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title: "中阿含經 · 20 波羅牢經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （二〇）中阿含業相應品波羅牢經第十初一日誦

> 中阿含経 業相応品 波羅牢経 第十

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊拘麗瘦，與大比丘眾俱，往至北村，住北村北尸攝惒林中。

> ある時、お釈迦様はクル地方を巡り、多くの比丘たちと共に北の村へと向かわれました。そして、その村の北にあるシシャパ林にお住まいになりました。

爾時，波羅牢伽彌尼聞沙門瞿曇釋種子，捨釋宗族，出家學道，遊拘麗瘦，與大比丘眾俱，至此北村，住北村北尸攝惒林中。彼沙門瞿曇有大名稱，周聞十方，沙門瞿曇如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐。彼於此世，天及魔、梵、沙門、梵志，從人至天，自知自覺，自作證成就遊，彼若說法，初善、中善、竟亦善，有義有文，具足清淨，顯現梵行。若見如來、無所著、等正覺，尊重禮拜，供養承事者，快得善利。彼作是念：「我應往見沙門瞿曇！禮事供養。」

> その時、波羅牢伽彌尼は聞いた。沙門瞿曇という釈迦族の者が、一族を捨て出家して修行し、拘麗の地を巡り、大勢の比丘たちと共に、この北の村に来て、村の北にある尸攝惒の森に滞在していると。その沙門瞿曇は広く名声が高く、世に知れ渡っている。沙門瞿曇は如来であり、執着なく、正しく覚り、明らかな行いを完成し、善く逝き、世間を理解し、無上の士であり、道と法を統べ、天と人の師であり、仏と尊ばれる方である。彼はこの世において、天や魔、梵天、沙門、梵志たち、人から天に至るまで、自ら知り自ら覚り、自ら証し得て自在に遊行している。彼が説く法は、初めも善く、中も善く、終わりも善く、意義と表現に満ち、清らかで完全に梵行を明らかに示している。もし如来、執着なく、正しく覚った方に会い、敬い礼拝し、供養し仕えるならば、速やかに善い利益を得られるだろう。彼はこう思った。「私は沙門瞿曇のもとを訪れ、礼拝し供養しよう。」

波羅牢伽彌尼聞已，從北村出，北行至尸攝惒林，欲見世尊禮事供養。波羅牢伽彌尼遙見世尊在林樹間，端正姝好，猶星中月，光曜暐曄，晃若金山，相好具足，威神巍巍，諸根寂定，無有蔽礙，成就調御，息心靜默。波羅牢伽彌尼遙見佛已，前至佛所，共相問訊，却坐一面，白世尊曰：「我聞沙門瞿曇知幻是幻，瞿曇！若如是說，沙門瞿曇知幻是幻，彼不謗毀沙門瞿曇耶？彼說真實耶？彼說是法耶？彼說法如法耶？於如法無過、無難詰耶？」

> 波羅牢伽彌尼はこれを聞き、北の村を出て、北へ向かい尸攝惒林に至り、世尊にお目にかかり礼拝供養しようとしました。波羅牢伽彌尼は遠くから世尊が林の木々の間にいらっしゃるのを見ました。そのお姿は端正で美しく、まるで星々の中に輝く月のようであり、光り輝き煌めいて、黄金の山のように明るく、相好は完備し、威厳は高く、諸根は静かに定まり、何の妨げもなく、調御を成就し、心は穏やかで静寂に満ちていました。 波羅牢伽彌尼は遠くから仏を見て、仏のもとへ進み出て、互いに挨拶を交わし、一隅に座ると、世尊に申し上げました。「私は沙門瞿曇が幻を知り、幻であると説くと聞きました。瞿曇よ、もしそのように説くならば、沙門瞿曇は幻を知り幻であると説くというその人は、沙門瞿曇を謗らずにいるでしょうか？その人は真実を説いているでしょうか？その人は正法を説いているでしょうか？その人は法に従って法を説いているでしょうか？法に従っており、過ちがなく、難詰されるべき点はないでしょうか？」

世尊答曰：「伽彌尼！若如是說，沙門瞿曇知幻是幻，彼不謗毀沙門瞿曇！彼說真實，彼說是法，彼說法如法，於法無過，亦無難詰。所以者何？伽彌尼！我知彼幻，我自非幻。」

> 世尊は答えられました。「ガーミニよ、もしこのように言うならば、『沙門ゴータマは幻を知り、幻そのものではない』と。それは沙門ゴータマを誹謗することにはなりません。その言葉は真実であり、正しい教えであり、法にかなった言葉です。その言葉には過ちもなく、反論の余地もありません。なぜなら、ガーミニよ、私は幻を知っているが、私自身は幻ではないからです。」

波羅牢說曰：「彼沙門、梵志所說真實，而我不信彼說沙門瞿曇知幻是幻。」

> 波羅牢は言いました。「あの沙門や梵志が語ることは真実かもしれませんが、私は彼らの言うことを信じません。沙門瞿曇は幻を幻と知っているというのです。」

世尊告曰：「伽彌尼！若知幻者，即是幻耶？」

> 世尊はお答えになりました。「ガーミニよ、幻を知る者が、そのまま幻であると言えるでしょうか？」

波羅牢白曰：「如是。世尊！如是。善逝！」

> 波羅牢は答えた。「その通りです。世尊よ！その通りです。善逝よ！」

世尊告曰：「伽彌尼！汝莫自誤，謗毀於我，若謗毀我者，則便自損。有諍有犯，聖賢所惡，而得大罪。所以者何？此實不如汝之所說。伽彌尼！汝聞拘麗瘦有卒耶？」

> 世尊はおっしゃいました。「ガーミニよ、あなたは自分を誤らせてはいけません。私を誹謗することは、自分自身を傷つけることになります。争いや過ちは、聖賢が嫌うものであり、大きな罪を得ることになるのです。なぜなら、それは実際にはあなたの言うようなことではないからです。ガーミニよ、あなたは拘麗瘦に卒という者がいるのを聞いたことがありますか？」

