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title: "起世經 · 2"
description: "起世经是隋代高僧阇那崛多等人翻译的重要佛教经典，属于阿含部经典之一。该经主要阐述宇宙生成、世界构造及众生轮回的佛教世界观，详细描绘了世界的形成、毁灭及再生过程，并探讨了众生业力与轮回的关系。阇那崛多是北印度高僧，隋文帝时期来华，参与译经事业，对汉传佛教经典的传播贡献卓著。起世经在佛教中具有重要地位，为研究佛教宇宙观和轮回思想提供了经典依据，对后世佛教哲学和修行实践影响深远。"
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## 起世經卷第七

> 起世経 巻第七

隋天竺三藏闍那崛多等譯

> 隋の天竺三蔵僧・闍那崛多 他訳

### 三十三天品第八之二

> 三十三天品 第八の二

「諸比丘！又何因緣，彼天有園，名為歡喜？諸比丘！彼歡喜園，三十三天王入其中已，坐於歡喜、善歡喜二石之上，心受歡喜，意念歡喜，念已復念，受諸快樂，受悅樂已，復受極樂，是故諸天、共稱彼園，以為歡樂。諸比丘！又彼天樹，有何因緣，名波利夜怛邏拘毘陀羅？諸比丘！彼波利夜怛邏拘毘陀羅樹下，有天子住，名曰末多，日夜常以彼天種種五欲功德，具足和合遊戱受樂。是故諸天，遂稱彼樹，以為波利夜怛邏拘毘陀羅。復次，諸比丘！三十三天，縱有急疾，未曾肯捨般荼甘婆石，必設供養尊重恭敬，然後乃復隨意而去。所以者何？此石乃是如來昔日所住之處。是故諸天，以為支提，一切世間，天人魔梵、沙門婆羅門等，應供養故。諸比丘！有三十三天，唯得眼見波婁沙迦園，身不能入，身不入故，不得彼處五欲功德受具足樂。何以故？彼業勝故，以其前世善根微劣，不能得入。有三十三天、得見波婁沙迦園，身亦能入，既得入已，具得彼處種種五欲和合功德而受快樂。何以故？以其善根增上勝故。諸比丘！有三十三天，眼不得見雜色車園，身亦不入，亦不得以彼園五欲和合功德而受快樂。何以故？以其善根有別異故。有三十三天，眼雖得見雜色車園，身不得入，亦不得以彼園五欲和合功德而受快樂。何以故？以其善根有優劣故。有三十三天，眼既得見雜色車園，身亦得入，既得入已具足得彼種種五欲，同體和合而受快樂。何以故？以其善根增上勝故。諸比丘！凡是一切三十三天，無不悉見雜亂之園，亦皆得入；既得入已，悉亦同得彼園苑中種種五欲和合功德具足同體而受快樂。何以故？修業等故。彼中無有別異善根故。

> 比丘たちよ、なぜあの天の園は「歓喜の園」と呼ばれるのか。それは、三十三天の王がその園に入り、「歓喜」と「善歓喜」という二つの石の上に座ると、心も思いも歓喜に満たされ、繰り返し喜びを味わい、様々な楽しみを受け、さらに至福を味わうからである。そのため、天の衆はその園を「歓楽の園」と呼ぶのである。 比丘たちよ、また、あの天の樹はなぜ「パリヤートラカ・コーヴィダーラ」と呼ばれるのか。比丘たちよ、そのパリヤートラカ・コーヴィダーラの樹の下には、「マード」という名の天子が住み、昼も夜も常に、その天における様々な五つの欲望の対象を完全に備え、共に戯れて楽しんでいるからである。そのため、天の衆はその樹を「パリヤートラカ・コーヴィダーラ」と呼ぶのである。 さらに、比丘たちよ、三十三天は、たとえ緊急の用事があっても、決してパンツカンバラ石を軽んじることなく、必ず供養し、尊重し、敬った上で、意のままに去っていくのである。なぜか。この石は、如来がかつて住んでいた場所だからである。そのため、天の衆はこれを塔（チャイティヤ）とし、世間のすべての者――天、人、魔、梵天、沙門、バラモンたちが、供養すべきものとしているのである。 比丘たちよ、三十三天の中には、パルシャカ園を目にすることはできても、身体で中に入ることができず、入ることができないため、その場所の五つの欲望の対象による完全な楽しみを得られない者もいる。なぜか。彼らの行いは優れているが、前世での善根が微かで劣っているため、入ることができないのである。 また、パルシャカ園を目にすることができ、身体でも入ることができ、入った後は、その場所の様々な五つの欲望の対象が調和した功徳を完全に得て楽しむ三十三天もいる。なぜか。彼らの善根がより優れて勝っているからである。 比丘たちよ、三十三天の中には、チャットララタ園（雑色車園）を目にすることもできず、身体でも入ることができず、その園の五つの欲望の対象が調和した功徳による楽しみを得られない者もいる。なぜか。彼らの善根に違いがあるからである。 また、チャットララタ園を目にすることはできても、身体で入ることができず、その園の五つの欲望の対象が調和した功徳による楽しみを得られない三十三天もいる。なぜか。彼らの善根に優劣があるからである。 さらに、チャットララタ園を目にすることができ、身体でも入ることができ、入った後は、その様々な五つの欲望の対象を全て備え、一体となって調和し、楽しみを受ける三十三天もいる。なぜか。彼らの善根がより優れて勝っているからである。 比丘たちよ、しかし、すべての三十三天は、必ずチャタワナ園（雑乱の園）を見ることができ、また皆、中に入ることができる。入った後は、皆、その園の中の様々な五つの欲望の対象が調和した功徳を、全て一体となって余すところなく受け、楽しむのである。なぜか。彼らの修行した業が等しいからである。そこには、善根に差異があるわけではないからである。

「諸比丘！有三十三天，身不得見歡喜之園，亦不得入，不得入故，不得彼中種種五欲和合功德同體具足而受快樂。何以故？彼處果勝，前世造業，有別異故。有三十三天，見歡喜園，而不得入，亦不能得歡喜園中種種五欲和合功德同體具足而受快樂。何以故？以彼諸天業別異故。有三十三天，見歡喜園，身亦得入，既得入已，具足得彼種種五欲和合功德同體快樂，並皆受之。何以故？彼天往昔所修善業，無別異故。

> 「比丘たちよ、三十三天には、歓喜園を見ることもできず、入ることもできず、入ることができないので、その地で様々な五欲が調和した功徳を一体として完全に受け、楽しみを味わうことができない天人がいる。なぜか。彼らの地の果報は優れているが、前世で造った業に違いがあるからである。 また、三十三天には、歓喜園を見ることはできても、入ることができず、歓喜園の中での様々な五欲が調和した功徳を一体として完全に受け、楽しみを味わうことができない天人がいる。なぜか。それらの天人の業に違いがあるからである。 さらに、三十三天には、歓喜園を見て、身をもって入ることができ、入った後は、その様々な五欲が調和した功徳を一体として完全に受け、すべての楽しみを味わう天人がいる。なぜか。それらの天人は過去に修めた善業に違いがないからである。」

「諸比丘！其善法堂，三十三天聚會之處，有二岐道；帝釋天王宮殿住處，亦二岐道；諸小天王并餘官屬三十二天宮殿之處，亦二岐道；伊羅婆那大龍象王宮殿處所，亦二岐道；波婁沙迦園，亦二岐道；雜色車園、雜亂園、歡喜園，歡喜池等一一處所，各有二道；波利夜怛邏拘毘陀羅樹下，亦二岐道。諸比丘！帝釋天王，若欲往詣波婁沙迦園、雜色車園、歡喜園等，澡浴遊戲受歡樂時，爾時即念伊羅婆那大龍象王。時，伊羅婆那大龍象王，亦生是念：『帝釋天王，心念於我。』如是知已，從其宮出，即自化作三十三頭，其一一頭具有六牙，一一牙上化作七池，一一池中各有七花，一一花上各七玉女，一一玉女，各復自有七女為侍。

