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title: "起世經 · 5 諸龍金翅鳥品"
description: "起世经是隋代高僧阇那崛多等人翻译的重要佛教经典，属于阿含部经典之一。该经主要阐述宇宙生成、世界构造及众生轮回的佛教世界观，详细描绘了世界的形成、毁灭及再生过程，并探讨了众生业力与轮回的关系。阇那崛多是北印度高僧，隋文帝时期来华，参与译经事业，对汉传佛教经典的传播贡献卓著。起世经在佛教中具有重要地位，为研究佛教宇宙观和轮回思想提供了经典依据，对后世佛教哲学和修行实践影响深远。"
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## 起世經卷第五

> 起世経 巻第五

隋天竺三藏闍那崛多等譯

> 隋の天竺三蔵僧・闍那崛多 他訳

### 諸龍金翅鳥品第五

> 第五品 龍と金翅鳥

「復次，諸比丘！一切龍類有四種生。何等為四？一者卵生、二者胎生、三者濕生、四者化生，此等名為四生龍也。諸比丘！金翅鳥類亦四種生，所謂卵生、胎生、濕生、化生，此名四生。諸比丘！大海水下，有娑伽羅龍王宮殿，縱廣正等八萬由旬，七重垣牆、七重欄楯，周匝嚴飾，七重珠網，寶鈴間錯。復有七重多羅行樹，扶踈蔭映，周迴圍繞，妙色樓觀，眾寶莊挍，所謂金銀琉璃、頗梨赤珠、硨𤦲瑪瑙等七寶所成。於其四方各有諸門，一一諸門，並有重閣樓觀却敵，復有園苑及諸泉池。園池之內，各各皆有眾雜花草，行伍相當。復有諸樹，種種枝葉、種種花果、種種妙香，隨風遠熏。種種諸鳥，和鳴清亮。諸比丘！須彌山王、佉低羅山，二山中間，復有難陀、優波難陀二大龍王宮殿住處，其處縱廣六千由旬，七重垣牆，七重欄楯，略說如上，乃至眾鳥各各和鳴。

> また、比丘たちよ。竜の仲間には、四つの生まれ方がある。何が四つか。第一に卵生、第二に胎生、第三に湿生、第四に化生である。これらを四生の竜という。 比丘たちよ。金翅鳥もまた四つの生まれ方がある。いわゆる卵生、胎生、湿生、化生である。これらを四生という。 比丘たちよ。大海の水底には、サーガラ竜王の宮殿がある。その広さは縦横ともに八万由旬である。七重の塀、七重の欄干が巡らされ、周囲は美しく飾られている。七重の宝網が張られ、宝の鈴が飾り付けられている。さらに七重の多羅樹の並木が、こんもりと茂り陰を作り、周囲を囲んでいる。美しい楼閣は、金、銀、瑠璃、水晶、赤い宝珠、白螺、瑪瑙といった七宝で飾られている。 その四方にはそれぞれ門があり、それぞれの門には、重層の楼閣や物見櫓が設けられている。また、園や苑、そして泉や池もある。その園や池の中には、様々な草花が整然と植えられている。さらに、様々な木々があり、ちぐさの枝や葉、様々な花や実、様々な妙なる香りが、風に乗って遠くまで漂う。様々な鳥が、清らかに囀り合っている。 比丘たちよ。須弥山王と佉低羅山の二つの山の間には、難陀と優波難陀の二大竜王の宮殿がある。その広さは六千由旬である。七重の塀、七重の欄干が巡らされている。詳細は先に述べた通りであり、様々な鳥が囀り合うところも同じである。

「諸比丘！大海之北，為諸龍王及一切金翅鳥王故，生一大樹，名曰居吒奢摩離隋言鹿聚。其樹根本周七由旬，下入地中二十由旬，其身出高一百由旬，枝葉遍覆五十由旬。樹外園院，縱廣正等五百由旬，七重牆壍，乃至眾鳥各各和鳴，略說如上。

> 「比丘たちよ。大海の北には、竜王たちとすべての金翅鳥王のために、一つの大きな木が生えている。その名を居吒奢摩離（くちゃしゃまり）という。その木の根元の周りは七由旬、地下に二十由旬も伸び、幹の高さは百由旬、枝葉は五十由旬にわたって広がっている。木の外側の庭園は、縦横ともに五百由旬あり、七重の塀と堀に囲まれている。そして、さまざまな鳥たちがそれぞれ美しくさえずる様子は、先に述べた通りである。」

「諸比丘！居吒奢摩離大樹東面，有卵生龍及卵生金翅鳥等宮殿住處。其宮縱廣各六百由旬，七重垣牆，乃至眾鳥各各和鳴，略說如上。居吒奢摩離大樹南，有胎生龍及胎生金翅鳥等宮殿住處，亦各縱廣六百由旬，七重垣牆，乃至眾鳥各各和鳴，略說如上。居吒奢摩離大樹西面，有濕生龍及濕生金翅鳥等宮殿住處，亦各縱廣六百由旬，七重垣牆，乃至眾鳥各各和鳴，略說如上。居吒奢摩離大樹北面，有化生龍及化生金翅鳥等宮殿住處，亦各縱廣六百由旬，七重垣牆，乃至眾鳥各各和鳴，略說如上。

