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title: "大莊嚴論經 · 18"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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### （一八）

> （一八）

復次，示放逸果，欲令眾生不放逸故。

> さらに、放逸の結果を示すのは、衆生に放逸であってはならないと学ばせるためです。

我昔曾聞，有大商主子名曰億耳，入海採寶，既得迴還與伴別宿，失伴慞惶，飢渴所逼。遙見一城謂為有水，往至城邊欲索水飲。然此城者是餓鬼城，到彼城中四衢道頭，眾人集處空無所見，飢渴所逼，唱言水水。諸餓鬼輩聞是水聲，皆來雲集。「誰慈悲者欲與我水？」此諸餓鬼身如燋柱以髮自纏，皆來合掌作如是言：「願乞我水。」億耳語言：「我渴所逼故來求水。」爾時餓鬼聞億耳為渴所逼自行求水，希望都息，皆各長歎作如是言：「汝可不知此餓鬼城，云何此中而索水耶？」即說偈言：

> 昔々、私はこう聞きました。ある大商人の息子で、億耳（おくに）という名の者がいました。彼は海に宝を求めて入り、無事に帰ってきたものの、仲間とはぐれてしまい、途方に暮れ、飢えと渇きに苛まれていました。遠くに一つの町が見えたので、水があると思い、その町の辺りに行って水を飲もうとしました。ところが、この町は餓鬼の町だったのです。彼が町の中の四つ辻、人が集まる場所に着くと、そこは空っぽで何も見えません。飢えと渇きに迫られ、「水、水」と叫びました。すると、その声を聞いた餓鬼たちが、大群となって雲のように集まってきました。「誰か慈悲深い方が、我々に水を施してくださるのか？」と。これらの餓鬼たちは、その体が焦げた柱のようで、髪の毛で身を縛り、皆、手を合わせてこう言いました。「どうか我々に水をお恵みください。」億耳は言いました。「私は渇きに迫られて、水を求めて来たのです。」すると、餓鬼たちは、億耳が渇きに苦しんで自ら水を探しに来たと聞き、希望が一切消えうせ、皆、長いため息をついてこう言いました。「あなたは知らないのですか、ここは餓鬼の町だと。どうしてここで水を求めるのですか？」そして、次の偈（げ）を唱えました。

「我等處此城，百千萬歲中，尚不聞水名，況復得飲者？譬如多羅林，熾然被火焚，我等亦如是，支節皆火然。頭髮悉蓬亂，形體皆毀破，晝夜念飲食，慞惶走十方。飢渴所逼切，張口馳求索，有人執杖隨，尋逐加楚撻。耳常聞惡音，未曾有善語，況與一渧水，漬我喉舌者。若於山谷間，天龍降甘露，皆變成沸火，而注我身上。若見諸渠河，皆變成流火，池沼及河泉，悉見其乾竭，或變成濃血，臭穢極可惡。設欲往馳趣，夜叉捉鐵捶，撾打不得近。我等受此苦，云何能得水，以用惠施汝？我等先身時，慳貪極嫉妬，不曾施一人，將水及飲食。自物不與他，抑彼令不施，以是重業故，今受是苦惱。施得大果報，春種秋獲子，我等不種子，今日受是苦。放逸慳貪惜，受是苦無窮，一切苦種子，無過於貪嫉，應當勤方便，除去如是患。施為善種子，能生諸利樂，是故應修施，莫如我受苦。等同在人中，身形無差別，造業既不同，受報亦復異。富貴饒財寶，貧者來請求，諸天同器食，飯色各有異。若墮畜生中，業報亦不同，有得受福樂，有受苦惱者。以此貪毒故，人天及畜生，為慳嫉所挊，所在皆損減。餓鬼熾然苦，支節煙焰起，如似樹赤華，醉象以鼻端，遠擲虛空中，華下被身赤。賢聖作是說，貪嫉最苦器，見於乞求者，其心則惱濁，惱濁剎那中，則能作鄙漏。愚癡慳不施，以種貧窮本，貪心而積聚，即墮於惡道，如此慳貪者，眾苦惱根本。是故有智者，應斷除慳貪，誰有欲自樂，名稱恭敬等，而捨於正道，隨逐曲惡徑？今身得苦惱，來世亦復然，世界結使業，能遮淨施報，所謂是慳貪，眾怨中最大。是身大臃腫，衣食及湯藥，一切眾樂具，貪嫉所遮斷。貪嫉極微細，細入難遮制，當以施牢門，心屋使緻密。莫聽彼貪嫉，而得進入中，貪嫉設入心，渠河及大海。能遮使不飲。」億耳見放逸，乃有是過惡，即厭惡生死，還歸求出家。既得出家已，精勤修定慧，逮證羅漢果。

