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title: "大莊嚴論經 · 24"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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### （二四）

> （二四）

復次，若人為惡應墮地獄，遇善知識能滅其罪，得生人天。

> さらに、もし人が悪を行って地獄に堕ちるべきところでも、善き知識（善知識）に出会えば、その罪を滅ぼし、人間や天界に生まれることができるのです。

我昔曾聞，有婆迦利人至中天竺，時天竺國王即用彼人為聚落主。時聚落中多諸婆羅門，有親近者為聚落主說羅摩延書，又婆羅他書說，陣戰死者命終生天，投火死者亦生天上，又說天上種種快樂，辭章巧妙而作是說，使聚落主心意駭動，謂必有是。即作火坑，聚香薪𧂐作婆羅門會，諸人雲集來至會所，時聚落主將欲投火。此聚落主與一釋種比丘先共相識，爾時比丘來至其家，見聚落主於其家中種種莊嚴，比丘問言：「欲作何等？」聚落主言：「我欲生天。」比丘問言：「汝云何去？」尋即答言：「我投火坑便得生天。」比丘問言：「汝頗知天道不？」答言：「不知。」比丘問言：「汝若不知，云何得去？汝今行時，從一聚落至一聚落，尚須引導而知途路，況彼天上道路長遠？忉利天上去此三百三十六萬里，無人引導，何由能得至彼天上？若天上樂者，彼上座婆羅門，年既老大貧於財物，其婦又老面首醜惡，何所愛樂？何不將去共向天上？」時彼聚落主既聞語已，作是思惟：「若投火坑得生天者，彼婆羅門應共我去。所以者何？彼婆羅門貧窮困苦無可愛戀，應當捨苦就彼天樂；若其不去，徒作欺誑欲殺於我。」作是念已，即便前捉上座婆羅門手，欲共投火俱向天上。時婆羅門挌不肯去。何以故？婆羅門等但為錢財來至會所。時聚落主見婆羅門不欲入火，即說偈言：

> 昔、私は次のような話を聞いたことがある。 バガリという者が中天竺にやって来たとき、天竺の王は彼を村の長に任じた。 その村には多くのバラモンが住んでおり、村長に親しくしていた者が彼に『ラーマーヤナ』や『バーラタ』の書物を語って聞かせた。その書にはこう書かれていた―― 「戦場で死ねば天に生まれ変わる。火に飛び込んで死んでも天に生まれる。」 さらに天のさまざまな楽しみを、巧みな言葉で飾り立てて説いたので、村長の心は揺れ動き、「それは本当のことだ」と思い込んでしまった。 そこで村長は火の穴を掘り、香りのよい薪を積み上げてバラモンの集会を開いた。人々が大勢集まって会場に来た時、村長は火の中に飛び込もうとした。 この村長は、一人の釈迦族の修行僧と以前からの知り合いであった。その修行僧が村長の家に来て、家の中がさまざまに飾り立てられているのを見て、 修行僧が尋ねた。「何をしようとなさっているのですか？」 村長は答えた。「私は天に生まれ変わろうとしているのです。」 修行僧は言った。「どのようにして行くのですか？」 村長は即座に答えた。「この火の穴に飛び込めば、天に生まれることができるのです。」 修行僧は尋ねた。「あなたは天への道をご存じなのですか？」 村長は答えた。「いいえ、知りません。」 修行僧は言った。「もし道を知らないのなら、どうして行くことができるのですか？ あなたが旅をする時でさえ、村から村へ行くのに道案内が必要です。ましてや天の道はどれほど遠いことか。忉利天はここから三百三十六万里も離れています。案内もなしに、どうしてあの天にたどり着けるというのですか？」 「もし天に楽しみがあるというのなら、あの上座のバラモンは、年老いて財産もなく、妻も老いて醜い。何の愛着も楽しみもないはずです。それならば、あのバラモンを連れて一緒に天に行けばよいではありませんか？」 村長はこの言葉を聞いて、こう考えた。 「もし火の穴に飛び込めば天に生まれるというのなら、あのバラモンも私と一緒に行くべきだ。なぜなら、あのバラモンは貧しく苦しんでおり、何の執着もない。苦しみを捨てて天の楽しみを得るべきではないか。もし行かないなら、それはただの嘘で、私を殺そうとしているに違いない。」 そう考えた村長は、さっそく上座のバラモンの手を掴み、一緒に火の穴に飛び込んで天に向かおうとした。 するとバラモンは抵抗して行こうとしなかった。なぜなら、バラモンたちはただ金銭のために集まってきたにすぎなかったからである。 村長はバラモンが火の中に入ろうとしないのを見て、次の詩を詠んだ。

