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title: "大莊嚴論經 · 32"
description: "大莊嚴論經是古印度著名佛教論師馬鳴菩薩所造的一部重要佛教經典，由後秦時期高僧鳩摩羅什翻譯為漢文。該經成書於公元1-2世紀，屬於大乘佛教早期論典，以詩偈與散文相間的形式闡述佛法要義。內容主要圍繞佛陀本生故事與菩薩修行展開，通過生動譬喻闡明因果業報、六度波羅蜜等核心教義，強調發菩提心與積累功德的重要性。作為大乘佛教重要論著，該經對漢傳佛教思想發展產生深遠影響，被歷代高僧視為修學菩薩道的重要指南，在佛教典籍中具有崇高地位。"
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### （三二）

> 第三十二章

復次，若人學問，雖復毀行，以學問力尋能得道，以是義故應勤學問。

> さらに、もし人が学問をすれば、たとえ行いを壊すことがあっても、学問の力によってやがて道を得ることができる。このような理由から、熱心に学問に励むべきである。

我昔曾聞，有一多聞比丘住阿練若處，時有寡婦數數往來此比丘所，聽其說法。于時學問比丘於此寡婦心生染著，以染著故所有善法漸漸劣弱，為凡夫心結使所使，與此婦女共為言要。婦女言：「汝今若能罷道還俗，我當相從。」彼時比丘即便罷道。既罷道已，不能堪任世間苦惱，身體羸瘦不解生業，未知少作而大得財，即自思惟：「我於今者作何方計得生活耶？」復作是念：「唯客殺羊，用功極輕兼得多利。」作是念已求覓是處，以凡夫心易朽敗故造作斯業，遂與屠兒共為親友。於賣肉時，有一相識乞食道人，於道路上偶值得見，見已便識頭髮蓬亂，著青色衣身上有血，猶如閻羅羅剎，所執肉稱悉為血污。見其稱肉欲賣與人，比丘見已即長歎息作是思惟：「佛語真實！凡夫之心輕躁不停，極易迴轉。先見此人勤修學問護持禁戒，何意今日忽為斯事？」作是念已，即說偈言：

> 昔々、私は聞いたことがある。阿蘭若（あらんじゃ）の地に住む、多くの教えを聞いた比丘がいた。そのもとには、ある未亡人が度々訪れては法を聴いていた。ところが、その学問ある比丘は、この未亡人に心を惹かれるようになり、その執着によって、善い行いが次第に弱まっていった。凡夫の心の煩悩に動かされ、彼はこの女性と密約を交わした。 女性は言った。「もしあなたが出家をやめて俗世に戻るなら、あなたのお相手をしましょう」。 その比丘は、すぐに還俗した。しかし還俗した後、世の中の苦しみに耐えられず、やせ細ってしまい、生業を理解することもできなかった。労せずして多くの財を得る術も知らなかったので、彼は考えた。「今の私に、どうやって生計を立てる手立てがあるだろうか」。 さらに思った。「羊を殺す仕事なら、労力が少なく、利も多い」。そう決めて場所を探し、凡夫の心は脆く崩れやすい性質ゆえに、屠殺の業に従事し、屠殺人と親しくなった。 ある日、肉を売っている時に、たまたま道端で托鉢の修行者に出会った。その修行者は彼を見てすぐにわかった。髪はぼうぼうに乱れ、青い衣は血にまみれ、まるで閻魔や羅刹のようだった。手にした肉の秤もすっかり血で汚れていた。その姿で秤にかけて肉を売ろうとしているのを見て、修行者は深く嘆き、こう思った。 「仏の言葉は真実だ。凡夫の心は軽はずみで、留まることがなく、極めて容易に変わる。かつてこの人は熱心に学び、戒律を守っていた。それがどうして、今日こんなことをしているのか」。 そう思って、偈を詠んだ。