> 「比丘たちよ、クタサマリヤという大木の東側には、卵から生まれる龍と卵から生まれる金翅鳥たちの宮殿の住まいがあります。その宮殿は縦横それぞれ六百由旬。七重の垣根があり、様々な鳥たちがそれぞれ鳴き交わす様子は、先に述べた通りです。 同じ大木の南側には、胎から生まれる龍と胎から生まれる金翅鳥たちの宮殿の住まいがあります。これも縦横六百由旬、七重の垣根があり、鳥たちの鳴き交わしも同様です。 同大木の西側には、湿気から生まれる龍と湿気から生まれる金翅鳥たちの宮殿の住まいがあります。これもまた縦横六百由旬、七重の垣根があり、鳥たちの鳴き交わしも同様です。 同大木の北側には、変化して生まれる龍と変化して生まれる金翅鳥たちの宮殿の住まいがあります。これについても縦横六百由旬、七重の垣根があり、鳥たちが鳴き交わす様子は、先に述べた通りです。」

「諸比丘！彼卵生金翅鳥王，若欲搏取卵生龍時，便即飛往居吒奢摩離大樹東枝之上，觀大海已，乃更飛下，以其兩翅扇大海水，令水自開二百由旬，即於其中，銜卵生龍，將出海外，隨意而食。諸比丘！卵生金翅鳥王，唯能取得卵生龍等隨意食之，則不能取胎生、濕生、化生龍等。

> 「比丘たちよ、卵から生まれる金翅鳥の王が、同じく卵から生まれる竜を捕らえようとするとき、こうするのです。まず、居吒奢摩離という大樹の東の枝の上に飛んで行き、大海をよく見渡します。それからさらに飛び下りて、その両方の翼で大海の水を扇ぎます。すると水が自然に二百由旬の広さにわたって分かれ、その開かれた中にいる卵生の竜をくわえて、海の外に連れ出し、思いのままに食べるのです。比丘たちよ、卵生の金翅鳥の王は、このようにして卵生の竜だけを捕らえて自由に食べることができますが、胎生、湿生、化生の竜を捕らえることはできません。」

「諸比丘！胎生金翅鳥王，若欲搏取卵生龍者，即便飛往居吒奢摩離大樹東枝之上，下觀大海，亦以兩翅扇大海水，令水自開二百由旬，因而銜取卵生諸龍，將出海外，隨意而食；又胎生金翅鳥王，若欲搏取胎生龍者，即便飛往居吒奢摩離大樹南枝之上，下觀大海，以其兩翅扇大海水，水為之開四百由旬，遂於其中，銜胎生龍，將出海外，隨意而食。諸比丘！此胎生金翅鳥王，唯能取得卵生諸龍及胎生龍，隨其所用，則不能取濕生、化生二種龍也。

> 比丘たちよ、胎生の金翅鳥王が卵生の龍を捕らえようとする時は、居吒奢摩離（こたしゃまり）の大樹の東の枝にとまり、大海を見下ろします。そして両翼で大海の水を扇ぎ、水を二百由旬（ゆじゅん）も開かせて、その中から卵生の龍をくわえて海の外に運び出し、思いのままに食べます。 また、胎生の金翅鳥王が胎生の龍を捕らえようとする時は、同じ大樹の南の枝にとまり、大海を見下ろします。両翼で大海の水を扇ぐと、水は四百由旬も開き、その中から胎生の龍をくわえて海の外に出し、自由に食べます。 比丘たちよ、この胎生の金翅鳥王は、卵生の龍と胎生の龍だけを捕らえて食することができ、湿生や化生の龍は捕らえることができないのです。

「諸比丘！濕生金翅鳥王，若欲搏取卵生龍時，即便飛往居吒奢摩離大樹東枝之上，以其兩翅扇大海水，水為之開二百由旬，開已銜取卵生諸龍，隨意而食；又濕生金翅鳥王，若欲搏取胎生龍時，即便飛往居吒奢摩離大樹南枝之上，以其兩翅扇大海水，水為之開四百由旬，開已銜取胎生諸龍，隨意所用；又濕生金翅鳥王，若欲搏取濕生龍者，即便飛往居吒奢摩離大樹西枝之上，以其兩翅扇大海水，水為之開八百由旬，即便銜取濕生諸龍，隨意而食。諸比丘！諸濕生金翅鳥王，唯能取得卵生、胎生、濕生龍等，恣其所用，隨意而食，則不能取化生諸龍。

> 「比丘たちよ、湿生の金翅鳥王は、卵生の竜を捕らえようとする時、ただちにクタシャーマリ樹の東の枝に飛んで行き、その両翼で大海の水を扇ぎます。すると水は二百由旬（ユージャナ）ほど分かれ、その後に卵生の竜をくわえて、思いのままに食べます。 また、湿生の金翅鳥王が胎生の竜を捕らえようとする時は、ただちに同じ樹の南の枝に飛んで行き、両翼で大海の水を扇ぎます。すると水は四百由旬分かれ、胎生の竜をくわえて、思いのままに用います。 さらに、湿生の金翅鳥王が湿生の竜を捕らえようとする時は、ただちに西の枝に飛んで行き、両翼で大海の水を扇ぎます。すると水は八百由旬分かれ、湿生の竜をくわえて、思いのままに食べます。 比丘たちよ、これらの湿生の金翅鳥王は、卵生、胎生、湿生の竜を捕らえて自由に食べることができますが、化生の竜だけは捕らえることができません。」

