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title: "大方廣佛華嚴經 · 之三"
description: "大方广佛华严经是佛教重要经典之一，由东晋时期高僧佛驮跋陀罗翻译。该经成书于公元5世纪，是华严宗的根本经典，被誉为经中之王。内容主要阐述佛陀证悟的圆满境界，强调法界缘起、事事无碍的哲学思想，展现了一即一切、一切即一的宇宙观。经中通过善财童子五十三参等故事，揭示菩萨修行次第与广大行愿。华严经在大乘佛教中具有崇高地位，对汉传佛教各宗派影响深远，尤其成为华严宗立宗的理论基础。其思想体系宏大深邃，是研究佛教哲学与修行实践的重要文献。"
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## 大方廣佛華嚴經卷第三十五

> 大方広仏華厳経 第三十五巻

東晉天竺三藏佛馱跋陀羅譯

> 東晉天竺三蔵仏陀跋陀羅訳

### 寶王如來性起品第三十二之三

> 宝王如来性起品 第三十二の三

「復次，佛子！菩薩摩訶薩知、見如來音聲十種無量；何等為十？所謂：知、見虛空等無量，無處不至故；知、見法界等無量，無處不徹故；知、見眾生界等無量，令一切眾生悉歡喜故；知、見行業等無量，廣說一切果報故；知、見煩惱等無量，究竟寂滅故；知、見種種音聲等無量，隨應受化無不聞故；知、見欲樂等無量，悉分別說諸解脫故；知、見三世等無量，無分際故；知、見智慧等無量，深入一切法故；知、見佛境界不退等無量，隨順如如法界故。

> 「さらに、仏子よ。菩薩摩訶薩は、如来の音声に十種の無限の性質があることを知り、見ます。その十種とは何でしょうか。すなわち： 1. 虚空のように無限であり、至らないところがないこと。 2. 法界のように無限であり、届かないところがないこと。 3. 衆生界のように無限であり、すべての生きものを喜ばせること。 4. 業（行い）のように無限であり、あらゆる因果の報いを説き示すこと。 5. 煩悩のように無限であり、それらを完全に静め尽くすこと。 6. さまざまな音声のように無限であり、教えにふさわしい者には誰にでも聞こえること。 7. 欲望や好みのように無限であり、それぞれに応じてあらゆる解脱の道を説き分けること。 8. 過去・未来・現在のように無限であり、限界や区切りがないこと。 9. 智慧のように無限であり、すべての真理を深く究め尽くすこと。 10. 仏の境地が退かないことのように無限であり、あるがままの真理の世界に従うこと。 これらの十種の無限の性質を、菩薩摩訶薩は如実に知り、見るのです。」

「佛子！菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺音聲，有如是等十種無量阿僧祇。」

> 佛の子よ。菩薩・大菩薩は、如来、応供、等正覚（完全に悟った者）の音声に、このような十種の無数の阿僧祇（数えきれないほどの）の特性があることを知り、また見ているのです。

爾時，普賢菩薩欲重明此義，以偈頌曰：

> その時、普賢菩薩はこの意味を改めて明らかにしようと、偈（うた）をもって次のように述べられました。

「世界欲壞時，於彼虛空中，眾生福報力，自然出四聲。於彼四禪中，寂樂離眾苦，眾生聞是已，厭離欲界身。十力亦如是，自然出四聲，充滿於法界，無處而不聞。眾生因緣力，佛應四種聲，其有聞音者，永度生死海。譬如因山谷，出生呼聲響，從外一切音，響聲隨應對。種種因緣起，聞者亦不同，響不作是念，我出種種音。如來聲如是，出生無量音，隨應受化者，一切無不聞。皆悉令歡喜，調伏諸眾生，音聲亦無念，我出種種音。譬如天妙音，於彼虛空中，自然而演出，覺悟諸天子。諸天子聞此，正法妙音聲，修習不放逸，厭離於五欲。十力亦如是，出生微妙聲，法雲音充滿，一切諸世界。令眾生覺悟，彼音無生滅，若有得聞者，皆悉證菩提。如自在天王，寶女名善口，於一音聲中，出生百千聲。復於一一音，出生百千聲，諸天若聞者，一切皆悅樂。十力亦如是，於彼一音中，隨應一時演，眾生數等音。眾生聞音已，除滅諸煩惱，音聲不作念，我能有所滅。譬如大梵王，出清淨梵音，一切梵天眾，無有不聞者。一一梵音聲，令梵眾歡喜，遍滿梵天眾，音聲不出外。功德大梵王，安處如來座，演出一妙音，充滿諸法界。隨應受化者，一切無不聞，聲不出眾外，以無信心故。譬如諸水性，皆悉同一味，清淨離垢濁，具足八功德。所因地不同，眾器各別異，隨彼因緣故，水味有差別。佛子應當知，一切智音聲，如來微妙音，悉同解脫味。眾生所造行，若干差別故，善逝隨應化，所聞各不同。譬如阿耨達，自在大龍王，興雲覆世間，普雨潤大地，長養諸叢林，百穀藥草等，彼所降雨水，不從身心出。如來亦如是，初興大法雲，普覆諸法界，雨大甘露法。令眾增善根，除滅煩惱熱，而彼甘露法，不從身心出。譬如大龍王，名曰摩那斯，七日起重雲，凝停不降雨。普令一切眾，究竟諸事業，漸降微細澤，然後乃大雨。十力興法雲，普覆諸法界，雨大甘露法，饒益諸群生。隨應受化者，為彼說深法，聞者不恐怖，究竟成菩提。譬如大龍王，名曰大莊嚴，先布密重雲，然後降大雨。或十二十日，乃至百千日，雨水等一味，眾生故不同。究竟至如來，大辯之彼岸，或說十法門，乃至百千門。或說八萬四，乃至無量行，如來不生念，我分別法界。譬如海龍王，名曰娑伽羅，先興密重雲，彌覆四天下。普雨一切處，各各悉不同，龍王心平等，亦無有憎愛。最勝亦如是，無上法龍王，興起大悲雲，普覆於一切。為道場菩薩，雨大甘露法，隨其所應化，如來心平等。

> 世界が滅びようとするとき、虚空のうちに、 衆生の福徳の力によって、自然に四つの声が現れます。 その第四禅において、静かな喜びがあり、苦しみから離れ、 衆生はこれを聞いて、欲界の身を厭い離れるのです。 十力の如来もまた同じように、自然に四つの声を出し、 法界に満ち渡り、聞かれない場所はありません。 衆生の因縁の力によって、仏は四種の声に応じ、 その音を聞く者は、永遠に生死の海を渡ります。 例えば山谷によって、呼び声の響きが生じ、 外からのあらゆる音に、響きが応じて対するように。 様々な因縁によって起こり、聞く者もまた同じではなく、 響きは「私は様々な音を出す」とは思いません。 如来の声もまた同じで、無量の音を生み出し、 教えを受ける者に応じて、全てが聞こえないことはありません。 皆を喜ばせ、全ての衆生を調伏しますが、 音声には「私は様々な音を出す」という念はありません。 例えば天の妙音が、かの虚空の中で、 自然に鳴り響き、諸々の天子を目覚めさせます。 諸々の天子はこの正法の妙なる音声を聞き、 怠らずに修行し、五つの欲望を厭い離れます。 十力の如来もまた同じで、微妙な声を生み出し、 法雲の音が満ちて、全ての世界に広がります。 衆生を目覚めさせますが、その音に生滅はなく、 もしこれを聞く者がいれば、皆が悟りを証します。 例えば自在天王の、宝女・善口のように、 一つの音声の中から、百千の声を生み出し、 さらに一つ一つの音から、百千の声を生み出し、 諸々の天がこれを聞けば、皆が喜び楽しみます。 十力の如来もまた同じで、かの一音の中から、 時に応じて一度に、衆生の数ほどの音を演じます。 衆生はその音を聞いて、様々な煩悩を除き去りますが、 音声は「私は何かを滅ぼせる」とは思いません。 例えば大梵天王が、清らかな梵音を出すと、 全ての梵天の衆が、聞かない者はありません。 一つ一つの梵音声が、梵天の衆を喜ばせ、 梵天の衆に満ち渡りますが、音声は外には出ません。 功徳ある大梵天王は、如来の座に安住し、 一つの妙音を演じて、法界を満たします。 教えを受ける者に応じて、全てが聞こえないことはありませんが、 声は衆の外には出ません。信心がないからです。 例えば水という性質は、全て同じ一味であり、 清らかで濁りを離れ、八つの功徳を備えています。 しかし、その源となる地が異なり、器がそれぞれ別であるため、 その因縁に従って、水の味に違いが生じます。 仏子よ、知るべきです。一切智の音声、 如来の微妙な音は、全て解脱の一味であると。 しかし、衆生の行う業は、様々に異なるため、 善逝はそれに応じて、聞こえる内容がそれぞれ違うのです。 例えば阿耨達の、自在なる大竜王が、 雲を起こして世界を覆い、雨を降らせて大地を潤し、 多くの林や、百穀・薬草などを育てますが、 その降らせる雨水は、心や身体から出るのではありません。 如来もまた同じで、最初に大法雲を起こし、 諸々の法界を覆い、大甘露の法を降らせます。 衆生の善根を増やし、煩悩の熱を除き去りますが、 その甘露の法は、心や身体から出るのではありません。 例えば摩那斯という名の大竜王は、 七日間厚い雲を重ね、留めて雨を降らせません。 まず全ての者に、様々な事業を成し遂げさせ、 徐々に細かい雨を降らせ、その後で大雨を降らせます。 十力の如来は法雲を起こし、諸々の法界を覆い、 大甘露の法を降らせて、多くの衆生を利益します。 教えを受ける者に応じて、彼らに深い法を説き、 聞く者が恐れることなく、ついに悟りを成就させます。 例えば大荘厳という名の大竜王は、 先に密かに厚い雲を広げ、その後で大雨を降らせます。 十日あるいは二十日、さらには百千日にわたり、 雨水は一味ですが、衆生によって異なるのです。 ついに如来の、大いなる弁才の彼岸に至り、 ある時は十の法門を説き、ある時は百千の門を説き、 ある時は八万四千、さらには無量の行いを説きます。 しかし如来には「私は法界を区別する」という念はありません。 例えば娑伽羅という名の海の竜王は、 先に密かに厚い雲を起こし、四天下に覆い広げ、 全ての場所に万遍なく雨を降らせますが、それぞれに違いがあり、 竜王の心は平等で、憎しみや愛着もありません。 最勝の如来もまた同じで、無上の法の竜王として、 大いなる慈悲の雲を起こし、全てを覆います。 道場の菩薩のために、大甘露の法を降らせますが、 教えを受ける者に応じて、如来の心は平等です。