> 「比丘たちよ。その善法堂──三十三天が集まる場所──には二つの道がある。帝釈天の王宮の住まいにも二つの道がある。諸々の小天やその他の官属、三十二天の宮殿のある所にも二つの道がある。伊羅婆那の大龍象王の宮殿の場所にも二つの道がある。波婁沙迦園にも二つの道がある。雑色車園、雑乱園、歓喜園、歓喜池など、一つ一つの場所にそれぞれ二つの道がある。波利夜怛邏の拘毘陀羅の樹の下にも二つの道がある。 比丘たちよ。帝釈天が、波婁沙迦園、雑色車園、歓喜園などに出かけ、水浴びや遊戯を楽しもうと思ったとき、その時、彼は伊羅婆那の大龍象王を思い浮かべる。すると、その伊羅婆那の大龍象王もまた、こう思う。『帝釈天が私のことを思っている』と。そう知ると、自分の宮殿から出て、自ら三十三の頭を現し、その一つ一つの頭には六本の牙があり、それぞれの牙の上には七つの池を、それぞれの池には七つの花を、それぞれの花の上には七人の天女を、それぞれの天女にはまた七人の侍女がいるように変じる。」

「爾時，伊羅婆那大龍象王，作如是等諸神變已，即時往詣帝釋王所，到已在前儼然而住。爾時，帝釋天王，復更心念三十二天諸小王等，并三十二諸小天眾。時，彼小王及諸天眾，亦生是心：『帝釋天王，今念我等。』如是知已，各以種種眾妙瓔珞莊嚴其身，各乘車乘，俱共往詣天帝釋所，到已各各在前而住。時，天帝釋見諸天已，亦自種種莊嚴其身，服眾瓔珞。諸天大眾，前後左右，周匝圍遶，與諸小王，共昇伊羅婆那龍象王上。帝釋天王正當中央，坐其頭上。左右兩邊，各有十六諸小天王，坐彼伊羅婆那龍象王化頭之上。各各坐已，時天帝釋將諸天眾，向波婁沙迦及雜色車、雜亂、歡喜等園，到已停住。其歡喜等四園之中，各各皆有三種風輪，謂開、淨、吹，略說如前，開、淨地及吹花等。諸比丘！彼諸園中，吹花分散，遍布地上，深至于膝，其花香氣處處普熏。時，天帝釋，與諸小天王及三十二天眾，前後圍繞，入雜色車、歡喜等園，嬉戲受樂，隨意遊行，或坐或臥。時，釋天王，欲得瓔珞，即念毘守羯磨天子。時，彼天子，即便化作眾寶瓔珞，奉上天王。若三十三天諸眷屬等，須瓔珞者，毘守羯磨亦皆化出而供給之。欲聞音聲及伎樂者，則有諸鳥出種種聲，其聲和雅令天樂聞。諸天爾時如是受樂，一日乃至七日，一月乃至三月種種歡娛，澡浴嬉戲，行住坐臥，隨意東西。

> 爾時、その偉大なる龍象王イラーバナは、このような様々な神通の変化を現し終えると、すぐに帝釈天の王の元へと向かい、到着すると王の前に厳かに立っていました。 その時、帝釈天の王はさらに心の中で、三十二天の小王たちと、三十二の天の大衆たちを思い浮かべました。すると、その小王たちと天の大衆たちもまた、「帝釈天の王は、今私たちのことを思っておられる」という心を起こしました。そう知ると、彼らはそれぞれ様々な見事な瓔珞で身を飾り、それぞれが車に乗って、共に天帝・帝釈天の元へと向かい、到着するとそれぞれが王の前に立ちました。 その時、天帝・帝釈天は全ての天々を見ると、自らも様々に身を飾り、多くの瓔珞を身に付けました。天の大衆たちは前後左右を取り囲み、小王たちと共に、かの偉大なる龍象王イラーバナの上に昇りました。帝釈天の王はまさに中央に当たり、その頭の上に座りました。左右の両側には、それぞれ十六人の小王たちが、かのイラーバナ龍象王が変化させた頭の上に座りました。それぞれが座ると、その時、帝釈天の王は天の大衆たちを率いて、波婁沙迦園や雑色車園、雑乱園、歓喜園へと向かい、到着するとそこで留まりました。 その歓喜園などの四つの園には、それぞれ三つの風の輪があり、開くもの、清めるもの、吹くものと呼ばれ、先に述べたように、地面を開き清め、花々を吹き散らします。比丘たちよ、それらの園々では、吹かれた花々が散り広がり、地面に深く膝の高さまで積もり、その花の香りは至る所に普く香りました。 その時、帝釈天の王は、小王たちや三十二天の大衆と共に前後を取り巻かれ、雑色車園や歓喜園などに入り、戯れて楽しみ、思いのままに遊び歩き、或いは座り、或いは横になりました。その時、釈天王が瓔珞を欲しいと思えば、即座に毘守羯磨天子を思い浮かべました。すると、その天子は様々な宝の瓔珞を変化させて現し、天王にお捧げしました。もし三十三天の眷属たちで瓔珞を必要とする者がいれば、毘守羯磨は皆のためにそれらを変化させて供給しました。音声や伎楽を聞きたいと思えば、そこには様々な鳥が様々な声を発し、その声は和やかで雅やかであり、天々に楽しく聞かせました。 天々たちはその時、このようにして楽しみを受け、一日から七日まで、一月から三月まで、様々に楽しみ、湯浴みし、戯れ遊び、歩き、立ち、座り、横になり、思いのままに東西へと赴きました。

「諸比丘！帝釋天王，有十天子常為守護。何等為十？一名因陀羅迦、二名瞿波迦、三名頻頭迦、四名頻頭婆迦、五名阿俱吒迦、六名吒都多迦、七名時婆迦、八名胡盧祇那、九名難茶迦、十名胡盧婆迦。諸比丘！帝釋天王，有如是等十天子眾，恒隨左右，不曾捨離，為守衛故。

> 「比丘たちよ、帝釈天には、常に守護する十人の天子がいる。その十人とは、インドラカ、ゴーパカ、ビンドゥカ、ビンドゥヴァカ、アクータカ、チャトゥドカ、ジーヴァカ、フルキナ、ナンダカ、フルヴァカである。比丘たちよ、帝釈天には、このような十人の天子たちが常に左右に付き従い、決して離れることなく、守り護っているのである。」

「諸比丘！閻浮提地，為一切人故，有水生諸花，最上精勝，極可樂者，所謂優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔茶利迦花，此諸花等，芬芳軟美；有陸生花，最極好者，所謂阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花等。

> 「比丘たちよ、閻浮提の地には、すべての人々のために、水中に生じる花があり、最も優れ、素晴らしく、とても愛でられるものがある。すなわち、青蓮華、紅蓮華、黄蓮華、白蓮華などの花々である。これらの花々は、芳しく、柔らかく、美しい。また、陸に生じる花で最も優れたものもある。すなわち、阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花などである。」

「諸比丘！瞿陀尼人，有水生花，最極好者，所謂優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔荼利迦花，香氣芬馥，處處普熏；有陸生花，最極好者，所謂阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花等。

> 「比丘たちよ。瞿陀尼の人々には、水中に生じる花として最も優れたものがあります。すなわち、青蓮華・紅蓮華・黄蓮華・白蓮華であり、その香気は芳しく、あまねく周囲を薫じています。また、陸上に生じる花として最も優れたものがあります。すなわち、阿提目多迦花・瞻波迦花・波吒羅花・蘇摩那花・婆利師迦花・摩利迦花・摩頭揵地迦花・搔揵地迦花・遊提迦花・殊低沙迦利迦花・陀奴沙迦膩迦花などです。」

「諸比丘！弗婆提人，有水生花，最極好者，所謂優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔茶利迦花，色甚光鮮，香氣芬馥；有陸生花，最極好者，所謂阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花等。