「諸比丘！其化生金翅鳥王，若欲搏取卵生龍者，即時飛往居吒奢摩離大樹東枝之上，以其兩翅扇大海水，水為之開二百由旬，即便銜取卵生諸龍，隨意而食；又此化生金翅鳥王，若欲搏取胎生龍者，即時飛往居吒奢摩離大樹南枝之上，以翅扇海，水為之開四百由旬，海既開已，化生鳥王，即便銜取胎生諸龍，隨意而食；又此化生金翅鳥王，若欲搏取濕生龍者，即便飛往居吒奢摩離大樹西枝之上，以翅扇海，水為之開八百由旬，即時銜取濕生諸龍，隨意而食；又此化生金翅鳥王，若欲搏取化生龍者，即復飛往居吒奢摩離大樹北枝之上，下觀大海，便以兩翅飛扇大海，水為之開一千六百由旬，即便銜取化生諸龍，隨意而食。諸比丘！彼諸龍等，悉皆為此金翅鳥王之所食噉。

> 僧たちよ、化生の金翅鳥王は、卵生の龍を捕らえようとするとき、ただちに居吒奢摩離の大樹の東の枝へ飛んで行き、その両翼で大海を扇ぐ。すると海水は二百由旬も分かれ、そのまま卵生の諸龍をくわえて、思うままに食べる。 また、この化生の金翅鳥王は、胎生の龍を捕らえようとするとき、ただちに同じ大樹の南の枝へ飛んで行き、翼で海を扇ぐ。海水は四百由旬も分かれ、海が開かれると、化生の鳥王は胎生の諸龍をくわえて、思うままに食べる。 さらに、この化生の金翅鳥王は、湿生の龍を捕らえようとするとき、ただちに大樹の西の枝へ飛んで行き、翼で海を扇ぐ。海水は八百由旬も分かれ、ただちに湿生の諸龍をくわえて、思うままに食べる。 また、この化生の金翅鳥王は、化生の龍を捕らえようとするとき、ただちに大樹の北の枝へ飛んで行き、大海を見下ろし、両翼で大海を激しく扇ぐ。すると海水は千六百由旬も分かれ、そのまま化生の諸龍をくわえて、思うままに食べる。 僧たちよ、それらの龍たちは、みなこの金翅鳥王の食べ物となってしまうのである。

「諸比丘！別有諸龍，金翅鳥王所不能取，謂娑伽羅龍王，未曾為彼金翅鳥王之所驚動；復有難陀龍王、優波難陀龍王，此二龍王，亦不為彼金翅鳥王之所能取；復有提頭賴吒龍王、阿那婆達多龍王，金翅鳥王亦不能取。諸比丘！其餘龍王，亦有不為金翅鳥王搏取食者，謂摩多車迦龍王、德叉迦龍王、羯勒拏橋多摩伽龍王、熾婆陀弗知梨迦龍王、商居波陀迦龍王、甘婆羅龍王、阿濕婆多羅龍王等。諸比丘！更有餘龍，於其住處境界之中，亦復不為諸金翅鳥之所食噉。

> 「比丘たちよ、別の龍たちがいる。金翅鳥の王が捕まえることのできない者たちである。すなわち、娑伽羅龍王は、かつて金翅鳥の王に驚かされたことがない。また、難陀龍王と優波難陀龍王というこの二龍王も、金翅鳥の王に捕まえられることはない。さらに、提頭頼吒龍王と阿那婆達多龍王も、金翅鳥の王に捕まえられない。比丘たちよ、その他の龍王にも、金翅鳥の王に捕らえられて食べられない者たちがいる。すなわち、摩多車迦龍王、徳叉迦龍王、羯勒拏橋多摩伽龍王、熾婆陀弗知梨迦龍王、商居波陀迦龍王、甘婆羅龍王、阿湿婆多羅龍王などである。比丘たちよ、さらに他の龍たちも、その住む場所や領域の中では、金翅鳥たちに食べられることはない。」

「諸比丘！此等眾生有何因緣，在如是趣，生於龍中？諸比丘！有諸眾生，熏修龍因、受持龍戒、發起龍心、分別龍意，作是業已，為彼因緣所成熟故，生在龍中。復有眾生，熏修金翅鳥因、受持金翅鳥戒、發起金翅鳥心、分別金翅鳥意，以是因緣身壞命盡，生在如是金翅鳥中。復有眾生，熏修野獸因、受持野獸戒、發起野獸心、習行野獸業、分別野獸意，以如是等種種熏修諸獸戒因，發起行業，成就心意，眾因緣故，身壞命盡，即生如是諸雜獸中。復有眾生，熏修牛因、牛戒、牛業、牛心、牛意，略說如前，乃至分別以是緣故生於牛中。復有眾生，熏修雞因、雞戒、雞業、雞心、雞意，略說如前，乃至分別以是因緣生於雞中。復有眾生，修鵄鵂因、受鵄鵂戒、發鵄鵂心、行鵄鵂業、分別鵄鵂意，以是熏修鵄鵂之業、受鵄鵂戒、起鵄鵂心、分別鵄鵂意故，捨此身已生鵄鵂中。

