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title: "中阿含經 · 33 侍者經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （三三）中阿含未曾有法品侍者經第二初一日誦

> （三三）中阿含未曾有法品侍者経第二<note>初一日誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城。

> ある時、仏陀は王舎城におられた。

爾時，多識名德、上尊長老比丘、大弟子等，謂尊者拘隣若、尊者阿攝貝、尊者跋提釋迦王、尊者摩訶男拘隷、尊者惒破、尊者耶舍、尊者邠耨、尊者維摩羅、尊者伽惒波提、尊者須陀耶、尊者舍梨子、尊者阿那律陀、尊者難提、尊者金毘羅、尊者隷婆哆、尊者大目乾連、尊者大迦葉、尊者大拘絺羅、尊者大周那、尊者大迦旃延、尊者邠耨加㝹寫長老、尊者耶舍行籌長老，如是比餘多識名德、上尊、長老比丘、大弟子等，亦遊王舍城，並皆近佛葉屋邊住。

> その時、多くの名高き徳ある長老、上座の比丘、大弟子たち、すなわち尊者倶隣若、尊者阿摂貝、尊者跋提釈迦王、尊者摩訶男倶隷、尊者惒破、尊者耶舎、尊者邠耨、尊者維摩羅、尊者伽惒波提、尊者須陀耶、尊者舎梨子、尊者阿那律陀、尊者難提、尊者金毘羅、尊者隷婆哆、尊者大目乾連、尊者大迦葉、尊者大倶絺羅、尊者大周那、尊者大迦旃延、尊者邠耨加㝹寫長老、尊者耶舎行籌長老、その他これに類する多くの名高き徳ある長老、上座の比丘、大弟子たちもまた、王舎城に遊んで、みな仏の葉屋の近くに住んでいた。

是時，世尊告諸比丘：「我今年老，體轉衰弊，壽過埀訖，宜須侍者，汝等見為舉一侍者，令瞻視我可非不可，受我所說，不失其義。」

於是，尊者拘隣若即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！我願奉侍可非不可，及受所說，不失其義。」

> 尊者・コウリンニャがすぐに座を立ち、衣を整えて合掌し、仏に向かって申し上げた。「世尊よ、私はあなたに仕え、善悪を共にし、お言葉を正しく受け継ぎ、その意味を見失うことがありませんように。」

世尊告曰：「拘隣若！汝自年老，體轉衰弊，壽過垂訖，汝亦自應須瞻視者。拘隣若！汝還本坐。」於是，尊者拘隣若即禮佛足，便還復坐。

> 世尊はおっしゃいました。「コーンディンニャよ、あなたはすでに年老い、体は衰え、寿命も尽きようとしている。あなた自身も世話を必要とする立場である。コーンディンニャよ、元の席にお戻りなさい。」 そこで、尊者コーンディンニャは仏の足に礼拝し、もとの座に戻った。

如是尊者阿攝貝、尊者跋提釋迦王、尊者摩訶男拘隸、尊者惒破、尊者耶舍、尊者邠耨、尊者維摩羅、尊者伽惒波提、尊者須陀耶、尊者舍梨子、尊者阿那律陀、尊者難提、尊者金毘羅、尊者隸婆哆、尊者大目乾連、尊者大迦葉、尊者大拘絺羅、尊者大周那、尊者大迦旃延、尊者邠耨加㝹寫長老。

> 尊者アセバイ、尊者バダイ釈迦王、尊者和破、尊者ヤシャ、尊者ヒンノウ、尊者ビマラ、尊者カワパティ、尊者スダヤ、尊者シャリシ（シャーリプトラ）、尊者アナルッダ（アヌルッダ）、尊者ナンディ（ナンディカ）、尊者キンビラ（キンビラ）、尊者レバッタ（レーヴァタ）、尊者マハー・モッガラーナ（マハー・モッガラーナ）、尊者マハー・カッサパ（マハー・カッサパ）、尊者マハー・コーティカ（マハー・コーディカ）、尊者マハー・チュンナ（マハー・チュンダ）、尊者マハー・カッチャーヤナ（マハー・カッチャーヤナ）、尊者ヒンノウ・カヌーシャ長老。

尊者耶舍行籌長老即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛白曰：「世尊！我願奉侍可非不可，及受所說，不失其義。」

> 尊者耶舍が、くじ引きで選ばれた長老として立ち上がり、衣の肩を片方にかけて、手を合わせて仏に向かい、申し上げました。「世尊よ、私はあなたにお仕えし、善悪を見極め、あなたの教えを受けてその意味を違えることなく実践したいと願います。」

世尊告曰：「耶舍！汝自年老，體轉衰弊，壽過垂訖，汝亦自應須瞻視者。耶舍！汝還本坐。」於是，尊者耶舍即禮佛足，便還復坐。

> 世尊がおっしゃいました。「耶舍よ、あなたはもう年をとり、身体は衰え、寿命も尽きかけています。あなたこそ、まさに世話をされるべき立場です。耶舍よ、あなたは元の座に戻りなさい。」そこで、尊者耶舍は仏の足に礼をし、元の座に戻りました。

