(三)
(三)
復次,夫取福田當取其德,不應簡擇少壯老弊。
次に、福田を選ぶときは、その徳を取るべきであって、若いか壮年か老いているか、あるいは衰えているかによって選び分けるべきではありません。
我昔曾聞,有檀越遣知識道人詣僧伽藍請諸眾僧,但求老大不用年少。後知識道人請諸眾僧,次到沙彌,然其不用。沙彌語言:「何故不用我等沙彌?」答言:「檀越不用,非是我也。」勸化道人即說偈言:
私が昔聞いた話です。ある檀越が、知り合いの道の人を僧伽藍へ遣わして、もろもろの僧たちを招かせました。ただ年長の者だけを求め、年少の者は用いませんでした。その後、その道の人がもろもろの僧を招いていったとき、次に沙弥の番になりましたが、やはりその沙弥は用いられませんでした。沙弥が言いました。「どうして私たち沙弥を用いないのですか。」相手は答えました。「檀越が用いないのであって、私ではありません。」そこで勧化の道の人が偈を説きました。
「耆年有宿德,髮白而面皺,
秀眉齒缺落,背僂支節緩,
檀越樂如是,不喜見幼小。」
「年長で徳が高く、髪は白く顔には皺があり、 眉は秀でていても歯は欠け落ち、背は曲がり関節は緩んでいる。 檀越はそのような人を好み、若い者を見るのを喜ばない。」
時寺中有諸沙彌,盡是羅漢,譬如有人觸惱師子棖其腰脉令其瞋恚,諸沙彌等皆作是語:「彼之檀越愚無智慧,不樂有德唯貪耆老。」時諸沙彌即說偈言:
そのとき、寺には多くの沙弥がいましたが、みな羅漢でした。たとえば、ある人が師子を触れて悩ませ、その腰の脈を突いて怒らせるようなものでした。沙弥たちはみな、こう言いました。「あの檀越は愚かで智慧がなく、徳ある者を好まず、ただ年老いた者だけを貪り好んでいます。」そこで沙弥たちは、すぐに偈を説きました。
「所謂長老者,不必在白髮,
面皺牙齒落,愚癡無智慧。
所貴能修福,除滅去眾惡,
淨修梵行者,是名為長老。
我等於毀譽,不生增減心,
但令彼檀越,獲得於罪過,
又於僧福田,誹謗生增減。
我等應速往,起發彼檀越,
莫令墮惡趣。」彼諸沙彌等,
尋以神通力,化作老人像,
髮白而面皺,秀眉牙齒落,
僂脊而柱杖,詣彼檀越家。
檀越既見已,心生大歡慶,
燒香散名花,速請令就坐。
既至須臾頃,還服沙彌形,
檀越生驚愕,變化乃如是,
為飲天甘露,容色忽鮮變。
「いわゆる長老とは、必ずしも白髪である必要はなく、 顔に皺があり歯が抜けていても、愚かで智慧のない者を長老とはいいません。 大切なのは福を修め、もろもろの悪を除き滅ぼし、 清らかに梵行を修めることです。このような人を長老と名づけます。 私たちは毀誉に対して、増減の心を生じません。 ただあの檀越が罪過を得ること、 また僧の福田に対して誹謗し、増減を生じることのないようにと願います。 私たちは速やかに赴き、あの檀越を発心させ、 悪趣に堕ちることがないようにいたしましょう。」そこで沙弥たちは、 すぐに神通力をもって、老人の姿に変じました。 髪は白く顔には皺があり、眉は秀で歯は抜け、 背をかがめて杖をつき、あの檀越の家を訪れました。 檀越はこれを見ると、心に大きな歓喜を生じ、 香を焚き名花を散じて、速やかに請じて座に着かせました。 わずかの時が過ぎると、沙弥たちはもとの沙弥の姿に戻りました。 檀越は驚き怪しみました。変化とはこのようなものかと。 天の甘露を飲んだかのように、その顔色はたちまち鮮やかに変わったのでした。
爾時沙彌即作是言:「我非夜叉亦非羅剎,先見檀越選擇耆老,於僧福田生高下想,壞汝善根,故作是化令汝改悔。」即說偈言:
