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title: "中阿含經 · 31 分別聖諦經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （三一）中阿含舍梨子相應品分別聖諦經第十一初一日誦

> （三一）中阿含 舎梨子相応品 分別聖諦経 第十一<note>初日日

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「此是正行說法，謂四聖諦廣攝、廣觀、分別、發露、開仰、施設、顯示、趣向。過去諸如來、無所著、等正覺，彼亦有此正行說法，謂四聖諦廣攝、廣觀、分別、發露、開仰、施設、顯示、趣向。未來諸如來、無所著、等正覺，彼亦有此正行說法，謂四聖諦廣攝、廣觀、分別、發露、開仰、施設、顯示、趣向。我今現如來、無所著、等正覺，亦有此正行說法，謂四聖諦廣攝、廣觀、分別、發露、開仰、施設、顯示、趣向。

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。「これこそが正しい教えの説き方である。すなわち、四つの聖なる真理（四聖諦）を広くまとめ、広く観察し、詳しく分け、明らかにし、開き示し、はっきりと示し、明らかに表し、そこへと導くことである。過去の如来、阿羅漢、正等覚者たちも、この正しい教えの説き方を持っていた。すなわち、四聖諦を広くまとめ、広く観察し、詳しく分け、明らかにし、開き示し、はっきりと示し、明らかに表し、そこへと導くことである。未来の如来、阿羅漢、正等覚者たちも、この正しい教えの説き方を持つであろう。すなわち、四聖諦を広くまとめ、広く観察し、詳しく分け、明らかにし、開き示し、はっきりと示し、明らかに表し、そこへと導くことである。今、私、現にいる如来、阿羅漢、正等覚者もまた、この正しい教えの説き方を持っている。すなわち、四聖諦を広くまとめ、広く観察し、詳しく分け、明らかにし、開き示し、はっきりと示し、明らかに表し、そこへと導くことである。」

「舍梨子比丘聰慧、速慧、捷慧、利慧、廣慧、深慧、出要慧、明達慧、辯才慧，舍梨子比丘成就實慧。所以者何？謂我略說此四聖諦，舍梨子比丘則能為他廣教、廣觀、分別、發露、開仰、施設、顯現、趣向。舍梨子比丘廣教、廣示此四聖諦，分別、發露、開仰、施設、顯現、趣向時，令無量人而得於觀，舍梨子比丘能以正見為導御也。目乾連比丘能令立於最上真際，謂究竟漏盡。舍梨子比丘生諸梵行，猶如生母，目連比丘長養諸梵行，猶如養母，是以諸梵行者，應奉事供養恭敬禮拜舍梨子、目乾連比丘。所以者何？舍梨子、目乾連比丘為諸梵行者求義及饒益，求安隱快樂。」爾時，世尊說如是已，即從坐起，入室燕坐。

> 舎利弗（サーリプッタ）比丘は、優れた智慧、素早い智慧、機敏な智慧、鋭い智慧、広い智慧、深い智慧、解脱への智慧、明達の智慧、弁才の智慧をそなえ、真実の智慧を成就しています。なぜなら、私がこの四つの聖なる真理（四聖諦）を簡潔に説けば、舎利弗比丘はそれを人々に広く教え、詳細に観察させ、分別し、明らかにし、開示し、提示し、明確に示し、悟りへと導くことができるからです。舎利弗比丘がこの四聖諦を広く教え示すとき、無数の人々が真理を観察し、正しい見解によって導かれます。 目連（マハーモッガッラーナ）比丘は、人々を最高の真実、すなわち煩悩の完全な滅尽へと導きます。舎利弗比丘は、あたかも実の母のように清らかな修行（梵行）を生み出し、目連比丘は、あたかも育ての母のようにそれを育みます。ですから、修行者たちは舎利弗比丘と目連比丘を敬い、供養し、尊敬し、礼拝すべきです。なぜなら、この二人は修行者たちのために真の意味と利益を求め、安らぎと幸福をもたらすからです。」 このように説き終えて、世尊は座を立ち、部屋に入って静かに坐禅に入られました。

於是，尊者舍梨子告諸比丘：「諸賢！世尊為我等出世，謂為他廣教、廣示此四聖諦，分別、發露、開仰、施設、顯現、趣向。云何為四？謂苦聖諦，苦習、苦滅、苦滅道聖諦。諸賢！云何苦聖諦？謂生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎會苦、愛別離苦、所求不得苦、略五盛陰苦。諸賢！說生苦者，此說何因？諸賢！生者，謂彼眾生、彼彼眾生種類，生則生，出則出，成則成，興起五陰，已得命根，是名為生。諸賢！生苦者，謂眾生生時，身受苦受、遍受、覺、遍覺，心受苦受、遍受、覺、遍覺，身心受苦受、遍受，覺、遍覺，身熱受、遍受、覺、遍覺，心熱受、遍受、覺、遍覺，身心熱受、遍受、覺、遍覺，身壯熱煩惱憂慼受、遍受，覺、遍覺，心壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺，身心壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺。諸賢！說生苦者，因此故說。