答曰：「聞有。」

> お答えします。「聞いたことがあります。」

「伽彌尼！於意云何？拘麗瘦用是卒為？」

> ガミニよ、あなたはどう思いますか？クリー族がその兵士を使ったのは？

答曰：「瞿曇！通使殺賊，為此事故，拘麗瘦畜是卒也。」

> お答えします。「ゴータマよ、使者を通じて賊を殺すため、この目的のために拘麗瘦はこの兵士を養っているのです。」

「伽彌尼！於意云何？拘麗瘦卒為有戒，為無戒耶？」

> ガミニよ、あなたはどう思いますか？拘麗瘦の人が戒律を持っているか、持っていないか、どうでしょうか？

答曰：「瞿曇！若世間有無戒德者，無過拘麗瘦卒。所以者何？拘麗瘦卒極犯禁戒，唯行惡法。」

> お答えします。「ゴータマよ、もしこの世に戒律の徳を持たぬ者がいるとすれば、拘麗瘦卒に勝る者はいません。なぜなら、拘麗瘦卒は戒律を極めて犯し、ただ悪しき行いのみを行うからです。」

復問：「伽彌尼！汝如是見、如是知，我不問汝，若他問汝：『波羅牢伽彌尼知拘麗瘦卒極犯禁戒，唯行惡法，因此事故，波羅牢伽彌尼極犯禁戒，唯行惡法。』若如是說，為真說耶？」

> また尋ねました：「ガミニよ、あなたがこのように見て、このように知っていることについて、私は尋ねているのではありません。もし他の人があなたに『パーララ・ガミニはクーリ地方で、極めて戒律を破り、悪い行いばかりしていることを知っている。このことによって、パーララ・ガミニは極めて戒律を破り、悪い行いばかりしている』と尋ねたならば、そのように言うのは真実でしょうか？」

答曰：「非也。瞿曇。所以者何？拘麗瘦卒見異、欲異，所願亦異，拘麗瘦卒極犯禁戒，唯行惡法；我極持戒，不行惡法。」

> 答えました。「いいえ、瞿曇。なぜなら、拘麗瘦の兵士たちは見解が異なり、欲望も異なり、求めるものも異なるからです。彼らは戒律を破り、悪行ばかり行います。一方、私は戒律を厳守し、悪行は行いません。」

復問：「伽彌尼！汝知拘麗瘦卒極犯禁戒，唯行惡法，然不以此為犯禁戒，唯行惡法；如來何以不得知幻而自非幻？所以者何？我知幻，知幻人，知幻報，知斷幻。伽彌尼！我亦知殺生，知殺生人，知殺生報，知斷殺生。伽彌尼！我知不與取，知不與取人，知不與取報，知斷不與取。伽彌尼！我知妄言，知妄言人，知妄言報，知斷妄言。伽彌尼！我如是知、如是見。若有作是說，沙門瞿曇知幻即是幻者，彼未斷此語，聞彼心、彼欲、彼願、彼聞、彼念、彼觀，如屈伸臂頃，命終生地獄中。」

> さらに尋ねました：「ガミニよ、あなたは知っているでしょう。拘麗の国の極悪人が禁戒を破り、悪行ばかりを重ねても、それを戒律違反や悪行とは認めないことを。ではなぜ如来が、幻を知りながら自ら幻ではないと言えないのでしょうか？その理由はこうです。私は幻を知り、幻を操る者を知り、幻の報いを知り、幻を断つ方法を知っています。ガミニよ、私は殺生を知り、殺生を行う者を知り、殺生の報いを知り、殺生を断つ方法を知っています。ガミニよ、私は盗みを知り、盗みを行う者を知り、盗みの報いを知り、盗みを断つ方法を知っています。ガミニよ、私は嘘をつくことを知り、嘘をつく者を知り、嘘の報いを知り、嘘を断つ方法を知っています。ガミニよ、私はこのように知り、このように見ています。もし、『沙門ゴータマは幻を知っているが、それ自体が幻である』と言う者がいれば、その者はこの言葉を撤回せず、その心、その欲求、その願い、その聞くこと、その思い、その観察によって、あたかも腕を曲げ伸ばすほどの短い間に、命終わって地獄に生まれるでしょう。」

波羅牢伽彌尼聞已，怖懼戰慄，身毛皆竪，即從坐起，頭面禮足，長跪叉手，白世尊曰：「悔過，瞿曇！自昔，善逝！如愚、如癡、如不定、如不善。所以者何？我以妄說沙門瞿曇是幻，唯願瞿曇受我悔過，見罪發露，我悔過已，護不更作。」

> 波羅牢伽彌尼はこれを聞いて、恐怖に震え、身の毛がすべて逆立ちました。彼はすぐに座から立ち上がり、頭を地に付け足を礼拝し、長く跪いて手を合わせ、世尊に申し上げました。 「お詫び申し上げます、瞿曇様。昔から、私は愚かで、迷い、心定まらず、不善な者でありました。なぜなら、私は沙門瞿曇様が幻であると妄りに申し上げたからです。どうか瞿曇様、私の悔い改めをお受け取りください。罪を認め、明らかにいたします。私は悔い改め、今後は二度とこのようなことをいたしません。」

世尊告曰：「如是，伽彌尼！汝實如愚、如癡、如不定、如不善。所以者何？謂汝於如來、無所著、等正覺妄說是幻。然汝能悔過，見罪發露，護不更作。如是，伽彌尼！若有悔過，見罪發露，護不更作者，則長養聖法而無有失。」

> 世尊はおっしゃいました。「そのとおりです、ガミニよ。あなたはまさに愚かで、迷い、心定まらず、善からぬことをしました。なぜなら、如来・阿羅漢・等正覚者を幻であると誤って言ったからです。しかし、あなたは過ちを悔い、罪を認めて告白し、二度と繰り返さないと誓いました。ガミニよ、このように過ちを悔い、罪を認めて告白し、二度と繰り返さないと誓うならば、聖なる法は育ち、失われることはありません。」

於是，波羅牢伽彌尼叉手向佛，白世尊曰：「瞿曇！有一沙門梵志如是見、如是說：『若有殺生者，彼一切即於現法受報，因彼生憂苦；若有不與取、妄言，彼一切即於現法受報，因彼生憂苦。』沙門瞿曇！於意云何？」