そのとき、沙弥はすぐにこう言いました。「私は夜叉でもなく、羅刹でもありません。先ほど、檀越が年長の僧を選び好むのを見て、僧という福田に対して高い低いという思いを起こし、そなたの善根を損なったのです。それゆえ、このような変化を見せて、そなたに悔い改めさせることにしたのです。」そして、すぐに偈を説きました。
「譬如蚊子𭉨,欲盡大海底,
世間無能測,眾僧功德者。
一切皆無能,籌量僧功德,
況汝獨一己,而欲測量彼?」
「たとえば蚊が、大海の底を尽くそうとするようなものです。 世間には、僧の功徳を測り知ることのできる者はありません。 すべての者は、僧の功徳を量り知ることができません。 ましてそなた一人が、それを測ろうとするのですか。」
沙彌復言:「汝今不應校量眾僧耆少形相,夫求法者不觀形相唯在智慧。身雖幼稚,斷諸結漏得於聖道,雖老放逸是名幼小,汝所為作甚為不是。若以爪指欲盡海底,無有是處,汝亦如是,欲以汝智測量福田而知高下,亦無是處。汝寧不聞如來所說四不輕經?王子、蛇、火、沙彌等都不可輕。世尊所說菴羅果喻,內生外熟、外生內熟,莫妄稱量前人長短,一念之中亦可得道。汝於今者極有大過,汝若有疑今悉可問,從今已後更莫如是於僧福田生分別想。」即說偈言:
沙弥はさらに言いました。「あなたは今、僧たちの年長・年少といった外見を比べてはなりません。法を求める者は外見を見ず、ただ智慧のみを見ます。身は幼くても、諸々の結と漏を断ち、聖なる道を得ていれば、たとえ老いても放逸であれば幼い者と呼ばれます。あなたのしたことは、まことに正しくありません。爪の先で海底を尽くそうとしても、それは不可能です。あなたも同じです。あなたの智慧で福田を測り、高い低いを知ろうとしても、それも不可能です。あなたは如来が説かれた四不軽経を聞かなかったのですか。王子も、蛇も、火も、沙弥も、みな軽んじてはなりません。世尊が説かれた菴羅果のたとえでは、内が熟して外が生のものもあり、外が熟して内が生のものもあります。みだりに人の長短を量ってはなりません。一念のうちに道を得ることもあるのです。あなたは今、大きな過ちを犯しました。もし疑いがあるなら、今すべて問いなさい。これから後は、二度と僧という福田に分別の思いを起こしてはなりません。」そして、すぐに偈を説きました。
「眾僧功德海,無能測量者,
佛尚生欣敬,自以百偈讚,
況餘一切人?而當不稱歎,
廣大良福田,種少獲大利。
釋迦和合眾,是名第三寶,
於諸大眾中,勿以貌取人。
不可以種族,威儀巧言說,
未測其內德,覩形生宗仰。
觀形雖幼弱,聰慧有高德,
不知內心行,乃更生輕蔑。
譬如大叢林,薝蔔雜伊蘭,
眾樹雖參差,語林則不異。
僧雖有長幼,不應生分別。
迦葉欲出家,捨身上妙服,
取庫最下衣,猶直十萬金。
眾僧之福田,其事亦如是,
供養最下者,獲報十万身。
譬如大海水,不宿於死屍,
僧海亦如是,不容毀禁者。
於諸凡夫僧,最下持少戒,
恭敬加供養,能獲大果報。
是故於眾僧,耆老及少年,
等心而供養,不應生分別。」
「僧衆の功徳の海は、測り知ることのできる者はありません。 仏でさえ欣び敬う心を起こし、自ら百の偈をもって讃えられました。 ましてやその他のすべての人が、称嘆せずにいられましょうか。 広大で良き福田であり、わずかに種を蒔けば大きな利益を得ます。 釈迦の和合の僧衆、これを第三の宝と名づけます。 多くの大衆のうちにあっては、容貌によって人を取ってはなりません。 種族や、威儀や巧みな言葉によってではなく、 まだその内なる徳を測らぬうちに、形を見て宗仰の心を生じてはなりません。 形は幼く弱く見えても、聡慧にして高い徳があることがあります。 内心の行いを知らぬまま、かえって軽蔑の心を生じてはなりません。 