> 尊者の舎梨子が諸々の比丘たちに告げました。「皆さん、世尊は私たちのためにこの世に現れてくださいました。それは、他の人々にこの四つの聖なる真理を広く教え、示し、詳しく説き、明らかにし、開き示し、教えを整え、はっきりと顕し、それに向かって進ませるためです。その四つとは何か。苦しみの聖なる真理、苦しみの原因の聖なる真理、苦しみの滅尽の聖なる真理、苦しみの滅尽に至る道の聖なる真理です。皆さん、苦しみの聖なる真理とは何か。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ、嫌な者と出会う苦しみ、愛する者と別れる苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、要するに五つの執着の要素からなる苦しみです。 皆さん、『生まれる苦しみ』と言うのは、何を根拠にそう言うのでしょうか。皆さん、『生』とは、あらゆる生き物、それぞれの種類の生き物が、生まれ、現れ、形成され、五つの構成要素が生じ、生命の基盤を得ること、これを『生』と呼びます。皆さん、『生まれる苦しみ』とは、生き物が生まれる時に、身体で苦しみの感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じ、心で苦しみの感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じ、身体と心で苦しみの感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じることを言います。また、身体で熱の感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じ、心で熱の感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じ、身体と心で熱の感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じます。さらに、身体で激しい熱や煩悩、憂い、悲しみの感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じ、心で激しい熱や煩悩、憂い、悲しみの感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じ、身体と心で激しい熱や煩悩、憂い、悲しみの感覚を受け、広く受け、感じ、全体に感じます。皆さん、『生まれる苦しみ』と言うのは、このような理由からそう説くのです。」

「諸賢！說老苦者，此說何因？諸賢！老者，謂彼眾生、彼彼眾生種類，彼為老耄，頭白齒落，盛壯日衰，身曲脚戾，體重氣上，拄杖而行，肌縮皮緩，皺如麻子，諸根毀熟，顏色醜惡，是名為老。諸賢！老苦者，謂眾生老時，身受苦受、遍受、覺、遍覺，心受苦受、遍受、覺、遍覺，身心受苦受、遍受、覺、遍覺，身熱受、遍受、覺、遍覺，心熱受、遍受、覺、遍覺，身心熱受、遍受、覺、遍覺，身壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺，心壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺，身心壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺。諸賢！說老苦者，因此故說。

> 「皆さま、『老いの苦しみ』についてお話ししますが、これは何を意味するのでしょうか。 皆さま、『老いる』とは、生きとし生けるものがある年齢に達し、老い衰えることをいいます。頭は白くなり、歯は抜け落ち、壮健だった体は日ごとに衰え、腰は曲がり、足は弱ります。体重が増し、息は上がり、杖をついて歩くようになります。筋肉は萎み、皮膚はたるみ、皺はあざのようになります。感覚器官は衰えて、顔色は醜く変わります。これが『老いる』という意味です。 皆さま、『老いの苦しみ』とは、生き物が老いたとき、身体に苦しみを感じ、心にも苦しみを感じ、その両方に苦しみを感じることをいいます。身体の熱による苦しみ、心の熱による苦しみ、その両方の熱による苦しみを感じます。さらに、激しい苦しみや悩み、憂い、悲しみを感じ、それが身にも心にも、そしてその両方に及びます。 皆さま、このように『老いの苦しみ』について説くのは、この理由によるのです。」

「諸賢！說病苦者，此說何因？諸賢！病者，謂頭痛、眼痛、耳痛、鼻痛、面痛、脣痛、齒痛、舌痛、𪘽痛、咽痛、風喘、咳嗽、喝吐、喉啤、癲癎、癕癭、經溢、赤膽、壯熱、枯槁、痔𭼟、下利，若有如是比餘種種病，從更樂觸生，不離心，立在身中，是名為病。諸賢！病苦者，謂眾生病時，身受苦受、遍受、覺、遍覺，心受苦受、遍受、覺、遍覺，身心受苦受、遍受、覺、遍覺，身熱受、遍受、覺、遍覺，心熱受、遍受、覺、遍覺，身心熱受、遍受、覺、遍覺，身壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺，心壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺，身心壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺。諸賢！說病苦者，因此故說。