> そこで、波羅牢伽彌尼は手を合わせて仏に向かい、世尊に申し上げました。「ゴータマよ、ある修行者やバラモンはこのように見て、このように説きます。『もし殺生を行えば、その者はすべて現世において報いを受け、それによって憂いと苦しみが生じる。もし盗みや偽りの言葉があれば、その者もすべて現世において報いを受け、それによって憂いと苦しみが生じる』と。沙門ゴータマよ、あなたはどうお考えですか？」

世尊告曰：「伽彌尼！我今問汝，隨所解答。伽彌尼！於意云何？若村邑中，或有一人，頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王。若有問者：『此人本作何等，今頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王？』或有答者：『此人為王殺害怨家，王歡喜已，即與賞賜，是以此人頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王。』伽彌尼！汝如是見、如是聞不？」

> 世尊はおっしゃいました。「ガーミニよ、私は今あなたに尋ねます。どうぞ思うままにお答えください。ガーミニよ、あなたはどう思いますか？ある村や町に、一人の男がいるとします。その男は頭に花飾りを付け、さまざまな香りを身体に塗り、音楽を奏で、歌い踊って自ら楽しみ、まるで王様のように遊女たちと歓楽にふけっています。もし誰かが尋ねるならば、『この人は以前、いったい何をしたのでしょう？今、頭に花飾りを付け、さまざまな香りを身体に塗り、音楽を奏で、歌い踊って自ら楽しみ、まるで王様のように遊女たちと歓楽にふけっているのですか？』と。すると誰かが答えるでしょう。『この人は王のために敵を殺しました。王は大いに喜び、すぐに褒美を与えました。だからこそ、この人は頭に花飾りを付け、さまざまな香りを身体に塗り、音楽を奏で、歌い踊って自ら楽しみ、まるで王様のように遊女たちと歓楽にふけっているのです』と。ガーミニよ、あなたはこのように見聞きしたことはありませんか？」

答曰：「見也。瞿曇！已聞、當聞。」

> お答えします。「見ました。ゴータマよ。すでに聞き、これからも聞くでしょう。」

「伽彌尼！又復見王收捕罪人，反縛兩手，打鼓唱令，出南城門，坐高標下而梟其首。若有問者：『此人何罪，為王所戮？』或有答者：『此人枉殺王家無過之人，是以王教如是行刑。』伽彌尼！汝如是見、如是聞不？」

> カーミニよ、また、王が罪人を捕らえ、両手を後ろに縛り、太鼓を打ち鳴らして布告し、南の城門から出し、高い柱の下に座らせて首をはねるのを見ることもあるでしょう。もし誰かが尋ねるならば：『この人はどんな罪を犯して、王に殺されたのですか？』ある人が答えるかもしれません：『この人は王家の罪のない人を不当に殺したので、王はこのように刑を執行するよう命じたのです。』カーミニよ、あなたはこのように見、このように聞いたことはありませんか？

答曰：「見也。瞿曇！已聞、當聞。」

> お答えします。「見ています。ゴータマよ。すでに聞いたこともあり、これから聞くこともあります。」

「伽彌尼！若有沙門、梵志如是見、如是說：『若有殺生，彼一切即於現法受報，因彼生憂苦。』彼為真說，為虛妄言？」

> 伽彌尼よ、もしある沙門や梵志がこのように見て、このように言うならば：『もし殺生があれば、そのすべてはただちに現世で報いを受け、それによって憂いと苦しみが生じる』と。彼の言葉は真実なのか、それとも虚妄なのか？

答曰：「妄言。瞿曇！」

> あなたは嘘をついています。ゴータマよ！

「若彼說妄言，汝意信不？」

> もし彼が嘘を言っているなら、あなたはそれを信じますか？

答曰：「不信也。瞿曇！」

> お答えします。「信じておりません。ゴータマよ！」

世尊歎曰：「善哉！善哉！伽彌尼！」復問：「伽彌尼！於意云何？若村邑中，或有一人，頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王。若有問者：『此人本作何等，今頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王？』或有答者：『此人於他國中而不與取，是以此人頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王。』伽彌尼！汝如是見、如是聞不？」

> 世尊はおっしゃいました。「善きかな、善きかな、ガミニよ。」そしてまた問われました。「ガミニよ、あなたはどう思いますか？もし村や町に、一人の人がいたとします。その人は頭に花の冠を戴き、さまざまな香料を身に塗り、音楽を奏で、歌い踊って自ら楽しみ、まるで王のように喜びに満ちて暮らしている。もし誰かが尋ねるならば、『この人は以前に何をしたので、今、頭に花の冠を戴き、さまざまな香料を身に塗り、音楽を奏で、歌い踊って自ら楽しみ、まるで王のように喜びに満ちて暮らしているのか？』と。ある人が答えるならば、『この人は他国で盗みを働いたからだ。それゆえにこの人は、頭に花の冠を戴き、さまざまな香料を身に塗り、音楽を奏で、歌い踊って自ら楽しみ、まるで王のように喜びに満ちて暮らしているのだ』と。ガミニよ、あなたはこのように見聞きしたことはありませんか？」

答曰：「見也。瞿曇！已聞、當聞。」

> お答えします。「見ました。ゴータマよ。すでに聞き、これからも聞くでしょう。」

「伽彌尼！又復見王收捕罪人，反縛兩手，打鼓唱令，出南城門，坐高標下而梟其首。若有問者：『此人何罪，為王所戮？』或有答者：『此人於王國而不與取，是以王教如是行刑。』伽彌尼！汝如是見、如是聞不？」

> ガミニよ、また、王が罪人を捕らえ、両手を後ろに縛り、太鼓を打ち鳴らして号令をかけ、南の城門から出し、高い標柱の下に座らせてその首をはねるのを見たことがあるか。もし誰かが尋ねるならば、『この人はどんな罪を犯して、王に殺されたのですか？』と。ある人は答えるだろう、『この人は王の国で盗みを働いたので、王はこのような刑罰を命じたのです』と。ガミニよ、あなたはこのように見聞きしたことがあるか？

答曰：「見也。瞿曇！已聞、當聞。」

> お答えします。「見ました。ゴータマよ。すでに聞き、これからも聞くでしょう。」

「伽彌尼！若有沙門、梵志如是見、如是說：『若有不與取，彼一切即於現法受報，因彼生憂苦。』彼為真說，為虛妄言？」

> カミニよ、もしある沙門や梵志がこのように見て、このように言うならば：『もし盗みを働く者がいれば、その者はすべて現世で報いを受け、それによって憂いと苦しみが生じる』と。これは真実の言葉か、それとも虚偽の言葉か？

