大莊嚴論經卷第二
大荘厳論経 第二巻
馬鳴菩薩造
馬鳴菩薩作
後秦三藏鳩摩羅什譯
後秦の三蔵法師鳩摩羅什訳
(四)
四
復次,夫聽法者有大利益,增廣智慧,能令心意悉皆調順。
さらに、法を聞くことには大きな利益があります。智慧が広がり、心をすっかり穏やかに整えることができるようになるのです。
我昔曾聞,師子諸國,爾時有人,得摩尼寶大如人膝,其珠殊妙世所希有,以奉獻王。王得珠已,諦視此珠而說偈言:
昔、私は獅子国で聞いた話です。その時、ある人が、人の膝ほどの大きさのある摩尼宝を得ました。その珠は非常に優れ、世にも珍しいものでした。その人はこれを王に献上しました。王は珠を受け取ると、じっとこの珠を見つめて、次のような偈を唱えました。
「往古諸王等,積寶求名稱,
聚會諸賓客,出寶自矜高。
捨位命終時,捐寶而獨往,
唯有善惡業,隨身不捨離。
譬如蜂作蜜,他得自不獲,
財寶亦如是,資他無隨己。
往昔諸國王,為寶之所誑,
儲積已待他,無一隨己者。
吾今當自為,必使寶隨己,
唯佛福田中,造作諸功德,
隨己至後世,善報不朽滅。
臨當命終時,一切皆捨離,
舉宮室親愛,大臣諸猛將,
悲戀送亡者,至塚則還家。
象馬寶輦輿,珍玩及庫藏,
人民諸城郭,園苑快樂處,
飄然獨捨逝,都無隨從者。」
昔の王たちも、財宝を積み上げて名声を求め、 客人を集めては宝を出し、自らを高く誇った。 しかし、位を捨て命が終わる時、宝を捨てて独り去り、 ただ善悪の業だけが、身にまとわり離れない。 例えば蜂が蜜を作っても、他の者が得て自らは得られないように、 財宝もまた同じ、他人の助けにはなっても自分には付いて来ない。 昔の諸国の王たちは、宝に惑わされ、 蓄えてもそれは後の人のため、一つとして自分に付いて来るものはない。 私は今こそ自らのために、必ず宝を我が物としよう。 ただ仏の福田の中で、様々な功徳を積み、 それは自らと共に後世に至り、善い報いとして滅びることなく続く。 命の終わりに臨む時、すべては捨て去られ、 宮殿も一族も愛する者も、大臣も諸々の猛将も、 悲しみ慕いながら死者を見送り、墓所に至れば家に帰ってしまう。 象や馬、宝飾の輦輿、珍しい遊び道具や倉庫の財宝、 人民や城郭、園林や苑地の楽しむ場所も、 すべてを独りで去り、何一つ従う者はいない。
王說偈已即詣塔所,以此寶珠置塔棖上,其明顯照猶如大星,若日出時照王宮殿,暉曜相映倍於常明。珠之光明日日常爾,於一日中卒無光色,王怪其爾即遣人看。既至彼已不見寶珠,但見棖下血流污地,尋逐血跡至迦陀羅林,未到彼林已見偷珠人竄伏樹間。偷珠之人當取珠時,墮棖折䏶故有是血,即執此人將詣王邊。王初見時甚懷忿恚,見其傷毀復生悲愍,慈心視之而語之言:「咄哉男子!汝甚愚癡,偷佛寶珠,將來之世必墮惡趣。」即說偈言:
「怪哉甚愚癡,無智造大惡,
如人畏杖捶,返受於斬害。
畏於貧窮苦,興此狂愚意,
不安少貧乏,長受無窮厄。」
「なんと愚かで、知恵もなく大悪を造る。 まるで、むち打ちを恐れて、かえって斬首の罰を受けるようなものだ。 貧しさや苦しみを恐れて、愚かな心を起こし、 少しの貧しさにも耐えられず、長く計り知れない苦しみを受けるのである。」
爾時一臣聞是偈已,即白王言:「如王所說,真實不虛。」即說偈言:
「塔為人中寶,愚癡輙盜竊,
斯人無量劫,不得值三寶。
如昔有一人,信心歡喜故,
耳上須曼花,以用奉佛塔,
人天百億劫,極受大快樂。
十力世尊塔,盜寶而自營,
以是業緣故,沈沒於地獄。」
復有一臣懷忿而言:「如此愚人罪咎已彰,何須呵責?宜加刑戮。」王告臣言:「莫出此語!彼人已死何須更殺?如人倒地宜應扶起。」時王即說偈言:
「此人已毀行,宜速拔濟之,
我當賜財寶,令懺悔修福,
使其得免離,將來大苦難。
我當與錢財,使彼供養佛,
若彼不向佛,罪過終不滅。
如人因地跌,還扶而得起,
因佛獲過罪,亦因佛而滅。」
時王即便大賜錢財,教令佛邊作諸功德。爾時偷者即作是念:「今者大王!若非佛法中調順之人,計我𠎝罪應被斬害。此王能容,實是大人赦我重罪。釋迦如來甚為奇特,乃能調化邪見國王作如斯事。」說是語已,還到塔所匍匐向寺,合掌歸命,而作是言:「大悲世尊世間真濟,雖入涅槃猶能以命賑賜於我,世間咸皆號為真濟,名稱普聞遍諸世界,及於今者濟我生命,是故真濟名不虛設。」即說偈言:
「世間稱真濟,此名實不虛,
我今蒙救拔,知實真濟義。
世間皆熾然,多諸欝蒸惱,
慈悲清涼月,照除熱惱苦。
如來在世時,於曠野鬼所,
拔濟首長者,是事未為難。
於今涅槃後,遺法濟危厄,
令我脫苦惱,是乃為甚難。
云何世工匠,奇巧合聖心,
圖像舉右手,示作安慰相,
怖者覩之已,尚能除恐懼,
況佛在世時,所濟甚弘多,
今遭大苦厄,形像免濟我。」
「世の中の人は私を『真済』と呼ぶが、その名はまことに偽りない。 今、私は救いを得たことで、『真済』の本当の意味を理解した。 世の中はすべて燃えさかり、苦悩の蒸し暑さに満ちている。 しかし、慈悲という清らかな月が、その熱き悩みの苦しみを照らし消してくれる。 如来が世に在した時、荒野で鬼に襲われた長者を救ったことは、それほど難しいことではなかった。 しかし今、涅槃に入られた後、残された教えによって危急の難を救い、私を苦悩から脱れさせてくださることは、実に難しいことなのである。 世の工匠たちが、いかにも巧みに仏の心に適い、右手を挙げて『恐れるな』と示す像を造った。 恐れる者がそれを見れば、その恐怖さえ取り除かれるのだ。 ましてや仏が世に在した時には、救いの手はさらに広く及んだ。 今、大きな苦難に遭った私は、その像によって救われたのである。」