爾時，尊者大目乾連在彼眾中，便作是念：「世尊欲求誰為侍者？意在何比丘，欲令瞻視可非不可，及受所說，不失其義？我寧可入如其像定，觀眾比丘心。」於是，尊者大目乾連即入如其像定，觀眾比丘心。尊者大目乾連即知世尊欲得賢者阿難以為侍者，意在阿難，欲令瞻視可非不可，及受所說，不失其義。於是，尊者大目乾連即從定起，白眾比丘曰：「諸賢知不？世尊欲得賢者阿難以為侍者，意在阿難，欲令瞻視可非不可，及受所說，不失其義。諸賢！我等今應共至賢者阿難所，勸喻令為世尊侍者。」

> そのとき、尊者大目乾連（マハー・モッガラーナ）は、その僧の集いの中でこう思いました。 「世尊（仏陀）は、だれを侍者（お世話役）としてお望みなのだろうか。どの比丘（僧）を選んで、善悪を見極めさせ、説かれた内容を正しく受け継がせようとしているのだろうか。 私は、禅定（深い瞑想）に入って、比丘たちの心を観察してみよう」 そこで、尊者大目乾連は禅定に入り、比丘たちの心を観察しました。 すると、世尊が尊者アーナンダ（阿難）を侍者として望んでおられ、アーナンダを選んで、善悪を見極めさせ、説かれた内容を正しく受け継がせようとしていることを知りました。 そこで、尊者大目乾連は禅定から出て、比丘たちに告げました。 「皆さん、お気づきですか？世尊は尊者アーナンダを侍者としてお望みです。 アーナンダを選んで、善悪を見極めさせ、説かれた内容を正しく受け継がせようとされています。 皆さん、私たちは今、尊者アーナンダのもとへ行き、世尊の侍者になるようお勧めしましょう」

於是，尊者大目乾連及諸比丘共至尊者阿難所，共相問訊，却坐一面。是時，尊者大目乾連坐已，語曰：「賢者阿難！汝今知不？佛欲得汝以為侍者，『意在阿難，令瞻視我可非不可，受我所說，不失其義。』阿難！猶村外不遠有樓閣臺觀，向東開󰈧，日出光照在於西壁，賢者阿難！世尊亦然，欲得賢者阿難以為侍者，『意在阿難，令瞻視我可非不可，受我所說，不失其義。』賢者阿難！汝今可為世尊侍者。」

> そこで、尊者マハーモッガッラーナと比丘たちは、共に尊者アーナンダのもとへ赴き、互いに挨拶を交わしてから、一方に座った。その時、尊者マハーモッガッラーナは座ってから言った。「賢者アーナンダよ。あなたは知っているだろうか？仏はあなたを侍者として望んでおられる。『心はアーナンダに向けられ、私の世話をさせ、善悪を判断させ、私の説くところを受け入れ、その意味を失わせないように』と。アーナンダよ。ちょうど村の遠くない所に楼閣や台観があり、東に向かって窓が開いていると、日の光が差し込み西の壁を照らすように、賢者アーナンダよ。世尊もまた同じである。賢者アーナンダを侍者として望んでおられる。『心はアーナンダに向けられ、私の世話をさせ、善悪を判断させ、私の説くところを受け入れ、その意味を失わせないように』と。賢者アーナンダよ。あなたは今、世尊の侍者となることができるだろう。」

尊者阿難白曰：「尊者大目乾連！我不堪任奉侍世尊。所以者何？諸佛世尊難可難侍謂為侍者。尊者大目乾連！猶如王大雄象，年滿六十，憍發力盛，牙足體具，難可難近謂為看視也。尊者大目乾連！如來、無所著、等正覺亦復如是，難可難近謂為侍者。尊者大目乾連！我以是故，不任侍者。」

> （阿難尊者は申し上げた）：「大目乾連尊者よ、私は世尊のお世話をする任に堪えません。なぜなら、諸仏世尊はおそばに仕えることが極めて難しいからです。大目乾連尊者よ、ちょうど王家の雄象が六十歳に達し、驕りが盛んで力がみなぎり、牙や足や体が完備していて、近づきがたく、まさに世話をするのが難しいのと同じです。大目乾連尊者よ、如来・無所著・等正覚もまた同様で、近づきがたく、お世話をするのが難しいのです。大目乾連尊者よ、それゆえに私はお世話役には堪えられないのです。」

尊者大目乾連復語曰：「賢者阿難！聽我說喻，智者聞喻，即解其義。賢者阿難！猶如優曇鉢華，時生於世，賢者阿難！如來、無所著、等正覺亦復如是，時時出世。賢者阿難！汝可速為世尊侍者，瞿曇當得大果。」

> 尊者大目乾連がさらに言いました。「尊者アーナンダよ、私がたとえ話をしよう。賢者はたとえを聞けば、その意味を理解するものだ。 尊者アーナンダよ、ちょうど優曇華（うどんげ）が世に現れるのは、まれな時であるように、 尊者アーナンダよ、如来・阿羅漢・正等覚者もまた、これと同じく、まれに世に現れるのである。 尊者アーナンダよ、あなたは速やかに世尊の侍者となりなさい。ゴータマ（ブッダ）は大いなる果報を得られるであろう。」

尊者阿難復白曰：「尊者大目乾連！若世尊與我三願者，我便然可為佛侍者。云何為三？我願不著佛新故衣，願不食別請佛食，願不非時見佛。尊者大目乾連！若世尊與我此三願者，如是我便為佛侍者。」