答曰：「妄言。瞿曇！」

> あなたは嘘をついています。ゴータマよ！

「若彼說妄言，汝意信不？」

> もし彼が嘘を言っているなら、あなたはそれを信じますか？

答曰：「不信也。瞿曇！」

> お答えします。「信じておりません。ゴータマよ！」

世尊歎曰：「善哉！善哉！伽彌尼！」復問：「伽彌尼！於意云何？若村邑中，或有一人，頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王。若有問者：『此人本作何等，今頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王？』或有答者：『此人作妓，能戲調笑，彼以妄言令王歡喜，王歡喜已，即與賞賜，是以此人頭冠華鬘，雜香塗身，而作倡樂，歌舞自娛，唯作女妓，歡樂如王。』伽彌尼！汝如是見、如是聞不？」

> 世尊は感心して言われました。「善いかな、善いかな、ガミニよ。」そしてまた尋ねられました。「ガミニよ、どう思うか。もし村や町に、一人の者がいて、頭に花の冠を戴き、さまざまな香料を身に塗り、音楽を奏で、歌い舞って自ら楽しみ、まるで王のように喜びに満ちているとする。もし誰かが尋ねて、『この人は以前何をしていたのか、今こうして頭に花の冠を戴き、香料を塗り、音楽を奏で、歌い舞って楽しみ、まるで王のように喜んでいるのか』と。誰かが答えて、『この人は芸人であり、戯れや冗談で人を笑わせ、虚言を用いて王を喜ばせた。王は喜んで、すぐに褒美を与えた。だからこの人は頭に花の冠を戴き、香料を身に塗り、音楽を奏で、歌い舞って楽しみ、まるで王のように喜んでいるのだ』と言う。ガミニよ、あなたはこのように見聞きしたか？」

答曰：「見也。瞿曇！已聞、當聞。」

> お答えします。「見ました。ゴータマよ。すでに聞き、これからも聞くでしょう。」

「伽彌尼！又復見王收捕罪人，用棒打殺，盛以木檻，露車載之，出北城門，棄著壍中。若有問者：『此人何罪，為王所殺？』或有答者：『此人在王前妄有所證，彼以妄言欺誑於王，是以王教取作如是。』伽彌尼！汝如是見、如是聞不？」

> ガーミニよ、また、王が罪人を捕らえ、棒で打ち殺し、木の檻に入れ、露車に載せて北の城門から運び出し、堀の中に捨てるのを見たことがあるだろう。もし誰かが尋ねるならば、『この人はどんな罪を犯して、王に殺されたのか？』と。ある者は答えるだろう、『この人は王の前で偽りの証言をし、虚言で王を欺いたのだ。だから王はこのように処刑するよう命じたのだ』と。ガーミニよ、あなたはこのようなことを見聞きしたことがあるか？

答曰：「見也。瞿曇！已聞、當聞。」

> お答えします。「見ました。ゴータマよ。すでに聞き、これからも聞くでしょう。」

「伽彌尼！於意云何？若有沙門、梵志如是見、如是說：『若有妄言，彼一切即於現法受報，因彼生憂苦。』彼為真說，為虛妄言？」

> カミニよ、あなたはどう思いますか？もしある沙門や梵志がこのように見て、このように言うならば：『もし嘘をつくならば、その者はすべて現世で報いを受け、それによって憂いや苦しみが生じる』と。彼らの言葉は真実でしょうか、それとも虚偽でしょうか？

答曰：「妄言。瞿曇！」

> あなたは嘘をついています。ゴータマよ！

「若彼說妄言，汝意信不？」

> もし彼が嘘を言っているなら、あなたはそれを信じますか？

答曰：「不信也。瞿曇！」

> お答えします。「信じておりません。ゴータマよ！」

世尊歎曰：「善哉！善哉！伽彌尼！」

> 世尊はほめたたえて言われた。「善きかな、善きかな、ガミニよ！」

於是，波羅牢伽彌尼即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白世尊曰：「甚奇！瞿曇所說極妙，善喻善證。瞿曇！我於北村中造作高堂，敷設床褥，安立水器，然大明燈，若有精進沙門、梵志來宿高堂，我隨其力，供給所須。有四論士，所見各異，更相違反，來集高堂。於中論士如是見、如是說，無施無齋，無有呪說，無善惡業，無善惡業報，無此世彼世，無父無母，世無真人往至善處，善去善向，此世彼世，自知自覺，自作證成就遊。

> そこで、波羅牢伽彌尼はすぐに座から立ち上がり、衣を偏袒に着け、手を合わせて仏に向かい、世尊に申し上げました。「なんと不思議なことでしょう。瞿曇様のお説きになることは、極めて優れ、巧みなたとえと証明であります。瞿曇様、私は北の村に高い堂を建て、寝床を敷き、水の器を備え、大きな明かりの灯をともしました。もし精進する沙門や梵志が来てその堂に宿れば、私はその力に応じて、必要なものを供給するのです。四名の論士がおり、それぞれ見解が異なり、互いに反対し合って、その堂に集まってきました。その中で、ある論士はこのように見て、このように説きました。布施もなく、斎戒もなく、呪文の効力もなく、善い行いも悪い行いもなく、善悪の業の報いもなく、この世もあの世もなく、父も母もなく、世の中には真人（真理を得た人）はおらず、善いところへ行くことも、善く去り善く向かうこともなく、この世もあの世も、自ら知り自ら覚り、自ら証を得て成就し遊行することはない、と。」

「第二論士而有正見，反第一論士所見所知，如是見、如是說：『有施有齋，亦有呪說；有善惡業，有善惡業報；有此世彼世，有父有母；世有真人往至善處，善去善向，此世彼世自知、自覺、自作證成就遊。』

> 第二の論者は正しい見解を持ち、第一の論者の見解や知見に反して、このように見、このように説きます。「布施もあり、供養もある。呪文による祈りもある。善い行いも悪い行いもあり、善い行いの報いも悪い行いの報いもある。この世もあの世もあり、父も母もいる。世の中には真実の人々がいて、善きところへと至り、善く去り善く向かい、この世であの世であれ、自ら知り、自ら覚り、自ら証し得て、成就して遊ぶことができる。」