「如所聞上天，眾樂不可計，觸物生貪著，視東而忘西。計其家所有，一切眾樂具，比方於天上，猶若以芥子，以方於太山，若其必少欲，而無貪著者，我今觀察汝，貪欲劇熾火。若不用婦女，看守醜老妻，而來至此會，貪求於錢財，用供給其家。若愛戀其子，不欲生天者，計彼生天力，過足護汝子。若不知天道，何故使我往？設知天道者，何故格不去？云何憙教人，欲使我投火？或貪我財物，欲得分取用？云何無悲愍，苦酷乃如是？或是先世怨，必是大欺誑，與死作伴黨，勸令我生天。勸㢡我令死，強逼我入火，教人遠家居，修於苦行法。投淵及赴火，自餓示斷食，觀其教旨意，欲令門斷絕。斯諸婆羅門，樂為殺害事，是故我捨離，當入於佛法。佛法大慈悲，終不傷害物，大火焚山野，麋鹿皆避走。由其愛性命，求覓清涼處，我今亦應爾，歸誠求救護。」

> 「聞いた通り、天に上れば数えきれないほどの楽しみがあるという。 しかし、あらゆるものに触れては貪り執着し、東を見れば西を忘れてしまう。 その家にある一切の楽しみの道具を、天上のものと比べれば、 まるで芥子粒と泰山のように違う。 もしあなたが少しでも欲望を減らし、貪り執着がなければ、 私はあなたを見て、その貪欲は燃え盛る火よりも激しいと知るだろう。 もし女性を用いず、年老いた醜い妻を守るために、 この集いに来たのであれば、それは金銭を貪り求めて家族を養おうとするためだ。 もし自分の子を愛し、天に生まれようと望まないならば、 考えてみよ。天に生まれる力があれば、十分にあなたの子を守れるはずだ。 もし天の道を知らないのなら、なぜ私を行かせようとするのか？ 仮に天の道を知っているのなら、なぜ妨げて行かせないのか？ どうして喜んで人に教え、私を火の中に投げ込もうとするのか？ あるいは私の財物を欲しがって、分けてもらおうとしているのか？ どうして慈悲もなく、そのように残酷で苦しいことをするのか？ これは前世の怨みか、必ずや大きな嘘つきで、 死を伴侶とし、私に天に生まれよと勧めているのだ。 私を励まして死なせようとし、無理やり火の中に入れようとする。 人に家を遠く離れ、苦行の道を修めさせ、 淵に身を投げ、火の中に入り、飢えて断食するよう示す。 その教えの意図を見れば、家系を絶やそうとしているのだ。 これらのバラモンたちは、殺生を好んで行う。 それゆえ私は彼らを離れ、仏法に入ろう。 仏法は大いなる慈悲であり、決して生き物を傷つけない。 大火が山野を焼き払うとき、鹿たちは皆逃げ去る。 それは命を愛し、涼しい場所を求めるからだ。 私もまた同じく、誠心を持って救いを求めよう。」