「汝若不調馬，放逸造眾惡，云何離慚愧，捨棄調伏法？威儀及進止，為人所樂見，飛鳥及走獸，覩之不驚畏。行恐傷蟻子，慈哀憐眾生，如是悲愍心，今為安所在？」

> 「もしお前が心を調御せず、放逸に様々な悪をなすなら、どうして恥じる心を捨てて、調伏の道を捨て去ることができようか。 その振る舞いや立ち居振る舞いは、人々に見られるにふさわしく、 空を飛ぶ鳥も、地を駆ける獣も、その姿を見て怖れない。 歩くときは小さな蟻さえ傷つけまいと気をつけ、生きとし生けるものを慈しみ哀れむ。 そのような、深い悲みの心は、今、どこに消えてしまったのか。」

凡夫之人其心不定，正可名為沙門婆羅門數，是故如來不說標相；若得見諦真實，是名為沙門及婆羅門。復說偈言：

> 凡夫はその心が定まらず、まさに「沙門」「婆羅門」と名付けられるだけの者です。それゆえ、如来は特徴的な形を示すことはありません。もし真理をあるがままに見極めたなら、それをこそ「沙門」「婆羅門」と呼ぶのです。 そこで、偈（うた）をもって説かれました。

「勇捍而自稱，謂己真沙門，為此不調心，忽作斯大惡。」

> 勇ましくも自らを「真の沙門である」と称しながら、 心を調えることもなく、このような大悪を為してしまった。

說是偈已，尋即思惟：「我於今者作何方便令其開悟？如佛言曰：『若教人時，先當令其於四不壞生清淨信，此四不壞能令眾生得見四諦。』今當為說作業根本。」作是念已而語之言：「汝於今者極善稱量。」時賣肉者作是念言：「此比丘既不買肉，何故語我極善稱量？」作是念已，即說偈言：

> この偈を説き終えると、すぐにこう考えた。「今、私はどのようにして彼を悟りへ導くべきか。仏がおっしゃったように、『人を教える時は、まず四つの不壊（揺るぎない信）について清らかな信心を生じさせよ。この四つの不壊によって、众生は四つの真理（四諦）を見ることができる』と。今こそ、業（行い）の根本について語るべきだ。」そう考えて、彼に言った。「あなたは今、とてもよく量り合っている。」すると、肉を売る者はこう思った。「この比丘は肉を買うわけでもないのに、なぜ私に『よく量り合っている』と言うのだろう。」そう思って、偈を説いた。

「此必有悲愍，而來見濟拔！如斯之比丘，久離市易法，見吾為惡業，故來欲救度。實是賢聖人，為我作利益！」

> 「これはきっと、あわれみの心をもって、私を救い導こうと来てくださったのだ。 このような比丘（僧）の方は、長く商売のような世間のやり方から離れ、 私が悪い行いをしているのを見て、救おうとしてくださったのだ。 まことに賢明で尊い方だ。私のために利益をもたらそうとしてくださっている！」

說是偈已，尋憶昔者為比丘時造作諸行，念先所誦經名曰苦聚欲過欲味。思憶此已，即以肉稱遠投於地，於生死中深生厭患，語彼比丘：「大德，大德！」而說偈言：

> この偈（うた）を説き終えると、すぐに昔、比丘（僧）であった時に様々な行いを積んでいたことを思い出した。かつて唱えた経典の名は「苦聚欲過欲味」というものだった。これを思い出した彼は、すぐに肉の秤を地面に遠く投げ捨て、生死の世界に深く厭い離れる心を生じた。そして、その比丘に向かって「大徳よ、大徳よ」と呼びかけ、偈（うた）を唱えた。

「欲味及欲過，何者為最多？我以慚愧䩙，捉持智慧秤。思量如此事，心已得通達，不見其有利，純覩欲衰患。以是故我今，宜應捨離欲，往詣於僧坊，復還求出家。我今為欲作，身苦極下賤，雖是現在身，即如墮惡道。我昔出家時，濾水而後飲，悲愍護他命，無有傷害心。今日如惡鬼，食人精血者，我今樂殺害，習而不能捨。善哉佛所說，親近於欲者，無惡而不造。我今為欲使，衰苦乃至此。一切種智說，四諦我未證，從今日已去，終不更放逸。十力尊所說，前為放逸者，後止更不作，如月離雲翳，明照于世間。是故我今當，專心持禁戒，設頭上火然，衣服亦焚燒，我當堅精進，修行調順法，斷難伏結使，必令得寂滅。假毀絕筋脈，形體皆枯乾，不見四諦者，我終不休息，先滅結使怨，得勝報施恩。」