「第三論士如是見、如是說，自作、教作，自斷、教斷，自煮、教煮，愁煩憂慼，搥胸懊惱，啼哭愚癡，殺生、不與取、邪婬、妄言、飲酒，穿牆開藏，至他巷劫，害村壞邑，破城滅國；作如是者，為不作惡。又以鐵輪利如剃刀，彼於此地一切眾生，於一日中斫截斬剉，剝裂剬割，作一肉段，一分一積，因是無惡業，因是無惡業報。恒水南岸殺、斷、煮去，恒水北岸施與、作齋、呪說而來，因是無罪無福，因是無罪福報。施與、調御、守護、攝持、稱譽、饒益，惠施、愛言、利及等利，因是無福，因是無福報。

> 第三の論者はこのように見て、このように言うのです。 「自ら悪を行い、人に悪を行わせ、自ら断じ、人に断じさせ、自ら苦しめ、人に苦しめさせること。憂い悩み、胸を打ち嘆き、泣き叫び愚かであること。殺生、盗み、邪淫、嘘、酒を飲むこと。壁を破り蔵を開き、他人の路地に押し入り略奪し、村を害し町を壊し、城を破り国を滅ぼすこと。このようなことを行っても、悪をなすことにはならない。 また、剃刀のように鋭い鉄の輪をもって、一日のうちにこの大地のすべての生きとし生けるものを切り刻み、裂き割き、一つの肉塊とし、一つのかたまりとすることによっても、悪い行いはなく、悪い報いもない。 ガンジス川の南岸で殺し、切り、煮ても、ガンジス川の北岸で施し、供養し、呪文を唱えても、罪も福もなく、罪や福の報いもない。 施しを与え、調え、守り、保ち、称え、益し、恵み施し、優しい言葉をかけ、利益をもたらし、平等に利益を与えても、福はなく、福の報いもない。」

「第四論士而有正見，反第三論士所知、所見，如是見、如是說，自作、教作，自斷、教斷，自煮、教煮，愁煩憂慼，搥胸懊惱，啼哭愚癡，殺生、不與取、邪婬、妄言、飲酒，穿墻開藏，至他巷劫，害村壞邑，破城滅國；作如是者，實為作惡。又以鐵輪利如剃刀，彼於此地一切眾生，於一日中斫截斬剉，剝裂剬割，作一肉段，一分一積，因是有惡業，因是有惡業報。恒水南岸殺、斷、煮去，恒水北岸施與、作齋、呪說而來，因是有罪有福，因是有罪福報。施與、調御、守護、攝持、稱譽、饒益，惠施、愛言、利及等利，因是有福，因是有福報。瞿曇！我聞是已，便生疑惑：此沙門、梵志，誰說真實，誰說虛妄？」

> 第四の論者は正しい見解を持ち、第三の論者の知見に反論します。彼はこのように見て、このように語ります。 「自ら行い、他に教えて行わせ、自ら断じ、他に教えて断じさせ、自ら責め、他に教えて責めさせること。悲しみ煩い憂い悩み、胸を打ち懊悩し、泣き叫び愚かにも、殺生・盗み・邪淫・妄語・飲酒をすること。壁を破り蔵を開き、他人の路地に押し入って奪い、村を害し邑を壊し、城を破り国を滅ぼすこと。このような行いこそ、まさに悪をなすことです。 また、剃刀のように鋭い鉄の輪をもって、この大地の一切の生き物を一日のうちに切り刻み、裂き割き、ひとつの肉塊とし、ひとまとめの積み山とするならば、それによって悪業が生じ、悪業の報いがあるのです。 ガンジス川の南岸で殺し、断ち、責め去り、北岸で施し、斎を行い、呪文を唱えて来るならば、それによって罪と福があり、罪福の報いがあるのです。 施しを与え、調え護り、守り保ち、称え誉め、益を与え、恵み施し、慈愛の言葉をかけ、利益と平等の利益をもたらすならば、それによって福があり、福の報いがあるのです。 ゴータマよ、私はこれを聞いて、疑いを抱きました。これらの沙門やバラモンたちのうち、誰が真実を語り、誰が虚偽を語っているのでしょうか？」

世尊告曰：「伽彌尼！汝莫生疑惑。所以者何？因有疑惑便生猶豫。伽彌尼！汝自無淨智，為有後世，為無後世？伽彌尼！汝又無淨智，所作為惡，所作為善？伽彌尼！有法之定，名曰遠離，汝因此定，可得正念，可得一心。如是，汝於現法便斷疑惑，而得昇進。」

> 世尊はお答えになりました。「ガミニよ、疑いを抱いてはなりません。なぜなら、疑いがあるとためらいが生じるからです。ガミニよ、あなた自身にはまだ清らかな智慧がありません。来世があるのか、ないのか。ガミニよ、あなたにはまだ清らかな智慧がありません。何が悪い行いで、何が善い行いなのか。 ガミニよ、『遠離』という名の確かな教えがあります。あなたはこの教えによって、正しい心の状態を得て、心を一つに集中させることができます。そうすれば、あなたは現世において疑いを断ち切り、向上することができるのです。」

於是，波羅牢伽彌尼復從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白世尊曰：「瞿曇！云何法定，名曰遠離，令我因此可得正念，可得一心，如是我於現法便斷疑惑，而得昇進？」

> そこで、波羅牢伽彌尼は再び座から立ち上がり、衣を偏袒に着て、手を叉にして仏に向かい、世尊に申し上げました。「瞿曇よ、どのような法が定められて、遠離と呼ばれるのでしょうか。それによって私は正しい心のあり方を得、心を一つにすることができますように。そうすれば、私は現世において疑いを断ち切り、向上することができるのです。」

