叉は四天王に告げ、四天王は三十三天に告げ、三十三天は夜摩天に告げ、このようにして順々に光音天にまで伝わります。これは先に述べた通りです。

## 正法念處經卷第三十五

> 正法念処経 巻第三十五