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title: "法句經 · 序"
description: "法句经是佛教重要经典，由古印度高僧法救尊者编纂，三国时期维祇难等译师将其译为汉文。该经属于早期佛教典籍，收录了佛陀在不同场合宣说的偈颂，内容涵盖修行、道德、智慧等核心教义，以简洁诗偈形式阐述佛法真谛。作为佛教基础入门经典，法句经语言通俗易懂，在汉传佛教中具有广泛影响力，是了解原始佛教思想的重要文献。其短小精悍的偈颂便于记诵传播，对佛教伦理观念的形成与普及起到关键作用，至今仍被佛教徒奉为日常修持指南。"
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### 法句經序

> 法句経の序

曇鉢偈者，眾經之要義；曇之言法，鉢者句也。而《法句經》別有數部，有九百偈，或七百偈及五百偈。偈者，結語，猶詩頌也；是佛見事而作，非一時言，各有本末，布在諸經。佛一切智，厥性大仁，愍傷天下，出興于世，開顯道義。所以解人，凡十二部經，總括其要，別為數部。四部阿含，佛去世後阿難所傳，卷無大小，皆稱聞如是，處佛所在，究暢其說。是後五部沙門各自鈔眾經中四句、六句之偈，比次其義條別為品，於十二部經靡不斟酌，無所適名，故曰法句。諸經為法言，法句者，由法言也。近世葛氏傳七百偈，偈義致深，譯人出之頗使其渾。惟佛難值，其文難聞，又諸佛興皆在天竺，天竺言語與漢異音，云其書為天書、語為天語，名物不同，傳實不易。

> 曇鉢の偈は、多くの経典の要点を集めたものです。「曇」は法という意味で、「鉢」は句という意味です。『法句経』にはいくつかの版があり、九百偈、七百偈、五百偈のものがあります。「偈」とは言葉をまとめたもので、詩の頌のようなものです。これは仏が出来事に直面して作られたもので、一度に語られたものではなく、それぞれに始まりと終わりがあり、諸経典の中に散らばっています。仏は一切智を持ち、その本性は大いなる慈悲深さで、天下を哀れみ、世に現れて道の教えを明らかにされました。人々を導くために、十二部経の要点をまとめ、いくつかの版に分けたのです。四部の阿含は、仏が亡くなられた後に阿難が伝えたもので、巻の大小を問わず、すべて「聞如是」と記され、仏がおられた場所での説法を余すところなく述べています。その後、五部の沙門たちがそれぞれ諸経典の中から四句や六句の偈を抜き出し、その意味を順に並べて品として分けました。十二部経のすべてに目を通し、適切な名がなかったため、法句と呼ぶのです。諸経典は法の言葉であり、法句はその法の言葉から生まれたものです。近頃、葛氏が七百偈を伝えましたが、偈の意味は深く、訳した人がそれをやや不明瞭にしてしまいました。仏にお会いするのは難しく、その教えを聞くのも難しいものです。また、諸仏がお生まれになるのはすべて天竺であり、天竺の言葉は漢の言葉と音が異なり、その書を天書、言葉を天語と呼び、名前や物事が異なるため、伝えるのは実に容易ではありません。

唯昔藍調安侯世高、都尉佛調，譯梵為秦，實得其體，斯已難繼。後之傳者，雖不能密，猶常貴其寶，粗得大趣。

> 昔、安侯世高や都尉佛調といった人々が、梵語を中国語に訳したとき、その本質をしっかりと捉えていました。これはまさに受け継ぐのが難しいほどの偉業でした。後に続く翻訳者たちは、たとえ細部まで正確に伝えられなくても、常にその宝を大切にし、大まかにでも仏教の趣旨を捉えてきました。

始者維祇難，出自天竺，以黃武三年來適武昌，僕從受此五百偈本，請其同道竺將焰為譯。將焰雖善天竺語，未備曉漢，其所傳言，或得梵語、或以義出音迎，質真樸。初謙其為辭不雅，維祇難曰：「佛言：『依其義不用飾、取其法不以嚴。』其傳經者令易曉，勿失厥義，是則為善。」坐中咸曰：「老氏稱：『美言不信、信言不美。』仲尼亦云：『書不盡言、言不盡意。』明聖人意深邃無極，今傳梵義，實宜經達。」是以自偈受譯人口，因修本旨不加文飾，譯所不解則闕不傳，故有脫失多不出者。然此雖辭朴而旨深，文約而義博，事鈎眾經，章有本句、有義說。其在天竺，始進業者不學《法句》，謂之越敘。此乃始進者之洪漸、深入者之奧藏也，可以啟曚、辯惑、誘人自立，學之功微而所苞者廣，寔可謂妙要也哉。

> はじめに維祇難は天竺の出身で、黄武三年に武昌にやって来ました。私はその弟子としてこの五百偈のテキストを授かり、同じ道の竺将焰に翻訳を依頼しました。将焰は天竺の言葉に長けていましたが、漢語にはまだ通じておらず、その伝えるところは、あるいは梵語のままだったり、あるいは意味を音で表したりして、質朴で飾り気のないものでした。最初、私はその言葉遣いが優雅でないと批判しましたが、維祇難は言いました。「仏は仰せられた。『その意味に従い、飾りを用いず、その法を取って、厳かにしない』と。経を伝える者は、分かりやすくして、その意味を失わせなければ、それが善なのだ」と。座にいた者たちは皆言いました。「老子は『美しい言葉は信じられず、信じられる言葉は美しくない』と言った。孔子もまた『書は言を尽くさず、言は意を尽くさず』と言った。聖人の意は深遠で極まりがない。今、梵の意味を伝えるには、実に経に通じているべきだ」と。そこで偈を授かった翻訳者の言葉から、本旨に従って文飾を加えず、翻訳して理解できないところは欠いて伝えなかったので、脱落や失われたものが多くありました。しかし、これは言葉は質朴でも意味は深く、文は簡潔でも義は広く、事は多くの経と通じ、章には本の句があり、義の説があります。天竺では、修行を始める者が『法句』を学ばなければ、順序を越えていると言われます。これは修行を始める者の大きな導きであり、深く入った者の秘めた宝蔵です。蒙昧を開き、惑いを明らかにし、人を導いて自立させることができ、学びの功は少ないのに包むところは広く、まことに妙要と言えるでしょう。

昔傳此時，有所不解，會將焰來，更從諮問。受此偈輩，復得十三品，并校往古，有所增定，第其品目合為一部三十九篇，大凡偈七百五十二章，庶有補益，共廣問焉。

> 昔、この経を伝えた時、理解できないところがあったので、炎のもとに行き、さらに尋ね問うた。この偈句を受け、また十三品を得て、古いものと照らし合わせ、増補訂正し、その品目を順に並べて一部三十九篇とした。偈は合わせて七百五十二章である。少しでも補い助けとなれば幸いであり、ともに問いを広めたい。