たとえば大きな叢林に、薝蔔と伊蘭が混じり合っていても、 多くの樹はたとえ不揃いでも、林と呼ぶことに変わりはありません。 僧には長幼があっても、分別の心を生じるべきではありません。 迦葉が出家しようとしたとき、身の上の上妙の衣を捨て、 庫から最も下の衣を取ったところ、それでもなお十万金の価がありました。 僧衆という福田も、その事もまた同じです。 最も下の者に供養すれば、十万身の報いを得ます。 たとえば大海の水が、死屍を宿さないように、 僧の海もまた同じで、戒を毀る者を容れることはありません。 すべての凡夫の僧のうち、最も下の少戒を持つ者であっても、 恭敬して供養を加えれば、大きな果報を得ることができます。 ですから僧衆に対しては、老いた者も若い者も、 等しい心で供養し、分別の心を生じるべきではありません。」
爾時檀越聞是語已身毛為竪,五體投地求哀懺悔:「凡夫愚人多有𠎝咎,願聽懺悔,所有疑惑幸為解釋。」即說偈言:
そのとき、檀越はこの言葉を聞いて身の毛がよだち、五体投地して哀れみを求め、懺悔しました。「凡夫は愚かで、多くの過ちがございます。どうか懺悔をお聞き届けください。抱えている疑いを、どうか解き明かしてください。」そして、次の偈を唱えました。
「汝有大智慧,以斷諸疑網,
我若不諮問,則非有智者。」
「あなたは大きな智慧をお持ちで、あらゆる疑いの網を断っておられます。 私がもしお尋ねしなければ、それは知恵ある者とはいえません。」
爾時沙彌即告之曰:「恣汝所問,當為汝說。」檀越問言:「大德!敬信佛僧何者為勝?」沙彌答曰:「汝寧不知有三寶乎?」檀越言:「我今雖復知有三寶,然三寶中豈可無有一最勝耶?」沙彌答曰:「我於佛僧不見增減。」即說偈言:
そのとき、沙弥はすぐに告げました。「思うままに問いなさい。そなたのために説きましょう。」檀越が尋ねました。「大徳よ、仏と僧とを敬い信じるにあたり、どちらが勝れているのでしょうか。」沙弥は答えました。「そなたは三宝があることを知らないのですか。」檀越が言いました。「私は今、三宝があることを知ってはいますが、三宝の中に一つとして最も勝れたものがないはずがありましょうか。」沙弥は答えました。「私は仏と僧との間に増減を見ません。」そしてすぐに偈を説きました。
「大姓婆羅門,厥名突羅闍,
毀譽佛不異,以食施如來。
如來既不受,三界無能消,
擲置於水中,烟炎同時起。
瞿曇彌奉衣,佛勅施眾僧,
以是因緣故,三寶等無異。」
「大姓の婆羅門、その名を突羅闍といいます。 毀誉あれど仏は異ならず、食をもって如来に施しました。 如来はすでに受けず、三界にこれを消しうる者はなく、 水中に投げ置くと、煙と炎が同時に起こりました。 瞿曇弥が衣を奉じると、仏は勅して衆僧に施させました。 この因縁により、三宝は等しく異なりません。」
爾時檀越聞是語已,即作是言:「如其佛僧等無異者,何故以食置于水中,不與眾僧?」沙彌答言:「如來於食都無悋惜,為欲顯示眾僧德力,故為是耳。所以者何?佛觀此食,三界之中無能消者,置於水中水即炎起。然瞿曇彌故以衣奉佛,佛迴與僧,眾僧受已無有變異。是故當知僧有大德,得大名稱佛僧無異。」時彼檀越即作是言:「自今以後於眾僧所,若老若少等心恭敬不生分別。」沙彌答言:「汝若如是,不久當得見諦之道。」即說偈言:
そのとき、檀越はこの言葉を聞くと、すぐにこう言いました。「もし仏と僧に違いがないのであれば、なぜ食べ物を水の中に置いて、僧たちに与えないのですか。」沙弥は答えました。「如来は食べ物に対してまったく惜しむ心がありません。ただ僧たちの徳の力を示そうとして、そうされたのです。なぜでしょうか。仏がこの食べ物をご覧になると、三界のうちにこれを消化できる者はありませんでした。そこで水の中に置かれると、水はたちまち炎となって燃え上がったのです。しかし瞿曇弥が衣を仏に捧げたとき、仏はそれを僧に回し与え、僧たちは受け取っても何の変わりもありませんでした。ですから、僧には大きな徳があり、大きな名声を得ていることが分かります。仏と僧に違いはありません。」そのとき、その檀越はすぐにこう言いました。「これから後は、僧たちに対して、老いた者も若い者も等しい心で恭敬し、分別を生じません。」沙弥は答えました。「そなたがそのようであるなら、やがて必ず見諦の道を得るでしょう。」そしてすぐに偈を説きました。
「多聞與持戒,禪定及智慧,
趣向三乘人,得果并與向。
譬如辛頭河,流注入大海,
是等諸賢聖,悉入僧大海。
譬如雪山中,具足諸妙藥,
亦如好良田,增長於種子,
賢善諸智人,悉從僧中出。」
「多くを聞くことと持戒、禅定および智慧、 三乗を目指す人々、その証果と向(いまし果に向かう段階)。 たとえば辛頭河が流れ注いで大海に入るように、 これらの聖賢たちは皆、僧という大海に入ります。 たとえば雪山の中にすぐれた薬が満ちているように、 またよく肥えた良田が種子を育てるように、 賢く善き智ある人々は皆、僧の中から出てきます。」
說是偈已而作是言:「檀越!汝寧不聞經中阿尼盧頭、難提、黔毘羅此三族姓子,鬼神大將名曰伽扶白佛言:『世尊!一切世界,若天若人若魔若梵,若能心念此三族姓子者,皆能令其得利安樂。』僧中三人尚能利益,況復大眾?」即說偈言:
この偈を説き終えて、こう言いました。「檀越よ、あなたは経の中に、阿尼盧頭・難提・黔毘羅という三人の族姓の子について、鬼神大将で伽扶という者が仏にこう申し上げたのを聞いたことがないのですか。『世尊よ、一切の世界の、天であれ人であれ魔であれ梵であれ、この三人の族姓の子を心に念じる者があれば、皆、その者に利益と安楽を得させることができます』と。僧の中の三人だけでもなお利益を与えることができるのですから、まして大衆においてはなおさらです。」そこで偈を説いて言いました。
「三人不成僧,念則得利益,
如彼鬼將言,未得名念僧,
尚獲是大利,況復念僧者?
是故汝當知,功德諸善事,
皆從僧中出。譬如大龍雨,
唯海能堪受;眾僧亦如是,
能受大法雨。是故汝應當,
專心念眾僧。如是眾僧者,
是諸善之群,解脫之大眾,
僧猶勇健軍,能摧魔怨敵。
如是眾僧者,勝智之叢林,
一切諸善行,運集在其中,
趣三乘解脫,大勝之伴黨。」
「三人では僧は成り立ちませんが、念じれば利益が得られます。 あの鬼将が言ったように、まだ念僧と名づけられない段階でも、 なおこのような大きな利益を得るのですから、まして念僧する者はなおさらです。 ですから、そなたは知るべきです。功徳という諸々の善い事は、 みな僧の中から出てくるのです。たとえば大龍が雨を降らせるとき、 ただ海だけがそれを受け止められるように、衆僧もまたそのとおりで、 大きな法の雨を受け止めることができます。ですから、そなたはまさに、 心を専らにして衆僧を念じるべきです。このような衆僧とは、 諸々の善の集まりであり、解脱の大いなる集団です。 僧はちょうど勇健な軍のように、魔の怨敵を打ち砕くことができます。 このような衆僧とは、すぐれた智慧の林であり、 すべての善き行いが、そこに運び集められています。 三乗の解脱へと向かう、大いなる勝れた仲間なのです。」
爾時沙彌說偈讚已,檀越眷屬心大歡喜,皆得須陀洹果。
そのとき、沙弥は偈を説いて讃えた後、檀越とその眷属たちは心に大きな喜びを抱き、皆が須陀洹果を得ました。
大莊嚴論經卷第一
大荘厳論経巻第一