> 尊者アーナンダがまた言いました。「尊者マハーマウドガリヤヤナよ、もし世尊が私に三つの願いを叶えてくださるなら、私は仏の侍者となることを承知いたします。その三つとは何か。私は仏の新しい衣も古い衣も身につけないこと、別に招かれて仏の食事をいただかないこと、時にあらずして仏にお目にかからないこと、この三つです。尊者マハーマウドガリヤヤナよ、もし世尊が私にこの三つの願いを許してくださるなら、そのようにして私は仏の侍者となるでありましょう。」

於是，尊者大目乾連勸尊者阿難為侍者已，即從坐起，繞尊者阿難，而便還去，往詣佛所，󰨤首禮足，却坐一面，白曰：「世尊！我已勸喻賢者阿難為佛侍者。世尊！賢者阿難從佛求三願。『云何為三？願不著佛新故衣，願不食別請佛食，願不非時見佛。尊者大目乾連！若世尊與我此三願者，如是我便為佛侍者。』」

> そこで、尊者マハーモッガラーナは、尊者アーナンダに侍者となるよう勧め終えると、その場から立ち上がり、尊者アーナンダの周りを右に三度回ってから立ち去り、仏陀の元へと向かった。そして仏陀の足を頭に当てて礼拝し、一方に座ってこう申し上げた。「世尊よ、私はすでに尊者アーナンダを説得し、仏陀の侍者とするよう勧めました。世尊よ、尊者アーナンダは仏陀に三つの願いを求めました。『その三つとは何か。願わくば、仏陀の新しい衣も古い衣も着用しないこと。願わくば、別に招かれて仏陀と供に食事をしないこと。願わくば、時ならずして仏陀に拝見しないこと。尊者マハーモッガラーナよ、もし世尊が私にこの三つの願いを許して下さるなら、そのようにして私は仏陀の侍者となりましょう。』と」

世尊告曰：「大目乾連！阿難比丘聰明智慧，豫知當有譏論，或諸梵行作如是語：『阿難比丘為衣故奉侍世尊。』大目乾連！若阿難比丘聰明智慧，豫知當有譏論，或諸梵行作如是語：『阿難比丘為衣故奉侍世尊。』者，是謂阿難比丘未曾有法。大目乾連！阿難比丘聰明智慧，豫知當有譏論，或諸梵行作如是語：『阿難比丘為食故奉侍世尊。』大目乾連！若阿難比丘聰明智慧，豫知當有譏論，或諸梵行作如是語：『阿難比丘為食故奉侍世尊。』者，是謂阿難比丘未曾有法。大目乾連！阿難比丘善知時，善別時，知我是往見如來時，知我非往見如來時。知比丘眾、比丘尼眾是往見如來時，知比丘眾、比丘尼眾非往見如來時。知優婆塞眾、優婆私眾是往見如來時，知優婆塞眾、優婆私眾非往見如來時。知眾多異學沙門、梵志是往見如來時，知眾多異學沙門、梵志非往見如來時。知此眾多異學沙門、梵志能與如來共論，知此眾多異學沙門、梵志不能與如來共論。知此食噉含消，如來食已，安隱饒益，知此食噉含消，如來食已，不安隱饒益。知此食噉含消，如來食已，得辯才說法，知此食噉含消，如來食已，不得辯才說法。是謂阿難比丘未曾有法。

> 世尊は仰せられた。「大目乾連よ、阿難比丘は聡明で智慧があり、将来起こるであろう非難や論争を予見していた。例えば、ある修行者たちが『阿難比丘は衣の為に世尊に仕えているのだ』と言うことを。大目乾連よ、阿難比丘がそのように聡明で智慧をもって、将来の非難や論争を予見し、『阿難比丘は衣の為に世尊に仕えているのだ』と修行者たちが言うのを見越していたこと、これが阿難比丘の未曾有の法である。 大目乾連よ、また阿難比丘は聡明で智慧があり、将来起こるであろう非難や論争を予見していた。例えば、修行者たちが『阿難比丘は食べ物の為に世尊に仕えているのだ』と言うことを。大目乾連よ、阿難比丘がそのように聡明で智慧をもって、将来の非難や論争を予見し、『阿難比丘は食べ物の為に世尊に仕えているのだ』と修行者たちが言うのを見越していたこと、これも阿難比丘の未曾有の法である。 大目乾連よ、阿難比丘は時をよく知り、時をよく見分ける。すなわち、『今が私が如来のもとへ伺うべき時である』と知り、また『今は私が如来のもとへ伺うべき時ではない』と知る。比丘たちや比丘尼たちが如来のもとへ伺うべき時であることを知り、またそうでない時を知る。優婆塞たちや優婆私たちが如来のもとへ伺うべき時であることを知り、またそうでない時を知る。また、様々な異なる学問を修める沙門や梵志たちが如来のもとへ伺うべき時であることを知り、またそうでない時を知る。さらに、これらの様々な異なる学問を修める沙門や梵志たちが如来と共に議論できるかどうかを知り、またできないかを知る。また、ある飲食物を如来が召し上がった後に、安穏で利益があるかどうかを知り、またそうでないかを知る。そして、ある飲食物を如来が召し上がった後に、弁才を得て説法できるかどうかを知り、またできないかを知る。これらが阿難比丘の未曾有の法である。」