> 比丘たちよ、東勝神洲の人々には、水中に咲く花で最も優れたものがある。すなわち、青蓮華、紅蓮華、黄蓮華、白蓮華であり、色は非常に鮮やかで、香りは馥郁としている。また、陸上に咲く花で最も優れたものとして、阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花などがある。

「諸比丘！鬱單越人，有水生花，最極好者，所謂優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔茶利迦花，香氣柔軟，處處普熏；有陸生花，最極好者，所謂阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花等。

> 比丘たちよ、ウッタラクルには素晴らしい水生の花々がある。最も優れているもの、すなわち、青蓮華、紅蓮華、黄蓮華、白蓮華は、香り高く柔らかで、いたるところにその香りを漂わせている。また、陸生の花々の中で最も優れているもの、すなわち、阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花などがある。

「諸比丘！一切諸龍及金翅鳥住處，各有水生眾花，最極好者，所謂優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔茶利迦花，香氣氛氳，柔軟美妙；有陸生花，最極好者，所謂阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、羯迦羅利迦花、摩訶羯迦羅利迦花等。

> 「比丘たちよ、あらゆる龍や金翅鳥の住むところには、それぞれ水に咲く花があり、それは極めて素晴らしいものです。すなわち、優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔茶利迦花であり、その香りは豊かに漂い、柔らかく美しいものです。また、陸に咲く花もあり、極めて素晴らしいものです。すなわち、阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、羯迦羅利迦花、摩訶羯迦羅利迦花などです。」

「諸比丘！阿修羅等，亦各具有水生諸花，最極好者，所謂優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔茶利迦花，香氣普熏，甚可愛樂；有陸生花，最極好者，所謂阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴師迦花、羯迦羅利迦花、摩訶羯迦羅利迦花、頻隣曇花、摩訶頻隣曇花、曼陀羅梵花、摩訶曼陀羅梵花等。

> 比丘たちよ、阿修羅たちもまた、水中に咲く様々な花々を持っている。最も優れたものとして、すなわち、青い睡蓮、赤い蓮花、白い蓮花、そして香り高い睡蓮があり、その香りはあまねく薫り、大いに愛で楽しむことができる。また、陸地に咲く花々もあり、最も優れたものとして、すなわち、阿提目多迦花（クチナシの花）、瞻波迦花（イエローモクレインの花）、波吒羅花（大きな赤い花）、蘇摩那花（ジャスミンの花）、婆利師迦花（いい香りの花）、摩利迦花（ジャスミンの一種）、摩頭揵地迦花（ある種の低木の花）、搔揵地迦花（別のジャスミン）、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴師迦花、羯迦羅利迦花（ラッパスイセンの類）、摩訶羯迦羅利迦花（大きなラッパスイセン）、頻隣曇花（バラバノキの花）、摩訶頻隣曇花（大きなバラバノキの花）、曼陀羅梵花（夾竹桃の花）、摩訶曼陀羅梵花（大きな夾竹桃の花）などである。

「諸比丘！四天王天，所有諸天，有水生花，極妙端正，可愛樂者，所謂優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔茶利迦花，其氣甚香，質極柔軟；有陸生花，最勝好者，所謂阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦花、羯迦羅利迦花、摩訶羯迦羅利迦花、頻隣曇花、摩訶頻隣曇花等。

> 「比丘たちよ。四天王天には、水中に生える花々がある。それは非常に美しく、見る人の心を喜ばせるものだ。すなわち、青蓮華、紅蓮華、黄蓮華、白蓮華などである。その香りはたいへん良く、質は極めて柔らかい。また、陸に生える最も優れた花々としては、アーディムッダカ花、チャンパカ花、パータラ花、スーマナ花、バルシーカ花、マーリカー花、マトゥランダティカ花、モーサンダティカ花、ヨーティカ花、チューディシャカリカー花、ダーヌーシャカ花、カカラリカー花、マハーカカラリカー花、ヴィリンダ花、マハーヴィリンダ花などがある。」

「諸比丘！三十三天、有水生花，極妙端正，可愛樂者，所謂優鉢羅花、鉢頭摩花、拘牟陀花、奔茶利迦花等，其氣極香，形甚柔軟；有陸生花，最勝好者，所謂阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花、羯迦羅利迦花、摩訶羯迦羅利迦花、頻隣曇花、摩訶頻隣曇花、曼陀羅梵花、摩訶曼陀羅梵花等。如三十三天所有諸花，夜摩天、兜率陀天、化自樂天、他化自在天、魔身天等，如是次第一一具有，更無別異。

> 比丘たちよ、三十三天には美しく愛らしい水の花がある。その名を、青蓮華、紅蓮華、黄蓮華、白蓮華などといい、香りは極めて良く、形は柔らかである。また、地上の花で最も優れたものとして、阿提目多迦花、瞻波迦花、波吒羅花、蘇摩那花、婆利師迦花、摩利迦花、摩頭揵地迦花、搔揵地迦花、遊提迦花、殊低沙迦利迦花、陀奴沙迦膩迦花、羯迦羅利迦花、大羯迦羅利迦花、頻隣曇花、大頻隣曇花、曼陀羅梵花、大曼陀羅梵花などがある。三十三天がこれらの花々を持つように、夜摩天、兜率陀天、化自楽天、他化自在天、魔身天もまた、順に同じくそれぞれの花を完全に備えており、他のものと変わることはない。

「諸比丘！人間眾花有七種色。何等為七？所謂火色火光、金色金光、青色青光、赤色赤光、白色白光、黃色黃光、黑色黑光。譬如魔梵常所現色，諸比丘！人間有此七種色花，諸阿修羅亦復如是，有此七色。一切天眾亦復有此七種光色，譬如魔梵常所現色。

> 「比丘たちよ、人間の世界には七つの色を持つ花がある。その七つとは、火の色で火の光を放つもの、金の色で金の光を放つもの、青の色で青い光を放つもの、赤の色で赤い光を放つもの、白の色で白い光を放つもの、黄の色で黄色い光を放つもの、黒の色で黒い光を放つものである。あたかも魔や梵天が常に現す色のように。比丘たちよ、人間の世界にはこの七種の色の花がある。阿修羅たちもまた、同じようにこの七つの色を持っている。さらに、すべての天の衆もまた、この七つの光の色を持っている。あたかも魔や梵天が常に現す色のように。」

「諸比丘！一切諸天有十種別法。何等為十？諸比丘！一諸天行時，來去無邊；二諸天行時，來去無礙；三諸天行時，無有遲疾；四諸天行時，足無蹤跡；五諸天身力，無患疲勞；六諸天之身有形無影；七一切諸天、無大小便；八一切諸天、無有洟唾；九諸天之身，清淨微妙，無皮肉筋脈脂血髓骨；十諸天之身，欲現長短青黃赤白大小麤細，隨意悉能，並皆美妙，端嚴殊絕，令人愛樂。一切天身，有此十種不可思議。諸比丘！又諸天身，充實洪滿，齒白方密，髮青齊整，柔軟潤澤。身有光明，及有神力。騰虛飛逝，眼視無瞬。瓔珞自然，衣無垢膩。

> 「比丘たちよ、天人の世界には十の特別な性質がある。どのような十かというと、比丘たちよ、第一に、天人が歩む時、その往来に限りがない。第二に、天人が歩む時、その往来に障害がない。第三に、天人が歩む時、速い遅いということがない。第四に、天人が歩む時、足跡を残さない。第五に、天人の身体の力は、疲れを感じることがない。第六に、天人の身体には形があるが影がない。第七に、すべての天人は大小便をしない。第八に、すべての天人は鼻水や唾を出さない。第九に、天人の身体は清らかで微妙であり、皮や肉、筋や脈、脂肪、血、骨髄がない。第十に、天人の身体は、長さや短さ、青や黄、赤や白、大きさや細かさなどを現したいと思えば、思いのままにそれができ、しかもすべて美しく、端厳で比類なく、人を愛しく楽しませる。天人すべての身体には、この十の不可思議な性質がある。 比丘たちよ、また、天人の身体は充実して満ち足りており、歯は白くて美しく、髪は青く整い、柔らかで潤いがある。身体には光明があり、神通力がある。虚空を翔けて飛び、目は瞬きをしない。瓔珞は自然に備わり、衣には汚れや脂がない。」

