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title: "大莊嚴論經 · 29"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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### （二九）

> （二九）

復次，譬如幻師以此陰身作種種戲，能令智者見即解悟。

> さらに、たとえて言うなら、幻術師がこの五蘊のからだを使ってさまざまな幻の遊びを演じるように、賢い人ならそれを見てすぐに悟りを得るようなものです。

我昔曾聞，有一幻師有信樂心，至晝闇山為僧設食。供養已訖，幻尸陀羅木作一女人端正奇特，於大眾前抱捉此女，而嗚唼之共為欲事。時諸比丘見此事已咸皆嫌忿，而作是言：「此無慚人所為鄙褻。」知其如是不受其供。時彼幻師既行欲已，聞諸比丘譏呵嫌責，即便以刀斫刺是女，分解支節挑目截鼻，種種苦毒而殺此女。諸比丘等又見此事，倍復嫌忿：「我等若當知汝如是，寧飲毒藥不受其供。」時彼幻師而作是言：「爾眾比丘見我行欲便致瞋忿，見我斷欲殺彼女人復致嫌責；我當云何奉事眾僧？」時諸比丘見其如是，紛紜稱說擾動不安。爾時幻師即捉尸陀羅木用示眾僧，合掌白言：「我向所作即是此木，於彼木中有何欲殺？我欲安於眾僧身故設是飲食，欲令眾僧心得安故為此幻耳，願諸比丘聽我所說。豈可不聞？佛於修多羅中說一切法猶如幻化，我今為欲成彼語故，故作斯幻。如斯幻身無壽無命；識之幻師運轉機關，令其視眴俯仰顧眄，行步進止或語或笑，以此事故深知此身真實無我。」即說偈言：

> 昔々、ある幻術師が信心を起こし、昼闇山に赴いて僧侶たちのために食事を設けました。供養を終えると、彼は屍陀羅の木（墓地の木）で一人の端正で奇妙な女を作り出し、大衆の前でその女を抱き寄せ、口づけし、欲の行為を共に行いました。 これを見た比丘たちは皆、嫌悪と怒りを覚え、こう言いました。「この恥知らずな者が行う所業は、まことに卑劣で汚らわしい。」そして、そのことを知って彼の供養を受けないことにしました。 幻術師は欲の行為を終え、比丘たちの非難と叱責を聞くと、すぐに刀でその女を刺し、手足を断ち、目をえぐり鼻を切り落とし、様々な苦しみを与えて女を殺しました。 比丘たちはこれを見て、ますます嫌悪と怒りを募らせ、「もしお前がこのような者だと知っていたなら、毒薬を飲んでもお前の供養は受けなかっただろう」と言いました。 そこで幻術師はこう言いました。「あなたがた比丘は、私が欲の行為をするのを見て怒り、私が欲を断ち切りあの女を殺すのを見てもまた非難する。私はいったいどのようにして僧侶たちに仕えればよいのでしょうか？」 比丘たちはこの有様を前に、騒ぎ立て動揺が収まりませんでした。 その時、幻術師は屍陀羅の木を手に取り、比丘たちに示して合掌して言いました。「私が先ほど行ったことは、ただこの木に過ぎません。木に何の欲があり、何の殺しがあるというのでしょうか？ 私は僧侶たちの身を安んじようとしてこの飲食を設け、僧侶たちの心を安んじようとしてこの幻術を行ったのです。どうか比丘たちよ、私の言うことをお聞きください。仏が経典の中で『すべての法は幻の如し』と説かれたのを聞かないのですか？ 私はまさにその言葉を現すために、この幻術を行ったのです。この幻の如き身には寿命も命もありません。識という幻術師が機関を操り、それに目を動かし、うなずき、見回し、歩き、止まり、語り、笑わせているのです。この事によって、この身には真実の我などないことを深く知るべきです。」そして、偈を唱えました。

