(一四)
第十四
如是我聞:
私はこのように聞きました。
一時,佛住舍衛國祇樹給孤獨園。
ある時、お釈迦さまは舎衛国の祇園精舎におられました。
爾時,世尊告諸比丘:「我昔於色味有求有行,若於色味隨順覺,則於色味以智慧如實見。如是於受、想、行、識味有求有行,若於受、想、行、識味隨順覺,則於識味以智慧如實見。
その時、世尊は比丘たちに告げられた。「かつて私は、色の味わいに執着し、それを追い求める行いをしていた。しかし、色の味わいをありのままに観察し、それに従って覚醒したとき、智慧によって色の味わいを真実のままに見ることができた。同じように、受・想・行・識の味わいにも執着し、それを追い求める行いをしていた。しかし、受・想・行・識の味わいをありのままに観察し、それに従って覚醒したとき、智慧によって識の味わいを真実のままに見ることができたのである。
「諸比丘!我於色患有求有行,若於色患隨順覺,則於色患以智慧如實見;如是受、想、行、識患有求有行,若於識患隨順覺,則於識患以智慧如實見。
諸比丘よ、私は色(物質)において、苦しみがあり、求めがあり、執着があると観じました。もし色の苦しみに沿って正しく覚るならば、色の苦しみを智慧によってありのままに見ることができます。このように、受(感受)、想(表象)、行(形成作用)、識(認識作用)においても、苦しみがあり、求めがあり、執着があるのです。もし識の苦しみに沿って正しく覚るならば、識の苦しみを智慧によってありのままに見ることができるのです。
「諸比丘!我於色離有求有行,若於色離隨順覺,則於色離以智慧如實見;如是受、想、行、識離有求有行,若於受、想、行、識離隨順覺,則於受、想、行、識離以智慧如實見。
諸比丘よ。私は、色において離れること(離欲)を求め、それを実践してきました。もし色において離れることに随順する覚りを得るならば、色を離れることについて智慧をもってありのままに見ることができるのです。同じように、受、想、行、識においても、離れることを求め、それを実践してきました。もし受、想、行、識において離れることに随順する覚りを得るならば、受、想、行、識を離れることについて智慧をもってありのままに見ることができるのです。
「諸比丘!我於五受陰不如實知味是味、患是患、離是離者,我於諸天、若魔、若梵、沙門、婆羅門、天、人眾中,不脫、不離、不出,永住顛倒,不能自證得阿耨多羅三藐三菩提。
諸比丘よ、もし私が五つの感受の集まりについて、その味わいを味わいとして、その危険を危険として、その離れ方を離れ方として、ありのままに知らなかったならば、私は天界の者たち、魔、梵天、沙門、バラモン、天、人間の衆生の中で、解脱せず、離れず、出られず、永遠に迷いの状態に留まり、自ら無上正等覚を悟り得ることはなかったでしょう。
「諸比丘!我以如實知五受陰味是味、患是患、離是離,我於諸天、若魔、若梵、沙門、婆羅門、天、人眾中,以脫、以離、以出,永不住顛倒,能自證得阿耨多羅三藐三菩提。」
比丘たちよ、私は真実の智慧をもって、五つの執着の集まり(五受陰)について、その味わいを知り、その危険を知り、そこからの離れ方を知りました。このことをもって、私はあらゆる天界の者たち、魔王、梵天、沙門、バラモン、天、人々のなかで、束縛から解き放たれ、離れ、超え出て、もはや迷いに留まることなく、自ら無上の正しい悟りを証得したのです。
時,諸比丘聞佛所說,歡喜奉行。
その時、諸比丘は仏の説かれたことを聞き、歓喜して教えを奉じ行った。
過去四種說 厭離及解脫
二種說因緣 味亦復二種
過去に四種の説あり、厭離と解脱を説く。 二種は因縁を説き、味もまた二種あり。