> 「皆さん、『病の苦しみ』について説くのは、どのような理由によるものでしょうか。皆さん、病とは、頭痛、眼痛、耳痛、鼻痛、顔面痛、唇痛、歯痛、舌痛、歯茎痛、喉痛、喘息、咳、嘔吐、喉の炎症、癲癇、腫瘍、月経過多、黄疸、高熱、消耗、痔疾、下痢など、あるいはこれらに類する様々な病が、外界との接触から生じ、心から離れず、身体の中に存するものを言います。これを病と名づけます。 皆さん、『病の苦しみ』とは、生きとし生けるものが病む時、身体に苦しい感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じ、心に苦しい感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じ、身体と心に苦しい感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じることを言います。身体に熱い感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じ、心に熱い感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じ、身体と心に熱い感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じることを言います。身体に強い熱と煩悩と憂いと苦しみの感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じ、心に強い熱と煩悩と憂いと苦しみの感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じ、身体と心に強い熱と煩悩と憂いと苦しみの感覚を受け、それを行き渡らせ、感じ、行き渡らせて感じることを言います。 皆さん、『病の苦しみ』について説くのは、このような理由によるものです。」

「諸賢！說死苦者，此說何因？諸賢！死者，謂彼眾生、彼彼眾生種類，命終無常，死喪散滅，壽盡破壞，命根閉塞，是名為死。諸賢！死苦者，謂眾生死時，身受苦受、遍受、覺、遍覺，心受苦受、遍受、覺、遍覺，身心受苦受、遍受、覺、遍覺，身熱受、遍受、覺、遍覺，心熱受、遍受、覺、遍覺，身心熱受、遍受、覺、遍覺，身壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺，心壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺，身心壯熱煩惱憂慼受、遍受、覺、遍覺。諸賢！說死苦者，因此故說。

> 皆さま、「死の苦しみ」について説くのは、どのような理由によるものでしょうか。皆さま、死とは、あらゆる生きとし生けるもの、それぞれの種類の衆生が、命を終え、無常となり、死亡し、消え去り、寿命が尽きて壊れ、命の根幹が閉ざされること、これを死と呼びます。皆さま、死の苦しみとは、衆生が死ぬとき、身体で苦しみを受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じ、心で苦しみを受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じ、心と身体の両方で苦しみを受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じます。身体の熱苦を受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じ、心の熱苦を受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じ、心と身体の両方の熱苦を受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じます。身体の激しい熱と煩悩や憂いの苦しみを受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じ、心の激しい熱と煩悩や憂いの苦しみを受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じ、心と身体の両方の激しい熱と煩悩や憂いの苦しみを受け、全身で受け、感じ、隅々まで感じます。皆さま、「死の苦しみ」について説くのは、このような理由によるのです。

「諸賢！說怨憎會苦者，此說何因？諸賢！怨憎會者，謂眾生實有內六處，不愛眼處，耳、鼻、舌、身、意處，彼同會一，有攝、和、習，共合為苦，如是外處，更樂、覺、想、思、愛、亦復如是。諸賢！眾生實有六界，不愛地界，水、火、風、空、識界，彼同會一，有攝、和、習，共合為苦，是名怨憎會。諸賢！怨憎會苦者，謂眾生怨憎會時，身受苦受、遍受、覺、遍覺，心受苦受、遍受、覺、遍覺，身心受苦受、遍受、覺、遍覺。諸賢！說怨憎會苦者，因此故說。

> 「皆さん、怨憎会の苦について説くのは、どのような理由によるのでしょうか。皆さん、怨憎会とは、人々に実際に内なる六つの処（感覚器官）があり、好ましくない眼の処、耳、鼻、舌、身、意の処が、互いに一つに集まり、捉え合い、調和し、慣れ親しみ、共に合わさって苦しみとなることです。外なる処についても、また、接触、感受、想念、思考、愛執についても、同様です。皆さん、人々には実際に六つの界（元素）があり、好ましくない地の界、水、火、風、空、識の界が、互いに一つに集まり、捉え合い、調和し、慣れ親しみ、共に合わさって苦しみとなること、これを怨憎会といいます。皆さん、怨憎会の苦とは、人々が怨憎の対象と出会う時、身体が苦しい感受を受け、その感受を経験し、覚知し、そして心が苦しい感受を受け、その感受を経験し、覚知し、身心共に苦しい感受を受け、その感受を経験し、覚知することをいいます。皆さん、怨憎会の苦について説くのは、この理由によって説くのです。」