「諸比丘！閻浮提人，壽命百年，中有夭逝；瞿陀尼人，壽命二百，亦有夭逝；弗婆提人，壽命三百，亦有中夭；欝單越人，定壽千年，無有夭殤；閻魔羅世諸眾生等，壽七萬二千歲，亦有中夭；諸龍及金翅鳥等，壽命一劫，亦有中夭；諸阿修羅，壽命千歲，同三十三天，然亦中夭；四天王天壽五百歲，亦有中夭；三十三天，壽一千歲；夜摩諸天，壽二千歲；兜率陀天，壽四千歲；化樂諸天，壽八千歲；他化自在天，壽萬六千歲；魔身天，壽三萬二千歲；梵身天，壽命一劫；光憶念天，壽命二劫；遍淨諸天，壽命四劫；廣果諸天，壽命八劫；無想諸天，壽十六劫；不麤諸天，壽命千劫；無惱諸天，壽二千劫；善見諸天，壽三千劫；善現諸天，壽四千劫；色究竟天，壽五千劫；虛空處天，壽十千劫；識處天，壽二萬一千劫；無所有處天，壽四萬二千劫；非想非非想處天，壽八萬四千劫。此等諸天，皆有中夭。

> 比丘たちよ、閻浮提（人間界）の人は寿命百年ですが、その途中で亡くなる者もいます。 瞿陀尼の人は寿命二百年、これも短命の者がいます。 弗婆提の人は寿命三百年、同じく途中で命を落とす者もいます。 欝単越の人は寿命千年と定まっており、途中で死ぬことはありません。 閻魔羅世（地獄）の生きとし生けるものは寿命七万二千年、しかしこれにも短命の者がいます。 竜や金翅鳥は寿命が一劫ですが、途中で命を終える者もいます。 阿修羅は寿命千年で、三十三天と同じですが、これも途中で死ぬことがあります。 四天王天は寿命五百年、途中で死ぬ者もいます。 三十三天は寿命千年です。 夜摩天は寿命二千年。 兜率陀天は寿命四千年。 化楽天は寿命八千年。 他化自在天は寿命一万六千年。 魔身天は寿命三万二千年。 梵身天は寿命一劫。 光憶念天は寿命二劫。 遍浄天は寿命四劫。 広果天は寿命八劫。 無想天は寿命十六劫。 不麤天は寿命千劫。 無悩天は寿命二千劫。 善見天は寿命三千劫。 善現天は寿命四千劫。 色究竟天は寿命五千劫。 虚空処天は寿命一万劫。 識処天は寿命二万一千劫。 無所有処天は寿命四万二千劫。 非想非非想処天は寿命八万四千劫。 これらの天々も、すべて途中で命を終える者があるのです。

「諸比丘！閻浮提人，身長三肘半，衣長七肘，闊三肘半；瞿陀尼人、弗婆提人，身量及衣，與閻浮等；欝單越人，身長七肘，衣長十四肘，上下七肘；阿修羅身，長一由旬，衣長二由旬，闊一由旬，重半迦利沙隋言半兩也；四天王天，身長半由旬，衣長一由旬，闊半由旬，重一迦利沙；三十三天，身長一由旬，衣長二由旬，闊一由旬，重半迦利沙；夜摩天，身長二由旬，衣長四由旬，闊二由旬，重一迦利沙四分之一；兜率陀天，身長四由旬，衣長八由旬，闊四由旬，重一迦利沙八分之一；化樂天，身長八由旬，衣長十六由旬，闊八由旬，重一迦利沙十六分之一；他化自在天，身長十六由旬，衣長三十二由旬，闊十六由旬，重一迦利沙三十二分之一；魔身諸天，身長三十二由旬，衣長六十四由旬，闊三十二由旬，重一迦利沙六十四分之一。自此已上諸天，身量長短，與衣正等無差。

> 比丘たちよ、閻浮提（人間界）の人々の身長は三肘半、衣の長さは七肘、幅は三肘半です。瞿陀尼人と弗婆提人の身長と衣の寸法は、閻浮提と同じです。欝單越人の身長は七肘、衣の長さは十四肘（上下で七肘ずつ）。阿修羅の身長は一由旬、衣の長さは二由旬、幅は一由旬で、重さは半迦利沙（当時で言う半両）。四天王天の身長は半由旬、衣の長さは一由旬、幅は半由旬、重さは一迦利沙。三十三天の身長は一由旬、衣の長さは二由旬、幅は一由旬、重さは半迦利沙。夜摩天の身長は二由旬、衣の長さは四由旬、幅は二由旬、重さは一迦利沙の四分の一。兜率陀天の身長は四由旬、衣の長さは八由旬、幅は四由旬、重さは一迦利沙の八分の一。化楽天の身長は八由旬、衣の長さは十六由旬、幅は八由旬、重さは一迦利沙の十六分の一。他化自在天の身長は十六由旬、衣の長さは三十二由旬、幅は十六由旬、重さは一迦利沙の三十二分の一。魔身諸天の身長は三十二由旬、衣の長さは六十四由旬、幅は三十二由旬、重さは一迦利沙の六十四分の一。これらの上の天においては、身丈の長さと衣の寸法が完全に等しくなります。

「諸比丘！閻浮提人，所有市易，或以錢寶，或以穀帛，或以眾生；瞿陀尼人，所有市易，或以牛羊，或摩尼寶；弗婆提人，所作市易，或以財帛，或以五穀，或摩尼寶；欝單越人，無復市易，所欲自然故。

> 比丘たちよ、閻浮提の人々は、市場での取引に、金銭や穀物や布、あるいは生き物を用いる。瞿陀尼の人々は、牛や羊、あるいは摩尼宝を用いる。弗婆提の人々は、財布や五穀、あるいは摩尼宝を用いる。欝単越の人々には市場での取引はなく、欲するものは自然にかなえられるからである。

「諸比丘！閻浮提人、瞿陀尼人、弗婆提人，悉有男女婚嫁之法；欝單越人，無我我所，樹枝若垂，男女便合，無復婚嫁。諸比丘！諸龍、金翅鳥、阿修羅等，皆有婚嫁，男女法式，略如人間；四天王天、三十三天、夜摩天、兜率陀天、化樂天、他化自在天、魔身天等，皆有婚娶，略說如前。從此已上所有諸天，不復婚嫁，以無男女異故。諸比丘！閻浮提人，若行欲時，二根相到，流出不淨；瞿陀尼人、弗婆提人、欝單越人，並亦如是；一切諸龍、金翅鳥等，若行欲時，亦二根相到，但出風氣，即得暢適，無有不淨；諸阿修羅、四天王天、三十三天，行欲之時，根到暢適，亦出風氣，猶如諸龍及金翅鳥，無有差異；夜摩諸天，執手成欲；兜率陀天，憶念成欲；化樂諸天，熟視成欲；他化自在天，共語成欲；魔身諸天，相看成欲，並得暢適，成其欲事。