「佛子！云何菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺心？此菩薩摩訶薩知心意識，非即如來，但知如來智無量故，心亦無量。佛子！譬如虛空悉為一切萬物所依，而彼虛空無所依止；如來智慧亦復如是，悉為一切世間智慧、離世間智之所依止，而如來智無所依止。佛子！是為菩薩摩訶薩最初勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 「仏子よ！菩薩摩訶薩は、どのようにして如来・応供・等正覚の心を知り、見るのでしょうか。この菩薩摩訶薩は、心・意・識が、すなわち如来そのものではないと知っています。しかし、如来の智慧が限りなく広大であるがゆえに、心もまた無限であると知るのです。仏子よ、たとえば虚空は、あらゆる万物のよりどころでありながら、虚空それ自体は何にもよりどころとしないように、如来の智慧もまた同じく、あらゆる世間の智慧や世間を超えた智慧のよりどころでありながら、如来の智慧それ自体は何にもよりどころとしません。仏子よ、これこそが菩薩摩訶薩が如来・応供・等正覚の心を知り、見る、最初の優れた行いなのです。」

「復次，佛子！譬如清淨法界，悉為一切聲聞、緣覺、菩薩解脫之所依止，而清淨法界無增無減；如來智慧亦復如是，為一切世間、出世間智，算數巧術一切眾智之所依止，而如來智無增無減。佛子！是為菩薩摩訶薩第二勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 「さらに、仏子よ。例えば、清らかな法の世界は、すべての声聞、縁覚、菩薩の解脱のよりどころとなっていますが、清らかな法の世界そのものには増えも減りもしません。如来の智慧もまた同じで、あらゆる世間的・出世間的な知恵、計算や巧妙な技術、あらゆる衆生の智慧のよりどころとなりながら、如来の智慧には増えも減りもありません。仏子よ、これこそが菩薩摩訶薩の第二の優れた行いであり、如来・応供・等正覚の心を知り、見ることなのです。

「復次，佛子！譬如四大海水，悉能澤潤四天下地，八十億小洲，若有眾生於彼諸處方便求水，無往不得，而彼大海不作是念：『我能資給諸眾生水。』如來智慧大海亦復如是，悉能澤潤一切眾生心，彼諸眾生各於法門修習善根，皆得智慧光明，而如來不作是念：『我能悉與眾生智慧。』佛子！是為菩薩摩訶薩第三勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 「また、仏子よ。たとえば、大海の水は、四つの大陸と八十億の小さな島々をすべて潤すことができます。その場所で水を求める者があれば、誰もが水を得ることができます。しかし、大海は『私はすべての衆生に水を与えている』とは思いません。それと同じように、如来の智慧の大海もまた、すべての衆生の心を潤します。それぞれの衆生は、それぞれの教えの門で善い根を修め、智慧の光を得ます。しかし、如来は『私はすべての衆生に智慧を与えている』とは思いません。仏子よ。これが菩薩摩訶薩の第三の優れた行いであり、如来・応供・等正覚の心を知り、見ることです。」

「復次，佛子！譬如大海有四種寶珠；此四種寶悉生海中，一切眾寶若無此寶，海中眾寶悉皆滅失。何等為四？一、名眾寶積聚，二、名無盡寶藏，三、名遠離熾然，四、名一切莊嚴聚，是為四寶。佛子！此四種寶，一切阿脩羅、迦樓羅、諸龍神等悉不得見，何以故？娑伽羅龍王密置深寶藏故，此四種寶端嚴方正；如來、應供、等正覺海亦有四種大智寶珠，出生一切聲聞、緣覺、學、無學智、及諸菩薩智慧大寶。何等為四？一、名無染巧妙方便清淨智寶，二、名分別演說有為無為清淨智寶，三、名分別演說一切諸法而不壞法界清淨智寶，四、名應化眾生未曾失時清淨智寶，是為如來大海四種清淨智寶。佛子！此如來四種清淨智寶一切眾生無能見者，何以故？此四種智慧大寶安置如來微密法寶藏故，菩薩慧光端嚴殊特。佛子！是為菩薩摩訶薩第四勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 「さらに、仏子よ。たとえば大海には四種の宝珠がある。これらの四種の宝はすべて大海の中から生まれ、あらゆる宝も、この宝がなければ海中のすべての宝は失われてしまう。その四種とは何か。第一に「衆宝積聚」、第二に「無尽宝蔵」、第三に「熾然を遠離する」、第四に「一切荘厳聚」と呼ばれるものである。これが四種の宝である。 仏子よ。この四種の宝は、すべての阿修羅や迦楼羅、諸々の龍神なども決して見ることができない。なぜか。沙伽羅龍王が密かに深い宝の蔵に納めているからである。この四種の宝は端正で厳かである。如来・応供・等正覚の海にもまた、四種の大いなる智慧の宝珠があり、すべての声聞・縁覚・有学・無学の智慧、そして諸々の菩薩の智慧の大宝を生み出す。その四種とは何か。 第一に「染まりなく巧みに説法する清らかな智慧の宝」、第二に「有為と無為を分別して説き明かす清らかな智慧の宝」、第三に「すべての法を説き明かして法界を損なわない清らかな智慧の宝」、第四に「衆生に応じて教化し、時に後れることのない清らかな智慧の宝」である。これらが如来の大海にある四種の清らかな智慧の宝である。 仏子よ。この如来の四種の清らかな智慧の宝は、一切の衆生が見ることができない。なぜか。この四種の智慧の大宝は、如来の秘密の法宝蔵に安置されているからである。菩薩の智慧の光は端正で特に優れている。仏子よ。これが菩薩摩訶薩の第四の勝れた行いであり、如来・応供・等正覚の心を知り、見ることである。」

「復次，佛子！譬如大海有四熾然光明大寶，此四種寶悉能消竭大海無極之水。何等為四？一、名日藏光明大寶，二、名離潤光明大寶，三、名火珠光明大寶，四、名究竟無餘光明大寶。佛子！若大海中無此四寶，四域天下、金剛圍山乃至非想、非非想處皆悉漂沒。佛子！此日藏光明大寶能變海水悉成為酪，離潤光明大寶能變酪海悉成為酥，火珠光明大寶能悉熾然酥海，究竟無餘光明大寶悉然酥海永盡無餘；如來、應供、等正覺海，亦有四種智光摩尼大寶，照諸菩薩具足修習一切眾行，乃至成佛平等智慧。何等為四？一者、永息一切不善波浪智光大寶，二者、滅一切法愛智光大寶，三者、大慧智光大寶，四者、與如來等無量智光大寶。佛子！彼菩薩摩訶薩修集菩提時，起無量生死不善波浪，一切諸天、阿脩羅等悉無能止，如來以息一切不善波浪智光大寶，照耀菩薩不善波浪，令永止息，堅固安住無上三昧；以滅一切順法愛智光大寶，滅一切三昧難捨味著；以大慧智光大寶，滅一切無明淨慧通達；以與如來等無量智光大寶，以少方便出生如來智慧之地。佛子！若無如來四種智光大寶，乃至一菩薩得如來地，無有是處！佛子！是為菩薩摩訶薩第五勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 「さらに、仏子よ。例えば大海には、燃え輝く四つの大宝があり、これらの四つの宝はすべて、果てしない大海の水を消し尽くすことができる。その四つとは何か。第一を「日蔵光明大宝」といい、第二を「離潤光明大宝」といい、第三を「火珠光明大宝」といい、第四を「究竟無余光明大宝」という。仏子よ。もし大海にこれらの四つの宝がなければ、四天下、金剛囲山、さらには非想非非想処に至るまでも、すべてが流されて沈み漂うだろう。仏子よ。この日蔵光明大宝は海水をすべて変えて酪とし、離潤光明大宝は酪の海をすべて変えて酥とし、火珠光明大宝は酥の海をすべて燃やし、究竟無余光明大宝は酥の海を完全に燃やし尽くして余すところがない。如来・応供・等正覚の海にも、また四種の智光摩尼大宝があり、すべての菩薩たちを照らして、あらゆる行を完全に修習させ、ついには仏と等しい平等の智慧を成就させる。その四つとは何か。第一は「すべての不善の波を永遠に静める智光大宝」、第二は「すべての法への愛着を滅する智光大宝」、第三は「大慧智光大宝」、第四は「如来と等しい無量の智光大宝」である。 仏子よ。その菩薩摩訶薩が菩提を修習し積集する時、無量の生死の不善の波が起こる。すべての天や阿修羅などは、それを止めることができない。如来は「すべての不善の波を静める智光大宝」をもって、菩薩の不善の波を照らし、永遠に静めさせ、堅固に無上の三昧に安住させる。「すべての順法愛を滅する智光大宝」をもって、すべての三昧における捨てがたい味わいへの執着を滅し、「大慧智光大宝」をもって、すべての無明を滅し、清らかな智慧によって通達させる。「如来と等しい無量の智光大宝」をもって、わずかな方便により如来の智慧の地を生じさせる。 仏子よ。もし如来のこの四種の智光大宝がなければ、一人の菩薩が如来の地を得ることなど、決してありえない。仏子よ。これが菩薩摩訶薩の第五の優れた行であり、如来・応供・等正覚の心を知り、見ることである。」