> 比丘たちよ、このような衆生が、どのような因縁によって、このような境遇に生まれ、竜の仲間となるのか。 比丘たちよ、ある衆生は、竜に生まれる因を修め、竜の戒めを受けて守り、竜の心を起こし、竜の思いを分別する。そのような行いをして、その因縁が成熟した結果、竜の中に生まれるのである。 また、ある衆生は、金翅鳥（こんじちょう）の因を修め、金翅鳥の戒めを受けて守り、金翅鳥の心を起こし、金翅鳥の思いを分別する。この因縁によって、身体が壊れ命が尽きると、このような金翅鳥の中に生まれる。 また、ある衆生は、野獣の因を修め、野獣の戒めを受けて守り、野獣の心を起こし、野獣の行いを習い、野獣の思いを分別する。このように様々な野獣の戒めや因を修め、行いを起こし、心と想いを成就させる。これらの因縁によって、身体が壊れ命が尽きると、そのまま様々な獣の中に生まれるのである。 また、ある衆生は、牛の因、牛の戒め、牛の行い、牛の心、牛の思いを修める。先に述べたように簡略に説けば、分別することによって、この因縁で牛の中に生まれる。 また、ある衆生は、鶏の因、鶏の戒め、鶏の行い、鶏の心、鶏の思いを修める。先に述べたように簡略に説けば、分別することによって、この因縁で鶏の中に生まれる。 また、ある衆生は、鵄鵂（しきゅう）の因を修め、鵄鵂の戒めを受けて守り、鵄鵂の心を起こし、鵄鵂の行いを行い、鵄鵂の思いを分別する。このように鵄鵂の行いを修め、鵄鵂の戒めを受け、鵄鵂の心を起こし、鵄鵂の思いを分別するがゆえに、この身体を捨てた後、鵄鵂の中に生まれるのである。

「諸比丘！復有眾生，熏修月戒，或修日戒、星宿戒、大人戒，或有熏修默然戒、或有熏修大力天戒、或有熏修大丈夫戒、或有熏修入水戒、或有熏修供養日戒、或有熏修事行火戒、或修苦行諸穢濁處，既熏修已作如是念：『願我所修此等諸戒，謂月戒、日戒、星辰戒、默然戒、大力天戒、大丈夫戒、水戒、火戒、苦行穢濁如是等戒，令我因此當得作天，或得天報。』發如是等邪思惟願。諸比丘！此諸丈夫福伽羅等，起邪願者，我今當說彼所趣向，必生二處：若生地獄、若生畜生。

> 比丘たちよ、またある衆生は、月の戒、あるいは日の戒、星宿の戒、大人の戒を修行する。あるいは沈黙の戒を修行し、あるいは大力天の戒を修行し、あるいは大丈夫の戒を修行し、あるいは水に入る戒を修行し、あるいは日を供養する戒を修行し、あるいは火の行を事とする戒を修行し、あるいは苦行や様々な不浄な場所で修行する。そして、そのように修行した後、こう思う。『私が修行したこれらの戒、すなわち月の戒、日の戒、星辰の戒、沈黙の戒、大力天の戒、大丈夫の戒、水の戒、火の戒、苦行や不浄の戒などによって、私は天となり、あるいは天の報いを得ることができますように』と。このような誤った思いや願いを抱くのである。 比丘たちよ、このような願いを起こす者たちの行き先について、私は今語ろう。彼らは必ず二つの場所に生まれる。すなわち、地獄か、あるいは畜生の世界である。

「諸比丘！或有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『我及世間常。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『我及世間無常。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門，作如是見，作如是言：『我及世間亦常無常。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門，作如是見，作如是言：『我及世間非常非無常。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ、ある修行者やバラモンたちは、次のような見解を持ち、こう言います。「自己と世界は永遠である。これこそが真実であり、それ以外は偽りである。」また、別の修行者やバラモンたちは、次のような見解を持ち、こう言います。「自己と世界は無常である。これこそが真実であり、それ以外は偽りである。」さらに、別の修行者やバラモンたちは、次のような見解を持ち、こう言います。「自己と世界は、永遠でありかつ無常である。これこそが真実であり、それ以外は偽りである。」そしてまた、別の修行者やバラモンたちは、次のような見解を持ち、こう言います。「自己と世界は、永遠でもなく無常でもない。これこそが真実であり、それ以外は偽りである。」

「諸比丘！或有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『我及世間有邊。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『我及世間無邊。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『我及世間亦有邊亦無邊。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『我及世間非有邊非無邊。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ、ある修行者やバラモンたちの中には、次のような見解を持ち、次のように言う者たちがいます。「私と世界には限りがある。これこそが真実であり、他は虚偽である」と。 また、別の修行者やバラモンたちの中には、次のような見解を持ち、次のように言う者たちがいます。「私と世界には限りがない。これこそが真実であり、他は虚偽である」と。 さらに、別の修行者やバラモンたちの中には、次のような見解を持ち、次のように言う者たちがいます。「私と世界には限りがあるとも言え、限りがないとも言える。これこそが真実であり、他は虚偽である」と。 また、別の修行者やバラモンたちの中には、次のような見解を持ち、次のように言う者たちがいます。「私と世界には限りがあるのでもなく、限りがないのでもない。これこそが真実であり、他は虚偽である」と。