「諸賢！說愛別離苦者，此說何因？諸賢！愛別離苦者，謂眾生實有內六處，愛眼處，耳、鼻、舌、身、意處，彼異分散，不得相應，別離不會，不攝、不習、不和合為苦，如是外處，更樂、覺、想、思、愛，亦復如是。諸賢！眾生實有六界，愛地界，水、火、風、空、識界，彼異分散，不得相應，別離不會，不攝、不習、不和合為苦，是名愛別離。諸賢！愛別離苦者，謂眾生別離時，身受苦受、遍受、覺、遍覺，心受苦受、遍受、覺、遍覺，身心受苦受、遍受、覺、遍覺。諸賢！說愛別離苦者，因此故說。

> 皆様、「愛別離の苦しみ」についてお話しいたします。これは何を意味するのでしょうか。愛別離の苦しみとは、衆生が実際に内なる六つの処（六内処）を持ち、眼の処、耳、鼻、舌、身、意の処を愛し慕うことです。それらが離れ離れになり、調和せず、別れて会えず、結びつかず、親しまず、一つにならないことが苦しみとなります。外なる処についても、感覚、認識、思考、意志、愛着においても同様です。 皆様、衆生は実際に六つの界（六界）を持ち、地の界、水、火、風、空、識の界を愛します。それらが異なって分散し、調和せず、別れて会えず、結びつかず、親しまず、一つにならないことが苦しみです。これを愛別離と呼びます。 皆様、愛別離の苦しみとは、衆生が別れ離れる時に、身体が苦しみを受け、その苦しみに浸され、感じ取り、全身で感じ取ります。心も苦しみを受け、その苦しみに浸され、感じ取り、全身で感じ取ります。身心ともに苦しみを受け、その苦しみに浸され、感じ取り、全身で感じ取るのです。 皆様、愛別離の苦しみについて説くのは、このような理由によるのです。

「諸賢！說所求不得苦者，此說何因？諸賢！謂眾生生法，不離生法，欲得令我而不生者，此實不可以欲而得，老法、死法、愁憂慼法，不離憂慼法，欲得令我不憂慼者，此亦不可以欲而得。諸賢！眾生實生苦而不可樂、不可愛念，彼作是念：『若我生苦而不可樂、不可愛念者，欲得轉是，令可愛念。』此亦不可以欲而得。諸賢！眾生實生樂而可愛念，彼作是念：『若我生樂可愛念者，欲得令是常恒久住不變易法。』此亦不可以欲而得。諸賢！眾生實生思想而不可樂、不可愛念，彼作是念：『若我生思想而不可樂、不可愛念者，欲得轉是，令可愛念。』此亦不可以欲而得。諸賢！眾生實生思想而可愛念，彼作是念：『若我生思想可愛念者，欲得令是常恒久住不變易法。』此亦不可以欲而得。諸賢！說所求不得苦者，因此故說。

> 「皆さん、『求めて得られない苦しみ』について説くとき、それは何を理由に説くのでしょうか。皆さん、それはこうです。生き物は生まれるという性質を持ち、生まれるという性質から離れられません。『私を生まれないようにしたい』と望んでも、それは欲望によって叶えられるものではありません。老いる性質、死ぬ性質、悲しみ憂い悩む性質も同様で、それらから離れられません。『私を憂い悩みのない者にしたい』と望んでも、それも欲望によって叶えられるものではありません。 皆さん、生き物は実際に、苦しみながら生まれ、それは楽しいものではなく、愛しく思えるものでもありません。そこで彼らはこう考えます。『もし私が、楽しくなく愛しくもない苦しみのうちに生まれるのなら、これを変えて愛しく思えるものにしたい』と。しかし、これも欲望によって叶えられるものではありません。 皆さん、生き物は実際に、楽しく愛しく思えるもののうちに生まれます。そこで彼らはこう考えます。『もし私が、楽しく愛しく思えるもののうちに生まれるのなら、これを常に永遠に続く、変わらぬものにしたい』と。しかし、これも欲望によって叶えられるものではありません。 皆さん、生き物は実際に、楽しくなく愛しくもない想念のうちに生まれます。そこで彼らはこう考えます。『もし私が、楽しくなく愛しくもない想念のうちに生まれるのなら、これを変えて愛しく思えるものにしたい』と。しかし、これも欲望によって叶えられるものではありません。 皆さん、生き物は実際に、楽しく愛しく思える想念のうちに生まれます。そこで彼らはこう考えます。『もし私が、楽しく愛しく思える想念のうちに生まれるのなら、これを常に永遠に続く、変わらぬものにしたい』と。しかし、これも欲望によって叶えられるものではありません。 皆さん、『求めて得られない苦しみ』を説くのは、この理由によるのです。」