「復次，佛子！譬如從水輪際，上至非想、非非想天一切三千大千世界，依虛空住，謂無色界眾生處、色界眾生處、欲界眾生處。此三界處悉依虛空，而彼虛空無有迫迮；如來智慧亦復如是，一切聲聞、緣覺、菩薩知有為法智慧，知無為法智慧，如是等一切智慧悉依如來智慧而起，悉依如來智慧而住，如來智慧無有迫迮，何以故？如來智慧無所不至故。佛子！是為菩薩摩訶薩第六勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 「また、仏子よ。たとえば、水輪の境から上は、非想非非想天に至るまで、あらゆる三千大千世界は虚空に依って存在しています。すなわち、無色界の衆生の住処、色界の衆生の住処、欲界の衆生の住処です。この三界の住処はすべて虚空に依っていますが、その虚空には何の圧迫もありません。如来の智慧もまた同じです。あらゆる声聞、縁覚、菩薩が知る有為法の智慧、無為法の智慧、これらの一切の智慧は、すべて如来の智慧に基づいて起こり、すべて如来の智慧に基づいてとどまっています。如来の智慧には何の圧迫もありません。なぜなら、如来の智慧は至らないところがないからです。仏子よ。これが菩薩摩訶薩の第六の勝れた行いであり、如来・応供・等正覚の心を知り、見ることです。」

「復次，佛子！譬如雪山頂有藥王樹，名非從根生非不從生，彼藥王樹從六百八十萬由旬，下極金剛地，水輪際生。佛子！此藥王樹若生根時，閻浮提樹一切根生；若生莖時，閻浮提樹皆悉生莖，若生枝葉華果時，閻浮提樹一切悉生枝葉華果。此藥王樹，根能生莖，莖能生根，是故名曰不從根生非不從根。佛子！此藥王樹一切諸處，皆悉生長，唯除二處，所謂地獄深阬及水輪中不得生長，而大藥王樹亦不捨生性；如來智慧大藥王樹亦復如是，從一切如來種姓中生，於過去世修習大慈悲等無量無邊功德。堅固正住，不可傾動。三世無量善根智慧，皆悉普覆一切世間，除滅一切惡道眾難，巧方便莖，淨法界枝，諸禪三昧解脫之葉，七覺意華無上解脫果，陀羅尼持初無增減。

> 「さらに、仏子よ。たとえば、雪山の頂上に薬王樹という木がある。その木は根から生じたのでもなく、根から生じないのでもない。この薬王樹は、六百八十万由旬もの深さから、金剛地（大地の最下層）を越え、水輪（水の層）の境界に至るまで根を張っている。仏子よ。この薬王樹が根を張るとき、閻浮提（私たちの世界）のすべての木々の根が生じる。茎を伸ばすとき、閻浮提のすべての木々が茎を伸ばす。枝、葉、花、実をつけるときも、同様にすべての木々がそれらを生じる。この薬王樹は、根が茎を生み、茎が根を生む。それゆえ、『根から生じたのでもなく、根から生じないのでもない』と呼ばれるのだ。仏子よ。この薬王樹は、あらゆる場所で成長するが、ただ二つの場所だけは除かれる。すなわち、地獄の深い穴と水輪の中である。そこでは成長できない。しかし、大いなる薬王樹は、成長する本性を決して捨てない。如来の智慧という大いなる薬王樹もまた、これと同じである。一切の如来の種姓から生まれ、過去世において大いなる慈しみと悲しみなど、無量無辺の功徳を修めてきた。堅固に正しくとどまり、動かすことはできない。過去・現在・未来の無量の善根と智慧は、あらゆる世間をすべて覆い、すべての悪道や衆生の苦難を除き去る。巧みな方便という茎、清らかな法界という枝、さまざまな禅定や三昧、解脱という葉、七つの覚りの支分という花、無上の解脱という果実、陀羅尼（記憶力の力）という保持——これらは初めから増えも減りもしない。」

「佛子！如來智慧大藥王樹，復有異名，名根堅固不壞。何以故？不捨不斷菩薩眾行，是故其根名曰不壞。彼如來智慧大藥王樹初生根時，一切菩薩悉生大慈悲根，未曾捨離一切眾生；初生莖時，一切菩薩皆悉生長堅固精進正直心莖；初生枝時，一切菩薩生長一切波羅蜜枝；初生葉時，一切菩薩生長一切淨戒威儀頭陀功德之葉；初生華時，一切菩薩善根莊嚴相好華敷；初生果時，一切菩薩得無生忍受佛記果。佛子！如來智慧大藥王樹，唯除二處不得生長，所謂：聲聞、緣覺、涅槃、地獄、深阬及諸犯戒、邪見、貪著、非法器等，而如來樹非不生長，其餘一切應受化者皆悉生長，而如來智慧大藥王樹不增不減。佛子！是為菩薩摩訶薩第七勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 佛の子よ。如来の智慧という大薬王樹には、また別の名があり、それは「根が堅固で壊れない」という。なぜか。菩薩の行を捨てず、断たないから、その根は「不壊」と呼ばれるのだ。 その如来の智慧という大薬王樹が最初に根を生やすとき、すべての菩薩は大いなる慈悲の根を生じ、決して一切の衆生を見捨てることがない。最初に茎を生やすとき、すべての菩薩は堅固な精進と真っ直ぐな心の茎を生長させる。最初に枝を生やすとき、すべての菩薩はあらゆる波羅蜜の枝を生長させる。最初に葉を生やすとき、すべての菩薩は清らかな戒律や威儀、頭陀の功徳の葉を生長させる。最初に花を生やすとき、すべての菩薩は善根によって相好の花を飾り咲かせる。最初に実を生やすとき、一切の菩薩は無生法忍を得て、仏の授記という実を受ける。 佛の子よ。如来の智慧という大薬王樹は、ただ二つの場所を除いては生長しない。すなわち、声聞・縁覚の涅槃、地獄、深い穴、そして戒を破る者、邪見、貪り、誤った教えの器などである。しかし如来の樹は、それらが全く生長しないというのではない。その他の教化を受けるべきすべての者は、みな生長する。そして如来の智慧という大薬王樹は、増えも減りもしない。 佛の子よ。これが菩薩摩訶薩の第七の勝行であり、如来・応供・等正覚の心を知り見ることである。

「復次，佛子！譬如火劫起時，三千大千世界，一切所有大地草木金剛圍山，皆悉熾然燒盡無餘。設有一人若以乾草投彼火中，寧得不然？答言：『不也，無不燒盡。』佛子！彼所投草猶可不盡。如來智慧於一切眾生、一切佛剎、一切劫數、一切諸法無不悉知，若有不知，無有是處。何以故？如來智慧不可破壞悉明達故。佛子！是為菩薩摩訶薩第八勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 「さらに、仏子よ。例えば劫火が起こる時、三千大千世界のすべての大地や草木、金剛の囲い山までもが、燃え盛り焼け尽くして何も残らないとしよう。ここで誰かが乾いた草をその火の中に投げ入れたとしても、燃えないことがあるだろうか？」「いいえ、必ず燃え尽きます」と答えました。 「仏子よ。その投げ入れられた草はまだ燃え残ることがあっても、如来の智慧はすべての衆生、すべての仏の国土、すべての劫の数、すべての諸法をことごとく知らないということはありません。もし知らないことがあるなら、それはありえません。なぜなら、如来の智慧は壊れることなく、すべてを明らかに達しているからです。 仏子よ。これが菩薩摩訶萨の第八の勝れた行いであり、如来・応供・等正覚の心を知り、見ることなのです。」

「復次，佛子！譬如風災壞世界時，有大風起，名曰壞散，悉能壞散磨滅大千世界金剛圍山一切萬物。爾時，三千大千世界外復有風起，名障壞散風災，不令風災得至餘方。佛子！若無此障風，十方無量無邊阿僧祇世界無不散滅；如來、應供、等正覺亦復如是，有大智風，名曰散滅一切煩惱，悉能散滅一切菩薩煩惱習氣。如來復有巧方便智風，能持一切菩薩，不令究竟盡滅墮於聲聞、辟支佛地。菩薩摩訶薩得此巧方便智風力故，能過聲聞、辟支佛地，究竟佛地。佛子！是為菩薩摩訶薩第九勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 「さらに、仏子よ。例えば、風の災いが世界を破壊する時、『壊散』という名の大風が起こり、大千世界の金剛でできた囲み山や一切の万物をことごとく壊し散らし、滅ぼしてしまう。その時、三千大千世界の外にもまた、『障壊散風災』という風が起こり、その風の災いが他の方角にまで及ばないように防いでいる。仏子よ。もしこの防ぐ風がなければ、十方の無量無辺の阿僧祇の世界は、みな壊れ散ってしまうであろう。 如来、応供、等正覚もまた、これと同じである。『散滅一切煩惱』という大きな智慧の風があり、すべての菩薩の煩悩や習気をことごとく散らし滅ぼすことができる。さらに如来には、『巧方便智』という風があり、すべての菩薩を支え、彼らが完全に滅び尽くして声聞や辟支仏の境地に堕ちることのないようにしている。菩薩摩訶薩は、この巧方便智の風の力を得ることで、声聞や辟支仏の境地を超え、究極の仏の境地に至ることができるのである。 仏子よ。これが菩薩摩訶薩の第九の勝れた行いであり、如来、応供、等正覚の心を知り、見ることである。」

