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title: "成實論 · 45 根假名品"
description: "成实论由印度高僧诃梨跋摩所著，鸠摩罗什于姚秦时期译成汉文，是小乘佛教向大乘过渡的重要论典。该论以四谛为核心，系统阐述苦、集、灭、道真谛，批判说一切有部观点，主张人法二空思想。其内容涵盖五蕴分析、业报理论及修行次第，结构严谨，逻辑清晰，被视为部派佛教思想的集大成者。在中国佛教史上，成实论曾形成成实学派，对南北朝佛学发展影响深远，为三论宗等宗派提供了理论基础，是研究早期佛教哲学的重要文献。"
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## 成實論卷第四

> 成実論 巻第四

訶梨跋摩造

> 訶梨跋摩造

姚秦三藏鳩摩羅什譯

> 姚秦三蔵法師鳩摩羅什訳

### 根假名品第四十五

> 第四十五品 仮名の根本

問曰：眼等諸根與四大為一為異？答曰：從業因緣，四大成眼等根，是故不異四大。又佛分別眼，作如是言：眼肉形中所有堅依堅，名為地種。故知諸根即是四大。所以者何？但分別堅等更無有眼，佛欲令人知眼空故，作如是說；若不爾，應眼中別有堅等。若堅等中別有眼，雖分別堅等，則無所益，是故諸根不異四大。又《六種經》中說：六種是人。若諸根異四大，則眼等不名成人因緣。因色等成四大，聲亦是成人因緣，但六種中假名為人，故知諸根不異四大。又比丘問佛：何等為眼？佛答：因四大成色，不可見有對，是名為眼。故知不異四大。是比丘利根有智，於眼等根深生疑，世間皆知見色是眼，乃至亦知觸是身，是比丘於眼等中生有無疑。所以者何？或有諸師說五性為五根，或說一性。是比丘欲試觀佛法故問佛，佛欲示五根皆屬四大，答言：比丘！是眼因四大所成色，不可見有對。若法有實，則非因成，因假名法更成假名，如因樹成林。

> 問い：目や耳などの諸根（感覚器官）は、四大（地・水・火・風の四つの元素）と一つなのでしょうか、それとも別ものなのでしょうか？ 答え：業（行為）の因縁によって、四大から眼などの諸根が成り立っています。ですから、四大と別ものではありません。また、仏は眼を説明して、こう言われました。「眼という肉のかたちの中にある、堅くて依りどころとなる性質を、地の種という」。これによって、諸根はすなわち四大であると知るべきです。なぜなら、堅さなどを分析してみても、眼そのものは別に存在しないからです。仏は人々に眼が空であることを知らせようとして、このように説かれたのです。もしそうでなければ、眼の中に堅さなどが別に存在することになるでしょう。もし堅さなどの中に眼が別にあるならば、堅さなどを分析しても何の役にも立ちません。ですから、諸根は四大と別ものではありません。 また『六種経』には、「六種（六大）をもって人とする」と説かれています。もし諸根が四大と異なるならば、眼などは人を成り立たせる因縁とは呼べないでしょう。色などによって四大が成り立ち、声もまた人を成り立たせる因縁ですが、ただ六種のなかで仮に「人」と名づけているにすぎません。ゆえに、諸根は四大と別ものではないと知るべきです。 また、ある比丘が仏に問いました。「何をもって眼としますか」。仏は答えられました。「四大によって成り立った色（物質）であり、見ることはできないが対象をもつもの、これを眼と名づける」。ゆえに、四大と別ものではないと知るべきです。 この比丘は利根で智慧があり、眼などの諸根について深く疑いを抱いていました。世間では誰でも、色を見るのが眼であり、触れるのを感じるのが身であると知っています。この比丘は眼などの諸根について、存在するのか存在しないのかという疑いを生じました。なぜなら、ある師たちは五つの性質を五根と説き、あるいは一つの性質と説くこともあったからです。この比丘は仏法を試そうとして仏に問うたのです。仏は五根がすべて四大に属することを示そうとして、答えられました。「比丘よ！ この眼は四大によって成った色であり、見ることはできないが対象をもつものである」。もし法に実体があるなら、因によって成ることはありません。仮の名前の法によって、さらに仮の名前の法が成るのです。たとえば、木によって林が成るようなものです。

問曰：或有人言，色成就名為眼。是實云何？答曰：若成就不成就。四大從業因生，名眼等根。若不爾，是比丘於眼等根中疑終不可斷。所以者何？佛為說眼等諸根因四大造，是故此比丘知無實眼法，故知眼等不異四大。又佛處處分別四大，示眼空故，如說以慧不戲論者。謂觀此身分別六種，堅依堅名為地等，如是厭離五種。但有一識，亦如屠牛喻。《象步喻經》中分別四大更無有眼，若別有眼應更分別。又和蹉等諸論議師亦作是說，以無過故應當信受。

> 問い：ある人がこう言います。「色が成就することを眼と名づける。これは実際にはどうなのか。」 答え：もし成就するならば、成就しないこともあるでしょう。四大は業という原因から生じ、眼などの根と名づけられます。もしそうでないならば、この比丘は眼などの根についての疑いを終に断ち切ることができません。なぜなら、仏は眼などの諸根は四大によって造られると説かれたからです。それゆえ、この比丘は実在の眼という法がないことを知り、眼などが四大と異ならないことを知るのです。また、仏は随所で四大を分別して、眼が空であることを示されました。例えば、「慧をもって戯論しない者は、この身を観じて六種に分別し、堅くて堅に依るものを地と呼ぶ」などと説かれているのです。このようにして五種を厭離し、ただ一つの識だけがあると知ることは、牛を屠る者の喩えのようです。『象歩喻経』の中でも、四大を分別して眼は別にないと説かれています。もし別に眼があるならば、さらに分別すべきでしょう。また、和蹉などの論議師たちもこのように説いています。過失がないゆえに、信じて受け入れるべきなのです。

問曰：五根與四大異。所以者何？眼等眼等入攝，四大觸入所攝。又眼等為內入，四大為外入。眼等為根，四大非根。又眼等是造色成就，四大不爾。故知諸根非是四大。答曰：隨因緣故，即事異說。如信等五根，亦名行陰。若四大從業生，眼等所攝，亦名內入，亦名為根。又四大即是成就，如輪等成車，輪即是車，是事亦爾。

問曰：不然。如心清淨名為信，信異心異，是事亦爾。答曰：不然。如因清水珠，水即為清，水清即是水。如是得信珠，則心池淨，是心淨即是心。又我等於此論中，不說從心有異信，是故此喻非也。又根是假名，於成假名因不得言異。

問曰：亦不得言一。答曰：四大成就中假名為根，亦不但名四大為根，故知諸根不異四大。

> 問う：また「一」とも言えないのではないか。答え：四つの大きな要素（地・水・火・風）が備わった中に、仮に名前を付けて「根」と呼ぶのである。単に四大そのものを根とするわけではない。それゆえ、諸々の根は四大と異なるものではないと知るべきである。