---
title: "起世經 · 10 劫住品"
description: "起世经是隋代高僧阇那崛多等人翻译的重要佛教经典，属于阿含部经典之一。该经主要阐述宇宙生成、世界构造及众生轮回的佛教世界观，详细描绘了世界的形成、毁灭及再生过程，并探讨了众生业力与轮回的关系。阇那崛多是北印度高僧，隋文帝时期来华，参与译经事业，对汉传佛教经典的传播贡献卓著。起世经在佛教中具有重要地位，为研究佛教宇宙观和轮回思想提供了经典依据，对后世佛教哲学和修行实践影响深远。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cmadf8zps00bdl804yukbthm2"
---

## 起世經卷第九

> 起世経 第九巻

隋天竺三藏闍那崛多等譯

> 隋の天竺三蔵僧・闍那崛多 他訳

### 劫住品第十

> 第十品 劫の住

「諸比丘！世間別有三種中劫。何等為三？一者刀兵、二者飢饉、三者疾疫。云何名為刀兵中劫？諸比丘！刀兵劫者，爾時眾人，無有正行，不如法說，邪見顛倒，具足同行十不善業。是時眾生唯壽十歲。諸比丘！其人如是壽十歲時，女生五月，即便行嫁，猶如今日年十五六，嫁向夫家。今時地力所生酥油、生酥石蜜、沙糖粳米，至於彼時，一切滅沒，不復出現。又彼人民壽十歲時，純以羖羊毛褐為衣，猶如今日迦尸迦嬌奢耶衣、芻摩繒衣、度究邏衣、句路摩娑衣、劫貝衣、甘婆羅寶衣，最為勝妙，彼毛褐衣，亦復如是。當於爾時，唯食稗子，猶如今人食粳米等，以為美食。又為父母之所憐愛，願其十歲，以為上壽，亦如今人願壽百歲。諸比丘！彼十歲時，所有眾生不孝父母、不敬沙門及婆羅門、不敬耆舊，然亦得他供養承事讚歎尊重，猶如今時行法教人，名譽無異。何以故？其業爾故。又諸比丘！十歲時人，無有善名，亦不修行十善業道，一切多行不善之業。眾生相見，各生毒害殺戮之心，無慈愍意，如今獵師在空山澤見諸禽獸，唯起毒害屠殺之心。又諸比丘！當於彼時，一切人民嚴身之具，皆是刀仗，亦如今人花鬘耳璫、頸瓔臂釧、指環釵鑷，以莊嚴身；彼用刀仗，亦復如是。又諸比丘！當於彼時，中劫將末，七日之內，一切人民，手所當觸，若草若木，土塊瓦石，悉成刀仗，其鋒甚利，勝人所造，各各競捉，共相屠害，七日之間，相殺略盡，因此命終，並墮惡趣，受地獄苦。何以故？以其相向各生殺心濁心、惡心無利益心、無慈悲心無淨心故。諸比丘！此等名為刀仗中劫。