「復次，佛子！如來智慧無處不至。何以故？無有眾生無眾生身、如來智慧不具足者。但眾生顛倒，不知如來智遠離顛倒，起一切智、無師智、無礙智。佛子！譬如有一經卷如一三千大千世界，大千世界一切所有無不記錄。若二千世界等，悉記二千世界中事。小千世界等，悉記小千世界中事。四天下等，悉記四天下事。須彌山王等，悉記須彌山王事。地天宮等，悉記地天宮殿中事。欲天宮等，悉記欲界天宮殿中事。色天宮等，悉記色界天宮殿中事。若無色天宮等，悉記無色界天宮殿中事。彼三千大千世界等經卷在一微塵內，一切微塵亦復如是。

> 「さらに、仏弟子よ。如来の智慧は、至らないところがありません。なぜでしょうか。衆生であって、その身体に如来の智慧を備えていない者は一人もいないからです。しかし、衆生は顛倒（誤った見解）にとらわれており、如来の智慧がこの顛倒から遠く離れたものであることを知りません。その智慧は、一切を知る智、師なくして得る智、障害のない智を生み出すのです。仏弟子よ。たとえば、一つの経巻があるとしましょう。その大きさは大千世界（三千大千世界）と同じで、その世界にあるすべてのことが記録されています。同様に、二千世界の大きさの経巻には二千世界のすべてのことが、小千世界の大きさの経巻には小千世界のすべてのことが、四天下の大きさの経巻には四天下のすべてのことが、須弥山王の大きさの経巻には須弥山王のすべてのことが記されています。地天の宮殿の大きさの経巻には地天の宮殿のすべてのことが、欲天の宮殿の大きさの経巻には欲界の天宮殿のすべてのことが、色天の宮殿の大きさの経巻には色界の天宮殿のすべてのことが、無色天の宮殿の大きさの経巻には無色界の天宮殿のすべてのことが記されています。このような大千世界ほどの経巻も、一つの微細な塵の中に納まっています。そして、すべての微細な塵もまた、その通りなのです。

「時，有一人出興於世，智慧聰達，具足成就清淨天眼，見此經卷在微塵內，作如是念：『云何如此廣大經卷在微塵內而不饒益眾生耶？我當勤作方便，破彼微塵，出此經卷，饒益眾生。』爾時，彼人即作方便，破壞微塵，出此經卷，饒益眾生。佛子！如來智慧無相，智慧無礙，智慧具足，在於眾生身中，但愚癡眾生顛倒想覆，不知、不見、不生信心。

> ある時、一人の人がこの世に現れました。智慧があり、聡明で、清らかな天眼を完全に備えていました。その人は、この経巻が微塵の中にあるのを見て、こう思いました。 「なぜこのように広大な経巻が微塵の中にあって、人々の役に立たないのだろうか。私は手段を尽くしてその微塵を破り、この経巻を取り出して、人々の利益となるようにしよう。」 そこでその人はすぐに手段を用いて、微塵を破り、経巻を取り出し、人々に利益をもたらしました。 仏の子よ、如来の智慧には形がなく、如来の智慧には障りがなく、智慧は完全に備わっています。それは衆生の身の中にあります。しかし、愚かな衆生は誤った考えに覆われて、それを見ることも知ることもなく、信心を起こすこともないのです。

「爾時，如來以無障礙清淨天眼觀察一切眾生。觀已，作如是言：『奇哉！奇哉！云何如來具足智慧在於身中而不知見？我當教彼眾生覺悟聖道，悉令永離妄想顛倒垢縛，具見如來智慧在其身內，與佛無異。』如來即時教彼眾生修八聖道，捨離虛妄顛倒；離顛倒已，具如來智，與如來等，饒益眾生。佛子！是為菩薩摩訶薩第十勝行，知、見如來、應供、等正覺心。

> 爾時、如来は障りのない清らかな天眼で、すべての衆生を観察された。ご覧になった後、こう仰せられた。「なんと不思議なことだ。なんと不思議なことだ。どうして如来の完全な智慧が、衆生の身の中にありながら、彼らはそれに気づかず、見ることもできないのだろう。わたしは彼らに聖なる道を悟らせ、永遠に妄想や誤った考え、汚れの束縛から解き放ち、如来の智慧が自分たちの身の内にあり、仏と変わらないことをはっきりと見せよう。」如来はその時すぐに、彼らに八つの聖なる道を修めるよう教え、虚妄や誤った考えを捨て去らせた。その誤った考えから離れた彼らは、如来の智慧を身につけ、如来と等しくなり、多くの人々を利益した。仏子よ、これが菩薩摩訶薩の第十の優れた行いであり、如来・応供・等正覚の心を知り、見ることである。

「佛子！菩薩摩訶薩有如是等無量無數諸勝妙行知、見如來、應供、等正覺心。」

> 仏の子よ。菩薩（修行者）たちには、このような数え切れないほどの素晴らしい行いを理解し、如来（悟りを開いた方）・応供（尊敬されるにふさわしい方）・正等覚（完全なる悟りを得た方）の心を目の当たりにする力があるのです。

爾時，普賢菩薩欲重明此義，以偈頌曰：

> その時、普賢菩薩はこの意味を改めて明らかにしようと、偈（うた）をもって次のように述べられました。

「欲知如來心，應解最勝智，如來智無量，最勝心亦然。十方諸世界，一切眾生類，皆悉依虛空，虛空無所依。一切法界中，眾生種種樂，方便巧智術，依最勝智起。一切諸智慧，悉依善逝智，如來最勝智，寂然無所依。聲聞緣覺乘，解脫智慧果，悉從法界起，法界無增減。最勝智如是，能起一切智，學智無學智，了達有無智。善逝無上智，出生一切智，非生非不生，皆悉無增減。譬如大海水，澤潤一切地，眾生善方便，求水無不得。大海地無念，我與眾生水，大海無增減，方便求悉得。十方諸世界，一切群生類，善逝智慧海，皆悉能潤澤。各各勤方便，修習諸法門，一切修行者，疾得智慧光。如娑伽龍王，有四妙寶珠，密置深寶藏，眾生無能見。端嚴而方正，常住於大海，因此四摩尼，生出一切寶。最勝四種智，無量不可稱，出生一切眾，無量諸智慧。安住大乘藏，無量德莊嚴，除受記菩薩，一切莫能見。譬如大海中，有四摩尼寶，光焰甚猛熱，能消大海水。若無此四寶，天地悉漂沒，大海無增減，四域皆安住。如來四種智，無量不可稱，能止諸菩薩，不善根波浪。一切三世間，欲色無色界，離我及我所，安住於虛空。善逝智亦然，一切智根本，聲聞學無學，及諸緣覺智。菩薩普饒益，無量甚深智，悉依如來智，如來智無依。如彼雪山頂，有大藥王樹，名不從根生，非不從根生。由此藥王樹，生長因緣故，悉生閻浮提，一切諸樹林。彼樹根生時，一切樹根生，莖枝葉華實，一切亦如是。清淨甚深智，如來性中生，依因如來智，出生修行智。一切菩薩行，無量諸功德，如來智樹王，平等心地生。譬如劫盡時，猛盛大火災，設人投乾草，猶可燒不盡。善逝清淨智，無量無有邊，悉能分別知，三世眾生類。又知一切劫，一切諸佛剎，如是無量法，如來悉了知。譬如劫盡時，風災名壞散，能壞諸大地，金剛及須彌。剎外有風起，名曰障散壞，若無此風者，十方悉磨滅。十力亦如是，智慧風無量，皆悉能散滅，菩薩諸煩惱。如來方便智，攝取諸菩薩，過聲聞緣覺，安住如來地。譬如微塵內，有一大經卷，三千世界等，無益眾生類。爾時有一人，出興於世間，破塵出經卷，饒益一切世。如來智如是，眾生悉具有，顛倒妄想覆，眾生不知見。如來教眾生，修習八聖道，除滅一切障，究竟成菩提。

