仁王護國般若波羅蜜多經觀如來品第二
仁王護国般若波羅蜜多経 観如来品 第二
爾時世尊從三昧起,坐師子座,告大眾言:「吾知十六諸國王等咸作是念:『世尊大慈,普皆利樂。我等諸王,云何護國?』善男子!吾今先為諸菩薩摩訶薩,說護佛果、護十地行。汝等皆應諦聽諦聽,善思念之。」
その時、世尊は三昧から起ち上がり、獅子座に座って、大衆に告げられました。 「私は知っている。十六人の諸王たちが皆、こう考えていることを——『世尊は大いなる慈悲をもって、全ての人々を利益し楽しませてくださる。われら諸王は、いかにして国を護ればよいのか?』と。 善き人々よ! 私は今、まず諸々の菩薩や大菩薩たちのために、仏の果報を護ることと、十地の修行を説こう。あなたがたは皆、よくよく聞き、よくよく思い念じなさい。」
是時大眾——波斯匿王等,聞佛語已,咸共讚言:「善哉,善哉!」即散無量諸妙寶花,於虛空中變成寶蓋,覆諸大眾靡不周遍。時波斯匿王即從座起,頂禮佛足,合掌長跪而白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩,云何護佛果?云何護十地行?」
その時、大勢の者たち——ペルシャ王などを含む——は仏の言葉を聞いて、口々に「善いかな、善いかな」と称賛した。そして、無数の見事な宝の花を虚空に散らすと、それらは宝の覆いに変わり、集まった人々を漏れなく包み込んだ。そこにペルシャ王が席位から立ち上がり、仏の足に額を付けて敬礼し、両手を合わせて長くひざまずき、こう申し上げた。「世尊よ。菩薩(悟りを求める者)はどのようにして仏の悟りの結果を守り、どのようにして十地の修行の道を守るのでしょうか?」
佛告波斯匿王言:「護佛果者,諸菩薩摩訶薩應如是住,教化一切卵生、胎生、濕生、化生,不觀色相,不觀色如,受、想、行、識,我人知見、常樂淨倒、四攝、六度、二諦四諦、力無畏等一切諸行,乃至菩薩、如來亦復如是,不觀相、不觀如。所以者何?以諸法性即真實故,無來無去、無生無滅,同真際、等法性,無二無別猶如虛空,蘊、處、界相無我我所。是為菩薩摩訶薩修行般若波羅蜜多。」
仏が波斯匿王に告げられた。「仏の果を護る者とは、諸々の菩薩摩訶薩がこのように安住し、一切の卵生・胎生・湿性・化生の衆生を教化すべきである。その際、色の相に執着せず、色の真如にも執着せず、受・想・行・識、我・人・知・見、常・楽・我・浄の倒錯、四摂法、六波羅蜜、二諦・四諦、十力・四無畏など、一切の諸行、さらには菩薩や如来についてもまた同様に、相に執着せず、真如にも執着してはならない。なぜならば、諸法の本性はすなわち真実であり、来ることもなく去ることもなく、生じることもなく滅することもなく、真際と同一であり、法性と等しく、二つではなく別でもなく、あたかも虚空の如くであり、五蘊・十二処・十八界の相には我も我所もないからである。これが菩薩摩訶薩の般若波羅蜜多の修行である。」
波斯匿王白佛言:「世尊!若菩薩、眾生性無二者,菩薩以何相而化眾生耶?」
波斯匿王が仏に申し上げた。「世尊よ、もし菩薩と衆生の本質に区別がないのなら、菩薩はどのような方法で衆生を導くのでしょうか?」
佛言:「大王!色、受、想、行、識常樂我淨,法性不住色、不住非色。受、想、行、識常樂我淨,亦不住淨,不住非淨。何以故?以諸法性悉皆空故,由世諦故,由三假故。一切有情蘊、處、界法,造福、非福、不動行等,因果皆有;三乘賢聖所脩諸行,乃至佛果,皆名為有;六十二見亦名為有。大王!若著名相分別諸法,六趣、四生、三乘行果,即是不見諸法實性。」
仏陀が言われた。「大王よ。色・受・想・行・識は、常・楽・我・浄という性質を持つが、その法性は色に留まることもなく、色でないものに留まることもない。同様に、受・想・行・識も常・楽・我・浄という性質を持つが、浄に留まることもなく、清浄でないものに留まることもない。なぜなら、すべての法の性質は空であるからである。世俗の真理(世諦)によるものであり、三つの仮設(三仮)によるものであるからだ。すべての有情の五蘊・十二処・十八界の法、善行・悪行・不動行などの因果はすべて存在する。三乗の賢者や聖者が修行する様々な行、さらには仏の果報に至るまで、すべて『有』と名づけられる。六十二の見解もまた『有』と名づけられる。大王よ。もし名称や形相に執着して諸法を分別するなら、六道・四生・三乗の行と果を見ることになっても、それは諸法の真実の性質を見ていないのである。」