> 「欲の味わいと、欲の過ち、どちらがより多いのか。 私は恥じる心を盾に、智慧の秤を手に取った。 このことをよく考え、心はすでに悟りを得た。 そこには利益はなく、ただ欲の衰えと苦しみばかりが見える。 だからこそ、私は今、欲を離れるべきである。 僧院へと向かい、再び出家を求めることにしよう。 私は今、欲のために生き、身は極めて苦しく、卑しいものとなった。 現世の身でありながら、まるで悪道に堕ちたかのようだ。 昔、出家していた頃は、水を漉してから飲み、 他の命を哀れみ守り、傷つける心はなかった。 それなのに今は、悪鬼のごとく、人の精気を食らう者となり、 私は殺生を楽しみ、それに慣れて捨てられなくなってしまった。 素晴らしいかな、仏の説かれた言葉。 「欲に親しむ者は、造らざる悪はない」と。 私は今、欲の使いとなり、衰えと苦しみがここに至った。 あらゆる知恵を持つ方が説かれた四つの真理を、私はまだ悟っていない。 今日より以後、決して再び放逸に過ごすことはない。 十の力をお持ちの尊い方が説かれた。 「かつて放逸であった者でも、後にそれを止め、再び悪を為さなければ、 月が雲から離れて世を明るく照らすように、輝くことができる」と。 それゆえ、私は今、心を一つに戒律を守り通す。 たとえ頭の上に火が燃え、衣服も焼けようとも、 私は固く精進し、心を調える法を修行しよう。 打ち負かし難い煩悩の束縛を断ち切り、必ずや寂静の境地を得よう。 たとえ筋や脈が絶たれ、身体が枯れ果てようとも、 四つの真理を悟らなければ、私は決して休むことはない。 まず煩悩という怨みを滅ぼし、勝利を得て、施しの恩に報いるのだ。」

爾時比丘知其心念，彼智慧火方始欲然，即說偈言：

> その時、比丘は彼の心の内を知り、智慧の火がまさに燃え上がろうとしていることを悟り、偈を唱えた。

「汝今若出家，必應得解脫，迦梨與僧鉗，及以質多羅，如此等比丘，皆七返罷道，後復還出家，獲得阿羅漢。十力世尊戒，汝亦不毀犯，汝不起邪見，汝有多聞智，生於厭離善，修習寂靜樂。汝有多聞燈，結使風所滅，汝還修多聞，必至無畏方。為結之所漂，當依修定力，修定得勝力，明了見結使。由汝常修集，故樂出家法，心近善功德，為結使所壞，修集於正道，是意捉結使，如象絕䩭靽，自恣隨意去。」

> 「もしお前が今出家するならば、必ず解脱を得られるはずだ。 カーリーやソンケン、チトラらの比丘たちも、 皆七度還俗し、 その後再び出家して阿羅漢果を得たのだ。 十力ある世尊の戒を、お前も破ってはならない。 お前は邪見を起こさず、多聞の智慧を持つ。 厭離の善を生じ、寂静の楽を修めよ。 お前には多聞という灯火があるが、煩悩の風に消されようとしている。 お前は再び多聞を修め、必ず無畏の境地に至れ。 煩悩に流されるならば、修定の力に依るべきだ。 修定によって勝れた力を得れば、煩悩を明らかに見極められる。 お前は常に修集してきたゆえ、出家の法を楽しむ。 心は善の功徳に近づくが、煩悩に破られる。 正道を修習すれば、この心が煩悩を捉え、 象が繋ぎ綱を断ち切って、思いのままに去るように成るのだ。」

時罷道比丘即捨惡業，出家精勤得阿羅漢果。

> その時、修行をやめようと考えていた比丘は、悪い行いを捨て去り、出家して精進に励み、ついに阿羅漢の果てを得ました。