「大目乾連！阿難比丘雖無他心智，而善知如來晡時從燕坐起，豫為人說，今日如來行如是，如是現法樂居，審如所說，諦無有異。是謂阿難比丘未曾有法。」

> 「大目乾連よ。阿難比丘には、他人の心を知る力はなくとも、如来が夕方の坐禅から立ち上がられることをよく知っている。あらかじめ人のために説いて、今日、如来はこのように行じ、このように現世の安楽に留まられる、と。その説くところはまことに真実で、少しも違わない。これが阿難比丘の未曾有の法である。」

尊者阿難作是說：「諸賢！我奉侍佛來二十五年，若以此心起貢高者，無有是相。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者也、阿難はこのように説きました。「皆さま、私は二十五年前から仏に仕えていますが、もしこの心に驕りの心が生じたなら、そのような兆候は全くありません。」尊者阿難がこのように述べたことこそ、尊者阿難の未曾有の法というべきものです。

尊者阿難復作是說：「諸賢！我奉侍佛來二十五年，初不非時見佛。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者のアーナンダはまたこう語った。「諸賢よ、私は二十五年来、仏様にお仕えしてきましたが、未曾有不意に仏様にお目にかかったことはありません。」尊者アーナンダがこのように語ったこと、これこそが尊者アーナンダの未曾有の法である。

尊者阿難復作是說：「諸賢！我奉侍佛來二十五年，未曾為佛所見訶責，除其一過，此亦為他故。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者アーナンダはまた、このように語った。「皆さん、私は二十五年来、仏にお仕えしてきましたが、ただ一度の過ちを除き、仏から叱責されたことは一度もありません。その一度も、他者のためであったのです。」尊者アーナンダがこのように語ったことこそ、尊者アーナンダの未曾有の教えなのである。

尊者阿難復作是說：「諸賢！我從如來受八萬法聚，受持不忘，若以此起貢高者，無有此相。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者アーナンダがまた次のように語った。「尊い方々よ、私は如来から八万の法の集まりを直接受け、それを記憶し忘れることがありません。もしこのことから慢心を起こすならば、そのようなことはありえません。」 尊者アーナンダがこのように語ったことこそ、尊者アーナンダの未曾有の法である。

尊者阿難復作是說：「諸賢！我從如來受八萬法聚，初不再問，除其一句，彼亦如是不易。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者アーナンダがまたこう語った。「皆さま、私は如来から八万の法の集まりをお聞きしましたが、一度も二度目をお尋ねしたことはありません。ただ、ある一句だけは例外で、それもまた同じように変わりませんでした。」尊者のアーナンダがこのように述べたならば、これこそ尊者のアーナンダの未曾有の法というべきです。

尊者阿難復作是說：「諸賢！我從如來受持八萬法聚，初不見從他人受法。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者のアーナンダはこうも語った。「皆さん、私は如来から八万の教えの集まりを直接受けてきました。他の人から教えを受けたことは一度もありません。」尊者アーナンダがこのように語ったこと、これこそが尊者アーナンダの未曾有の法なのです。

尊者阿難復作是說：「諸賢！我從如來受持八萬法聚，初無是心，我受此法，為教語他。諸賢！但欲自御自息，自般涅槃故。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者アーナンダはまた、こう語った。「尊い方々よ、私は如来から八万もの法の集まりを直接受け継ぎましたが、決して『この法を他の人に教え伝えよう』という心で受け持ったことは一度もありません。ただ、自分自身を制御し、安らぎを得、涅槃に至るためだったのです。」もし尊者アーナンダがこのように語ったならば、これこそが尊者アーナンダの未曾有の教えである。

尊者阿難復作是說：「諸賢！此甚奇！甚特！謂四部眾來詣我所而聽法，若我因此起貢高者，都無此相，亦不豫作意，有來問者，我當如是如是答。諸賢！但在坐時，隨其義應。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者アーナンダはまたこう語った。「皆さま、これは実に驚くべきことであり、特別なことです。四つの集まり（比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷）が私のもとに来て法を聞くのですが、もし私がそれによって傲慢の心を起こすとしても、そのような様子は全くありません。また、あらかじめ準備して、『このように質問があれば、このように答えよう』と考えることもありません。ただ座っている時に、その意味に応じて答えるだけなのです。」 尊者アーナンダがこのように語ったこと、これこそが尊者アーナンダの未曾有の法なのである。

尊者阿難復作是說：「諸賢！此甚奇！甚特！謂眾多異學沙門、梵志來問我事，我若以此有恐怖，有畏懼，身毛竪者，都無此相，亦不豫作意，有來問者，我當如是如是答。諸賢！但在坐時，隨其義應。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者の阿難がまた次のように語りました。「皆さん、これは実に驚くべきことであり、特別なことです。多くの異なる学派の修行者や毘婆沙師が私に質問に来ますが、もし私がそれに対して恐怖や畏れを抱き、鳥肌が立つようなことがあれば、そのような兆候は全くありません。また、あらかじめ意識して準備することなく、質問に来た者には、このように答えるべきだと考えています。皆さん、ただ座っている時に、その意味に応じて答えるのです。」もし尊者の阿難がこのように語ったならば、これを尊者の阿難の未曾有の法と言います。