爾時比丘見婆迦利心已厭患諸婆羅門，於三寶所深生信敬，讚言：「善哉善哉！慧命！汝於今者始在天道。」即說偈言：

> その時、比丘は婆迦利が諸々の婆羅門に対して心に厭離の念を起こし、三宝のところで深い信敬の心を生じたのを見て、称賛して言った。「善きかな、善きかな。慧命よ。あなたは今、まさに天道に至った。」そして、偈を説いた。

「佛語至天道，及以解脫道，此語決定至，中間終無錯。一切智說道，廣略之別相，無害實語等，施及伏諸根。是道與天道，斯非諸苦行，投淵赴火等，之所能獲得。此可作死緣，非天解脫因，往古人壽長，諸仙壽亦長。厭患此身故，不欲久住世，先習諸禪定，斷於欲界結，自知捨是身，必生於梵天。無由得喪命，投淵而赴火，由此喪命故，得生梵天中。禪定斷結故，而得生梵天，不由投巖火，得生於天上。彼有同伴仙，以天眼觀察，此死生何處？見生梵天中，先見投淵死，謂以此生天。餘者愚不見，謂為投淵火，得生梵天上，是故生倒見。諸餘婆羅門，愚癡無智慧，不觀修禪定，斷除諸結使，但覩投淵火，謂得生天上。由是倒惑故，遂生諸經論，愚者皆信受，投淵而赴火。智人善觀察，捨棄而不為，修行諸善法，以為天道因。投淵赴火等，非是修善行，可得脫死緣，亦非生天因；身心依佛法，是名寂滅道。用是外道為？無果徒受苦，鑽水求醍醐，雖勞永難得。」

> 仏の言葉は天道に至り、また解脱の道にも至る。 この言葉は確かに至り、途中で誤ることは決してない。 一切智が説いた道には、広略の区別がある。 害のない真実の言葉など、施しや諸根を調えること。 この道と天道は、決して苦行によって得られるものではない。 淵に飛び込んだり火に身を投じるなどの行為では、決して得られない。 これは死の縁とはなっても、天道や解脱の因とはならない。 昔、人の寿命は長く、仙人たちもまた長寿であった。 この身に厭い患えて、永く世に留まることを欲せず、 先に諸々の禅定を修習し、欲界の結びつきを断ち切った。 自らこの身を捨てれば、必ず梵天に生まれることを知ったのだ。 しかし命を失う方法がなかったので、淵に飛び込み火に身を投じ、 その命を失うことによって、梵天に生まれることができた。 禅定によって結びつきを断じたから、梵天に生まれたのであり、 岩から飛び降りたり火に身を投じたから天上に生まれたのではない。 彼らには仲間の仙人がいて、天眼で観察し、 「この者は死んでどこに生まれたのか」と見ると、梵天に生まれているのを認めた。 先に淵に飛び込んで死ぬのを見ていたので、これを以て「この方法で天に生まれた」と思ったのだ。 他の愚かな者たちは見抜けず、「淵に飛び込んだり火に身を投じれば、 梵天に生まれるのだ」と思い、そのために倒錯した見解が生まれた。 他の婆羅門たちは、愚かで智慧がなく、 禅定を修めて諸々の煩悩の結びつきを断つことを観察せず、 ただ淵に飛び込んだり火に身を投じれば天上に生まれると見ただけだった。 この倒錯した惑いによって、様々な経論が生まれ、 愚者たちは皆、それを信じて受け入れ、淵に飛び込み火に身を投じた。 賢い人はよく観察し、それを捨てて行わず、 様々な善い行いを修めることで、天道に至る因とする。 淵に飛び込んだり火に身を投じるなどの行為は、善い行いを修めることではなく、 死の縁から脱することもできなければ、天に生まれる因ともならない。 身心を仏法に依らせること、これを寂滅の道という。 外道の行いをして何になろうか。結果もなく、ただ苦しむだけだ。 水を搾って醍醐を得ようとするようなもので、どんなに労しても永く得られないのだ。」