「諸比丘！或有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『命即是身。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『命異身異。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『有命有身。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『無命無身。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『如來死後有有。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『如來死後無有。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『如來死後亦有有亦無有。此事實，餘虛妄。』復有一種沙門婆羅門等，作如是見，作如是言：『如來死後非有有非無有。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ。ある沙門やバラモンたちは、このような見解を持ち、こう言います。「命はすなわち身体である。これが真理であり、他は虚偽である。」また、別の沙門やバラモンたちは、こう言います。「命と身体は別である。これが真理であり、他は虚偽である。」また、別の沙門やバラモンたちは、こう言います。「命も身体も存在する。これが真理であり、他は虚偽である。」また、別の沙門やバラモンたちは、こう言います。「命も身体も存在しない。これが真理であり、他は虚偽である。」また、別の沙門やバラモンたちは、こう言います。「如来は死後、（再び）存在する。これが真理であり、他は虚偽である。」また、別の沙門やバラモンたちは、こう言います。「如来は死後、存在しない。これが真理であり、他は虚偽である。」また、別の沙門やバラモンたちは、こう言います。「如来は死後、存在すると同時に存在しない。これが真理であり、他は虚偽である。」また、別の沙門やバラモンたちは、こう言います。「如来は死後、存在するのでもなく、存在しないのでもない。これが真理であり、他は虚偽である。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、如是說言『我及世間常。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於諸行中當有我見、當有世見；離諸行中當有我見、當有世見。以是義故，彼等作如是見，作如是說：『我及世間常。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ。ここで、ある沙門やバラモンたちが次のような見解を持ち、こう主張する者たちがいる。「私とこの世は永遠である。これが真実であり、他の説は虚妄である」と。そのような沙門やバラモンたちは、あらゆる形成されたもの（行）の中に「我」という見解を持ち、「世間」という見解を持つ。また、それら形成されたものから離れても、「我」という見解、「世間」という見解を持つ。そうした理由から、彼らはこのような見解を持ち、このように主張するのである。「私とこの世は永遠である。これが真実であり、他の説は虚妄である」と。

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、如是說言『我及世間無常。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於諸行中，當有無我見、無世間見；離諸行中，當有無我見、無世間見。以是義故，彼等作如是說：『我及世間無常。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ、ここで、ある沙門やバラモンたちが、次のように見て、次のように説く者がいる。「我と世界は無常である。これこそが真実であり、他の説は虚偽である」と。これらの沙門やバラモンたちは、諸々の形成されたもの（行）の中にあって、無我の見解も、無世界の見解も持たないであろう。また、それら諸々の形成されたものから離れたところにあっても、無我の見解も、無世界の見解も持たないであろう。そのような理由から、彼らは次のように説くのである：「我と世界は無常である。これこそが真実であり、他の説は虚偽である」と。

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、作如是說言『我及世間亦常亦無常。此是實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於諸行中，當有我見及世間見；離諸行中，當有我見及世間見。以是義故，彼等作如是說：『我及世間亦常無常。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ。ここで、ある修行者やバラモンたちが、『自己と世界は、常であると同時に無常でもある。これこそが真実であり、他は虚妄である』と見なし、語るとする。そのような修行者やバラモンたちは、諸々の形成作用（行）の中に自己の見解や世界の見解を見出すであろう。また、それらを離れても、自己の見解や世界の見解を見出すであろう。ゆえに、彼らはこう語るのである。『自己と世界は、常であり無常でもある。このことが真実であり、他は虚妄である』と。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、如是說言『我及世間非常非非常。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於諸行中，當有我見及世間見；離諸行中，當有我見及世間見。是故彼等作是說言：『我及世間非常非非常。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ、世の中にいる修行者やバラモンたちの中で、『我と世間は、常住でもなく、無常でもない。この見解だけが真実であり、他は虚妄である』と説く者たちがいる。それらの修行者やバラモンたちは、様々な現象（行）のうちに我や世間の見解を持ち、また様々な現象を離れたところにも我や世間の見解を持つ。そうであるがゆえに、彼らは『我と世間は、常住でもなく、無常でもない。この見解だけが真実であり、他は虚妄である』と説くのである。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、如是說言『我及世間有邊。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，作如是說：『命有邊、人有邊，從初託胎在母腹中名命，死後殯埋名人。上人從初出生受身四種，七返墮落、七度流轉、七走七行，成就命及入命聚。』是故彼等作如是說：『我及世間有邊。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ、ここで沙門やバラモンたちの中に、「我と世界は有限である。これは真実であり、他の説は虚妄である」と見なし、語る者たちがいる。彼らは次のように説く。「命は有限であり、人も有限である。最初に胎内に宿った時を『命』と呼び、死後に葬られる時を『人』と呼ぶ。すぐれた人は、生まれてから四つの姿を受け、七回堕ち、七回流転し、七回歩み、七回行き、命と命の集まりを成就する。」それゆえ、彼らは「我と世界は有限である。これは真実であり、他の説は虚妄である」と説くのである。

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、如是說言『我及世間無邊。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，作如是說：『命無有邊、人無有邊。從初託胎在母腹中名命，死後殯埋名人。上人從初出生受身四種，七返墮落、七度流轉、七走七行，成就命及入命聚。』是故彼等作如是說：『我及世間無邊。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ、ここで修行者やバラモンたちの中に、 「自己と世界は無限である。これのみが真実であり、他は虚妄である」 と見なし、そう説く者たちがいる。 その修行者やバラモンたちは、こう説く。 「命には限りがなく、人にも限りがない。 最初に胎内に宿った時を『命』と呼び、死後に葬られた時を『人』と呼ぶ。 優れた人は、最初に生を受けてから四種の身体を得る。 そして七回堕ち、七回流転し、七回歩み、七回行じ、 命と命の集まりを成就させる。」 それゆえ、彼らはこう説くのである。 「自己と世界は無限である。これのみが真実であり、他は虚妄である。」と。