波斯匿王白佛言:「諸法實性,清淨平等,非有非無,智云何照?」
波斯匿王が仏に申し上げました。「諸法の真実の性質は、清らかで平等であり、あるともなく、ないとも言えないものです。智慧はどのようにしてこれを照らし見るのでしょうか?」
佛言:「大王!智照實性,非有非無。所以者何?法性空故。是即色、受、想、行、識,十二處,十八界;士夫六界,十二因緣;二諦,四諦,一切皆空。是諸法等,即生即滅,即有即空,剎那剎那亦復如是。何以故?一念中有九十剎那,一剎那經九百生滅,諸有為法悉皆空故。以甚深般若波羅蜜多,照見諸法,一切皆空:內空、外空、內外空、空空、大空、勝義空、有為空、無為空、無始空、畢竟空、散空、本性空、自相空、一切法空、般若波羅蜜多空、因空、佛果空。空空故空。諸有為法,法集故有、受集故有、名集故有、因集故有、果集故有、六趣故有、十地故有、佛果故有,一切皆有。
仏さまがおっしゃいました。 「大王よ、智慧によって真実の性質を照らし見れば、それは『有る』とも『無い』とも言えない。それはなぜか。法の本質は空だからである。すなわち、色・受・想・行・識、十二処、十八界、士夫六界、十二因縁、二諦、四諦、すべては空である。これらの諸法は等しく、生じると同時に滅し、存在すると同時に空であり、一瞬一瞬もまた同じである。なぜなら、一つの念の中に九十の刹那があり、一刹那の中に九百の生滅がある。すべての条件づけられたもの(有為法)は、すべて空だからである。この深い般若波羅蜜多によって諸法を照らし見れば、すべては空である。すなわち、内空、外空、内外空、空空、大空、勝義空、有為空、無為空、無始空、畢竟空、散空、本性空、自相空、一切法空、般若波羅蜜多空、因空、仏果空。空そのものが空であるから空なのである。すべての条件づけられたものは、法が集まるから存在し、受が集まるから存在し、名が集まるから存在し、因が集まるから存在し、果が集まるから存在し、六趣があるから存在し、十地があるから存在し、仏果があるから存在し、すべては存在するのである。」
「善男子!若菩薩住於法相,有我相、人相,有情知見,為住世間即非菩薩。所以者何?一切諸法悉皆空故。若於諸法而得不動,不生不滅,無相無無相,不應起見。何以故?一切法皆如也。諸佛、法、僧亦如也。聖智現前最初一念,具足八萬四千波羅蜜多,名歡喜地;障盡解脫,運載名乘;動相滅時,名金剛定;體相平等,名一切智智。
「善男子(ぜんなんし)。もし菩薩が法の相にとどまり、我相・人相・有情見・知見を有するならば、世間に住しているのであり、それは菩薩ではない。なぜならば、すべての諸法は皆、空であるからだ。もし諸法において動じることなく、不生不滅、無相にして無無相であれば、見解を起こすべきではない。なぜならば、すべての法は如(にょ)そのものだからだ。諸仏も、法も、僧もまた如そのものである。聖なる智が現前して最初の一念に、八万四千の波羅蜜多を具足することを、歓喜地(かんきじ)と名づける。煩悩の障りが尽きて解脱することを、乗(のりもの)と名づける。動きの相が滅するとき、それを金剛定(こんごうじょう)と名づける。体と相が平等であることを、一切智智(いっさいちち)と名づける。」
「大王!此般若波羅蜜多文字章句,百佛、千佛、百千萬億一切諸佛而共同說。若有人於恒河沙三千大千世界,滿中七寶以用布施,大千世界一切有情皆得阿羅漢果;不如有人於此經中乃至起於一念淨信,何況有能受持、讀誦、解一句者。所以者何?文字性離,無文字相,非法非非法。般若空故,菩薩亦空。何以故?於十地中,地地皆有始生、住生及以終生,此三十生悉皆是空;一切智智亦復皆空。
「大王、この般若波羅蜜多の文字や章句は、百の仏、千の仏、百千万億のあらゆる仏たちが共に説かれたものです。もしも、ガンジス川の砂の数ほどの三千大千世界に七宝を満たして布施し、大千世界のすべての生きとし生けるものを阿羅漢の果を得させたとしても、この経典において、ほんの一瞬でも清らかな信を起こす者には及びません。ましてや、これを受持し、読誦し、一句を理解する者はなおさらです。なぜなら、文字の本質は実体を離れており、文字という相がなく、法でもなく、非法でもないからです。般若が空であるがゆえに、菩薩もまた空なのです。なぜでしょうか。十地(じゅうじ)の中には、それぞれに始生・住生・終生があり、これら三十の生はすべて空であり、一切智智(いっさいちち)もまたすべて空なのです。」