復次，一時，尊者舍梨子、尊者大目乾連、尊者阿難在舍衛國婆羅邏山中。是時，尊者舍梨子問曰：「賢者阿難！汝奉侍佛來二十五年，頗憶有時起欲心耶？」尊者阿難白曰：「尊者舍梨子！我是學人，而不離欲。」尊者舍梨子復語曰：「賢者阿難！我不問汝學以無學，我但問汝奉侍佛來二十五年，汝頗憶有起欲心耶？」尊者舍梨子復再三問曰：「賢者阿難！汝奉侍佛來二十五年，頗憶有時起欲心耶？」尊者阿難亦至再三白曰：「尊者舍梨子！我是學人，而不離欲。」尊者舍梨子復語曰：「賢者阿難！我不問汝學以無學，我但問汝奉侍佛來二十五年，汝頗憶有起欲心耶？」於是，尊者大目乾連語曰：「賢者阿難！速答，速答。阿難！汝莫觸嬈上尊長老。」於是，尊者阿難答曰：「尊者舍梨子！我奉侍佛來二十五年，我初不憶曾起欲心。所以者何？我常向佛有慚愧心，及諸智梵行人。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> ある時、尊者舎梨子、尊者大目乾連、尊者阿難は、舍衛国の婆羅邏山に滞在していました。その時、尊者舎梨子が尋ねました。「阿難尊者、あなたは二十五年来、仏に仕えてきましたが、欲心が起きた時を覚えていますか？」 尊者阿難は答えました。「舎梨子尊者、私は修行中の身であり、まだ欲望を離れてはいません。」 尊者舎梨子はさらに言いました。「阿難尊者、私はあなたが修行中か、すでに完成しているかを尋ねているのではありません。ただ、二十五年来仏に仕えてきた中で、欲心が起きた時を覚えているかどうかを尋ねているのです。」 尊者舎梨子は二度、三度と繰り返し尋ねました。「阿難尊者、あなたが二十五年来仏に仕えてきた中で、欲心が起きた時を覚えていますか？」 尊者阿難も二度、三度と繰り返し答えました。「舎梨子尊者、私は修行中の身であり、まだ欲望を離れてはいません。」 尊者舎梨子は再び言いました。「阿難尊者、私はあなたが修行中か完成しているかを尋ねているのではありません。ただ、二十五年来仏に仕えてきた中で、欲心が起きた時を覚えているかを尋ねているのです。」 そこで、尊者大目乾連が言いました。「阿難尊者、早く答えなさい。早く答えなさい。阿難よ、あなたは尊敬すべき長老を困らせてはいけません。」 そこで、尊者阿難は答えました。「舎梨子尊者、私は二十五年来仏に仕えてきましたが、欲心が起きたことは一度も覚えていません。なぜなら、私は常に仏と、智慧ある修行者たちに対して、慚愧の心を持っていたからです。」 尊者阿難がこのように述べたこと、これが尊者阿難の未曾有の法であるのです。

復次，一時，世尊遊王舍城，在巖山中。是時，世尊告曰：「阿難！汝臥當如師子臥法。」尊者阿難白曰：「世尊！獸王師子臥法云何？」世尊答曰：「阿難！獸王師子晝為食行，行已入窟，若欲眠時，足足相累，伸尾在後，右脅而臥，過夜平旦，回顧視身。若獸王師子身體不正，見已不喜，若獸王師子其身周正，見已便喜。彼若臥起，從窟而出，出已頻呻，頻呻已自觀身體，自觀身已四顧而望，四顧望已便再三吼，再三吼已便行求食，獸王師子臥法如是。」

> ある時、世尊は王舎城の岩山に滞在されていました。その時、世尊は阿難尊者にお告げになりました。「阿難よ、あなたは臥す時、獅子の臥法に従いなさい。」 阿難尊者が尋ねました。「世尊よ、獣王である獅子の臥法とは、どのようなものでしょうか。」 世尊はお答えになりました。「阿難よ、獣王である獅子は、昼間に食を求めて歩き、歩き終えると洞窟に入る。眠ろうとする時は、足と足を重ね、尾を後ろに伸ばし、右脇を下にして臥す。夜が明けて朝になると、振り返って自分の体を見る。もし獣王の獅子の体が歪んでいれば、それを見て喜ばない。もし獣王の獅子の体がしっかりと整っていれば、それを見て喜ぶ。起き上がる時は、洞窟から出て、伸びをし、伸びをしてから自分の体を観察し、体を観察してから四方を見渡し、四方を見渡してから二三度吼え、吼えてから食を求めて歩き出す。獣王の獅子の臥法とは、このようなものである。」

尊者阿難白曰：「世尊！獸王師子臥法如是，比丘臥法當復云何？」

> 阿難尊者がお尋ねしました。「世尊（仏様）、獣の王である獅子の眠り方はそのようなものですが、比丘（修行僧）の眠り方はどのようにすべきでしょうか。」

世尊答曰：「阿難！若比丘依村邑，過夜平旦，著衣持鉢，入村乞食，善護持身，守攝諸根，立於正念。彼從村邑乞食已竟，收舉衣鉢，澡洗手足，以尼師檀著於肩上，至無事處，或至樹下，或空室中，或經行，或坐禪，淨除心中諸障礙法。晝或經行或坐禪，淨除心中諸障礙已，復於初夜或經行，或坐禪，淨除心中諸障礙法。於初夜時，或經行，或坐禪，淨除心中諸障礙已，於中夜時，入室欲臥，四疊優哆邏僧敷著床上，襞僧伽梨作枕，右脅而臥，足足相累，意係明相，正念正智，恒念起想。彼後夜時速從臥起，或經行，或坐禪，淨除心中諸障礙法，如是比丘師子臥法。」尊者阿難白曰：「世尊！如是比丘師子臥法。」