> 「比丘たちよ、閻浮提（人間界）の人々、瞿陀尼（西牛賀洲）の人々、弗婆提（東勝神洲）の人々には、男女の結婚の決まりがあります。しかし、欝単越（北倶盧洲）の人々には、「我」や「我所」という執着がなく、木の枝が垂れれば男女が自然に結ばれ、結婚の儀式はありません。 比丘たちよ、竜、金翅鳥（ガルーダ）、阿修羅なども、結婚の作法があり、おおむね人間界と同様です。四天王天、三十三天、夜摩天、兜率陀天、化楽天、他化自在天、魔身天などの天衆にも結婚の作法があり、先に述べたとおりです。しかし、これらの天より上の諸天には、男女の区別がないため、結婚の儀式はありません。 比丘たちよ、閻浮提の人々は、欲情を満たすとき、男女の性器が触れ合い、精液を放出します。瞿陀尼人、弗婆提人、欝単越人も同様です。竜や金翅鳥などは、欲情の時に性器が触れ合いますが、ただ風のような気を放出して快感を得るだけで、精液は出ません。阿修羅、四天王天、三十三天も同様で、竜や金翅鳥と変わりありません。 夜摩天の天人は、手を握り合うことで欲情が満たされます。兜率陀天は、思いを巡らせることで成就します。化楽天は、じっと見つめ合うことで。他化自在天は、言葉を交わすことで。魔身天は、互いに見つめ合うことで欲情が成り立ち、それぞれ快適にその欲望を満たすのです。」

「諸比丘！人間所有螢火之明，則復不如燈焰光明；燈焰光明，又復不如炬火之明；炬火之明，不如火聚；火聚之明，不如諸天星宿光明；星宿之明，不如月宮殿明；月宮殿明，又復不如日宮殿明；日宮殿明，光焰照曜，猶尚不如四天王天牆壁宮殿、身瓔珞明；四天王天所有光明，則又不如三十三天所有光明；三十三天所有光明，則又不如夜摩諸天牆壁宮殿、瓔珞光明；夜摩天中所有諸光，則又不如兜率陀天所有光明；兜率陀天所有諸光，則又不如化樂天光明；化樂天中所有光明，則又不如他化自在諸天光明；他化自在所有光明，則又不如魔身天光明；魔身諸天牆壁宮殿、瓔珞光明，比於下天，最勝最妙，殊特無過。諸比丘！雖然此魔身天光，比梵身天光，轉更不及；彼梵身天，比光憶念天則又不及；光憶念天，比遍淨天，則又不及；遍淨諸天，比廣果天，則又不及。如是略說，無惱熱天、善見天、善現天、阿迦膩吒天等，唯除瓔珞，餘如上說，應如是知。

> 「比丘たちよ。人間が持つ蛍の明かりは、灯火の明るさにも及ばない。灯火の明るさは、また松明の明るさにも及ばない。松明の明るさは、かがり火にも及ばない。かがり火の明るさは、天の星々の明るさにも及ばない。星々の明るさは、月宮殿の明るさにも及ばない。月宮殿の明るさは、さらに太陽宮殿の明るさにも及ばない。太陽宮殿の光輝は、なおも四天王天（したいおうてん）の壁や宮殿、身体を飾る瓔珞（ようらく）の明るさには及ばない。四天王天の光は、三十三天（とりとんとりてん）の光にも及ばない。三十三天の光は、夜摩天（やまてん）の壁や宮殿、瓔珞の光にも及ばない。夜摩天の光は、兜率陀天（とそつてん）の光にも及ばない。兜率陀天の光は、化楽天（けらくてん）の光にも及ばない。化楽天の光は、他化自在天（たけじざいてん）の光にも及ばない。他化自在天の光は、魔身天（ましんてん）の光にも及ばない。魔身天の壁や宮殿、瓔珞の光は、下位の天と比べて最も優れ、殊勝で並ぶものがない。 比丘たちよ。しかし、この魔身天の光も、梵身天（ぼんしんてん）の光に比べれば及ばない。梵身天の光は、光憶念天（こうおくねんてん）には及ばない。光憶念天の光は、遍浄天（へんじょうてん）には及ばない。遍浄天の光は、広果天（こうかてん）には及ばない。このように、さらに略して言えば、無熱天（むねつてん）、善見天（ぜんけんてん）、善現天（ぜんげんてん）、阿迦膩吒天（あかにたてん）についても、瓔珞（ようらく）を除けば、上の説明と同様に理解すべきである。」

「諸比丘！若天世界，若魔若梵沙門婆羅門人等，世間所有光明，欲比如來阿羅呵三藐三佛陀光明，百千萬億恒河沙數，不可為比。此如來光，最勝最妙，殊特第一。所以者何？諸比丘！如來之身，戒行無量故，三摩提、般若、解脫、解脫知見、神通及神通行、教化及教化輪、說處及說處輪等，皆無量故。諸比丘！如來如是無量功德，一切諸法皆悉具足，以是義故，如來光明最勝無上，當如是持。

> 「比丘たちよ。天の世界であれ、魔の世界であれ、梵天や沙門、バラモンたちの世界であれ、世の中にあるあらゆる光は、如来・阿羅漢・正等覚者の光と比べようがない。たとえ百千万億のガンジス川の砂の数ほどの光を集めても、比べることなどできないのだ。この如来の光こそが、最も優れ、最も素晴らしく、特別で第一のものである。それはなぜか。比丘たちよ、如来の身には、戒行が無量であるからだ。また、三摩提（定）、般若（智慧）、解脱、解脱知見、神通および神通行、教化および教化輪、説処および説処輪なども、すべて無量なのである。比丘たちよ、如来はこのような無量の功徳を、あらゆる法のすべてにおいて完全に具えている。それゆえに、如来の光は最も優れ、この上ないものなのである。このようにして、よく心に留めなさい。」

「諸比丘！一切眾生，有四種食，以資諸大，得自住持、得成諸有、得相攝受。何等為四？一者麤段及微細食、二者觸食、三意思食、四者識食。何等眾生應食麤段及微細食？諸比丘！閻浮提人，飯食󰉓豆及魚肉等，此等名為麤段之食；覆蓋按摩，澡浴揩拭，脂膏塗摩，此等名為微細之食。瞿陀尼人、弗婆提人，麤段微細，與閻浮提略皆齊等。欝單越人，身不耕種，自然而有成熟粳米，為麤段食；覆蓋澡浴，及按摩等，為微細食。諸比丘！一切諸龍、金翅鳥等，以諸魚鼈黿鼉、蝦蟇虬螭、虵獺金毗羅等，為麤段食；覆蓋澡浴等，為微細食。諸阿修羅，以天須陀妙好之味，以為麤段；諸覆蓋等，以為微細。四天王天并諸天眾，皆用彼天須陀之味，以為麤段；諸覆蓋等，以為微細。三十三天，還以彼天須陀之味，以為麤段；諸覆蓋等，以為微細。如三十三天，乃至夜摩天、兜率陀天、化樂天、他化自在天等，並用彼天須陀之味，以為麤段；諸覆蓋等，以為微細。自此以上，所有諸天，並以禪悅法喜為食、三摩提為食、三摩跋提為食，無復麤段及微細食。

> 「比丘たちよ、すべての生きとし生けるものには、四種類の食物がある。それによって体を養い、その存在を保ち、様々な生存を成し遂げ、互いに支え合っている。その四つとは何か。第一に粗い食物と細かい食物、第二に接触による食物、第三に意志による食物、第四に認識による食物である。 どのような生きものが、粗い食物と細かい食物を食べるのか。 比丘たちよ、閻浮提（人間界）の人々は、飯や豆、魚や肉などを食べる。これらを粗い食物という。衣服を着たり、按摩をしたり、湯あみして体をこすり、脂や膏を塗って揉むこと、これらを細かい食物という。 瞿陀尼人（西牛貨洲）や弗婆提人（東勝身洲）も、粗い食物と細かい食物は、閻浮提とほぼ同じである。 欝単越人（北倶盧洲）は、自ら耕作せずとも、自然に成熟した粳米が粗い食物として得られる。衣服を着たり、湯あみや按摩などが細かい食物である。 比丘たちよ、すべての龍や金翅鳥などは、魚や鼈、鼉、蝦蟇、虬、螭、蛇、獺、金毗羅などを粗い食物とし、衣服や湯あみなどは細かい食物とする。 すべての阿修羅は、天の須陀という素晴らしい味わいを粗い食物とし、衣服などは細かい食物とする。 四天王天とその天の衆は、皆、その天の須陀という味わいを粗い食物とし、衣服などは細かい食物とする。 三十三天も、またその天の須陀という味わいを粗い食物とし、衣服などは細かい食物とする。 三十三天と同じように、夜摩天、兜率陀天、化楽天、他化自在天なども、皆、その天の須陀という味わいを粗い食物とし、衣服などは細かい食物とする。 これより上のすべての天々は、禅定の歓喜と法の喜びを食物とし、三昧を食物とし、三摩跋提を食物とする。もはや粗い食物や細かい食物はない。」