世尊告曰：「伽彌尼！多聞聖弟子離殺斷殺，斷不與取、邪婬、妄言，至斷邪見，得正見，彼於晝日教田作耕稼，至暮放息，入室坐定，過夜曉時而作是念：『我離殺斷殺，斷不與取、邪婬、妄言，至斷邪見，得正見。』彼便自見，我斷十惡業道，念十善業道。彼自見斷十惡業道，念十善業道已，便生歡悅，生歡悅已，便生於喜，生於喜已，便止息身，止息身已，便身覺樂，身覺樂已，便得一心。伽彌尼！多聞聖弟子得一心已，則心與慈俱，遍滿一方成就遊。如是，二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。彼作是念：『若有沙門、梵志如是見、如是說，無施無齋，無有呪說，無善惡業，無善惡業報，無此世彼世，無父無母，世無真人往至善處，善去善向，此世彼世，自知自覺，自作證成就遊。若彼沙門、梵志所說真實者，我不犯世怖與不怖，常當慈愍一切世間，我心不與眾生共諍，無濁歡悅。我今得無上人上之法，昇進得安樂居，謂遠離法定。彼沙門、梵志所說，不是不非。』不是不非已，得內心止。伽彌尼！是謂法定，名曰遠離，汝因此定，可得正念，可得一心，如是汝於現法便斷疑惑，而得昇進。

> 世尊はおっしゃいました。「ガミニよ、よく教えを聞いた聖なる弟子は、殺すことを離れ、殺すことを断ち、盗みを断ち、邪な性行為を断ち、嘘を断ち、邪な見解を断って正しい見解を得ます。彼が昼間に田畑を耕し、夕方に休み、部屋に入って座禅を組み、夜が明ける頃にこう思うのです。『私は殺すことを離れ、殺すことを断ち、盗みを断ち、邪な性行為を断ち、嘘を断ち、邪な見解を断って正しい見解を得た』と。すると彼は自ら見るのです、自分が十の悪い行いを断ち、十の善い行いを心に留めていることを。彼が自ら十の悪い行いを断ち、十の善い行いを心に留めているのを見たなら、喜びが生まれます。喜びが生まれたなら、心が楽しくなります。心が楽しくなったなら、身体が安らぎます。身体が安らいだなら、身体に楽しい感覚が生じます。身体に楽しい感覚が生じたなら、心が一つに定まります。ガミニよ、よく教えを聞いた聖なる弟子が心を一つに定めたなら、その心は慈しみとともに、一方の世界に満ちあふれて広がります。このように、二方、三方、四方、四隅、上下、すべての世界にわたり、心は慈しみとともに、わだかまりもなく、怨みもなく、怒りもなく、争いもなく、非常に広く大きく、限りなく善く修められ、すべての世界に満ちあふれて広がるのです。彼はこう思います。『もし沙門やバラモンがこのように見て、このように説くならば、「布施もなく、供養もなく、呪文もなく、善い行いも悪い行いもなく、善い行いの報いも悪い行いの報いもなく、この世もあの世もなく、父も母もなく、世には真人（真実に目覚めた人）が善いところに行き、善く去り善く向かい、この世であの世であれ、自ら知り自ら覚り、自ら証得して遊ぶことはない」と。もしその沙門やバラモンが真実を説いているなら、私は世の恐れも恐れないことも犯さず、常にすべての世を慈しみ、私の心は衆生と争わず、濁りのない喜びを得ている。私は今、人々の上にある無上の法を得、昇進して安楽の住処を得た。それは遠離の法と呼ばれるものである。その沙門やバラモンの説くところは、正しくもなく誤りもない』と。正しくもなく誤りもないと知ったなら、内なる心は静まります。ガミニよ、これを法の定めといい、遠離と呼ばれます。あなたはこの定めによって、正しい気づきを得、心を一つに定めることができます。このようにして、あなたは現世において疑惑を断ち、昇進を得ることができるのです。」

「復次，伽彌尼！多聞聖弟子離殺斷殺，斷不與取、邪婬、妄言，至斷邪見，得正見，彼於晝日教田作耕稼，至暮放息，入室坐定，過夜曉時而作是念：『我離殺斷殺，斷不與取、邪婬、妄言，至斷邪見，得正見。』彼便自見，我斷十惡業道，念十善業道。彼自見斷十惡業道，念十善業道已，便生歡悅，生歡悅已，便生於喜，生於喜已，便止息身，止息身已，便身覺樂，身覺樂已，便得一心。伽彌尼！多聞聖弟子得一心已，則心與悲俱，遍滿一方成就遊。如是，二三四方、四維上下，普周一切，心與悲俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。彼作是念：『若沙門、梵志，如是見、如是說：「有施有齋，亦有呪說；有善惡業，有善惡業報；有此世彼世，有父有母；世有真人往至善處，善去善向，此世彼世自知、自覺、自作證成就遊。」若彼沙門、梵志所說真實者，我不犯世怖與不怖，常當慈愍一切世間，我心不與眾生共諍，無濁歡悅。我得無上人上之法，昇進得安樂居，謂遠離法定。彼沙門、梵志所說不是不非。』不是不非已，得內心止。伽彌尼！是謂法定，名曰遠離，汝因此定，可得正念，可得一心，如是於現法便斷疑惑，而得昇進。

> また、ガミニよ、よく聞き学んだ聖なる弟子は、殺すことを離れ、殺すことを断ち、盗みを断ち、邪淫を断ち、妄語を断ち、さらに邪見を断って正見を得る。彼は昼間は田畑を耕し、夕暮れには休息し、部屋に入って座禅を組み、夜が明ける頃にこう思うのである：『私は殺すことを離れ、殺すことを断ち、盗みを断ち、邪淫を断ち、妄語を断ち、さらに邪見を断って正見を得た』と。彼は自ら見るのである、自分が十の悪い行いを断ち、十の善い行いを心に留めていることを。彼が自ら十の悪い行いを断ち、十の善い行いを心に留めていると見たならば、歓びが生じる。歓びが生じれば、喜びが生じる。喜びが生じれば、身体が安らぐ。身体が安らげば、身体に楽を感じる。身体に楽を感じれば、心が一つに定まる。ガミニよ、よく聞き学んだ聖なる弟子が心を一つに定めたならば、その心は慈しみとともに、一方に満ちあふれて成就し、遊ぶのである。このように、二方、三方、四方、四隅、上下、すべてにわたって、心は慈しみとともに、わだかまりなく、怨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広大で、はかりしれず善く修められ、あらゆる世界に満ちあふれて成就し、遊ぶのである。彼はこう思うのである：『もし沙門やバラモンが、このように見、このように説くならば：「布施があり、斎戒があり、また呪文がある。善い行いと悪い行いがあり、善い行いと悪い行いの報いがある。この世とあの世があり、父があり母がある。世には真実の人がいて、善いところへ行き、善く去り善く向かい、この世とあの世を自ら知り、自ら覚り、自ら証して成就し、遊ぶ」と。もしその沙門やバラモンの説くことが真実であるならば、私は世の恐れと恐れないことに関わらず、常に一切の世間を慈しみ、私の心は衆生と争わず、濁りのない歓びを得る。私は無上の人々の上の法を得て、昇進し安楽の住処を得る。すなわち、遠離の法である定めである。その沙門やバラモンの説くことは、そうではないことも、そうでないこともない』と。そうではないことも、そうでないこともないと知ったならば、内なる心は静まる。ガミニよ、これを法の定めといい、遠離と名づける。あなたはこの定めによって、正しい念を得、心を一つに定めることができる。このように現世において疑惑を断ち、昇進を得ることができるのである。