> 世尊がお答えになりました。「阿難よ。もし比丘が村や町に住み、夜が明けた朝、衣を着て鉢を持ち、村に入って托鉢するときには、身をよく守り、諸々の感覚を引き締め、正しい念（おもい）を保つ。托鉢を終えたなら、衣と鉢をしまい、手足を洗い、敷物（尼師檀）を肩にかけて、静かな場所、あるいは木の下、あるいは空き部屋に行き、経行（歩く瞑想）したり坐禅（座る瞑想）をしたりして、心の中のあらゆるさまたげとなる法（もの）を清める。昼間は経行や坐禅をして心のさまたげを清め、そののち初夜（夕方から夜半前）も経行や坐禅をして心のさまたげを清める。初夜の修行を終えたなら、中夜（夜半）には部屋に入って横たわろうとし、僧伽梨（上着）を四つに折って敷物の上に置き、僧伽梨をたたんで枕とし、右脇を下にして足を重ねて、明相（あけぼののかすかな光）を心にとどめ、正しい念（おもい）と正しい智慧（ちえ）をもって、常に起きる考えを持つ。後夜（夜明け前）にはすみやかに起き上がり、経行や坐禅をして、心の中のあらゆるさまたげとなる法を清める。これが比丘の獅子の臥法（ししのように安らかな寝方）である。」 尊者阿難が申し上げました。「世尊よ。これが比丘の獅子の臥法でございます。」

尊者阿難復作是說：「諸賢！世尊教我師子喻臥法，從是已來，初不復以左脅而臥。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者アーナンダはまたこう述べられました。「皆さま、世尊は私に『獅子のように臥す方法』をお教えくださいました。それ以来、私は一度も左脇を下にして横になったことはありません。」 尊者アーナンダがこのように語られたこと、これこそが尊者アーナンダの未曾有の教えである。

復次，一時，世尊遊拘尸那竭，住惒跋單力士娑羅林中。爾時，世尊最後欲取般涅槃時告曰：「阿難！汝往至雙娑羅樹間，可為如來北首敷床，如來中夜當般涅槃。」

> また、ある時、世尊はクシナガラを訪れ、サーラ樹の林に滞在されました。その時、世尊は最後に完全な涅槃に入ろうとして、阿難に告げられました。「阿難よ、あなたは双株のサーラ樹の間に行き、如来のために北向きに臥床を整えなさい。如来は今夜半に完全な涅槃に入るであろう。」

尊者阿難受如來教，即詣雙樹，於雙樹間而為如來北首敷床，敷床已訖，還詣佛所，稽首禮足，却住一面，白曰：「世尊！已為如來於雙樹間北首敷床，唯願世尊自當知時。」

> 尊者在阿難は、如来さまのお教えを受け、すぐに双樹のもとへ向かわれました。双樹の間で如来さまのために、北向きに寝床を整え、整え終わると、仏さまのもとに戻り、額を地につけて礼拝し、足に接してから、静かに一方に立ち、こう申し上げました。「世尊よ、すでに如来さまのために双樹の間に北向きの寝床を整えました。どうか世尊さま、時節をただしくお見極めください。」

於是，世尊將尊者阿難至雙樹間，四疊優哆邏僧以敷床上，襞僧伽梨作枕，右脅而臥，足足相累，最後般涅槃時，尊者阿難執拂侍佛，以手抆淚而作是念：「本有諸方比丘眾，來欲見世尊供養禮事，皆得隨時奉見世尊供養禮事，若聞世尊般涅槃已，便不復來奉見世尊供養禮事，我亦不得隨時見佛供養禮事。」

> そこで、世尊は尊者アーナンダを連れ、沙羅双樹の間へと向かわれました。そこに四つに折った僧伽梨（布）を敷き、僧伽梨を畳んで枕とされ、右脇を下にして横たわり、両足を重ね合わせられました。そして、まさに最後の涅槃に入ろうとなさる時、尊者アーナンダは払子（ほっす）を持って世尊にお仕えし、手で涙を拭いながら、こう思いました。 「これまでは、あらゆる方角から修行僧たちが世尊に会い、供養し、礼拝しようと来れば、いつでも自由に世尊を拝し、供養し、礼拝することができた。しかし、もし世尊が涅槃に入られたと聞けば、二度と来て世尊を拝し、供養し、礼拝することはできなくなるだろう。また、私自身もいつでも世尊を拝し、供養し、礼拝することができなくなってしまうのだ。」

於是，世尊問諸比丘：「阿難比丘今在何處？」時，諸比丘白曰：「世尊！尊者阿難執拂侍佛，以手抆淚而作是念：『本有諸方比丘眾，來欲見世尊供養禮事，皆得隨時奉見世尊供養禮事，若聞世尊般涅槃已，便不復來奉見世尊供養禮事，我亦不得隨時見佛供養禮事。』」