「先觀彼相貌，想像起倒惑，橫生女情想，入於欲網羂。深實觀察者，知身都無我，如彼善幻師，以木為女人。意行於顛倒，愚謂為眾生，於此幻偽中，妄起男女想。智者善觀察，陰界及諸入，緣假成眾生，分分各別異。和合眾分故，能作於諸業，諸行無男女，亦無有壽命。色欲及細滑，威儀并處所，如此四種欲，迴轉嬰愚心。一切智亦說，幻偽欺世間，如彼幻網中，化作諸色像。生死網亦然，現五道差別，憂喜與瞋忿，愁惱及鬪諍。如彼眾擾亂，猶如鬼遍身，心起諸作業，同彼鬼無異。從心起於風，因風造作業，眾生見造業，種種諸色像。於此業行中，起威儀形色，不解其容止，便橫計我想。此身名機關，脂髓皮肉髮，三十六物等，和合以為身。愚者計眾生，而實無宰主，但以風力故，俯仰而屈伸。以依於心故，則能起五識，然此心識者，念念皆遷滅。愚者起癡覺，計此身有我，口業若干種，身業亦復然。言笑及威儀，皆如幻所作，此中無有我，用離宰主故。而斯虛偽法，無壽無知見，妄起於想像，陷沒諸凡夫。」

> まずその姿を観察し、想像を巡らせて迷いが生じる。 そこに女への執着が横たわり、欲望の網に絡め取られる。 しかし深く如実に観察する者は、この身に我が無いと知る。 それは巧みな幻術師が木片で女を作り出すのと同じだ。 心は顛倒した思いに走り、愚か者はそれを「生きとし生けるもの」と思う。 この幻のような偽りの世界に、妄りに男女の区別を起こす。 智慧ある者は、五陰・十八界・十二処をこまやかに観察する。 縁によって仮に成った衆生は、細かく分ければそれぞれ別々のものである。 それらの部分が集まることによって、様々な業が生じる。 諸々の行（現象）には男女の別もなく、寿命というものもない。 色欲・接触の心地よさ・動作の美しさ・場所―― この四種の欲望が、愚かな心をぐるぐると回らせる。 一切智者（仏）もまた説かれている。 「幻は世間を欺くもの」と。 あたかも幻の網の中に様々な色や形が現れるように。 生死の網もまた同じで、五つの迷いの世界の違いを現す。 喜び・憂い・怒り・恨み、愁いや悩み、争い。 それらの多くの混乱は、まるで鬼が全身に憑いたようである。 心が諸々の業を起こす様は、その鬼と変わらない。 心から風（エネルギー）が起こり、風によって業が作られる。 衆生は業が作られる様子を見て、様々な色や形を想う。 この業の働きの中に、動作や形姿が現れる。 しかしその振る舞いの真実を理解せず、執着して「我」という考えを起こす。 この身体は「からくり」と名付けられるもの。 脂・髄・皮・肉・髪、三十六の要素などが集まって身体となる。 愚か者はそれを「衆生」と見なすが、実は支配する主体などない。 ただ風（エネルギー）の力によって、俯いたり仰いだり、曲げたり伸ばしたりするのだ。 心に依って五つの感覚が生じるが、 その心や意識もまた、瞬間ごとに消え去っていく。 愚か者は無明の思いを起こし、この身に「我」があると執着する。 言葉による業も様々であり、身体による業もまた同様である。 笑いや言葉、動作や振る舞いは、すべて幻が作り出したもの。 そこには「我」はない。なぜなら、支配する主体が無いからだ。 この虚偽の法（現象）には、寿命もなく、知覚もない。 妄想を起こすことによって、凡夫たちは深みに沈むのである。

如彼幻師所說之事真實無異，時諸比丘聞其說已皆得見諦，是故當知諸法如幻，能知是者，則便能斷諸行之源。

> あたかも幻術師の語ることが真実と少しも違わないように、そのとき比丘たちはその説法を聞いて、皆、真理を悟った。ゆえに知るべきである。すべての現象は幻のようなものである。このことを理解する者は、やがてあらゆる行いの根源を断ち切ることができるのだと。