> 如来の心を知りたいならば、最勝の智慧を理解すべきである。 如来の智慧は無量であり、最勝の心もまた同じである。 十方の諸世界、一切の衆生の種類は、 すべて虚空に依っているが、虚空は何にも依らない。 一切の法界の中、衆生の様々な楽しみは、 方便や巧みな智慧の術によって、最勝の智慧に依って生じる。 一切の諸々の智慧は、すべて善逝の智慧に依っている。 如来の最勝の智慧は、静かにして何にも依らない。 声聞や縁覚の乗も、解脱の智慧の果も、 すべて法界から起こるが、法界に増減はない。 最勝の智慧もこのように、一切の智慧を生じることができ、 学ぶ智慧も学ばない智慧も、有る無しの智慧も明らかに達する。 善逝の無上の智慧は、一切の智慧を生み出す。 生まれるのでもなく、生まれないのでもなく、すべて増減がない。 たとえば大海の水が、すべての地を潤すように、 衆生の善い方便によって、水を求めれば得られないことはない。 大海も地も「私は衆生に水を与える」とは思わない。 大海に増減はなく、方便によって求めればすべて得られる。 十方の諸世界、一切の群生の種類は、 善逝の智慧の海によって、すべて潤される。 それぞれに方便に努め、諸々の法門を修習する。 すべての修行者は、速やかに智慧の光を得る。 たとえば娑伽羅竜王が、四つの妙なる宝珠を 深い宝蔵に密かに置き、衆生は見ることができない。 端厳で方正直で、常に大海に住み、 この四つの摩尼宝によって、すべての宝が生じる。 最勝の四種の智慧は、無量で測り知れず、 一切の衆生の、無量の諸々の智慧を生み出す。 大乗の蔵に安住し、無量の徳で荘厳されている。 授記を受けた菩薩を除いて、誰も見ることができない。 たとえば大海の中に、四つの摩尼宝がある。 その光と炎は非常に猛熱で、大海の水を消し去ることができる。 もしこの四つの宝がなければ、天地はすべて流されてしまう。 大海に増減はなく、四方の世界はすべて安住する。 如来の四種の智慧は、無量で測り知れず、 諸々の菩薩の不善の根の波を止めることができる。 一切の三つの世間、欲界・色界・無色界は、 我と我所を離れて、虚空に安住する。 善逝の智慧もまた同じで、一切の智慧の根本である。 声聞の学ぶ智慧も学ばない智慧も、諸々の縁覚の智慧も、 菩薩の普く衆生を饒益する無量の甚深の智慧も、 すべて如来の智慧に依っている。如来の智慧は何にも依らない。 たとえばあの雪山の頂上に、大薬王樹という木がある。 根から生まれるのでもなく、根から生まれないのでもない。 この薬王樹が生長する因縁によって、 閻浮提のすべての林が生じる。 あの樹の根が生まれる時、すべての樹の根が生まれ、 茎、枝、葉、花、実も、すべて同じである。 清らかで甚深な智慧は、如来の性の中に生まれ、 如来の智慧に依る因によって、修行の智慧が生まれる。 一切の菩薩の行、無量の諸々の功徳は、 如来の智慧の樹王が、平等の心地に生まれる。 たとえば劫が尽きる時、猛盛な大火災が起こる。 もし人が乾いた草を投げ入れても、なお焼き尽くせない。 善逝の清らかな智慧は、無量で限りがなく、 すべてを分別して知ることができる。三世の衆生の種類も、 またすべての劫、すべての諸仏の国土も、 このような無量の法を、如来はすべて了知する。 たとえば劫が尽きる時、風災が「壊散」という名で、 すべての大地、金剛や須弥山を壊すことができる。 国土の外に風が起こり、「障散壊」という名で、 もしこの風がなければ、十方はすべて滅びてしまう。 十力もまた同じで、智慧の風は無量であり、 すべての菩薩の諸々の煩悩を散滅することができる。 如来の方便の智慧は、諸々の菩薩を摂取し、 声聞や縁覚を超えて、如来の地に安住させる。 たとえば微塵の中に、一つの大きな経巻があり、 三千世界に等しいが、衆生の益にはならない。 その時、一人の人が世に現れて、 塵を破って経巻を取り出し、一切の世を利益する。 如来の智慧もこのように、衆生はすべて持っているが、 顕倒した妄想に覆われて、衆生は知り見ることができない。 如来は衆生を教え、八つの聖なる道を修習させ、 すべての障りを除滅し、究極的に菩提を成じさせる。

「佛子！云何菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺境界？此菩薩摩訶薩成就無量無邊無礙智慧，知一切眾生，是如來境界。一切世間、一切剎、一切法、一切眾生行，如如不壞境界、無礙法界境界、實際無際境界、無量虛空境界、非境界境界，是如來境界。佛子！一切眾生無量故，如來境界無量；一切世間無量故，如來境界無量；乃至非境界境界無量故，如來境界無量；非境界至一切處而無所至，如來境界亦復如是。

> 「仏子よ。菩薩摩ヒサタはどのようにして如来・応供・等正覚の境地を知り、見るのだろうか。この菩薩摩ヒサタは、限りなく広大で妨げのない智慧を成就し、あらゆる衆生が如来の境地であると知る。一切の世間、一切の国土、一切の法、一切の衆生の行い、あるがままに壊れることのない境地、障りのない法界の境地、実際を超えた際限のない境地、限りない虚空の境地、境ではない境地――これらすべてが如来の境地である。 仏子よ。一切の衆生が限りないゆえに、如来の境地も限りがない。一切の世間が限りないゆえに、如来の境地も限りがない。さらに、境ではない境地が限りないゆえに、如来の境地も限りがない。境ではない境地は、あらゆる場所に至りながら、どこにも至ることがない。如来の境地もまた、これと同じである。」

「佛子！菩薩摩訶薩知心境界是如來境界。如心境界無量故，如來境界無量。何以故？隨心無量，出生智慧亦復如是。

> 仏子よ、菩薩摩訶薩は、心のあり方そのものが如来の境地であると知る。心のあり方に限りがないように、如来の境地にも限りがない。なぜなら、心に限りがないのに従って、そこから生まれる智慧もまた限りがないからである。

「佛子！譬如大龍隨心降雨，雨不從內亦不從外；如來境界，亦復如是，隨心所念，於念念中出生無量不思議智。彼諸智慧，悉無來處。佛子！一切大海水皆從龍王心願所起；如來智海亦復如是，悉從大願力起。佛子！如來智海無量無邊，不可言說、不可思議。我說小諭，汝今諦聽：佛子！此閻浮提內流出二千五百河水，悉入大海。俱耶尼內流出五千河水，悉入大海。弗婆提內流出八千四百河水，悉入大海。欝單越內流出一萬河水，悉入大海。佛子！此四天下內如是二萬五千九百河水，悉入大海。佛子！於意云何此水多少？」

> 「仏子よ。たとえば、大龍王が心のままに雨を降らせる。その雨は、龍の内側から出るのでもなく、外側から来るのでもない。如来の境地もまた同じである。心に念じるままに、一念一念のうちに無量の計り知れない智慧が生まれる。それらの智慧は、いずれも来たところがないのである。仏子よ。すべての大海の水は、すべて龍王の心の願いによって生じる。如来の智慧の海もまた同じで、すべて大いなる願いの力によって生じるのである。仏子よ。如来の智慧の海は無量無辺であり、言葉で語ることもできず、思いはかることもできない。わたしは小さなたとえを語ろう。あなたは今、よく聞きなさい。仏子よ。この閻浮提（南の洲）の中から二千五百の河の水が流れ出て、すべて大海に入る。倶耶尼（西の洲）の中から五千の河の水が流れ出て、すべて大海に入る。弗婆提（東の洲）の中から八千四百の河の水が流れ出て、すべて大海に入る。鬱単越（北の洲）の中から一万の河の水が流れ出て、すべて大海に入る。仏子よ。この四つの天下の中から、このように二万五千九百の河の水が、すべて大海に入るのである。仏子よ。あなたはどう思うか。この水の量はどれほど多いだろうか。」

答言：「甚多。」

> 答え：「とても多い。」

「佛子！復有十光明龍王，雨大海中，悉過前水。百光明龍王，雨大海中，復悉過前。大莊嚴龍王，雨大海中，復悉過前。摩那斯龍王，雨大海中，復悉過前。大雷龍王，雨大海中，復悉過前。難陀跋難陀龍王，雨大海中，復悉過前。無量光明龍王，雨大海中，復悉過前。流注不斷龍王，雨大海中，復悉過前。大勝龍王，雨大海中，復悉過前。金剛光明龍王，雨大海中，復悉過前。佛子！如是等八十億龍王，各雨大海，展轉過前。娑伽羅龍王太子，名曰佛生，雨大海中，復悉過前。

> 仏の子よ、さらに十の光明龍王が大海に雨を降らせ、その水量は過ぎ去った水をすべて上回った。百の光明龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。大荘厳龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。摩那斯龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。大雷龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。難陀跋難陀龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。無量光明龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。流注不断龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。大勝龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。金剛光明龍王が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回った。 仏の子よ、このように八十億の龍王が、それぞれ大海に雨を降らせ、次々と過ぎたものを上回っていった。さらに、娑伽羅龍王の太子であり、その名を仏生という者が大海に雨を降らせ、これまたすべて過ぎたものを上回ったのである。

「佛子！彼十光明龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。百光明龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。大莊嚴龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。摩那斯龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。大雷龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。難陀跋難陀龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。無量光明龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。流注不斷龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。大勝龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。金剛光明龍王所住淵池，流入大海，復悉過前。如是等廣說，乃至娑伽羅龍王太子所住淵池，流入大海，復悉過前。佛子！如彼十龍王及八十億龍王，乃至娑伽羅龍王太子，雨大海中及其淵池，皆悉不及娑伽羅龍王所雨大海；娑伽羅龍王所住淵池，涌出流入大海倍復過前。彼涌流水青瑠璃色，盈滿大海，涌出有時。是故，海潮常不失時。佛子！如是大海，其水無量、珍寶無量、眾生無量、大地無量。佛子！於意云何彼大海水為無量不？」

> 「仏子よ！あの十光明龍王の住む淵（深い池）から海に流れ入る水は、さらにまたそれ以前のものをすべて超えていた。百光明龍王の淵から海に流れ入る水も、またそれを超えていた。大荘厳龍王の淵から海に流れ入る水も、同じく超えていた。摩那斯龍王の淵から海に流れ入る水も、同様であった。大雷龍王の淵から海に流れ入る水も、またそれを超えていた。難陀・跋難陀龍王の淵から海に流れ入る水も、同様に超えていた。無量光明龍王の淵から海に流れ入る水も、またそれを超えていた。流注不断龍王の淵から海に流れ入る水も、同様に超えていた。大勝龍王の淵から海に流れ入る水も、またそれを超えていた。金剛光明龍王の淵から海に流れ入る水も、また同様に超えていた。このように広く説けば、さらに娑伽羅龍王の太子が住む淵から海に流れ入る水に至るまで、すべてまたそれ以前のものを超えていた。 仏子よ！あの十龍王や八十億の龍王、さらには娑伽羅龍王の太子が海に降らせる雨やその淵の水は、すべて娑伽羅龍王が海に降らせる雨には及ばなかった。また、娑伽羅龍王の住む淵から湧き出でて海に流れ入る水は、さらにそれを倍以上に超えていた。その湧き出でる水は青瑠璃色で、海を満たし、その湧き出でには時があった。それゆえに、海の潮は常に時を失わないのである。 仏子よ！この大海のように、その水は無量であり、宝も無量、众生も無量、大地も無量である。 仏子よ！あなたはどう思うか。あの大海の水は無量ではないだろうか。」