「復次，伽彌尼！多聞聖弟子離殺斷殺，斷不與取、邪婬、妄言，至斷邪見，得正見，彼於晝日教田作耕稼，至暮放息，入室坐定，過夜曉時而作是念：『我離殺斷殺，斷不與取、邪婬、妄言，至斷邪見，得正見。』彼便自見，我斷十惡業道，念十善業道。彼自見斷十惡業道，念十善業道已，便生歡悅，生歡悅已，便生於喜，生於喜已，便止息身，止息身已，便身覺樂，身覺樂已，便得一心。伽彌尼！多聞聖弟子得一心已，則心與喜俱，遍滿一方成就遊。如是，二三四方、四維上下，普周一切，心與喜俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。彼作是念：『若有沙門、梵志如是見、如是說，自作、教作，自斷、教斷，自煮、教煮，愁煩憂慼，搥胷懊惱，啼哭愚癡，殺生、不與取、邪婬、妄言、飲酒，穿墻開藏，至他巷劫，害村壞邑，破城滅國；作如是者，實為不作惡。又以鐵輪利如剃刀，彼於此地一切眾生，於一日中斫截斬剉，剝裂剬割，作一肉段，一分一積，因是無惡業，因是無惡業報。恒水南岸殺、斷、煮去，恒水北岸施與、作齋、呪說而來，因是無罪無福，因是無罪福報。施與、調御、守護、攝持、稱譽、饒益，惠施、愛言、利及等利，因是無福，因是無福報。若沙門、梵志所說真實者，我不犯世怖與不怖，常當慈愍一切世間，我心不與眾生共諍，無濁歡悅。我今得無上人上之法，昇進得安樂居，謂遠離法定。』彼於沙門、梵志所說不是不非，不是不非已，內得心止。伽彌尼！是謂法定，名曰遠離，汝因此定，可得正念，可得一心，如是汝於現法便斷疑惑，而得昇進。

> さらに、ガミニよ。よく聞いて学んだ聖なる弟子は、殺すことを離れ、殺すことを断ち、盗みを取らず、邪な性交をせず、嘘をつかず、邪な見解を断ち、正しい見解を得る。彼は昼間は田畑を耕し、夕暮れには休み、部屋に入って座禅し、夜明けの時を迎えてこう思うのだ。『私は殺すことを離れ、殺すことを断ち、盗みを取らず、邪な性交をせず、嘘をつかず、邪な見解を断ち、正しい見解を得た。』彼は自ら、十の悪い行いを断ち、十の善い行いを心に留めていると見る。それを見て、喜びが生じ、喜びが生じれば、心に喜びが満ち、心に喜びが満ちれば、身体が安らぎ、身体が安らげば、身体に楽を感じ、身体に楽を感じれば、心が一つに定まる。ガミニよ。よく聞いて学んだ聖なる弟子が心を一つに定めると、心は喜びと共に一方に満ち広がり、遊行する。同様に、二方、三方、四方、四隅、上下、すべてにわたり、心は喜びと共に、とらわれも怨みもなく、怒りも争いもなく、広大無辺に、善く修められ、すべての世界に満ちて遊行する。彼はこう思うのだ。『もし沙門やバラモンがこのように見て、このように説き、自ら行い、他に行わせ、自ら断ち、他に断たせ、自ら苦しめ、他に苦しめさせ、悲しみ憂い、胸を打ち嘆き、泣き叫び愚かにも、生き物を殺し、盗み、邪な性交をし、嘘をつき、酒を飲み、壁を穿ち蔵を開き、他人の路地を奪い、村を害し邑を壊し、城を破り国を滅ぼす。このようなことをする者が、実際には悪を行っていないというのであれば。また、剃刀のように鋭い鉄の輪で、この地上のすべての生き物を一日中切り刻み、切り裂き、切り分け、肉の塊とし、一つ一つ積み上げても、それによって悪い行いがなく、悪い報いもないというのであれば。ガンジス川の南岸で殺し、断ち、煮ても、北岸で施し、供養し、呪文を唱えても、それによって罪も福もなく、罪や福の報いもないというのであれば。施し、調御し、守護し、摂持し、称賛し、利益を与え、恵みを施し、優しい言葉をかけ、利益と平等の利益をもたらしても、それによって福がなく、福の報いもないというのであれば。もし沙門やバラモンの説くことが真実であるなら、私は世の中の恐れるものも恐れないものも犯さず、常にすべての世の中を慈しみ、私の心は生き物と争わず、濁りのない喜びに満ちている。私は今、人々の上に立つ無上の法を得て、進歩し安楽の境地に至った。すなわち、遠離の法を確立したのだ。』彼は沙門やバラモンの説くことを是とも非ともせず、是とも非ともしないことで、内に心の安らぎを得る。ガミニよ。これが法の確立であり、遠離と呼ばれる。あなたはこの定めによって、正しい心構えを得、心を一つに定めることができる。こうして、あなたは現世において疑いを断ち、進歩を得ることができるのだ。