「諸賢！說略五盛陰苦者，此說何因？謂色盛陰，覺、想、行、識盛陰。諸賢！說略五盛陰苦者，因此故說。

> 「皆さん、『五つの執着の塊（五取蘊）の苦しみ』を簡単に説くのは、何の理由によるものでしょうか。それは、物質的な現象（色）の塊、感覚（受）の塊、知覚（想）の塊、心の形成作用（行）の塊、そして認識（識）の塊によるものです。皆さん、このように『五つの執着の塊の苦しみ』を簡単に説くのは、この理由によるのです。」

「諸賢！過去時是苦聖諦，未來、現在時是苦聖諦，真諦不虛，不離於如，亦非顛倒，真諦審實，合如是諦，聖所有，聖所知，聖所見，聖所了，聖所得，聖所等正覺，是故說苦聖諦。

> 皆さま、過去においてもこれは苦しみという聖なる真理であり、未来においても、現在においても、これは苦しみという聖なる真理です。この真理は真実で偽りがなく、あるがままの姿から離れておらず、決して誤った見解ではありません。真理は確かで実在し、真理にかなったものです。これは聖者たちが持つものであり、聖者たちが知り、見、悟り、得たものであり、聖者たちが完全に正しく目覚めたものです。そのため、これを苦しみという聖なる真理と説くのです。

「諸賢！云何愛習苦習聖諦？謂眾生實有愛內六處，眼處，耳、鼻、舌、身、意處，於中若有愛、有膩、有染、有著者，是名為習。諸賢！多聞聖弟子知我如是知此法，如是見，如是了，如是視，如是覺，是謂愛習苦習聖諦，如是知之。云何知耶？若有愛妻、子、奴婢、給使、眷屬、田地、屋宅、店肆、出息財物，為所作業，有愛、有膩、有染、有著者，是名為習；彼知此愛習，苦習聖諦，如是外處，更樂、覺、想、思、愛，亦復如是。諸賢！眾生實有愛六界，地界，水、火、風、空、識界，於中若有愛、有膩、有染、有著者，是名為習。諸賢！多聞聖弟子知我如是知此法，如是見，如是了，如是視，如是覺，是謂愛習苦習聖諦，如是知之。云何知耶？若有愛妻、子、奴婢、給使、眷屬、田地、屋宅、店肆、出息財物，為所作業，有愛、有膩、有染、有著者，是名為習，彼知是愛習苦習聖諦。諸賢！過去時是愛習苦習聖諦，未來、現在時是愛習苦習聖諦，真諦不虛，不離於如，亦非顛倒，真諦審實，合如是諦，聖所有，聖所知，聖所見，聖所了，聖所得，聖所等正覺，是故說愛習苦習聖諦。

> 「皆さん、愛執が苦しみを生み出すという聖なる真理についてお話しします。人が実際に内なる六つの感覚器官——すなわち、眼、耳、鼻、舌、身、意——に対して愛着や執着、染まり、とらわれを抱くこと、これが苦しみの原因となります。 皆さん、よく学んだ聖なる弟子は、この教えをこのように知り、このように見、このように理解し、このように観察し、このように覚ります。これを、愛執が苦しみを生み出す聖なる真理と知るのです。どのように知るのかというと、もし人が妻や子、召使いや使用人、親族、田畑、家屋、店舗、貸付金や財産、その他様々な仕事に対して、愛着や執着、染まり、とらわれを抱くなら、それが原因となります。これが外側の対象についても、そして感覚の接触、感受、思考、意志、愛執についても同様です。 皆さん、人は実際に六つの要素——すなわち、地、水、火、風、空、識——に対しても愛着や執着、染まり、とらわれを抱きます。これもまた苦しみの原因となります。皆さん、よく学んだ聖なる弟子は、この教えをこのように知り、このように見、このように理解し、このように観察し、このように覚ります。これを、愛執が苦しみを生み出す聖なる真理と知るのです。どのように知るのかというと、先ほど申し上げたように、様々な対象や関係に対して愛着を抱くこと、それが原因なのです。この真理は過去においても真理であり、未来においても真理であり、現在においても真理であり、真実で偽りがなく、真理のままにあり、決して誤りではありません。これは聖者たちが所有し、聖者たちが知り、聖者たちが見、聖者たちが理解し、聖者たちが獲得し、聖者たちが正しく覚った真理です。ゆえに、これを愛執が苦しみを生み出す聖なる真理と説くのです。」