> 『比丘たちよ、世の中には三つの中劫がある。何が三つか？第一に刀兵劫、第二に飢饉劫、第三に疫病劫である。』 「刀兵中劫とは何か？比丘たちよ、刀兵劫の時、人々は正しい行いを持たず、正しい教えを語らず、邪見に陥り、十の不善業を共に行う。その時、人の寿命はわずか十歳となる。」 「比丘たちよ、寿命十歳の時、女は生後五ヶ月で嫁ぐ。それは今日の十五、六歳で嫁ぐのと同じである。今の世に地が生み出す酥油、生酥、石蜜、砂糖、粳米も、その時にはすべて消え失せ、現れなくなる。」 「また、寿命十歳の時、人々はただ羊毛の粗い衣をまとう。それは今日、迦尸迦の嬌奢耶衣、芻摩の繒衣、度究羅衣、句路摩娑衣、劫貝衣、甘婆羅の宝衣が最も勝れているのと同じである。その粗い毛織りの衣もまた、それと同等に尊ばれる。」 「その時、人々はただ稗（ひえ）だけを食べる。それは今日の人々が粳米などを美食とするのと同じである。また、父母は子を可愛がり、その寿命が十歳であることを願う。それは今日の人々が百歳を願うのと同じである。」 「比丘たちよ、その十歳の時、父母を敬わず、沙門や婆羅門を敬わず、年長者を敬わない者でも、他者から供養され、仕えられ、讃えられ、尊重される。それは今日、法を説き人を教える者が名誉を得るのと変わらない。なぜか？その業がそうさせるからである。」 「また比丘たちよ、十歳の時、人々には善い名がなく、十善道を修めず、皆が不善の業を多く行う。互いに見れば、毒害し殺そうという心を起こし、慈しみの心がない。それは今の猟師が、空しい山や沢で獣を見て、ただ殺そうという心を起こすのと同じである。」 「また比丘たちよ、その時、人々の身を飾るものはすべて刀や杖である。今日、人々が花鬘や耳飾り、首飾り、腕輪、指輪、簪などで身を飾るのと同じように、彼らは刀や杖で身を飾る。」 「さらに比丘たちよ、その中劫の終わりには、七日の間、人々が手に触れるもの、草や木、土くれや瓦石までもが、すべて刀や杖と化し、その切れ味は人が作ったものより鋭い。人々はそれを奪い合い、互いに殺し合い、七日の間にほぼ絶え果てる。そして命終えた後、悪趣に堕ち、地獄の苦しみを受ける。なぜか？互いに殺そうという濁り心、悪しき心、利益なき心、慈悲なき心、清らかならざる心を起こしたからである。」 「比丘たちよ、これが刀兵中劫と呼ばれるものである。」

「諸比丘！云何名為飢饉中劫？諸比丘！飢饉劫時，一切人民，無有法行，邪見顛倒，具足皆行十不善業。以是因緣天不降雨，以無雨故，世便飢饉，無復種子，白骨為業，諸皮活命。云何名為白骨為業？諸比丘！飢饉之時，彼諸人民，若於四衢，若於街巷城郭行路，處處悉往，收拾白骨，水煎取汁，飲以活命，是故名為白骨為業。云何名為諸皮活命？諸比丘！飢饉劫時，彼諸人民，以飢急故，取諸樹皮，煮飲其汁，以自活命，是故名為諸皮活命。諸比丘！彼時眾生，飢餓死已，皆當下生惡趣之中，所謂墮在閻摩羅世，受餓鬼身，以彼眾生慳貪嫉妬，畏食物盡，爭取藏故。諸比丘！此等名為飢饉中劫。

> 「比丘たちよ、飢饉の中劫とは何か。比丘たちよ、飢饉の劫の時、すべての人々は正しい行いを失い、誤った見解に陥り、十の不善業を尽く行う。その因縁によって天は雨を降らせず、雨がないために世は飢饉となり、穀物の種は絶え、白骨で生計を立て、樹皮を煎じて命をつなぐ。『白骨で生計を立てる』とは何か。比丘たちよ、飢饉の時、人々は四辻や街路、城郭の道々に至るまで、あちこちで白骨を拾い集め、水で煎じてその汁を飲んで命をつなぐ。これを『白骨で生計を立てる』という。『樹皮を煎じて命をつなぐ』とは何か。比丘たちよ、飢饉の劫の時、人々は飢えに迫られ、様々な樹皮を取り、煮てその汁を飲んで自らの命をつなぐ。これを『樹皮を煎じて命をつなぐ』という。比丘たちよ、その時、飢えで命を落とした者は、みな悪趣に生まれ落ちる。すなわち、閻魔の世界に堕ちて餓鬼の身となる。彼らは慳貪・嫉妬の心から、食物が尽きるのを恐れ、争って隠し蓄えたからである。比丘たちよ、これらを飢饉の中劫という。」