「復次，伽彌尼！多聞聖弟子離殺斷殺，斷不與取、邪婬、妄言，至斷邪見，得正見，彼於晝日教田作耕稼，至暮放息，入室坐定，過夜曉時而作是念：『我離殺斷殺，斷不與取、邪婬、妄言，至斷邪見，得正見。』彼便自見，我斷十惡業道，念十善業道。彼自見斷十惡業道，念十善業道已，便生歡悅，生歡悅已，便生於喜，生於喜已，便止息身，止息身已，便身覺樂，身覺樂已，便得一心。伽彌尼！多聞聖弟子得一心已，則心與捨俱，遍滿一方成就遊。如是，二三四方、四維上下，普周一切，心與捨俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。彼作是念：『若有沙門、梵志如是見、如是說，自作、教作，自斷、教斷，自煮、教煮，愁煩憂慼，搥胸懊惱，啼哭愚癡，殺生、不與取、邪婬、妄言、飲酒，穿墻開藏，至他巷劫，害村壞邑，破城滅國；作如是者，實為作惡。又以鐵輪利如剃刀，彼於此地一切眾生，於一日中斫截斬剉，剝裂剬割，作一肉段，一分一積，因是有惡業，因是有惡業報，恒水南岸殺、斷、煮去，恒水北岸施與、作齋、呪說而求，因是有罪有福，因是有罪福報。施與、調御、守護、攝持、稱譽、饒益，惠施、愛言、利及等利，因是有福，因是有福報。若沙門、梵志所說真實者，我不犯世怖與不怖，常當慈愍一切世間，我心不與眾生共諍，無濁歡悅，我得無上人上之法，昇進得樂居，謂遠離法定。』彼於沙門、梵志所說不是不非，不是不非已，得內心止。伽彌尼！是謂法定，名曰遠離，汝因此定，可得正念，可得一心，如是於現法便斷疑惑，而得昇進。」

> さらに、ガミニよ。よく聞く聖なる弟子は、殺すことを離れ、殺すことを断ち、盗みを取らず、邪な行いをせず、偽りを言わず、邪な見解を断ち、正しい見解を得る。彼は昼には田畑を耕し、夕暮れには休息し、部屋に入って坐禅を組み、夜が明ける頃にこう思うのである。『私は殺すことを離れ、殺すことを断ち、盗みを取らず、邪な行いをせず、偽りを言わず、邪な見解を断ち、正しい見解を得た。』彼は自ら見るのである。私は十の悪い行いを断ち、十の善い行いを心に留めていると。彼が自ら十の悪い行いを断ち、十の善い行いを心に留めていると見たならば、歓びが生じる。歓びが生じれば、喜びが生じる。喜びが生じれば、身体が安らぐ。身体が安らげば、身体に楽を感じる。身体に楽を感じれば、心が一つになる。ガミニよ。よく聞く聖なる弟子が心を一つにしたならば、心は捨の心と共に、一方に満ち広がって遊ぶことができる。このように、二方、三方、四方、四隅、上下、あらゆる方向に、心は捨の心と共に、わだかまりもなく、怨みもなく、怒りもなく、争いもなく、広大無辺に、限りなく善く修められ、すべての世界に満ち広がって遊ぶのである。彼はこう思う。『もし沙門やバラモンがこのように見、このように説き、自ら悪を行い、他に悪を行わせ、自ら断じ、他に断じさせ、自ら苦しめ、他に苦しめさせ、悲しみ悩み、胸を打ち嘆き、泣き叫び愚かにも、殺生、盗み、邪淫、偽り、飲酒、壁を破り蔵を開き、他人の路地を襲い、村を害し邑を壊し、城を破り国を滅ぼす。このようなことをするのは、まさに悪を行うことである。また、剃刀のように鋭い鉄の輪をもって、この大地のすべての生き物を一日のうちに切り刻み、裂き割き、一塊の肉とし、一つに積み上げる。これによって悪い行いがあり、これによって悪い報いがある。ガンジス川の南岸で殺し、断ち、苦しめ去り、ガンジス川の北岸で施し、斎を行い、呪文を唱えて求める。これによって罪があり福があり、これによって罪と福の報いがある。施し、調御、守護、摂持、称賛、利益、恵施、愛語、利他、平等の利。これによって福があり、これによって福の報いがある。もし沙門やバラモンの説くことが真実であるならば、私は世の怖れあるものも怖れないものも犯さず、常にすべての世を慈しみ憐れむ。私の心は生き物と争うことなく、濁りのない歓喜を得て、私は無上の人々の上なる法を得、昇進して楽しい境地に至る。すなわち、遠離の法の定めである。』彼は沙門やバラモンの説くことを否定も肯定もせず、否定も肯定もせずして、内なる心の静けさを得る。ガミニよ。これを法の定めという。遠離と名づける。汝はこの定めによって、正しい心構えを得、心を一つにすることができる。このように、現世において疑惑を断ち、昇進を得ることができるのである。

說此法時，波羅牢伽彌尼遠塵離垢，諸法淨眼生。於是，波羅牢伽彌尼見法、得法，覺白淨法，斷疑度惑，更無餘尊，不復從他，無有猶豫，已住果證，於世尊法得無所畏。即從坐起，稽首佛足，白曰：「世尊！我今自歸佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。」

> この法を説かれた時、波羅牢伽彌尼は塵垢を遠く離れ、諸法を見通す清らかな眼が生じた。そこで波羅牢伽彌尼は法を見、法を得、清らかな白き法を悟り、疑いを断ち、惑いを超え、他に尊ぶべきものはなく、もはや他に従うこともなく、迷うこともなく、果証に住し、世尊の法において畏れることのない境地に至った。そして座より立ち上がり、仏の足を礼拝して申し上げた。「世尊よ、私は今、仏と法と比丘衆に帰依いたします。どうか世尊、私を優婆塞としてお受け入れください。今日より命尽きるまで、終生帰依いたします。」

佛說如是。波羅牢伽彌尼及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏はこのように説かれました。波羅牢伽彌尼と比丘たちは、仏の説かれた教えを聞き、喜んでそれに従い実践しました。

波羅牢經第十竟四千八百

> 波羅牢経　第十巻　終わり<note>四千八百</note>

## 中阿含經卷第四一萬八百十三字中阿含業相應品第二竟二萬一千六十字初一日誦

> 中阿含経 第四巻