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、作如是說言『我及世間亦有邊亦無邊。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，作如是說：『命亦有邊亦無邊。是人從初託胎在母腹中，死後殯埋。上人從初受身四種，七返墮落、七度流轉、七走七行，成就命及入命聚。』是故彼等作如是說：『我及世間，亦有邊亦無邊。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ。ここにおいて、ある沙門や婆羅門たちが、このように見なし、このように説く——『我と世間は、有限でもあり無限でもある。このことだけが真実であり、他は虚妄である』と。彼ら沙門や婆羅門たちは、こう説く。『命もまた有限であり無限である。人は最初に母の胎内に宿り、死後は埋葬される。すぐれた者は、最初に四種の身を受け、七回堕ち、七回流転し、七回走り、七回行き、命と命の集まりを完成させる。』ゆえに彼らはこう説く——『我と世間は、有限でもあり無限でもある。このことだけが真実であり、他は虚妄である』と。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、作如是說言『我及世間非有邊非無邊。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，作如是說：『世間非有邊非無邊。從初受身四種，七返墮落、七度流轉、七走七行已，成就命及入命聚。』是故彼等作如是言：『我及世間非有邊非無邊。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ、ここにいる修行者やバラモンたちの中に、『自己と世界は有限でも無限でもない。これこそが真実であり、他は全て虚偽である』と見なし、そう説く者たちがいる。彼らは次のように語る。『世界は有限でも無限でもない。最初に身体を得てから、四つの状態を経て、七回堕ち、七回流転し、七回走り、七回行き巡った後、命と命の集まりが完成するのだ。』故に彼らは『自己と世界は有限でも無限でもない。これこそが真実であり、他は全て虚偽である』と宣言するのである。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、作如是說言『命即是身。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於身中見有我及見有命；於餘身中亦見有我及見有命。是故彼等作如是言：『即命是身。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ、ここで、ある僧侶やバラモンたちが『生命そのものが肉体である。これこそ真実であり、他は虚偽である』と見解し、そのように語る者たちがいる。 彼ら僧侶やバラモンたちは、肉体の中に『私』と『生命』があると見、また他の肉体の中にも『私』と『生命』があると見る。 それゆえ彼らは『生命そのものが肉体である。これこそ真実であり、他は虚偽である』と語るのである。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、作如是說言『命異身異。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於身中見有我及見有命；於餘身中亦見有我及見有命。是故彼等作如是言：『命異身異。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ。ここで、ある沙門や婆羅門たちが『いのちと体は別である。これは真実で、他は虚偽である』と見解し、主張する者たちがいる。彼ら沙門や婆羅門たちは、自分自身の体の中に“我”があると見、また“いのち”があると見る。さらに他の体の中にも“我”があると見、また“いのち”があると見る。それゆえ彼らは『いのちと体は別である。これは真実で、他は虚偽である』と主張するのである。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、作如是說言『有命有身。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於身中見有我及見有命；於餘身中亦見有我及見有命。是故彼等作如是言：『有命有身。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ、ここで、ある沙門や婆羅門たちが、次のような見解を持ち、次のように説く者たちがいる。『命あるものには身体がある。このことこそが真実であり、他のことは虚偽である。』と。それらの沙門や婆羅門たちは、自己の身体の中に“我”があると見、また命があると見る。他の身体の中にも“我”があると見、また命があると見る。それゆえに彼らは、こう言うのである。『命あるものには身体がある。このことこそが真実であり、他のことは虚偽である。』と。）

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、作如是說言：『非命非身。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於身中不見有我不見有命；於餘身中亦不見有我不見有命。是故彼等作如是言：『非命非身。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ、ここで、ある修行者やバラモンたちが、『私も命も存在しない。この見解のみが真実であり、他はすべて虚偽である』と見なし、語るとしよう。彼ら修行者やバラモンたちは、自己の身体の中に『私』も『命』も見いだせず、また他の身体の中にも『私』も『命』も見いだせない。それゆえ、彼らは『私も命も存在しない。この見解のみが真実であり、他はすべて虚偽である』と語るのである。

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、作如是說言『如來死後有有。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於世作如是見：從壽命當至壽命，亦當趣向流轉。是故彼等作如是言：『如來死後有有。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ、世の中の修行者やバラモンたちの中で、『如来は死後も存在する。これこそ真実であり、他は虚偽である』と見解し、そう説く者たちがいる。彼らは世において、『寿命から寿命へと赴き、輪廻転生する』と見ている。それゆえ彼らは、『如来は死後も存在する。これこそ真実であり、他は虚偽である』と説くのである。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、如是說言『如來死後無有。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於世作如是見：此有壽命至彼，後有壽命即斷。是故彼等作如是言：『如來死後無有。此事實，餘虛妄。』

> 比丘たちよ、ここで、ある沙門や婆羅門たちが「如来は死後、存在しない。これこそが真実であり、それ以外は虚妄である」と見なし、説く者たちがいる。そうした沙門や婆羅門は、世において、このように見なす──「この生命はここに至り、その後の生命は即座に断たれる」と。それゆえ、彼らは次のように説くのだ：「如来は死後、存在しない。これこそが真実であり、それ以外は虚妄である」と。

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、如是說言『如來死後亦有有亦無有。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於世作如是見：此處命斷，往至彼處，趣向流轉。是故彼等作如是言：『如來死後亦有有亦無有。此事實，餘虛妄。』