> そこで世尊は比丘たちに尋ねられました。「阿難比丘は今どこにいるのか？」 比丘たちは答えて言いました。「世尊よ、阿難尊者は仏のそばで払子を持って仕え、手で涙を拭いながら、こう思っておりました。『かつては十方の比丘たちが世尊にお目にかかり、供養し礼拝しようと来て、いつでも世尊を拝し供養することができました。しかし、世尊が般涅槃されたと聞けば、もはや来て世尊を拝し供養することはないでしょう。私もまた、いつでも仏にお目にかかり供養することができなくなるのだ』と。」

於是，世尊告曰：「阿難！汝勿啼泣，亦莫憂慼。所以者何？阿難！汝奉侍我，身行慈，口、意行慈，初無二心，安樂無量，無邊無限。阿難！若過去時，諸如來、無所著、等正覺有奉侍者，無勝於汝。阿難！若未來諸如來、無所著、等正覺有奉侍者，亦無勝汝。阿難！我今現在如來、無所著、等正覺，若有侍者，亦無勝汝。所以者何？阿難善知時，善別時，知我是往見如來時，知我非往見如來時。知比丘眾、比丘尼眾是往見如來時。知比丘眾、比丘尼眾非往見如來時。知優婆塞眾、優婆私眾是往見如來時。知優婆塞眾、優婆私眾非往見如來時。知眾多異學沙門、梵志是往見如來時。知眾多異學沙門、梵志非往見如來時。知此眾多異學沙門、梵志能與如來共論。知此眾多異學沙門、梵志不能與如來共論。知此食噉含消，如來食已，得安隱饒益。知此食噉含消，如來食已，不得安隱饒益。知此食噉含消，如來食已，得辯才說法。知此食噉含消，如來食已，不得辯才說法。復次，阿難！汝雖無他心智，而逆知如來晡時從燕坐起，預為人說，今日如來行如是，如是現法樂居，審如所說，諦無有異。」

> そこで、世尊はお告げになりました。「阿難よ、あなたは泣いてはなりません。また、憂い悲しんではなりません。なぜなら、阿難よ、あなたは私に仕え、身体による慈しみ、言葉による慈しみ、心による慈しみを行い、初めから二心なく、限りなく果てしない安らぎを与えてきたからです。 阿難よ、過去の如来、応供、正等覚者に仕えた者たちがいても、あなたに勝る者はいません。阿難よ、未来の如来、応供、正等覚者に仕える者たちがいても、あなたに勝る者はいないでしょう。阿難よ、今現在の私、如来、応供、正等覚者に仕える者たちがいても、あなたに勝る者はいません。 なぜなら、阿難は時をよく知り、時をよく区別し、私が如来に会いに行く時と、会いに行かない時とを知っているからです。また、比丘たちや比丘尼たちが如来に会いに行く時と、会いに行かない時とを知っています。さらに、優婆塞たちや優婆私たちが如来に会いに行く時と、会いに行かない時とを知っています。また、様々な異教の修行者やバラモンたちが如来に会いに行く時と、会いに行かない時とを知っています。そして、これらの様々な異教の修行者やバラモンたちが如来と論議できるかどうかも知っています。さらに、これらの飲食や食物が、如来が食べた後に安らかな利益をもたらすかどうかも知っています。また、これらの飲食や食物が、如来が食べた後に弁才を得て説法できるかどうかも知っています。 さらに、阿難よ、あなたは他者の心を知る智慧はないけれども、如来が夕方に静かな坐禅から起き上がることを予め知り、『今日、如来はこのように行じ、このように現法に楽住する』と人々に告げ、その言葉は真実であって、少しの違いもありません。」

於是，世尊欲令尊者阿難喜，告諸比丘：「轉輪聖王得四未曾有法。云何為四？剎利眾往見轉輪王，若默然時，見已歡喜，若所說時，聞已歡喜。梵志眾、居士眾、沙門眾往見轉輪王，若默然時，見已歡喜，若所說時，聞已歡喜。阿難比丘亦復如是，得四未曾有法。云何為四？比丘眾往見阿難，若默然時，見已歡喜，若所說時，聞已歡喜。比丘尼眾、優婆塞眾、優婆私眾往見阿難，若默然時，見已歡喜，若所說時，聞已歡喜。

> そこで、世尊は尊者アーナンダを喜ばせようと思い、比丘たちに告げられた。「転輪聖王には、四つの未曾有の法がある。その四つとは何か。刹利たちが転輪王を訪ね、王が黙っているときにも、その姿を見て喜び、話すときにも、その言葉を聞いて喜ぶ。バラモンたち、居士たち、沙門たちも同様に、転輪王を訪ね、王が黙っているときにも姿を見て喜び、話すときにも言葉を聞いて喜ぶ。アーナンダ比丘もまた、同じように四つの未曾有の法を得ている。その四つとは何か。比丘たちがアーナンダを訪ね、彼が黙っているときにも姿を見て喜び、話すときにも言葉を聞いて喜ぶ。比丘尼たち、優婆塞たち、優婆私たちがアーナンダを訪ね、彼が黙っているときにも姿を見て喜び、話すときにも言葉を聞いて喜ぶ。」

