(一〇)
(一〇)
復次,夫知足者雖貧名富,不知足者雖富是貧,若聖智滿乃名大富。
さらに、足ることを知る人は貧しくても富み、足ることを知らない人は富んでいても貧しいのです。もし聖なる智慧が満ちれば、それをこそ真の大いなる富と呼びます。
我昔曾聞,有優婆塞,有人譏呵云最貧窮,而優婆塞樂佛所讚知足之法即順法相,而說偈言:
昔々、ある在家の仏教徒(ウパーサカ)が「お前はとても貧しい」と笑われました。しかしその在家の仏教徒は、仏が称賛した足ることを知る教えを喜び、真理の姿に従って次の詩句を唱えました。
「無病第一利,知足第一富,
善友第一親,涅槃第一樂。」
病気がないことが第一の利益であり、 足ることを知ることが第一の富であり、 善き友こそが第一の親しき者であり、 涅槃こそが第一の安らぎである。
時優婆塞說偈已語彼人言:「如佛所說知足則富,汝今何故稱我貧窮?」復說偈言:
そこで在家の信者が、偈を唱え終えてからその人に言った。「仏陀がおっしゃるには、足るを知れば即ち富なり、と。あなたはなぜ私を貧しいと称するのですか?」 そして再び偈を唱えた。
「雖有諸珍寶,豐饒資生具,
不信三寶者,說彼最貧窮。
雖無諸珍寶,及以資生具,
能信三寶者,是名第一富。
我今敬三寶,以信為珍玩,
汝以何因緣,說我為貧窮?
帝釋毘沙門,雖富眾珍寶,
如其布施時,不能一切捨。
我心愛知足,於諸財寶物,
無有貪著意,一切悉能捨。
富貴者庫藏,多有眾珍寶,
水火及盜賊,悉皆能侵奪。
彼若喪失時,則生大苦惱,
良醫及妙藥,不能治彼苦。
我以信為寶,無能侵奪者,
心意坦然樂,無諸憂患苦。」
「たとえ、さまざまな宝や豊かな生活の道具を持っていても、 三宝(仏・法・僧)を信じない人は、最も貧しい者であると言える。 たとえ、宝も生活の道具も持っていなくても、 三宝を信じる人は、真の富者である。
私は今、三宝を敬い、信仰を宝として楽しんでいる。 あなたは、なぜ私を貧しいと言うのか? 帝釈天や毘沙門天は、多くの宝を持っているが、 布施をするとき、それをすべて捨てることはできない。
私は足ることを知る心を愛し、すべての財や宝に対して、 執着する心がなく、すべてを捨てることができる。 裕福な者の倉庫には多くの宝があるが、 水、火、盗賊によって、すべて奪われることがある。
それらを失ったとき、大きな苦しみが生じる。 良医や妙薬も、その苦しみを治すことはできない。 しかし、私は信仰を宝としているので、 それを奪う者はいない。心は安らかで楽しく、憂いや苦しみはない。」
說是偈已復作是言:「是故當知,雖有庫藏象馬七寶資生之具,不知足者猶名為貧,是以佛說知足最富。」眾人聞是語已皆歎善哉,真是正說,有大智慧,名大丈夫。各相語言:「自今已後雖無財寶但有信心,我等見之稱為富者。苦集錢財皆為樂故,為欲供給室家眷屬令無乏故,如斯之樂正為現身。信心之寶為於累世,於人天中財寶自恣,是故知信為第一財寶。如此信財於生死中,極受快樂無諸苦惱。金銀珍寶能生災患,晝夜憂懼畏他劫掠,然有八危,以貪著故累世受苦。以有信故,能得戒財施財定財慧財,若無信者云何得有如是等財?是以信財為最第一。我有是財,故於人前自言大富,我於往昔深積善業,是以今者因信心知足。」而說偈言:
この偈を説き終えて、またこう言われた。「ゆえに知るべし。たとえ倉庫や象・馬・七宝などの生活を支える品々を持っていても、足ることを知らぬ者はなお貧しいと呼ばれる。ゆえに仏は『足ることを知る者が最も富める者である』と説かれた。」人々はこの言葉を聞いて皆、「まことに善い。これは正しい教えであり、大いなる智慧を持ち、大丈夫と称するにふさわしい」と讚嘆した。互いに語り合った。「今より後は、財宝がなくとも信心があれば、我々はその人を見て富める者と呼ぼう。苦労して金銭や財産を集めるのは、みな楽しみのためであり、家族を養い不足させないためである。このような楽しみはまさに現在の身のためである。信心という宝は、幾世にもわたるものであり、天や人の世界で財宝を自在に得られる。ゆえに知るべし。信心こそが第一の財宝である。このような信心の財は、生死の中で極めて多くの楽しみを受け、苦しみや悩みはない。金銀や珍宝は災いを生み、昼夜にわたり恐れおののき、他人に奪われることを憂える。また八つの危険があり、執着するゆえに幾世にもわたって苦しみを受ける。信心があればこそ、戒の財、施しの財、定の財、智慧の財を得られる。もし信心がなければ、どうしてこのような財がありえようか。したがって、信心の財が最も第一である。私はこの財を持つがゆえに、人前で『大いなる富者である』と自ら言う。私は過去世において深く善き業を積んだ。それゆえに今、信心によって足ることを知るのである。」そして偈を説いて言った。
「因有信心故,則不造諸惡,
一切諸功德,以信為使命。
信亦如河箭,駛流甚迅速,
能令於心意,速疾至善法。
誰有多財寶,能勝信巨富?
雖有財富者,失財則貧窮,
若其命終時,捨之而獨逝。
無隨至後世,信財不喪失,
恒常自隨逐,累劫受快樂。
世人積財寶,能生彼貪欲,
信財則不爾,見則生歡喜。
於諸財寶中,信財最為上,
顯示此義者,牟尼之所說。
是故我非貧,信財最為勝,
餘者不名財,唯信是實財。
以信布施者,財物得增長,
不信施彼者,果報轉尠少。」
「信心があれば、悪しき行いを造らず、
あらゆる功徳は、信仰をその拠り所とする。
信仰はまた、川を飛び行く矢のように、その流れはとても速く、
心をして、善い法へと速やかに至らせることができる。
誰に多くの財宝があろうとも、信仰という大きな富に勝ることができようか?
たとえ財産を持っていても、それを失えば貧しくなる。
しかし、命が終わるとき、それを捨てて独り去っていく。
後の世に従って行くものは何もないが、信仰の財産は失われることがない。
常に自らに従い、幾多の劫においても安楽を受ける。
世の人々は財宝を積んで、そこに貪りの欲望を生じさせる。
しかし信仰の財産はそうではない。それを見れば喜びを生じる。
様々な財宝の中で、信仰の財産こそが最も優れている。
この意味を示したのは、牟尼(釈尊)が説かれたことである。
ゆえに私は貧しいのではない。信仰の財産こそが最も勝れている。
他のものは財産とは呼べない。ただ信仰こそが真実の財産である。
信仰をもって施しを行う者は、財物が増えていく。
信仰なくして施しを行う者は、その果報はごくわずかである。」
大莊嚴論經卷第二
大荘厳論経 第二巻