> 「比丘たちよ、ここで次のような見解を持ち、こう語る修行者やバラモンたちがいます。『如来は死後、存在すると同時に存在しない。このことだけが真実であり、他は虚妄である』と。彼ら修行者やバラモンたちは、世の中でこのように見なしています。すなわち、ここで命が終わると、あちらの場所へと赴き、そこへ向かい、生死を繰り返すと。それゆえに彼らはこう説くのです。『如来は死後、存在すると同時に存在しない。このことだけが真実であり、他は虚妄である』と。」

「諸比丘！是中所有沙門婆羅門等，作如是見、如是說言『如來死後非有有非無有。此事實，餘虛妄。』者，彼諸沙門婆羅門等，於世作如是見：人於此處命斷壞已，移至彼處命亦斷壞。是故彼等作如是言：『如來死後非有有非無有。此事實，餘虛妄。』」

> 比丘たちよ、ここにおいて、ある沙門や婆羅門たちが、次のような見解を持ち、次のように説く者がいる。 「如来は死後、あるのでもなく、ないのでもなく、あるのでもないのでもない。このことこそが真実であり、他のことは虚偽である」と。 そのような沙門や婆羅門たちは、世間について次のように見なしている。 「人はこの場所で命が絶え、壊れた後、他の場所に移り、そこでまた命が絶え、壊れる」と。 それゆえに、彼らは次のように言うのである。 「如来は死後、あるのでもなく、ないのでもなく、あるのでもないのでもない。このことこそが真実であり、他のことは虚偽である」と。

爾時，佛告諸比丘言：「諸比丘！我念往昔有一國王，名曰鏡面。彼鏡面王曾於一時，意欲觀諸生盲以為戲樂，即便宣勅普告國內生盲丈夫，皆令集會。既集會已，語彼群盲作如是言：『汝等生盲，頗亦能知象之形相？其狀云何？』彼諸生盲同聲答言：『天王！我等生盲，實不能知象之形相。』王復告言：『汝等先來既未識象，今者欲知象形相不？』時，彼群盲復同答言：『天王！我實未識。若蒙王恩，我等或當知象形相。』時，鏡面王即時降勅，喚一象師，而告之言：『卿可速往我象廐內，取一象來，置於我前，示諸盲人。』時，調象師受王勅已，即將象來置王殿前，語眾盲言：『此即是象。』時，諸盲人各各以手摩觸其象。爾時，象師復語眾盲：『汝觸象已，以實報王。』時，眾盲人有觸鼻者、有觸牙者、有觸耳者、有觸頭項背脇尾脚諸身分者。

> ある時、仏は比丘たちにこう告げられた。「比丘たちよ、私はかつて鏡面という名の王がいたことを思い出す。その鏡面王はある時、生まれつき目の見えない者たちを集めて楽しもうと考えた。そこで王は、国中にいる生まれつき目の見えない男性たちを皆集めるよう布告を出した。彼らが集められると、王はこう言った。『お前たちは物が見えぬ生まれつきだが、象の形がどんなものか知っているか？』盲人たちは口を揃えて答えた。『王様、私たちは生まれつき目が見えぬため、象の形を全く知りません』。すると王は再び尋ねた。『お前たちは今まで象を見たことがないのだから、これから象の形を知りたいか？』盲人たちはまた口を揃えて答えた。『王様、私たちは本当に知りません。もし王様のお慈悲で象の形を知ることができるなら、ありがたく存じます』。そこで鏡面王はすぐに象使いを呼び寄せて命じた。『あなたは早急に私の象舎に行き、一頭の象を連れてきて私の前に置き、盲人たちに見せなさい』。象使いは王の命令を受け、象を連れてきて王の宮殿の前に置き、盲人たちに『これが象です』と告げた。そこで盲人たちはそれぞれ手で象に触れた。その後、象使いは盲人たちに言った。『象に触れたなら、ありのままを王に申し上げなさい』。その時、盲人たちのうちには鼻に触れる者、牙に触れる者、耳に触れる者、頭や首、背中、脇腹、尾、脚など、象の各部分に触れる者がいた。」

「時，王問言：『諸生盲輩，汝等已知象形相耶？』諸生盲人同答王言：『天王！我等已知象之形相。』爾時，彼王即復問言：『汝等諸盲，若知象者，象為何相？』時，群盲中有觸鼻者，即白王言：『天王！象形如繩。』觸其牙者，答言：『天王！象形如橛。』觸其耳者，答言：『天王！象形如箕。』觸其頭者，答言：『天王！象形如甕。』觸其項者，答言：『天王！象如屋栿。』觸其背者，答言：『天王！象如屋脊。』觸其脇者，答言：『天王！象形如篅。』觸其髀者，答言：『天王！象形如樹。』觸其脚者，答言：『天王！象形如臼。』觸其尾者，答言：『天王！象如掃󰆠。』時，眾盲人各各答言：『天王！象形如是』、『天王！象形如是』，作如是白已。時，王即告眾盲人言：『汝亦不知是象非象，況能得知象之形相？』時，彼眾盲各各自執，共相諍鬪，各各以手自遮其面，互相誼競，互相呰毀。各言已。是時，鏡面王見彼眾盲如是諍競，大笑歡樂。王於彼時即說偈言：