「復次，阿難為眾說法，有四未曾有。云何為四？阿難比丘為比丘眾至心說法，非不至心。彼比丘眾亦作是念：『願尊者阿難常說法，莫令中止。』彼比丘眾聞尊者阿難說法，終無厭足，然阿難比丘自默然住。為比丘尼眾、優婆塞眾、優婆私眾至心說法，非不至心。優婆私眾亦作是念：『願尊者阿難常說法，莫令中止。』優婆私眾聞尊者阿難說法，終無厭足，然阿難比丘自默然住。

> さらに、阿難が人々のために法を説くとき、四つの稀有なことがあります。その四つとは何でしょうか。 阿難比丘は比丘たちのために心を込めて法を説きます。決して心を込めないことはありません。その比丘たちもまた、「尊者阿難がいつも法を説き続けてくださいますように、決して中断されませんように」と願っています。比丘たちは尊者阿難の説法を聞いても決して飽きることがありませんが、阿難比丘は自ら静かに留まります。 比丘尼たち、優婆塞たち、優婆私たちのためにも心を込めて法を説きます。決して心を込めないことはありません。優婆私たちもまた、「尊者阿難がいつも法を説き続けてくださいますように、決して中断されませんように」と願っています。優婆私たちは尊者阿難の説法を聞いても決して飽きることがありませんが、阿難比丘は自ら静かに留まります。

復次，一時，佛般涅槃後不久，尊者阿難遊於金剛，住金剛村中。是時，尊者阿難無量百千眾前後圍繞而為說法，於是，尊者金剛子亦在眾中，尊者金剛子心作是念：「此尊者阿難，故是學人，未離欲耶？我寧可入如其像定，以如其像定，觀尊者阿難心。」於是，尊者金剛子便入如其像定，以如其像定觀尊者阿難心，尊者金剛子即知尊者阿難，故是學人而未離欲。

> また、ある時、仏陀が涅槃に入られて間もなく、尊者アーナンダは金剛国に遊行し、金剛村に滞在していた。その時、尊者アーナンダは無数の大勢の人人に前後を取り囲まれ、法を説いていた。すると、尊者ヴァジラプトラもその集まりの中にいた。尊者ヴァジラプトラは心の中でこう思った。「この尊者アーナンダは、いまだに学びの道にある者であり、煩悩を離れていないのだろうか。私はそのような定に入り、その定によって尊者アーナンダの心を観察してみよう。」そこで、尊者ヴァジラプトラはその定に入り、その定によって尊者アーナンダの心を観察した。尊者ヴァジラプトラは直ちに悟った。尊者アーナンダは、やはり学びの道にある者であり、まだ煩悩を離れていなかったのである。

於是，尊者金剛子從三昧起，向尊者阿難而說頌曰：

> そこで、尊者金剛子（こんごうし）は三昧（さんまい・深い瞑想）から起き上がり、尊者阿難（あなん）に向かって次の偈（うた）を唱えました。

「山林靜思惟， 涅槃令入心，瞿曇禪無亂， 不久息跡證。」

> 山の中で静かに思いを巡らせ、 涅槃への心を育みなさい。 ゴータマは乱れのない禅定により、 まもなく煩悩を滅した境地を証得しました。

於是，尊者阿難受尊者金剛子教，離眾獨行，精進無亂，彼離眾獨行，精進無亂，族姓子所為，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道者，唯無上梵行訖。彼即於現法自知自覺，自作證成就遊，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。尊者阿難知法已，乃至得阿羅訶，尊者阿難作是說：「諸賢！我坐床上，下頭未至枕頃，便斷一切漏，得心解脫。」若尊者阿難作此說，是謂尊者阿難未曾有法。

> そこで、尊者アーナンダは尊者ヴァジラプトラ（金剛子）の教えを受け、人々から離れて独りで修行し、精進して乱れることがなかった。彼は人々から離れて独りで修行し、精進して乱れることなく、良家の子息が剃髪し、袈裟をまとい、深い信仰心から家を捨て、家なき者として悟りを求める道――無上の梵行（清らかな行い）を完成させた。彼はまさに現世において自ら知り、自ら悟り、自ら証を得て成就し、安住した。すなわち、生は尽き、梵行は確立され、なすべきことは成し遂げられ、もはや迷いの生存を受けることはないと、あるがままに知ったのである。 尊者アーナンダは法を悟り、ついに阿羅漢（アラハン）に至った。尊者アーナンダはこう語った。「諸贤よ、私は床上に座り、頭を枕に置くよりも前に、あらゆる煩悩を断ち尽くし、心の解脱を得たのです。」尊者アーナンダがこのように語ったこと、これこそが尊者アーナンダの未曾有の法（めったにない教え）である。

尊者阿難復作是說：「諸賢！我當結加趺坐而般涅槃。」尊者阿難便結加趺坐而般涅槃。若尊者阿難結加趺坐而般涅槃，是謂尊者阿難未曾有法。

> 尊者アーナンダはこうも語った。「皆さま、私は結跏趺坐（きっかふざ）のまま涅槃に入ります。」そして、尊者アーナンダは実際に結跏趺坐の姿勢で涅槃に入った。このように、尊者アーナンダが結跏趺坐のまま涅槃に入ったことこそ、尊者アーナンダの未曾有の法である。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

侍者經第二竟四千三百九十九字

> 第二の侍者経、ここに終わり<note>四千三百九十九字</note>