「諸比丘！何等眾生，以觸為食？諸比丘！一切眾生，受卵生者，所謂鵝鴈鴻鶴、鷄鴨孔雀、鸚鵡鸜鵒、鳩鴿䴏雀、雉鵲烏等，及餘種種雜類眾生，從卵生者，以彼從卵而得身故，一切皆以觸為其食。何等眾生，以思為食？若有眾生，以意思惟，資潤諸根，增長身命，所謂魚鼈龜虵、蝦蟇伽羅瞿陀等，及餘眾生，以意思惟，潤益諸根，增長壽命者，此等皆用思為其食。何等眾生，以識為食？所謂地獄眾生，及無邊識處天等，此諸眾生，皆用識持以為其食。諸比丘！此四種食，為諸眾生，住持諸大，攝受生分。」此中有優陀那偈：

> 「比丘たちよ、どのような衆生が接触を食物とするのか。比丘たちよ、全ての卵生の衆生——例えば、ガチョウ、雁、鶴、鶏、アヒル、孔雀、鸚鵡、九官鳥、鳩、燕、キジ、カササギ、烏など、その他様々な卵生の衆生——は、卵から身体を得るため、全て接触を食物とする。どのような衆生が思惟を食物とするのか。思惟によって諸々の感覚器官を潤し、身体と命を成長させる衆生——例えば、魚、スッポン、亀、蛇、蛙、ガラキョクダなど、その他思惟によって諸々の感覚器官を潤し、寿命を延ばす衆生は、皆、思惟を食物とする。どのような衆生が識別作用を食物とするのか。地獄の衆生、および無辺識処の天の衆生などがそれであり、これらの衆生は皆、識別作用を保ち、それを食物とする。比丘たちよ、これら四種の食物は、衆生が四大を保ち、生存の状態を受け継ぐものである。」ここに優陀那の偈がある。

花色與諸法， 壽命衣第五，市易及嫁娶， 根光食為十。

> 花の色や様々な現象（諸法）、寿命や衣服が第五。 市場での売買や結婚、そして第六から第十までは、根、光、そして食べ物について。

「諸比丘！世間眾生皆悉共有三種惡行。何等為三？所謂身惡行、口惡行、意惡行。比丘！有諸眾生，作身惡行、作口惡行、作意惡行，以是因緣，身壞命終，墮於惡趣，生地獄中。彼於此處，最後識滅，地獄之識，初相續生。彼識共生，即有名色，緣名色故，即有六入。

> 「比丘たちよ、世の中の生きとし生けるものはみな、三つの悪しき行いを持っています。どのような三つかといえば、身体による悪行、言葉による悪行、心による悪行です。比丘よ、身体による悪行、言葉による悪行、心による悪行をなす生きものは、その因縁によって、身体が壊れ命が終わるとき、悪い世界に落ち、地獄に生まれます。そこでは、最後の認識（識）が滅すると同時に、地獄の認識が新たに生じ続けます。その認識と共に、名前と形（名色）が生じます。名前と形があることによって、六つの感覚の入り口（六入）が生じます。」

「諸比丘！復有眾生，作身惡行、作口惡行、作意惡行，以是因緣，身壞命終，墮於惡趣，生畜生中。彼於此處，最後識滅，畜生之識，初相續生。當於彼識共生之時，即有名色，緣名色故，即有六入。諸比丘！復有眾生，作身惡行、作口惡行、作意惡行，以是因緣，身壞命終，墮於惡趣，生閻摩世。彼於此處，最後識滅，閻摩世識，初相續生。當於彼識初生之時，即共名色一時俱生，緣名色故即有六入。諸比丘！此等名為三種惡行，應當遠離。

> 「比丘たちよ、さらに、ある衆生は、身体で悪い行いをし、言葉で悪い行いをし、心で悪い行いをします。その因縁によって、命終わって身体が壊れると、悪い世界に落ち、畜生の世界に生まれ変わります。その者は、この世での最後の認識（識）が消滅すると、畜生の世界の認識が新たに生じ始めます。その認識が生まれると同時に、物質的なものと精神的なもの（名色）が現れ、名色を縁として六つの感覚器官（六入）が生じます。 比丘たちよ、さらに、ある衆生は、身体で悪い行いをし、言葉で悪い行いをし、心で悪い行いをします。その因縁によって、命終わって身体が壊れると、悪い世界に落ち、閻魔王の世界に生まれ変わります。その者は、この世での最後の認識が消滅すると、閻魔王の世界の認識が新たに生じ始めます。その認識が生まれると同時に、名色が共に生じ、名色を縁として六入が生じます。 比丘たちよ、これらを三つの悪い行いと呼びます。これらの行いから遠く離れなければなりません。」

「諸比丘！世間復有三種善行。何等為三？所謂身善行、口善行、意善行。諸比丘！或有眾生，身作善行、口作善行、意作善行，以是因緣，身壞命終，生於人道。彼於此處，最後識滅，人道之識，初相續生。彼識生時，即共名色一時同生，緣名色故，即有六入。

> 比丘たちよ、世の中には、さらに三つの善い行いがある。どの三つか？すなわち、身体による善い行い、言葉による善い行い、心による善い行いである。 比丘たちよ、ある生き物たちは、身体で善い行いをし、言葉で善い行いをし、心で善い行いをする。この因縁によって、命終えて肉体が壊れた後、人間の世界に生まれる。 そこで、最後の識（意識）が滅すると、人間の世界の識（意識）が新たに生まれ続ける。その識（意識）が生じるとき、同時に名前と形（物質的な体）も共に生じる。名前と形が生じる縁によって、六つの感覚器官（眼・耳・鼻・舌・身・意）が生じるのである。

「諸比丘！復有眾生，身作善行、口作善行、意作善行，以是因緣，身壞命終，生於天上。此處識滅，彼天上識，初相續生。彼識生時，即共名色一時俱生，有名色故，即生六入。諸比丘！彼於天中，或在天子、或在天女、或於坐處、或兩膝內、或兩股間，忽然而生，初出生時，即如人間十二歲兒。若是天男，即在天子坐處膝邊，隨一處生。若是天女，即在天女兩股內生。既出生已，彼天即稱是我兒女。如是應知。

> 「比丘たちよ。また、ある众生は、身体で善い行いをし、言葉で善い行いをし、心で善い行いをします。その因縁によって、肉体が壊れて命が終わると、天上に生まれます。この場所の認識（識）が消え、あの天上の認識が新たに連続して生まれます。その認識が生まれる時、同時に名前と形（名色）が共に生じます。名前と形があるので、六つの感覚器官（六入）が生じます。 比丘たちよ。彼らは天において、天子であったり天女であったり、あるいは座席の上、あるいは両膝の内側、あるいは両腿の間に、忽然として生まれます。最初に生まれる時は、ちょうど人間の12歳の子供のようです。もし天の男児であれば、天子の座席の膝の辺り、いずれかの場所に生まれます。もし天の女児であれば、天女の両腿の内側に生まれます。生まれた後、その天人は「これは私の子供だ」と呼びます。こうして知るべきです。」