「大王!若菩薩見境、見智、見說、見受,即非聖見,是愚夫見。有情果報三界虛妄——欲界分別所造諸業,色四靜慮定所作業,無色四空定所起業——三有業果一切皆空,三界根本無明亦空。聖位諸地無漏生滅,於三界中餘無明習,變易果報亦復皆空。等覺菩薩得金剛定,二死因果空,一切智亦空。佛無上覺種智圓滿,擇非擇滅真淨法界,性相平等應用亦空。
「大王、もし菩薩が対象を見、智を見、説くことを見、受け取ることを見るならば、それは聖者の見ではなく、凡夫の見です。生きとし生けるものの業の報いは三界にわたって虚妄であり――欲界は分別によって造られた諸々の業、色界は四つの静慮による定の業、無色界は四つの空定による業――この三有の業と報いは全て空であり、三界の根本である無明もまた空です。聖者の位にある諸々の地における無漏の生滅も、三界に残る無明の習気による変異の報いも、全て空です。等覚の菩薩が金剛定を得ても、二種の生死の因果は空であり、一切智もまた空です。仏の無上の覚りは種智が円満であり、択滅と非択滅の真実に清らかな法界、性と相が平等であり、応用もまた空です。」
「善男子!若有修習般若波羅蜜多,說者、聽者,譬如幻士,無說、無聽。法同法性,猶如虛空,一切法皆如也。
善男子(善き人よ)。 もし人が般若波羅蜜多を修めるならば、説く者も聞く者も、まるで幻術師のようなものであり、実際に説くことも聞くこともありません。 法は法の本性そのものであり、虚空の如く、あらゆる法はすべて「如(あるがまま)」なのです。
「大王!菩薩摩訶薩護佛果為若此。」
「大王、菩薩摩訶薩は仏の果を守ることも、このようなものである。」
爾時世尊告波斯匿王言:「汝以何相而觀如來?」
その時、世尊は波斯匿王に告げられました。「あなたはどのような特徴をもって如来を観ているのですか?」
波斯匿王言:「觀身實相,觀佛亦然——無前際、無後際、無中際,不住三際不離三際;不住五蘊不離五蘊;不住四大不離四大;不住六處不離六處;不住三界不離三界;不住方不離方;明無明等非一非異;非此非彼;非淨非穢;非有為非無為;無自相無他相;無名無相;無強無弱;無示無說;非施非慳;非戒非犯;非忍非恚;非進非怠;非定非亂;非智非愚;非來非去;非入非出;非福田非不福田;非相非無相;非取非捨;非大非小;非見非聞非覺非知;心行處滅,言語道斷;同真際、等法性——我以此相而觀如來。」
波斯匿王が言いました。 「身体の真実の姿を観じるようにして、如来を観じるべきです。 すなわち、過去もなく、未来もなく、現在もない。 三世にとどまることなく、三世を離れない。 五蘊にとどまることなく、五蘊を離れない。 四大にとどまることなく、四大を離れない。 六処にとどまることなく、六処を離れない。 三界にとどまることなく、三界を離れない。 方角にとどまることなく、方角を離れない。 明と無明は、一つでもなければ異なるのでもない。 これでもなく、あれでもない。 清らかでもなく、汚れてもいない。 作られたものでもなく、作られざるものでもない。 自らの相もなく、他者の相もない。 名もなく、形もない。 強くもなく、弱くもない。 示すこともなく、説くこともない。 施しでもなく、吝嗇でもない。 戒めでもなく、犯しでもない。 忍びでもなく、怒りでもない。 精進でもなく、怠りでもない。 定でもなく、乱れでもない。 智慧でもなく、愚かでもない。 来ることもなく、去ることもない。 入ることもなく、出ることもない。 福田でもなく、福田でないのでもない。 相でもなく、無相でもない。 取ることもなく、捨てることもない。 大きくもなく、小さくもない。 見ることも、聞くことも、感じることも、知ることもない。 心のはたらきが尽きるところ、言葉の道が断たれるところ。 真実のあり方と同じであり、法の本性と等しいのです。 私はこのような相をもって如来を観じています。」
佛言:「善男子!如汝所說。諸佛如來力、無畏等恒沙功德,諸不共法悉皆如是。修般若波羅蜜多者應如是觀,若他觀者名為邪觀。」
仏が告げられました。「善男子よ、あなたの言う通りです。すべての仏陀の力や恐れのない状態などの、ガンジス川の砂の数ほどもある功徳や、他の者にはない特別な法も、みなこの通りです。般若波羅蜜多を修行する者は、このように観ずるべきです。もし他のように観ずるなら、それは誤った観方と呼ばれます。」
說是法時,無量大眾得法眼淨。
この教えが説かれた時、無数の大衆が清らかな真理の眼を得た。