御製大乘妙法蓮華經序
御製大乗妙法蓮華経序
昔如來於耆闍崛山中,與大阿羅漢阿若憍陳如、摩訶迦葉無量等眾,演說大乘真經,名無量義。是時天雨寶華布濩充滿,慧光現瑞洞燭幽顯,普佛世界六種震動,一切人天得未曾有,咸皆歡喜讚歎,以為是經乃諸佛如來祕密之藏,神妙叵測,廣大難名,所以拔滯溺之沈流,拯昏迷之失性,功德弘遠莫可涯涘。泝求其源,肇彼竺乾流於震旦,爰自西晉沙門竺法護者初加翻譯,名曰正法華;暨東晉龜茲三藏法師鳩摩羅什重翻,名曰妙法蓮華;至隋天竺沙門闍那笈多所翻者,亦名妙法。雖三經文理重沓互陳,而惟三藏法師獨得其旨。第歷世既遠不無訛謬,匪資刊正漸致多疑,用是特加讐校,仍命鏤梓以廣其傳。
昔、如来は耆闍崛山の中に在りて、大阿羅漢阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ)、摩訶迦葉(まかかしょう)等、無量の衆とともに、大乗真経を演説し、名づけて無量義と曰う。是の時に天、宝華を雨らして布濩(ふかく)に充ち満ち、慧光現瑞して幽顕を洞燭し、普く仏世界に六種震動し、一切の人天、未曾有を得て、咸に皆歓喜し、讃歎して、是の経は乃ち諸仏如来の秘密の蔵にして、神妙測るべからず、広大名づけ難しと為す。以て滞溺の沈流を抜き、昏迷の失性を拯う。功徳弘遠にして涯涘を可とすべからず。其の源を泝(さかのぼ)り求めれば、肇(はじめ)に彼の竺乾(じくけん)に発して震旦(しんたん)に流る。爰(ここ)に西晋の沙門竺法護(じくほうご)に始めて加え訳し、名づけて正法華と曰う。東晋の亀茲(きじ)の三蔵法師鳩摩羅什(くまらじゅう)に至りて重ねて翻し、名づけて妙法蓮華と曰う。隋の天竺沙門闍那笈多(じゃなきゅうた)の翻する所に至りても、亦た妙法と名づく。三経の文理、重沓(ちょうとう)として互いに陳ぶと雖も、惟(ただ)三蔵法師のみ独り其の旨を得たり。第(ただ)に歴世既に遠くして訛謬無からず、資(よ)りて刊正せざれば、漸く多疑に致らん。用(も)って是を以て特(こと)に讐校(しゅうこう)を加え、仍(よ)って鏤梓(るし)を命じて以て其の伝を広む。
嗚呼!如來愍諸眾生有種種性、種種欲、種種行、種種憶想分別,歷劫纏繞無有出期,乃為此大事因緣現世,敷暢妙旨,作殊勝方便,俾皆得度脫超登正覺,此誠濟海之津梁而燭幽之慧炬也。善男子、善女人,一切眾生,能秉心至誠持誦佩服頂禮供養,即離一切苦惱,除一切業障,解一切生死之厄。不啻如飢之得食,如渴之得飲,如寒之得火,如熱之得涼,如貧之得寶,如病之得醫,如子之得母,如渡之得舟,其為快適欣慰,有不可言。
ああ!如来は、諸々の衆生が種々の性、種々の欲、種々の行、種々の憶想分別を持ち、永劫にわたり纏縛され出離の期なきを哀れみ、この大事因縁のために世に現れ、妙旨を敷き暢げ、殊勝なる方便を為し、皆ことごとく度脱せしめ、正覚に超登せしめんとされた。これはまさに苦海の津梁であり、幽暗を照らす慧炬である。善男子、善女人よ、一切衆生、心を至誠に秉り、持誦し、佩服し、頂礼供養すれば、すなわち一切の苦悩を離れ、一切の業障を除き、一切の生死の厄を解く。それは飢えたる者の食を得、渇いたる者の飲を得、寒き者の火を得、熱き者の涼を得、貧しき者の宝を得、病める者の医を得、子の母を得、渡る者の舟を得るが如く、その快適欣慰たる、言うべからざるものがある。
噫!道非經無以寓,法非經無以傳。緣經以求法,緣法以悟道,方識是經之旨清淨微妙第一希有。遵之者則身臻康泰,諸種善根圓滿具足,如蓮華出水不染淤泥,即得五蘊皆空、六根清淨,遄躋上善以成於正覺者不難矣。苟或沈迷膠固,甘心墮落絕滅善根,則身罹苦趣,輪回於生死之域者,其有紀極哉?雖然善惡兩途由人所趨,為善獲吉,為惡獲凶,幽明果報不爽錙銖。觀於是經者,尚戒之哉!尚勉之哉!
ああ!道は経によらなければ宿るところなく、法は経によらなければ伝わることがない。経によって法を求め、法によって道を悟り、はじめてこの経の趣旨が清浄微妙で第一希有なることを識るのである。これに従う者は、身に康泰を至らしめ、諸々の善根円満具足し、蓮華が泥水を染めずに咲き出づるがごとく、すなわち五蘊皆空・六根清浄を得て、速やかに上善に至り正覚を成ずることは難からざるであろう。もしも沈迷膠固にして、甘んじて堕落し善根を絶滅せんか、則ち身は苦趣に罹り、生死の域に輪廻する者、その極みあらんや?しかれども、善悪両途は人の趨くところによる。善をなせば吉を獲、悪をなせば凶を獲る。幽明の果報は錙銖も違わず。この経を観る者、なお戒めよ!なお努めよ!
永樂十八年四月十七日
永楽十八年四月十七日