「諸比丘！云何名為疾疫中劫？諸比丘！彼時人民，欲行正法，欲說如法，亦欲行於無顛倒見，亦欲具行十善業道。但於是時，諸如法人，以其過去無十善業勝果報故，遂令非人放其災氣，流行癘疫，致使多人得病命終。諸比丘！又於如是疾疫劫時，更有他方世界無量非人，來為此間一切人民作諸疫病。何以故？以其放逸行非法故。彼諸非人奪其精魂，與其惡觸，令心悶亂，其中多有薄福之人，因病命終。譬如國王，若王大臣，守護民故，於其界首，安置戍邏，有時他方盜賊忽來，由彼戍邏不謹慎故、有放逸故，被諸群賊一時誅戮，或滅其家、或破村落、或屠聚邑、或毀國城。如是如是，以放逸故，他方非人來行疾疫，命終皆盡，亦復如是。或復彼時，他方非人，來行疾病。時，諸眾生無放逸行，但彼鬼大力強相逼惱，奪其精魂，與其惡觸，令心悶亂，於中多有遇病命終。譬如國王或王大臣，為諸聚落作守護故，安置鎮防，或於後時，他方劫賊來相侵擾，而是鎮防無有放逸，勤謹遮護。但彼賊大力強相逼惱，亦能一時，誅戮諸人，或滅其家村舍聚落，略說如上。如是如是，諸比丘！於疾疫劫，眾人遇病，逼切命終，亦復如是。其身死已，皆得上昇，生諸天中。所以者何？為彼眾人，無相害心、無惱亂心，有利益心慈心淨心故，當命終時，又各相問：『汝病可忍，得少損不？頗有脫者、頗有起者、頗有疾病全差者不？』諸比丘！以是因緣得生天上。此等名為疾疫中劫。諸比丘！是名世間三種中劫。

> 「比丘たちよ、何を『疫病の中劫』と呼ぶのか。比丘たちよ、その時代、人々は正しい法を行い、法に従って語り、誤りのない見解を持ち、十の善行を fully 実践しようと欲する。しかし、その時、正しい法を行う人々は、過去に十善の勝れた果報を積んでいなかったがゆえに、人間ならざる者たちが疫病の気を放ち、流行病が広がり、多くの者が病にかかり命を落とすこととなる。 比丘たちよ、また、このような疫病の劫の時には、さらに他の世界から無数の人間ならざる者たちがやって来て、この世界のすべての人々に様々な疫病をもたらす。なぜか。彼らが放逸で、正しい法を行わないからである。その人間ならざる者たちは、彼らの精気を奪い、悪い感触を与え、心を昏倒させる。その中で、福の薄い多くの者が病によって命を終える。 たとえば、王や大臣が民を守るために国境に見張りを置くことがある。ところが、ある時、他国から盗賊が突然襲来し、その見張りが不注意で放逸であったため、賊たちに一挙に殺戮され、家を滅ぼされ、村を破壊され、町を略奪され、国を滅ぼされることがある。全く同じように、放逸であるがゆえに、他方の人間ならざる者たちが疫病をもたらし、命が尽きるのである。 あるいはまた、その時、他方の人間ならざる者たちが疫病をもたらす。その時、衆生は放逸な行いをしないが、しかし、その鬼たちが大力で強く迫り悩ませ、その精気を奪い、悪い感触を与え、心を昏倒させる。その中で多くが病にかかり命を終える。たとえば、王や大臣が村々を守るために防備を設けることがある。その後、他方から盗賊が襲来して悩ませるが、その防備は放逸でなく、勤め慎んで防護する。しかし、その賊たちが大力で強く迫り悩ませれば、やはり一挙に人々を殺戮し、家や村を滅ぼすこともある。先に述べたとおりである。 全く同じように、比丘たちよ、疫病の劫において、人々は病にかかり、切迫して命を終えるのである。そして、その身が死んだ後は、皆、天上に生まれる。それはなぜか。その人々には害そうとする心がなく、悩ませようとする心がなく、利益の心、慈しみの心、清らかな心があったからである。命終わろうとする時、互いに尋ね合うのである。『あなたの病は耐えられますか。少しは良くなりましたか。逃れられた方はいますか。立ち直られた方はいますか。病が完治された方はいますか。』と。比丘たちよ、この因縁によって、彼らは天上に生まれるのである。これを『疫病の中劫』と呼ぶ。 比丘たちよ、これらを世間の三種の中劫という。」