「諸比丘！修善生天，有如是法，所謂天子天女等，初生之時，以自業因所熏習故，得三種念：一者自知從某處死，二者自知今此處生，三知彼生是此業果、是此福報。又作是念：『以我彼處身命壞已來生此間，緣我有是三種業果，三業果熟，得來生此。何者為三？所謂身善行、口善行、意善行。此等三業，果報熟故，身壞命終，來生此處。』復作是念：『願我若於此處死已，當生人間。我於人間，既受生已，還修身口意等善行。以身口意修善行故，身壞已後，還來此生。』作是念已，次便思食。念欲食時，即於其前，有眾寶器，自然盛滿天須陀味，種種異色。諸天子中，有勝業者，其須陀味，色最白淨；若彼天子，果報中者，其須陀味，色則稍赤；若彼天子，福德下者，其須陀味，色則稍黑。時，彼天子，以手把取天須陀味，內其口中，此須陀味，既入口已，即自漸漸消融變化。譬如酥及生酥擲置火中，即自消融無復形影。如是如是，天須陀味，置於口中，自然消化，亦復如是。食此味已，若有渴時，即於其前，有天寶器，盛滿天酒。福上中下，白赤黑色，略說如前。入其口中，消融亦爾。時，彼天子，食飲既訖，身遂長大，麤細高下，與彼舊生天子天女等無有異。

> 「比丘たちよ、善を修めて天界に生まれる者には、このような法がある。すなわち、天子や天女たちは、生まれたその時、自己の業因に熏習された故に、三つの念を得る。第一に、自己がどこから死んだかを知る。第二に、自己が今ここに生まれたことを知る。第三に、その生がこの業果であり、この福報であることを知る。また、次のような念を起こす。 『我はかの場所で命を終え、ここに来た。我には三つの業果があり、その三つの業果が熟したことにより、ここに来るを得た。その三つとは何か。すなわち、身の善行、言葉の善行、意の善行である。これらの三つの業の果報が熟した故に、身が壊れ命が終わり、ここに来たのだ。』 さらに、次のような念を起こす。 『願わくは、我がもしこの場所で死したならば、人間界に生まれたい。人間界に生まれたならば、再び身・言葉・意の善行を修めたい。身・言葉・意の善行を修めた故に、身が壊れた後、再びこの天界に還って来たい。』 このように念じた後、次に食べ物を欲する。食べ物を食べたいと念じると、ただちにその前に、様々な宝の器が自然に現れ、天の須陀味が満々と盛られている。その色は様々である。天子の中でも勝れた業を持つ者には、その須陀味の色は最も白く清らかである。業の果報が中くらいの天子には、その須陀味の色はやや赤い。そして福徳の劣る天子には、その須陀味の色はやや黒い。 その時、天子たちは手で天の須陀味を取り、口に入れる。この須陀味は口に入ると、すぐに徐々に溶けて変化する。例えば、酥や生酥を火の中に投じれば、すぐに溶けて形も影もなくなるように、天の須陀味も口の中に入れれば、自然に消化され、全く同様である。 この味を食べた後、もし喉が渇いたならば、その前に天の宝の器が現れ、天の酒が満々と盛られている。その福徳の上・中・下により、白・赤・黒の色があることも、先に述べた通りである。これを口に入れれば、消化もまた同様である。 その時、天子たちは飲食が終わると、身体が成長し、その太さ・細かさ・高さ・低さは、以前からいる天子や天女たちと何ら異なるところがなくなる。」

「諸比丘！此諸天子天女等，身既充足，各隨其意，有所趣向，或詣池水，入彼池中，澡浴清淨，歡喜受樂。既出池已，復詣香樹，彼香樹枝，自然低屈，從枝中出種種妙香，流入其手，諸天子等，取以塗身。塗身訖已，復詣衣樹，爾時衣樹，亦為低枝，於其枝間，又出種種微妙好衣，垂至其手，取而著之。著衣既訖，詣瓔珞樹，低垂入手，亦復如前，上下縈繫，莊嚴身已。復詣鬘樹，其樹低垂，流出種種上妙花鬘，其天取之，嚴飾頭已。復詣器樹，樹出種種眾寶雜器，隨意入手，將詣果林，盛種種果或便噉食，或取汁飲。如是復詣諸音樂樹，樹亦低垂，自然化出種種樂器，隨意取之，或彈或擊、或歌或舞，音聲微妙，令人樂聞。於是復詣諸林苑中，既入苑已，即見無量百數、無量千數、無量無邊百千億數諸天玉女。此諸天等，未見女時，所有知見前世業報，謂：『我從某處來生此間，我身今受如是報果。』以業熟故，當於是時，了了分明，憶宿世事，如視掌中。由見天女迷諸色故，正念覺智此心即滅。既失如是前生念已，著現在欲，口唯唱言：『此等皆是天玉女耶！天玉女耶！』此則名為欲愛所縛。諸比丘！此等名為三種善行，應當修習。

> 比丘たちよ、これらの天子や天女たちは、身体が満たされると、それぞれの望みに従って様々な場所へ向かいます。ある者は池に赴き、その池に入って沐浴し、清らかになって喜び楽しみます。池から出た後は香りの樹へ向かいます。するとその香りの樹の枝は自然に低く垂れ、枝の中からさまざまな素晴らしい香りが流れ出て、その手の中に入ります。天子たちはそれを取って身に塗ります。塗り終えると、次に衣の樹へ向かいます。するとその時、衣の樹もまた枝を低く垂れ、その枝の間から様々な微妙で美しい衣が現れて手元に届くので、それを取って着ます。着終えると、瓔珞（ようらく）の樹へ向かいます。すると枝が低く垂れて手に入るのは先ほどと同じで、上下に飾り付けて身を荘厳します。さらに華鬘（けまん）の樹へ向かうと、その樹は低く垂れ、様々な見事な花の鬘が流れ出て、天人はそれを取って頭を飾ります。次に器の樹へ向かうと、樹は様々な宝や雑多な器を出し、思いのままに手に入れて果林へ持って行き、様々な果物を盛り、あるいは食べ、あるいは汁を飲みます。こうしてさらに音楽の樹へ向かうと、樹はまた低く垂れ、自然に様々な楽器を現し出し、思いのままに取り、あるいは弾き、あるいは打ち、あるいは歌い、あるいは踊ります。その音声は微妙で、人に聞くことを楽しませます。そして諸々の林苑の中へ入ると、無量の百、無量の千、無量無辺の百千億の天女たちを目にします。これらの天人は、天女を見る前は、前世の業報をはっきりと知り、「私は某所からここに生まれ、今このような報いの果報を受けている」と認識していました。業が熟しているからこそ、その時は、前世の出来事を手のひらを見るように明瞭に憶えているのです。しかし天女を見てその色に迷い、正念や覚りの智慧の心は即座に消え去ります。こうして前世の記憶を失い、現在の欲望に執着して、口では「これらは皆、天の玉女なのか！天の玉女なのか！」と唱えるばかりになります。これを欲望の愛に縛られた状態といいます。比丘たちよ、これらを三種の善行といい、修習すべきものです。

「諸比丘！一一月中，有六烏晡沙他隋言增長，謂受持齋法增長善根，白月半分有十五日，黑月半分亦十五日，白黑二月各有三齋。何者白月半分三受齋日？所謂月八日、十四日、十五日；黑月亦有三受齋日，如白月數。何故白黑二月各於三日受持齋戒？諸比丘！白黑二月，各有八日，當於是日，四天大王，集其眷屬，普告之言：『汝等各往遍觀四方，於世間中，頗亦有人修行孝順供養父母，恭敬沙門婆羅門不？於諸尊長崇重以不？修行布施受禁戒不？守攝八關持六齋不？』時，四天王如是勅已，彼諸使者，奉天王命，即下遍觀一切人世，誰修孝行供養父母？何族姓子恭敬沙門及婆羅門？復有誰家男子女人，敬事尊長，敦崇禮讓？誰行布施？誰受六齋？誰持八禁？誰守戒行？爾時使者，次第遍歷觀察世間，若見人中少能孝順供養父母，少能承事尊重沙門，少能祇敬耆舊有德諸婆羅門，於諸長老少能崇敬，布施微薄，受齋稀踈，護戒不全，禁守多缺，是時天使，具足見已，即日還詣四天王所，啟言：『大王當知，世間一切人眾，無多孝養奉事父母，亦復無多恭敬沙門及婆羅門，無多敬重耆舊有德師傅尊長，亦無多人修行布施受持六齋，亦無多人奉行禁戒守護八關。』爾時，四大天王，聞諸天使如是語已，心意慘然甚不歡悅，報使者言：『世間諸人若實爾者，甚為不善。所以者何？人間壽命，極成短促，少時在世，宜修諸善，轉至後世便得安樂。云何今者彼諸人等，無有多行孝養父母，乃至不能修持六齋受行八禁守攝身口？此大損減我諸天眾，轉更增加阿修羅種。』