「諸賢！云何愛滅苦滅聖諦？謂眾生實有愛內六處，眼處、耳、鼻、舌、身、意處，彼若解脫，不染不著、斷捨吐盡、無欲、滅、止沒者，是名苦滅。諸賢！多聞聖弟子知我如是知此法，如是見，如是了，如是視，如是覺，是謂愛滅苦滅聖諦，如是知之。云何知耶？若有不愛妻、子、奴婢、給使、眷屬、田地、屋宅、店肆、出息財物，不為所作業，彼若解脫，不染不著、斷捨吐盡、無欲、滅、止沒者，是名苦滅，彼知是愛滅苦滅聖諦，如是外處，更樂、覺、想、思、愛亦復如是。諸賢！眾生實有愛六界，地界，水、火、風、空、識界，彼若解脫，不染不著、斷捨吐盡、無欲、滅、止沒者，是名苦滅。諸賢！多聞聖弟子知我如是知此法，如是見，如是了，如是視，如是覺，是謂愛滅苦滅聖諦，如是知之。云何知耶？若有不愛妻、子、奴婢、給使、眷屬、田地、屋宅、店肆、出息財物，不為所作業，彼若解脫，不染不著，斷捨吐盡、無欲、滅、止沒者，是名苦滅，彼知是愛滅苦滅聖諦。諸賢！過去時是愛滅苦滅聖諦，未來、現在時是愛滅苦滅聖諦，真諦不虛，不離於如，亦非顛倒，真諦審實，合如是諦，聖所有，聖所知，聖所見，聖所了，聖所得，聖所等正覺，是故說愛滅苦滅聖諦。

> 皆様、では「愛が滅びれば苦しみも滅するという真理」とは何でしょうか。 つまり、生きとし生けるものには確かに、執着の対象となる内なる六つの感覚器官——すなわち、眼、耳、鼻、舌、身、意——があります。これらからもし解脱し、それらに染まらず執着せず、断ち切り、捨て去り、尽くし尽くし、欲がなくなり、滅し、静まり、消え去るならば、それを苦しみの滅尽と名付けます。 皆様、よく学んだ聖なる弟子は、私がこの法をこのように知り、このように見て、このように理解し、このように観察し、このように悟ることを知っています。これを「愛が滅びれば苦しみも滅するという真理」と言い、このようにそれを知るのです。 どのように知るのかというと、もしある人が、妻、子、奴婢、召使い、眷属、田畑、家屋、店舗、貸付金や財産を愛さず、それらのために何らの業も行わなければ、そうしたものから解脱し、染まらず執着せず、断ち切り、捨て去り、尽くし尽くし、欲がなくなり、滅し、静まり、消え去る。それを苦しみの滅尽と名付けます。その人はこうして「愛が滅びれば苦しみも滅するという真理」を知るのです。 外なる感覚の対象についても、そして、接触、感覚、思考、思い、執着についても、全く同じです。 皆様、生きとし生けるものには確かに、執着の対象となる六つの要素——すなわち、地の要素、水、火、風、虚空、識の要素——があります。これらからもし解脱し、それらに染まらず執着せず、断ち切り、捨て去り、尽くし尽くし、欲がなくなり、滅し、静まり、消え去るならば、それを苦しみの滅尽と名付けます。 皆様、よく学んだ聖なる弟子は、私がこの法をこのように知り、このように見て、このように理解し、このように観察し、このように悟ることを知っています。これを「愛が滅びれば苦しみも滅するという真理」と言い、このようにそれを知るのです。 どのように知るのかというと、もしある人が、妻、子、奴婢、召使い、眷属、田畑、家屋、店舗、貸付金や財産を愛さず、それらのために何らの業も行わなければ、そうしたものから解脱し、染まらず執着せず、断ち切り、捨て去り、尽くし尽くし、欲がなくなり、滅し、静まり、消え去る。それを苦しみの滅尽と名付けます。その人はこうして「愛が滅びれば苦しみも滅するという真理」を知るのです。 皆様、過去におけるものも、この「愛が滅びれば苦しみも滅するという真理」です。未来、現在におけるものも、同じくこの真理です。それは真実であり、虚偽ではなく、「如（ありのまま）」を離れず、決して顛倒したものではなく、真実であり、確かであり、この真理にかなっています。それは聖者たちのものであり、聖者たちに知られ、聖者たちに見られ、聖者たちに理解され、聖者たちに得られ、聖者たちによって正しく悟られたものです。それゆえに、これを「愛が滅びれば苦しみも滅するという真理」と呼ぶのです。

「諸賢！云何苦滅道聖諦？謂正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定。諸賢！云何正見？謂聖弟子念苦是苦時，習是習、滅是滅，念道是道時，或觀本所作，或學念諸行，或見諸行災患，或見涅槃止息，或無著念觀善心解脫時，於中擇、遍擇、次擇，擇法、視、遍視，觀察明達，是名正見。