> 〈餓鬼の語る苦しみ〉 「我々はこの城にいて、何百何千年もの間、 水の名さえ聞いたことがない。ましてや飲むことなどできようか。 例えるなら、多羅の林が燃え盛る炎に包まれるように、 我々もまた同じだ。全身の節々が炎に焼かれている。 髪の毛は乱れに乱れ、体は傷つき崩れている。 昼も夜も食べ物と飲み物のことばかり思い、恐れおののきながら十方へと逃げ惑う。 飢えと渇きに責め苛まれ、口を開けて求め彷徨う。 すると、誰かが杖を持って後ろから追いかけ、打ち叩く。 耳には常に悪い言葉ばかりが聞こえ、良い言葉など一度もない。 ましてや、一滴の水でさえ、この喉と舌を潤す者はいない。 たとえ山間の谷で、天や竜が甘露を降らせても、 それはすべて煮え立つ火となり、我々の身に注がれる。 水路や川を見れば、すべてが流れる火に変わっている。 池や沼、泉はすべて干上がって見えるか、 あるいは膿や血に変わり、ひどく臭くて嫌悪すべきものとなる。 もしそこに行こうとしても、夜叉が鉄の棍棒を持ち、 打ち叩いて近づけさせない。我々はこのような苦しみを受けており、 どうして水を得て、それをあなたに施すことができようか？ 我々は前世において、非常にケチで嫉妬深く、 たった一人に対しても、水や食べ物を施したことがなかった。 自分の物は他人に与えず、他人が施すことも妨げた。 この重い業のゆえに、今この苦しみを受けているのだ。 施しには大きな果報がある。春に種を蒔けば秋に実りを刈り取るが、 我々は種を蒔かなかった。だから今日、この苦しみを受けているのだ。 放逸でケチで惜しんだために、この苦しみは尽きることがない。 すべての苦しみの種は、貪欲と嫉妬に勝るものはない。 だからこそ、努力して修行し、このような悩みを取り除くべきなのだ。 施しは善い種であり、あらゆる利益と楽しみを生み出す。 ゆえに、施しを修めるべきである。我々のように苦しんではならない。 同じ人間の中にいても、姿形に違いはないが、 行う業が異なれば、受ける報いもまた異なる。 富裕で財宝に恵まれた者がいれば、貧しい者が物乞いに来る。 天人は同じ器で食事をするが、飯の色はそれぞれに異なる。 もし畜生道に堕ちても、業の報いは異なり、 幸福を受け楽しむ者もいれば、苦しみを受ける者もいる。 この貪りの毒によって、人天や畜生は、 嫉妬とケチに支配され、どこにいても衰退する。 餓鬼は燃えるような苦しみを受け、節々から煙と炎が立ち上る。 まるで木に咲く赤い花のようだ。酔った象が鼻の先で、 遠く虚空に花を投げ上げると、花は落ちて全身を赤く染める。 聖賢はこう説く。貪りと嫉妬は最も苦しい道具であり、 乞う者を見れば、その心は瞬時に乱れ濁る。 その乱れ濁る刹那に、卑しく悪しき行いをなすのだ。 愚かでケチで施さない者は、貧しさの種を蒔くことになる。 貪りの心で蓄えれば、たちまち悪道に堕ちる。 このようなケチで貪る者は、あらゆる苦しみの根本である。 ゆえに、知恵ある者は、ケチと貪りを断つべきである。 誰が、自分の楽しみや名声や尊敬などを望みながら、 正しい道を捨てて、曲がった悪い道に従うだろうか？ 今の身が苦しみを受け、来世もまた同じである。 世の中の煩悩の業は、清らかな施しの報いを遮る。 そのもっとも大きなものが、いわゆるケチと貪りであり、あらゆる怨みの中でも最大である。 この身体は大きく腫れ上がり、衣服や食べ物、薬や、 あらゆる楽しみの道具が、貪りと嫉妬によって遮断される。 貪りと嫉妬は極めて微細で、細かく入り込み、防ぎ止めることが難しい。 だから、施しという堅固な門で、心の家をしっかりと作るのだ。 あの貪りと嫉妬を、心の中に入れさせてはならない。 もし貪りと嫉妬が心に入れば、たとえ川や海があっても、 飲むのを妨げられるのである。」 億耳（おくに）は、放逸にはこのような過ちと悪があるのを見て、 すなわち生死（しょうじ）を厭い嫌い、 帰って出家を求めた。出家してのちは、 熱心に禅定と智慧を修行し、ついに阿羅漢（あらかん）の果を得た。