> 時、王が問うた。 「諸々の生まれつきの盲人たちよ、お前たちは既に象の形を知ったか？」 生まれつきの盲人たちは皆、王に答えた。 「天王よ、我等は既に象の形を知りました。」 その時、王は再び問うた。 「お前たち盲人たちよ、もし象を知ったというなら、象はどのような形か？」 すると、その盲人たちのうち、鼻に触れた者が王に申し上げた。 「天王よ、象の形は縄のようです。」 牙に触れた者は答えた。 「天王よ、象の形は杭のようです。」 耳に触れた者は答えた。 「天王よ、象の形は箕（み）のようです。」 頭に触れた者は答えた。 「天王よ、象の形は甕（かめ）のようです。」 首に触れた者は答えた。 「天王よ、象は屋根の梁のようです。」 背に触れた者は答えた。 「天王よ、象は屋根の棟木のようです。」 脇腹に触れた者は答えた。 「天王よ、象の形は穀物を入れる円形の籠のようです。」 腿に触れた者は答えた。 「天王よ、象の形は木のようです。」 足に触れた者は答えた。 「天王よ、象の形は臼（うす）のようです。」 尾に触れた者は答えた。 「天王よ、象は箒（ほうき）のようです。」 その時、大勢の盲人たちはそれぞれに答えた。 「天王よ、象の形はこのようなものです」 「天王よ、象の形はこのようなものです」と、このように申し上げた。 その後、王は大勢の盲人たちに告げた。 「お前たちは象が何であるかも知らない。ましてや象の形を知ることなどできようか？」 その時、大勢の盲人たちはそれぞれ自分の主張を固守し、互いに争い合った。各自が手で自分の顔を覆い、互いに言い争い、互いに罵り合った。それぞれがそう言った。 その時、鏡面王は大勢の盲人がこのように争い合うのを見て、大笑いして喜ばれた。 王はその時、偈を説かれた。

「『是等群盲生無目， 橫於此事互相諍，曾無有人教語之， 云何能知象身分？』

> 「目の見えない大勢の人は、 このことについて互いに争い、 誰も教えてくれる人がいなければ、 どうやって象の姿を知ることができるでしょう？」

「諸比丘！如是，如是。世間所有諸沙門婆羅門等，亦復如是，既不能知如實苦聖諦、苦集聖諦、苦滅聖諦、苦滅道聖諦。既不實知，當知彼等，方應長夜共生諍鬪，流轉生死，互相呰毀，互相罵辱。既生諍鬪，執競不休，各各以手，自遮其面，如彼群盲，共相惱亂。」於中有偈：

> 「比丘たちよ、そのとおりである。世の中のすべての修行者やバラモンたちもまた、同じことであり、苦しみの真理、苦しみの原因の真理、苦しみの消滅の真理、苦しみの消滅に至る道の真理を、ありのままに知ることができない。彼らはそれを正しく知らないので、長い夜の間、互いに争い続け、生死を流転し、互いにののしり合い、罵り合うことになる。争いが生じれば、執着して休むことなく、各自が自分の手で自分の顔を覆い隠す。それはあたかも、あの目の見えない人々の群れが互いに悩み乱すようなものである。」ここに偈がある。

若不能知苦聖諦， 亦復不知苦集因，所有世間諸苦法， 此苦滅盡無餘處。於中是道尚不知， 況知滅苦所行行，如是其心未解脫， 未得智慧解脫處。彼既不能諦了觀， 但知趣向生老死，未得免離諸魔縛， 豈能到於無有處。

> もし、苦しみという聖なる真理を知らず、 苦しみのもとを知らなければ、 この世にあるあらゆる苦しみの原因や、 その苦しみが完全に尽きて無くなる場所を 理解することはできない。 そこへ至る道をまだ知らないのに、 苦しみを滅ぼすための実践を知ることはなおさらできない。 そのように心が解き放たれておらず、 智慧による解放の境地にも達していない者がある。 彼らはありのままに観察することができず、 ただ生まれ、老い、死んでいくしかなく、 あらゆる煩悩の束縛から逃れられず、 どうして煩悩のまったくない境地に至ることができようか。

「諸比丘！若有沙門婆羅門等，能知如實苦聖諦，苦集、苦滅、苦滅道聖諦，如實知者，應當如是隨順修學。彼等長夜和合共行，各各歡喜，無有諍競，同趣一學，猶如水乳共相和合，一處同住，示現教師所說聖法，安樂處住。」此中說偈：

> 「比丘たちよ。もしも修行者や聖なる者たちが、苦しみという聖なる真理、苦しみの発生、苦しみの消滅、苦しみの消滅に至る道という聖なる真理を、あるがままに知ることができるなら、そのように従って学び修行すべきである。彼らは長きにわたり和合して共に歩み、互いに喜び合い、争うことなく、一つの教えに向かい合う。それはまるで水と乳が混ざり合うように、一つになって共に住み、教師が説かれた聖なる法を示し、安らかな境地に留まるのである。」ここに偈（うた）で説かれる。

若能知是諸有苦， 及有所生諸苦因，既知一切悉皆苦， 應令盡滅無有餘。若知此滅由於道， 便到苦滅所得處，即能具足心解脫， 及得智慧解脫處。則能到於諸有邊， 如是不至生老死，長得免脫於魔縛， 永離世間諸有處。

> 若かくの如き諸々の苦しみと、 その苦しみを生じさせる様々な原因があると知るならば、 一切は全て苦しみであると知り、 これを余すことなく滅し尽くすべきである。 もしこの滅が道によるものであると知れば、 苦しみの滅した結果に至る場所に到り、 心の解脱を完全に具え、 さらに智慧の解脱の境地をも得る。 そうすれば、あらゆる生存の極みに達し、 もはや生・老・死に至ることなく、 長く魔の束縛から免れ、 世間のあらゆる生存の境地から永遠に離れるのである。