> 「比丘たちよ、一か月のうちに六回のウポーサタ（斎日）がある。これは、斎法を受持して善根を増長させることを意味する。白分（満ちる半月）には十五日あり、黒分（欠ける半月）にも十五日あり、白黒それぞれの月に三回の斎日がある。白分の三つの斎日とは何か？それは、八日、十四日、十五日である。黒分にも同じく三つの斎日があり、その日数は白分と同じである。なぜ白黒それぞれの月に、その三日間で斎戒を受持するのか？ 比丘たちよ、白黒それぞれの月に八日がある。その日、四天王は眷属を集め、こう告げる。『あなたたちはそれぞれ、四方をくまなく巡りなさい。世の中に、父母に孝行し供養する者、沙門やバラモンを敬う者はいるだろうか。長上を尊び重んじる者はいるだろうか。布施を行い、戒めを受持する者はいるだろうか。八つの禁戒を守り、六斎を受持する者はいるだろうか。』 四天王がこのように命じると、その使者たちは王の命を受け、すぐに下界に降りて、すべての人々を観察する。誰が父母に孝行し供養するか？どの家の子が沙門やバラモンを敬うか？また、どの家の者（男性・女性）が長上を敬い、礼節を重んじるか？誰が布施を行うか？誰が六斎を受持するか？誰が八つの禁戒を保つか？誰が戒行を守るか？ そのとき使者たちは、順次、世の中をくまなく観察する。もし人々の中に、父母に孝行し供養する者が少なく、沙門を敬い仕える者が少なく、年老いた徳あるバラモンを敬う者が少なく、長老を敬い尊ぶ者が少なく、布施が薄く、斎を受けることが稀で、戒を完全に守らず、禁戒を欠く者が多いのを見ると、その使者たちはその事実を報告するため、その日のうちに四天王のもとへ戻り、こう申し上げる。『大王よ、お知らせします。世の中の多くの人々は、父母に孝行し仕えることはほとんどなく、沙門やバラモンを敬うこともほとんどありません。年老いて徳のある師や長上を敬い重んじることもほとんどなく、布施を行い六斎を受持することもほとんどなく、禁戒を奉じ八関を守ることもほとんどありません。』 そのとき、四天王は使者たちからこの報告を受けて、心に痛みを覚え、大いに喜ばず、使者にこう言った。『世の人々が本当にそのようであるならば、それは非常に良くないことだ。なぜなら、人間の寿命は極めて短く、世にいる時間はわずかであり、諸々の善を修めて来世において安楽を得るべきである。それなのに、どうして今、あの人々は、父母に孝行し供養することを多く行わず、六斎を修め、八禁戒を受けて身口を守り整えることができないのだろうか。これは我々天人の数を大きく減らし、阿修羅の種族を増やすことになる。』」

「諸比丘！若世間人多行孝順供養父母，尊重沙門及婆羅門，敬事耆舊，敦修禮讓，好行布施，樂受六齋，勤崇福業，恒守八禁，如是修行相續不絕。爾時天使，巡察見已，白四王言：『大王當知，世間眾人，多有孝順供養父母，多有恭敬沙門婆羅門及諸尊長，樂行布施，勤修齋戒。』爾時，四大天王，從諸天使聞此語已，心大歡喜踊躍無量，作如是言：『甚善甚善！諸世間人，能如是修極大賢善。何以故？彼諸人等，壽命短少，不久便當移至他世。今者乃能於彼人間孝養父母，奉事沙門及婆羅門，尊敬耆舊，修行禮讓，多樂布施，持戒守齋，如是便當增長諸天無量眷屬，損減修羅所有種類。』

> 「比丘たちよ。もし世の中の人々が、父母によく孝行し供養し、沙門やバラモンを敬い、年長者を敬い、礼儀を重んじ、施しを喜び、六斎日を楽しみ、精進して善行を積み、常に八つの戒めを守り、このような修行を絶え間なく続けるならば、その時、天使が巡察してこれを見つけ、四天王にこう申し上げるでしょう。『大王、お知らせします。世の中の多くの人々は、父母に孝行し供養し、沙門やバラモン、また諸々の年長者を敬い、施しを喜び、斎戒をよく修行しております。』 その時、四大天王は天使たちからこの言葉を聞いて、心から大いに喜び、このように言われました。『まことに素晴らしい、まことに素晴らしい。世の中の人々がこのように修行するのは、極めて賢明で善いことである。なぜなら、彼らは寿命が短く、やがて他界する身でありながら、人間界において父母に孝養し、沙門やバラモンに仕え、年長者を敬い、礼儀を修行し、布施を喜び、戒を保ち、斎を守っているからである。これによって、天人の眷属は増え、修羅の種類は減ることとなる。』

「諸比丘！何故黑白二月各十四日，是烏晡沙他？諸比丘！此黑白二月十四日時，四大天王，亦各如前召其太子，使下世間觀察善惡，善少則愁，善多則喜，具足皆如天使所說，唯以太子自下為異。

> 「比丘たちよ、なぜ白分と黒分のそれぞれ十四日目が布薩の日なのか。比丘たちよ、この白分と黒分の十四日目には、四大天王もまた、それぞれ先ほどと同じように自分の太子たちを召し出し、人間界に遣わして善悪を観察させる。善い行いが少なければ憂い、多ければ喜ぶ。その詳細はすべて天の使いが述べたとおりである。ただ、太子自らが下ってくる点が異なるのである。」

「諸比丘！黑白二月各十五日，何故復是烏晡沙他？諸比丘！今日四大天王，自下世間，躬察善惡，知多少已，即時自往詣善法堂諸天聚集議論之處，在其堂前，面向帝釋，具說人間善惡多少違順之事。爾時帝釋，若聞人間修福者少，便復慘然悵怏不樂，云何如是？天眾減少，阿修羅眾轉更增多。若聞人間如法者多，心則歡喜踊躍無量，作如是言：『我諸天眾漸當增長，阿修羅眾漸當損耗。』諸比丘！由此六日諸天下觀人間善惡，應修齋戒，故名此日為烏晡沙他。

> 「比丘たちよ、白月と黒月のそれぞれ十五日目について、なぜこれを烏晡沙他（布薩）と呼ぶのか。比丘たちよ、この日には四大天王が自ら人間界に降り立ち、善悪を詳細に観察する。そしてその観察を終えると、すぐに善法堂（諸天が集まり議論する場所）へ赴き、堂の前で帝釈天に向かい、人間界における善悪や従順・反抗の様子を詳しく報告する。 その時、帝釈天は人間界で福徳を修める者が少ないと聞けば、深く憂い悲しみ、喜べずにこう言う。『どうしてこのようなことになろうか。天人は減少し、阿修羅の衆はますます増えていく』と。反対に、人間界で正しい行いをする者が多いと聞けば、心から喜び、限りなく躍り上がってこう言う。『我々天人の衆は次第に増え、阿修羅の衆は次第に減るであろう』と。 比丘たちよ、この六日間に諸天が人間界に降り立ち善悪を観察するゆえに、斎戒を修めるべきである。それゆえにこの日を烏晡沙他（布薩）と名付けるのである。」

## 起世經卷第七

> 起世経 巻第七