(一三)
第十三
如是我聞:
私はこのように聞きました。
一時,佛住舍衛國祇樹給孤獨園。
ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎におられました。
爾時,世尊告諸比丘:「若眾生於色不味者,則不染於色;以眾生於色味故,則有染著。如是眾生於受、想、行、識不味者,彼眾生則不染於識;以眾生味受、想、行、識故,彼眾生染著於識。
その時、世尊は比丘たちに告げられた。「もし衆生が色に対して味わいを感じなければ、色に染まることはない。衆生が色に味わいを感じるからこそ、染着が生じるのだ。同じように、もし衆生が受・想・行・識に対して味わいを感じなければ、それらの衆生は識に染まることはない。衆生が受・想・行・識に味わいを感じるからこそ、それらの衆生は識に染着するのである。」
「諸比丘!若色於眾生不為患者,彼諸眾生不應厭色,以色為眾生患故,彼諸眾生則厭於色。如是受、想、行、識不為患者,彼諸眾生不應厭識;以受、想、行、識為眾生患故,彼諸眾生則厭於識。
諸比丘よ、もし色が衆生にとって苦しみでないならば、彼ら衆生は色を嫌うことはないはずです。しかし、色が衆生にとって苦しみであるからこそ、彼ら衆生は色を嫌うのです。同じように、もし受・想・行・識が衆生にとって苦しみでないならば、彼ら衆生は識を嫌うことはないはずです。しかし、受・想・行・識が衆生にとって苦しみであるからこそ、彼ら衆生は識を嫌うのです。
「諸比丘!若色於眾生無出離者,彼諸眾生不應出離於色;以色於眾生有出離故,彼諸眾生出離於色。如是受、想、行、識於眾生無出離者,彼諸眾生不應出離於識。以受、想、行、識於眾生有出離故,彼諸眾生出離於識。
諸比丘よ、もし色が衆生にとって離れるべきものでなかったならば、衆生は色から離れる必要はなかったでしょう。しかし、色は衆生にとって離れるべきものであるから、衆生は色から離れるのです。同様に、受・想・行・識が衆生にとって離れるべきものでなかったならば、衆生は識から離れる必要はなかったでしょう。しかし、受・想・行・識は衆生にとって離れるべきものであるから、衆生は識から離れるのです。
「諸比丘!若我於此五受陰不如實知味是味、患是患、離是離者,我於諸天、若魔、若梵、沙門、婆羅門、天、人眾中,不脫、不出、不離,永住顛倒,亦不能自證得阿耨多羅三藐三菩提。
諸比丘よ、もし私がこの五つの感受の集まり(五受陰)について、その味わいを味わいとして、その危険を危険として、その離脱を離脱として、ありのままに知らなければ、私は天の衆、魔、梵天、沙門、婆羅門、天、人々の間で、解脱することも、脱出することも、離れることもできず、永遠に迷いの中に留まり、自ら無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)を悟ることはできなかったでしょう。
「諸比丘!我以如實知此五受陰味是味、患是患、離是離故,我於諸天、若魔、若梵、沙門、婆羅門、天、人眾中,自證得脫、得出、得離、得解脫結縛,永不住顛倒,亦能自證得阿耨多羅三藐三菩提。」
比丘たちよ。私はこの五つの感受の集まり(五受陰)について、その味わいをあるがままに知り、その危険をあるがままに知り、そこからの離れをあるがままに知った。それゆえに、私は天、魔、梵天、沙門、バラモン、天、人の衆の中で、自ら証得して解脱し、出離し、離脱し、結縛から解き放たれた。もはや迷いに住むことはなく、自ら無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)を証得することができたのである。
時,諸比丘聞佛所說,歡喜奉行。
その時、諸々の比丘たちは仏の説かれたことを聞き、歓喜して教えを奉じ行った。