> 「皆さん、苦しみを滅する道という真理とは何でしょうか。それは、正しい見解、正しい意志、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい念、正しい集中です。 皆さん、正しい見解とは何でしょうか。聖なる弟子が、苦しみを苦しみとして思い起こす時、苦しみの原因を原因として思い起こす時、苦しみの滅尽を滅尽として思い起こす時、道を道として思い起こす時、あるいは過去の行いを観察し、あるいは諸々の行を学び観念し、あるいは諸々の行の災いや患いを見、あるいは涅槃の静まりを見、あるいは執着なく善心を観じて解脱を思う時、その中で選び、よく選び、次々に選び、法を選び、視、よく視、観察し明らかに達すること、これを正しい見解といいます。」

「諸賢！云何正志？謂聖弟子念苦是苦時，習是習、滅是滅，念道是道時，或觀本所作，或學念諸行，或見諸行災患，或見涅槃止息，或無著念觀善心解脫時，於中心伺、遍伺、隨順伺，可念則念，可望則望，是名正志。

> 「皆さん、正しい意志とは何でしょうか？聖なる弟子が、苦しみは苦しみであると mindful に観じ、苦しみの原因は原因であると、滅尽は滅尽であると mindful に観じ、道は道であると mindful に観じるとき、あるいは過去の行いを観察し、あるいは諸々の形成されたものについて mindful に学び、あるいは諸々の形成されたものの災いや過患を見、あるいは涅槃による安息を見、あるいは執着のない心で善き心の解放を mindful に観じるとき、その心の中で、尋ね、遍く尋ね、随順して尋ね、念ずべきことを念じ、願うべきことを願うこと、これを正しい意志と呼びます。」

「諸賢！云何正語？謂聖弟子念苦是苦時，習是習、滅是滅，念道是道時，或觀本所作，或學念諸行，或見諸行災患，或見涅槃止息，或無著念觀善心解脫時，於中除口四妙行，諸餘口惡行遠離除斷，不行不作，不合不會，是名正語。

> 「皆さま、正しい言葉とは何でしょうか？それは、聖なる弟子が『苦しみは苦しみである』と観じ、『原因は原因である』『滅するものは滅する』と観じ、『道は道である』と観じる時、あるいは過去の行いを省みる時、あるいはあらゆる営みを学び考える時、あるいはこれらの営みの災いを観じる時、あるいは涅槃の安らぎを観じる時、あるいは執着なく心を善く解放することを観じる時、口による四つの善い行い（不妄語・不両舌・不悪口・不綺語）を実践し、それ以外の口による悪い行いを遠く離れ断ち切り、行わず、作らず、合わせず、合わせ会わせないこと、これを正しい言葉といいます。」

「諸賢！云何正業？謂聖弟子念苦是苦時，習是習、滅是滅，念道是道時，或觀本所作，或學念諸行，或見諸行災患，或見涅槃止息，或無著念觀善心解脫時，於中除身三妙行，諸餘身惡行遠離除斷，不行不作，不合不會，是名正業。

> 「皆さま、正しい行いとは何でしょうか。それは、聖なる弟子が「苦しみは苦しみである」「原因は原因である」「滅びは滅びである」「道は道である」と正しく観じるとき、あるいは過去の行いを振り返るとき、あるいは諸々の現象を学び観じるとき、あるいは諸々の現象の過ちを見るとき、あるいは涅槃の安らぎを見るとき、あるいは執着なく心の解脱を善く観じるときに、身体に関する三つの善い行いを除いた、その他の身体による悪い行いから遠ざかり、断ち切り、行わず、為さず、結ばず、触れないこと。これを正しい行いと名づけます。」

「諸賢！云何正命？謂聖弟子念苦是苦時，習是習、滅是滅，念道是道時，或觀本所作，或學念諸行，或見諸行災患，或見涅槃止息，或無著念觀善心解脫時，於中非無理求，不以多欲無厭足，不為種種伎術呪說邪命活，但以法求衣，不以非法，亦以法求食、床座，不以非法，是名正命。

> 「皆さん、では正しい生活とは何でしょうか？ それは、聖なる弟子が、 苦しみを苦しみと、その原因を原因と、その消滅を消滅と、道を道と、正しく観察する時、 あるいは過去の行為を顧みる時、 あるいはすべての形成されたものについて観察する時、 あるいはそれらの危険を見る時、 あるいは涅槃の静けさを観る時、 あるいは執着なく心の善き解放を観察する時、 その中で、道理に反した求め方をせず、 過度の欲望や満たされなさを持たず、 様々な術策や呪文、邪悪な生き方によって生活せず、 ただ正しい方法によって衣服を求め、間違った方法によらず、 また正しい方法によって食物や寝具を求め、間違った方法によらないこと。 これを正しい生活といいます。」

