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title: "大莊嚴論經 · 23"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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## 大莊嚴論經卷第五

> 大荘厳論経 巻第五

馬鳴菩薩造

> 馬鳴菩薩作

後秦三藏鳩摩羅什譯

> 後秦の三蔵法師鳩摩羅什訳

### （二三）

> （二三）

復次，若人親近有智善友，能令身心內外俱淨，斯則名為真善丈夫。

> また、もし人が知恵ある善き友に親しむならば、その人は心と体の内も外も清らかにすることができる。これこそ、真の善き人というのである。

我昔曾聞，有一比丘次第乞食至大婆羅門家。時彼家中遇比丘已，屋棟摧折打破水瓮，牸牛絕靷四向馳走。時婆羅門即作是言：「斯何不祥？不吉之人來入吾家，有此變怪。」比丘聞已即答之言：「汝頗見汝家內諸小兒等，𮌠瘦腹脹面目腫不？」婆羅門言：「我先見之。」比丘復言：「汝舍之中有夜叉鬼，依汝舍住吸人精氣，故令汝家諸小兒等有斯疹疾，今此夜叉以畏於我恐怖逃避，以是令汝樑折瓮破牸牛絕靷。」婆羅門言：「汝有何力？」比丘答言：「我以親近如來法教有此威力，故令夜叉畏我如是。」婆羅門復作是言：「云何名為如來法教？」于時比丘次第為說佛法教誡，令婆羅門夫婦聞已心意解悟，俱得須陀洹果。時婆羅門，即說偈言：

> 昔、私は次のような話を聞いたことがある。 ある托鉢僧が、一軒一軒と食べ物を乞い歩きながら、ある裕福なバラモンの家にたどり着いた。するとその家に托鉢僧が入ったとたん、家の梁（はり）が折れて壊れ、水がめが割れ、乳牛が綱を断ち切って四方八方に逃げ出した。 そこでバラモンが言った。「これは何たる不吉なことか！不運をもたらす者がわが家に来たばかりに、こんな異変が起きてしまった。」 托鉢僧はこれを聞いて答えた。「あなたは、あなたの家の中にいる子どもたちの、やせ細って腹がふくれ、顔や目が腫れている様子をご覧になったことがありませんか？」 バラモンは言った。「確かに、以前に見たことがある。」 托鉢僧は続けた。「あなたの家には夜叉（やしゃ）という鬼が住みついており、人の精気を吸い取っています。それであなたの家の子どもたちがそのような病気になっているのです。ところが、今この夜叉は私を恐れて、怖がり逃げ出したのです。それで、あなたの家の梁が折れ、水がめが割れ、乳牛が綱を断ち切ったのです。」 バラモンが言った。「あなたにはいったい何の力があるというのか？」 托鉢僧は答えた。「私は目覚めたお方（如来）の教えに親しんでいるので、このような力があるのです。それゆえ、夜叉もこれほど私を恐れるのです。」 そこでバラモンが尋ねた。「その『目覚めたお方の教え』とは、いったいどういうものですか？」 そこで托鉢僧は、その教えと戒め（ダルマ）を順序立てて説き明かした。それを聞いたバラモン夫妻は心から理解し悟りを得て、共に預流（シュダオン）の悟りの位に達した。 そのときバラモンは、喜びの詩を詠んだ。 「賢き方はたとえ幼くとも、 その行いは実に深い。 口にすれば実践に移し、 人々の心を開かせる。 愚か者はたとえ年長でも、 賢者の教えは仰げない。 ああ素晴らしきかな、この聖者の教え！ まさに三宝（仏・法・僧）への真心あらんことを。」

「善哉上德者，善說真實法，佛教從耳聞，入我心屋宅，使我家安隱，為我作擁護。唯願於今者，少聽我所說，破我心意舍，折我愚癡樑。善為我驅遣，吸功德夜叉，除諸見羅剎，惑盜以為瓮，身見水盈滿，今者已破壞。癡乳牛奔走，挽絕無明靷，如向所見事，悉集我身中。諸色猶如鏡，影像在中現，無始生死中，未曾見斯事，我今因於汝，始見四聖諦。今值善知識，緣會故相遇，除我心貪患，去我家中鬼。世間久已傳，四圍陀所說，應作於大祀，莊嚴種種物，備具祀場上，恒河等大濟，洗浴除罪過，速疾得生天。我昔來修行，未曾得果報，然我未能知，為定得不得？祀祠及洗浴，不如近善友。我今近善友，已獲其果證。不生又不死，解脫趣涅槃，永離怖畏處，非是財寶求。假王威勢力，投巖赴焰火，嚴切寒冬月，凍冰儭其體，盛夏欝蒸時，五熱以炙身，編椽及棘刺，寢臥於其上，越山渡大海，祀火而呪說。如是苦行等，不能得涅槃，唯有修禪智，戒聞及專精。如此法事等，為何從而獲？必因善知識，然後能具得。」

> 「素晴らしきかな、高徳の方よ。あなたは真実の教えをよく説いてくださる。 仏の教えを耳で聞き、我が心という家屋に迎え入れ、 我が家を安らかにし、私を守り支えてくださった。 どうか今しばらく、私の言葉を聞いてください。 私の心という家を打ち壊し、愚かさという梁を折ってください。 善く私のために、功徳という夜叉を追い払い、 様々な見解という羅刹を除き、惑いという盗人を甕とし、 身見という水を満たしておりましたが、今、それは壊れました。 無知という乳牛は走り去り、無明という手綱は切れました。 先に見たとおりの事柄が、すべて私の身に集まりました。 様々な色（物質）は鏡のようなもので、その中に影像が現れます。 無始の生死の中で、このような事をまだ見たことがありませんでした。 私は今、あなたのおかげで、初めて四つの聖なる真理を見ることができました。 今、善き知識（善友）に出会い、ご縁があってめぐり会えました。 私の心の貪りの病を取り除き、我が家の中の鬼を追い出してください。 世の中では昔から、四つのヴェーダが説くように、 大きな祭祀を行うべきであり、様々な荘厳な品々を用意し、 祭場を整え、ガンジス川などの大河で沐浴し、 罪過を洗い流し、速やかに天に生まれ変わるのだと伝えられてきました。 私はこれまで修行してきましたが、果報を得たことはありませんでした。 しかし、私はそれを確かに得たのか、得られなかったのか、知りませんでした。 祭祀や沐浴よりも、善き友に近づくことの方が大切です。 私は今、善き友に近づき、その果報の証を得ました。 もはや生まれず、死にもせず、解脱して涅槃へと向かい、 永遠に恐れの場所を離れました。これは財宝で求めるものではありません。 たとえ、王の威勢や力を使って、崖から飛び込んだり、炎に飛び込んだり、 厳しい冬の月に氷を身にまとったり、 盛夏の蒸し暑い時に五熱（太陽を囲む五つの火）で身を焼いたり、 垂木やいばらの上に寝そべったり、 山を越え海を渡り、火を祀って呪文を唱えても、 このような苦行によって涅槃を得ることはできません。 ただ、瞑想と智慧、戒律を守り、聞法し、専心することによってのみ得られるのです。 これらの法（教え）は、何によって得られるのでしょうか？ 必ず善き知識（善友）によって、初めてすべてを具えることができるのです。」