答言：「實爾。其水深廣，不可為諭。」

> 答えていう。「その通りです。その水は深く広く、例えようもありません。」

「佛子！如是海水深廣無量，於如來無量智海，百分不及其一，乃至不可為譬；但隨所應化，為作譬諭。佛子！菩薩摩訶薩知、見如來智海，深廣無量。從初發心乃至不斷菩薩無量行故，知、見道品寶無量不斷三寶故，知、見無量眾生歡喜長養一切聲聞、學、無學及緣覺故，知、見大地無量從歡喜地乃至究竟無礙智地故。佛子！是為菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺境界，無量饒益一切眾生無量智慧故。」

> 「仏子よ、このように海の水は深く広く計り知れないが、如来の計り知れない智慧の海と比べれば、その百分の一にも及ばず、たとえをもって表すこともできない。ただ、教化すべき者に応じて、たとえを用いるに過ぎない。 仏子よ、菩薩摩訶薩は如来の智慧の海が深く広く計り知れないことを知り、見る。初めて発心した時から、菩薩の無量の行を絶やさないがゆえに、道の品々が無量であり、三宝を絶やさないがゆえに、それを知り、見る。無量の衆生を喜ばせ、すべての声聞、有学・無学、および縁覚を育むがゆえに、それを知り、見る。大地が無量であり、歓喜地から究竟無碍智地に至るがゆえに、それを知り、見る。 仏子よ、これが菩薩摩訶薩が如来・応供・等正覚の境界を知り、見る所以である。それは、無量の智慧によってすべての衆生を限りなく利益するからである。」

爾時，普賢菩薩欲重明此義，以偈頌曰：

> その時、普賢菩薩はこの意味を改めて明らかにしようと、偈（うた）をもって次のように述べられました。

「離垢淨境界，無量不可稱，殊勝願力故，一切無有量。譬如心境界，無量無有邊，一切諸十力，境界亦如是。譬如大龍王，不離於本處，以心願力故，其雨無有量。雨水無從來，亦無有去處，龍王願力故，隨心雨無量。一切十方剎，十力亦如是，本無所從來，去亦無所至。無量諸境界，悉從心緣起，一切諸法界，皆入一毛道。譬如大海水，無量無有邊，眾生及珍寶，大地亦無量。海水常湛然，皆悉同一味，隨眾生受用，其味各不同。最勝亦如是，智慧海無量，三寶最勝故，是故寶無量，聲聞學無學，辟支佛無量，具修無上道，故說地無量。

> 「煩悩を離れた清らかな境地は、量り知れず、言葉にできません。 優れた誓いの力によって、そのすべてに限量がないのです。 たとえば心の働きに限りがなく、広がりに果てがないように、 すべての如来さまの境地もまた、それと同じです。 たとえば偉大な龍王が、その場を離れずにいながら、 心と誓いの力によって、限りない雨を降らせるように、 雨の雫はどこから来たわけでもなく、去る場所もありません。 龍王の誓いの力によって、心のままに雨が無限に降るのです。 世界中のあらゆる仏の国々も、如来さまも同じこと、 もともと来た場所がどこかにあるわけではなく、去る場所もありません。 さまざまな無限の境地は、すべて心のよる縁から生まれます。 あらゆるすべての世界は、一本の毛先の中に収まります。 たとえば大海の水には限りがなく、果てしないように、 そこに住む生き物や宝、大地もまた無限です。 海水は常に清らかに、すべてが同じ一つの味わいですが、 生き物が受けるのに応じて、その味わいはそれぞれ異なります。 最勝なる如来さまも同じく、智慧の海は無限であります。 三つの宝が最もすぐれているゆえに、その宝も無限。 声聞や学のある者・ない者、独覚も限りなく、 もっとも優れた道を完全に修めるゆえに、その境地も無限と説かれています。」

「佛子！云何菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺行？此菩薩摩訶薩知、見如來無礙行、如如行，是如來行如如，過去不滅，未來不至，現在不起，如來行亦如是，不滅、不至、不起。佛子！譬如法界無量無縛。何以故？法界無身故。如來行亦如是，無量無縛。何以故？如來行無身故。佛子！譬如鳥飛虛空，經百千年所遊行處不可度量；未遊行處亦不可量。何以故？虛空無分齊故。如來、應供、等正覺行亦復如是，若使有人於百千億那由他劫，分別解說如來之行；已解說者不可限量，未解說者亦不可量。何以故？如來行無分齊故。佛子！如來、應供、等正覺，住如來住，無所住故；而能普為一切眾生，示現開導如來之行，眾生見已出過一切諸障礙道。佛子！譬如金翅鳥王，飛行虛空，安住虛空，以清淨眼觀察大海龍王宮殿，奮勇猛力，以左右翅博開海水，悉令兩闢，知龍男女有命盡者，而撮取之。如來、應供、等正覺金翅鳥王亦復如是，安住無礙虛空之中，以清淨眼觀察法界諸宮殿中一切眾生，若有善根已成熟者，奮勇猛十力、止觀兩翅，博開生死大愛海水，隨其所應出生死海，除滅一切妄想顛倒，安立如來無礙之行。

> 「仏子よ。菩薩摩訶薩はどのようにして如来・応供・等正覚の行を知り、見るのか。この菩薩摩訶薩は、如来の障りのない行、如如（あるがまま）の行を知り、見る。如来の行は、過去は滅せず、未来は至らず、現在は起こらない。如来の行もまた同様に、滅せず、至らず、起こらないのである。 仏子よ。たとえば、法界は限りがなく、束縛もない。なぜか。法界には実体がないからである。如来の行もまた同様に、限りがなく、束縛もない。なぜか。如来の行には実体がないからである。 仏子よ。たとえば、鳥が虚空を飛び、百千年の間に行き来した場所も計り知れず、まだ行き来していない場所も計り知れない。なぜか。虚空には区切りがないからである。如来・応供・等正覚の行もまた同じである。たとえ人が百千億那由他（なゆた）の劫（こう）の間、如来の行をそれぞれ説き明かそうとしても、すでに説き明かした部分も計り知れず、まだ説き明かしていない部分も計り知れない。なぜか。如来の行には区切りがないからである。 仏子よ。如来・応供・等正覚は、如来の住まいに住みながら、どこにも住まないのである。それでいて、すべての衆生のために、如来の行を広く示し、導き明かす。衆生はそれを見て、すべての障りや妨げの道を超え出る。 仏子よ。たとえば、金翅鳥王（こんじちょうおう）は虚空を飛び、虚空に安住し、清らかな眼で大海の竜王の宮殿を観察する。そして勇猛な力をもって、左右の翼で海水を打ち分け、すべてを二つに開く。そして命の尽きようとする竜の男女を知って、それらをつかみ取る。如来・応供・等正覚の金翅鳥王もまた同じである。障りのない虚空の中に安住し、清らかな眼で法界の諸々の宮殿の中のすべての衆生を観察する。善根がすでに成熟した者があれば、勇猛な十力（じゅうりき）と止観（しがん）の両翼を奮い起こし、生死の大きな愛欲の海を打ち分け、その者の機根に応じて生死の海から救い出し、すべての妄想や顛倒（ひっくり返った見方）を除き滅ぼし、如来の障りのない行に安立（あんりゅう）させるのである。」

「佛子！譬如日月周行虛空，不作是念：『我行虛空從何所來？去至何所？』如來亦復如是，周行無礙解脫虛空，分別一切法界，饒益一切眾生，廣作佛事，如來不作是念：『我有去來。』佛子！菩薩摩訶薩以如是等無量無邊勝行，知、見如來、應供、等正覺行。」

> 「仏子よ。たとえば、太陽と月が虚空を巡り行くとき、『私は虚空を巡って、どこから来たのか。どこへ行くのか』とは思わないでしょう。如来もまた同じように、障りのない解脱の虚空を巡り行き、すべての法界を分別し、すべての衆生を益し、広く仏事を行じても、如来は『私に来たり去りがある』とは思いません。仏子よ。菩薩摩訶薩は、このような無量無辺の優れた行によって、如来・応供・等正覚の行を知り、見るのです。」

爾時，普賢菩薩欲重明此義，以偈頌曰：

> その時、普賢菩薩はこの意味を改めて明らかにしようと、偈（うた）をもって次のように述べられました。

「譬如如無盡，無生亦無滅，亦無有方處，求之不可見。如來亦如是，境界不可量，遠離於三世，其性悉如如。譬如諸法界，非界非不界，非有亦非無，非量非無量。功德持如是，所行不可量，非有亦非無，其身本無故。如鳥飛虛空，經由百千年，行處未行處，皆悉不可量。若人百千劫，演說如來行，已說及未說，皆悉不可量。譬如金翅鳥，安住於虛空，觀察龍王宮，撮取其男女。十力亦如是，安住如來行，善根純熟者，令出煩惱海。譬如淨日月，周行於虛空，安樂一切眾，不念我能爾。如來亦如是，遊行諸法界，度脫一切眾，不念我能度。

