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title: "雜阿含經 · 31"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （三一）

> 第三十一章

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛住王舍城迦蘭陀竹園。

> ある時、お釈迦様は王舎城の迦蘭陀竹園におられました。

爾時，尊者舍利弗在耆闍崛山。

> その時、尊者舎利弗は耆闍崛山におられた。

時，有長者子名輸屢那，日日遊行，到耆闍崛山，詣舍利弗所，頭面禮足，却坐一面。

> その時、輸屢那という長者の息子がいました。彼は毎日のように遊び歩き、耆闍崛山にやって来て、舎利弗のもとを訪れました。そして、頭を地面につけて礼拝し、一歩下がって座りました。

時，舍利弗謂：「輸屢那！若沙門、婆羅門於色不如實知，色集不如實知，色滅不如實知，色滅道跡不如實知故，輸屢那！當知此沙門、婆羅門不堪能斷色。如是沙門、婆羅門於受、想、行、識不如實知，識集不如實知，識滅不如實知，識滅道跡不如實知故，不堪能斷識。

> 舎利弗は言いました。 「スローナよ。 もし、ある修行者やバラモンが、物質（色）について真実のままに知らず、物質の生起について真実のままに知らず、物質の滅について真実のままに知らず、物質の滅に至る道について真実のままに知らないならば、スローナよ、そのような修行者やバラモンは物質を断つことができないと知るべきです。 同じように、もし修行者やバラモンが、感受（受）、知覚（想）、形成作用（行）、認識（識）について真実のままに知らず、それらの生起について真実のままに知らず、それらの滅について真実のままに知らず、それらの滅に至る道について真実のままに知らないならば、認識を断つことはできないのです。」

「輸屢那！若沙門、婆羅門於色如實知，色集如實知，色滅如實知，色滅道跡如實知故，輸屢那！當知此沙門、婆羅門堪能斷色。如是，輸屢那！若沙門、婆羅門於受、想、行、識如實知，識集如實知，識滅如實知，識滅道跡如實知故，輸屢那！當知此沙門、婆羅門堪能斷識。

> ウンナよ、もし沙門や婆羅門が、物質（色）についてありのままに知り、物質の生起についてありのままに知り、物質の滅についてありのままに知り、物質の滅に至る道についてありのままに知るならば、ウンナよ、この沙門や婆羅門は物質を断つことができると知るべきです。 同じように、ウンナよ、もし沙門や婆羅門が、感受（受）、表象（想）、形成作用（行）、認識作用（識）についてありのままに知り、認識作用の生起についてありのままに知り、認識作用の滅についてありのままに知り、認識作用の滅に至る道についてありのままに知るならば、ウンナよ、この沙門や婆羅門は認識作用を断つことができると知るべきです。

「輸屢那！於意云何？色為常、為無常耶？」

> 輸屢那よ、どう思うか？色は常なるものか、無常なるものか？

答言：「無常。」

> 「無常です」と答えました。

又問：「若無常者，是苦耶？」

> また質問されました：「もし無常であるなら、それは苦であるのですか？」

答言：「是苦。」

> 答えました。「それは苦しみです。」

舍利弗言：「若色無常、苦者，是變易法，聖弟子寧於中見色是我、異我、相在不？」

> 舎利弗が申しました：「もし色が無常であり、苦であるならば、それは変化する法です。聖なる弟子が、その中に色が我であるとか、我とは異なるものであるとか、我の中にあるとか、我がその中にあるとか、見るでしょうか？」

答言：「不也。」

> 答えました。「いいえ、違います。」

「輸屢那！如是受、想、行、識為常、為無常耶？」

> ウルナよ、このように、感受、表象、形成作用、識別作用は、常住なのか、無常なのか、どう思いますか？

答言：「無常。」

> 「無常です」と答えました。

又問：「若無常者，是苦耶？」

> また尋ねました：「もし無常であるなら、それは苦しみでしょうか？」

答言：「是苦。」

> 答えました。「それは苦しみです。」

又問：「若無常、苦者，是變易法，聖弟子寧於中見識是我、異我、相在不？」

> また尋ねました：「もし無常であり、苦であるならば、それは変化する法です。聖なる弟子は、その中に『識』が私である、私と異なる、私に在る、私の中に在る、と見ることができるでしょうか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、そうではありません。

「輸屢那！當知色，若過去、若未來、若現在，若內、若外，若麁、若細、若好、若醜，若遠、若近，於一切色不是我、不異我、不相在，是名如實知。輸屢那！聖弟子於色生厭、離欲、解脫，解脫生、老、病、死、憂、悲、苦、惱。

> 輸屢那（しゅるな）よ、知るがよい。色というものは、過去のものも、未来のものも、現在のものも、内なるものも外なるものも、粗いものも細かいものも、美しいものも醜いものも、遠くにあるものも近くにあるものも、あらゆる色は「私」ではない、「私とは異なるもの」ではない、互いに含み合うものでもない——このようにありのままに知ることを、如実に知るというのだ。 輸屢那よ、聖なる弟子は、色に対して厭い、欲を離れ、解脱する。そして、生・老・病・死・憂い・悲しみ・苦しみ・悩みから解脱するのである。

「如是受、想、行、識，若過去、若未來、若現在，若內、若外，若麁、若細，若好、若醜，若遠、若近，彼一切識不是我、不異我、不相在，是名如實知。輸屢那！聖弟子於識生厭、離欲、解脫，解脫生、老、病、死、憂、悲、苦、惱。」

> このように、感覚、認識、意志、意識もまた、過去のものも未来のものも現在のものも、内側のものも外側のものも、粗いものも細かいものも、良いものも悪いものも、遠いものも近いものも、そのすべての意識は「私」ではなく、「私と異なるもの」でもなく、互いに住み合うものでもありません。これを「如実に知る」と言います。 シュレーナよ、聖なる弟子は意識に対して厭離し、欲望を離れ、解脱します。そして、生・老・病・死、憂い・悲しみ・苦しみ・悩みから解脱するのです。

時，輸屢那聞舍利弗所說，歡喜踊躍，作禮已，去。

> その時、輸屢那は舎利弗の説法を聞き、喜び踊り、礼拝して去っていった。