「諸賢！云何正方便？謂聖弟子念苦是苦時，習是習、滅是滅，念道是道時，或觀本所作，或學念諸行，或見諸行災患，或見涅槃止息，或無著念觀善心解脫時，於中若有精進方便，一向精勤求，有力趣向，專著不捨，亦不衰退，正伏其心，是名正方便。

> 「皆さま、正しい精進とは何でしょうか？ それは、聖なる弟子が『苦しみは苦しみである』と気づき、『苦しみの原因は原因である』『苦しみの消滅は消滅である』『道は道である』と心に留めるときのことです。 あるいは、過去の行いを観察し、すべての形成されたものを学び、それらの過ちを見て、涅槃の静けさを感じ、または執着なく心を観察し、善い心の解放を味わうとき、その中で、精進し努力し、ひたむきに励み、力強く向かい、集中して怠らず、衰えることなく、心を正しく整えること――これが正しい精進と呼ばれます。」

「諸賢！云何正念？謂聖弟子念苦是苦時，習是習、滅是滅，念道是道時，或觀本所作，或學念諸行，或見諸行災患，或見涅槃止息，或無著念觀善心解脫時，於中若心順念、背不向念、念遍、念憶、復憶、心心、不忘心之所應，是名正念。

> 皆さん、「正念」とは何でしょうか。それは、聖なる弟子が「苦しみは苦しみである」と気づき、「原因は原因」「消滅は消滅」「道は道」と認識する時、あるいは過去の行いを観察する時、あるいは様々な現象を念じる時、あるいはそれらの現象の危険性を見極める時、あるいは涅槃の静止を認める時、あるいは執着なく心の善き解放を観察する時、その中で心がしっかりと向かい、背を向けずに念じ、繰り返し念じ、心のすみずみまで忘れずに集中している状態、これを「正念」と呼びます。

「諸賢！云何正定？謂聖弟子念苦是苦時，習是習、滅是滅，念道是道時，或觀本所作，或學念諸行，或見諸行災患，或見涅槃止息，或無著念觀善心解脫時，於中若心住、禪住、順住，不亂不散，攝止正定，是名正定。

> 「皆さん、では正しい定（正定）とは何でしょうか？聖なる弟子が、『苦しみは苦しみである』と正しく理解し、『苦しみの原因は原因である』『滅は滅である』『道は道である』と正しく認識する時。あるいは、過去の行いを観察し、様々な現象（行）を繰り返し学び、それらの災いを見極め、涅槃の静けさを観じ、あるいは執着なく善き心の解放を観じている時――その中で、心がとどまり、安定し、順応し、乱れることなく散漫にならず、心を一つに保つこと、これが正しい定なのです。」

「諸賢！過去時是苦滅道聖諦，未來、現在時是苦滅道聖諦，真諦不虛，不離於如，亦非顛倒，真諦審實，合如是諦，聖所有，聖所知，聖所見，聖所了，聖所得，聖所等正覺，是故說苦滅道聖諦。」

> 皆さん、過去においても、苦しみを滅するための道という聖なる真理は存在しました。未来においても、現在においても、この真理は変わることなく存在します。それは、真実であり、偽りなく、真理の道理（如）から離れておらず、決して間違った見解（顛倒）ではありません。それは確かで実在する真理であり、真理そのものにかなっています。この真理は、聖者たちが持つものであり、聖者たちが知り、聖者たちが見、聖者たちが理解し、聖者たちが体得し、聖者たちが正しく悟るものです。ですから、これを「苦しみを滅するための道という聖なる真理」と呼ぶのです。

於是頌曰：

> そこで、このように賛えられています。

「佛明達諸法， 見無量善德，苦習滅道諦， 善顯現分別。」

尊者舍梨子所說如是。彼諸比丘聞尊者舍梨子所說，歡喜奉行。

> 尊師サーリプッタはこのように説かれました。比丘たちは尊師サーリプッタの説法を聞き、歓喜してその教えを実践しました。

分別聖諦經第十一竟三千四百二十五字

> 「分別聖諦経」第十一終わり<note>三千四百二十五字</note>

## 中阿含經卷第七一萬一千三百六十九字中阿含舍梨子相應品第三竟二萬七千五百一十二字初一日誦

> 中阿含経 巻第七<note>一万一千三百六十九字</note>中阿含 舎梨子相応品