> たとえば「無尽」のように、<row>生じることも滅することもなく、</row><row>また場所もなく、求めども見えない。</row><row>如来もまた同じく、その境涯は計り知れず、</row><row>三世を離れ、その性質はすべて「如如」である。</row><row>たとえば諸法の界（境界）は、界ともいえず非界ともいえず、</row><row>有ともなく無ともなく、量ともいえず無量ともいえない。</row><row>功徳を保つ如来もまた同じく、その行いは計り知れず、</row><row>有ともなく無ともなく、その身はもともとないからである。</row><row>鳥が虚空を飛ぶように、百年千年を経ても、</row><row>通ったところも通らなかったところも、すべて計り知れない。</row><row>たとえ人が百千劫（長い時間）をかけて如来の行いを説いても、</row><row>すでに説いたことと未だ説かないこと、すべて計り知れない。</row><row>たとえば金翅鳥（ガルーダ）が虚空にとどまり、</row><row>竜王の宮殿を見渡し、その子らを捕らえるように。</row><row>十力（如来の十の智慧）もまた同じく、如来の行いにとどまり、</row><row>善根が成熟した者を、煩悩の海から出させてくださる。</row><row>たとえば清らかな日月が虚空を巡り、</row><row>すべての者を安楽にしつつも「私がそうしている」と思わないように。</row><row>如来もまた同じく、諸法の界を遊行し、</row><row>すべての者を救いながら、「私が救っている」とは思われない。</row>

「佛子！云何菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺菩提？此菩薩摩訶薩知、見菩提，解一切義，滅除疑惑，不二等覺，無相、無行、無退、無量、無邊、無縛、無脫，遠離二邊知處非處；知一切字一切語言法，知一切眾生心心所行，知一切根煩惱習性，於一念中悉知三世一切諸法。佛子！譬如大海為一切眾生色像之印，是故大海說名為印；如來、應供、等正覺菩提亦復如是，一切眾生心念諸根，現菩提中，而無所現，故說如來為一切覺。

> 「仏子よ、菩薩摩ヒサッタはどのようにして如来・応供・等正覚の悟りを知り、見るのでしょうか。 この菩薩摩ヒサッタは、悟りを知り見ることで、あらゆる意味を了解し、疑惑を滅し、差別のない平等の覚りを得て、相もなく、行もなく、退くことなく、量もなく、辺もなく、束縛もなく、解脱もなく、両端を離れて、道理と非道理を知ります。あるべきところとあらざるところを知るのです。 また、あらゆる文字や言葉の法を知り、あらゆる衆生の心と心のはたらきを知り、あらゆる根機や煩悩の性質を知り、一つの心の中で三世のすべての法をことごとく知ります。 仏子よ、たとえば大海がすべての衆生の姿かたちを映し出す鏡のようなものであることから、大海は「印」と呼ばれます。 如来・応供・等正覚の悟りもまた同じです。すべての衆生の心や思い、さまざまな根機が悟りの中に現れますが、それでいて何かを現しているわけではありません。そのために如来は「一切覚」と呼ばれるのです。」

「佛子！一切諸佛菩提，一切文字所不能記，一切語言所不能說，不可為譬，但隨所應如來為之分別演說。佛子！如來、應供、等正覺成菩提時，住佛方便，得一切眾生等身；得一切法等身；得一切剎等身；得一切三世等身；得一切如來等身；得一切諸佛等身；得一切語言等身；得一切法界等身；得虛空界等身；得無礙法界等身；得出生無量界等身；得一切行界等身；得寂滅涅槃界等身。佛子！隨如來所得身，當知音聲及無礙心亦復如是，如來具足如是等三種清淨無量。佛子！如來身中，悉見一切眾生發菩提心，修菩薩行，成等正覺，乃至見一切眾生寂滅涅槃，亦復如是，皆悉一性。以無性故；無相、無盡、無生、無滅故；我、非我性故；眾生、非眾生性故；覺、無所覺故；法界無自性故；虛空界無自性故；如是等覺一切無性無盡智、自然智，一切如來無極大悲度脫眾生。

> 「佛子よ。一切の諸仏の菩提は、あらゆる文字では記しきれず、あらゆる言葉では説き尽くせず、たとえをもってすることもできません。ただ、その時々の相手に応じて、如来が分別して説き明かすのです。 佛子よ。如来・応供・等正覚が菩提を成就された時、仏の方便に住し、一切の衆生と等しい身を得、一切の法と等しい身を得、一切の世界と等しい身を得、一切の三世と等しい身を得、一切の如来と等しい身を得、一切の諸仏と等しい身を得、一切の言葉と等しい身を得、一切の法界と等しい身を得、虚空界と等しい身を得、碍りなき法界と等しい身を得、無量の世界を生み出すことと等しい身を得、一切の行の世界と等しい身を得、寂滅涅槃の世界と等しい身を得るのです。 佛子よ。如来が得られた身について知るならば、その音声や碍りなき心もまた同様であると知るべきです。如来はこのような三種の清らかな無量の徳を備えておられるのです。 佛子よ。如来の身の中には、一切の衆生が菩提心を発し、菩薩行を修し、等正覚を成就し、ついには一切の衆生が寂滅涅槃に入る様までもが、すべて見えます。それらはすべて同じ一つの性質なのです。なぜなら、それらには性質がないからです。相がなく、尽きることがなく、生まれず、滅しないからです。我というものがない性質であり、衆生というものがない性質であり、悟りも悟られるものもなく、法界に自性がなく、虚空界にも自性がないからです。 このように、すべては性質がないと覚る無尽の智慧、自然の智慧によって、一切の如来は限りない大悲をもって衆生を救い度すのです。」

「佛子！譬如虛空界，世界若成、若敗，常無增減。何以故？虛空無生滅故。如來、應供、等正覺菩提，若成、未成，常無增減，一性無性，捨離眾性。

> 「仏子よ、たとえば虚空界は、世界が成立しようが壊れようが、常に増えることも減ることもありません。なぜか？虚空には生も滅もないからです。如来、応供、等正覚の菩提も、成就していようと未だ成就していなかろうと、常に増えも減りもせず、一つの性質であり、性質のない性質であり、あらゆる性質から離れているのです。」

「佛子！設有一人出興於世，彼能化作恒沙等心。彼一一心，悉能化作恒沙如來，無色、無形，如是恒沙等劫，常化不絕。於意云何？彼化如來寧為多不？」

> 「仏の子よ。たとえ一人の人がこの世に現れて、その人がガンジス川の砂の数ほどの心を生み出せたとしよう。その一つひとつの心が、さらにガンジス川の砂の数ほどの如来を形なく、色なく生み出し、それと同じく果てしない長きにわたって絶え間なく生み出し続けたとしても、あなたはどう思うか。そのようにして生み出された如来の数は、多いと言えるだろうか。」

答曰：「我知仁意，若化、不化，等無有異。」

> 答えました。「私はあなたのお考えがわかります。教化する場合も、教化しない場合も、等しく異なることはありません。」

「善哉！善哉！佛子！誠如所言。佛子！設使一切眾生於一念中，悉成正覺，若成、未成，皆悉平等。何以故？菩提無性故。無增無減，如來菩提皆悉一性，所謂：無性。佛子！是為菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺菩提。佛子！如來、應供、等正覺，成正覺已，正受三昧，名曰善覺。正受三昧已，得菩提身數，與一切眾生身等。如一三昧，一切三昧、一切法門，亦復如是。佛子！是為菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺菩提身。

> 「素晴らしい、素晴らしい！仏の子よ、まさにその通りです。仏の子よ、たとえ一切の衆生が一瞬の思いの中で全て悟りを開き、悟りを開いた者も、まだ開かない者も、すべてが平等であるとしても、それはなぜか？悟りには本質的な性質がないからです。増えることも減ることもなく、如来の悟りはすべて一つの性質、すなわち「無性」なのです。仏の子よ、これこそが菩薩大士が如来・応供・等正覚の悟りを知り、見ることなのです。仏の子よ、如来・応供・等正覚は悟りを開かれた後、正しく「善覚」という三昧に入られました。その三昧に入られてから、悟りの身の数がすべての衆生の身の数と同じになるのを得られました。一つの三昧がそうであるように、すべての三昧や全ての法門もまた同じです。仏の子よ、これこそが菩薩大士が如来・応供・等正覚の悟りの身を知り、見ることなのです。」

「復次，佛子！菩薩摩訶薩於一毛道，悉知一切眾生等如來之身；如一毛道，一切毛道、一切法界處亦復如是。何以故？如來菩提身，無處不至、無處不有故。如來、應供、等正覺本求菩提，勤修精進，往詣道場菩提樹下，處師子座，成最正覺，究竟菩提。

> 「さらに、仏子よ。菩薩摩さつは、一本の毛の道において、すべての衆生が如来の身と等しいことを完全に知るのです。一本の毛の道におけるように、すべての毛の道、すべての法界の場所においても、また同じです。なぜでしょうか？如来の菩提の身は、至らない場所がなく、存在しない場所がないからです。如来、応供、正等覚者は、もともと菩提を求め、熱心に精進し、菩提樹下の道場に赴き、師子座に座り、最上の正覚を成就し、菩提を究め尽くされました。」

「復次，佛子！此菩薩摩訶薩自知身中悉有一切諸佛菩提。何以故？彼菩薩心不離一切如來菩提故。如自心中，一切眾生心中，亦復如是，無量無邊，無處不有，不可破壞，不可思議。佛子！菩薩摩訶薩以如是等無量無邊不可思議方便法門，知、見如來、應供、等正覺菩提。」

> 「さらに、仏子よ。この菩薩摩訶薩は、自らの身の中に、すべての諸仏の悟りが完全にそなわっていることを自ら知る。なぜか。その菩薩の心は、一切の如来の悟りを離れていないからである。自分の心の中にそうであるように、すべての衆生の心の中にもまた、同じように、無量無辺に、どこにでも存在し、壊れることなく、思いはかることもできないのである。 仏子よ。菩薩摩訶薩は、このような無量無辺で思いはかることのできない巧みな教えの数々によって、如来・応供・等正覚の悟りを知り、見るのである。」

爾時，普賢菩薩欲重明此義，以偈頌曰：

> その時、普賢菩薩はこの意味を改めて明らかにしようと、偈（うた）をもって次のように述べられました。

「菩提非二法，遠離於二邊，除滅一切惡，平等覺諸法。了達一切法，皆悉如虛空，非我非無我，等覺一切法。譬如諸大海，一切眾生類，色像悉顯現，故說一切印。十方世界中，一切眾生類，無上菩提海，無法而不現。譬如虛空性，世界成壞時，若成若未成，虛空無增減。最勝亦如是，無上菩提道，若覺若未覺，一性亦無性。譬如無量劫，念念化諸佛，若化若不化，皆悉等無異。設一切眾生，一時成正覺，若成若未成，菩提無增減。最勝有三昧，名曰為善覺，道場成菩提，逮得此三昧。普放無量光，一切眾生等，除滅一切闇，開悟諸群生。三世一切劫，佛剎及諸法，諸根心心法，一切虛妄法。於一佛身中，此法皆悉現，是故說菩提，無量無有邊。

> 菩提は二つの法ではなく、二つの極端から離れている。 あらゆる悪を滅し、すべての法を平等に悟る。 すべての法を了達し、すべては虚空の如く、 我もなく、無我もなく、すべての法を等しく覚る。 たとえば大海に、あらゆる衆生の姿が、 すべて映し出されるが如く、ゆえに一切の印と説く。 十方の世界の、すべての衆生たちは、 無上の菩提の海に、一切の法が現れないことはない。 たとえば虚空の性は、世界が成り壊れる時、 成るも成らざるも、虚空に増減はない。 最勝もまた同じ、無上の菩提の道は、 覚るも覚らざるも、一つの性質も無性質である。 たとえば無量の劫に、念念に諸仏を化現し、 化するも化せざるも、すべて等しく異ならない。 もし一切の衆生が、一時に正覚を成じても、 成じるも成じざるも、菩提に増減はない。 最勝には三昧があり、その名を善覚という。 道場に菩提を成じ、この三昧を得る。 無量の光を普く放ち、一切の衆生らに、 すべての闇を除き、諸々の衆生を開悟させる。 三世のすべての劫、仏の国や諸法、 諸根、心と心の法、すべての虚妄の法も。 一つの仏の身の内に、これらの法がすべて現れる。 ゆえに菩提は無量で、辺際がないと説く。

「佛子！云何菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺轉法輪？此菩薩摩訶薩知、見如來一切願、一切法，轉無所轉，本無所起，三轉圓滿，皆悉清淨，悉能遠離一切邪見，離欲際非際。一切諸法，如虛空際不可言說，一切法寂滅涅槃性故；菩薩摩訶薩知、見一切文字，一切語言法，悉轉法輪，如來音聲無所不至故；知、見法輪如響，真實法性故；知、見一切音聲皆是一聲，如來以此而轉法輪，佛轉法輪無有主故；知、見轉法輪無漏無盡，內外無所有故。

> 「仏の子よ。菩薩摩訶薩は、どのようにして如来・応供・等正覚の法輪を転じることを知り、見るのか。 この菩薩摩訶薩は、如来のあらゆる願いとあらゆる法が、本来転ずるものがないこと、もとより起こることがないこと、三転が円満であり、すべて清らかであり、あらゆる邪見から遠く離れ、欲望の領域とそうでない領域を超えていることを知り、見る。 すべての法は虚空の領域のごとく言葉で表せず、すべての法は寂滅・涅槃の性質を持つからである。 菩薩摩訶薩は、あらゆる文字や言語の法が、すべて法輪を転じていることを知り、見る。如来の音声は、至らないところがないからである。 法輪がこだまのごときものであることを知り、見る。真実の法性によるからである。 あらゆる音声がただ一つの音声であり、如来はそれによって法輪を転じることを知り、見る。仏が法輪を転じることに主体がないからである。 法輪が無漏であり尽きることがなく、内外に何も所有するものがないことを知り、見る。」

「佛子！譬如文字，於無量無數劫說不可盡；如來、應供、等正覺轉正法輪，亦復如是，一切文字，一切語言，說不可盡。如來法輪悉入一切語言、文字而無所住。佛子！譬如字章，悉入一切字數、一切事數、一切語言數、一切算數、一切世間、出世間而無所住。如來音聲亦復如是，於一切處，無所不入，於一切眾生、一切法、一切業、一切報、一切心，亦無所住。一切眾生諸語言法，皆為法輪音聲所攝。何以故？一切音聲不離法輪音聲故。

> 佛子よ。たとえば文字というものは、無量無数の劫（長い時間）を経ても語り尽くすことができない。如来・応供・等正覚が正しい法の輪を回すのもまた同じである。すべての文字、すべての言葉をもってしても語り尽くせない。如来の法輪は、すべての言語や文字の中に入り込みながらも、どこにも留まることがない。 佛子よ。たとえば文字の章（まとまり）は、すべての文字の数、すべての事柄の数、すべての言語の数、すべての計算の数、すべての世間や出世間のものに入り込みながらも、どこにも留まることがない。如来の音声もまた同じである。あらゆる場所に入り込み、すべての生きとし生けるもの、すべての法則、すべての行い、すべての報い、すべての心にも、留まることはない。すべての生きとし生けるものの言葉や表現は、すべて法輪の音声に含まれている。なぜなら、すべての音声は法輪の音声から離れることがないからである。

「復次，佛子！此菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺出生法門轉法輪。何等為如來出生法門轉法輪？如來以一切眾生念念心心行等音聲，為一切眾生而轉法輪。何以故？佛子！如來、應供、等正覺有三昧，名曰究竟無礙無畏，如來正受三昧，而轉法輪。如來入此三昧已，出生一切眾生等音，於一一音中，復生一切眾生等音，而轉法輪，悉令眾生皆大歡喜。佛子！若如是知轉法輪者，當知是人，則為隨順一切佛家，不如是知，則不隨順諸如來家。佛子！是為菩薩摩訶薩知、見如來、應供、等正覺轉法輪。」

> さらに、仏子よ。この菩薩摩訶薩は、如来・応供・正等覚が、教えを生み出す門として法輪を転じることを知り、見る。では、如来が教えを生み出す門として法輪を転じるとは、どのようなものか。如来は、あらゆる衆生の瞬間瞬間の心の働きや行いの音声を用いて、すべての衆生のために法輪を転じるのである。なぜなら、仏子よ。如来・応供・正等覚には「究竟無碍無畏」という三昧がある。如来はこの正受の三昧によって法輪を転じるのだ。如来がこの三昧に入ると、すべての衆生の声が生じ、その一つひとつの声からさらにあらゆる衆生の声が生まれ、その声によって法輪を転じ、すべての衆生を大いに喜ばせるのである。仏子よ、このように法輪が転じられることを知る者こそ、一切の仏の家に随順する者である。これを知らなければ、諸々の如来の家に随順することはない。仏子よ、これが菩薩摩訶薩が如来・応供・正等覚の法輪が転じられることを知り、見るということである。

爾時，普賢菩薩欲重明此義，以偈頌曰：

> その時、普賢菩薩はこの意味を改めて明らかにしようと、偈（うた）をもって次のように述べられました。

「如來轉法輪，三世無不至，所轉無所轉，求之不可得。譬如諸文字，說之不可盡，十力亦如是，轉法輪無盡。譬如章文字，悉入一切數，所入無所入，法輪亦如是。普入一切音，所入無所入，彼亦無自性，能令一切喜。出過一切數，究竟成菩提，欲說真實義，是故入三昧。以彼三昧力，出生妙音聲，悉與眾生等，而轉正法輪。又復悉於彼，一一諸音聲，出生無量音，眾生語言法。大自在無念，我出彼眾音，隨其受化者，一切無不聞。譬如諸文字，不內亦不外，無漏不可盡，亦復無積聚。十力亦如是，轉清淨法輪，無漏不可盡，諸佛大神力。

> 如来の法輪は、 過去・現在・未来の三世に至らない所はありません。 しかし、その回転する法輪は実体がなく、 求めても得ることはできません。 たとえば、文字には限りがなく 語り尽くすことができないのと同じように、 十力（如来の十種の知恵）もまた、 法輪を尽きることなく回し続けます。 また、文字がすべての数（概念）に含まれながら、 「含まれる」ということも実体がないように、 法輪もまた同じです。 あらゆる音声に遍く入りながら、 「入る」ということも実体がなく、 それ自体に固有の性質はありません。 しかし、その音声はすべての者を喜ばせる力を持ちます。 すべての数を超え、完全に悟りを成就した 如来が、真実の意味を説こうとして、 そのために三昧（深い瞑想）に入ります。 その三昧の力によって、 素晴らしい音声が生まれ出て、 すべての生きとし生けるものと共に 正しい法輪を回し続けます。 さらに、その一つひとつの音声から 無量の音が生まれ、 すべての衆生の言葉となり現れます。 大いなる自在を持ち、思惟のない如来が それらの音声を生み出します。 教えを受けるべき人々に応じて、 すべてが漏れなく聞こえるのです。 たとえば、文字は内にも外にもなく、 漏れがなく、尽きることもなく、 また蓄積されることもありません。 十力（如来の智慧）もまた同じく、 清らかな法輪を回します。 それは漏れがなく、尽きることがない―― これが諸仏の大いなる神力なのです。

## 大方廣佛華嚴經卷第三十五

> 大方広仏華厳経 第三十五巻